![]() |
![]() |
|
| 超クールなマイルス! | 2000 とても巨大な墓石! | 2009 再巡礼!お久しぶりです! |
| ジャズ・トランペットの『帝王』マイルス・デイビス。サックスのパーカーと並ぶ音楽界のカリスマだ。明るく能天気な“楽しい”ジャズが多かった1950年頃、哲学的香りの漂う、暗く陰湿な演奏スタイルで、世界の悩める孤独者から絶大な指示を得た。だが、やがて彼はファンを裏切るかのように電気楽器を導入し、ポップなフュージョン路線に走る(走る、といっても彼が開拓した道で、それまでフュージョンなるジャンル自体がなかったが)。“再びバラードを”との周囲の声に彼はこう答える「俺がバラードを演奏しなくなったのは、バラードを愛し過ぎているからだ」。つまり、好きなことだけをやっていては進歩出来ないというのだ。 常にジャズを進化させ続けた彼の口癖は「半年も前と同じ演奏をするわけにはいかない」。この悲愴なまでのクリエイター魂!墓は“世界最悪の犯罪地区”“滞在時間に比例して天国が近くなる”といわれるマンハッタンの北部、ブロンクス地区にあった。カーター元大統領から「最低の街」と呼ばれている(オイオイ)。 |
![]() |
![]() |
![]() |
| この木の下がジョン・コルトレーンの墓 | コルトレーン家。中央に蓮(?)が彫られていた | 左手前にジョンが眠る |
![]() |
![]() |
|
| “聖者”と呼ばれた男 | 2000年の初巡礼 | 9年後、墓が新しくなっていた(2009) |
人は彼を“聖者”コルトレーンと呼ぶ。日々信じられぬほどの膨大な時間を練習にあて、その音楽に対する求道的な姿勢が「ジャズを通して“神”に近づいた男」と、同じミュージシャン仲間から評された。ジャズメンたちは、彼の演奏テクニックだけでなく、彼の音楽に立ち向かう姿勢に大きく影響を受けた。彼が最前線で活動したのはほんの10年強だったが、彼が生み出した極めて深い精神性を持つ音楽世界には、いまだ誰も踏み込んだ者がいないと言われている。最期は志し半ばの40歳で、肝臓癌のために亡くなった。![]() 「私は世の中に“悪”が存在していることを知っている。私は自分の創り出す音楽が、ささやかでもそれに対抗するものになれば、と思う」(コルトレーン) 「慈悲深い神の心は愛の形で示される。それが至上の愛」(コルトレーン) |
| プレート式の墓の最大のメリット、それは人気(ひとけ)がない所では、この様に頭の先からつま先まで、全身で相手を抱きしめることが出来ることだーッ!これはもう、アルティメット・ミーハーがこの世で望み得る体験のうちで、最上級のもの!このままここで死んでも良いと思ったよ(2000) |
![]() |
![]() |
| 壮絶な生涯だった | よく似た墓が無数にあり、自力でたどり着くのは不可能 |
![]() |
||
| トレードマークのクチナシの花が供えてあった(2000) | 墓には愛称レディ・ディの文字も刻まれている(2009) | |
| 不世出のジャズ・シンガー、“レディ・デイ”ことビリー・ホリディ(本名エリアノーラ・ホリディ)。ボルチモア生まれ。伝記に書かれた彼女の人生はあまりに重い。15歳と13歳という“子供のような両親”の間に生まれ、6歳から掃除などアルバイトを始める。10歳の時に強姦、14歳で娼婦になり翌年に売春罪で投獄される。人種差別の厳しいテキサスで肺炎になった父親は、黒人という理由でどの病院からも冷たく閉め出され死亡。そんな地獄を見てきたホリディだからこそ、彼女が歌えば、どんな平凡なポピュラー曲でも人生の真実を照らす深遠な芸術作品になった(彼女はブルースよりポピュラー曲がメイン)。また、伴奏の音にもたれかかるような独自の歌唱法も、憂いと気だるさを含み強烈な存在感を出している。10代後半、出所後にNYハーレムのナイトクラブのオーディションに合格して歌い始めると、すぐにレコード・プロデユーサーにスカウトされる。1933年(18歳)、人気絶頂のベニー・グッドマンやカウント・ベイシー楽団と共演し一躍有名になった。ホリディのアーティストとしての高い評価を決定づけたのが、24歳の時に歌って代表曲となった『奇妙な果実』(1939)。この曲は南部で実際に度々起きた白人(特にKKK)による黒人リンチ事件に抗議を込めて歌ったもの。当時彼女と契約していた大手コロンビア・レコードは、歌詞の内容に恐れをなして録音を求めるホリディの要望を断った(小さなコモドア・レーベルから発売)。 1947年(32歳)、ヘロイン中毒から脱出しようと入院するが、やはりその誘惑には逆らえず麻薬不法所持で逮捕。ペンシルヴァニア連邦刑務所に一年間収監される。その後もヘロインとアルコールに浸り続け、ガリガリに痩せ衰え、張りのある声が出なくなっていく。彼女が最も信頼を寄せ、精神的に支えてくれたサックス奏者レスター・ヤングが亡くなった4ヶ月後、彼を追うように40代半ばで死んでしまった。 ・「私はビリー・ホリディの歌い方が好きだ。彼女はレスター・ヤングやルイ・アームストロングの演奏のように歌う。ビリーの歌はボビー・タッカーのピアノの伴奏だけで聴くのが好きだった。彼女にはどんなホーンも必要ではない。彼女の歌はいつもホーンのようにサウンドしているのだから」(マイルス・デイビス) |
『奇妙な果実』
南部の木々はとても奇妙な果実をつける 葉から根元まで血に染まり 黒い遺体は南部の風に揺れる 奇妙な果実はポプラの木に吊るされている
美しい南部の田園の中に思いもかけずみられる
腫れあがった目や苦痛にゆがんだ唇 マグノリア(木蓮)の甘い香りは
突然肉が焦げる匂いとなる 群がるカラスについばまれた果実に雨は降り注ぐ
風にさらされ 太陽に腐り 遂に朽ち落ちる果実
奇妙でむごたらしい果実がここにある
|

![]() |
![]() |
|
| はじめまして!(2000) | 約10年後に再会。墓前の星条旗が増えていた(2009) | 墓石には愛称の“Satchmo”(サッチモ) |
![]() |
![]() |
|
| 墓石の上にあるトランペット(2000) | トランペットの上にはコインがあふれ、なぜか「サックス」が供えられてた(2009) | 墓石はプレート型と2種類ある |
| ジャズ創世記の巨星ルイ・アームストロング。愛称はサッチモ(Satchmo)。少年時代に街で発砲事件を起こし、放り込まれた少年院で院内ブラス・バンドに加入、そこでラッパと出会ったというのだから人生は分からない。彼はトランペットの演奏に秀でていただけでなく、そのハートウォーミングで特徴のあるダミ声が多くの聴衆を魅了した。“ズビズビ・ダバダバ”と意味のない言葉を即興的につなげ、声を楽器代わりに使う歌唱法“スキャット”を世界で初めて使ったのは彼だ。黒人差別を黙認する大統領を「無能、意気地なし」と発言し、マスコミに叩かれても「こんな野蛮な国を代表して演奏したくない」とワールドツアーを中止した信念の人でもあった。ベトナム戦争に反対していた彼が、出征する新兵たちの前で『この素晴らしき世界』を歌う映像を見て、僕は感動に嗚咽した。 (“サッチモ”の由来は、エラ・フィッツジェラルドが彼の大きな口を「Such a mouth!」と呼んだことによる) 「ジャズとは自分が何者であるか、でしかない」(ルイ・アームストロング) |
『この素晴らしき世界』 ♪緑の木々に赤いバラが見える それは僕たちのために花開く 僕はしみじみ思うんだ なんて素晴らしい世界かと 青い空や白い雲を眺める僕 明るく喜びに満ちた昼 暗く神聖な夜 そして僕はしみじみ思うんだ なんて素晴らしい世界なのかと 七色の虹が空に美しく映え 行き交う人々の顔を染めている 友人たちが握手をして「ご機嫌いかが」と挨拶する姿が見える 彼らは心から言うのさ アイ・ラヴ・ユーと 赤ん坊が泣いているのが聴こえる
あの子たちが大きくなって
僕よりずっと沢山のことを学ぶだろう
思わず感動してしまう
なんと素晴らしい世界じゃないか
そうさ 僕はしみじみ思うんだ 嗚呼 この世はなんと素晴らしい世界なのかと! |

| “バード”ことチャーリー・パーカーが現れる以前のジャズは主にスイングと呼ばれ、グレン・ミラーなどビッグ・バンドが演奏するダンス音楽だった。アドリブの鬼バードは「ダンスの伴奏なんかやってられるか!」と数名のユニットを作り、アドリブを強調しまくった演奏“ビ・バップ”革命を起こす。ビ・バップは「最初にテーマを演奏し、そのコード進行をスタート地点にしてアドリブを重ねていくスタイル」のこと。スイング時代はアドリブのソロに聞こえるパートもちゃんと楽譜があって、何百回演奏しても同じ“アドリブ風”のメロディー(書きソロ)だった。 バードは自由なリズムに乗せて、複雑で長いフレーズを即興で演奏しまくった。多くのミュージシャンは演奏し始めて徐々に乗ってくるものだが、バードは最初の一音からいきなり最高度に光り輝く音を出し聴き手を圧倒する。晩年、美の創造と黒人ゆえの人種差別の苦しみから逃れるように麻薬に溺れた彼は、わずか34歳で死去。検死官はバードのボロボロの肉体を見て“60歳の老人かと思った”という。 |
| 「グヘチョーッ!」歩き始めて1時間、既に息も絶え絶えの僕にトドメを刺すが如く、道が山道に変わってきた。しかも、いまだ墓地は気配すら見せない。あまりにしんど過ぎて、逆に笑いがこみあげる。振り返ると、町は遥かに遠く「ヨシ、このトホホ・メモリーを記録しよう」とタイマー撮影をしていたら(写真左)、ミズーリ州警察のパトカーが僕の側へ。警官は開口一番「ホワット・アー・ユー・ドゥーイング!」。早朝、山中、アジア人、記念写真、というありえない組み合わせに、えらく長い職質をくらった。僕はサックスを吹く真似をしながら「アイ・ラブ・チャーリー・パーカー!」と怪しまれないよう説明していると、警官はクールにパスポートの提出を要求、車内でパスポート片手に調書を書き始めた(右写真)。不安な気持ちで待ってると、彼は墓への手書き地図をくれた。 |
| ついに山中の墓地へたどり着いたが、墓の数が多すぎてなかなかバードに会えず、ついに片膝をつく |
| 通り雨でズブ濡れ | 2時間後、やっと乾く | あばよ…バード! |
| そこへ通り雨が!廃屋で雨宿りをした後、バードの墓を発見したときは、墓石がズブ濡れに(写真左)。墓にはサックスの中から大空に羽ばたく鳥が描かれていて、音の翼で自由に飛翔したバードに相応しい、素晴らしい墓だった!鳥は濡れて黒ずんでいたけど、乾くと白くなる気がしてカメラを片手に待機した。 待つこと2時間!予想通り鳥は白く美しくなり、しかも朝陽がちょうど当たってメチャメチャ渋い墓になった!「ああ、バード、素晴らしい演奏を残してくれて本当にありがとう!」。この間、足を中心に44ヶ所も蚊に刺され、3日間悶絶した。今から思うと、別に自然乾燥するのを延々と待たなくても、ハンカチで拭けば良かったじゃん、って後悔している。ほんと、トンマだな〜。 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 前回パトカーが止まっていた場所に 今回はレンタカーを停車! |
約10年ぶりに再会!午後の熱い太陽に照らされていた。 隣はADDIE PARKER(1891-1967)。母親のようだ |
絵の横にサックス型ブローチがあった |
![]() |
![]() |
![]() |
| 周囲は緑がいっぱい | バードへの巡礼を鹿たちが見つめていた | 墓地に鹿がいるなんて日本じゃ考えられないね |
![]() |
![]() |
| スキャットが得意 | 左壁の下から2段目、黄色と赤のバラが見えるのがエラ |
![]() |
![]() |
|
| ここにバスで来るにはロスの危険地帯を通る必要がある。 ヤクでラリッた連中に途中でからまれ震え上がった。 冷や汗タラタラでたどり着き、思わずエラに抱きついたよ |
彼女は母であり祖母だったようだ |
早逝が多いジャズ・シンガーの中で長寿だった |
| 滑らかで明るい歌声、完璧で非の打ち所のない音程、見事なハイ・スピード・スキャット。NYの孤児院で育った彼女は、高名なジャズ誌「ダウンビート」の年間最優秀女性歌手部門で20年連続第1位という、前人未到の偉業を為す、文字通りジャズ界の“女王”となった。 |

![]() |
![]() |
|
| エリントン家の墓所。デュークは右から2番目 | 2000 | 2009 |
| 作曲家兼バンドリーダー兼ピアニスト。米国音楽史上最大の巨匠だ。白人社会がジャズを下等な娯楽と考えていた1940年代、ジャズをクラシックの殿堂カーネギー・ホールで演奏し、その芸術的地位の向上に努力した。彼は白人ジャズと黒人ジャズの違いを強調し、自分の作品をブラック・ミュージックと呼んで区別していた。“黒人は聴衆を楽しませればいい”という風潮の中で、デュークは「我々はアーティストであってエンターテイナーではない」と、毅然と言い放った。彼は後世の黒人ジャズメンの精神的柱となる。 代表曲は『A列車で行こう』『ザ・ムーチ』。 |

![]() |
![]() |
|
| 2000 | 2009 故人が3名になり墓標のデザインも変化 | 手前がモンクの墓 |
| 流行の演奏スタイルには目もくれず、周囲の誰にも媚びず、音楽性において一切妥協しない、筋金入りの革命的ジャズメン。彼は比類なき名ピアニストであると同時に、超名曲「ラウンド・ミッドナイト」「ストレート・ノー・チェーサー」など数多くのジャズの古典作品を作曲した。当初はその革新的な作風が理解されず、長く不遇を強いられた。難解な演奏が多いので一般のファンは戸惑いつつ聴いているが、モンクは“ミュージシャンズ・ミュージシャン”と呼ばれ、多くのミュージシャンが彼の音楽を愛聴し、そのスピリットを学んでいる。誰にも似ていない“モンクはモンク”という超然とした姿勢が、今なお多くのミュージシャンに感銘を与えているのだ。墓地付近にバス停はなく、とにかく歩いて歩いて、歩きまくった。 「ジャズと自由は共に行進する」(セロニアス・モンク) |

![]() |
![]() |
![]() |
| 自身の楽団を率いて活躍 | 霊廟の壁面に墓がズラリと並ぶ(2009) | ベイシーは中段付近(6段中、下から3段目) |
| NYといえば摩天楼&大都会の代名詞になっているけど、それはマンハッタン島だけのこと。ここもNY州だけど御覧のように鉄道は“単線”だ(ベイシーの墓地は写真の線路左側にある)。列車は1時間に1本のみ。マイカー社会の米国ではバスの本数も少なく、公共の交通手段だけを利用する巡礼者には辛い国だ。(2000) |
![]() |
![]() |
| 2000 | 2009 |

![]() |
![]() |
![]() |
| 歌もピアノも超一流 | 墓地最深部の大型霊廟に眠る | 彼の墓は最上段にあり、近くまで行けない |
![]() |
|
| 2000 「ナット・コール」と刻まれている | 2009 望遠で撮影。う〜ん、遠い! |
| 40年代に先進的な天才ジャズ・ピアニストとして演奏で名をはせ、50年代以降は甘美な歌声でポップス界のスーパースターとなった。甘美なバラードを歌わせれば肩を並べるものがいない。華麗なオーケストラの伴奏で、美しいバラードの名曲を多数吹き込んだ。 |
![]() |
![]() |
| 木漏れ日の中のペトルチアーニ | 左奥の人だかりは、あのショパンの墓!3人向こうだ |

![]() |
![]() |
| 墓石に4枚のポートレートが収まっていた。写真入りの芸術家の墓は珍しい |
墓の上に読書する天使。 (聖書を読んでる?) |
![]() |
![]() |
![]() |
| 朝の光が降り注ぐラインハルトの墓 | 造花ではなく本物の花壇が左右にある | フォンテーヌブローは画家たちも愛した土地だ |
![]() |
![]() |
![]() |
| 墓石の上のギターはグルグル回る |
墓に楽譜が刻まれていた。曲名が 分かる方、ご教示お願いします |
地元は翌月に『ジャンゴ・ライン ハルト・フェス』を控えていた |


![]() |
![]() |
![]() |
| この巨木の下にエバンスは眠っている | 前年に他界した兄と並んでいた | ショパンのように、エバンスもまたピアノの詩人だった |
![]() |
![]() |
![]() |
| 『レフトアローン』最高っす! | アダレイ家 | 彼の墓は右手前 |
![]() |
![]() |
| フラッシュあり |
フラッシュなし。この暗さで墓を見つけられたのは奇跡! ※蚊に刺されまくりの墓参。フロリダの蚊は強烈 |
![]() |
| コネチカット州にある肖像画入りの墓 |
![]() |
![]() |
| こちらはワシントンD.C.のアーリントン国立墓地にある墓。 墓石の背後にトロンボーンの絵が彫られていた! |
画面中央から少し左の木の、手前3番目が グレンの墓。全部同じ形だから探すの大変! |
![]() |
| アーリントン墓地は相当気合いを入れてかからないと広すぎて挫折する。僕が墓を見つけたのは、雨も降ってきて心が折れる直前だった |
![]() |
| 墓は最近になって建て直されたようだ |
![]() |
![]() |
![]() |
| リスの石像と思われる風化 した物体が墓の横にいた |
この木の下にグッドマン家の墓が並ぶ |
有名人にしてはとても質素な墓 |
![]() |
![]() |
![]() |
| トロンボーンの名手で楽団を率いていた |
夫婦で眠っている。奥さんの墓には良い言葉が→ |
「トミーは彼の“Eフラット”と 彼女を呼んでいた」とある |
![]() |
| ドーシー夫妻の墓所にはこの小さな階段を上るんだけど、階段には“五線譜”の筋が入っていた。このこだわり! |


![]() |
![]() |
| ビバップ革命に立ち会ったジャズ・ドラマー |
墓前に「THANKS!」と書かれた ドラム・スティックが1本置かれていた |


![]() |
| 右から3列目&上から3段目がカーティスの墓だ |

![]() |
![]() |
|
| ジャズ仲間も彼を称えてい たが、非業の死を遂げた |
墓地が広く、探し出すのに困難を極めた!事前に「セクション3、6列目」という情報はあったけど、 写真(右上)の案内板になかなか気付かなかった。コレ、確かに3と6は見えるけど酷いよね!? |
|
![]() |
![]() |
| 1箇所だけ白い花が供えられているのが見える | それがダイナ・ワシントン! |
![]() |
![]() |
| 土曜日でオフィスは閉まっていた。地図もなしに無数の墓石を1個ずつ確認…。 雨まで降ってきて悲壮感がつのる。1時間が経ち、巡礼を断念しかけた時、 目の前に「モンゴメリー通り」の看板が。まさかと思って付近を調べると… |
うおお!ウェスが眠っていた!奇跡的に 会えたーッ!ジャズ・ギターの名手だった ので、ギターの絵が彫り込まれていた! |
![]() |
| スタン・ゲッツの遺灰は太平洋に撒かれた(サンタモニカの海岸で撮影) |
![]() |
![]() |
| エリックの墓は長く人が来た気配がなかった… | 楽譜が読める方、曲名を教えて頂けると助かります! |
![]() |
| サックス奏者。本名はArthur Edward Pepper, Jr。ウエストコースト・ジャズの 代表格だったがドラッグ中毒になってしまう。復活後、脳溢血で他界した。 |
![]() |
![]() |
| あのホロヴィッツに 影響を与えたという |
この巨大要塞=大霊廟にテイタムは眠る。一般非公開につき、 泣く泣く外から遙拝。せめて命日だけでも墓参させて欲しいよ〜! |
![]() |
| 画像は海外サイトから。そこには墓石がアップされていた。うおお、何か墓参する方法はないものか! |
![]() |
| 小さな黄色い花に囲まれて可愛らしい♪ |
![]() |
![]() |
![]() |
| 日本のジャズ史を切り開いた 傑作『モダン・ジャズ』 |
祝・復刻CD化!4曲目のバリ・ハイに恍惚&感涙 |
“スリーピー”の愛称で多くの ファン&ジャズ仲間から愛された |
![]() |
![]() |
![]() |
| 墓石の側にはバンドメンのオブジェ (手前は松本氏ですね〜♪) |
なんと墓前にスイッチがあり、松本氏の演奏が流れる! 音楽家なら誰もが理想とするであろう夢の墓 |
墓石の左右にスピーカーが あり、ステレオの本格派 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 氏の最後の直筆が刻まれる「私は如何に未来に 向って益々若い世界に向って挑戦できるか?」 |
主電源のPLAY・STOP ボタン。雨カバーつき |
墓前のベンチで音楽に浸り感涙。ダイナミズムの中 にもぬくもりがある、甘く野太い音色が僕を包んだ |
![]() |
|
| ボタンを押せば音楽が流れる墓は、海外で時々見かけるけれど、このように12曲もレパートリーが あり、しかもそれが故人の演奏で、墓参者が自由に選曲できるのは世界唯一だろう!! 曲目は次の通り→(1)Duke's Days(2)My One And Only Love(3)Typhoon (4)Straight No Chaser(5)Well You Needn't(6)Rhytnm-A-Ning (7)Furusato(8)Mystic Desert(9)Shallot Fields(松本氏のオリジナル曲) (10)Manday Samba(11)Sleepy's Funk(12)Love For Sale |
| 戦後の日本ジャズ界をリードした世界的テナーサックス奏者。1926年生まれ。岡山県出身。府中市に転居後、広島の高校でブラスバンド部に入部。
戦後、神奈川座間の米軍キャンプで演奏アルバイトをしている時に、温厚な人柄と細長い目元から米兵に“スリーピー”と呼ばれるようになる。1949年(23歳)、日本初のビバップバンド「CBナイン」に加入し実力を認められた。渡辺晋のバンドを経て、1953年(27歳)、ジョージ川口(Dr)、中村八大(p)、小野満(b)らと日本ジャズ史に燦然と輝く伝説のバンド『ビック・フォー』を結成。国内に第一次ジャズブームをもたらす。1963年(37歳)には、世界的なジャズの祭典“モントレー・ジャズ・フェスティバル”に日本人初の単身招待出演を果たし、世界を舞台に活動するようになる。翌年はマイルス・デイヴィスを迎えた東京の世界ジャズ・フェスティバルに参加。 1975年(49歳)、ジャズの音楽学校を開校。後進の育成に努める。1979年(53歳)、芸術祭大賞受賞。3年後に文化交流の親善大使としてモスクワ公演。 1988年(62歳)、芸術選奨文部大臣賞受賞。 長年の音楽界への貢献が評価され、1991年(65歳)に紫綬褒章を受章し、さらに1998年(72歳)には勲四等旭日小綬章を受章した。2000年2月29日(うるう日)に他界。享年73歳。ソニー・ロリンズを敬愛していた。 ※ちなみに墓所では壁を隔てて織田信長の墓がある。墓所の大徳寺総見院は通常非公開だが、毎年秋に特別公開されている。 |
|