「咳をしても一人」漂泊の俳人
【 あの人の人生を知ろう〜尾崎 放哉 】 

Hosai Ozaki 1885.1.20-1926.4.7 (享年41才)

あまりに繊細すぎた 放哉終焉の地、小豆島

大正期の俳人。安住の地を求めて流浪した尾崎放哉は、“昭和の芭蕉”種田山頭火と共に『漂泊の俳人』と呼ばれる。両者は共に、季語や五・七・五という俳句の約束事を無視し、自身のリズム感を重んじる「自由律俳句」を詠んだ。
放哉は鳥取市出身。本名、尾崎秀雄。父は地方裁判所の書記。子どもの頃は自分の周囲を屏風で囲い、一人で読書をするのを好んでいた。14歳から俳句や短歌を作り始め、翌年には学友会誌に俳句を寄せている。中学時代の作品は「きれ凧の糸かかりけり梅の枝」「水打って静かな家や夏やなぎ」など。
※大学卒業までは約束事を守った俳句を詠んでいる。

1902年(17歳)、上京して一高に入学し、翌年荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい)と出会う。井泉水は放哉の一学年上。後に自由律俳句運動の指導者として山頭火や放哉を世に送り出し、俳壇の重鎮となった人物だ。放哉は最大の理解者となってくれた井泉水を生涯にわたって師と慕い、親交を持つようになる。
20歳、東大法学部に入学。翌年、『ホトトギス』や新聞に投句し掲載される。この頃、いとこの女性に惚れ込むが血の近さから親族に反対され失恋。哲学や宗教にのめり込み、泥酔を繰り返すようになる。1907年(22歳)、号を「芳哉」から「放哉」に改めた。

24歳で卒業すると、東大法科出身のエリートとして通信社で働き始めるが一ヶ月で退職(原因は不明)。鎌倉の禅寺に足を運ぶ。1911年(26歳)、生命保険会社に就職。同年、郷里の遠縁の娘と結婚。またこの年には井泉水が句誌『層雲』を創刊している(2年後に山頭火、4年後に放哉の句が掲載される。両者が世に出たのは『層雲』あってこそ!)。
※以下、放哉の句を生涯に沿って年代順に挿入していく。

ふとん積みあげて朝を掃き出す
青草限りなくのびたり夏の雲あぱれり
堤(どて)の上ふと顔出せし犬ありけり
夫婦でくしゃみして笑った
今日一日の終りの鐘をききつつあるく

仕事の業績は当初こそ好調で出世していったが、やがて人間関係のストレスに疲れきり、酒癖での失敗も重なって勤続10年目に平社員に降格、これを機に36歳で退職した(1921年)。翌年、新たに別の保険会社に移り京城(現ソウル)に赴任するが、約1年で免職になる。入社時の禁酒の誓約を破ったとも、同僚の中傷が原因とも言われている(38歳)。放哉は満州で再起を試みるが前年に発病した肋膜炎が悪化し、現地の病院に2ヶ月入院。帰国後、妻より離縁される。彼の人生には中学から続けてきた俳句だけが残った。

放哉は会社勤めに3度失敗したことで、実社会で暮らすことは不可能と自覚。無一物となって年の暮れに京都の修行場・一燈園に入り、托鉢、労働奉仕、読経の日々を送る。

つくづく淋しい我が影よ動かして見る
ホツリホツリ闇に浸りて帰り来る人々
ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる
月夜戻りて長い手紙を書き出す

1924年(39歳)、冬の一燈園の寒さと労働奉仕の厳しさに肉体の限界を感じた放哉は、3月から知恩院塔頭・常称院に入る。だが、井泉水が寺を訪れた際に再会の喜びから泥酔し、わずか一ヶ月で住職に追い出された。6月、知人の紹介で神戸の須磨寺に身を置く。これから死に至るまでの2年間、大量の名句を生み出してゆく。

障子しめきつて淋しさをみたす
こんなよい月を一人で見て寝る
船乗りと山の温泉に来て雨をきいてる
浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す
にくい顔思ひ出し石ころをける
雀がさわぐお堂で朝の粥腹(かゆばら)をへらして居る
犬よちぎれるほど尾をふつてくれる
雨の幾日がつづき雀と見ている
児に草履をはかせ秋空に放つ
かぎ穴暮れて居るがちがちあはす
あるものみな着てしまひ風邪ひいている
がたぴし戸をあけておそい星空に出る
鳩に豆やる児が鳩にうづめらる
人を待つ小さな座敷で海が見える
何かつかまへた顔で児が藪から出て来た
雀のあたたかさを握るはなしてやる

1925年(40歳)、権力争いの内紛で揺れる須磨寺を立ち去り、5月から福井県小浜の常高寺に移る。
だが、2ヵ月後に寺が破産してしまう。

うつろの心に眼が二つあいている
ころりと横になる今日が終つて居る
一本のからかさを貸してしまつた
今日来たばかりの土地の犬となじみになっている
和尚茶畑に居て返事するなり
麦わら帽のかげの下一日草ひく
遠くへ返事して朝の味噌をすって居る
寺に来て居て青葉の大降りとなる
朝早い道のいぬころ
 
行き場を失った放哉は京都で一人暮らしをする井泉水の下に身を寄せた(井泉水は2年前の関東
大震災で妻子を失っていた)。

昼寝の足のうらが見えている訪ふ
宵のくちなしの花を嗅いで君に見せる

病気がちになった放哉は死期を予感したのか、井泉水に「海の見える所で死にたい」と訴える。井泉水は妻子に先立たれた後に遍路巡礼で小豆島を訪れており、この時に知り合った島内の『層雲』句友に海辺の庵を探して欲しいと依頼した。
“小豆島北西の土庄に庵あり”と連絡を受けた放哉は、8月20日に島へ渡り西光寺・南郷(みなんご)庵にたどり着く。“二抱えもあろうかという大松”が庭先にある庵。ここが終の棲家となった。寺男として住み込むのではなく、庵主としての孤独な暮らしが始まった--「人の親切に泣かされ今夜から一人で寝る」。

1926年、南郷庵で俳句の創作に没頭していた彼は、2月に肺結核と診断され、いよいよ先が短いことを悟る。翌月には喉の粘膜が炎症を起こして食事が不可能になり、4月7日に絶命した。死を看取ったのは隣家の老婆ただ一人だった。享年41歳。結核と分かってから2カ月しか生きられなかった。
2日後、井泉水が訪れ西光寺に埋葬した。戒名は大空放哉居士。辞世の句は「春の山のうしろから烟(けむり)が出だした」。死の2カ月後、井泉水は放哉の冥福を祈って句集「大空(たいくう)」を刊行した。

放哉の死後、南郷庵は朽ち果てたが、1994年に完全復元され『尾崎放哉記念館』として公開されている。彼の墓は南郷庵に隣接する共同墓地の高台にあり、墓前には花と酒が絶えない。

放哉は死の3年前に実社会と離れてから、深い孤独を感じて苦しんでいたが、一方で無常観が生む透明感、達観した洒脱味などで、逆に句は冴え渡っていった。
特に小豆島では8カ月たらずの生活の中で、病に苦しみながらこの世に生きた証を刻み付けるべく、約3千句という膨大な数の句を残し、俳人として飛躍的に成長を遂げた。
放哉は一人ぼっちの庵の中で自由律俳句のひとつの頂点を極めて死んでいったのだ。

●最後の8カ月の作品から

咳をしても一人
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
ビクともしない大松一本と残暑にはいる
障子あけて置く海も暮れ切る
足のうら洗へば白くなる
自分をなくしてしまつて探して居る
竹籔に夕陽吹きつけて居る
鳳仙花(ほうせんか)の実をはねさせて見ても淋しい
入れものが無い両手で受ける
雀が背のびして覗く俺だよ
月夜の葦が折れとる
墓のうらに廻る
あすは元日が来る仏とわたくし
夕空見てから夜食の箸とる
枯枝ほきほき折るによし
霜とけ鳥光る
お菓子のあき箱でおさい銭がたまつた
あついめしがたけた野茶屋
肉がやせてくる太い骨である
一つの湯呑を置いてむせている
白々あけて来る生きていた
これでもう外に動かないでも死なれる

※放哉は種田山頭火より3歳年下だが、14年早く他界した。山頭火は2度放哉の墓に訪れている。共に『漂泊の俳人』として知られるが、山頭火が自ら求めて放浪の旅に出た“動”の俳人であるのに対し、安らぎの土地を求めてさ迷い無常観をたたえた句を詠んだ放哉は“静”の俳人と例えられる。










放哉が暮らした庵(いおり)は、文学記念館になっている。
庭の大松は彼の俳句に何度も登場する※今は2代目の松
庵から海岸まではスグ!
「障子あけて置く 海も暮れ切る」
縁側にあった投句箱。
年に一回審査がある














放哉の庵の近くに墓がある 季節の花が絶える事がないという ビール・日本酒・ワイン、全部揃ってる! 温かい手書きの「放哉さんのお墓」






放哉の恩人、
萩原井泉水!
資料館の別館は入る価値がある。
町立図書館で鍵を借りよう
これは貴重!自筆の句や手紙が展示されていた(撮影許可済)










放哉が4ヶ月ぶりに入ったという銭湯は、既にサラ地に
なっていたが、銭湯の看板だけは記念館前にあった
放哉の庵にあった仏像。
※現在は西光寺本堂にある
この日、親切に車であちこちを
案内して下さった地元の I さん
西光寺の三重塔。この
小道を放哉が歩いてた


●追記〜晩年の未発表句稿から※1996年に約2700句も発見された。

バケツー杯の月光を汲み込んで置く
暗がり砂糖をなめたわが舌のよろこび
とんぼが羽ふせる大地の静かさふせる
児の笑顔を抱いて向けて見せる
口笛吹かるゝ四十男妻なし
呼び返して見たが話しも無い
ゆっくり歩いても燈台に来てしまった
水平線をはなれ切った白雲
色々思はるる蚊帳のなか虫等と居る
店の灯が美くしくてしゃぼん買ひにはいる
新らしい釘を打って夏帽をかける
まっくらなわが庵の中に吸はれる
庭をはいてしまってから海を見ている
飽く迄満月をむさぼり風邪をひきけり
さあ今日はどこへ行って遊ばう雀等の朝
盆休み雨となりぬ島の小さい家々
島の土となりてお盆に参られて居る

※放哉の名随筆『石』を抜粋して紹介。彼が“石”の素晴らしさを情熱的に語っている。
これはユーモアもあって本当に素晴らしいエッセイなので是非!(短いよ!)

※お薦め参考サイト
http://www2.netwave.or.jp/~hosai/ 尾崎放哉記念館
http://homepage2.nifty.com/onibi/housai.html 年代順全句集


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