【パレスチナ問題について】
(2009.4.14) 村上春樹スピーチ カンタン!中東近代史
複雑なパレスチナ情勢を簡単に説明。 ユダヤの人々は2600年前にバビロニアとの戦争に敗れてパレスチナから追放されて以来、ずっと同地を“約束の地”と呼び帰還を夢見ていた。一方、パレスチナにはその後アラブ人が生活基盤を築いていく。16世紀からはオスマン帝国の支配下に。 英国は第一次大戦中の1915年に 「オスマン帝国(トルコ)に向かって武装蜂起するなら中東での独立を認める」 とした“マクマホン協定”をアラブ人と結ぶ。だが翌年、その裏で大戦後の中東地域の分割についてフランス・ロシアと“サイクス=ピコ協定”で協議し、さらに翌年にはパレスチナにユダヤ人国家建設を約束する“バルフォア宣言”をユダヤ人銀行家に戦費調達のため出しており、こうしたイギリスの「三枚舌外交」=アラブ人に独立、ユダヤ人に建国を認め、連合国とは領土分割を協議が、長年批判されてきた。ただし、近年になり個々の約束が必ずしも矛盾してなかったとする説も出ている。 ※Wiki「三枚舌外交」 世界に散らばったユダヤ人がパレスチナに集まり始めた当初は、アラブ側にも歓迎するムードがあり、両者は互いの宗教を尊重しながら同じ地域に暮らしていた。 ・「私達アラブ人、特に教育と知識のある者は、シオニズム運動に対して心から共感を覚え見守っている。(中略)私達アラブ人は、ユダヤ人帰還者を心から歓迎する。我々は改革され、更に改善された中東社会を求め、共に働くつもりである」(1919年、アミール・ファイサル・フサイニー)※アラブ軍の指導者で後のイラク王国初代国王 ・「我々はユダヤ人が外国からパレスチナの地にたどり着くのを見てきた。深い判断力を持っているものならば、ユダヤ人の権利に目を閉ざすことはできない。我々は、あらゆる違っている点にもかかわらず、この土地が共に愛され、あがめられ、共通の祖国であり、同時に、この土地の本来の子らのものであることを知っている」(ヨルダン・フセイン国王) しかし、あまりにもユダヤ人移民の数が増えてきたこと、またユダヤ財閥の潤沢な資金を目の当たりにしてアラブ側に警戒感が生まれ始めた。アラブ人の中には貧しさからユダヤ人に土地を安く売り渡す者も多く、このこともアラブ側の民族主義者を神経質にさせた。そして両者の間に緊張が高まり、1929年に60名のユダヤ教徒が虐殺されたヘブロン事件や、133名のユダヤ教徒が虐殺されたツファット事件の悲劇が起きる。これに対してユダヤ人側も軍事組織を作りアラブ側に反撃し、1946年にはアラブ寄りだった英国治安部隊にも爆弾テロを仕掛けた。混乱する情勢に英国は自ら“統治不能”と認識し、国連に助けを求める。 国連は1947年11月、パレスチナをアラブ人地域、ユダヤ人地域、エルサレム周辺の国連統治地域に三分割する分割統治案=国連決議181号を可決。 国連決議181号は大きな問題を含んでいた。3分割するのは良いとして、人口の3分の1しかいないユダヤ人(決議前の所有地7%)が、決議181号によっていっきに8倍の面積となる56.5%の土地を手に入れ、反対に人口の3分の2を占めるアラブ人が残った43.5%の狭い土地に押し込められることになった。 どうして多数派のアラブ人が狭い方の土地を割り当てられるのか…この理不尽な議決の背景には、同年に米国で大統領選挙があり、トルーマン大統領がユダヤ人票及びユダヤ銀行家の資金を目当てに強烈な圧力をかけたことが知られている。 そして1948年4月8日、ユダヤ人軍事組織がアラブ人のデイル・ヤシーン村を襲撃し、女性や子供も含む107人〜254人を虐殺した『デイル・ヤシーン事件』が起きる。 --------- (ウィキ“デイル・ヤシーン事件”より要約) デイル・ヤシーン事件はそれだけでも忌まわしい事件であるが、実は隠された目的があった。それは「ダレット計画」と呼ばれる、パレスチナ人(アラブ系住民)の大量追放計画の実行である。つまり、ユダヤ人テロ組織はパレスチナ人の中に意図的にパニックを起こすことを意図してデイル・ヤシーン村で虐殺を行った。これは、イスラエル独立前後にユダヤ人武装勢力がパレスチナ人の数百の村々に入り、見せしめの殺戮やレイプを行って恐怖をあおって土地から追い出し、短時間の間に百万人を超えるパレスチナ人の「移送」を完成させることを目的とした計画だった。デイル・ヤシーン村は現在イスラエル領になり、虐殺された犠牲者の土地や財産は、ユダヤ人のものとなっている。 --------- この報復として1週間後にアラブ人非正規軍が、77名のユダヤ人を虐殺したハダサー医療従事者虐殺事件が起きる。双方のテロ合戦が各地で起き、デイル・ヤシーン事件後にユダヤ人軍事組織によって最大3千人のアラブ人が虐殺されたと見られている。 ユダヤ人軍事組織の狙い通り、デイル・ヤシーン事件の噂は瞬く間に広がり、パニック状態になったアラブ系住民70〜80万人が着の身着のままで周辺国に脱出した。そしてデイル・ヤシーン事件の翌月、先の国連決議181号を根拠としてユダヤ人はイスラエル建国を宣言した(1948.5.14)。国際社会はアウシュビッツへの同情や、圧倒的に力を持つユダヤ資本の存在もあって建国を黙認した。 これに納得できない周辺アラブ諸国が攻撃を開始したのが第一次中東戦争。この戦闘に勝利したイスラエルは、国連決議で定められた地域以外も占領して自領に取り込んだ。続く、第二次&第三次中東戦争はイスラエルによる先制攻撃、第四次はアラブ側の先制攻撃と泥沼に。中でも第三次中東戦争ではイスラエル軍が捕虜にしたアラブ兵数百人を違法に処刑したことが問題になった。 ●そして現在 パレスチナ難民の帰還権を認める国連決議194号をイスラエルは60年以上にわたって拒否している。国外へ脱出せず、イスラエル内に留まったアラブ人の多くはガザに詰め込まれた(日本の人口密度339人に対し、ガザは3945人と世界最高レベル)。イスラエルは国連からの再三にわたる建設中止命令を無視して、巨大な壁をガザの周囲に建造。外部との交通を遮断されたガザはほぼ全産業が崩壊し、市民150万人のうち110万人が外部の支援で食いつないでいる。 イスラエル軍が設置した100カ所以上もある検問所は交通を麻痺させ、救急車は病院に辿り着けず妊婦や重傷患者が死に至る事件が多発。“大壁”建設地で立ち退き拒否を続けるパレスチナ人を応援するために、国際NGOが「人間の盾」となって座り込みをすると、イスラエルは生きた人間をブルドーザーで轢き殺すという信じられない暴挙に及ぶ。 パレスチナ人地区では新しい家の建設にイスラエルの許可が必要で、自分の土地に自由に家を建てる権利すらない。しかも申請の94%が却下され、特にヨルダン川西岸の大半を占めるC地区では、過去10年の間1軒も許可されていない(逆にイスラエル人入植者の為に01年から3年間で1万8000軒も建設)。 国連が決めた境界線を越えて土地を奪うイスラエル政府。だが、アメリカはイスラエルを擁護し続け、07年には今後10年間で300億ドル(約3兆円)もの巨額の“無償軍事援助”を米国が行なう協定が結ばれた。 我慢の限界を超えたパレスチナ人が抵抗組織を作れば「過激派」の言葉でひとくくりにし、世界のマスコミはパレスチナ人の絶望をほとんど伝えず、逆に「ヤツらはテロリストだ」というイメージを繰り返し流している。そして08年の年末から翌1月にかけてガザへの凄まじい空爆と侵攻が行なわれた(パレスチナ側の犠牲者は1300人以上。その大半が子ども、女性、老人だ)。 このガザ侵攻のきっかけは「武装組織ハマスが停戦協定を更新せずにロケット弾攻撃を再開したこと」と、“パレスチナ側にも非がある”という論調がある(僕も当初そう思った時期があった)。だが、戦争状態とはロケットや銃弾が飛び交う状況のみを指すのではなく、経済封鎖で食料もなく薬もなく生活が根元から破壊されている現状は、命が危険に晒されている点で、ずっと攻撃を受け続けているのと同じことだ。 土地を占領されたパレスチナ人が、占領者イスラエルに対して行う攻撃(抵抗運動)と、イスラエルが占領地の人間に行なう攻撃は、正当性、大儀の面で全く異なる。イスラエルは武力で勝手に他人の土地を支配し、抵抗されたら相手をテロリストと呼んで、それを口実にさらに激しく弾圧しているだけだ。 ●問題解決に向けて まず混乱の原因となったアンバランスな3分割法案=国連決議181号を撤回し、人口に見合った居住地域を再設定するのが筋。この場合、パレスチナ難民の中には、故郷がユダヤ人地域となってしまい戻れない人も出てくるので、彼らをいかに説得して状況を受け入れてもらえるかが重要。どちらにしても今のままでは戻れないのだから…。 ハマスは「イスラエルが1967年(第三次中東戦争※イスラエルが先制攻撃でガザ、ゴラン高原、ヨルダン川西岸、シナイ半島を占領)当時の国境線まで撤退すれば10年間の停戦を実施する」と表明している。つまり、かつてのように“イスラエルという国の存在自体を断固認めない”というものではなく、“国としては承認しないが、存在を事実上黙認する”という現実路線になっている。僕はこのハマスの提案がそんなに無茶なものとは思わないし、国連だって基本は同じ立場だ。 そして(出来ればこの事態は避けたいが)究極的にはガザへ国連軍(多国籍軍)を派兵してでも、イスラエルに占領を止めさせるしかないと思う。もう60年もパレスチナは占領されたままであり、国際社会は本気で事態を解決する時期にきている。08年末からのガザへの大規模侵攻で千人以上を殺害したイスラエル首脳は、「人道に対する罪」で旧ユーゴのミロシェヴィッチ大統領のように“国際戦犯法廷”で裁かれるべきだ。前世紀ならともかく、今世紀ではこんなことは絶対に許されない。無残に殺害された300人を超える子どもたちの為にも法による審判(正義)が実現されねばならない。 以上。 《パレスチナ関連の管理人過去日記から》 2002年4月9日の日記…イスラエル軍、大暴走。聖地ベツレヘムの生誕教会(キリストが生まれた場所)に逃げ込んでいるパレスチナの人々に手榴弾を投げ込み、しかも消火作業をしている人間を射殺したり正気の沙汰とは思えない。旧約聖書を重視するユダヤ教徒にとってキリストは重要人物ではないが、全世界のキリスト教徒にとって生誕教会は心の故郷。銃撃を行なうなんてもってのほか。パレスチナ難民キャンプにロケット弾を20発も撃ち込む凶行もあり、EUはついに経済制裁の用意に入ったが、日本政府は何をやってるのか? 2004年3月24日の日記…「僕はハマス創始者で穏健派だったヤシン師を、一昨日イスラエル軍が暗殺したことに激怒している。イスラエルや米国はハマスにイスラム過激派のレッテルを貼っているが、パレスチナの人々にとっては抵抗運動の英雄であり、医療や学校を無料にしてくれ、母子家庭を経済的に支えてくれる慈善団体だ。ヤシン師は以前から、イスラエルがガザから撤退したら、ハマスは攻撃をやめると言っていた。その人物を殺してどうするのだ?イスラエルに自衛権があるというのなら、パレスチナにだって自衛権がある。報復に対する報復、その報復に対する新たな報復。この暴力の連鎖を断つには両者が対立を超えて解決策を協力して見い出さなければならないのに、今日のニュースでは、イスラエル政府がハマス幹部を皆殺しにするまで暗殺を続けると宣言していた。正気の沙汰とは思えない。今どき裁判ナシの処刑など、どの国際法も認めていない!パレスチナでは穏健派までがヤシン師の仇を討つと息巻いている。シャロンは地獄のフタを開けてしまった」 2009年1月15日の日記…国際赤十字(ICRC)が怒りのイスラエル批判。「国際人道法は(敵味方を問わず)負傷者を避難させ手当てすることを義務づけているが、イスラエル軍はこれを無視し負傷者と遺体を放置している」と声明。中立・不偏をモットーとする国際赤十字が“国際人道法違反”で一方を批判するのは極めて異例のこと。当初、イスラエル当局は国際赤十字がガザ市内に入ることさえ拒み続け、交渉4日目にようやく中に入る許可が下りた。そこで赤十字職員が見たものは「砲撃で崩壊した家の中で、母親の遺体に寄り添う4人の衰弱した幼子」を始めとした無数の爆撃跡。そして「複数の市民の遺体や負傷者を見つけたが、目の前のイスラエル軍は救助の手助けをするどころか、赤十字職員らに即時退去を迫った」という。赤十字は救急車までが砲撃されることにも抗議した。 ※パレスチナ問題を耳にする度に、僕は20年前に自殺したユダヤ人作家プリーモ・レーヴィのことを思わずにいられない。レーヴィはアウシュビッツの地獄から奇跡的に生還したのに、終戦から40年が経ち自殺した。理由は、ナチスに非道な仕打ちを受けたはずのユダヤ人が、今度はイスラエル軍としてパレスチナの人々を虐殺していること。“イスラエル軍は撤退せよ”と声明文を発表したレーヴィは、ユダヤ社会から「裏切り者」扱いされ孤立し、全てに絶望し自ら命を絶った。レーヴィの死から何も学んでいない現状を思うと、たまらない気持になる。 |
※エルサレム賞は「社会における個人の自由」のために貢献した外国人作家に隔年で贈られるイスラエル最高の文学賞。2009年2月15日の授賞式は、イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザに侵攻し、千人以上の市民を殺害した直後であり、村上氏の発言が注目された。 (以下、2009年3月2日毎日新聞から/翻訳・佐藤由紀) こんばんは。私は本日、小説家として、長々とうそを語る専門家としてエルサレムに来ました(聴衆笑)。 もちろん、うそをつくのは小説家だけではありません。ご存じのようにうそをつく政治家もいます。外交官や将官も、中古車セールスマンや肉屋、建築業者と同じく、それぞれの都合に応じてうそをつくことがあります。小説家のうそが他と違うのは、誰も不道徳だと非難しないことです。実際、より大きく上手で独創的なうそをつけばつくほど、人々や批評家に称賛されます。なぜでしょうか。 私の答えはこうです。巧妙なうそ、つまり真実のような作り話によって、小説家は真実を新しい場所に引き出し新しい光を当てることができるからです。大抵の場合、真実をありのままにとらえて正確に描写するのは実質的に不可能です。だから、私たち(小説家)は、隠れている真実をおびき出してフィクションという領域に引きずり出し、フィクション(小説)の形に転換することで(真実の)しっぽをつかもうとします。 でもこの作業をやるには、まず最初に、私たち自身の中の、どこに真実があるかを明確にする必要があります。これが上手なうそを創造するための重要な能力なのです。 でも、今日、うそをつくつもりはありません。できるだけ正直に話そうと思います。1年のうちで数日しかうそをつかない日はないのですが、きょうはたまたまその日に当たります(聴衆笑)。 だから、真実をお話ししましょう。日本でかなり多くの人に、エルサレム賞授賞式に行くべきではないと助言されました。一部の人には、もし行くなら私の著作の不買運動を起こすとさえ警告されました。 理由はもちろんガザ地区で起きている激しい戦闘でした。国連の発表によると、封鎖されたガザ地区で1000人以上が命を落とし、その多くは子どもや老人を含む非武装の市民でした。 授賞通知をいただいたあと、このような時期にイスラエルに出向き、文学賞を受けるのは適切なのか、これが紛争当事者の一方を支持し、圧倒的に優位な軍事力を行使することを選択した国の政策を承認したとの印象を作ってしまわないか、と、たびたび自問しました。もちろん(そうした印象を与えることも)著作が不買運動の標的になることも、あってほしくないことです。 しかし、考えに考えた末、最終的にはここに来ることを決めました。理由の一つは、あまりにも多くの人が「行くな」と言ったからでした。他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたのと正反対のことをする傾向があります。もし、「そこへ行くな」とか、「それをするな」と命令されたり、ましてや警告されたりすると、私は逆に「そこ」へ行ったり「それ」をやったりしたくなります。あまのじゃくは小説家である私の天性といえます。小説家は特別な種類の生き物です。自分の目で見たものや、自分の手で触れたものでなければ、心から信頼できません。 だから私はこうしてここにいます。欠席するより出席することを選びました。見ないことより自分で見ることを選びました。何も語らないより、皆さんに語ることを選びました。 だから、ここでごく個人的なメッセージを一つ紹介させてください。小説を書いている時、いつも心に留めていることです。紙に書いて壁に張ったりはしませんが、心の中の壁に刻まれているもので、こんなふうに表現できます。 <高くて頑丈な壁と、壁にぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私はいつでも卵の側に立とう> ええ、どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく何が誤りかという判断は、誰か別の人にやってもらいましょう。時間や歴史が決めてくれるかもしれません。しかし、どんな理由があっても、もし壁の側に立って書く小説家がいるとすれば、作品にどれほどの価値があるでしょう。 ここで申し上げた壁と卵のメタファー(隠喩・いんゆ)の意味とは何でしょう。ごく単純で明らかな例えもあります。爆撃機、戦車、ロケット弾、そして白リン弾は、高い壁です。卵は、押しつぶされ、熱に焼かれ、銃で撃たれた武器を持たない(パレスチナの)市民たちです。これがメタファーのひとつの意味であり、真実です。 でも、それがすべてではありません。さらに深い意味が含まれています。こんなふうに考えてください。私たちはそれぞれが多かれ少なかれ卵なのです。世界でたった一つしかない、掛け替えのない魂が、壊れやすい殻に入っている−−それが私たちなのです。私もそうだし、皆さんも同じでしょう。そして、私たちそれぞれが、程度の差はありますが、高くて頑丈な壁に直面しています。 壁には名前があり、「体制(ザ・システム)」と呼ばれています。体制は本来、私たちを守るためにあるのですが、時には、自ら生命を持ち、私たちの生命を奪ったり、他の誰かを、冷酷に、効率よく、組織的に殺すよう仕向けることがあります。 私が小説を書く理由はたった一つ、個人の魂の尊厳を表層に引き上げ、光を当てることです。物語の目的とは、体制が私たちの魂を罠にかけ、品位をおとしめることがないよう、警報を発したり、体制に光を向け続けることです。小説家の仕事は、物語を作ることによって、個人の独自性を明らかにする努力を続けることだと信じています。生と死の物語、愛の物語、読者を泣かせ、恐怖で震えさせ、笑いこけさせる物語。私たちが来る日も来る日も、きまじめにフィクションを作り続けているのは、そのためなのです。 私は昨年、父を90歳で亡くしました。現役時代は教師で、たまに僧侶の仕事もしていました。京都の大学院生だった時に徴兵されて陸軍に入り、中国戦線に送られました。私は戦後生まれですが、父が毎朝、朝食前に自宅の小さな仏壇に向かい、長い心のこもった祈りをささげている姿をよく目にしました。ある時、なぜそんなことをするのかと聞いたら、戦場で死んだ人を悼んでいる、との答えが返ってきました。死んだ人みんなの冥福を祈っているんだよ、味方も敵もみんなだよ、と父は言いました。仏壇の前に座った父の背中を見つめながら、父のいるあたりを死の影が漂っているような気がしました。 父は去り、父とともに父の記憶、私が永遠に知ることができない記憶も消えました。でも、父の周辺にひそんでいた死の存在は私の記憶として残りました。それは、父から受け継いだ数少ないものの一つ、最も大切なものの一つです。 今日私が皆さんにお伝えしたいのは、たった一つです。私たちは皆、国籍や人種や宗教を超えて人間であり、体制という名の頑丈な壁と向き合う壊れやすい卵だということです。 どう見ても、私たちに勝ち目はなさそうです。壁はあまりにも高く、強く、冷酷です。もし勝つ希望がわずかでもあるとすれば、私たち自身の魂も他の人の魂も、それぞれに独自性があり、掛け替えのないものなのだと信じること、魂が触れ合うことで得られる温かさを心から信じることから見つけねばなりません。 少し時間を割いて考えてみてください。私たちはそれぞれ形のある生きた魂を持っています。体制にそんなものはありません。自分たちが体制に搾取されるのを許してはなりません。体制に生命を持たせてはなりません。体制が私たちを作ったのではなく、私たちが体制を作ったのですから。 以上が私の言いたかったことです。エルサレム賞を授与していただき、感謝しています。世界のさまざまな所で私の本を読んでいただきありがたく思います。イスラエルの読者の皆さんにもお礼を申し上げます。皆さんのおかげで、私はここに来ることができました。そして、ささやかであっても、意味のあることを共有したいと願っています。本日ここでお話しする機会を与えていただき、うれしく思います。どうもありがとうございました。 |
画像元:ツイッター(作者不明)
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