【 かつてこんな男がいた〜“砂漠の狐”ロンメル 】

★エルウィン・ロンメル/Erwin Rommel 1891.11.15-1944.10.14 享年52歳
墓はドイツ・ウルム郊外のHerrlingen 





ロンメル通り。彼は村の英雄だ 墓地入口の案内板 山間の小さな墓地の一番奥が彼の墓



北アフリカ戦線を縦横無尽に疾走し、英軍からは“砂漠の狐”と呼ばれた。トレードマークのゴーグルは英軍のもの!










ドイツの将軍でありながら堂々と
ヒトラーを批判した勇気ある漢
花であふれかえったお墓。そして左手前の赤い花輪はッ!

なんと!この花をそえていたのは
イギリス戦車部隊!敵からの献花!


「敵の指揮官ロンメルは、きわめて勇敢な、きわめて巧みな敵将だ。戦争という行為は別として、
偉大な人物だ。…悔しいが!」(byチャーチル)

物資不足の少数ドイツ軍戦車隊を率いて、数倍の兵力のイギリス軍をアフリカ戦線で撃破し続けた
敵将エルウィン・ロンメルに、英首相チャーチルが思わずもらした言葉だ。

“砂漠の狐”ロンメル将軍。様々な奇策で敵軍を翻弄した彼だが(わずか300人の兵力で8000人の敵兵を捕虜にした)、中でもリビア砂漠の戦いは特に有名だ。彼は自軍を大軍に思わせる為に、最前列だけ本物の戦車を配置し、後方は自動車に木枠をかけたニセ戦車を大展開し、しかもニセ戦車にほうきや鎖を引きずらせて大規模な砂煙を立たせる周到ぶり。英軍は2ヶ月をかけてやっと占領した
陣地を戦わずして放棄、我先にと撤退した。
英軍が去った後には砂漠用のゴーグルが落ちていた。彼はそれを手に取り言った。「良いデザインだ。もらうよ。」それ以来、彼は敵軍のゴーグルを使っていた。他の将軍は“敵の物を身につけるとは何事か”と非難したが、ロンメルは素知らぬ顔。これは彼のトレードマークになった。

実は英軍がパニックを起こした理由はもうひとつあった。ドイツ軍が事前に行なった軍事パレードを
見た英国のスパイが、「ロンメル部隊に大戦車隊あり」と報告していたからだ。しかし、いくらなんでもスパイがニセモノの戦車に騙されるはずないとお思いだろう。何のことはないパレード自体が既にロンメルの罠だったのだ。パレードの戦車は会場を中心に円を描き、ひたすらグルグルまわっていたのだ!

しかし僕はロンメルが才将だった為に惚れたのではない。ロンメルは当時貴族出身か特権階級の
士官しかなれなかった師団長の地位を、平民出身で初めて手に入れたからでもない。彼が己の信念で最後までナチスに入党しなかったからだ。
彼の息子はこう回想している…彼が15歳の頃、ナチの人種差別理論を得意げに父に語った時、
「私の前でそういう馬鹿げたことを2度と喋るな!」と激高したという。
ロンメルは他の士官がやるように、自分の家族をヒトラーやナチス幹部に引き合わせたりしなかった。社交界へは妻にせがまれて、渋々と一度だけ舞踏会に顔を出した。『英雄ロンメル』は会場に入るなり着飾った女性たちに取り囲まれ身動き出来なくなった。この時の彼の反応がケッサクだ。彼はすごい形相で「私を通して下さいっ!」そう怒鳴り、周囲が静まり返ったという。

戦力で勝るのに連戦連敗が続いた英軍内には“神がロンメルを守っている”と噂が流れた。また、ロンメルがユダヤ人部隊を捕虜にした際に、ベルリンの総司令部が“捕虜として扱わず、即射殺せよ”と
指示を出したが、ロンメルはその命令書を焼き捨てたというニュースが報道され、いよいよ英軍兵士には彼に“敬意”を表わす者が続出し、実際に英軍司令部が『ロンメルは人間である』という内容の、前代未聞の布告を出したのだった。

ロンメルは自殺した、というより自殺“させられた”。いよいよ連合軍の総反撃が開始した時に、勝ち目がないと判断した彼は撤退の許可をベルリンに求めた。
ヒトラー「勝利か死か。それ以外に道はない」
ロンメル「総統は犯罪者だ。祖国が壊滅するまで戦うつもりか」
彼は、独断で退却を命令した。ベルリンに戻った彼はノルマンディーの敗退を見て、ヒトラーに戦争の終結を進言しようとした。ヒトラーは怒りを爆発させた--「元帥、出て行きたまえ!」。

3ヶ月後、ヒトラーの使者がロンメル邸に現れる…毒薬を持参して。「貴公に総統暗殺未遂の疑いが
かかりました。この毒を飲むなら家族の命は保証しましょう」ロンメルは家族の一人一人に別れを告げた後、そのまま自宅の裏の林に入り、木々の間で毒をあおいだ。

“なんだかんだ言っても軍人は軍人だ”、そんなことは百も承知している。ただ、僕はドイツを吹き荒れたあの狂気の中で、良心のかけらを見出したことが嬉しいのだ。

●ロンメル語録X2
『軍の上層部は、表面だけスベスベで中は腹黒い大理石野郎ばかりだ』
『死んだヒトラーは生きているヒトラー以上に危険だ』
最近のネオナチの活発な動きを考えると、2番目の言葉は重い。

ロンメルの死は、国民には「戦傷で死亡」と報道され、形ばかりの国葬が行われた。

  主な参考文献「100人の20世紀」(朝日新聞社)ほか


《あの人の人生を知ろう》
★文学者編
・宮沢賢治
・太宰治
・小林多喜二
・樋口一葉
・梶井基次郎
・清少納言
・近松門左衛門
・高村光太郎
・石川啄木
・西行法師
・与謝野晶子
・茨木のり子
●尾崎放哉
・種田山頭火
●松尾芭蕉
・ドストエフスキー

★学者編
●南方熊楠
●湯川秀樹

★思想家編
●チェ・ゲバラ
・坂本龍馬
●大塩平八郎
・一休
・釈迦
・聖徳太子
・鑑真和上
・西村公朝
・フェノロサ

★武将編
●明智光秀
●真田幸村
・源義経
・楠木正成
●石田三成
・織田信長




★芸術家編
●葛飾北斎
・尾形光琳
・上村松園
●黒澤明
・本阿弥光悦
・棟方志功
・世阿弥
・伊藤若冲
●グレン・グールド
●ビクトル・ハラ
●ベートーヴェン
●ゴッホ
・チャップリン

★その他編
●伊能忠敬
・平賀源内
・淀川長治
●千利休

●印は特にオススメ!

※番外編〜歴史ロマン/徹底検証!卑弥呼と邪馬台国の謎(宮内庁に訴える!)



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オヌシは 番目の旅人でござる