自衛官の生命を助けられるのは日本国民だけ
南スーダン派遣PKOを早急に帰国させるべき
〜改憲の生け贄にしてはならない〜 2017.2.18



「戦車砲を射撃」「ロケットランチャー着弾」、自衛隊員の生命にかかわる大変なことがアフリカの産油国・南スーダンと今の国会で起きている。自衛隊員が死んでもいいと思ってる人はいないと思う。軍人トップや政府が憲法を無視して好き勝手していいと思っている人もいないだろう。普通なら内閣が吹っ飛ぶほどの事態であり、時系列に沿って書く。

・昨年7月、自衛隊がPKO派遣されている南スーダンで政府軍と反政府軍が交戦。7月8日に約300人が死亡し、国連PKO治安維持部隊の中国兵2名も戦死した。当時の中谷元防衛相は「散発的に発砲事案が生じている」と状勢を軽視。
・昨年9月、フリージャーナリストの男性が情報公開法に基づき自衛隊PKO部隊が記録している“日報”を開示請求。防衛省は「既に日報を破棄して存在しない」と回答、開示請求を却下。

9/19の報ステで現役自衛官が顔を隠して証言→「僕らが自衛隊に入った時の約束は、国民を守る為が一番。大規模災害で支援して、国民から“ありがとう”と言われるのが、一番モチベーションが上がる。だけど駆け付け警護は対象が日本の人たちでないし、日本の土地でもないし、何をしにわざわざ行くのか。(安保法成立後の隊内アンケートは)三択しかない。(1)熱望する(2)命令とあらば行く(3)行かない、これだけ。(3)に丸をつけたら上司に呼ばれて、“なんで行けないんだ”と延々と問い詰められ、結局(2)の“命令とあらば行く”でいいですと。この半強制的に変えられたアンケートが『自衛官の意識が高い』と発表されても違うんだよな。本音は全然違うところにある。たぶん(南スーダンで)何かあった時には、家族にこのアンケートを見せるのかな。“本人は希望していました”と。何かあったときの逃げじゃないけど、それが見えて凄く嫌です。“家族がいる、だから俺は行けません”とかたくなに断った先輩がいた。そうしたらその先輩はへき地の方に転属とか、単身赴任で飛ばされるとか、わからない人事がある。自衛官の誰かが犠牲になって死なないとこの安保法が駄目なのか良いのか、もう1回議題に上ることはないのかな」。

・昨年11月11日、国連ディエン事務総長特別顧問「南スーダンは武器の拡散など暴力が激化するすべての要素が存在している」。
・昨年11月15日、安倍政権は新たに“駆け付け警護”を閣議決定、20日にその役割を課したPKO部隊を派遣。現地のジャーナリスト、ヒバ・モーガン氏「先日武装集団が村を襲い人々を小屋に閉じ込め銃殺した」「(自衛隊が駐屯する)ジュバの南西で政府軍による住民虐殺が発生した。ジュバでも民家が襲われ殺害や略奪に発展している。食糧不足の政府軍は、給料はもらえないが銃があるので犯罪を犯してしまう。国連が攻撃されないという保証は残念ながらない」「PKO部隊を攻撃する勢力にはガーナ人もルワンダ人も日本人も大きな違いはない」
現地で政府軍に襲撃された人道支援NGOのギアン・リボット氏「政府軍の兵士は国連のことを“反政府勢力を支援している”と非難していた。別の兵士は“ここは俺たちの国だ”“外国人が来る所じゃない”“お前らを見せしめにする”と言った。南スーダンの現状は流動的で一触即発と言っていい。日本のPKO部隊が政府軍と戦闘になる可能性がある」。ケニアは約1000人のPKO部隊を撤退。反政府派トップのマシャール前副大統領「和平合意は完全に崩れた。今南スーダンでは戦闘が行われている。政治的な解決手段が示されないのは政府側が戦争を続けたい証しだ」。

【自衛隊の新たなPKO参加5原則】
1.紛争当事者の間で停戦合意が成立していること。
1.紛争当事者が平和維持隊への我が国の参加に同意していること。
1.中立的立場を厳守すること。
1.上記の原則のいずれかが満たされない場合、撤収することができること。
1.武器使用は生命防護のための必要最小限のものを基本とするが、駆け付け警護の実施に当たっては(より強力な)自己防護を超える武器使用が可能。

・昨年12月22日、自民党・河野太郎行革本部長が防衛省に対し、“破棄”されたという日報について、紙だけでなく電子データも含めて探すよう指示「それ(日報)は絶対、どっかにあるからきちんと探せ」。
・今年2月7日、防衛省がこれまでの説明を一転、「統幕長のパソコンに残っていた日報が見つかった」。河野太郎行革本部長「やっぱり電子で全部残ってましたと。ほら見ろと」。河野議員は「防衛省で必要がなくなったとしても、(駆け付け警護を行う際の参考資料としても貴重であり)公文書館に引き渡すべきだった」と防衛省の公文書管理体制を批判。※自民・河野議員が動かなかったら一切が闇の中だった。僕の中で河野議員の株が爆上げ。
・2月9日、開示されたPKO部隊の昨年7月10日の日報と、中央即応集団が作成した翌11日付の「モーニングレポート」で、首都ジュバの交戦について「戦闘」と表現していることが判明。「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」。
7/8モーニングレポート→「戦車が南下」「対戦車ヘリが大統領府上空を旋回」「えい光弾計50発の射撃」
7/10モーニングレポート→自衛隊宿営地近くで「ビル左下に着弾(ランチャーと思われる)」「ビルに対し戦車砲を射撃、ビル西端に命中」「戦闘は継続」。「UN(国連)活動の停止」と今後のシナリオを予想する記述
・稲田防衛大臣が衆院予算委員会で答弁。「(昨年7月に)殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」。※日報に「戦闘」という表現がありながら、政府が国会答弁で「戦闘行為ではない」「武力衝突だ」と繰り返すのは、戦闘行為と判断するとPKO参加5原則の「停戦合意が成立」に抵触し、自衛隊の撤退に直結するため。大臣が国会で堂々と立憲主義を否定する発言をしており、本来なら任命責任者(首相)が更迭すべき問題。
・同じ9日、稲田防衛大臣は防衛省が昨年12月26日に再調査で日報の存在を把握した後、統合幕僚監部が黒塗りにする部分を判断するため、今年1月27日まで稲田大臣に一カ月間報告しなかったことを明らかにした。そして、日報に書かれた“戦闘”は「国際的な武力紛争の一環として行われたものではなかった」と述べ、法律上の戦闘行為には当たらず、憲法上問題ないと見解。要するに、軍人が公文書を勝手に破棄、それをとがめるべき防衛大臣がそもそも公文書を見てない、防衛大臣が軍人の報告にある文言を改変して国会で答弁したということ。稲田大臣は文書の存在を知らされるまで1ヶ月も待たされたんだから、担当者をきちんと処罰するべき。

自衛隊トップの統合幕僚長は「目の前で弾が飛び交っているのは事実で、部隊が見た状況について、一般的な意味で『戦闘』という言葉を使った」と説明し、PKO参加5原則に抵触する法的な意味での「戦闘行為」を意識して使ったものではないと主張。そして「議論に発展するということをよく考えて書くように」と、派遣部隊に対し「戦闘」という言葉を使う際は注意するよう口頭で指示。※僕はこれも大問題と思う。戦車が大砲を撃ち、ロケットランチャーが使用され、300人が死んでも「戦闘」ではなく「衝突」と書けなんて。自衛隊トップがそれを言うのか。まるで旧日本軍が「全滅」を「玉砕」、「撤退」を「転進」、「戦死」を「散華」、「敗戦」を「終戦」と言い換えて現実を直視しなかったのと同じじゃないか。恐ろしいことに70年前と何も変わっていない。
そもそも日報について、「破棄したから見せられない」と隠蔽を図ったことが大問題であって、電子的に残っていたからセーフですよなんて通るわけがない。この件では防衛省は関東軍のように暴走している。隊員が死傷した場合に、原因を突き止め、教訓を未来に生かすためにも、大切に保管して繰り返し参照しなければならない一級資料だ。
・2月13日、昨年7月8日の日報の中で「宿営地周辺の射撃に伴う流れ弾への巻き込まれに注意が必要」と隊員の安全確保に言及していたことが判明。同日、南スーダン政府軍の穏健派シリロ中将が「サルバ・キール大統領や政府軍幹部らの人道に対する罪(民族浄化)に我慢できなくなった」と抗議の辞任。
・2月16日、アントニオ・グテレス国連事務総長が声明。「(南スーダン)国内では各地で治安状況が悪化の一途をたどっている。長引く紛争と暴力行為がもたらす影響の大きさは、市民にとって壊滅的な規模に達している」「キール大統領に忠誠を誓う政府軍は毎日のように家屋や人々の暮らしを破壊している」「次々と民兵集団が台頭し組織の分裂や支配地域の移動が広がっている」。

つまりこういうことだ。2011年に南スーダンが独立し、この時点では紛争地域ではなかったので民主党政権が旧PKO法に基づき派遣を決定。だが13年に内戦が勃発し紛争地域に。停戦合意が崩れたたのだから、本来はここで自衛隊を引き上げなければならなかった。だが、安倍政権は15年に安保法を強行、駆けつけ警護までPKOを拡大した。その駆けつけ警護の新任務が付与される直前の16年7月に、首都ジュバに派遣されていた陸自の日報に「戦闘」と記載されていたが、これを隠ぺいするため当初は「日報は廃棄済み」と虚偽回答。その間、国会では新任務の「駆けつけ警護」の是非が議論され、何としても駆け付け警護を実現したい政府は「現地の治安は安定している」と言い続け、16年11月、実際に駆けつけ警護の任務を帯びた自衛隊が出発した。
日報の存在が分かると、政府は「戦闘」と言ってしまうと自衛隊を撤退させねばならなくなるから「武力衝突」と言い換え。稲田防衛大臣「一般的な辞書的な意味での戦闘であって、法的な意味の戦闘ではない」。野党から「法的な意味の戦闘とは何か」と問われると、「国や国に準じる組織による国家間の武力紛争」と答弁。南スーダンの場合はモロに政府軍が当事者だが、国VS国ではないから戦闘ではない?その説明だと、イスラム国は正式な国家ではないから、イスラム国がやってることは戦闘ではなく武力衝突であり、国家じゃなくテロ組織だからIS相手の戦闘はOKってことになってしまう。トランプの詭弁「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)」を笑えない。
そもそも、昨年PKOの駆けつけ警護の是非が論議された際、大規模戦闘が発生したという重要な判断材料が隠されたまま行われており、政府決定の正当性が疑われる事態。自衛隊も自衛隊で、こんな大事な記録を「廃棄した」で済ませていいはずがない。

最後に強調したいのは、現地では政府軍から国連が目の仇にされているということ。陣地のすぐ側に着弾しており、いつ自衛隊が襲われてもおかしくない。ところが、本国では政府も国民の大半も全然関心が無くて、芸能人の不倫を断固許すまじってやってて、国民から理解も賞賛もされない殺し合いに晒されようとしている。現場のプロが「戦闘」と判断しても、軍上層部や政府は「憲法9条上の問題になるから」と認めず、あくまで「衝突」と書くよう求められる。このままでは言葉遊びに殺されてしまう。もし戦死者が出れば、安倍政権は「もっと強力な武器を持てるよう改憲を!」と大キャンペーンを100%展開してくる。南スーダンにいる自衛隊員は改憲のための生贄なのか。現地の自衛隊員が心配でならない。全員、無事に帰って来て欲しい。今すぐに!

※国連PKO元幹部・伊勢崎賢治東京外大教授「1999年からPKOは住民保護が最優先に、つまり交戦するようになった。結果、先進国がPKOにまったく兵を出さなくなったのに、日本は依然として出し続けている」「現在、南スーダンに派遣している国は周辺のアフリカ諸国と発展途上国がほとんど。南スーダンで何かが起これば難民として周辺国に行くから、周辺国はより本気になって戦う。(遠い国の)日本は絶対やる必要ないわけです。先進国は、支援するけど司令部で目を光らすとか、こういうやりかたをするんです」。

※昨年12月23日、米国や国連は南スーダンへの武器流入が大虐殺を助長する危険性を懸念、南スーダンへの武器禁輸決議を国連に提案した。ところが日本政府は武器禁輸に反対し棄権。理由は(1)制裁が南スーダン政府を刺激し現地情勢を不安定にする(2)決議に賛成すると南スーダンが危険であること認めたことになり、政府の「現地は安全」という主張と矛盾する。−−日本の警護対象(国連職員)を南スーダン政府軍が襲ってるのに、南スーダン政府に武器を売った方が安全?PKOを派遣していなければ武器禁輸に賛成したはずであり、まさに本末転倒、自衛隊が紛争解決の邪魔になってる。米国連大使は採決後、棄権という判断を「歴史が厳しい判断を下すだろう」と非難した。でも、このニュースを日本人の何割が知っているだろうか。



《時事コラム・コーナー》

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★愛国リベラル近代史年表/日本と韓国・朝鮮編
★愛国リベラル近代史年表/日本と台湾編
★愛国リベラル近代史年表/日本とアメリカ編
★愛国リベラル近代史年表/日本と東南アジア編
★昭和天皇かく語りき
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集団的自衛権の危険性
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