靖国神社参拝問題検証〜和解のために
2014.4.22

2013年末に朝日が行った20代の若者約2千人の世論調査の結果に衝撃を受けた。アジア・太平洋戦争を「侵略戦争ではなかった」と答えた20代は33%にのぼり、首相の靖国参拝に「60%が賛成」する一方で、靖国神社に戦争を指導した東条英機元首相らの戦犯も祀られていることを「知らない」と回答した20代が43%もいたからだ。あの戦争を侵略戦争と認識せず、戦争指導者が靖国に祀られていることを知らなければ、首相の靖国参拝に反対するわけないし、諸外国からの批判には「そんなことを言われる筋合いはない」と反発して当然だ。疎開経験のある親の世代と、今の若者を繋ぐ40代の日本人として、伝え聞いた戦争の実態の継承に失敗していることに責任を感じている。このサイトは若い読者も少なくないので、靖国参拝問題を10項目のトピックに整理し、膝を突き合わせるつもりで語りたい。

安倍氏が靖国参拝を強行したことについて、以前から政府要人の参拝に必ず抗議してきた中国・韓国に加えて、アメリカ、EU、ロシア、シンガポール、さらには親日国と思われてきた台湾やタイからも、抗議や懸念の声があがった。最大の同盟国である米政府が「失望(disappoint)した」(サキ国務省報道官)と表明したのは極めて異例なことだ。安倍氏は参拝について「日本のために尊い命を犠牲にされた英霊の冥福を祈り手を合わせた」「不戦の誓いをした」と正当性を強調し、保守系ブログには「どうして他国からそんなに非難されなければいけないのか」と反発する声が数多く書き込まれた。政治家の中にも「日本だけが悪かったわけじゃない。悪くなかったどころか、日本の植民地支配は素晴らしかった」と完全に開き直っている議員までいる。本当に“世界の方が間違っている”のか。

(1)「日本人が英霊に手を合わせることの何がいけないのか」という反発は的外れだ。各国は日本人が戦死者の魂を弔うことを特に否定していない。中国や韓国でさえ、一般国民が戦死した親族のために靖国を訪れることを“当然の権利”として認めている。「日本の一般国民が自分の親類をしのんで参拝することに異議はない」(在日中国大使館・楊宇報道官/14年1月25日)。
中国や韓国が怒っているのは、靖国神社に戦争指導者が祀られているという、その一点に尽きる。千鳥ケ淵戦没者墓苑=無名戦士の墓に天皇や首相が参拝することに、一度も苦情を言ったことはない。日本が他国に侵略戦争を仕掛けなければ、軍人を祀っても誰も非難しない。

(2)日本軍に多くの国民を殺害され、最も被害を受けた中国は、終戦後、日本への憎しみを克服して未来へ歩き出すため、「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主義の被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分けることで、気持ちに“折り合い”をつけてきた…日本人を恨まなくて済むように(日本国民が軍を煽った面には目をつぶってくれた)。そして日中国交回復(日中平和友好条約)に際し、戦争賠償金を要求する権利さえも放棄した(代わりに日本はODA等の経済援助を行ったが、ODA事業を日本企業が受注する“ひも付き援助”が多く、賠償金とイコールではない)。「日本人も日本の軍国主義の被害者であり、現代の世代の人たちは靖国神社にまつられている戦犯の行為に責任はない」(崔天凱駐米大使/14年1月10日)。

(3)中国政府は自国民に「日本人民も軍国主義の被害者」と納得させてきたため、首相が戦争指導者を神として祀る施設に行き参拝すれば、“裏切られた”となる。日本の保守論客が言うように“中国が反日国家”であれば、もっと早い段階(終戦直後)から国家をまとめるために反日感情を政治利用していたはずだが、中国政府は1980年代までその道を選ばなかった。南京に抗日記念館(南京大虐殺紀念館)が開館したのは戦後40年も経った1985年であり、これは同年に中曽根首相が歴代首相で初めて8/15に靖国を公式参拝するなど、日本が右傾化を強めたことへのカウンター的意味合いが強い。
※天安門事件以降は、愛国教育で露骨に反日感情を刺激して中国政府への不満をそらしている。日本の極右政治家による「日本の戦争は侵略ではない」「南京事件はなかった」などの発言を中国政府に利用されている。
※『中国・南京事件を“国家哀悼日”に=全人代で審議、採択へ』(14年2月25日)。昨年12月の靖国参拝や、安倍氏の盟友でNHK経営委員の百田尚樹氏が「南京事件はなかった」と発言したことに怒った中国政府は、1937年に南京事件が発生した12月13日を「国家哀悼日」に定めることを決定。さらに南京市当局は事件に関する当時の史料をユネスコ世界記憶遺産に申請するという。一部の人間の無思慮な言動が、国家レベルで関係を悪化させていく。
※韓国については、靖国参拝が「対日強行派」を勢いづかせ、内政がうまくいっていない朴政権にとって、国内の混乱から目をそらすための助け舟になっている。
※「安倍は友人やオーストラリアのような同盟国が尖閣問題で彼を支持しにくくなる状況を作っている」(豪・オーストラリアン紙)/「日本はバンカーに入って他国に呪いをかけており、この呪いは日本に跳ね返っている」(独・フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙)/「日本は中国が非常に高い購買力のある市場であることを忘れてはいけない。愛国心の為にそんな市場を見過ごすのは愚かで、完全に無知」(タイ・バンコクポスト紙)/「日本の軍国主義復活という亡霊を自らの軍事力拡張の口実に使ってきた中国指導部にとって、安倍首相の靖国参拝は贈り物になった」(米ウォール・ストリート・ジャーナル紙)/「安倍首相は修正主義者的な歴史解釈で悪名高い人物。歴史に直面できない無能者。靖国参拝は自身の国際的立場と日本の安全保障を弱体化させる恐れが強い挑発行為だ」(米ワシントン・ポスト紙)

(4)終戦時、日本の侵略を受けた国は、投降した日本兵や居留日本人を母国に返し、日本の独立を承認した。日本軍が南京その他では投降した中国人を殺害したにもかかわらずだ。肉親を殺害された被害者が、加害者を赦し、未来に目を向けるためには、加害者による心からの謝罪が必要だ。ところが、日本の一部政治家は「いつまで謝罪しなければいけないのだ」と公言。そして、日本のトップである安倍首相が、2013年4月24日に国会という公式の場所で「(日本の過去の戦争について)侵略の定義は学会的にも、国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」と侵略を否定し、「(閣僚の靖国参拝を中韓から抗議されて)わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している。当然だろう」と言い放ったのである。被害国からの抗議を「脅し」と言い換えるなど失礼極まりなく、日本人として本当に恥じ入るし、被害各国に申し訳なく思う。日本が中国に行った軍事行動を侵略ではないと主張している国際的権威のある学会があるなら、是非その学会の名前を言って欲しい。こんな国内でしか通用しない歴史認識では、「不戦の誓い」という安倍氏の参拝目的は、たとえ(諸外国の人々もまつる)鎮霊社にもお参りしようが、何の説得力も持たない。

(5)日本人が国際世論と大きくズレているものの一つに、ナチスドイツと同盟を結んでいた過去が軽視されていることだ。日本人は東条=ヒトラーではないと考えているが、国際社会の基準では東条=ヒトラーであり、それを否定する意見は国内でしか通用しない。否定すればするほど“日本は過去の戦争を反省していない”と見なされてしまう。終戦の日(8/15)はメディアが戦争の話題一色になるけれど、日独伊三国同盟を結んだ9月27日にメディアがこの同盟を取り上げることは皆無だ。日米開戦の一年前に、ドイツはフランスを占領し、英国を空襲しており、日本はそのドイツと同盟を結んだことで英米との関係悪化が決定的となった。保守派は「石油禁輸など資源輸入を断たれて、仕方なく戦争をした」と主張するが、ナチスと同盟を結んだ事実が世界に与えた衝撃を考慮しなさすぎる。それゆえ、A級戦犯がナチスと並べ語られていることにピンと来ないのだ。
保守論客が好む「アジアで白人支配に抵抗し人種差別と戦った聖戦」というのも、人種差別と戦ったと言いながら、人種差別の代表格であるヒトラーと同盟している矛盾をスルーしている。人種差別に反対するのなら、ヒトラーに差別を止めさせるべきなのに、現実はヒトラーの顔色をうかがうだけだった(ユダヤ人を救った外交官・杉原千畝さんを外務省は後にクビにした)。そもそも、同じアジア人である中国人や朝鮮人を差別用語(チャンコロ、チョンなど)で呼んだり、アジア解放を叫びながら台湾や朝鮮を支配下に置いたままだったり、言行不一致である。

(6)「指導者のみに敗戦の責任を押し付けてはいけない。日本人全体の連帯責任だ」という意見がある。戦後は「一億総懺悔(ざんげ)」という言葉も生まれた。----ちゃんと戦争反対を主張した政府関係者はいたが、みんな暗殺されたのだ。原敬、浜口雄幸、井上準之助、犬養毅、斉藤実、高橋是清と、総理3人、蔵相2人、内大臣1人を次々とテロで殺し、反戦運動をした市民十数万人を治安維持法違反で特高警察が逮捕・拷問しておいて“連帯責任”という言い草はおかしい。犯人は全部右翼活動家か軍関係者。言論の自由などなかった。軍内部の穏健派さえ急進派に殺されている。
保守論客は「メディアが戦争を煽った」という。好戦的な内容の方がよく売れるため、わざと戦争を煽るメディアもいたのは確かだ。だが、メディアは言論統制され、反戦を書けなかったことも知っておくべきだ。日中戦争の発端となった盧溝橋事件(1937)の翌月に「北支事変に関する一般安寧禁止標準」(内務省警保局)が出され、新聞は「国民の真意は戦争を恐怖し、または避けたいと感じていると書くことを禁止」「国民は政府の対外方針に不支持と書くな」「政府のとる対中政策について国論統一に支障をきたすような非難を禁じる」と言論の自由を奪われた。半年後の南京事件が報道されなかったのも統制下にあったから。さらに日米開戦2年前には内閣情報部が「新聞指導要領」(1939)を決めた。そこには「列国の干渉圧迫は断固として排撃するという世論の確立を目指すように」と、マスコミが戦争を煽るよう命令を受けていた。国民はマイナス情報を与えられず、マインドコントロールされて戦争に熱狂したのであり、“連帯責任”という言葉はあまりにも卑怯だ。

(7)これも学校の授業では教えないことだが、出征した日本兵の戦死者230万人のうち、約140万人が「餓死」している。実に死者の「6割」が戦死ではなく餓死。すべて補給を軽視したずさんな作戦計画によるものだ。安倍氏いわく「母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りし、そして、リーダーとして手を合わせる。このことは、世界共通のリーダーの姿勢ではないでしょうか」。この言葉は、いかにも正論に聞こえる。問題は、そこに「日本を守るために戦ってくれた」という“感謝”しかなく、国家が無謀な作戦で国民を死に至らしめたという「謝罪」の気持ちが見えないことだ。麻生副総理いわく「祖国のために尊い命を投げ出した人たちに対し、政府が最高の栄誉をもって敬することを禁じている国はない」。日本の大半の兵士は「尊い命を投げ出した」のではなく「死に追い込まれた」のだ。そうさせたのは安倍氏の祖父・岸信介たちA級戦犯である。

(8)「日本軍は降伏することなく次々と玉砕していった。英霊に感謝せよ」と保守右派はいう。東條英機が『戦陣訓』(1941)で「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」と捕虜になることを禁じていたことに触れずに玉砕を美化することは、上層部の「作戦の失敗」を最前線の兵士の「大和魂」で覆い隠すものだ。ときに、東條英機は自身が陸軍大臣だった頃、靖国神社合祀の条件について「戦死者または戦傷死者など戦役勤務に直接起因して死亡したものに限る」と通達を出している。戦後、虜囚の辱を受けて刑死した東條は、自分が靖国に合祀されることは不本意ではなかろうか。英霊の尊い命と言うわりには降伏を許さず自決を強要したり、空陸海の特攻兵器を開発したり、兵士の命を軽んじていたのが軍上層部。多くの戦没者は、保身や名声欲から突撃命令を下すような上官と同じ場所に祀られたいだろうか。
※靖国神社には空襲で死んだ市民は入っていない。原爆投下で亡くなった方も。戦場で死んでも空襲で死んでも、同じように戦争で死んだことには変わりないのに、戦死者の遺族には累計50兆円の遺族年金が支払われる一方で、空襲被害者には何も賠償がない理不尽。
※太平洋戦争における商船乗組員(一般船員)の悲劇。国家総動員法によって商船乗組員は船ごと軍に接収され、輸送任務を強いられた。攻撃を受けて沈没した日本商船は約2500隻。戦死した船員6万人。民間人にもかかわらず死亡率は海軍19%の2倍以上の43%に達した。だが、彼らは靖国神社で祀られていない。

(9)A級戦犯を語るときに、いつも“開戦”の責任ばかり注目されるけど、当時は列強が植民地を奪い合っていたという時代背景もあり、個人的には“遅すぎる降伏=終戦の責任”を重視している。アジア太平洋戦争における日本人の民間人の犠牲者は50万人。その殆どの死者が、「1944年7月のサイパン陥落以降の死者」だ。サイパンを奪還されて日本列島が長距離爆撃(空襲)の圏内に入ってしまった。もしサイパンを落とされた時点で降伏していたら、民間人50万人が死ぬことはなかった。サイパン陥落の時点で本土空襲は分かっていたし、だからこそ陥落の直後に東條内閣は総辞職した。そこが終戦の決定的タイミングだった。さらにいえば、その前月のマリアナ沖海戦で空母艦隊が壊滅した時に降伏していれば、サイパン守備隊の生命も、戦闘に巻き込まれたり自決した島民1万人の命も救われていた。軍首脳はマリアナ沖海戦の完敗で、もう逆転はないことを悟っていたはず。日本兵の戦死者210万人も「最後の1年半で9割が死んで」いる。実に9割!ポツダム宣言を当初の7月26日に受諾していれば、広島、長崎が焼かれることも、ソ連参戦による満州・樺太の悲劇も起きなかった。だが、国体護持のため、或いは戦犯として処罰されることに怯え、戦争指導者たちは無条件降伏になるのを避けるため、少しでも交渉が有利になる起死回生の一撃、最後の大勝利を期待して戦争を続行した。310万人の命を奪う戦争を続けた指導者と、殺された兵士を一緒に祀ることに納得できない。

(10)米国の「失望」について。2013年5月、訪米した安倍氏は米国人を前に「日本人が靖国神社を参拝するのは米国人がアーリントン墓地(軍人墓地)を参拝するのと同じ」と会見した。5カ月後、米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官は来日し、靖国ではなく無名戦没者を弔う千鳥ヶ淵戦没者墓苑に献花し、戦死者への追悼は靖国以外でも可能なことを示した(13年10月3日)。これだけ分かりやすいメッセージを無視されれば、脱力感から「失望」となるのも当然だろう。
靖国参拝に米国が「失望」を表明した際、安倍氏の側近・衛藤晟一(せいいち)首相補佐官はネットに「米国が失望したことに失望した」と書き込み、安倍氏に靖国参拝をけしかけた萩生田光一・総裁特別補佐が党本部の講演で「共和党政権の時代にこんな揚げ足を取ったことはない。オバマ大統領だから言っている」と、オバマ大統領を侮辱する発言をした。三原じゅん子議員も「共和党政権なら反応が違っていた」とツイート(実際は共和党議員からも靖国参拝を批判する声明が出ている)。
安倍氏のフィクサー、衛藤晟一(えとうせいいち)首相補佐官(左)、萩生田(はぎうだ)光一総裁特別補佐(右)

日本はナチスと同盟を結び、真珠湾を奇襲してアメリカとの戦争に突入したわけで、米政治家が靖国参拝を容認するはずがない。ワシントンには昨秋の時点で「中韓の態度はかたくなすぎる、これでは日本が気の毒だ」という認識が広がっていたのに、安倍氏が靖国参拝を強行したせいで「中韓の抗議は正しかった」と空気が変わった。尖閣諸島、竹島で対立し、少しでも国際世論を味方につけなばならない時に、最悪のタイミングだ。
※千鳥ヶ淵戦没者墓苑(35万柱以上を安置・無宗教)とアーリントンは国立だが、靖国は民間(私営)の一宗教法人。千鳥ヶ淵戦没者墓苑とアーリントンには本物の遺骨が収められているが、靖国に遺骨はない。そしてアーリントンには日本軍に殺された軍人が眠り、靖国には米兵を殺せと命じた人間が神様になっている。訪米して米国人相手に「靖国はアーリントン」と例えるなどデリカシーがなさすぎる。側近たちが事前に原稿を見ているはずなのに、全員が気付かないことに目眩がする。

〔天皇家の思い〕
ここまで書いても、A級戦犯は悲運の英雄と考える方もいるだろう。だからこそ、昭和天皇も今上天皇もA級戦犯合祀に否定的である証拠を記したい。
昭和天皇は戦争指導者(いわゆるA級戦犯)が靖国に合祀されて以来、靖国への参拝をとり止めた。外交問題化する前のことであり中国が騒いだからじゃない。最後の参拝は1975年。中曽根元首相が公式参拝して中韓が猛抗議したのは1985年。外交問題に発展する10年前に、もう参拝を止めている
その理由を故・富田朝彦(ともひこ)宮内庁長官が聞いてメモに書いている。
「私はある時に、A級戦犯が合祀され、そのうえ(ナチスとの日独伊三国同盟を締結した)松岡洋右・元外務大臣、(国際連盟脱退を主導した)元駐伊大使の白鳥敏夫までもが祀られた。(先の靖国神社宮司)筑波藤麿は慎重に対処してくれた(1966年に旧厚生省から合祀を依頼されても退任まで10年以上合祀しなかった)と聞いたが、(元・宮内相)松平慶民の子の今の宮司(松平永芳。1978年にA級戦犯を合祀)がどう考えたのか。やすやすと(合祀するとは)。松平慶民は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ(合祀)以来参拝していない。それが私の心だ」(昭和天皇)。
明確にA級戦犯合祀に不快感を語っており、子である今上天皇も即位から一度も参拝していない。
この「富田メモ」を06年に日経が伝えた際、櫻井よしこ、上坂冬子、大原康男ら保守論客が、信憑性を疑ったり、“合祀に不快感を持っていたと判断できない”などとアクロバット解釈をしていた。だが、翌年に朝日新聞が「富田メモ」を決定的に裏付ける元侍従・卜部亮吾(うらべりょうご)の日記を公開する。
『卜部亮吾侍従日記』の1988年4月28日分に「お召しがあったので吹上(御所)へ 長官拝謁のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国(から)の批判・奥野発言のこと」とあり、「靖国」以降はわざわざ赤線が引かれていた。“奥野発言”とは特高警察あがりの奥野国土庁長官が「(日中戦争について)当時の日本に侵略の意図は無かった」と国会で発言したことだ。
この4月28日という日付は、富田元長官が昭和天皇の“A級戦犯合祀不快発言”をメモした日とまったく同じだ。しかも卜部元侍従は01年7月31日の日記に「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」と記しており、昭和天皇が合祀に不満を持っていたことをハッキリ綴っている。さらに半月後の8月15日の日記には「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」とまで書かれていた。
卜部元侍従は1969年から約20年間も昭和天皇の侍従を務め、香淳皇后死去に伴う大喪儀では“祭官長”を務めている。天皇家から大きな信頼を得た人物が、侍従時代から32年間もつけた日記33冊を、死の1ヶ月前に新聞記者に渡し“公開して欲しい”と願った真意を、僕らはくみ取るべきではないか。
『富田メモ』『卜部亮吾侍従日記』に続く第3の証言もある。中曽根元首相が靖国に公式参拝して近隣国から批判されたその翌年(1986年)、終戦記念日に昭和天皇は
「この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし」
と詠んだ。同年秋、皇室の和歌相談役を長年務める歌人・岡野弘彦のもとを、先の歌を手にした徳川義寛侍従長が訪れた。岡野が「うれひ」の理由が歌の表現だけでは十分に伝わらないと指摘すると、徳川侍従長は「ことはA級戦犯の合祀に関することなのです」と述べた上で、「お上はそのこと(合祀)に反対の考えを持っていられました。その理由は2つある」と語り、「一つは(靖国神社は)国のために戦にのぞんで戦死した人々のみ霊を鎮める社(やしろ)であるのに、そのご祭神の性格が(合祀で)変わるとお思いになっていること」と説明。さらに「もう一つは、あの戦争に関連した国との間に将来、深い禍根を残すことになるとのお考えなのです」と述べたという。さらに徳川侍従長は「それをあまりはっきりとお歌いになっては、差し支えがあるので、少し婉曲にしていただいたのです」と述べたという。(岡野弘彦著『四季の歌』より)
※平成の今上天皇も同じ考えであることが次の報道からも分かる。
「今上天皇が1996年に栃木県護国神社に参拝した際、宮内庁はA級戦犯合祀が無いことを事前に問い合わせし確認していた」朝日新聞2001年8月15日朝刊
・(護国神社は合祀基準が靖国神社とほぼ等しいが)「1993年に今上天皇が参拝した埼玉県護国神社にはA級戦犯が合祀されていない」産経新聞2006年8月7日朝刊
中国や韓国が知るよしもない、地方の護国神社の参拝にさえ、宮内庁がA級戦犯合祀の有無を事前に確認している。これほど明確な皇室のメッセージ(合祀反対)が、なぜ日本の保守右翼には届かないのか。

〔最後に〕
靖国神社社務所発行の子ども向けパンフレット「やすくに大百科 〜私たちの靖國神社」はA級戦犯について「形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた方」と説明している。侵略戦争への反省が微塵もなく、堂々と戦争責任を否定し、侵略を正しいとしている特殊な私営神社なのだ。海外から見れば、靖国は戦争正当化の象徴であり、そこへ国の代表者が訪れることは被害国を傷つけることなのに、安倍氏は「これは日本人の心の問題だ」と、全く配慮のない姿勢で押し切っている。参拝は1952年のサンフランシスコ平和条約で「日本は平和国家に生まれ変わった」と国際社会と交わした約束に背く行為になる。

保守派にとっても靖国への天皇陛下の参拝は悲願のはず。でも、前述したようにA級戦犯が合祀されている限りそれはあり得ない。靖国問題の解決策は次の3つしかない。
(1)A級戦犯の祭神名票を取り消し分祀する
(2)新しい国立の慰霊施設を造る
(3)無名戦士を弔う千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、名前が分かっている兵士も追悼可能にする
このどれかだ。靖国側は教義上分祀は不可能と言っているが、日本遺族会事務局長で元参院議員の板垣正氏が首相官邸からの要請で、過去にA級戦犯合祀を取り下げるため靖国神社や関係遺族との折衝に奔走している。結果、「白菊遺族会(戦犯者遺族の会)」の木村可縫会長(木村兵太郎陸軍大将の妻)の同意をえるところまで行ったが、東条元首相の長男・東条英隆氏の反対で流れてしまったという。最初から分祀不可能ならこの動きはなかったはず。個人的には新たな国立慰霊施設の建設となると、土地や予算の問題も出てくるので、千鳥ヶ淵戦没者墓苑の敷地内に、軍人、民間人関係なく、戦争で亡くなったすべての人を慰霊する無宗教の建物を造るのが現実的と思う。

外交官や民間人が関係改善に向けてどんなに力を尽くしても、国の代表者の言動ひとつで、すべての努力が水泡に帰する。安倍氏は「(参拝で)中国、韓国の人々の気持ちを傷つける考えは毛頭ない」「丁寧に説明すれば分かってもらえるはず」と言っているが順番が逆。こちらは加害者なんだから、まず丁寧に説明して分かってもらえてから、はじめて参拝するのが真っ当な人の道だ。自虐的とかそういう問題じゃない。
一国民としてお願いする。安倍氏には靖国参拝で被害者に二次加害を加えることはもうやめて頂きたい。そして若い人には、偏った知識で物事を判断していないか、この情報で誰が最も得をするのか、好戦的な(排他的な)思考や感情を煽られていないか、煽る側の目的は何なのか、負の感情を大人に利用されていないか、日々の情報を見極めて欲しい。

※武器輸出禁止三原則の廃止、集団的自衛権の容認、教科書選定過程への介入など、右傾化が進むなか、影響を最も受けることになる若い世代の反応が鈍いことが気掛かりだ。特に集団的自衛権は、日本が攻撃を受けなくても、友好国が攻められたときに攻撃できるもので、戦後最大の政策転換だ。相手国からすれば「日本が先制攻撃をしてきた」と目に映る。そのような集団的自衛権の行使を、安倍政権は改憲することなく、国民投票もせず、閣議決定による解釈の変更だけで認めようとしている。
※安倍氏は靖国参拝を強行した12月26日夜、東京・赤坂の日本料理店「雲海」で“報道各社の政治部長”らと2時間以上にわたって会食した。翌日の毎日朝刊は「失われた国益大きい」と政治部長論評を掲載しながら「日本のために命を犠牲にした英霊に尊崇の念を表する首相の動機は大事」と問題の核心で“理解”を示した。参拝の夜に首相と会食し、骨抜きにされるメディア。談笑した後に鋭い記事が書けるものか。
※僕自身は何度も靖国と千鳥ヶ淵に参拝している。それは、愚かな軍上層部のせいで命を失った兵士を真摯に弔うためだ。親族も2人祀られている。
※山中恒・児童文学作家「数々のあやまちを犯したあの戦争で死んだ人間を、神としてまつることによって、戦争や国家のあやまちに対する批判を封じてしまう。そうした批判封じの強制措置として、靖国は歴史の中でずっと機能してきた」。



《時事コラム・コーナー》

★愛国リベラル近代史年表/日本と中国編
★愛国リベラル近代史年表/日本と韓国・朝鮮編
★愛国リベラル近代史年表/日本と台湾編
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★昭和天皇かく語りき
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★日本は平和国家から「死の商人」へ
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