〜アフガン・伊藤和也さんを悼む〜
2008.9.23 ※写真展レポ
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| アフガニスタンの伊藤和也さん(享年31歳) |
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2008年8月26日、アフガニスタンで復興支援を続けていた「ペシャワール会」の伊藤和也さんが4人組の武装グループに拉致された。伊藤さんを慕った1000人を超える村人が捜索・追跡に加わり、追い詰められた犯人はパニックとなって伊藤さんに発砲、弾は左太ももの動脈を撃ち抜き伊藤さんは出血死した。まだ31歳の若さだった。当初は政治目的の誘拐とされ過激派の犯行声明も出たが、犯人のうち逮捕された2人は「結局は金目当てだった」と自白。そして「殺さないと思っていたのでボスが撃った時は驚いた」とも。犯行の動機はどうあれ、失われた生命は戻って来ない。僕は自分より10歳も若い青年が、文化も言語も異なる遠い異国の地で、高い志を持って飢餓から人々を救おうとしていたことに強く心を動かされた。
アフガニスタンの全人口は2500万人。このうち1200万人が干ばつで被害を受け、現在500万人が飢餓状態にあり、100万人が餓死寸前という深刻な状況だ。アフガニスタンは1979年の旧ソ連の侵攻、90年代の軍閥の内戦、2001年からの米国等の空爆作戦で国土は荒廃。そこへ追い打ちをかけるように大干ばつが襲っている。日本のNGO「ペシャワール会」は四半世紀も前から現地で医療活動を続けてきた。現地代表・中村哲医師(61歳)は、長年の運動を通して最も必要なものは“水”であり、もし水がなければ農業が続けられず、日々の糧を得ることができない、しかも綺麗な水がなければ伝染病の蔓延を防ぐこともできないと思い至る。そして各地で井戸を掘ると共に大規模な用水路の建設を始めた。既に16.5キロが完成し、約5000ヘクタールの農地を復興させ、ペシャワール会の用水路1本で数十万人が食べられるようになった。こうした活動に共鳴した伊藤さんは03年から参加し、農業支援を担当した。
中村医師いわく「伊藤さんは砂漠化する農地をなんとかしようと最前線で働いていた。他の人が狙われても彼だけは大丈夫というほど現地になじみ、人々に好かれていた」「(帰国前に)用水路の事業を何とか突貫工事でやり遂げようとしていた」。 タリバン政権崩壊後、アフガニスタンはヘロインの原料となるケシ(アヘン)の世界最大の産地となってしまった(アフガン産アヘンのシェアは約9割!)。これは貧しい農民が手っ取り早く現金収入を得るため、そして武装勢力の資金源としてケシ栽培が奨励された結果だ。伊藤さんはサツマイモ栽培などの農業指導で人々の暮らしを安定させ、ケシ畑を芋畑に変えていこうとしていた。その意味でも、非常に意義のある活動だった。 日本はこれまでアラブ諸国とはとても良い関係にあった。米国に追随を繰り返した結果、イスラム世界の一部からは失望の声や憎しみさえ向けられるようになったが、それでも伊藤さんのような活動が、中東の一般市民の間に草の根レベルで日本人への好感度を維持している。 テレビのニュースで伊藤さんの亡骸が近隣の村に運ばれる所が映った時、村にはたくさんの地元民が集まり「イトウサン」「イトウサン」と名前を呼んで泣いていた。大勢の男たちが涙をぬぐっていた。あの光景を僕は一生忘れないだろう。外国人の若者のために、あんなにたくさんの人が涙を流していた。 事件から6日後、伊藤さんの実家がある静岡で葬儀が行われた。弔辞で中村医師が「アフガン農民の一人になりきって、言葉ではなく、その平和的な生き方によって、困った人々の心に明るさをともした」と涙声で功績をたたえた。 現地のアフガニスタン人スタッフは、「亡くなった伊藤和也氏は、今後私達がこのような人に出会うことはできないと感ずるほど素朴さと穏やかさ、そして謙虚さを備えた人柄でした。伊藤和也氏は現在わが国が直面している最悪の状況から全アフガン人を救おうと努力していました。アフガン人の抱えるさまざまな難問を取り除こうと昼夜を厭わずがんばっていました。不運にも、余りに不運にも、私達はこの上なく素晴らしい人物を失ってしまいました」「一同、悲痛の念に耐えません。この度のこと、まさに全アフガン人が大きな悲しみに直面しております」と悲しみを吐露した。 最後に、伊藤さんが現地で撮影した子ども達の写真を紹介したい。赴任当初の伊藤さんは、意気込みが強すぎて日本の技術を“教えてあげる”という気持が前に出てしまい、それを感じ取った現地の人と距離が開き悩んでいた。 その状況を変えたのが「写真」だった。伊藤さんはアフガンで暮らした4年8カ月の間に3000枚もの写真を撮り溜めていた。元々は作物の生育状況を記録するために撮っていたので、初期に写っているのは農作物ばかり。 ところが、遠巻きに伊藤さんの作業を見ていた地元の子ども達が、好奇心からだんだん近づいてきた。やがて「撮って!撮って!」の嵐。かくして伊藤さんのカメラの中には子どもの写真が溢れることになる。そして伊藤さんになつく子どもを通して、その親たちも心を開くようになっていった。アフガンでは外国人が女性や子供を勝手に撮影すると問題になりやすい。安心しきった笑顔が広がるこれらの写真は、いかに伊藤さんが現地の人たちに親しまれていたかを静かに物語っている。 |
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| ブディアライ村。この何もない荒野を… |
伊藤さんは赴任してから3年で菜の花畑に変えた! (撮影・伊藤さん) |
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| 男たちも伊藤さんに笑いかける |
農作業を手伝う少女 |
大きく育ったサツマイモを
伊藤さんに見せる少年 |
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これらの写真で子ども達が収穫を手伝っている土地は、どこも伊藤さんが赴任した頃は荒れ地だった。彼の31年の人生は、日本にいる僕らが知らないところで、数え切れない優しい笑顔を生んでいた。
※伊藤さんはアフガン派遣の「志望動機」の中で、“現地の人たちと一緒に成長していきたい”と書いていた。農業技術を“教えてやる”のでも、同情して“援助してあげる”のでもなく、相手と肩を並べて一緒に成長していく。この誠実な姿勢が現地の人に伝わっていったんだと思う。 ※アフガニスタンの外相は「アフガニスタンの人々を支援している最中に亡くなり、アフガン政府はこの犯行を強く批判する。ご家族と日本国民に深い同情と弔意を表したい」と声明を出した。「伊藤さんを国葬にすべき」と主張している人がいるんだけど、僕もこの意見に全面的に賛成っす! 外部リンク「伊藤さんを国葬にすべき」 ※事件の際、ネット上には伊藤さんのことを「事件になれば日本の税金を使って助けることになるのに行動が浅はかだ」「自己満足でアフガンに行ったんだからほっとけ」など、厳しい意見も出ていた。だけど僕は声を大にして言いたい。いま、世界で日本は「良い影響を与える国第1位」と評価されたり、多くの国で日本人が尊敬されたりするけれど、こうしたイメージは地道に活動している伊藤さんのような人たちが作ったものだ。彼のような人を“迷惑”と非難しながら、自分では何も行動せずに「俺は日本人だから尊敬されている」と悦に入っているのは勘違いも甚だしい。この手の事件が起きた時にすぐ“救出費用は税金の無駄遣い”という話が出てくるけど、世界に貢献する日本人の為に使うことは無駄だろうか。そんな額とは比較にならないほど巨額の無駄金(特別会計等)が、特殊法人や各省庁で何年も浪費されてる。そっちへ怒りのエネルギーをぶつけるべきでは。 ※「危険地帯へ行ったんだから自業自得」「平和ボケ」という聞くに耐えない意見もネットではよく見かけた。現地日本人スタッフの後輩は弔辞の中で、“和也さんは決してあえて危険を冒して仕事を行う様な人ではなかった”と言い、夕方に農場へ出ようとする仲間を「遅いから行くな」と制したり、住民同士のケンカがあった地域には「しばらくあそこへは行かずに現地の農家に行ってきてもらった方がいい」と助言するなど、その行動は誰よりも慎重だったと述べた。その上で、「そんな和也さんでも今回の突発的な事件を避けることはできなかった」と無念さをにじませた。伊藤さん本人が最も危険性を感じていたのに、“自業自得”という言葉で斬り捨てるのは抵抗がある。飢餓状態にいる500万人を少しでも救おうと、伊藤さんは地元民と一緒になって干上がった畑を5年がかりで美しい小麦畑や芋畑に変えた。誰にでも出来る事じゃない。 ※「以前は日本人なら大丈夫だったが、4月ごろから対日感情も急速に悪化していた」「ソ連が来た時も、米軍の空爆時も活動を続けた。治安の悪化は武力では解決しない。空腹を満たす環境をつくることが大切だ」(中村医師)。今回の伊藤さんの死について、一部では「憲法9条の無意味さが証明された」「自衛隊を派遣すべき」と言う人もいる。ニュースで町村官房長官が「尊い犠牲が出たが、日本がテロとの戦いに引き続き積極的に加わる重要性を多くの国民が感じたのではないか」と、“伊藤さんの死を無駄にしない為にも軍事支援をすべき”とする主旨の会見をして、僕は怒りでTVを叩き割りそうになった。伊藤さんの死を政治利用して世論を伊藤さんの望まない方向へ誘導するなど最低の行為じゃないか。 アフガン空爆以前はこんな事件は起きなかった。僕はむしろ、アフガニスタンというあれほど危険な地域で四半世紀も活動を続け、今まで1人も犠牲者を出していなかったことが、中立を象徴する9条の真価だと思っている。 ※伊藤さんはアフガンに向う前に、「もし僕に何かあったらアフガンの土になったと思ってくれ」と母親に伝えていた。この遺志を受け、伊藤さんの遺族はアフガンに分骨するため、現地に戻る中村医師に伊藤さんの骨壺を渡した。伊藤さんの半身は愛するアフガンの大地に帰り静かな眠りにつく。 ※ペシャワール会の公式WEB。中村医師は若者たちを日本に帰し、一人現地に残って用水路を完成すべく重機を運転している。ネットなどで誹謗されても反論せず沈黙しているのは、アフガンの人々を救うことが最優先であり、自分がなんと中傷されようと、取るに足らないことだと思っているからなんだろう。 |
| 【追記】〜NHKドキュメンタリー『菜の花畑の笑顔と銃弾・アフガンに捧げた青春』 2009年2月23日、伊藤さんの追悼番組『菜の花畑の笑顔と銃弾・アフガンに捧げた青春』がオンエアされた。伊藤和也さんの人生に迫った素晴らしいドキュメンタリーだった!伊藤さんが撮影した膨大な写真(豊かな畑、用水路、民衆の笑顔)や動画ムービーが、現地で彼が起こした奇跡を伝えてくれた! 現地の人が飾っていた「ザ・ヒーロー・オブ・ジャパン・ミスター・イトウ」の写真、荒れ地だった場所に作物が実り大はしゃぎする子ども達、誘拐された伊藤さんを救出に向った1000人の村人たち、見てて何度も目頭が熱くなった。 草木のない気温50度の荒野が、伊藤さんたちの奮闘で見渡す限りの菜の花畑に変わっていく。虫害や雹(ひょう)の打撃を受けながら3年越しで収穫にこぎ着けた、日本の甘いサツマイモ。その美味しさに、村の男たちは「砂糖が混ぜてあるのかと驚いた」。伊藤さんは村のモスク建設に自分の貯金を寄付し、自分の牛を一頭購入し、何年も農業支援を続ける覚悟を決めていた。 死の前年に伊藤さんはこう記す--「アフガンを取り巻く状況はますます厳しくなっています。しかし、時間をかけ、試行錯誤をしながら、苦闘を続けてきた結果(収穫物)が、やっと現地の農家の手に届けられるようになりました。これからは現地の人々が、どこの家庭でも毎年お腹いっぱい食べられるようにさらに努めていきたいと思います」。 年配の村民いわく「イトーはライオンのように何も恐れず活動していた。毎年いろんな種や苗をくれた。とても助かっていたよ」。そしてアフガンに作られた伊藤さんの墓の前で、農家のおじさんはこう呟いた「自分の息子が亡くなったようで、村中が悲しんで泣いたよ…イトーのことはたとえ一瞬でも忘れることが出来ないよ」。伊藤さんがこの世にいてくれたことに、ただただ感謝。 そしてこの追悼番組を制作したNHKスタッフの勇気にも、ありがとうと言いたい。番組製作者はテレビ史に残る偉大な仕事をしたと思う! 「イトーは大事なことを色々教えてくれた。学んだことをみんなに広めていくよ」(アフガン農家の言葉) ※番組を見ると、現地には伊藤さんと同じ志を持った日本人が何人もいたのが分かる。この番組を通して、全世界で活動しているNGOの人々の存在を強く感じた。彼ら名もなき英雄たちは真の意味で国民栄誉賞にふさわしい! ※畑の作物を夜間に動物に食べられたり、人間に盗まれた伊藤さんと、その相談を受けたおじさんの会話にジーンときた「女の子が姉妹で盗んでいるのを見たことがあり、動物相手であれば対策を講じることも出来ますが、人が食べることについては複雑な気持になります」「人間の泥棒については神経質にならないで下さい。泥棒が入ることはその作物が地域で評価されている証だと思って下さい」。 ※最初の5分だけコチラで見られます!(リンク先の下方に動画あり) |
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| 収穫できて良かったね!!(*^v^*) |
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| 駅前の電柱に案内板発見 | この超手作り感! | 会場となった「かぜのね」 |
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| 入口にはアフガンに旅立つまでの伊藤さんが | 子ども時代の伊藤さん。可愛い! | ペシャワール会での活動内容を詳しく解説 |
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| 水路工事が始まる前のスランプール盆地。麦が まばらに20cmしか育たない荒れ地だった(2003) |
そこに伊藤さん達が用水路を建設した結果、 なんと3年後には緑の田畑が復活!(2006) |
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| 仲間の日本人たち。伊藤さんは左から2番目。中央がリーダーの中村医師! | 健康なのに診察券をもらいにきた子ども達 |
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| 伊藤さんが育てた菜の花畑にて! ※良い写真が多いけど個人的にこれが一番好き! |
菜の花に囲まれたヒゲ2人。 妙にかわいらしく微笑んでしまう |
この最も有名な伊藤さんの写真は ポストカードになってました! |
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| 笑顔がとっても優しい羊飼いの少年 | お父さんとお昼寝中♪ |
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| 麦の収穫期に、殻と実を分別する少女。 どの家も子どもは良く働くとの事! |
「いーしっしっ!」伊藤さんから貰った飴に 大喜び&「ノール・ラーカ!(もっとちょーだい!)」 |

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| 「ブドウ盗ったど〜」 | 姉妹なのかな? |
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| 会場受付にあった菜の花 | 第2室に向かう通路にあった菜の花 |
| 伊藤さんの写真や遺稿、 追悼文で綴られた1冊 |
伊藤さんが残した 写真の大型写真集! |
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