桃太郎の墓が香川県にある--最初にこの話を知った時はトンデモ伝説のひとつと思って聞き流していたけど、調べてみると墓のある土地が「鬼無(きなし)」と呼ばれていることが分かり、好奇心が抑えられず現地へ足を運んでみた。実在したのであれば、民衆を救ったヒーローに巡礼しない訳にはいかない!
《讃岐地方に残る伝承は実に興味深かった》
『古事記』『記紀』には第7代孝霊天皇の子、キビツヒコ兄弟が播磨(兵庫)から西へ進み吉備(岡山)を平定したとある。兄の名は大吉備津日子命(オオ“キビツヒコ”ノミコト)、弟は若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケ“キビツヒコ”ノミコト。別名、稚武彦命/ワカタケヒコノミコト。第8皇子)。『日本書紀』でも吉備津彦が大和朝廷から四道将軍の一人として西道に派遣されたとある。兄は陸路を、弟は海路を進んだことから、瀬戸内を荒らしまわった海賊=鬼を滅ぼした弟が桃太郎のモデルという。
事の起こりは稚武彦命が讃岐国に暮らす姉・倭迹々日百襲媛命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)を訪ねた時のこと。本津川をドンブラコと進んでいた彼は、川辺で洗濯をしていた美しい娘に一目惚れし、婿養子として彼女と共に暮らすことになった。
当時は高松港沖の女木(めぎ)島&男木(おぎ)島を拠点に海賊(鬼)たちが暴れまくっていて、恐怖に脅える民衆の姿を見て義憤に駆られた稚武彦命は、海賊の征伐を決意。この討伐隊の構成は、弓矢の名人が多い雉ヶ谷(鬼無町佐料)の住民たち、火や土を巧みに操る陶工の集落・陶(すえ)村(綾南町)猿王の住人たち、航海術に優れた岡山・犬島の住民たちという陸海空の三軍だった。
※この戦の兄・吉備津彦命からの援助を“きび団子”=軍資金とする解釈もある。
稚武彦命は生島湾(高松市の西)付近の泉へ水汲みに来た海賊の子分を捕らえ、鬼ヶ島(女木島)のアジトへ案内させた。最初の海戦では“犬”の見事な操舵術で敵を圧倒し、陸戦では“雉”の弓矢攻撃でひるんだ敵を“猿”が火攻めにした。島中央部の岩窟(現存、奥行き450m)に逃げこんだ海賊はついに稚武彦命に降伏。稚武彦命は民衆が奪われた宝物を取り返して凱旋した。 後日、海賊達は逆襲したものの返り討ちにあってとうとう全滅した。彼らの屍を埋めた塚が現在の“鬼ヶ塚”で、最終決戦の地は鬼が完全に滅んだことから鬼無と呼ばれるようになった。
この鬼退治(海賊征伐)の逸話は、886年から6年間讃岐守に就いていた菅原道真が漁師より聞き及び、各地に伝えたという。
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正式名:鬼無桃太郎駅。この土地で 鬼が退治されたので鬼無というらしい |
ギャフ!ホームの上ではゲーム『桃太郎電鉄』 のキャラがお出迎え。貨車がベンチになってた |
桃太郎が眠る神社は「駅から2つ目の信号を右」 とのことだけど、信号、見えないッス…。車が はねる水を浴びながら、テクテク歩き続けた |
なんと!鬼無を流れている本津川の川辺に「おばあさんの洗濯場」が! |
ここを巨大桃が流れてきたのか…!? |
おばあさんが使った梯子(笑) ※桃ではなく「おーいお茶」がドンブラコ |
『桃太郎神社前』というバス停があったが、 時刻表もなく観光ガイドにも載ってなかった |
この看板は新しい!ずっと案内板 がなく不安だったけど一安心 |
ハンター警報。 ちょっとビビッた |
ガイドブックには『桃太郎の家』とあったが近所 の人は「え?そうなの?」。知名度は低いようだ |
桃太郎神社の鳥居が見えてきた!背後の山の名は“柴山”! | 境内にあった“桃太郎の凱旋”のレリーフ | 熊野権現・桃太郎神社 |
本殿に到着!顔出しパネルがあったけど、顔の位置が高すぎて子どもには無理(笑) | 神社の名に桃の絵が描かれている |
むうう!ここで超ドシャ降りに!ま、前が、見えぬ…! | 雨宿りすること小一時間。ようやく雨が上がった | これが桃太郎の墓だ! |
お爺さんとお婆さんの墓 | 左から雉(キジ)、猿、桃太郎、犬の墓 | 雉ヶ谷/雉 | 陶村/猿 | 犬島/犬 |
鬼ヶ島の戦いで敗北した鬼達は、当地で再戦を挑み完全に滅び去ったという。その鬼達を供養したのが “鬼ヶ塚”だ。敵とはいえ、全滅した鬼たちの為に墓を作ってあげる優しさにジーンときた |
写真左奥に見える女木(めぎ)島は別名 “鬼ヶ島”。島中央の洞窟が瀬戸内を荒らす 海賊のアジトと言われる。また、手前の男木島 には逃亡した鬼の副将が隠れた洞窟がある |
※桃トリビア…日本神話の時代から桃は魔除けの聖なる果実とされている。『古事記』にはイザナギノミコトが黄泉の国から逃げ帰る際に、追って来た黄泉の魔物たちに黄泉比良坂(よもつひらさか)で3個の桃を投げて撃退したエピソードがある。桃はイザナギから神名・大神実命(オオカムヅミノミコト)を与えられ、桃太郎神社の祭神となった。
※鬼トリビア…鬼は鬼門からやって来るとされる。鬼門とは丑寅(北東)の方角。牛の如く角を生やし、虎模様の腰巻をしているのは“丑寅”を象徴しているという。
※桃太郎神社は愛知県犬山市や宮城県桃生郡河南町にもある。犬山の神社には桃の形の鳥居があり、桃太郎一行や鬼の人形が30体以上も境内に並んでテーマパーク状態。ご利益は「悪は去る(猿)、病いは去ぬ(犬)、災いは来じ(雉)」というもの。桃太郎の逸話は各地に残るが、多くが桃を食べたお爺さんとお婆さんが若返って夜の営みを再開、桃太郎を生んだという艶っぽい物語になっている。国定教科書に採用された明治20年、それでは教育的にマズいということで「桃から生まれた桃太郎」に変更された。
※岡山県では兄の大吉備津彦命を桃太郎と呼んでいる。兄もまた吉備の山賊=鬼を退治しているので間違ってはいない。兄の墓は茶臼山古墳と呼ばれ、吉備中山の山頂にある。ただ、岡山・吉備津神社の社伝では、大吉備津彦命の寿命が281歳、岡山名品の桃の栽培開始は明治以降、「黍(きび)団子」は“吉備”だけでなく全国で普通に食されたという点など、ビミョ〜なものがある。大和朝廷と渡来人の武力衝突が御伽噺になったとする説もあり。
※桃太郎=稚武彦命説を調査し体系づけたのは小学校教師の橋本仙太郎。1930年の「四国民報」(現・四国新聞)で同氏の論文『童話「桃太郎」の発祥地は讃岐の鬼無』が発表され話題を呼んだ。
※姉・倭迹々日百襲媛命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)は巫女であり、奈良桜井の箸墓古墳に眠っている(讃岐から大和へ戻ったのだろう)。巫女の為の巨大古墳は例がなく、天皇でさえ彼女に政事のあり方を伺っていたことから“卑弥呼”とする説が根強い(年代も近い)。仮にそうであれば、桃太郎は卑弥呼の弟というちょっと面白いことになる。百襲媛(モモソヒメ)の弟なので桃太郎と呼ばれるようになったいう説もある。
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帰りに鬼無の讃岐うどん屋で。巨大ナスビの天ぷら がついて300円強。コシがありメチャウマだった! |
《あの人の人生を知ろう》 | ||
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