「映画の伝道師」
【 あの人の人生を知ろう 〜 淀川 長治 】 

Nagaharu Yodogawa 1909.4.10-1998.11.11



TVで解説を始めた頃 “サヨナラおじさん”の名で愛された 最晩年、宮崎駿監督と







素晴らしい名解説をもっと聞きたかったです〜ッ!
(兵庫・須磨寺にて)
生涯を銀幕に捧げた
「映画の伝道師」
05年の淀川長治賞に輝いて
喜ぶジャッキー・チェン

映画評論家。神戸出身。ハイカラな港街で芸者小屋を営む両親に連れられ、4歳の頃から映画を見まくった。子どもの頃から良い作品は他人に紹介せずにいられなかった性分らしく、一人で面白い映画に出くわすと、劇場の電話を借りて家に連絡し、親類の席を約10人分予約して、改めてもう一度観たという。
中学時代、「映画ばかり見ずに数学の勉強をしろ」と説教した先生に、「公開中の『ステラ・ダラス』を観てからそれを言って下さい」と抗議し、先生が数人で劇場に足を運んだところ、感動的な自己犠牲のラブ・ストーリーに一同はむせび泣き、以降は学校行事として映画を見に行くようになった。作品の選定は淀川に一任され、自分が薦めた映画で級友たちが、笑い、泣き、楽しむ様子を見て、「もっと多くの人に映画の素晴らしさを伝えたい!」と思うようになった。

1927年(18歳)、上京して雑誌「映画世界」編集部でアルバイト。1932年(23歳)には、米国の映画会社ユナイトの大阪支社宣伝部に入った。1936年3月(27歳)、『チャップリンと新妻ポーレット・ゴダードが、新婚旅行で極秘に神戸港へ船で立ち寄る』という大ニュースをキャッチ、ホノルルからクーリッジ号で入港したチャップリン(当時47歳)にアポなし突撃取材を敢行する。甲板で5分間だけという約束だったのが、淀川がチビッコ時代から観てきたチャップリン・ムービーの様々な名場面をパントマイムで再現しているうちに、炎のファン魂がチャップリンのハートに燃え移ったのか、「ねぇ、君!中に入って話をしよう!」と船室に招待してくれ、そこで一時間も2人きりで話をするという、人生最大最高の体験をする。チャップリンは淀川に、買い物に出るポーレット・ゴダードの為の神戸ガイドを依頼した。

1938年(29歳)、次第に日本が戦争に深入りしていく中、東京支社に転勤となり両親と上京。1940年(31歳)、彼が担当した『駅馬車』が空前の大ヒットを記録する。しかし、翌年に日米開戦となり、ハリウッド作品は敵性映画として終戦まで公開禁止になる。この当時、ディズニーの長編アニメ『白雪姫』を会社の試写室で密かに見た淀川は、色彩あふれるカラー映像に驚愕し「こんな国と戦争したら絶対に負ける」と絶句したという。1942年、東宝の宣伝部に移籍。

1945年、36歳で終戦を迎えてセントラル映画社に入社。翌年、雑誌『スクリーン』の編集委員となる。1947年(38歳)、映画世界社の「映画之友」編集部に入り、翌年から1967年まで20年も同誌の編集長を務める。その間、1951年(42歳)に初めてハリウッドを訪れ、念願だったチャップリンとの再会を果たす。スタジオで『ライムライト』を撮影していたチャップリンの第一声は「アイ・リメンバー・ユー!」。神戸港でのあの楽しいひと時を彼は忘れておらず、淀川をスウィート・ボーイと呼んだ。チャップリンは62歳。淀川は15年の間にチャップリンの髪の色がすっかり変わったことを知り、思わず泣きそうになる。「なぜ泣く?」「グレー・ヘアー」「……」。チャップリンは黙って淀川の肩を抱いた。

「映画之友」編集長として、彼は読者との定期的な交流会(友の会)を企画。映画への一途な熱愛ぶりが参加者に伝わり、映画ファンの間で名が知れ渡っていく。テレビでの初仕事は1960年のTVシリーズ『ララミー牧場』の解説。51歳のブラウン管デビュー。親しみやすい解説で一躍脚光を浴びた。
1966年(57歳)、新番組『日曜映画劇場』がスタート。この番組は劇場映画を毎週オンエアするという、業界初の試みだった。解説を依頼された淀川は「より多くの人へ映画の魅力を伝える」ことが可能なこの仕事を喜んで引き受けた。以後、一度も休むことなく32年間も(死の前日まで)解説を続けることとなった。
放送が始まると、丁寧で分かりやすい解説だけでなく、番組冒頭の「ハイ、またお会いしましたね」から最後の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」に続く一連の「淀川節」が大ブレイク。独特の口調で映画の素晴らしさを嬉々として語る姿は人々に愛され、“サヨナラおじさん”の愛称でお茶の間の人気者となった。当初は「サヨナラ」の回数が毎回異なっていたが、子ども達が回数を賭けているという噂を聞き、それからは3回に決めた。
1967年(58歳)、テレビ、ラジオ、雑誌で引っ張りだこになった淀川は、「映画之友」を離れてフリーになり、各方面に活動の場を広げていく。

※たぶん、どの本にも載っていないエピソードを紹介。80年代前半、まだレンタルビデオ店というものが世になかったので、高校生の僕は『日曜洋画劇場』を毎週必ず観ていた。一度、酒に酔ったまま解説した回があって、あの衝撃を今でもハッキリと覚えている。「ハイ、皆さん今晩は。今日は私の顔、赤いですね。ちょっとスタジオに入る前、お酒を呑みましたね。フラフラですね。そういうわけで、今日は私、少しご機嫌さんでキャメラに向かってますが、舌がもつれたら皆さんごめんなさいね。さて、今日の映画は…」。師匠も凄いがこの収録をボツにせずオンエアしたテレ朝もブッ飛んでると思った。そしてこう考えた。つまり、番組の現場スタッフは日頃からその人間的魅力に惚れ込んでいて、親近感の湧く“ご機嫌さん”バージョンをどうしても人々に見せたかったのだと。翌週のオンエアでは「あらまあ、先週はごめんなさいね」と謝っていた(笑)。
あと、「サヨナラ」ではなく「にぎにぎバイバイ、にぎにぎバイバイ」と右手を“にぎにぎ”した回があった。翌週から「サヨナラ」に戻ったけど、あれは一体…!?

『日曜洋画劇場』で解説を収録する前に、「それだけ責任あるから」と作品を三回以上見たという。映画文化を支えていく強い自負がそこにはあった。しかし、理由はそれだけではない。毎週の放送ともなると、“箸にも棒にもかからぬ救い難い駄作”を解説する回もあった。「どんな映画でも何か一つは必ず良いところがある。それを拾って皆に説明するのが私の使命」、この映画愛のたまものだ。
また“吹替え版”には次の意見を持っていた。「吹替え版はセリフのノーカット版。字幕は一度に2行しか表示できず、どうしても要約せざるをえない。複数の人間が同時に喋る場面にも対応できない。この問題を克服し、全てのセリフを楽しめるのが吹替え版のメリットだ」。

淀川は自分の人生観、人間観について、よく次の様に語っていた。
「私はいまだかつて嫌いな人に会った事がない。好きになる事がどんなに人を助けるか私は知っている」
「ウエルカム・トラブル、苦労来たれ、苦労が人間を強くするんだ。悲しいなぁ辛いなぁと泣いたことがある人が偉いんだ」
「最近の親友と申したい監督が、香港生まれのウェイン・ワン監督。親友といってもじかに話したこともない。好きな映画を見せてくれた監督は私には親友だ」
「イランがどこにあるのか調べるといい。各国の映画が国境を越えて日本に訪れ、“人間”は同じという事を知る。これほど平和を生むものは他にはない」(イラン映画『友だちのうちはどこ?』のコメント)
“好きになることが相手を助ける”“知識は(異文化への)恐怖を取り除く”…これらはすべて映画が教えてくれたのだという。

名シーンを細部まで再現する驚異的な記憶力は、年をとっても全く衰えず、「映画の生き字引」と呼ばれた。1984年(75歳)、勲四等瑞宝章受章。1992年(83歳)、雑誌「ROADSHOW」創刊20周年記念として、映画文化の発展に功績のあった人や団体に贈られる“淀川長治賞”を集英社が設立(第1回受賞者は翻訳家・戸田奈津子)。晩年の口癖は「明日、来週、新しい映画がくるかと思うと、死ねない」。そして『日曜映画劇場』の為に、テレビ朝日に近い全日空ホテルで生活していた(まるで出家者のようだ)。
 
後期の黒澤映画が、世間から「“七人の侍”の頃のエネルギーがなくなった」「クロサワはもうダメだ」と叩かれていた頃、淀川は『夢』(1990)を「日本映画史上最高の映画美術と申したい」と評し、『まあだだよ』(1993、遺作)には次のコメントを残した。
「若い映画ファンの多くが、この師弟の物語を観て“時代おくれ”“照れくさい”“ついていけない”と言う。馬鹿かと思った。なぜ監督の、美を一途に追い求める姿勢が分からないのか。日本中が今、この温かさを受けつけなくなった。怖いし、悲しい。干からびた地面からは、このような枯れ木の若者が伸びるのか。この映画、乾いた土に水の湿りを与える」。
 
1998年9月、長年親交があった黒澤監督が他界。ひとつ年上の淀川は、自らの死を予期していたのか、棺で眠る黒澤に「泣かないよ。僕もあとから追いかけるから、もうすぐだよ」と語りかけた。
2ヶ月後の11月10日、『日曜映画劇場』の解説用にブルース・ウィリスの『ラストマン・スタンディング』を観て、番組の収録を終えた後に体調を崩して倒れる。そして翌11日午後8時7分、腹部大動脈瘤(りゅう)破裂が原因による心不全で逝去した。享年89歳。最期の言葉は、病室に駆けつけた姪御さんに言った「もっと映画を見なさい」だった。
名物の「サヨナラ」は32年間に1500回以上も流れ、多くの日本人が、これからもずっと日曜夜に繰り返されると漠然と思っていたのが、突然4日後(15日)のオンエアで最後になった。

※その日、僕は朝から緊張していた。新聞に「最後の解説」と書かれていたからだ。午後9時、放送開始。89歳の淀川翁が、かすれた声を振り絞って、懸命に作品の見所を伝えている。すると画面の下方にテロップが静かに流れ始めた--『ご覧の映像は永眠される前日に収録された最後の解説です』。…激涙。僕は“翌日に亡くなった”という事実に圧倒された(収録は何週も前だと思っていた)。まさに、映画に殉じたのだ。死ぬまで映画に身を捧げた、本物の「映画の伝道師」だった。
『ラストマン・スタンディング』は、邦画の『用心棒』をハリウッドがリメイクしたもの。若い頃から外国映画の魅力を語り続けてきた淀川が、最後に日本映画が外国からリスペクトされた作品を解説する、そこにもまた感慨深いものがあった。まして『用心棒』は盟友・黒澤監督の作品。運命的なものさえ感じた。

葬儀の『淀川長治さん・さよならの会』には、杉浦孝昭(おすぎ)ら親しかった映画関係者ら約500人が出席。祭壇の遺影には、本人が最も気に入っていたという、チャプリン『独裁者』のポスター前でニッコリ笑う淀川の写真が選ばれた。棺には愛用の眼鏡やチャプリンの写真が収められ、黒澤監督が愛用したひざ掛けがかけられた。
チャプリンの『ライムライト』の美しいテーマ音楽が流れる中、全国から集まった一般ファン約2500人が白いカーネーションを祭壇に献花した。各国からの弔電もたくさん届き、そこにはベルナルド・ベルトルッチ監督、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督、アラン・ドロン、ブラッド・ピット、アーノルド・シュワルツェネッガー(“シュワちゃん”は淀川のネーミング)、スティーブン・セガールなど、名監督や銀幕のヒーローたちのそうそうたる名前が並んだ。アカデミー賞ともカンヌとも関係ない、ただ一人の映画評論家の死を、こんなにも多くの人々が国境を越えて悲しんだ。

「淀川さんが一番いいね。純粋に映画を楽しんでいる。映画は理屈じゃないんだよね」(黒澤明)

※戒名は「長楽院慈眼玉映大居士」。意味は“慈しみの目であらゆる映画を珠玉の名作として長く楽しんだ者”。
※「批評家は多いが、無声映画時代から映画に人生をささげた方は、ただ一人だと思う」(戸田奈津子)
※淀川は「邦画に関して私はアマチュアだ」と公言しており、仕事柄、筆で評論することはあっても、テレビで解説することはなかった。
※「結婚をしていないと映画の中の男の気持ち、女の気持ちの両方がわかる」と生涯独身を通したが、同性愛者でもあった。しかしそれは“あっけらかん”としたものであり、本人は特に隠してなかったし、恥じてもいなかった。
※「映画館で映写が終わったのに、まだ座っている老人がいる。従業員が終わりましたよと声をかけると、死んでいた」--理想の死をそう語った。
※僕が今改めて脱帽するのは、その膨大な知識(記憶力)はもちろんのこと、作品の魅力が10あれば10すべてを聞き手に伝えきる天才的な話術。解説が、分かりやすく、かつ熱狂的。この“熱狂”がないと人は引き込まれない。しかし“分かりやすさ”と“熱狂”は、非常に両立が難しい!映画に詳しい人はゴマンといるが、相手の心を掴むトークをできる人は少ない。氏は声色を巧みに使い分け、話のポイントを確実に押さえ、作品に対する自分の主張を明確に伝えている。そしてまた、(これは非常に重要な点だけど)自虐的なユーモアをふんだんに散りばめる為、評論家にありがちな傲慢な姿勢、権威主義的な部分がこれっぽちも感じられず、聞いてて押し付け感が全くないんだ。ホント、偉大な方でした。m(_ _)m


【おまけ 淀川長治・不動明王編】
ペンを握った淀川は、TVのように甘くない。映画を愛するがゆえに怒りの不動明王と化す!
※先にフォローを入れとくと、この短評から10年が経った今は、ブラピもジム・キャリーも良い俳優に成長してきた。あくまでも当時のコメントとして受け止めて下さいね〜。(*^o^*)

●12モンキーズ
「登場するのが、今や売れっ子のブルース・ウィリス。まことファンのお望みどおり全裸に近い裸身で活躍。この男、シュワルツェネッガーと違ってその肉体のぶくぶくふくれたセクシーぶりが呼びもの。たんまりと今回はそれをお見せする。最悪なのがJ・ディーンの2代目を狙うが如きブラッド・ピットだ。とにかくありったけのオーバー・アクト。この男、ワン・シーンとて共演者のブルース・ウィリスに負けじとばかりのハミダシ熱演。なぜいつも、どのスナップを見ても、J・ディーンの表情をするのか、このばかみたいな個性づくり。裸男と狂的青年とテリー・ギリアム。とにかく覚悟をもってご覧あれ。今年の珍作第一級。この肉のかたまりの坊主頭と、電気カミソリが化けたごときギョロ目の若造の共演。入場料を払う価値はありますぞ。」

●ライアーライアー
「弁護士のパパを演じるのがジム・キャリー。私、この男が出るとゾーッとする。嫌いで嫌いでゾーッとする。オーバーアクトのその派手さ。目から口から鼻まで動かす。前作『MASK』を見てもお分かりだろう。最悪すぎ。」

●ピースメーカー
「あたかも全編、これ予告編。ガンガン画面はうなり、列車は爆発し、次々スリル180%。見ていた私は、その後へたばってベッドにぶっ倒れた。主演の2人が核爆発防止のため、ロシアの列車一大爆発にボスニア、トルコ、ウィーン、ニューヨークと画面も潰れんばかりのこの一大活劇。たいていの活劇、この映画から比べるとライオンとリスぐらいの違い。よく調べるとこの映画、スピルバーグの会社「ドリーム・ワークス」第一回作品。となると、このところ金を貯めて頭がおかしくなっているスピルバーグの使命よろしく、監督は全身汗だくでこれを完成したか。とにかく耳と心臓にせんをして見られよ。」

●ライオン・キング
「ディズニー・プロは名作ベストワンの“白雪姫”で世界中を驚かせたのに、W・ディズニーの死後、アニメ長篇は陰りをみせ“美女と野獣”は何とか恋の美しさで持たせたが、“ライオン・キング”のひどさ。あれはギャング映画だ。ディズニー生存中なら封切りを止めたであろう。」

●スピーシーズ
「女は遠慮もなくパーティーの中から男を誘い出し、別室でみるみる全裸。男はたちまちズボンを落とす。この男のだらしなさの最高映画。これはSF映画と同じくSEX映画。しかれどもさすがM・G・M(大手映画会社)、きわどさの一歩手前でこのSEXスリルをとどめるあたり、安心してジャリ連れのママもごらんにゆける。」(子供は“ジャリ”ですか…)

●マディソン郡の橋
「四日間のこと。カメラマンが古い橋を撮りにきて、田舎のオバサンに逢ってその橋に連れていってもらう。これが2人の出逢い。知り合ったその女の名はフランチェスカ。まあお茶でも飲みなせい。これがやがて、めしでも、泊まるといい、亭主も子供もよそにいま行っとるんじゃ、というわけでこの2人、できてしまう。」(か、か、完璧なストーリー説明!非の打ち所なし!)


【淀川長治・菩薩編】

●エド・ウッド
「狂信的な映画ファン(ティム・バートンのこと)が思い切って作ったこの個人趣味作品を、あの営利主義のハリウッドがよくも作ったことと、ハリウッドいまだ死せずと安心した」
(コレ、誉めてます)

●もののけ姫(メガ・ヒットをうけて)
「邦画ファン層の質の高さに胸を締めつけられた。もちろん、邦画ファンだけではなく、映画を見に来たすべての日本人たちにだ。汚い“心中”映画(失楽園のこと)に群がった悲しさ、辛さがここに掻き消えた」




〔淀川長治が選んだ各ベスト〕

●外国映画ベスト5(1980年)
1.黄金狂時代(チャールズ・チャップリン)
2.戦艦ポチョムキン(セルゲイ・エイゼンシュテイン)
3.グリード(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)
4.大いなる幻影(ジャン・ルノワール)
5.ベニスに死す(ルキノ・ヴィスコンティ)

●日本映画ベスト3(1979年)
1.残菊物語(溝口健二)
2.羅生門(黒澤明)
3.戸田家の兄妹(小津安二郎)

●男優ベスト5(1985年)
1.チャールズ・チャップリン
2.オーソン・ウェルズ
3.ルイ・ジューヴェ
4.ローレンス・オリヴィエ
5.スペンサー・トレイシー

●女優ベスト5(1985年)
1.メリー・ピックフォード
2.グレタ・ガルボ
3.マレーネ・ディートリッヒ
4.ベティ・デイヴィス
5.イングリッド・バーグマン


「映画は皆のもの。映画館の中で、こっちに学校の先生、あっちにソバ屋のおかみさんがいる。お爺ちゃんも、子供もいる。皆が学問や教養に関係なく、一緒になってひとつの映画をみている。僕はそういうのが好きなの。映画は人の垣根も国の垣根も取り払ってくれる。それがいいの。それが映画なの」(淀川長治)


《あの人の人生を知ろう》
★文学者編
・宮沢賢治
・太宰治
・小林多喜二
・樋口一葉
・梶井基次郎
・清少納言
・近松門左衛門
・高村光太郎
・石川啄木
・西行法師
・与謝野晶子
・茨木のり子
●尾崎放哉
・種田山頭火
●松尾芭蕉
・ドストエフスキー

★学者編
●南方熊楠
●湯川秀樹

★思想家編
●チェ・ゲバラ
・坂本龍馬
●大塩平八郎
・一休
・釈迦
・聖徳太子
・鑑真和上
・西村公朝
・フェノロサ

★武将編
●明智光秀
●真田幸村
・源義経
・楠木正成
●石田三成
・織田信長




★芸術家編
●葛飾北斎
・尾形光琳
・上村松園
●黒澤明
・本阿弥光悦
・棟方志功
・世阿弥
・伊藤若冲
●グレン・グールド
●ビクトル・ハラ
●ベートーヴェン
●ゴッホ
・チャップリン

★その他編
●伊能忠敬
・平賀源内
・淀川長治
●千利休

●印は特にオススメ!

※番外編〜歴史ロマン/徹底検証!卑弥呼と邪馬台国の謎(宮内庁に訴える!)



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