笑いの力で反戦を訴えた“喜劇王”
【 あの人の人生を知ろう〜チャップリン編 】

1889.4.16-1977.12.25 享年88

青年チャップリン。
素顔はかなりハンサム!
平和主義者のガンジーと交流。この8年後、チャッ
プリンは『独裁者』で反戦・反ファシズムを叫ぶ!
自由の国であるはずの
米国を追放されスイスで永眠





25歳から山高帽&ステッキ
がトレードマークになった
次第に単純なドタバタ喜劇を卒業し、
人間愛を描くように(『街の灯』42歳)
50歳の彼はヒトラーの力が最も強大だった時に、
笑いを武器に立ち向かった!真の勇気の持ち主!

“喜劇王”チャップリンは1889年ロンドン生まれ。本名チャールズ・スペンサー・チャップリン。両親は共に歌手で1歳の時に離婚。舞台デビューは5歳の時で、声の出ない母親ハンナの代役だった。10歳で地方劇団の一座に入り、演技を磨いていく。12歳、父親がアルコール中毒で死去。母は心の病になり病院に入る。孤児院で生活し、生きる為にガラス職人や床屋など様々な仕事を体験した。19歳、名門パントマイム劇団に入り寸劇の人気役者となる。21歳、同劇団の初めての米国巡業が大成功し、1913年(24歳)の2度目の米国巡業で映画プロデューサーから高く才能を評価され、週給150ドルでキーストン・スタジオに入社する。これをきっかけに米国が活動の場になっていった。

翌1914年(25歳)、マック・セネット監督『成功争ひ』で銀幕デビューを飾る。そして同年の出演2作目『ベニスの子供用自動車レース』で、以降のトレードマークとなる山高帽、ステッキ、だぶだぶのズボン、ドタ靴、ペンギン歩きというスタイルを確立し、“放浪紳士チャーリー”(The Little Tramp/小さな放浪者)は70本以上の映画で活躍することになる。
チャップリンの動作にはパントマイムで磨き上げられた優雅さがあり、手足の動きで感情をすべて表現することが出来た。その後、2年連続で映画会社を移籍し、3年前のキーストン時代は週給150ドルだったのが、今や週給1万ドルにボーナス15万ドルという巨額の契約金(ミューチュアル・フィルム社)が提示されるまでになった。この頃運転手として雇われたのが日本人の高野虎市氏で、その誠実な働きぶりからチャップリンは親日家になっていった。マネージャーには4歳違いの異父兄シドニーが就任。

●妥協知らずの完全主義者

翌々年(1918年)、たとえ数秒のシーンでも納得するまで何百テイクも撮り直す完全主義者のチャップリンは、より自由な製作環境を求めてハリウッドに念願の撮影スタジオを29歳で完成させる。この年、ファースト・ナショナル社(後にワーナー・ブラザーズと合併)と結んだ契約は年間100万ドル以上!同社との第1作『犬の生活』は野良犬と優しい放浪者の交流を描き人気を博した。また、同年に女優ミルドレット・ハリス(17歳)と結婚している。翌年長男が生まれたが生後3日で他界した。
チャップリンの映画演出は当初の単純でコミカルなドタバタ劇から、次第に孤独な魂や人間の情愛を描く作家性を全面に出したものに変化していく。それに従い、映画製作に外部からの干渉を100%排除するため、1919年(30歳)にD・W・グリフィス、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクスらと4人で配給会社ユナイテッド・アーティスツ(現メトロ・ゴールドウィン・メイヤー系列)を創立した。ユナイトとは約30年間繋がりを持つ。

チャップリンはデビュー年の出演11作目『恋の二十分』で、早くも監督のメガホンを取っており(脚本も執筆)、やがて製作、編集、映画音楽まで担当するようになっていく。1921年(32歳)、捨て子のと親子愛を描いた初の長編『キッド』が大ヒットし、この映画と共に欧州各国を訪問した際に、第一次世界大戦の傷跡を目撃することになった。ハリウッドでは分からなかった、戦争の恐怖と愚かさ。これは後の傑作『独裁者』誕生の土台となる。
1924年(35歳)、リタ・グレイ(16歳)と再婚し2児をもうける。1925年(36歳)、『黄金狂時代』で雪山の遭難者を演じ、山小屋で皮靴を優雅に食べ(2分)話題に。翌年、妻リタに離婚訴訟を起こされ示談金62万5000ドルを支払った。1928年(39歳)、サーカス団の人気者がほろ苦い恋を体験する『サーカス』(綱渡り中にサルに襲撃されるシーンは抱腹絶倒)を公開。実際に地上数十メートルの高さで、しかもスタントなしで綱渡りを行った(4分。途中で命綱が外れる!)。同年、母が他界。翌1929年の第1回アカデミー賞で『サーカス』は特別賞を受賞した。
※「黄金狂時代」の革靴ディナーは、革を海草、釘を飴細工、靴ヒモをイカ墨パスタで作っているらしい。

1920年代後半に映画がサイレントからトーキーになり、チャップリン十八番のパントマイムが時代遅れになってくると、風刺を通して社会問題を喜劇の中に描き、個人の尊厳や人間愛をうたうようになった。放浪紳士チャーリーは強い相手の前では弱腰になる反面、誰かを守ったり助ける為なら不屈の精神力を発揮し、逃げずに立ち向かう。他者への思いやりに溢れた主人公は世界中の人々から愛された。1931年(42歳)、サイレントにこだわった『街の灯』を発表し、盲目の少女との魂の交流に観客は喝采を贈った。この作品は彼の完璧主義者ぶりが如実に表れ、花売り娘との約3分間の出会いのシーンに342回もNGを出し、一年以上にわたって撮り直された(製作日数534日のうち368日を費やした)。レフェリーを利用したコミカルなボクシング対決(約4分、相手は強敵)に世界が爆笑した。この年、非暴力主義で知られるガンジーと会談し、機械文明をテーマに語り合っている。
※『街の灯』は既に版権フリー。YouTubeに全編アリ。342回NGの“花売り娘との出会いシーン”はコチラ

『街の灯』のプレミアなどでチャップリンは1年半もの世界一周旅行を敢行し、各地でアインシュタイン、チャーチルなど名士と交流を深めた。1932年(43歳)、5月14日に初来日。その翌日、海軍青年将校らが首相官邸・日本銀行などを襲撃し、犬養首相が殺害された“五・一五事件”が発生する。この時、青年将校は「日本に退廃文化を流した元凶」としてチャップリンもターゲットに入れていたが、犬養首相との面会予定をキャンセルして息子の犬養健と国技館で相撲を観戦し散歩を楽しんでいたため命拾いした。チャップリンは半月ほど日本に滞在し、歌舞伎を鑑賞して初代中村吉右衛門や六代目尾上菊五郎の楽屋を訪ねたり、天ぷらを非常に気に入って“花長”では海老天36尾をたいらげたという。帰国当日に官邸で新首相・斎藤実を表敬訪問し、犬養が暗殺された現場で弾痕を見て「テリブル、テリブル」と呟いた。

1936年(47歳)、冒頭で羊の群れが労働者とオーバーラップする『モダン・タイムス』において資本主義社会で家畜化した労働者を鋭く描いた。ベルトコンベアのコント(5分)は凄まじいブラックジョーク。同年、お忍びで再来日を果たした際、淀川長治が神戸にて船上で面会し、同伴者ポーレット・ゴダードに神戸を案内した。『モダン・タイムス』の映画音楽“スマイル”は、その美しさから多くのミュージシャンに愛され、18年後にナット・キング・コールが大ヒットさせた(マイケル・ジャクソンやエルヴィス・コステロもカヴァー)。

●反戦コメディの金字塔!勇気と信念の傑作『独裁者』は人類の遺産!

1939年、ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が勃発する。チャップリンは欧州で台頭していたファシズムに危機感を抱き、前年から『独裁者』の脚本を書き始めており、開戦2週間後に撮影が始まった。本作でチャップリンはユダヤ人の床屋とヒンケル(ヒトラー)という、被抑圧者と抑圧者の一人二役をこなした。チャップリンはヒトラーと同年同月生まれ(チャップリンが4日早い)で、双方が黒髪、小柄で、トレードマークがチョビ髭という信じ難い偶然が重なっており、チャップリンはこの作品を最後にチョビ髭をやめている。
特筆したいのは、戦後になってヒトラーを告発する映画を作ったのではなく、米国が真珠湾攻撃を受けて参戦するより2年も前に撮影していることだ。しかも、『独裁者』ではユダヤ人差別の深刻さが克明に描写されており、これは1年後のアウシュビッツ強制収容所の建設を予見するものとなっている。

撮影当時、多くの米国人は欧州の戦争を遠くの出来事として大きな関心を持たず、ナチスが反共・白人優位主義であったことから米国内にはKKKやドイツ系移民を中心にヒトラーを支持する者も少なくなかった。撮影中は製作中止を求める様々な妨害がチャップリンに加えられた。「何度も(暗殺の)脅迫を受けている。このまま撮影を続けると殺されるかもしれない」。ヒロインの名前は11年前に他界した母と同じハンナ。天国の母親に向かって命を賭しても完成させると誓う決意表明にも思える。そのような状況で反ファシズム映画を完成させたチャップリンの勇気、ヒューマニズム、時代を見通す力に圧倒される!
また、本作ではこれまで「パントマイムこそが世界共通語」とサイレントにこだわってきたが、ラストの6分間の大演説のため完全トーキーを採用した。いわく「ついに語るときが来た」。チャップリンから世界中の人々への呼びかけだ。
「地球には全人類を包む豊かさがある。自由で美しくあるべき人生は貪欲により汚され、憎悪が世界を覆い、流血と惨めさが残った。スピードが自由を奪った。機械により貧富の差が生まれ、知識を得た人類は優しさをなくし、感情を無視した思想が人間性を失わせた。知識より大事なのは思いやりと優しさ。それがなければ機械も同然だ」「人々よ、絶望してはならない。民衆は権力を取り戻し、自由は再び人々の手に!兵士諸君、良心を失うな!独裁者に惑わされるな!君たちは支配され、まるで家畜のごとく扱われている。彼らの言葉を信じるな!彼らには良心も人間性もない!君たちは機械ではなく、人間なのだ!人を愛することを知ろう。愛があれば憎しみは生まれない。兵士諸君、自由のために戦うのだ!」「民主主義の名のもとに一つに団結しよう!新しい世界のために戦おう!雇用や福祉が保証された世界のために!独裁者たちも同じことを言った。だが口先だけで約束を守らなかった。彼らは思いどおりに人々を操った。約束を果たすために戦おう!世界の解放のため、国境を越え、愛のある世界のために戦おう!良心のために戦おう!科学の進歩が全人類を幸福に導くように。兵士諸君、民主主義のために団結しよう!」(演説動画6分、画面拡大推奨)

この作品に驚嘆するのは、コメディという表現手段をとりつつも、平和を求める切実な思いがビリビリ伝わってくることだ。反戦映画によくある、罪なき民衆の亡骸を延々と映す演出は、戦争の愚かさの表現手段としては分かりやすく簡単。でも、それでは娯楽好きな米国人は劇場に足を運んでくれない。コメディなら政治に無関心な層にも受け入れられると確信していたチャップリンは、「これを撮るのは私の天命だ」と、圧力に負けず執念で完成にこぎつけた。笑いの中で反戦を伝えるのは、どれほど難しいことだろう。彼はそれをやってのけた。『独裁者』はそれまでの作品の中で最大のヒット作となり、ルーズヴェルト大統領からホワイトハウスに招待された。アカデミー主演男優賞、作品賞、脚本賞にノミネートされ、ニューヨーク映画批評家協会賞を受賞した。
印象的なシーンは山ほどある。ヒンケルが風船の地球儀と戯れる場面(2分半)や、ハンガリー舞曲にあわせて床屋業を営む愉快なシーン(2分)、フライパンが頭を直撃し千鳥足で踊るダンス、ナパロニ(ムッソリーニ)との滑稽な意地の張り合い、等々。鳥肌が立ったのは、ユダヤ人街焼き討ちシーンの直後にヒンケルが一人でピアノを弾いているカット。冷酷な命令を下した人間が、何事もなかったかのように美しいピアノ曲を弾いている狂気に心から戦慄を覚えた。ヒトラー本人は首相官邸でこの映画を笑い転げながら2度(3度説アリ)見た後、上映禁止処分にしたという。日本でも同盟国ドイツに配慮して非公開となった。封切り年はドイツが1958年、日本は1960年。
※最初の脚本ではラストの演説はなく、終戦になってユダヤ人と独兵が手を取りダンスし、日本は中国に爆弾の代わりにオモチャを落とし、世界に平和が訪れるというものだった。しかし、現実にはナチスの快進撃が続き、このままではファシズムに対する警鐘にならぬと判断したことから大演説が入った。

●アメリカ追放〜“中立国”スイスへ

チャップリンの強烈な反戦平和メッセージは、ナチスのみならず米国を含めた世界中の軍事産業にも警戒され、公開当初は好意的だったルーズベルト大統領までが「『独裁者』はアメリカの国益を損なう」と圧力をかけた。大戦後に東西冷戦が始まると、ハリウッドには赤狩りの嵐が吹き荒れる。1947年(58歳)のブラックコメディ『殺人狂時代』では、死刑台に向かう主人公に「1人を殺せば犯罪者になる。100万人を殺せば英雄になる」と戦争の矛盾を語らせ、アカデミー脚本賞にノミネートされた(あのチャップリンが連続殺人犯を演じ死刑にされるとは。しかも執行前の神父の祈りを拒否)。チャップリンは『モダン・タイムス』で描いた資本主義社会への風刺、『独裁者』の平和主義などにより、共産主義者のレッテルを貼られ、非米活動調査委員会から何度も召喚命令を受けた。
チャップリンは「なぜ米国籍をとらないのか」という記者の問いに「私は世界市民ですから」と返答。
1952年(63歳)、バスター・キートンと共演した『ライムライト』が完成し、プレミアのために英国ロンドンに向かう途中で法務長官から事実上の国外追放命令を受け、米国に戻れなくなった。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームからも名前が消された。

翌年、チャップリンは信念を行動で示すかのように“永世中立国”スイスへ移住する。1957年(68歳)、赤狩りの狂気を描いた『ニューヨークの王様』を英国で完成。1961年(72歳)、4度目かつ最後の来日。耳の痛い苦言が残っている。「日本の西欧化にはがっかりした。高層化もいいが、芸術的なものの進歩も忘れずに。私にとっては、歌舞伎、文楽、能が嬉しい。しかし天ぷらを食べることも重大なスケジュールなんだ」。
1962年、チャップリンは小学校に行っておらず学校教育を全く受けていないが、オックスフォード大学から名誉文学博士の学位号を贈られ感激する。1967年(78歳)、主演にソフィア・ローレンとマーロン・ブランドを起用した『伯爵夫人』を英国で監督し、これが唯一のカラー作品となった。
※「人生には、勇気と想像力、それとほんの少しのお金があればいい」は『ライムライト』のセリフ。 また同作品の“テリーのテーマ”は、1973年のリバイバル上映の際にアカ
デミー作曲賞に輝いている(赤狩りの影響でハリウッドでは完成時に上映されず、21年を経て初上映された)。

1972年(83歳)、ハリウッドのアカデミー協会は、謝罪の意味を込めてアカデミー賞特別賞をチャップリンに授与し、追放から約20年ぶりに米国の土を踏んだ。授賞式で彼に贈られたスタンディングオベーションはオスカー史上最長の約5分間にわたり、アカデミーの会長は「チャップリンは単なる名前以上のもの。チャップリンは映画用語の一つである」とスピーチ。1975年(86歳)、ナイトの称号を受ける。チャップリンはスイス、コルズィエ=スュール=ヴェヴェイの邸宅“マノワール・ド・バン”で4人目の妻ウーナ(1943年に結婚。54歳と17歳)と8人の子どもに囲まれ幸福な老後を送った(『モダン・タイムス』『独裁者』で共演し、これまで3人目の妻とされていたポーレット・ゴダードとは法的に夫婦ではなかったらしい)。アカデミー賞授賞式の5年後、1977年のクリスマスの朝、88年間の波乱に富んだ人生を終えた。チャップリンが晩年を過ごした邸宅は2012年にチャップリン記念博物館として開館される。

僕が初めてチャップリンを墓参した際、バスの運転手の勘違いで違う墓地で降ろされ、地元の人に尋ねながら墓地を探し大変だった。ある民家で庭いじりをしている女性に訊いたところ、彼女は「ここだ」と地面を差した。何のことかと思いきや、彼女はチャップリンの孫で僕は知らずにチャップリン邸の敷地に入っていたのだ!(家を訪ねて来たと思ったみたい)ドヒャーッ!

※マスコミから一番好きな自作を尋ねられると「Next One」と答えていた。
※チャップリンの女性遍歴は華やかに見えるが「ハリウッドの標準としてはつつましやかなものだった」(デイヴィッド・ロビンソン/映画史家)。
※バスター・キートン、ハロルド・ロイドと共に「世界の三大喜劇王」と呼ばれている。
※「外国映画は見ない方だが、黒澤明の『羅生門』だけには感銘を受けた」(チャップリン)
※劇中の人物のモデルは、アデノイド・ヒンケルがアドルフ・ヒトラー、ガービッチがゲッベルス、ヘリングがゲーリング、ベンツィーニ・ナポロニがベニート・ムッソリーニ。
※1948年、フランス映画批評家協会はチャップリンをノーベル平和賞に推薦している。
※1964年(75歳)に『自伝』、1975年に『映画における人生』を刊行。
※他界の15年後、1992年にリチャード・アッテンボローによる伝記映画『チャーリー』(主演ロバート・ダウニー・Jr.)が公開された。
※レマン湖畔とロンドンのレスター・スクウェアに同型のチャップリンの銅像が建立されている。
※異父兄のシドニー・チャップリンは自身がユダヤ人のクォーターであると主張。
※墓は隣村で暮らしていた英俳優ジェームズ・メイソンのすぐそば。死の翌年、墓地からチャップリンの柩が盗まれ、墓地から17km離れたレマン湖畔のトウモロコシ畑で見つかった。犯人は2人組で金銭目当てだった。
※「アウシュビッツを撮れなかった『映画』(という芸術)は、チャップリンが『独裁者』を撮ることで辛うじて生き延びた」(ゴダール)

参考文献…『世界人物事典』(旺文社)、『エンカルタ百科事典』(マイクロソフト)、『シネマクラブ』(ぴあ)、『世界大百科事典』(平凡社)、『ブリタニカ国際大百科事典』(ブリタニカ)、ウィキペディアほか


★チャップリン巡礼 1994、2005、2015

ローザンヌから東へ20km、ヴヴェイ駅で下車 行先“11/12 via GONELLES”表示のバスで 美しいレマン湖を見ながらバスは丘を登る

付近はのどかな田園風景 小さな村の中をバス停から5分ほど歩く 墓地の入口を発見!

右がチャーリー、左が奥さんのウーナ夫人(2005)
ベンチに座って夫妻と語り合える(2015) 本当は白い墓石なんですが…(汗)


映画のポストカード キャンドルやコインの他に… 石に書かれたファンレターも 後方から。夫婦の散歩姿を見ているようだ


1994年の初巡礼。「うおおおお!か、か、
感動をありがとうございますーッ!!」
11年後に再巡礼。以前になかった植木が
墓石の左右に増えていた(2005)
3度目の巡礼は家族と。10年に一度は
御礼を伝えに墓参したい(2015)

さすがはチャーリー、墓参者が絶えない 「たのしい、えいがを、ありがとう」 1978年に柩が盗まれたが発見された。ホッ。



《あの人の人生を知ろう》
★文学者編
・宮沢賢治
・太宰治
・小林多喜二
・樋口一葉
・梶井基次郎
・清少納言
・近松門左衛門
・高村光太郎
・石川啄木
・西行法師
・与謝野晶子
・茨木のり子
●尾崎放哉
・種田山頭火
●松尾芭蕉
・ドストエフスキー

★学者編
●南方熊楠
●湯川秀樹

★思想家編
●チェ・ゲバラ
・坂本龍馬
●大塩平八郎
・一休
・釈迦
・聖徳太子
・鑑真和上
・西村公朝
・フェノロサ

★武将編
●明智光秀
●真田幸村
・源義経
・楠木正成
●石田三成
・織田信長




★芸術家編
●葛飾北斎
・尾形光琳
・上村松園
●黒澤明
・本阿弥光悦
・棟方志功
・世阿弥
・伊藤若冲
●グレン・グールド
●ビクトル・ハラ
●ベートーヴェン
●ゴッホ
・チャップリン

★その他編
●伊能忠敬
・平賀源内
・淀川長治
●千利休

●印は特にオススメ!

※番外編〜歴史ロマン/徹底検証!卑弥呼と邪馬台国の謎(宮内庁に訴える!)




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