現代の聖書!世界遺産!
傑作マンガベスト100
(名セリフ付)

●31〜60位
●61〜100位

●ランキング表

●マンガ家の墓写真館

〜ヴィジュアルは映画を凌ぎ、ストーリーは小説を超えた(by小学館)〜


このランキングは作者や作品に優劣をつけたものではなく(芸術にランクは無意味)、あくまでも管理人が人生に影響を
受けた作家・作品順です。いろんなマンガと出合う為のきっかけ、入門用として書いています。
(注)皆さんがお気に入りの作品が文中に登場しない場合、僕が“未読”と思って頂いて間違いないです。

作品名&作者(敬称略)&コメント
※作品名の後は連載開始年です

1.火の鳥(特にオススメは鳳凰編&未来編)('54)〜手塚治虫
「美しい…なんという美しい世界だろう…美しい…!俺としたことが…あの、手を切られた時にも出なかった涙が…!なぜ俺は泣くのだろう。なぜこんなに天地は美しいのだろう。そうだ、ここでは何もかも生きているからだ!」(鳳凰編)
「お前はその腕で何万人か何十万人かの人間を救うぞ。今に分かる。きっと分かる日が来る」(同上)
「お前が生んだ仏はお前だけのものだ。誰にも真似られぬ。誰にも盗まれぬ」(同上)
「俺が礼をいわれた…この俺が…この俺が!?ワーハハハ!!」(同上)

「ばか!ばか!ばか!! だ、誰が…人類を滅ぼしたんだ…誰が…」(未来編)
「ああーッ、良い空気だ。それに見晴らしも良い。こんなに雄大な景色を見ながら人生の一巻を終わるなんて、他の誰に出来るってんだ?フフフ…アーハハハ…アッハ…ハ…」(同上)
「助けてくれッ!人類も動物も…生きるものがひとつ残らず死んじまった後で…僕だけが生き残って、一体何の楽しみがあるんだ?何の生き甲斐が?」(同上)
「今私たちは、あなたがた人間が素粒子と呼んでいる極小のつぶへ向かって縮んでいくのです。次に今度は極大の世界へ!宇宙はひとつの粒子に過ぎないのです」「宇宙生命!」(同上)
「わしに生物の進化をもう一度繰り返させろというのか。生物が現れて何十億年もの間にゆっくりと進化し、おしまいに人間に進化するまでわしに見守れというのか!?そ、それはあまりにむごい。海よ、わしのこの贈り物を受けてくれ。つまらぬ炭素と酸素と水素の混ざりものじゃ」(同上)
「でも今度こそ」と火の鳥は思う。「今度こそ信じたい。今度の人類こそ、きっとどこかで間違いに気がついて、生命を正しく使ってくれるようになるだろう」と…。(同上)


 “人間”を語る時に、漫画が文学に匹敵する力を持っていることを証明してみせた手塚作品の金字塔。火の鳥は不死鳥(フェニックス)と呼ばれるように永遠の命を持っている生命体。手塚氏は太古から人類の興亡を見つめ続けてきた火の鳥の視点で、「限りある命」を精一杯生きることの尊さや、生命そのものへの讃歌を34年間に渡って描き続けた。「テーマはいつの世にも変わらぬ人間の生への執着と、それに関連して起こる様々な欲の葛藤です」刊行当時、氏はこの様に語っている。
 シリーズ12編のエピソードは、太古の昔から超未来へ続く全時代を舞台にしており、前代未聞の壮大な大河マンガだ(あの「鉄腕アトム」ですら構想では「火の鳥」の一部だった)。“生命”という極めて表現が困難な題材に、深いヒューマニズムを原動力として、果敢に挑戦した氏の勇気に心から拍手したい。
※13編目「大地編」未発表のまま氏は亡くなったが、構想メモでは日中戦争時の中国大陸を舞台にしたものになっている。

 『鳳凰編』の舞台は奈良時代。容貌から差別を受け続け自らの人生を呪う盗賊・我王は人斬りを重ねる悪人だが、一人の僧侶との出会いをきっかけに、やり場の無い怒りや苦悩を仏像に刻み始める。その真に迫った仏を民衆は求めるようになるが、過去の罪を問われた彼は、“腕を切り落とせ”という裁きを受けてしまう…。どん底を這う我王が様々な体験を通して生命の美しさに気づいていく姿は胸を打つ。(我王の存在感は圧倒的!後半になると、ただ黙座しているだけで、コマから命の炎が立ち昇って来るようだ)
 『未来編』の舞台は3404年。暴走したコンピューターが“超水爆”戦争を始め世界は滅びるが、火の鳥の力で“死ねなくなった”主人公は、人類滅亡後も孤独地獄の中を何億年も生き続ける。生存者が眠っている可能性のある冷凍シェルターを、5千年間見守るエピソードが切ない。

 両作品とも人生左右モノの物語だ。自分は様々な文学や映画に接してきたが、それらマンガ以外のジャンルを見渡しても、『未来編』を超える巨大なスケールの作品はなかったし、『鳳凰編』に匹敵する壮絶な魂の遍歴を描いた作品は、数本のクロサワ映画と、幾冊かのロシア文学しかない。火の鳥は各編がたった一冊の単行本。内容を考えると、このページ数の少なさは驚異的!作品密度はメチャメチャに濃い。
 あえて極論を言わせて貰うと、全国の図書館は何十万冊も本を置かなくとも、人生を学ぶのにこの2作を揃えていればそれで充分コト足りる。この言葉、ハッタリかどうか、ぜひその目で検証していただきたい!(短編の『宇宙編』も人生を考えさせられるオススメ作品っす)

『私はこのマンガに、今まで何度も救われたんです』(夢枕 獏・作家)

  

※「最近気になってるのは、手塚先生がずっと昔から環境をテーマにした作品とかも描かれていて、それを読んできて影響を受けたはずの世代が、現実では環境破壊だとか、利益だけに走ったりだとか、真っ向から反対のことをしていること。自分たちは手塚作品を読んできた『手塚治虫の子供たち』ではないのか?違う方向に進んでいないか?今すぐに、手塚作品を読み返してほしいと思う」(荒木飛呂彦/『BOON』08年2月号)

2.ジョジョの奇妙な冒険('87)〜荒木飛呂彦
「『覚悟』とは!!暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開くことだッ!」(第55巻)
「オレは『正しい』と思ったからやったんだ。後悔はない…こんな世界とはいえ、オレは自分の『信じられる道』を歩いていたい!」(第56巻)
「人間讃歌は“勇気”の讃歌ッ!!人間の素晴らしさは勇気の素晴らしさ!!いくら強くてもこいつらゾンビは“勇気”を知らん!」(第3巻)
「ヤツらを探し出すために…『根掘り葉掘り聞き回る』の…『根掘り葉掘り』…ってよォ〜『根を掘る』ってのはわかる…スゲーよくわかる。根っこは土の中に埋まっとるからな…だが『葉掘り』って部分はどういうことだああ〜っ!?葉っぱが掘れるかっつーのよ─ッ!ナメやがってこの言葉ァ超イラつくぜぇ〜ッ!!」(54巻)


 1987年に週刊少年ジャンプ誌上で連載が始まった『ジョジョの奇妙な冒険』。シリーズ第7部にあたる『スティール・ボール・ラン』(以下SBR)は、現在月刊ウルトラジャンプで発表されており、09年3月には実質97巻目にあたるSBR第17巻が刊行された。『ジョジョの奇妙な冒険』は作家、芸能人、科学者、医師など様々な業界にコアな支持者がいることで知られ、22年という長期連載を裏付けるようにファンの年齢層は10代から中高年に至るまで実に幅広いものとなっている。いったい“ジョジョ”の何がこうまで人を惹き付けるのか。ジョジョ・ワールドを構成する5つの特色--ポジティブで力強い作品テーマ、独自のバトル、個性的な絵柄、荒木節(セリフ)、擬音、ポージングについて語りたい。当ランキング上位10作品の中で、唯一現在(09年4月)も連載中のマンガだ。

《ストーリー概要》
自身の欲望の為に他人を利用する「悪」に対して、あくまでも人を信じ抜き、満身創痍になっても絶対に闘いを放棄しない主人公と親友たちの姿が胸を打つ。
●第1部/副題:ファントムブラッド…コミックス1〜5巻。19世紀末(1881〜)の英国が舞台。古代から伝わる「石仮面」の力で吸血鬼となったディオを倒すため、主人公ジョナサン・ジョースターは太陽のエネルギーを体内で練り上げる“波紋呼吸法”を身につけ、波紋術の師ツェペリと共に戦いに挑んでゆく。人間の誇りや勇気が熱く描かれる。
●第2部/副題:戦闘潮流…コミックス5〜12巻。1938年の米大陸とヨーロッパが舞台。“波紋”の使い手ジョセフ・ジョースター(ジョナサンの孫)が、古代の眠りから目覚め“究極生物”への進化を目論む「柱の男」たちと死闘を繰り広げる。絶望的なほど力の差がある強敵に、ジョセフはツェペリの孫シーザーと共に知略を巡らし対抗していく。※この究極生物はあらゆる生物の長所を兼ね備えており、少年漫画史上、最強クラスと言っていい。
●第3部/副題:スターダストクルセイダース…コミックス12〜28巻。1989年。高校生の空条承太郎は100年の時を経て復活したDIO(ディオ)と決着をつけるため、祖父ジョセフや仲間たちとDIOの潜むエジプトへと向かう。この第3部からは精神エネルギーが形となった“スタンド(幽波紋)”が登場し、“スタンド使い”同士の戦いが展開していく。舞台が日本から香港、インド、中東、エジプトへと移り変わるためロードムービー的な楽しさもある。
●第4部/副題:ダイヤモンドは砕けない…コミックス29〜47巻。1999年の日本の架空の町・杜王町が舞台(作者の故郷である仙台市がモデル。仙台の別名は『杜の都』)。ジョセフの隠し子、東方仗助がたくさんの仲間と協力しながら連続殺人鬼・吉良吉影と対決する。他の部と異なり、物語がひとつの町から外へは出ず、箱庭的な世界観の中で進行していく。日常生活に根ざしたエピソードやコミカルな場面が多くファンの人気も高い。
●第5部/副題:黄金の風…コミックス47〜63巻。2001年のイタリアが舞台。主人公ジョルノはDIOの息子だがジョースターの血統を受け継いでいる。子供にまで麻薬を売りつけるギャング組織「パッショーネ」のボス・ディアボロを倒すために、ジョルノは組織の一員となり“黄金の精神”を持つ仲間と共にのし上がっていく。ギャングの世界が舞台ということもありバトルにつぐバトル。敵も味方もその死は壮絶。
●第6部/副題:ストーンオーシャン…コミックス64〜80巻。2011年のフロリダ州刑務所が舞台。シリーズ初の女性主人公、空条徐倫(承太郎の娘)の活躍を描く。敵は故DIOから託された“ある計画”を実行しようとする刑務所の教戒師プッチ神父。ジョースターの精神を受け継いだ徐倫とDIOの精神を受け継いだプッチ神父の息詰まる激闘は、やがて世界マンガ史上に残る衝撃的&感動的なラストを迎える。第1部からの130年にわたるドラマはここでいったんピリオド。
●第7部/副題:スティール・ボール・ラン…コミックス1〜17巻(09年3月現在)。1890年に米国で開催された馬による大陸横断レースが舞台(前6部作と異なるパラレルワールド)。様々な思いを胸に西海岸のサンディエゴからNYを目指す男たち。主人公のジョニィ・ジョースターとジャイロ・ツェペリは、大統領がレースに仕掛けた巨大な陰謀に巻き込まれる一方で、人間的に大きく成長を遂げていく。
第9部まで構想があるとのこと!

(1)作品のテーマは“人間讃歌”
 『ジョジョの奇妙な冒険』の最大の魅力は、どんな苦難に遭遇しても信念を失わず力強く前進していく登場人物の生き方だ。荒木先生いわく「敵も味方も全員が「前向き」で、生きる事に疑問を持つ人間は出て来てない」。その前進せんとする膨大なエネルギーに触れると、キャラが放つ生命の輝きに頭がクラクラしてくる。自身を全肯定することのカッコ良さにシビれ、読み手の心の中に自分を信じる“勇気”が生まれてくる。
 荒木先生はまた、人生で大切なのは“結果”ではないと説く。第59巻では殉職した警官がこんなセリフを語る--「私は“結果”だけを求めてはいない。“結果”だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…近道した時、真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな…違うかい?」。
 5部では時間を飛ばし結果だけを求める敵ボスの能力に対し、主人公は何度も同じ過程を繰り返す能力で挑む。いつも強くあることは難しい。しかし“向かおうとする意志が大切”なのだ。この言葉でどれほど助けられたことか。第6部では、たとえ人は生まれ変わっても魂に深く刻まれた愛の記憶が引力となり、出会うべくして出会うことが語られ、人間関係が希薄になった現代社会において、他者との繋がりの尊さをうたいあげた。荒木先生のペン先から高らかに鳴り響く人間讃歌が深い感動を呼び起こす。

(2)頭脳バトルで強さのインフレを克服
 一般に少年漫画では必殺技や腕力の強さが“強者”の条件となるが、ジョジョにおいてスタンドに強い弱いの概念はない。スタンド対決は基本的に知恵比べであり、毎回敵の能力に合わせた戦術を考えねばならない。相手を磁石化したり老化させるという戦いの中では、駆け引きに長け、数手先を読める者が最強となる。従来の漫画のように“最強の敵を倒したら翌週さらに強い敵が登場”という強さのインフレはない。チェスの如き頭脳戦では、優勢だった者が次のページでは窮地に立っているなど、戦いは常に緊張感を伴っている。
 “こんなヤツどうやって倒せるんだ!?”という強敵でも、必ずどこかに弱点がある。その弱点の見つけ方や、読者への見せ方が実にうまい!味方キャラが「フフ…俺の攻撃は外れたんじゃあない…最初から違うものを狙っていたのさ」などと説明しだすと、読者の興奮は最高潮へ心理戦こそが、ジョジョの真骨頂であり、それゆえに100巻近く続いてもバトルが新鮮なのだ。(敵にも美学を持っているヤツが多い)

(3)個性的な絵柄
 オリジナル作品がパリ・ルーブル美術館に展示されたり(2009)、海外の科学誌の表紙を飾るなど、国境を越えて高く評価されている荒木先生の作品。目を見張るようなビビッドな色彩と、「生命の色気」を感じる人物の輪郭線は、作品に脈打つの鼓動を読者に伝える。この絵のパワーがあってこそジョジョの世界は成立し、細い線では絵が物語に負けバランスを失ってしまう。また、丸コマ・斜めコマなどを多用した斬新なコマ割りと自由な構図は、ビジュアル表現の極限を究めており、読み手はこれらに間断なく中枢神経を刺激され続ける為、「もう“荒木絵”でなければ満足できない」という、一種の中毒状態に陥ってしまうのだ。キャラクターのファッション・センスにも特筆すべきものがある。

(4)センスが光る“荒木節”と擬音
「メメタァ」「メギャン!」「グッパオン」「ドグチアッ」「ゴゴゴゴゴ」などのメタリックな擬音、そして以下のような“荒木節”と呼ばれる切れ味バツグンの独特の言い回しは音楽を感じさせ、作品にリズムを作っている。

「さすがディオ!俺達に出来ないことを平然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!」1巻
「こいつはくせえーッ!ゲロ以下の匂いがプンプンするぜーッ!!こんな悪(ワル)には出会ったことがねえほどなァーッ!環境で悪人になっただと?ちがうねッ!!こいつは生まれついての悪だッ!」2巻
「ふるえるぞハート!燃え尽きるほどヒート!!おおおおおっ、刻むぞ血液のビート!山吹き色(サンライトイエロー)の波紋疾走(オーバードライブ)!!」4巻
「猿が人間に追いつけるかーッ!お前はこのディオのとってのモンキーなんだよジョジョォォォーーーッ!!」5巻
「そのポーカーフェイスをゲドゲドの恐怖づらに変えてから敗北させなきゃあ気がすまん!」23巻
「腹の底から“ザマミロ&スカッとサワヤカ”の笑いが出てしょうがねーぜッ!」27巻
「凄まじい殺気ってやつだッ!ケツの穴にツララを突っ込まれた気分だ…!」27巻
「確実!そうコーラを飲んだらゲップが出るっていうくらい確実じゃッ!」27巻
「スゲーッ爽やかな気分だぜ。新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよーによォ〜ッ」42巻
「質問を質問で返すなあーっ!!疑問文には疑問文で答えろと学校で教えているのか?」44巻
「『言葉』でなく『心』で理解できた!」53巻
「真の『失敗』とはッ!開拓の心を忘れ!困難に挑戦する事に無縁のところにいる者たちの事を言うのだッ!このレースに失敗なんか存在しないッ!存在するのは冒険者だけだッ!」SBR1巻
「オレは『納得』したいだけだ!『納得』は全てに優先するぜッ!!でないとオレは『前』へ進めねぇッ!『どこへ』も!『未来』への道も!探す事は出来ねえッ!!」SBR8巻

(5)人間讃歌を体現!美しき『ジョジョ立ち』に涙せよ
 ジョジョのキャラクターは体のラインをひねりあげた美麗かつエキセントリックなポージング(ジョジョ立ち)を決める。イタリア古代彫刻やファッションデザイナーから影響を受けたというこれらのポージングは、関節を破壊寸前まで曲げ、人体の構造や重力さえ無視した激しいもの。荒木先生が語るジョジョ立ちのポイントは「とにかくねじるんですよ。生命はらせんですから。手首をひねり、上半身をひねり、腰をひねり。体がらせんになってるんです」。二次元でも三次元でも五臓六腑で味わうことが出来るのがジョジョ!

 何世代にもわたる血統が描かれるジョジョでは、「魂を受け継ぐ」ということを丁寧に描く。祖先や友の肉体が滅んだ後も精神を内に宿していく“魂のリレー”だ。死は終わりではなく、命は他者の内部で溶け合い続いてゆく。ジョジョという作品字体もまた読者の血肉となり、登場人物の誇り高き行動は読み手の生きる姿勢に反映されていく。連載中の『スティール・ボール・ラン』はレース終盤となり、物語は佳境へ突入している。敵の能力は“勝てるワケがないッ!”と叫びたくなるものばかり。これほど面白い作品をリアルタイムで読める有難さ。荒木先生と同時代に生きている幸運に“感謝、いたします”!

 
 SBR第7巻

※荒木先生は手塚治虫御大をして「異端の感性、今後必ず伸びてくる」と言わしめた漫画家!

★あまりにも名セリフの数が多いので特別コーナーを作成しましたッ!

  国宝の約100巻ッ!万難を排して読了せよ!!

★ジョジョ画集『JOJO A GO!GO!』レビュー
「人類のために描く!」(荒木飛呂彦)…値段を見て二の足を踏んでいた荒木先生のジョジョ画集『JOJO A GO!GO!』(6800円)。あまりにも多くの方が薦めまくるので意を決して購入した!感想は“もっと早く買っておくべきだったァーッ!”。36X27cm、重さ2.5kgの巨大画集だ。全体の構成がとても粋で、冒頭でジョジョのレコード(絵)が回転し、その調べに乗ってキャラが敵味方入り混じって踊りだす…そんな遊び心あふれた画集だ。フーゴとリゾット、花京院とンドゥール、カーズとエンヤ婆、キラー・クイーンとザ・ワールド等の意表を突かれるペア・ダンスが楽しい。その後も様々なカラーイラストが続くんだけど、単行本の表紙として既に知っている絵でも、大きな画集で見ると同じ絵とは思えないほど鮮烈な印象で飛び込んでくる(発色も美しく、細かい描き込みがよく分かる!)。
それからこの画集には、スタンドの詳細な解説書と荒木先生の旅行記やインタビューを収めた2冊のブックレットが付いていて、これがまた読んでて楽しい。後者には先生がナポリで催涙ガスをくらった話や10大ヒーロー(ロダン、ピカソ、ダ・ビンチ、ゴーギャン、ベラスケス、ジョット、アントニオ・ロペス、ボブ・ピーク、クリスチャン・ディオール、ヴェルサーチ)の解説、好きなマンガ(カイジやナニワ金融道が入っててビックリ)、好きな映画(1位は大脱走!)、お薦め洋楽(“邦楽は歌詞がむかつくからいっさい聴かない”とのこと)など盛り沢山。ウケたのが『作者人気投票キャラクターベスト10』。読者人気投票ってのはよくあるけど作者人気投票ってのが可笑しい。1位は仗助、2位が吉良、3位がブチャラティ。あとはドッピオ&ディアボロ、ジョルノ、ジョセフ、ミスタ、承太郎、重ちー(なんとディオより上)、ディオ。でもこの本は6部連載の前に発売されたので、今なら徐倫やウェザーが入ってるかも。
他にも「主人公のスタンドの名前が全部鉱物なのは、硬い感じが心の強さの象徴」「仗助やジョルノのスタンドは“ものを治す”あるいは“命をつくりだす”能力で、力に頼らないのがいい。パワーにはさらにパワーで対抗という考え方が分からない」「悪の定義は“他人を踏み台にする人”。」(6部で神父の目的がいかに高尚であっても、目的の為に他人を犠牲にした時点で「それは悪なのだ」と糾弾してたもんね)etc…。最も印象に残った言葉は“人間賛歌”についてのもの。「ジョジョに関しては“人間は絶対肯定する!”、もう“人類の為に描く!”と、そこまで行くっていうか、自分で信じてます!!」。この“人類のために描く”っていう言葉に超興奮した!やはり、読者としては作者がここまで言ってくれるのは本当に嬉しいッ!(そうこなくっちゃ!)そんな熱い『JOJO A GO!GO!』だった!
(装丁箱表側は実際にクルクル回転し、トリッシュの顔の部分が億泰や石仮面、荒木先生に変わる仕掛になってて笑える!)

★レッツ!「ジョジョ立ち」!
肉体への負担が高く、数分間の挑戦で全身からプスプスと煙が立ち上る。しかし!世の中には“物理的に不可能”と思われてきたジョジョ立ちを、驚異的な身体能力で華麗に再現する漢がいる。身長190cmの我が同志、通称“鬼教官”だ。数年前までこのポーズに決まった呼称がなかった為、僭越ながら『ジョジョ立ち』と名付けさせて頂き、03年にポージング教室をWEBで公開した。05年秋、『現代用語の基礎知識』の項目に「ジョジョ立ち」が登場し、もはや「ジョジョ立ち」を知らない=現代人ではないと言えよう!「ジョジョ立ち」は“力強さ”と“エレガントさ”という正反対の要素の融合が生み出した『美』に、“人間讃歌”というメッセージを練り込んだ究極のポジティブ・アート。誰かを倒すためのポージングではなく、「精神的貴族」を目指しジョースターと同化することで自分の弱い心と戦うためのポージングだ。黄金の精神で魂を高めたい、そう思った時にいつの間にかとっているポージング、それがジョジョ立ちだ。03年に始まったこのムーブメントは、07年には鬼教官と荒木先生のコラボが実現するという最終形態に進化した!たかがポーズとあなどるなかれ。動けぬポーズだからこそ、ごまかせない深さがあるのだ!
※ジョジョ立ち教室  ※渋谷JOJO立ちFlash

※完全ネタバレ/ジョジョ感涙名場面50選

 

3.カムイ伝・第1部('64)〜白土三平
『大きな岩に当たってむなしく砕け散る波でさえ…いつか岩の形を変えていく…』(愛蔵版第15巻)

 圧巻!登場人物の「生き様」もさることながら、その壮絶な「死に様」が深く胸を打つ時代マンガの大傑作だ。徳川幕府の治世の下では、民衆の命はアリのウンコより軽かった。この超大作ではそんな時代を舞台に二つの大きなエピソードが進行する。非人という身分から抜け出す為に忍者の道へ進んだカムイ。彼は身分制度を定めた家康自身が被差別階級の出身だったという、社会をひっくり返す極秘文書と出会う。その文書をめぐって幕府派と反体制派の忍者たちの熾烈なバトルが繰り広げられる--これがひとつめ。ふたつめは、非人の娘(カムイの姉)を愛した最下層農民、正助の物語。彼は権力者が農民の不満を圧政からそらす為に、わざと富農と貧農、貧農と非人を反目させて団結せぬよう分断しているという、藩政のからくり(作り出された憎しみ)を見抜く。そして、藩最大の一揆指導者となっていく…。日本マンガ史上類を見ない、圧倒的迫力で読者に迫る群像劇だ。

 長い作品だが、がんばって読んで欲しい。“長い”といっても無駄に長いのではない。人々が飢饉や病気で呆気なく死んでいくと、徐々に命の重みがマヒしてくるものだが、カムイ伝にはそれがない。作品の長さは登場人物への思い出作りの為の長さであり、一人のキャラクターが死んだとき、読者は彼の人生の様々な場面を思い出しその死を悲しむ。命が軽い時代の個々人の死の重さを伝える為には、絶対にこのボリュームが必要だったのだ!

 

4.生徒諸君!('78)〜庄司陽子

1巻「あたしは以後あなたを先生と呼びたくもないし、あなたの顔など見たくもない」(ナッキー)
6巻「このまま…時が止まってしまえばいい。胸苦しくなるような自分の鼓動の中に浸っていたい。」(岩崎)
7巻「笑えばいい。いくら笑ったっていい。そんなものとうに覚悟ができている。だからといって俺の意志は曲げられない。」(岩崎)
10巻「みんないなくなっちゃうんだね。」「そうだな。」「百年も過ぎたらわいたちの誰もおらへん。」(ナッキー、岩崎、沖田)
11巻「俺は狭い!男として、人間として、俺は沖田に負けている!」(岩崎)
同巻「俺はもうお前を追わない…俺が俺に自信をつけるまで、俺が俺に資格を持たすまで!!」(岩崎)
13巻「あせるの、やめたんだ。」(岩崎)
同巻(山で朝日を見て)「ああ、ナッキーに教えてやりたい思うた。」(沖田)
15巻「俺は開き直ったんだろうか?」(岩崎)
同巻「どう話してもあたしたちの“あの時”をあらわせない。」(ナッキー)
16巻「じゃあおまえ、(岩崎にナッキーをとられて)ふられたらどうするんだ。」「かましまへん、そいつなら。」(クラブの先輩と沖田)
同巻「沖田…俺たちの愛はどこへ行く?」(岩崎)
20巻「人は生まれたときから確実に死に向かって生きてゆきます。そして一度しか生きられない。」(ナッキー)


 僕がこのマンガを初めて読んだのは、29歳の時だ。以前から『生徒諸君!』が傑作だという噂は聞いていたが、主人公のナッキーが女子中学生(2年)ということで、あまりにも自分と接点がなく感情移入は到底不可能だろうと、どうしてもこのマンガを手に取る気がしなかった。しかし近所の古本屋で全24冊が1500円という投げ売りプライスで出されていたので、“これは天の導きだ”と購入した。

 読み始めてすぐ、1巻目冒頭の6P、「通称ナッキー、よろしくネ!」のパワフルな自己紹介シーンで右フック、続く8Pの男子生徒との転校初日殴り合いで左ストレート、美術部飛島先輩(カリスマ美形)登場でクラッときた所に、副委員長との女同士のケンカと光速の和解という右アッパーの青春コンボが、自分の乾いたソウルに叩き込まれた。1巻のラストでは教師に逆説教する嵐の女ナッキー。結論から言おう。もはやこのマンガ抜きに自分の人生は語れない。それまでの29年間は、このマンガを知らなかったという一点のみで“生きていた”とは言えないかも…。ナッキーに反感を抱く人物もちゃんと描いているし、そういった連中がいつの間にか彼女を好きになってしまう展開も、安易な御都合主義ではなくキッチリ心の変化を追っていて強引な所が微塵もない。学園マンガは連載5,6年目になっても、主人公がまだ同じ学年のままという怪奇現象が起こりやすいが、ナッキーはちゃんと高校生、大学生と一年で確実にひとつ歳をとる。ナッキーの成長と共に読者も歳をとるわけで、マンガを“読む”と言うより“体験する”という言葉の方がふさわしく感じる。

 …とここまで色々ナッキーを中心に誉めてきたが、実はこのマンガは主人公のナッキーが登場しなくてもこの高順位が揺らぐことはない。「なんじゃそりゃ!?」と言われるかも知れんが、全巻読んだ人間なら“岩崎と沖田”といえば他に説明は入らぬだろう。自分が男という理由もあるが、ナッキーの同級生となった為に、1巻から最終巻まで読者が心を覗くことになる岩崎祝と、日本マンガ界最高の男性キャラクター沖田成利。この2人の友情や確執、その生き様に触れたことは一生の思い出となること間違いない。岩崎の恋の苦悩は、人を真剣に愛した人間だけが垣間見る地獄だ(自分がページの端っこを折ったのは岩崎が苦悶しているシーンがやたら多い)。沖田の魅力については、語りだすと重大なネタバレに下記にて。

【ネタバレ文字反転】

「山よ、わいたちを帰してくれ!し残していることがある!やるべきことがぎょうさんある!待っとる人たちがおるのや!!」。この沖田の絶叫。マンガを読んでいて、キャラの死に打ちのめされたのは沖田が初めてだった。もちろん、それまでにも他のマンガで悲しい気持になったことはあるけど、実生活で会話が出来なくなるほど、何日も立ち直れなかったのは彼が最初だ。架空の人物というのを百も承知で言わせてもらう。あんなに良いヤツは今まで会った事がなかった。他人の為に生きることが出来る彼のような人間にこそ、長生きして欲しかった。…たまらない。

 
考えてみればベスト10の中で現代日本の日常生活が舞台になってるのはこのマンガだけ。後は全部未来や江戸時代だったり悪魔が出てきたり。銃も魔法もなく、普通の学生生活という限定された設定の中をラストまで読者を引っ張るとは、恐るべき脚本力だ。全24巻と長いが、その長さこそが“時の流れ”という感慨を読者に与え得る。全巻読んだ者だけが浸れる、あの歳をとっていく感覚をぜひ味わって欲しい!このマンガと生きている内に出会えて本当に良かった。読後は涙なしに鎌倉の海岸に行けない。

 

5.BASARA(‘91)田村由美

「悪いことを悪くとるのは当たり前です。良い方にとってこそ勝負師ではないですか」(第8巻)
「あなたは賢く時代を見つめなければ。なぜならあなたは母親だから。わかりますか。国の未来を築くのは救世主でも王でも英雄でもない。母親という人たちです」(第9巻)
「憎しみはね続かないんですよ。生きて歩いて人に会い、誰かを愛せば消えてしまうんですよ」(同上)
「こんなことは大した事じゃないんだよ。OK?」(第11巻)
「たとえそれぞれ違う場所で朽ちて死んでも、あなたや彼らが必ず全力で道を行く時、心と心は同じ場所にいます。同じ時代に同じ夢を追ったそれはまた運命です」(第20巻)
「支配されるな!簡単に乗せられるな!だまされるな!己の望むことを!己の望むように!己で考え!己で選び!己で決めろ!己を信じ、己を頼め!己の意思で、判断で、誇りを持って己の為に生きよ!」(第23巻)
「“心を受け取る”と書いて“愛”と読むのだす」(同上)
「オレは多分、今ここでこうする為に生きてきたんだよ」(第24巻)
「オレもお前もタタラに会えて良かったな。同じ時代に生きて良かった」(同上)
「あなたも女ならわかって下さい。女の幸せは愛する人と一緒になって子供を産むことでしょう。あなたもその様に生きて」「わからない。それは動物にでも出来るよ。あたしはあたしにしか出来ないことをやる」(第26巻)
「オラは魚を釣って食べるだす。それはフツーだべ。魚もオラを食べていいのだす。それもフツーだべ。けんど戦とかそういうのは、フツーじゃなくて気持ち悪いのだす。しなかったらしなくていいのだす。宝とは命だべ。魚を釣って食べることのできる命だべ」(第27巻)


 日本各地に散らばる4本の名剣をすべて揃えれば最強の武器になる…こう書けばありがちなゲームの設定に聞こえるし、事実この手の少年マンガはウジャウジャある。しかし『BASARA』は一味違う!この作品は4本の名剣それ自体が重要なのではなく(1本はただの竹光=木刀)、それらを揃える過程で出会う人々との交流、そこで生まれる信頼関係や友情、これこそが武器なのだという語り口が素晴らしいんだ。全27巻という長編だが、権力者対民衆という骨太な物語の中にも、ギャグが随所に入っていて、読み手を全く飽きさせなかった。また、脇役に至るまでキャラがめちゃくちゃ立っていることに舌を巻いた(カザン将軍や網走の囚人達まで全員)。本編終了後にサブキャラたち一人一人のエピローグが2巻も続いたけど、これほど多数の準主役がいるマンガなんてそうそうない!全キャラを肉付けしちゃう作者の人物描写の力量は本当にスゴイ。(自分のお気に入りキャラは揚羽、多聞、群竹。多聞の「命こそが宝なんだ!」という絶叫に慟哭!)
気持ちの良い涙を流すことが出来るマンガだ。

 

6.ベルサイユのばら('72)〜池田理代子
「知っているかい、ばあや。このごろ平民の間ではムッシュウとかマダムとか呼ばれる代わりに、市民(シトワイヤン)だの女市民(シトワイエンヌ)だのと呼ばれる方が名誉だということになっているそうだ。」この言葉の後には近衛兵隊長オスカルの“それも悪くないな”というセリフが続く。

 僕の少女マンガへの偏見を取り去った、フランス革命を舞台にした空前絶後の大名作!フランスの民衆を守る近衛兵部隊の動向を中心に話が進んでいく。部隊の女性隊長オスカルは名門貴族出身であり、王妃アントワネットとも親しい。だが、貧困に苦しむ民衆と、贅沢に明け暮れる貴族の生活を目の当たりにし、体制に属する自分の立場に思い悩む。おりしも革命が勃発、武力を持って民衆を鎮圧せよという指令を受け、オスカルの心は固まる。「人間はその指先一本、髪の毛一本にいたるまで全て平等であり、誰の所有物にもならない心の自由を持っている!」この絶叫と共に、フランス近衛兵部隊は民衆に合流し、パリ市民を守る盾となっていく。怒涛のクライマックスは興奮必至だ。

 このマンガの魅力はドラマチックな史劇の部分だけではない。これほどまでに多くの読者の心を掴むのは、いくつもの命をかけた恋が描かれているからだ。シェイクスピアに匹敵するほど(マジで)素晴らしいセリフが、怒濤の如く登場する。身分の違いに悶絶するオスカルの従卒アンドレ・グランディエ、身を引くことで愛を証明したジェローデル少佐。両者のセリフを思い出すと、初めて読んでから約20年が経つというのに、いまだにパソコンのモニターが涙で霞んでしまう。特に打ちひしがれたアンドレのセリフは、自分がそれまで読んでいた少年マンガの恋愛物が“お子様ランチ”だったことを教えてくれた。作者の池田女史がどんな地獄を見てきたのか分からんが、アンドレの呪い節は書こうと思って書けるものではない。脈のない片想いにのたうち回っている者は、激しく感情移入すること間違いなし。全男性諸君、これを読まずに死ぬな!!


「血にはやり武力にたけることだけが男らしさではない。誰かが言っていた…心優しく温かい男性こそが、真に男らしい頼るに足る男性なのだということに気付く時、大抵の女はもう既に年老いてしまっていると…」(オスカル)

「受け取って下さい。私のただひとつの愛の証です…身を…引きましょう…」(ジェローデル)
「人間にはそんな愛もあったのだとは…人間であればこそ…そんな愛も…」(オスカル)

「なぜ…なぜ生きてきた今まで、何のために一体生きてきた!お前が他の男のものになるのを見るためか!それを見せるために神はこの目を授けたのか!?」(アンドレ)

「俺は影だ。常に影なのだ。けっして光にはなれない。だからこそ光を消すわけにはいかないのだ」(アンドレ)

 

7.デビルマン('74)〜永井豪
「俺は、もう、何もない…生きる希望も、幸福も…生きる意味さえも!守るべきなにものもない!」(愛蔵版第5巻)

 通常、人はデーモン(悪魔)に身体を乗っ取られると魂まで支配されてしまうが、稀に肉体をデーモンに乗っ取られても人間の魂を死守した者がいる。彼らの名は『デビルマン(悪魔人間)』。主人公の不動明は「デーモンと戦うにはデーモンの体をゲットするしかない」と考え、わざと身体を乗っ取らせ、逆にデーモンの魂を支配することに成功する。このとき彼が手に入れたデーモンの体は、偶然にもデーモン族最強の勇者アモン!これはデーモン側にとって最悪のシナリオだ。かくして不動VS刺客(デーモン)とのあくなき戦いが始まる…。
※アニメのOPで「裏切り者の〜名を受けて〜」とあるのはアモンの立場の歌詞。EDの「だ〜れも知らない、知られちゃいけ〜ない〜」は、仮に不動明がアモンの姿に変身する所を他人に見られたら、デビルマンとデーモンの違いが分からぬ人間はパニックを起こし、中世の魔女狩り(ここではデーモン狩り)が再現されてしまうからだ。

 …とまあ、ここまでなら普通のヒーローものだ。これだけでは第7位に入らない。このマンガの凄いところは、戦いを通して主人公が「本当に人間には守るべき価値があるのか」と悩み出すことだ。ひとたび人間の間で戦争が起これば、デーモンに襲われるより遙かに大勢の人間が殺し合いで死ぬ。デーモンは残忍だと言っても、核兵器を持っているわけではない。大体、この世にデーモンがいて困るのはエサにされる人間だけで、地球上の他の生物にとっては生態系をメチャクチャにする人類の方が、よほど“悪魔的”だ。この先は非常に衝撃的なストーリーなので下記ネタバレで。
※対サタン編以前のエピソードでは、かつてアモンを愛していた女戦士の刺客・妖鳥シレーヌと、さらにそのシレーヌを想うカイムの純愛が胸に残る。

【ネタバレ文字反転】
悪魔特捜隊本部“拷問室”(悪魔狩りで捕らえた疑わしい人間を拷問する部屋)における、デビルマンが人間に叫ぶ怒りの咆哮は凄絶だった!部屋に現れたデビルマンを見て、彼をデーモンと勘違いして逃げる拷問官たちが、“我々は悪魔を殺していない、拷問し殺したが結局全部人間だった”と言い訳し、命乞いをする。それを受けての主人公のセリフだ。
「外道!貴様らこそ悪魔だ!俺は身体は悪魔になった…だが人間の心を失わなかった!貴様らは人間の身体を持ちながら悪魔に!悪魔になったんだぞ!これが!これが!俺が身を捨てて守ろうとした人間の正体か!地獄へ堕ちろ人間ども!(グオオオ)」
強烈。ここで初めて彼は人間を殺してしまう。それまでずっと人類のために戦ってきたのに…。あまりに深いデビルマンの絶望。この直後、タレちゃんの首チョンパや美樹ちゃんのワッショイワッショイで頭は真っ白になった。作品を読み終えた後も、何日も胸の奥底でこのデビルマンの絶望の叫びが思い出された…。

 

8.ナンバーファイブ 吾('01)〜松本大洋


※松本大洋は名作が多いので全作品を解説した特別コーナー『松本大洋の世界』があります!

「この世には死をすら望む苦痛があることを教えてやる…そいつは痛みを通り越し冗談に近い。」(第2巻)
「楽しいか?マトリョーシカ。」「ふつう。」「そうか…普通か…うん。それが一番だ…お前が普通だと世界が平和に思える。」(同上)
「楽しいか?マトリョーシカ。」「楽しい。」「そうか…うん…それが一番だ。お前が楽しいと世界が輝いて見える。」(同上)
「言葉は人類がその叡智で紡ぎ上げた最高のツールだ。そう思われませんかMr.ライヒワン?私があなたの名前を知り得たのもこれによるおかげだ。言葉を介して我々は友人になれるかもしれない、もしくは反目し合うかもしれない。しかしどのような対立であっても、その主張はこのツールによってなされるべきであると私は信じています。それが出来ないようであればこの星の未来はないと確信しています。輝ける星を維持するため、明るい未来へつなげるために、話し合いましょうMr.ライヒワン。」(第4巻)
「喰っとる…」(同上)
「おお…あの恒星を拝むのは、昨日の夕陽が最後と思っていた。」(第5巻)
「なぜ敵対という言葉を避けるのかね、マイク?」「互いに異なる意見があるからといって、敵対とは言いたくないのですMr.ベケット。話し合う事で分かりあえるものと信じているし、その為に言葉が存在する。」(第6巻)
「捨て去ります。」「何をだね?」「地球軍をです。(略)この組織の価値は、キャンディーバー程もない。簡単でない事は理解しています。一年や二年で成しえる事ではない。十年、二十年と費やす事になるかもしれない。何しろ爆弾や戦車はキャンディーバーのように、溶けてなくならないので。」(同上)
「今更ながらよく食べるねえ。並の人間なら致死量だよアリャ。」(同上)
「手下が身を挺して対象を守りますっ!」「構わず撃て!」(第7巻)
「種の存続を望むなら増殖率を限りなくゼロに近づける必要があるよね。人口制限が徹底されていなかった時代、人類は戦争や疫病でこのバランスを保ってきたんだ。医学の進歩や平和を訴える事が逆に人類を絶滅に近づけた事は皮肉だよね。」(同上)
「思慮を欠いた行動の先にあるものを理解した。」(同上)
「ふん。人間がどうなろうが知るか。俺は他の連中とは別の主人に仕えているのさ。」(第8巻)


 『ピンポン』の試合シーンで超高速バトルを描き読者を圧倒した松本大洋がSFアクションに挑んだ傑作!松本大洋の最長作品(全8巻)。舞台は未来。傍若無人の限りを尽くす人類は、大量の動植物を絶滅させてきた。人々は崩壊した生態系を取り戻すべく、人口の制限、機械文明の規制を“新存続法”で定め、軍は地球軍に統一される。軍は人類を永続させる為に極秘裏に生命工学を発展させ、常人より飛躍的に身体能力の高い超人類を創造する。そして人造人間で構成される「国際平和隊」が創設され、彼らには高い階級が与えられた。中でも能力が優秀な9名は特別に“虹組”と名付けられ、各々、王(ワン)、仁(ツー)、惨(スリー)、死(フォー)、吾(ファイブ)、岩(シックス)、亡(セブン)、蜂(エイト)、苦(ナイン)と、数字のコードネームで呼ばれた。虹組は個別に直属の部隊“獣(テン)”を持つ。9人は軍を嫌悪する民衆をなだめる為のマスコット的役割を引き受け、世界9ヶ所に作られた“城”から治安維持に当たっていたが、あるときNo.吾が組織を裏切り、No.王の城を襲って女を連れ出し逃亡する。すぐさまNo.吾を討伐すべく、カウントダウンの如く“苦”→“蜂”→“亡”→“岩”と順に刺客として向かうが、吾は虹組随一の狙撃の名手であり、ことごとく返り討ちにあってしまう。一体なぜNo.吾は仲間を裏切ったのか?

 軍は自らの作品(人造人間)が種を残す事を最も恐れていた。種は家族を持ち、それらは社会を形成し、やがて思想を生む。それが反乱につながると考えたからだ。それ故、人造人間には生殖能力が与えられていなかった。だが、No.吾は“女”をさらって逃走している--物語を読み進めていくうちに、No.吾の行動理由が次第に明らかにされていく。

 本作品が持つ大きな魅力はNo.吾の逃走劇というアクションだけでなく、もうひとつ、No.王が持つ狂おしいまでの「生命全体への愛」にある。平和隊の長となった就任パレードで、No.王の車列が猫をはねてしまった時の行動が凄い。車から降りたNo.王は死んだ猫の体を抱き上げると、その場でいきなり食べ始めたんだ。No.王の口元が血で染まり、沿道の民衆は悲鳴を上げ、パレードのTV中継はCMに変わるが、No.王の真意を悟った者は泣きながらひざまずいた。No.王は猫を食べてあげることで、食物連鎖の中に組み込み、猫の死に意味を持たせ、事故死=無駄死にとさせなかったんだ。そして地球軍の最高司令官を目指すNo.王は、周囲からオメデタイ夢想家と馬鹿にされながらも、世界平和の為に地球軍の廃絶を最終目標にしている。

【ネタバレ文字反転】
“平和”をテーマに語るのは、説教臭くなったり陳腐になる危険があり、マンガ家にとって勇気がいること。それをあえて正面から描いた作者に心底感嘆。No.王の死後も彼の意識を未来の子供たちが共有している描写があり(「あの人はいつでもいるよ。」「またあそこであおう。」)、そこにはハッキリと平和への希望がある。だからNo.王が死んでもハッピーエンドと思うし、そう信じたい。別のラストであればどうだったろう?例えば、No.王が殺されず、世界中の人々がNo.王に共鳴して武器を放棄するラストだったら?これは分かりやすいハッピーエンドになったろうけど、それではNo.仁のように「大木に茂る葉は一枚一枚全て異なるべき」と考えている者は、どんなに美しい世界でも受け入れ難いだろう。
No.吾はマトリョーシカに対し「お前を初めて見た時から、その…なんだ…」と一目惚れだったことを告白している。彼女は食べて寝て歌ってるだけで、PAPA以外は彼女が出産可能な人造人間であることを知らない。それでもNo.吾は、生命を繋ぐことが出来ることを本能レベルで感じて、彼女が輝いているように見えたのだろう。組織から追われることになっても、マトリョーシカと共に生きたかった。No.王に仕える“獣”たちと人間が交戦状態になった時、なぜ人間の側につくのか問われたNo.吾は、「俺は他の連中とは別の主人に仕えている」と答えた。No.吾が仕えていたものは「愛」だった。
ラストでNo.吾と彼女の間に生まれた子供が出てきたのは感動的だった。生命の誕生はそれ自体が大きな希望の象徴だし、未来のNo.吾は背中にライフルを担いでおらず、狩りをする手に銃ではなく槍が握られていた。No.王の平和への想いはNo.吾が銃を手放して槍に持ち替え、その槍も戦争ではなく狩りという食物連鎖の中で使われていることで成就されている。
男女の逃避行、生命の誕生、置かれたライフル、心を繋ぐ未来の子供たち。そう、これは愛の物語なのだ。


※虹組のメンバーの本名は、No.王…マイク・フォード・デービス、No.仁…尚昆(しょうこん、スピード狂の賢人)、No.惨…カルロス(サイボーグ戦士)、No.死…アーイ兄弟(妖術使い)、No.吾…ユーリ(天才スナイパー)、No.岩…ホーク(元No.王)、No.亡…オムル(海LOVE)、No.蜂…ロビン(怪力)、No.苦…ヒロシ(最年少、クラシック好き)
※特殊能力を持った9体の人造人間は、そのままサイボーグ009のオマージュとなっている。
※避けられぬ戦いであったとしても、No.岩の死は悲しかった。No.吾がちょっと憎らしいくらい。No.蜂やNo.苦もいい奴だったんだろうなぁ。
※野心家のビクトルでさえマトリョーシカに癒されているのがいいよね。彼もまたマトリョーシカと暮らして性格が穏やかに変わった人間の1人だ。

 

9.バナナ・フィッシュ('85)〜吉田秋生

「俺はクズどもに軽蔑されたって痛くもかゆくもねえよ」(第3巻)
「(この酒は)うまくねぇ」「俺だってうまくて飲んでるわけじゃないさ」(同上)
「ミミズだと思ってつかんだのがヘビの尻尾だった。だからビビってるのか?」(第4巻)
「たとえ破滅するしかないとしても、ニセモノに囲まれて生きるよりずっと良い」(第12巻)
「もう忘れろ…いや、そんなこと言うのは無神経だな。忘れられるもんならとっくにそうしてるよな。だったらもう…思いだすな」(第15巻)

 
果してこのスーパー・ハードボイルド・マンガを少女マンガと呼べるだろうか?いいや、呼べまいて!全少年マンガを見渡しても、ここまでアクションシーン連発のジェット・コースター・マンガはないんと違うやろか!?特にニューヨーク地下鉄での決闘シーン。自分は体内のアドレナリンが1トンは分泌された。後半の傭兵部隊との凄絶なバトルも、ハンパじゃない緊迫感ッ!
 キャラの存在感も際立っている。主役のアッシュは当然として、脇を固める顔ぶれ(ショーターやシン)が、最高にいい味を出している。人間兵器ブランカも超クール。リバー・フェニックス主演で映画化する話も出ていたが、彼の死で立ち消えになったのは残念(ディカプリオじゃ童顔すぎるし、キーキー声だからなぁ)。アッシュについての語りはネタバレになりそうなので下記にて。

【ネタバレ文字反転】
僕は…辛くてたまらない!エージから贈られた日本行きの航空券をもって血を流すアッシュ。アッシュの人生はやっと今から始まるとこだった!彼は生まれて初めて誰かを心底必要とする自分を発見したその矢先だった!わーん!これほど死がフェイクで本当は生きていたという展開を切に願った作品はない。普通そんな展開はヒンシュクだけど、アッシュに関しては別だ!もっと生きて世の中を体験して欲しかった。そしてどう生きるか知りたかった!死んでしまったら、もうこの次がないじゃないか!マンガの虚構の人物なのに、この喪失感は何だ!?アッシュの代わりはどこにもいない。ウオ〜ン、オロロ〜ン。

 とにかく、渋い名セリフがテンコ盛りだし、米国議会、軍部、マフィア、少年ギャングと、物語を構成するメンツは超ゴージャス。シネマ・ジャンキーの自分は映画の擁護者だけど、ここにハッキリと言っておく。このマンガを超えるエンターテイメント・ムービーはこの世に存在しないと!(そこまで言うぞ!)まだ未読の野郎ども、とっとと読みやがれ!!

「あいつ(エージ)がそばにいてくれると…あいつの誠実さやあたたかさがどんどん俺の身体に流れ込んできて、俺を満たしてくれるのが分かった」(第18巻)
「それはもう…たとえようもないくらい壮絶な孤独でした」(第19巻)

 

10.逆境ナイン('88)〜島本和彦
「勝てるか勝てないかの問題じゃない…絶対に無理でも勝たなければならないんだ!!!」(第1巻)
「星か…この宇宙のどこかでは今もお互いの星の運命をかけて壮大な宇宙戦争が行われているんだろうなぁ…それに比べりゃ、たかが野球!まだまだ…まだまだ…!どうにでもなるさ…!なあ、宇宙よ!!」(同上)
「突き進んでいる時は振り返るな!!優勝旗を手にした後、好きなだけ振り返れ!!こまい逆境なんかに、いちいち全力でブツかっていたらどうなる!?時間は限られている、どでかい目標に向かっている時はいちいち構うな、振り払って進んじまえっ!」(第3巻)
「男の魂、充電完了!!ぐおおおおおお!!」(第4巻)
「来た!来やがった!!これは、いつもの“あれ”だ!!逆境だ!!」(第5巻)
「飛行機があれだけ高く飛べるのは、凄まじいばかりの空気の抵抗(逆境)があるからこそなのだ!!」(同上)
「井の中の蛙、大海を知らず…確かに蛙は大海を知らなかったかもしれない。だが、“通用しなかった”とは言ってない!!」(第6巻)
「きたきたきたっ!これが逆境だっ!!俺たちはこれを待っていたんだ!!」(同上)


 伝説の超熱血野球マンガ『逆境ナイン』!1988年、日本一熱いマンガ家・島本和彦の野球スポ根ドラマ『逆境ナイン』の連載が始まった。破天荒なストーリーと、ケタ違いにパワフルなキャラクターの魅力(主人公の名は“不屈闘志”!)が炸裂し、その面白さは同業の他のマンガ家からも絶賛された!
※もっと熱く!もっと詳しく!

「逆境ナインは、僕が一番影響を受けたかもしれないマンガです」(うすた京介/すごいよマサルさん)

 

 
島本先生の公式サイトで通販のカレンダーを購入したところ、なんと先生の生サインが!
07年に06年のカレンダーを買ったので「2007ですが」と島本先生のコメント。いいんです!
カレンダーの機能なんかより、先生の「言葉」に会いたかったんですから!(☆o☆)

11.マーズ('76)〜横山光輝

「ぼくは明日地球を爆破するかどうか決断を迫られているんです。」(愛蔵版第1巻)

 同種族で殺しあう人類という生物。原爆、水爆と絶滅兵器を争って作る狂気。その好戦的な性質に寒気を感じた異星人たちは、宇宙の平和を守るため地球に惑星消滅装置をセットする。その装置とは、神体と呼ばれる6つのロボットと、超自爆爆弾を搭載した最強ロボ・ガイアーだった。6神体は人類の兵器レベルの進歩に応じて目覚めるようになっていたが、核が使用されたことで一斉に全神体が目覚めた。主人公の青年マーズはガイアーに自爆を命令できる宇宙人。彼は「人類すべてが悪しき者ではない」と、ガイアーを駆使して6神体と対決するが、実は6神体が全滅すればマーズの命令とは関係なくガイアーの超自爆爆弾も作動するようプログラムされていた!切迫した状況で、果たしてマーズはどう闘うのか!?

 自分が書くのはここまでだ。この続きは各自で読んで欲しい。“果して人類には守るべき価値があるのか”というテーマはデビルマンに通じるものがある。ミステリー仕立ての重厚なSFドラマだ。登場する神体のデザインもメチャクチャ魅力的!特に土偶型神体と吹雪を起こす神体ウラヌスは、登場シーンのカッコ良さに総毛立つ。ストーリーとは別の感動がそこにあった。メカを見ているだけで失神できるなんて、このマンガだけ!

 

同11.陰陽師('93)〜岡野玲子&夢枕獏

「おぬしは死ぬのが怖くないのか?」
「さあてな…どうだろう…しかし覚悟は出来ているのだよ。つまり常にいつでも何事に立ち向かう時でも俺の準備は出来ているということなのだ。それが俺の礼儀なのだ。何に対してのか。俺に生命を与えたものと、俺の生命を奪いに来るものへの礼儀なのだ。」(第10巻)

「優しさや素朴さは鬼にとっては恐ろしいものなのだ。鬼との約束を守ることもだ。優しくされたり、約束を守られたら、相手を怨むことができなくなる」(第4巻)

 
絵の美しさに息を呑みっ放し。どのコマも額縁に入れてルーブルに飾りたい。ストーリーも格調高く、セリフは文学的だ。とりわけ素晴らしいのが第4巻の冒頭12ページ分。鬼や盗賊が音楽(笛の音)に心を打たれて動けなくなるのだ。悪鬼の魂さえ浄化させる音楽の調べ。読んでると、聴こえぬ筈の音が画中から流れてきた。わずか12ページに、映画一本分のドラマがあった!こういう作品に出会うと、ほんと、長年マンガを読んできて良かったと思う。※それにしても純真な源博雅は、自覚なしに魔物の魂を鎮めてしまう点で、マンガ史上最強のキャラクターかもね。
 まだ未完なので11位だけれど、終わり方によってはさらにアップする可能性大!

 

12.日出処の天子('80)〜山岸凉子

「か、神なのか、このお方は!?」(第7巻)

 
“エスパー聖徳太子を主人公にした古代サイキック・サスペンス”といえば訳が分からんが、実際はそこに同性愛と近親相姦が絡んでさらにフクザツ。その上、妖怪まで出てくる(天女をあんなに恐く感じたのは初めて)。これまでずっと「大化の改新」などで蘇我氏には悪役ってイメージがあったけど、毛人のおかげですっごい親近感が湧いてしまった。やがて滅ぼされる一族と読み手は知ってるだけに、繁栄が描かれても“もののあはれ”を感じずにはいられない。(それにしても、昔は次々と天皇が暗殺されるので驚いてしまう。御先祖が村人Aでよかった…)
 強がっている人間が思いがけず見せる涙ほど、人の心を打つものはない。そのことが良く分かる物語だった。
 セリフが美しく、伏線が何層にも重なる質の高い少女マンガに触れると、見てくれは立派だが単純なセリフしか出てこない少年マンガは、なんとも底が浅く思えてしまう。少女マンガを見習って、友情・努力・勝利以外のものも描かねば。

 

13.風の谷のナウシカ('82)〜宮崎駿
「腐海が神罰だとするなら、人間よりはるかに古い生命の歴史を持つ、草木や鳥まで滅ぼす必要はないではないか」(第1巻)
「あの方が奴の喉に溢れた血を…毒の血と知ってるのに、口で除いて下さったんです」(第3巻)
「クシャナが歌ってやがる!?冗談じゃねえ、こんな時に…」(第4巻)
「たとえ私たちが汚れそのものだとしても、何故その為に木々や鳥や蟲たちまでが苦しまねばならないのでしょう。蟲たちだってたくさん死にます。王蟲たちの苦しみや悲しみは誰が償うというのです」(同上)
「(王蟲の声)小サキ者…オマエヲイツモ近クニ感ジテイタヨ。ワレ等ハココデ森ニナル…」(第5巻)
「ナウシカ守るため財産捨てた!!」「蟲使い蟲捨てた!!」(第7巻)
「そなたが光なら、光など要らぬ!」(同上)

 
ラストに一筋の光が射す映画版と違って、このマンガ版は非常に暗く、そして重い。ハッピーエンドと呼ぶにはあまりに説得力がない。しかし、とってつけたような解決策をラストに用意するよりも、ずっと作品世界がリアルに感じられるのは間違いない。
 全編を通して描かれるナウシカの誠実さは、読み手の心から不純物を取り除き、魂を透明にしてくれる。彼女が描かれているコマを見るだけで、気持ち良い風に吹かれている気がした。
 
ベストシーンは第3巻前半で瀕死の兵士がナウシカのことを母親と間違える場面だろう。あれはたまらん…。それからクシャナの親衛隊達の忠誠ぶりも思い出しただけで泣けてくる。宮崎さんのペンは部下の一人一人の顔をなんとも言えん素朴な温かいタッチで描いていた。ウルウル。

「立派な木。千年以上生きてる…ここならテトもきっとさみしくない。やがて木の一部になって…風や訪れる鳥達を感じるわ…」(第7巻)

 

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★07年3月に放映された宮崎駿監督のドキュメント(NHK『プロフェッショナル・仕事の流儀』)がすごく良い内容だったので紹介!
カメラ嫌いの宮崎監督が“取材者は1名”という条件で撮影を許可した100日間の密着映像。当初はジョークを言ったり機嫌良く飛行機を描いていた監督が、次回作の『崖の上のポニョ』の構想を練り始めると言葉数が減っていき、やがて鬼気迫る形相となり、最後は半ば取材拒否の様な雰囲気で番組が終了する。その緊張感あふれる日々を包み隠さず放送していた。監督は映画の出だしをどうするかで悩みに悩んでいた。コンセプトを書いては「違う。違うぞ」と頭を掻きむしって紙を破り捨てる「何かうまく定まらない。漂流してるような気分だ」。“これだけ名声を得たのになぜまだ大変な映画作りを続けるのですか”という質問には次のように答えた。「名声なんて何処にあるんですかね?僕自身とは全然関係ないものですよね。幻影だと思います。(作るのは)それによって自分が存在しているからです。だから今どうであるかが大事なんですよ。かつて何を作ったかなんてどうでもいいことなんです。それはもう終わっちゃったことなんだから。直せる訳でもないしね。直したいとも思わないし。その時はそうだったんです」。 監督は新作でアニメの新たな表現方法を模索していた。きっかけは06年に英国のテート・ブリテンで出合ったラファエル前派の絵画。中でもミレイが描いた『オフィーリア』(1852)の実物を見て、徹底して細部まで描き込まれた画面、光で表情を変える油絵の質感に衝撃を受けた。「(150年前に)彼らが全部やってたことを、下手くそにやってんだって思った。驚嘆した。ああ、俺たちのアニメーションは今までやってきた方向でこのまま行ってもやっぱりダメだって、もうこれ以上行きようがないって分かった」。

取材は続くが、相変わらず絵を描いては捨てる日々。「違う。ダメだね。違うことだけは分かっている。才能も日々摩耗していくもんだから。どこが違うかなんか分かんないだよ」「正直に作んなきゃいけないんですよ。裸になって、本当に。“これは娯楽映画だから”って作っていても、実はその人間の根源的な思想がよく出てしまうものなんです。出すまいと思っても出ちゃうんですよ。それで隠して作るとしっぺ返しが本人だけに来るんですよ。正直に作らなかったというしっぺ返しが来るんです。自分にダメージが来るんですよ。(そうなったら)映画が作れなくなりますよ」「理想を失わない現実主義者にならないといけないんです。理想のない現実主義者ならいくらでもいるんです。理想がない現実主義者って、最低ってことだからね。(ジブリを)そういう現場にしたくないんですよ」「限界はね、毎日ひたひたと感じてますよ。なんてこんなに遅々とした歩みなんだろうって。しょうがないよね。出てくる蛇口が細くなってる」。
ゲド戦記の試写会では1時間が経った時点で席を立った。「気持で映画を作っちゃいけない。3時間くらい座ったような気がする」。タバコを一服後、再び館内に戻る。上映後、ロビーで押し黙る監督。険しい表情、長い沈黙…。「何を聞きたい?」「感想を…」「僕は自分の子供を(画面に)見ていたよ。大人になってない。それだけ」。その夜。「初めてにしてはよくやったというのは演出にとって侮辱だからね。この1本で世の中を変えようと思ってやんなきゃいけないんだから。変わらなくてもそう思ってやるのが映画を作るってことだ」。

ジブリの新作映画『崖の上のポニョ』の準備作業が大詰めを迎えた頃、宮崎監督は瀬戸内に1週間部屋を借りて一人で滞在した。身辺を包む張り詰めた空気。もう笑顔もジョークもない。庭をスケッチする監督は「こんなの撮るなよ。仕事じゃないんだから。もう今日は取材やめなよ」と苦言。監督は本格的なアニメ制作に入ると自らを極限に追い込んでいくという。海を見に行く監督の姿をカメラが追う。取材者は孤独に浸っている監督に質問をして“デリカシーがない”と怒られた。「一番人間が孤独でいる時に声をかける必要は全然ないんだよ。それをどういう風に撮るかってのがカメラを持っている人間の仕事なんだよ。なのに“どういう気持なんですか?”って君は聞くだろう!?」。監督が部屋に戻ると、取材者は時間をおいて「孤独になるのは作品を作る上で絶対に必要なんですか?」と切り出した。「僕は本来、不機嫌でいたい人間なんです。自分の考えに全部浸っていたいんです。だけどそれじゃいけないと思うから、なるべく笑顔を浮かべている人間なんですよ」(この間、監督はベートーヴェンの「悲愴ソナタ」を聴いている)「みんな、そういうもの(孤独)を持っているでしょう。その時に優しい顔や笑顔を浮かべていると思う?映画はそういう時間に作るんだよ。映画が近くなって来たらどんどん不機嫌になるさ。さあ、もういいだろう」。瀬戸内での取材は強制終了となった。番組の最後。完全に顔つきが変わった監督がジブリで絵コンテを前に「違う…うまくいかん」と苦闘。その眼光は恐ろしいほど鋭い。鬼と化した66歳。その中で、ついに映画の最初のカットが完成する。100日目、短い「お疲れ様でした」の言葉だけでお別れ。“映画の完成予定は来年の夏だ”というナレーションで番組は終わった。
本当に、よくここまで撮れたと思う。ある意味、ピリピリした空気が読めない(?)取材者だからこそ、宮崎監督の『孤独』を映像として残すことに成功したと思う。アカデミー賞に輝いた世界的アニメ作家の、とてつもない“産みの苦しみ”を目撃した貴重な1時間だった。『崖の上のポニョ』、公開が楽しみデス!


14.百億の昼と千億の夜('77)〜萩尾望都&光瀬龍
 プラトンとブッダと阿修羅を主要キャラに持ってきて、そこにユダをからませるなんてスゴイ!もうこのチャレンジ精神だけでもベスト入りだッ!
以下、シッダールタ(ブッダ)と阿修羅王のトーク・バトルから

(仏)「弥勒(※ミロク、未来仏)は救世主なのだ!56億7千万年後の末法の世に現れて…苦しむ人々を救い、素晴らしい楽園を人類に与えるという」
(阿)「…ではいったい、56億7千万年後に何が起こるというのだ?末法の世が来るという…?末世に至るほどの出来事とは何か?それほどの破滅とは一体なんであるか?想像がつくか?」
「…それは分からぬ…私のような者には…」
「弥勒は知っている!でなければ、こうも大口がたたけるものか!」
「…弥勒ならば知っていよう。だから救済を…」
「…では!なぜ弥勒は説明しない?どんな末世が来るものか!どんな破滅が起こるのか!なぜ弥勒は黙って自分の出番まで待っている!?説明したがいい!ついでに救いの方法も説いたがいい!まこと、救いの神ならば、破滅の到来をこそ防ぐべきだ!」
「…それは」

「ほ、それは?」
「それはきっと、まだ破滅が来ていないからだ」
「ハ!ハハハハ!これが末世だ、見るがいい!何を見て来たシッダールタ!」


別のシーンでユダの独り言から
『(最後の審判後に楽園が来るという予言について)…もしこの世が最後の裁きを必要とするのならば、この世は滅びの道にこそ、さだめがあるものなのか?』
そしてユダは次の言葉をうめく。
「…イエスを、捕らえて下さい!」

 
このマンガで切実に問われているテーマ、すなわち仏教の予言でもキリスト教の予言でも、人類救済の条件として、世の破滅の到来が必至になっていることへの異議申立ては、まさに自分が10年来こだわってきたことなのだ。“まこと救いの神ならば、破滅(終末)の到来をこそ防ぐべきだ。神とは裁くものではないはず。全ての人間を許したもうのではないのか!”この思想に自分は全面的に賛成だ。自分はブッダもキリストも大好きだが、その背後にいるものとは現在戦闘状態にある。

「すべてが終わった。もはや、世界には最後の審判のために裁かれる者すらいない」(阿修羅王)

 

15.アドルフに告ぐ('83)〜手塚治虫
「誰も彼も…日本中の人間が戦争で大事なものを失った…・それでも何かを期待して精一杯生きてる人間てのは素晴らしい」(愛蔵版第2巻)
『アドルフに告ぐ……イスラエル軍24師団382部隊所属アドルフ・カミル中尉に告ぐ。二人だけで話をつけたい。これを読んだら次の土曜の昼、ジザール高原のナビ地区へ独りで来い。男なら卑怯な真似をするな。〜アドルフ・カウフマン』(愛蔵版第4巻)


 
第二次世界大戦を舞台にしたシリアス・ドラマ。“ヒトラーはユダヤ人だった”という機密文書を巡って、様々な人物の数奇な運命と、その人生遍歴を描く。
 それにしても、作品全体からほとばしるこのパワーは一体何なんだろう!?あらゆるマンガ家は、この作品を読了後、無口になってしまうだろう(なんの言葉が出ようか!)。物語に感銘を受けた人も、そうでなかった人も、作者の気迫が全身に伝わってきたはず。スタートからラストまで、無駄なページが1ページもない。よくぞ人間の狂気と愛をここまで描ききったものだ!

 

16.北斗の拳('83)(ラオウ編まで)〜原哲夫&武論尊
「なぜだよ、なぜそんな男(シン)に墓を作ってやるんだよ」「同じ女を愛した男だから」(愛蔵版第1巻)
「おやじ…や…やつらが…やつらやつら…つらつらつららら、らあ!!」(愛蔵版第3巻)
「ジャギ!!貴様には地獄すら生ぬるい!!」(同上)
「マミヤ…どこまでも哀しい女よ。ならば、お前の為だけに死ぬ男が一人ぐらいいてもいい」(愛蔵版第5巻)
「サウザー!貴様の髪の毛一本もこの世には残さぬ!」(愛蔵版第6巻)
「その全身に浴びた返り血が…お前の涙に見える!!」(愛蔵版第7巻)
「わが生涯に一片の悔いなし!!」(愛蔵版第9巻)


 経絡秘孔を突く事で肉体を内部から破壊する世界最強の暗殺拳“北斗神拳”伝承者の戦いを描く。いきなり脱線するが、自分は失恋の度に『聖帝サウザー理論』を採用して復活してきた。彼はこう吠える「愛ゆえに人は苦しみ、愛ゆえに人は悲しむ。愛がこんなに苦しく悲しいのなら…愛などいらぬ!!」。おかげで強くなりました、ハイ。しかし、これに対抗する強力な理論もある。即ち、“美は美だ”というユダの『イチコロ水鳥拳の法則』だ。
 
身の上話はこれくらいにして、北斗の拳、スゴ過ぎ。「強敵」と書いて“とも”と読ませる超男気マンガ。敵が単なる悪ではなくて、トラウマを抱えて生きているのが、読者の心を掴むツボと見た。シンなんか惚れた女の人形まで作ってたもんなぁ。作品全体を通して、戦闘シーンだけでなく、ファッションもイカしてた。
※それにしてもラオウやフドウ、ちょっとデカ過ぎ!ラオウの馬・黒王号なんかザクよりでかいぜ!?
※口だけで実力のない男を指すとき「風のヒューイより弱い」というたとえが当時流行った。
※「実は私、濃い絵を描きすぎたのか目の病気で片方の目がちょっと見えないんです。でも漫画は描きますよ。手塚先生とか見るとこのくらいで弱音吐いてはダメだと思っています」(原哲夫)

悪党の断末魔名言集10→「あべし」「ひでぶ」「たわば」「ちにゃ」「もぽえ〜」「あわびゅ」「なにをぱら」「いってれぼ」「俺じゃないるれ…ぱっびっぶっぺっぽおっ!」「やめてとめてやめてとめて!とめった!」

 最後に、自由を愛した雲のジュウザ最高!!

 

17.ハチミツとクローバー('02)〜羽海野(うみの)チカ

  
   左から、山田、はぐ、真山、竹本、森田

「一度はぐになって、はぐの目で世界を見てみたい。どんな風に見えるんだろう、ってね」(第1巻)
「女子のアンケートで“こーゆーヤツはNG”とか、“こーゆーのはサイテー”とか言ってても、本当に女子が一番イヤがるのは“そーゆーのに振り回される男”なんだよな」(同上)
「森田さんがモテるのは“他人の言葉に惑わされないから”。けれど彼女が出来ないのは“他人の言葉に全く耳を貸さないから”。まさに美点と欠点は紙一重」(同上)
「5月病というモノがあるが、それでいうならこの気分は多分、12月病だ。なんでかは解らないのだけれどアセるのだ。この色トリドリの電飾や鈴の音。“お前は今幸せか?”“居場所はあるのか?”と問い詰められているような気持になるのだ」(同上)
「誰も、誰かの代わりにはなれん」(第2巻)
「歯、磨きながらチョコ食べてるみたいな気がしてきますよね…チョコミントって…」(同上)
「こ…これじゃもう、プレゼントっつーか、すでに罰ゲームです!」(同上)
「(恋を)“あきらめる”って、どうやればいいんだろう。“あきらめる”って決めて、その通りに行動するコトだろうか。そのアトの選択を全て“だってあきらめたんだから”で自分の本当の心から、逆へ逆へと行けばいいんだろうか。そしたらいつか、あの茶色い髪の匂いも、冷たい耳の感触も、シャツの背中の温かさも、ぜんぶ、ぜんぶ、消えてなくなる日が来るんろうか。こんな胸の痛さとかも、ぜんぶ、ぜんぶ、あとかたもなく?…まるで無かったみたいに」(同上)
「真山ァっっっっ!」「ギャーッ!」「好きだぁあああ!どっせーい!」「ギャー!」(第3巻)
「桜の花が好きだ。でも何でだろう、散ってしまうとホッとする。消えていくのを惜しむ、あの切ない気持から解放されるからだろうか」(同上)
「ありがとう、あゆ。大事にするよ…でも父さんにコレはちょっぴり派手じゃないかな」「さよならプックン…ありがとうプックン…」(同上)
「恋って難しいね」「ホントにね」「わーん!」「わー山田、ちょっと待てスマン、確かにオレ今…ちょっと何か踏んだかも」(第4巻)
「ベランダに出ると、折れたシソが自分の重さに耐えかねて、土の上でのたうっていた。これは折れた所でちぎるしかなかった。そこでちゃんと区切りをつけて新しく枝を伸ばすより他に無かったのだ」(同上)
「誰かが夢の中に出てくるのって、相手の“逢いたい”ってキモチが体を抜けて夢の中まで飛んでくるからなんだって」(同上)
「ある日、電車に乗っていてヒマだったので、携帯のスケジュールを見ていたら、2099年まであった。2099年の自分の誕生日は日曜日だった。その日になったら鳴るようにアラームを設定してみたけれど、間違いなくその頃自分はもうこの世にいないだろう。そしてふと思った“ああ、自分もいつか死んだなぁ”と」(同上)
「山田は…だから…今時珍しい…なんつーか、色んなコトに免疫の無いコなんです。遊び半分でちょっかいとか出さないで下さいよ!?」(同上)
「さて問題です。この特製キノコカレーはコクを出す為にあるモノを隠し味で入れています。それは何でしょうか。答えはチョコレート。意外でしょ?さっ、いかが?」(同上)
「なぜ迷うか。地図が無いからじゃない。オレに無いのは目的地なんだ」(第5巻)
「うおおおやりおった!まさに青春!盗んだバイクが走り出しそうじゃ!本作品はこの“破壊”をもってついに真の完成を見たんじゃあああ!竹本君万歳!100点差し上げるッ!青春万歳っ!」(同上)
「自分の幸せを願うということは、自分じゃない誰かの不幸を願うことと、オモテウラのセットになっている時があって、だとしたら、じゃあ私は、いったい何を祈ればいいんだろう」(第6巻)
「お前気づいてないから言っとくが、お前はすげー幸せな人間だ!!」(同上)
「神さま、やりたい事があって泣くのと、見つからなくて泣くのでは、どっちが苦しいですか?」(同上)
「似過ぎてるからヤバイっつーの!これじゃあもう既に“お父さんの似顔パン”じゃなくて、“お父さんの焼け焦げた頭部”だよっ!」(同上)
「なぁ野宮…人生って何なんだろうな…」「そーだな…わかったらまず真っ先にお前に知らせるよ…」(同上)
「(ぐーっ)すげえ…腹なってるよ。泣きそうなのに」(同上)
「オレはずっと怖かったのだ…未来が見えないことが。自分がどうしたいのか分からないことが。それが何故だかも分からないことが。…そして、それでもようしゃなく流れる日々が」(同上)
「愛し愛された想い出が彼女をしばる。やわらかく耳をふさぐ。彼女が住むのは多分この夕暮れみたいに永遠に続く霧雨の国なのだ」(第7巻)
「先生もさみしくなったりしますか?」「ん?さみしいよ。でもただそれだけの話だよ。こう波みたいにガーッときて、かと思ったら、すーっとひいて、それがずっと繰り返し続くだけさ。時々大波が来て心臓がねじ切れそーな夜とかが周期的にやって来たりするけどね。ま、そんだけの話。命に別状はないよ」(同上)
「誰かが喜んでくれる顔を見るのはとても嬉しい。喜んでもらえると何だかとても安心する。人の役に立ってる気がすると、すごく落ち着く。不安が消える」(同上)
「不幸自慢禁止。お前だけじゃねぇ。みんな事情はある。…が、腹に収めて頑張ってんだよ。キリがねえんだよ。そこ張り合い始めたら。全員で不幸めざしてヨーイドンだ。そんなんどこにイミがある!?」(同上)
「迷うなら迷う、走るなら走る。答えなんざどーでもいい。ハナからそんなものはねーんだ。“自分で本当に気の済むまでやってみたか”どーかしかないんだよ」(同上)
「親が子供に教えなければならないのは“転ばない方法”では無く、むしろ人間(ひと)は転んでも何度だって立ち上がれるという事じゃないか!?」(同上)
「気づかなかった。まさか自分の家のドアが“どこでもドア”だったなんて。ドアをあけて外に出れば、どこへでも行けたんだ」(同上)
「特技・自分探し3級」(同上)
「一昨年のオレは確かに七合目までだった!だが、しかしっっ!今年のオレは頂上を極めるっっ!」(同上)
「“ふり返らないで僕はどこまでゆけるんだろう”そんな風に走り出したその理由を…やっとわかった。多分僕は、背中から遠ざかる自分の全てをどれだけ大事か思い知りたかったんだ」(同上)
「あなたが他の人をどれだけ大事にしていても、それを見せつけられても、ポキリと折れずに生きて行けるように。しっかり食べて、ちゃんと寝て、キチンと起きて、せいいっぱい仕事して。私の心がぐしゃっと潰れないように」(第8巻)
「(告白後)って何オレ正直にぶっちゃけてんの!?あ…あっれ〜!?お…おっかしいな〜あっれ〜」(同上)
「飲もう。山田さん」(同上)
「長い、長い、長い、私の恋。神さま私は救われたくなんかなかった。ずっと真山を想って泣いてたかった。10年でも20年でもずっと好きでいつづけて、どんなに好きか思い知らせたかった。…そんなコトに何もイミがないのも解ってた」(同上)
「人生が何の為にあるのかって、大事なひとの手をこういう時に強く握るためなんじゃないのか?」(第9巻)
「もしも私が描く事を手放す日が来たら、その場でこの命をお返しします」(同上)
「何かを残さなきゃ生きてるイミがないなんて、そんなバカな話あるもんか。生きててくれればいい。一緒にいられればいい。オレはもう、それだけでいい」(同上)
「いいよ…返さなくていいよ。全部やるよ」(第10巻)
「雨の音が好きだ。すごく落ち着く。まるで優しく手当てしてもらってるみたい。山も木も草も屋根も、そして私も…。ああそうだ、雨だ。修ちゃんは雨に似てる。姿を見るだけでほっとする…泣きたくなってしまう」(同上)
「あーフラれました!フラれましたが何か!?」(同上)
「(生きる意味が)“恋愛”の人間もいれば好むと好まざるとにかかわらず、何か“やりとげねばならないモノ”を持って生まれてしまった人間もいる。どっちが正しいとかは無くて、みんなその瞬間はもう本能にジャッジを委ねるしかないんだろうな」(同上)

 どんなに愛しても相手が他の誰かに惚れて自分に振り向いてくれない時、その想いに意味はあるのか?--“全員片想い”マンガ『ハチミツとクローバー』。アニメ化、DVD化と、非常に人気がある少女マンガ。支持されている理由が知りたくて手に取ってみた。クーッ、大ヒットにナットク!竹本、はぐ、森田、真山、山田の5人の若者の青春と、彼らを見守る周囲の大人の温かい眼差しを描いた傑作。各エピソードの最後は切なさ全開の詩(モノローグ)で締めくくられ、読後も余韻となって心に響く。文学とマンガが融合したような作品。「雨の音が好きだ。すごく落ち着く。まるで優しく手当てしてもらってるみたい。山も木も草も屋根も、そして私も…」。この世界観が心地良い。

 青春を描いたマンガといえば高校生活が主流だけど、ハチクロは大学(美大)が舞台。物語の進行と共に学生生活は終わり、就職活動を経て社会に出て行く。誰かと時間を過ごしている時、それが奇跡のような瞬間とは分からないもの。時が流れて過去を振り返った時に、よく巡り会えたものだと実感する。特にこのマンガのように、5人もの気の合う仲間が一緒にいられるのはごく限られた期間だ。そのかけがえのない時間が全10巻に収まっている。
5人が直面するのは「恋愛」と「自分探し」。恥ずかしくなるような青いテーマに、作者は正面からガップリヨツで組み合っている。描かれる登場人物は、脇役も含めて思いやりのある優しい人ばかり。これほど善人ばかり登場するマンガも珍しい。しかもそこに善意の押し付けはなく、見返りが目当ての同情もない。シリアスな場面と爆笑ギャグのバランスも絶妙だ(5巻の花見、6巻のお父さんパンは腹筋がちぎれそうになった!)。

 「5月病というモノがあるが、それでいうならこの気分は多分、12月病だ。なんでかは解らないのだけれどアセるのだ。この色トリドリの電飾や鈴の音。“お前は今幸せか?”“居場所はあるのか?”と問い詰められているような気持になるのだ」。孤独感に押し潰されそうだった若い頃、僕もクリスマスが辛かったので、1巻目にこの言葉が出てきた時から、作者にモーレツな親近感を持った。しかし1巻はまだ普通の学園マンガと大差が無く、主人公が5人もいて誰に感情移入すればいのか分からず、雑然として読みにくい。だが、ここで読むのを止めないで欲しい。巻を追うごとに面白さが増していき、3巻あたりから内容も心理描写もどんどん深くなり、読み続けて本当に良かったと思える素晴らしいラストが待っている。
キューティーコミック、ヤングユーと掲載誌が2度も休刊となり、月刊コーラスへの移籍後ついに完結を見た本作品。それこそ、作者はこれを描きたくて執念でペンを握ってきたのかと思える、マンガ史上に残るラストシーンだ。あれだけ個性的な5人のキャラなら、20巻以上でも物語が続けられるのに、スパッと10巻にまとめあげた構成力、当初の構想通りに描き切ったら人気絶頂でも“おわり”と書いてペンを置ける作家性もスゴイ。

 僕が一番感情移入したキャラは“特技・自分探し3級”の竹本。「なぜ迷うか。地図が無いからじゃない。オレに無いのは目的地なんだ」、「オレはずっと怖かった…未来が見えないことが。自分がどうしたいのか分からないことが。それが何故だかも分からないことが。…そして、それでも容赦なく流れる日々が」、「(旅に出たのは)背中から遠ざかる自分の全てを、どれだけ大事か思い知りたかったんだ」等々、自分と向き合い続ける彼の真っ直ぐさは、マンガのキャラと分かっていても応援せずにはいられない。自転車での列島北上は、ずっと竹本に同行している気がした。北海道に入ってからは空の広さに目がくらみ、部屋の空気まで変わったみたいだった。個人的に目からウロコだった言葉は「気づかなかった。まさか自分の家のドアが“どこでもドア”だったなんて。ドアをあけて外に出れば、どこへでも行けたんだ」。忘れられない1コマは、お腹がグーッて鳴った時に竹本が呟いた「すげえ…腹なってるよ。泣きそうなのに」。これってほんと、心とは関係なしに身体は懸命に生きようとしているのが分かる、素晴らしい描写だと思った!
※山田の「神さま、やりたい事があって泣くのと、見つからなくて泣くのでは、どっちが苦しいですか?」も切実だったなぁ。

 ハチクロ大人気の理由のひとつに、片想いで苦しむキャラへの激しい共感があるのは間違いない。愛する人が自分に振り向いてくれないばかりか知人に惚れている時、相手が幸福になるのに、なぜ恋の成就を笑って応援してあげられないのか。
「(恋を)“あきらめる”って、どうやればいいんだろう。“あきらめる”って決めて、その通りに行動するコトだろうか。そのアトの選択を全て“だってあきらめたんだから”で自分の本当の心から、逆へ逆へと行けばいいんだろうか。そしたらいつか(想い出が)ぜんぶ、ぜんぶ、消えてなくなる日が来るんろうか。こんな胸の痛さとかも、ぜんぶ、ぜんぶ、あとかたもなく?…まるで無かったみたいに」。
相手が惚れてくれないからといって、大切に想う気持を捨てなければならないのか。困った時に助けてあげたい、守ってあげたいと思い続けてはいけないのか。「自分の幸せを願うということは、自分じゃない誰かの不幸を願うことと、オモテウラのセットになっている時があって、だとしたら、じゃあ私は、いったい何を祈ればいいんだろう」。

 あるキャラはベランダのプランターの中でシソの茎を見て思う「折れたシソが自分の重さに耐えかねて、土の上でのたうっていた。これは折れた所でちぎるしかなかった。そこでちゃんと区切りをつけて新しく枝を伸ばすより他に無かったのだ」。彼女は新しい恋を始めようとしない…これまでの愛が軽いものと思いたくないからだ。「長い、長い、長い、私の恋。神さま、私は(新しい恋で)救われたくなんかなかった。ずっと相手を想って泣いてたかった。10年でも20年でもずっと好きでいつづけて、どんなに好きか思い知らせたかった」--この心の叫びは、トコトン誰かを愛したことがある人は、細胞レベルで共鳴せずにいられないだろう。
そして彼女は自分と戦う。戦い続ける--「あなたが他の人をどれだけ大事にしていても、それを見せつけられても、ポキリと折れずに生きて行けるように。しっかり食べて、ちゃんと寝て、キチンと起きて、せいいっぱい仕事して。私の心がぐしゃっと潰れないように」。

 最後に特筆したいのは、本作品が煩悶する若者だけでなく、花本先生、野宮、リカなど大人たちの不器用さも描いていること。大人になったからって魔法のように何でも解決できるわけじゃなく、大人なりの悩みを皆が抱えている。でも人生経験がある分、若者の誰かが苦しんでいると、ちゃんと気づいていて自然にサポートしてあげる。大人の僕が言うのも何だけど、大人がちゃんと頼もしいのがハチクロの魅力でもある。美和子さんの「飲もう。山田さん」の短い言葉で涙が滲むのは、学生ではなく大人の言葉だから。--「先生もさみしくなったりしますか?」「ん?さみしいよ。でもただそれだけの話だよ。こう波みたいにガーッときて、かと思ったら、すーっとひいて、それがずっと繰り返し続くだけさ。時々大波が来て心臓がねじ切れそーな夜とかが周期的にやって来たりするけどね。ま、そんだけの話。命に別状はないよ」(第7巻)。

以上、ハチクロは少女マンガだけど、男側の心理描写も多いので、ぜひ男性にも読んで欲しい作品ッス!'03年に講談社漫画賞を受賞。
※何気ないセリフで青春時代を生々しく思い出し、いちいちページをめくる手が止まり、一冊読むのにすごく時間がかかりました(笑)。「親が子供に教えなければならないのは“転ばない方法”では無く、むしろ人間(ひと)は転んでも何度だって立ち上がれるという事じゃないか!?」…森田よありがとう!

【ネタバレ文字反転】
●ハチクロへは否定的な意見も耳にするので、ささやかな弁護を試みたい。

・「9巻の大ケガが突拍子過ぎる。最後は打ち切り前の漫画のように猛スピードで展開しすぎ」…それまでが平和な日々だったので、これには僕も読んでてビックリしたけど、実際の人生も突然こんな風に困難に直面してしまうから、その意味でこれもまた現実的だと思う。ハチクロは“打ち切り”どころか、高い人気を集めたまま完結を迎えた。慌てて終わらせたわけじゃなく、作者の創作エネルギーが最初から決めていたという結末に向かって加速していったわけで、ペン先にも“ハチクロを描き切る”という強い意志を感じた。9巻のあとがきに羽海野先生が書かれた『人が生きて行くには、やっぱり“大きな変化”は避けられないものであると同時に、“とても大事な事”でもあるんです。だって、そんな風に“乗りこえる”時にしかできない成長っていうのがあるから』という言葉は、はぐたちにも捧げられていると思った。

・「はぐは森田と一緒になって互いに切磋琢磨すべきだ。っていうか、修ちゃんオチはヒネリがない」…修ちゃんと一緒になったって森田とは互いに磨きあえる(現に1巻からそうだった)。修ちゃんのはぐへの愛はヒネリどーこーじゃなく、父性的な大きな“見守る愛”も立派に男女の愛だと思うし、恋愛マンガでは脇役的な保護者キャラの彼が選ばれたのは、充分すぎるほどヒネリがあると思うけどなぁ。修ちゃんは自分がはぐに選ばれなくても、彼女が出した結論なら、それが森田であろうと、竹本であろうと受け入れたと思うから、そんな痛々しい姿を見ずに済んで良かった。
一方、はぐが修ちゃんを選んだのも「もしも私が描く事を手放す日が来たら、その場でこの命をお返しします」(9巻)、「(生きる意味が)“恋愛”の人間もいれば好むと好まざるとにかかわらず、何か“やりとげねばならないモノ”を持って生まれてしまった人間もいる」(10巻)とある様に、恋よりも描くことを選んだ至って自然な流れだと思う。創作を支え続けてくれる人は修ちゃんなんだ。

・「山田&野宮や真山&リカのオチが説明不足」…それぞれ、すべて語られていると思う。むしろあれ以上描くと野暮じゃないかなぁ。

●ラストについて
 竹本は報われなかった恋であろうと、はぐと出会い充実した時間を送った。寮と学校の単純な往復ではなく、喜びだけでなく悲しみも含めて人生が豊かになった。
恋が報われなかった時、相手を恨む人がいる。なぜ受け入れてくれないのかって。その反応は違うだろう。相手と出会って恋をしていた時、笑顔を見ただけで元気になり、充実していたじゃないか。相手に値する人物になる為に向上しようと努力したじゃないか。報われなかったからといって、その日々が無駄であった訳がない。僕らは恋の苦しみを通して、それまで気づかなかった人の心のもろさなど色々なものを学ぶ。自分の繊細さを発見しそれに驚くこともある。素晴らしい時間をくれた相手に感謝はしても恨みはしない。誰も好きな人がいない砂漠のような人生よりも遥かに良い。ハチクロは竹本のセリフに始まり、彼のセリフで終わった。その意味で真の主人公は竹本かも知れない。『ハチミツとクローバー』というタイトルが最高に生きた、稀に見る感動的なラストシーンに拍手!
「オレはずっと考えてたんだ。うまく行かなかった恋に意味はあるのかって。消えて行ってしまうものは、無かったものと同じなのかって…。今ならわかる。意味はある。あったんだよここに。はぐちゃん…オレは、君を好きになってよかった」(第10巻)
※ハチクロって恋愛や自分探しだけでなく、森田兄弟のエピソードで復讐という行為の虚しさも描いてて、あれもまた大切なメッセージだよね。


同17.竹光侍('06)〜松本大洋&永福一成
「先抜け御免!」(第1巻)
「虫ケラどもなど捨て置きなされ。それより某(それがし)の槍を貴殿にぜひ見て頂きたいっ!」(同上)
「お前さまたちはお山の新芽とよう似とる。皆に出会え良かったに。」(同上)
「苦しゅうない。御輿大三朗、些事は気にせぬ。」(同上)
「正月十五日、夕刻より雪。立ち寄った飯屋、気に入ったので品書きを控えおく。茶飯十二文、御吸物五文、御雑煮三十文、刺身十五文、鍋焼き三十文」(第2巻)
「毎日お務め御苦労様って。私の為に風邪をこじらせては悪いので、これを食べて暖かくなさるように…と。」「おしっ!と。おじさん、帰るわ。宗さんによろしく言ってくれな。」(同上)
「今日で…しまいだね。(略)大丈夫だよ宗さん。あたしゃ慣れてんだ、こうゆうの。」(同上)
「宗一郎。これが、お勝が書く事のできる漢字、全てである。」(同上)
「りーりーりーりー」(同上)
「わたくし、帯刀いたさぬ決意をしました。」(第3巻)
「鬼なんぞ、この世にやいねぇよ。どれだけ非道な咎人(とがにん)でもなぁ…そりゃ人だ。」(同上)
「お前さんも良く辛抱したな、与左…立派だったぜ…」(同上)
「気が塞いだらあの人の事、考えんのさ。あたしのお天とう様なのさ。」(同上)
「おいっ!これはなんの真似だ、瀬能!?おめえも俺を馬鹿にするのか!?俺がどのような覚悟でおめぇと立ち合(お)うたか…!おう、瀬能っ!!俺がどのような覚悟で…(涙)」(同上)
「お山はほんとうによい所だねぇ。まるで夢のようだよう」(第4巻)
「足軽、山本半助はこの若き近習を少し気に入った」(同上)
「いつまで降らせりゃ、気が済むかっ、コラ!!子らが臆しておるだろうがっ!!」(第5巻)
「森佐々太郎は泣いた。人目もはばからず、ただひたすらしとどに…泣いた」(同上)
「大事になぞなろうはずない。あの者に、加減されたゆえな。稽古の相手にすらなれなんだわ。(略)己の器を知る事は不愉快なものですね、山本どの。実に堪え難い。」(同上)
「そういや茂吉、奴を知っとると言うとったな。」「ん〜、ああ…いや…人違いだ。」(同上)
「山はもう何も語ってはくれぬだろうな。」「なぜです?」「わたしが町の者になったからです。あれ程くさく思えた町の臭いも、今はすっかり慣れました。このような者を山は嫌います。固く閉ざし、何も語らぬでしょう。わたしを受け入れてくれぬ。山はもう…」「そのような事、ないっ!!お山がそのように、臍(へそ)曲がりであろうはずねぇよう。いつ宗さんが訪ねても語ってくれるにきまっとる。そうにきまっておる!!」(同上)
「法元、心良く墓所の片隅を使うよう言い、犬の為、念仏まで唱えてくれる。ヨシ坊が少し泣いた。」(同上)
「いよっ大三朗、日本一っ!」(第6巻)
「春の訪れに凍えた椋鳥が浮かれております。御容赦下さい…」(同上)
「頼む十三。あのお方を奪わぬでくれ!!かけがえのないお方だ!!かわりはおられぬのだ。」(第7巻)
「こうドッと来たところにズガッと当てるのだ」「しかし森様は腕は立つが教え下手だの。」(同上)
「矢場のお勝さんの所にいり浸っておったか?しさいありていにもうしてみよ。」(同上)
「極楽という所はまるで苦艱(くかん)のない所だ、と亡き母が申しておりました。柔らかい光に包まれ、慈悲に満ちあふれておるのだと…きわめて安楽な所であるのだそうです。」(同上)
「尽力いたそう。」「して下さい。」「はっ。」(同上)
「浮気なぞしたら許さぬ、と申しておったわ。」「オケキョ…」「かこーん」(同上)
「願わくば…十三様の意に従う森佐々太郎でありとうございました。」(同上)
「斬れ。岸で待つ連中にはお主に手を出さぬよう命じてある。哀れな遺骸を連中にさらす事で此度(こたび)の責を果たす事とした。」(同上)
「めしというのだ。おれが名づけた。美しかろう。この世でいっとう美しいものの名をつけた。」(第8巻)
「ああ…お父(ど)…稲穂がまるで玉のようだぜ…。あの雲を見て見ろ、お母(が)…あの雲が雨を連れて来る…」(同上)
「みっちゃん、わたしにもお団子。」(同上)


 江戸時代の長屋を舞台に、しみじみと人間の“情”を描いた傑作時代劇マンガ。主人公は何やら訳ありで故郷信濃から出てきた青年侍、瀬能宗一郎。彼は誰に対しても優しく、困っている人を陰でソッと助けてあげる良い男。子供好きで大の甘党だ(第1話で江戸に出るなり串団子を12本も食べている)。何にでも好奇心旺盛な宗一郎は、当初こそ“風変わりなヨソ者”として近所から怪しまれていたが、裏表のない善良さに気付いた連中はみんな宗一郎を好きになる。手習い所(私塾)で子供たちに読み書きを教え、宗一郎は下町で四季を感じつつ生きてゆく。
 彼自身はほっこり穏やかに生活したいと願っているが、剣を握った時は別人格に見えるほど異様な凄味がある。剣術の腕はピカイチであり、それが基で辻斬り退治、故郷からの刺客との対決と、剣を振う状況に置かれることもしばしば。とはいえ、愛刀“國房”は江戸に来てすぐ質入れしたので、差し物は竹光(竹の刀)であり人は斬れないのだが(笑)。
 松本マンガといえば少年を主人公にしたファンタジーやスポ根系が多いけど、本作品は江戸時代の青年侍という異色作だ。初の原作付きでもあり、そちらを書いているのは僧侶兼漫画家の永福一成。お坊さんが原作者という点でもユニークだ。
 優れたストーリーと共に『竹光侍』で特筆したいのは、独自の“絵柄”と効果的な“音”。松本大洋は輪郭を切り出すような木版画タッチの絵を得意としてきた。江戸と言えば浮世絵であり、氏の筆致は相性がバツグン!(実際、多くの浮世絵を見て勉強したとの事)。コマの枠線が全て墨で描かれているのも前代未聞だ。また、街灯のない江戸の夜は深い闇であり、暗さのリアルな表現にこだわった作者は、本作を描き始めるにあたって一時期ロウソクで生活したという。僕は一巻の冒頭から江戸の闇夜に呑まれた。
そして!『竹光侍』では“音”の重要性が他作品より際立っている。「り―― り――」といった虫の音や鳥の歌、猫の鳴き声など自然界の“音”が前面に出てきており、さながら音楽劇といっていいほど。現代と違って車や鉄道の騒音がない静かな江戸ゆえ動物たちの声が聞こえてくるのだろう。天候の描写も臨場感があり、この作品を読んでいる間、江戸庶民の息遣いを感じながら、下町の長屋で一緒に生きている感覚に陥るが、それはキャラのイキイキとした表情だけでなく、周囲の音や闇から感じる臨場感も大きいと思う。宗一郎があんまり美味そうに団子を頬張るので、茶屋の場面は唾がわいて仕方がないッス(笑)。物語の随所に「深川夜五ツ(19時)」「駿河町界隈昼八ツ過ぎ(13時)」「かたぎ長屋朝四ツ(9時)」など場所と時間が書かれているのも作品世界に入りやすい。
 時間の流れを感じる“間”の取り方も絶妙で、茶屋で敵の目の前に腰を下ろして、刀を抜くまでのにらみ合い(3巻P.140〜)はその白眉!2人の周囲では他の客と茶屋の娘が笑いながら雑談し、店先では2匹の猫が威嚇しあい、通りには甘酒屋の声が響いてる。こうした緊張感のある描写が10ページにわたって続く。圧巻!

 宗一郎を取り巻く連中にも情に厚い者が多い。差配(長屋の世話役)の与三衛門、目明かし恒五郎、豪傑・御輿大三朗、矢場のお勝、物知りな法元和尚、ハナタレのヨシ坊、そして誰よりも宗一郎と仲が良い隣家の子・勘吉、一本気な若侍・森佐々太郎、どのキャラも熱い血が流れている。松本マンガは敗者にも優しい視線が注がれており、一巻では宗一郎に敗れ去った新陰流師範代・磯崎弥丙太の後日談が、晩年まで2ページにわたって刻まれている。これがまた胸に染みる話で泣ける。こうしたキャラへの慈しみを感じる眼差しが、松本マンガの人気の理由だろう。
本作品では脇役にも見せ場が多く、爪弾きにされても、誇りをもってたくましく生きる人物には特に胸を打たれる。

【このキャラのココが好き〜ネタバレ文字反転】
・御輿大三朗…「苦しゅうない。御輿大三朗、些事は気にせぬ」。家人から嫌われてるのを自覚しながら生きるのは辛かろう。しかし彼は全てを笑い飛ばす。ホント、大三朗のように何でも些事と捉えて気にせず生きたい!
・矢場のお勝…「宗一郎。これが、お勝が書く事のできる漢字、全てである」…お勝の宗一郎への想いが溢れており、ここは何度読んでも落涙。息を弾ませながら手習い所に向かうお勝の明るい顔が、10日で特別授業が打ち切られることを察して「今日でしまいだね」と寂しい表情に変わるシーンが切な過ぎる。お勝が夢想する宗一郎との幻想シーンは詩情豊かで心地良い。
・勘吉…「はっ。信じてはいけねえよ、ヨシ坊。宗さんはいつもそんな世迷い言ばかり言っとる」。読者は第一話で勘吉と共に初めて宗一郎と出会い、彼の目を通して宗一郎を知っていく。勘ちゃんは素直で頭の良い子ゆえ、周囲への気配りでけっこう大変だったりする。残酷な若様・小早川から救出された時の心臓音「どきんどきん」はページ全体にコダマしていた。
・目明かし恒五郎…「鬼なんぞ、この世にやいねぇよ。どれだけ非道な咎人でもなぁ…そりゃ人だ」。初登場時は小物臭が漂っていたので、まさかあんなに大化けするとは。刺客・木久地の正面に丸腰で座る勇気にシビレた。彼は非業の死を遂げたが、「鬼なんぞ、この世にやいねぇよ」と言い放ったことで、木久地に人間の器の大きさで勝った!(木久地は口で言い返せないので子供のように暴力で応えたように思える)
・法元…「お前さんも良く辛抱したな、与左…立派だったぜ…」。法元和尚と風の与左との年季を感じる描写がめちゃくちゃ良い!恒吾郎を失った与左を気遣う法元の優しさに涙。悲しみを抱きながら気丈に振る舞う与左を、ちゃんと法元が見ていることがこの一言から分かる。理解者がいることで、どれだけ救われることか。その有難さをヒシヒシと実感した。
・風の与左衛門…「恒の四十九日が明ける前に…それまでに…野郎の首を晒してみせる。」なんと頼りになる爺さんなのか。木久地を走って捕まえたのはさすがに“風”と呼ばれるだけはある。 恒吾郎のことで与左がキセルを落とし、声もなく慟哭するシーンで、ただ黙って目を瞑っている与三の老妻も素晴らしい理解者。あの場面の虫の音はいつまでも耳の奥に響いている。
・木久地真之介…木久地は悪党だけど、「おめえも俺を馬鹿にするのか!?」と彼が涙を見せたシーンは胸を締め付けられた。セリフが“おめえは”でなく“おめえも”だったことから、そこに彼の深い孤独を感じた。傷付いた木久地を見ている茶屋の娘(みっちゃん)の目だけで彼はただの殺し屋ではなくなった。善人だけでなく悪役にも救いがあることが、この作品の読後感を良いものにしている。まっこと、名場面が多すぎ!
・大村崎十三…「実を申せば此度(こたび)もお主を始末するが為に江戸へ参ったのだがな…やめた。何やらお主を崇める輩が多くてのう…気概も失せた。」「人知れずその夜、大村崎十三は自刃した。介錯人も見届人もなく、息絶えるまで長らく苦しみ抜いた。」

・森佐々太郎…

 『鉄コン筋クリート』から十余年、『竹光侍』では劇的に作風が変化しており、マンガ家はどこまでも進化できると作品が証明している。これほどスタイルを自由に変え、表現のレンジが広がっていく漫画家は少ないだろう。他のクリエイターにとっても「音」の大切さを教えてくれる作品になると思う。

※掛札(掲示板)、迷子石(迷子の保護所)など、読んでるだけで江戸文化に詳しくなれるのもいい。ちなみに「下りものの良い酒がある」というのは兵庫・灘から江戸に“下って”きた辛口淡麗酒のこと。この酒の美味しさを強調する為に、関東の酒は下っておらずイマイチという“くだらない”の語源となった。
※僕は彼が「はいっ!」と答える度に何かが浄化されるのを感じる。
※江戸の色んな地名が出てくるので、東京に住んでいたら土地勘があってもっと作品世界を味わえるだろうな〜って、ちょっと都民が羨ましい。
※勘吉はマジで良い子。世の中の汚れた部分を見ずに生きて欲しい。
※松本先生、お勝さんを幸せにしてやって下さい。そして、勘吉の親父が二度と博打をしませんように。
※このマンガを読んでいると無性に団子が食いたくなるね(笑)。
※國房への未練がなんだか可愛いくて微笑ましい。
※07年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。

 

18.うしおととら('90)〜藤田和日郎
「オレと一緒に母ちゃんにいいとこみせようぜ!」(第3巻)
「寒戸二等通信士…最後の命令をする…オレたちの分まで生きてくれよ」(第7巻)
「あいつといると退屈はしねえな」(第9巻)
「わりィなとら!喰われてやれなくてよ」(第10巻)
「おしまいなんていうなよォ!いっぱい人が死んじゃったんだぞ!!もう帰ってこないんだよ!!でも…オレ達は…まだ生きてるじゃないか…キリオ…」(第18巻)
「井上真由子、図書委員長。趣味-読書、ペナント集め、カードゲーム“ウノ”。好きな食べ物-からあげ、こしあんのアンパン。好きな色-うすい桜色。そして…そして…とら!」(第19巻)
「(お年玉袋の中に割り箸)これでうまいもんでも食ってくれよ-父」(第20巻)
「何お願いした?」「お父さんがね、神サマにはお願いするよりも、誓うのがいいって…」(同上)
「あるいは…そうかもな…外堂よ…オレも他の人間も神様じゃねえからよ。恨んだり…憎んだり…もあるだろう…よ。でも…な、読みの足りねえお前に教えてや…るぜ…。汚ねえ心が…人間の中に隠れてるなら…もうひとつの…心だって…隠れてるハズだよなァ」(第21巻)
「あのなァ、オレはなァ…ぐちゃぐちゃポキポキにやられて…お前は負けたんだって言われてもな…負けたなんて思わねえ。てめーが負けたって思わなけりゃあ…負けなんてねえんだよ!!」(第22巻)
「お前とうしおに…礼を言っておく…」「お前本当にどーかしてんじゃねーか」「三日月のせいだとでも…思ってくれ…」(第26巻)
「けけけ。なんのコトはねえ…おめえはうしおの目に耐えられなかっただけじゃねえか。そんな目で見るな。オレはそんなにイイヤツじゃねえ。そんなんじゃねえ…ってな。けけっけっけっ」(第29巻)
「オレ達がなかなか報道できないモンを流せたじゃないスか…希望…ってヤツを…!」(第32巻)
「あ…ああ、みんな…もう完璧だ。白面、来い!」(第33巻)


 妖怪退治の武器“獣の槍”を持つ少年うしお君と、うしおに取り憑き、隙あらば彼を食べようとする妖怪“とら”をめぐる物語だ。とらは他の妖怪がうしおを殺そうとすると「俺の食いモンに手を出すな!」と、うしおを全力で助け(矛盾してるけど。笑)、結果的に見事なタッグで敵を打ち破っていく。なんとも面白い設定だ。
 うしおは、たとえ相手が妖怪であろうと無闇に命を奪わない。妖怪側の言い分に耳を貸し、相手に道理があれば命がけで守り、妖怪の為に泣く。やがてとらはうしおの男気に一目おき始め、うしおも強く頼りになるとらに敬意を持ち(いつもケンカしてるけど)、両者には目に見えぬ強力な信頼関係が生まれていく(その意味からもタイトル『うしおととら』はこれ以上ないというほど上手い作品名だ)。うしおに影響されるのはとらだけではない。うしおと出会う敵は、それが人間であろうと、妖怪であろうと、多くの者が心に変化をきたし、友情さえ感じるようになる。とにかく、それほどまでにうしおは気持の良い男なのだ。
 作品全体の構成もいい。全33巻は長いけど、全てのエピソードに意味があり、最後のクライマックスに向かって繋がっていく過程は圧巻!ラスト3巻は瞬きするのも忘れて頁をめくっていたッ!蒼月潮(うしお)。自分が知る限り、少年漫画史上、もっとも真っ直ぐにどこまでも他者を信じぬく主人公だった!!(そして、愛すべき我らが“とら”に乾杯!)
 もう一度言おう。『うしおととら』、このシンプルなタイトルは、全マンガ作品の中で最高のタイトルだ。
 ※最終巻のあとがきで作者が短く「描けておもしろかったあ!」と書いてるのを読み、言葉にならないほどの感動を覚えた。読者としては、やっぱ創り手にはこうあって欲しいよネ!

 
19.銀の三角('80)〜萩尾望都
『この銀河系は2億5千万年の周期をもって一巡し、それを1宇宙年という。数えると、この銀河の年齢は生誕よりまだ50から60宇宙年の若さに過ぎない』

「2人だけで話したいのだが。亡くなった人の魂のために」


 プロのSF作家たちの間で、この作品をSFマンガ史上の最高傑作に挙げる人がかなり多い。時間と空間を縦横無尽に駆け巡るこの物語は、一度読んだだけではチンプンカンプンで、二度目から頭にセリフが入ってくる。萩尾望都の絵はどこまでも美しく、マンガというより「セリフ付き画集」だね(その極致がミューパント!)。

 

20.キャンディ・キャンディ('75)〜いがらしゆみこ&水木杏子
「(独り言で)泣いたって仕方ないのに…キャンディは誰も見てないとすぐ泣くんだから」(愛蔵版第3巻)
「キャンディ、アルバートさんに掃除をやらせているのか」「エヘヘ…あたしがやろうかなあって思うと、アルバートさんがサッと!すばやいんだ、あの人。ほんと…」(第4巻)
「兄貴…アンソニーが死んだ時約束したね…もう2度とバグパイプは吹かないと…いつも3人で吹いていたから2人じゃ寂しすぎるって…。だけど今日は特別さ。兄貴のために…そして…アンソニーのために…」(第5巻)
「でも…、時って不思議だな…あたしはまた元気になりつつある…」(同上)


 
これはマンガに限らずどんなジャンルにも言えることだが、一世を風靡した作品というものはやはり何かしら特別な魅力があるものだ。本作は小4の時に女子の間で大ブームとなったが、その頃ウルトラマンに夢中だった自分は女子の大騒ぎを冷ややかに見ていた。花に囲まれたキャラクターを馬鹿にしていた。それから18年後、28歳のときに偶然古本屋で全5巻の愛蔵版が安価で並んでいたので、“なんで女子はあんなに大騒ぎしとったんやろか”と好奇心から手を出したのが運のツキ、徹夜で読破するハメに!
 結論。自分は阿呆だった。もっと前に読んでおくべきだった!人生損した。…いやしかし、ちょっと待て、あるいはこの歳で読んだからさらに感動が深いのかも。この作品は絵柄は子供向けだけど、内容はドロドロじゃ〜!メインキャラが死にまくるし、恋は成就しない。テリーなんかアル中だぞ!?そうした意味からも、今だからこそ感情移入できる部分がたくさんあった!

 

21.ドラえもん('70)〜藤子不二雄
「見たろ、ドラえもん。勝ったんだよ。ぼくひとりで。もう安心して帰れるだろ、ドラえもん。」(第6巻)
「のび太、力をかすぜ!」(ジャイアン&スネ夫)(第35巻)

 
全編を通じて名エピソードは山ほどあるが、ベストワンは誰がなんと言おうと第6巻のラスト・エピソード『さようなら、ドラえもん』だ。作者が最終回のつもりで描いたこの10ページの物語は、のび太がドラえもんの助けを借りずに、一人でジャイアンと戦い抜く話だ。直前のエピソード『のび太のお嫁さん』では、のび太と静ちゃんが将来結婚することを描き、子どものノビスケを出すことで物語のまとめに入っており、そこからも6巻は立派な最終巻となっている。※同巻にはあの『台風のフー子』『赤い靴の女の子』も入ってるゾ!また巻頭の『夜の世界の王様だ!』を読んで、深夜に道のド真ン中で誰でも一度は寝転んでみたはず。名作揃いの6巻だ。

  単行本第6巻から『さようなら、ドラえもん』

  

※その他の特筆エピソード5選〜「ぼくの生まれた日」(2巻。初めて親の気持を知った)「地下鉄をつくっちゃえ(2巻。子ども心に自分で地下鉄を作るこの話は興奮した。オチもいい)」「タタミの田んぼ」(2巻。打ち上げ式豆太陽など“趣味の日曜農業セット”が楽しかった)、「海底ハイキング」(第4巻。ドラミ初出演&十個も新アイテム登場!海底横断、スケールでかい!)、「人間製造機」(第8巻。めちゃ怖い。オカルトもの)
※反則道具…“ソノウソホント(第4巻)”“ウソ800(第7巻)”。これさえあれば他の道具は何もいらないんだよねー。
※ドラは第7巻『帰ってきたドラえもん』で戻ってくる。
※ベトナムで海賊版の会社から「今までの著作権料3000万円を払うので正式に契約させて欲しい」と言われた藤子・F・不二雄先生は「では、そのお金はドラえもんを買ってくれた子供達に帰しましょう」と答え、学校に行けない貧困家庭の子どもの就学を支援する“ドラえもん教育基金”を設立した。

●嫁いでいく静ちゃんに、静ちゃんのパパの名言(第25巻)
「のび太君を選んだ君の判断は正しかったと思うよ。あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことの出来る人だ。それが人間にとって大事なことなんだからね。彼なら間違いなく君を幸せにしてくれると僕は信じているよ」

 

同21.機動戦士ガンダム THE ORIGIN('02)〜安彦良和
「指令のガルマ大佐に連絡しろ。赤い彗星が地上に堕ちた---とな」(2巻)※シャア
「奥さん、ここがそのセントアンジェです」(3巻)※ジオン兵
「私も、ここまで共に来た兵達も、勝ち馬に乗ろうとは思わなかった者ばかり」(5巻)※ハモンがラルに
「ミス・ハモン…ここまでです。本望です!最後にあなたの役に立てて。本望ですっ!!」(7巻)※タチ中尉〜ッ!(涙)
「私とラルの人生はあなたよりずっと豊かだった!それを終わらせたのが、坊や、あなたなの!」(7巻)※ハモン、アムロに
「ほうら…チビどもまで泣いちまった。みんな悲しいんだ。それをよけいに悲しませるようなことは、よせよ、な」(7巻)※カイ
「全力を尽くしたのなら、それでいい。その時々に出来るだけのことをして、つまらん後悔はしないことだ」(8巻)※ウッディ
「それだけ…なんですか?死んでしまってから階級がどうとか…戦っている時は何もしてくれないで。こんな形ばっかりじゃなくて!もっと!気持のこもった言葉で何か言って下さい!“ありがとう”とか悪かったとか!!」(8巻)※アムロ、軍高官に
「何度でも言うぞ、戦争はいかん!現在も、将来も、いかんっ!たとえ勝てるにしてもいかんっ!営々と築いてきた過去(歴史)を無に帰するようなことをして何の真実か!?未来か!?わかっているなっ、ギレン!!」(11巻)※デギン公王
「恨むなよ…敗者の運命だ…。撃ちかたあ!しばし止めえっ!消えゆく大宇宙の戦士諸士に対してえっ!黙祷ォオオ!!!」(14巻)※ドズル(マンガ版を読めばドズルが好きになる!)

 連載中。ガンダムはマンガ版も最高〜ッ!刊行当初、僕は勝手に「アニメと違って動かないし音楽もないから迫力がない」と思い込んでいた。だが、安彦先生は神がかった画力でメカを動かし、音を、熱を、そして人間の生死を描きあげていた!(ガンダムの盾の弾痕だけで、弾が当たった時の鈍い音&鉄の重さまで感じられ、身を縮めてページをめくった!)。

 第一話の冒頭でザク6機の機影を見て「何ィーッ!数が倍じゃないか!(アニメは3機)」と思わず椅子から腰が浮き、続いて試作型ガンダム(アムロ機とは別)がザクに応戦するという展開になり、“こ、これは、ただアニメをマンガにしたものじゃないんだッ!”と新解釈のストーリーに激興奮。大袈裟ではなく、マンガ版はアニメに全く引けをとらないばかりか、放送時間等の制約がない分、キャラの内面がさらに描き込まれていた。
ハサミを持って庭いじりをするギレン、民族衣装で町を散策するマッシュ(@黒い三連星)等、日常生活の中のキャラが見られるのも新鮮だ。幼いアムロが買ってもらったハロを大事に抱え込む姿なんかもジーンとくる。

 特に9巻〜14巻はアニメの第一話以前、開戦に至る10年間が描かれており、両陣営の政界の駆け引きだけでなく、シャアとセイラのチビッコ時代(セイラ可愛い)、ランバ・ラルとハモンの過去(大人のエピソード)、士官学校のガルマとシャアの青春、ドズルとゼナの恋、シャアとララァの出会い、ジャブローの建設やルウム戦役など、アニメになかった場面のオンパレード。これはもうガンダムファンには“聖典”といえる書物!安彦先生の絵は背景画も情緒豊かで、ペルーの古都クスコ、ベネズエラのギアナ高地など、その場の湿度まで伝わってきそう。そして…マンガ版は『ガンダム』が“格好いいロボットの活躍”ではなく“人間が血を流す戦争”を描いたものであると、改めて読者に認識させた。つまり、TV放送では抑えられていた流血シーンが隠されずに描かれることで、戦争は格好良いものでも何でもなく、“ただの殺し合い”という実態を描き出していた。平時であれば友情を育めた者同士が命を奪い合う異常さ。人間的な魅力から好感を抱いた人物が散った時の虚しさ。これから終戦に向けて次第に佳境に入っていくマンガ版ガンダム、今後の展開から目が離せない!

※今から読む人は時系列順に進んだ方が分かりやすいかも。つまり、「9巻(シャア・セイラ編)〜14巻」→「1巻〜8巻」→「15巻(未発売)」という流れで。

 

22.MASTERキートン('88)〜浦沢直樹&勝鹿北星
「水をやれ!水を飲ませてやれ。あいつは、カーリマン(英雄)だ。」(第1巻)
「僕は一人ぼっちだ!!」「それは素晴らしい悟りだ。それを知ってれば、誰だって許せる」(第4巻)

 
なんとジャンルは“考古学アクション”。原作者がついてるものの、浦沢氏のオリジナルも多いと聞く。単純なアイデアマンではなく、良質なストーリーを次から次へと生み出すのはスゴイ。とにかくネタの引き出しが豊富なのだ。画力もしっかりしていて、欧米の老人を描かせれば右に出るものはいないだろう。

 HPの掲示板に「心が疲れた時に読んだマスター・キートン第4巻の“喜びの壁”が忘れられない」と書かれていた。スコットランド辺境にある修道院の廃墟“喜びの壁”が物語の舞台。最後の修道士ライアンが息を引き取って数年が経ち、周辺の村人はもう修道院の存在自体を忘れているが、ベインという初老の男だけは“喜びの壁”の保存運動をしている。その理由はライアンが生前ベインに「この壁で私は奇跡を見たことがある」と言い残したからだ。最愛の妻を亡くした悲しみが続かない自分を責めるベインに、ライアンは、「なぜ悩むのか。人間は一人一人が孤島だ。人間は一生自分という宇宙から出られはしない。お互いの心を分かり合っていたなんて幻想にすぎない」と語る。「真実だとしてもそれは悲しいことですね。愛する人が感じたことを同じように感じたい」というベインに、夜空を見上げながらライアンは続ける。「しかし、人間はこの宇宙よりもずっと広大な宇宙を持っている…あるいは、人間の心は本当には通じ合っているのかもしれない。本当のことがわかるには、奇跡を見るしかない」。
 それから4年後の夜、“喜びの壁”の側でベイン、主人公キートン、親友に裏切られて家出中の少年の3人が焚き火にあたっていると、夜闇の中で、付近の鹿や小動物、鳥たちが息を潜めて空を見つめていることに気付く。天空には壮大なオーロラが、あたかも「喜びの壁」から立ち昇るように舞っていた!眼前の光景に圧倒され、深く感動しながらベインは悟る、「俺達は一人で生き、一人で死んでゆくが、この瞬間、この場にいる生き物だけは、自分の宇宙を抜け出して…同じことを感じている」と。

 書き込みをした“アポロさん”は、次のように続けていた。「人間は一生自分の宇宙から出られず、本当の意味でわかりあう事はできないけれど、真に美しいものや芸術に触れたとき、自分の宇宙を抜け出して、同じ事を感じる事ができる」「我々もたまに、夕日を見に行ったり、夜景を見に行ったりしますよね。芸術もそうです。そういうのを黙って見ている時って、筆舌に尽くし難い気持ちをみんな同じ様に感じているのだと僕は思います。だから、名所や美術館には人が絶えず訪れるのではないでしょうか?感動の共有を実感すると、ドキドキしますよね」。
 感動の共有!まったくその通りだと思うッ!事実、自分はその喜び(誤解を恐れずに言うならば、快楽と言ってもいい)の虜になっている。芸術の感動は自分と他者の間に横たわる目に見えない垣根を、いとも簡単に吹き飛ばしてしまう。なんかこう、とてもジーンとなった書き込みだったので、こに紹介させて頂きました。

 

23.風と木の詩('76)〜竹宮恵子

「わたしはハッキリと承知しています。これら全ての(周囲の)犠牲の上に自分の幸福が成り立つことを。そして彼女と二人幸福になれなかったら、負けなのだと…!」(第9巻アスラン、神との対話で)
「犠牲のことは考えるな。得たものの方が大切だ」(第12巻)
「気づかないうちに君は僕をズタズタにする。愛という牙と爪で」(第16巻)

 
自分が所持する初版本全巻セットはカジポン家末代までの家宝なり。このベスト作成のために読み返し、改めてそう確信した。特にアスランとパイヴァのエピソードは、本編のセルジュ&ジルベールの物語を凌駕するほどドラマチックな内容で、途中、鳴咽し咳き込んで読書を中断することもあった。世界文学の文豪の中に竹宮恵子の名が混じっていても、自分は何の違和感も感じない。人物の心理描写の見事な表現力に、ただただ舌を巻くばかり。脇役で惹かれたのは、マイ・ペース人間のようで実は一番他人を深く理解しているパスカルと、美の虜ボナール。ボナールは当初アブないオヤジかと思ったが、手に入らぬ究極の“美”を追い求め苦悶する姿には、「おお、同志ボナールッ!」と叫ばずにはおれ〜ん!

 

24.ポーの一族('72)〜萩尾望都
「…きみはエドガーか?わたしのことなぞ忘れたろうね」(愛蔵版第3巻)

 
それまで「瞳キラキラ&無意味な花&白馬の王子様登場」というワンパターンだった少女マンガが、繊細な内面描写によって芸術のレベルまで昇華された記念碑的作品!
 萩尾望都はどの作品からも堅固な構成力を感じる。また、ジャンルもSFから学園モノまで実に幅広い。その点で女性マンガ家の中で最も手塚治虫に近い存在だと自分は思う。ポーの一族とは吸血鬼の一族。14歳で吸血鬼になったため永遠に15歳になれぬ主人公エドガーとアラン。歳をとれないという悲しみ…これは“火の鳥”と通じるものがある。
※キャラの名は米の幻想文学作家エドガー・アラン・ポーへのオマージュ。この作品を読む時はローズ・ティーを片手にどうぞ。
※僕は「ポーの一族」を読んで、少女マンガが文学性からも芸術性からも少年マンガを超えたと思ったッ!

 

25.AKIRA('82)〜大友克洋
「まて、待ってくれ!あいつは俺の友達なんだ!戻れ、頼む!」(第2巻)

 手塚治虫登場後の日本マンガ界におけるセカンドインパクトが、大友克洋の降臨だった。圧倒的な画力で展開されるスピーディーな近未来サイキック・バトルは、多くのマンガ家に影響を与えた。連載当時、これほど続巻の刊行が待たれたマンガはない(平気で1年以上あくんだもの)。どのコマもメカや背景の描き込み方が尋常ではなく、読み手がマンガを読んでいることを忘れるほど、リアルな臨場感を与えてくれた(1巻裏表紙のスラム街はヤバイ雰囲気がチョ〜出てる)。ネオ東京崩壊直前の緊張感は、他に類をみないものがあった!(ただ、4巻以降テンションが一気に下がったのが惜しい)
※映画版は欧米で「ブレードランナーを超えた」と絶賛された!

 

同26.夕凪の街 桜の国('04)〜こうの史代
「分かっているのは“死ねばいい”と誰かに思われたということ。思われたのに生き延びているということ」

 ヒロシマの悲劇を描き、文化庁メディア芸術祭大賞&手塚治虫文化賞に輝いた短編。従来の原爆をテーマにしたものとは切り口が異なり、投下時の惨状を緻密に描写するのではなく、終戦から10年後(『夕凪の街』)、50年後(『桜の国』)の被爆者の日常を描いた作品だ。淡々と優しい絵柄で描写しながら、たった一発の爆弾がとてつもなく多くの人間の人生を狂わせた事を浮き彫りにしている。
 特に胸を揺さぶられたのが『夕凪の街』。被曝から10年が経ち、広島の街並みや生活は徐々に復興していくけど、心の傷は簡単には癒えない。主人公の女性は腕の大きな火傷のあとを見ながら呟く「この街の人は不自然だ。誰も“あの事”を言わない。いまだに訳が分からないのだ。分かっているのは“死ねばいい”と誰かに思われたということ。思われたのに生き延びているということ」。“分かっているのは死ねばいいと誰かに思われたこと”--この短いセリフは衝撃的だった。今まで原爆の威力の恐ろしさ、大空襲の焼夷弾の非人道性を聞いた時に、爆弾の性能に戦慄を覚えながらも、さらに巨大な恐怖の存在を漠然と感じていた。それはこのことだったんだ。真に恐ろしいのは武器そのものより、それを使用する“死ねばいい”の感情。それをたった30ページでハッキリと教えてくれた。物語の後半、主人公はボロボロの内臓で黒い血を吐きつつこう思う--「10年経ったけど、原爆を落とした人は私を見て、“やった!また一人殺せた”とちゃんと思うてくれとる?」。ぜひ、原作の御一読をお薦めします。





『夕凪の街 桜の国』

原作の表紙。
こんなに優しい絵柄

同26.G戦場ヘヴンズドア('00)〜日本橋ヨヲコ
「こんなものを破くなんてできないよ。オレにはできない。」(第1巻)
「…もしお前がもう一度…オレを震えさせてくれるのなら、この世界(漫画界)で、一緒に汚れてやる。」(同上)
「読んでたら、読んでる場合じゃねえと思って、来ちまったんだ。そんな、マンガだな。作るべ早く。とっとと追いつこうぜ、こいつに。」(同上)
「もしこのままマンガを描き続ければ、あの少年がいつか私の本を読んでくれるかもしれない。そしてまたマンガを描きたくなってはくれないものかと。だから私は売れ続けなきゃいけないんだよ。」「ものすごく遠まわしな激励ですね。先生らしい。」(同上)
「本当に面白いマンガはね、心が健康じゃないと描けないんだよ。」(第2巻)
「生かすべくは、自分より面白いことを企んでくれる人間。震えさせてくれるならさ、敵とか味方とか関係ないと思わない?」(同上)
「漫画家に必要なものって、何スか?才能じゃなかったら、何なんスか?本物との差を決定的に分ける一線って、いったい何なんですか!?」「人格だよ。」(同上)
「オレはあの思い出があるから、今までやってこれたし、この先どんなことも耐えられそうな気がするんだよ。」(同上)
「マンガは練習するもんじゃない。覚醒するものだ。」(第3巻)
「稲葉にしても誰にしても、本音しか言わないから、ありがてっス。」「そうね。厳しいからやさしいわね。」(同上)
「オレは、いろんな人のいろんな愛情に気づかないで、呑気に17年間過ごしてきたよ」(同上)
「一見、こんなん壁のように見えるけどな、ただの石やで?あんた、石に囲まれとるだけやで?そう考えれば外はあんたの部屋であって、あんたの部屋は外でもあるわな。」(同上)
「オレさ、なんで前からお前に目が行くのかわかったよ。お前自体が作品なんだな。参りました。」(同上)
「トイレに行く時間が惜しい。食事をするのがめんどくさい。長時間描き続けると、震えるこの手が不便だ。夢の中でもネームを考えられないものか。いっそ機械の体になりたい。」(同上)
「オレね、…からっぽじゃ、なくなったよ。」「ああ、そうだな…!」(同上)
「ああ、なんだろう、この気持ちは。体は熱いのに、心はとても穏やかだ。そうか、もうオレ達は揺るがないんだ。誰に何を言われても揺るがないものを見つけたんだ。今まで生きてきたすべての意味を使うことができるんだ。」(同上)


たった3巻でこの名セリフの山!画家を目指す2人の高校生の、今どき珍しい直球型・炎の友情爆発マンガだ。とても屋台骨(構成)がしっかりしていて、クライマックスに向けて全エピソードが重なっていく展開は、まるで様々な楽器の響きが溶け合うオーケストラの音色のようだったッ!1巻の主人公は最低の自己中男で、読んでて頭に来たけど(感情移入度ゼロ)、2巻から内面の成長と共に顔つきがどんどん変わってきて、3巻ではまるで憑き物が取れたみたいに良い顔になってた!普通の漫画家が20巻までかけて描くものを、この日本橋ヨヲコさんは、たったの3巻で描き切ったんだ!3巻の17話“ユルガナイ”では脱水症状寸前まで涙腺が決壊した。単行本の帯には島本和彦、土田世紀、藤子不二雄Aの熱い推薦メッセージがあり、土田世紀は作者と作品を大きな虹にたとえて「実にデカイものとはちっぽけなものの悲しみを吸い取ってしまう作用がある」と書いた(120%同感!!)。たった3巻なのになぜもっと早く読んでおかなかったのか、めっさ後悔。この作品を掲示板やメールで薦めてくれた全ての人に心から御礼を言います!本当に有難うございましたッ!!

 

27.漂流教室('74)〜楳図かずお
「やったーっ、大友側のやつを、一匹やったぞーっ!!」(第5巻)

 あわわ、とんでもないセリフをピックアップしてしまった。漂流教室。小学校が丸ごと“ナゾの荒野”へ瞬間移動しちゃう話だ。校内では、僅かに残った食料を巡って凄惨な争いが開始される。このマンガ、一見無茶苦茶な展開なんだけど、読み始めたら絶対に止まらないハズ。それは、子供が非常に残酷な生き物だということを我々が体験的に知っているからだろう。怖いもの見たさでページをめくらずにはおられないのだ。
しかしこの作品、単なるサスペンスではないからこそ高順位につけている。自分は楳図かずおを誤解していた。わんぱくグループの池垣くんの死闘を読んだ今、もう楳図作品は不気味だから感動できないなんて誰にも言わせない!
 “ナゾの荒野”の正体が分かった時の衝撃はかなり強烈。心して読むように。

 

28.寄生獣('89)〜岩明均
「人間に寄生し生物全体のバランスを保つ役割を担う我々から比べれば、人間どもこそ地球を蝕む寄生虫!!いや…寄生獣か!」(第9巻)

 人間になりすまして次々と我々を喰らう寄生獣と人類の戦いを描く。人類の天敵と思っていた連中が「我々はか弱い。それのみでは生きてゆけないただの細胞体だ。だからあまりいじめるな」と言ったシーン、あれは目からウロコだった。“食堂”の存在はシャレにならんかったが。主人公の右手に寄生し、当初は不気味だったミギーが、読み進むうちに可愛くなっていくのが面白い。

 

29.リバーズ・エッジ('93)〜岡崎京子
「(編み物をのぞいて)あーきれいな色ー!!」
「エヘヘ、そーでしょ?山田君が好きなのブルーって。あたし、まだヘタクソなんだけど、山田君がセーター編んでってうるさいの。もう冬も終わりでしょ?あせっちゃって」


 
ところが山田君はセーターが欲しいなんて言ってないし、思ってもいない。すると急に上のセリフは鬼気迫って来るよね。この作品はそういう小さな狂気が幾層にも重なっていて、読み手はずっと言葉にならない不安感と背中合わせにページをめくることになる。物語は一冊で完結するが、読了後、これ以上1ページたりとも追加する必要はないと感じるだろう。それほどまでに本作の完成度は高い。若者の繊細な心の動きを、スタイリッシュな画風と必要最小限のセリフで見事に描写しきっており、間違いなく90年代を代表する1作だ!

 岡崎先生の作品は輪郭線からハミ出たトーンにまでセンスが光る。発表作は様々な賞に輝き、誰もが未来の漫画界を背負う人物として疑わなかった。しかし『ヘルタースケルター』脱稿直後の96年5月(当時36歳)、散歩中の先生を飲酒運転の車がはねてしまう。意識不明の状態から一命をとりとめたものの、事故から10年以上経った現在もマンガを描ける状態じゃない。ただし、徐々に快復しているのは確実で、04年には車椅子で外出できるまで復活してきたという。

※いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。いつも。たった一人の。ひとりぼっちの。一人の女の子の落ちかたというものを。一人の女の子の落ちかた。一人の女の子の駄目になりかた。それは別のありかたとして全て同じ私たちの。どこの街、どこの時間、誰だって。近頃の落ちかた。そういうものを。(岡崎京子)

【08年7月追記】フィールヤング8月号の別冊付録に“岡崎京子デビュー25周年記念読本”がついてて胸が熱くなった。読本の冒頭には編集部が「岡崎先生は現在もリハビリ中であり新作の掲載は困難ですが、25周年を記念して特別収録します」と寄せ、単行本未収録の『毎日がクリスマスだったら…』という短編が収められた。20ページオンリーだけど、やはり別格。岡崎マンガならではの女性のリアルな喜怒哀楽が描かれ、最後はちょっとホッコリ。“先生の作品をもっと読みたい”という気持が加速する。“記念読本”の後半は25人の著名人から先生に向けての(25周年)お祝いメッセージ集。「岡崎さんおめでとう、いっぱい描いてきてよかったね。みんなが毎日毎日あなたの作品を読んでいます」(よしもとばなな)、「同時代に同じ漫画という仕事ができた事が私のとても大きな財産です。京子ちゃん、25周年おめでとう」(桜沢エリカ)、「夢を追って走る。走ることで多くを失い、さらに多くを求めて走る。そんな明るくも切ない疾走感が岡崎さんのマンガには満ちています」(浅田彰)etc。香山リカさんは、若い子に岡崎マンガを薦めると“こんなの初めて読んだよ!”と興奮状態になるので、「そういう時は私まで誇らしい気分になる」とのこと。その気持、めっさ共感しまくりッス!10年以上も作品を発表していないのに、今もこうしてデビュー25周年の特別付録が編纂される。そんなマンガ家は他にいないだろう。どれほど岡崎先生が多くの人に愛されているのか、あらためて実感!

 

30.佐武と市捕物控('68)〜石ノ森章太郎※さぶといちとりものひかえ
「あたしァね、佐武やん。自分の強さが…恐かったんだよ。その強さで一生涯、人を斬り続けることになるんじゃないかと思って…ね。でもいま…世の中にはあたしより強い奴がいるって(知った)。そしてあたしは、やっぱり…誰かに助けられねェと負けちまう、目の見えない按摩(あんま)だってことが判って…な、なんだかホッとしているんだよ!!」(愛蔵版第1巻)
「…佐武やん、人間なんて小せえもんだねェ…」(同上)


 江戸を舞台にした本格時代劇マンガ。時代物だと大抵は原作者がいるのに、石ノ森氏は30才でなんと渋い作品を描き上げたのか!本作は捕物といってもチャンバラがメインではなく、庶民の悲哀がにじみ出ている人情話が主軸。毎回、善人も罪人も関係なく浄化されていくような、最後のひとコマの余韻が素晴らしい。また、単に物語が良質なだけでなく、季節ごとの自然の描写や江戸の町並みが臨場感たっぷりに描かれており、読んでいる間は現実の時間の流れを忘れてしまう。革新的なコマ割りも随所に登場して、石ノ森氏の気迫とチャレンジ精神が伝わってくる入魂の力作だ!!

 




「少年ジャンプにおける盛り上がる三法則」

1.仲間が死んだとき
2.新たなる敵が現われたとき
3.これまで敵だった相手が仲間になったとき!(コレ最強)




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