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| 墓地の中の国旗の場所が「人民の人民による…」の演説を行なったところ! | 南北戦争最大の激戦地に立つリンカーン像 |
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| 映画で有名なリンカーン記念堂 | リンカーンはフォード劇場の2階で撃たれた(2009) | 向かいの当ビルに運ばれ絶命 |
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愛称エイブ。奴隷制度に終止符を打ったヒューマニスト。南北戦争の終戦から、わずか6日後に彼は暗殺された。墓は巨大な記念館の中にある。あの英雄リンカーンだから巡礼は簡単だろうと思っていたらこれが大変。近くの大都市からこの町に外から乗り入れているバスは、一日にたったの2本しかない!バス・ステーションからも遠いし苦労したぁ〜。 |
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| 第35代アメリカ合衆国大統領。米国民は若い44歳の指導者に未来を託した |
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| 悲劇に襲われる直前のケネディとジャクリーン |
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| ダラスにて、JFKの暗殺現場(2009) | ここで致命傷となった2発目が… | 右端の6階の窓から撃たれたという |
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| アーリントン国立墓地の入口 | 全米最大の墓地ではないだろうか! | あまりに広大ゆえ巡回バスが走っている |
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| 見渡す限り、墓、墓、墓!大半が軍人のもの。南北戦争時、この土地には南軍総司令官ロバート・E・リー将軍の邸宅があり、1864年に南軍兵士の墓が築かれたのが始まりだ。 2009年現在、30万人以上の人が眠っている。面積は3平方q、丘陵地帯にあり、正門から一番奥まで歩いて30分以上かかる。JFKは大統領=軍の最高司令官として埋葬された |
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| 巡回バスはボッタクリ料金なので歩く人も多い | 墓への道標 | だんだん人が増えてきた。墓所までもうすぐ! |
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| 階段の上の人だかりがJFKの墓所! | 手前がケネディ、右隣がジャクリーン夫人(2009) | 名前と生没年だけのとてもシンプルな墓だ |
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| ケネディの墓前の炎は、埋葬の日から40年以上経った現在まで燃え続けている | こちらは2000年の巡礼時のもの |
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| JFKが眠る丘の左斜面に弟ロバートの墓がある。1968年6月6日、民主党の大統領候補指名選のキャンペーン中に暗殺された。享年42歳 |
| ケネディは44歳という若さで大統領となった(米国史上最年少)。黒人の公民権運動に理解を示し、ベトナムへの軍事介入にも否定的だったケネディは、1963年11月22日、保守的な南部の街ダラスで極右グループによって暗殺された。 墓地で大統領の隣りに眠っているのは愛妻のジャクリーン。墓地の正門から墓前に続く人の波を見て、あらためてケネディがどれほど愛されているかが分かった。暗殺事件に関する政府の極秘資料は2033年に情報公開される。 |
| ローマ中心部の巨大遺跡フォノ・ロマーノ。日陰がなく めちゃくちゃ暑い。近くには有名なコロッセオがある。 |
ここにかつては元老院があり、行政の中心地だった。 シーザー(カエサル)はここで暗殺され、墓もこの中だ。 |
| 正確には、シーザーの亡骸が焼かれた場所を、後世の人々 が“墓”としている。写真中央の塀の裏がその現場だ。 |
長年の風雨で侵食されているが、この台の上で彼は 火葬されたという。献花が供えられている。合掌。 |

![]() 「民主主義は軍部に降伏しない!」 |
1972年、チリのアジェンデ大統領は、世界初の“選挙による”社会主義国家を誕生させる。国軍の最高司令官シュナイダー将軍がアジェンデの支持を表明したことで、この革命は(南米では珍しく)平和裏に行なわれた。しかし、後日シュナイダー将軍は極右に暗殺され、米国が支援したピノチェト将軍のクーデター軍によって、アジェンデのいる大統領府はミサイル20発という猛爆撃を受けた。アジェンデ大統領は攻撃のさなかに国民へ別れの演説をした後、 「民主主義は軍部に降伏しない」 と言い残しピストル自殺を選ぶ。その日サンチアゴは快晴。しかしチリ国営放送は「サンチアゴには今雨が降っています」という声を流し続けていた。 彼は死後も独裁者ピノチェトから目の敵にされていたので、長くその亡骸は地方に葬られていたのだが、軍事政権が倒れ民主化が達成された時に首都サンチアゴへ改葬された。アジェンデが眠っている場所はこの国民墓地のメインストリートのほぼ中央。軍部から国賊呼ばわりされていた彼だが、人々がどれだけ元大統領を慕っていたか美しい墓を見ればすぐに分かった |
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![]() 「TIME LIFE BOOKS」より |
| ローマ帝国初代皇帝。本名オクタビアヌス。“アウグストゥス”とは元老院が与えた称号で、意味は“崇高なる者”。 ※その後手に入れた最高司令官(インペラトル)の称号は“エンペラー”の語源となった。 シーザーの妹の孫で、シーザーの養子。暗殺された養父の復讐を誓い、シーザーの部下・アントニウスと共にブルータスやキケロら共和派を打倒した。その後、クレオパトラと恋に落ちたアントニウスと対立し、これを破って全権力を掌握する。彼は百年続いた内戦を終結させると、国外への征服戦争も中止させ、ローマに平和をもたらした。芸術と文学を愛し、文化の黄金時代を築く。カレンダーの「8月」。 ●皇帝ネロもここに眠っているとのこと! |
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| チャーチルといえばこの怖い写真 | でも、実はVサインを流行らせたのも彼! |

| ●チャーチル『世界の危機』(第一次世界大戦の総括として1924年に記す) 戦争から、きらめきと魔術的な美がついに奪い盗られてしまった。 アレクサンダーやシーザーやナポレオンが、兵士たちと危険を分かち合いながら、 馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもうなくなった。 これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて書記官たちに囲まれて座る。 一方、何千という兵士たちが、電話一本で機械の力によって殺され息の根を止められる。 これから先に起こる戦争は、女性や子供や一般市民全体を殺す事になるだろう。 やがて、それぞれの国々は大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不能となるような 破壊の為のシステムを産み出すことになる。 人類は、初めて自分たちを絶滅させることが出来る道具を手に入れた。 これこそが、人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である。 |

| ミュージカルで御馴染みのエビータことマリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン。彼女は田舎の貧しい私生児から大統領夫人になったその劇的な人生で有名だ。彼女は女性の選挙権を確立させたり、軍人出身のダンナ(大統領)に労働者優遇政策をとらせたりと、国民からは絶大な人気を博したが、白血病のため33歳の若さで亡くなった。 このレコレータ墓地は上流階級専用で、世界一美しい墓地と言われている。通常のように個人別に墓が並んでいるのではなく、ファミリー別に石造りの“宮殿”が建てられ(高さ5m以上とか、内壁がステンドグラスになってるのも多い)、その内部に個人の棺がズラリと収められていた。金持ちの対抗意識で(笑)、どの墓宮殿も外観の彫刻はとても美しく、ホント、墓地というより美術館に近かった。 エビータの墓には様々な労働組合から贈られた彼女を称えるプレートがはめ込まれていた。権力者の墓でこんなプレートがくっついてるのはエビータだけかも。墓前は世界中の観光客でゴッタ返していた。 |




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| 霊廟中心の祭壇 | 壁面に墓がある |
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| 地元の人に「この道を真っ直ぐ」と言われた | 植物に埋もれた小道をひたすら歩く | だんだん本当にお墓があるのか不安になった… | 案内の石柱を発見! |
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| うおお、あの上か〜! | なんと堅牢な墓!岩山と一体化している! | 尚巴志王、尚忠王、尚思達王の三代を合葬 |
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| 忠臣・屋嘉比之子の墓 | 忠臣・平田之子の墓(右の壁) |
| この2人の家臣が命がけで尚巴志の骨をここまで運んできたという | |
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| 尚巴志の父思紹(ししょう)の墓は、なんと 航空自衛隊・知念分屯基地の敷地にある! |
もちろん基地に入るのは初めて。ゲートで名前 を記帳すると隊員の青年が案内してくれた (軽自動車は僕のレンタカーです♪) |
沖縄の人が“佐敷ようどれ”と呼ぶこの陵墓が 第一尚氏王統の第一代尚思紹王のお墓! |
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尚巴志(しょう・はし)は沖縄の3つの小国家を制圧して、初めての統一王国となる『琉球王国』を築いた英雄。元々は佐敷地方の按司(あじ、首長)だったが、1406年(34歳)に武寧を倒して中部を制圧し、1416年(44歳)に今帰仁城を攻略して北部を支配下に入れ、さらに1429年(57歳)に南部を手に入れて全島を制圧。ここに『琉球王国』が誕生した。それからは首里城を王都とし、那覇港を整備し、周辺のアジア諸国と積極的に貿易を進めて、王国繁栄の土台を築いた。尚巴志は統一前に自分の父親・尚思紹(しょう・しょうし)を初代王に即位させたので、父から始まる第1尚氏王統の中では第2代王。しかし、全島統一の5年前に父は他界しているので、事実上は尚巴志が統一政権としての琉球王国・初代国王といえる。
尚巴志が死んでからは王位継承戦争がたびたび勃発。そして1469年に重臣の内間金丸(うちま・かなまる)を中心とする勢力がクーデターを敢行し、金丸が尚円(しょう・えん)を名乗って即位する。これによって、尚巴志の父・尚思紹から始まった第1尚氏王統は7代63年間で滅亡した。尚円から始まった第2尚氏王統は、第7代尚寧(しょう・ねい)の治世となる1609年に薩摩藩の侵略を受けて降伏。王朝は続いたが薩摩藩の半植民地状態になる。そして第19代尚泰(しょう・たい)の時代、1879年に琉球処分が行なわれて沖縄県が設置され、肥前鹿島藩の旧藩主・鍋島直彬が県令に就任したことで、正式に第2尚氏王統も消滅した。尚巴志を初代とする統一琉球王国は450年で歴史を閉じた。
尚巴志の墓の近くに眠る2人の家臣、屋嘉比之子と平田之子は、金丸派のクーデターで先王たちの墓が荒らされることを恐れ、首里から読谷村まで遺骨を運び出し、山中に隠し墓を造ったと伝えられている。
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| 墓所に続く階段の下に、『護佐丸公之墓』と 彫られた目印の石碑がある(中城村) |
美しく石が積まれた護佐丸の墓。沖縄で最も有名な武将だ。墓前の石碑には 中国名の『毛国鼎(もうこくてい)護佐丸之墓』とあった。こういう事からも、 中世の琉球王国は、日本よりもむしろ中国の文化圏にあったことが分かる |
| 若い頃は尚巴志の忠臣として戦場をかけめぐり、40年後の6代尚泰久の時代に謀略で散った悲劇の猛将。沖縄東部で勢力を増しつつあった阿麻和利(あまわり)を威圧する為に 尚泰久王の命を受けて軍備を増築したところ、阿麻和利が「護佐丸は謀反を企んでいる」と王に嘘の密告をし、動揺した王は阿麻和利に“護佐丸を討伐せよ”と命じた。 1458年。護佐丸はいつの間にか自分が賊軍になり、城を王府軍に包囲されている状況に絶句。「王府軍とは戦えない」と、一切抵抗せずに妻子と自害し果てたのだった…。 ※護佐丸が拠点とした城“中城城”(なかぐすくじょう)は現在世界遺産に認定されている。 |
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| この固まりが丸ごと墓!えらいことになってる(汗) |
なんと墓が樹木の一部に取り込まれてしまった! 何がどうなってんの!? |
うっすらと『阿麻和利之墓』。 この背後が墓という目印 |
| 護佐丸のエピソードではすっかり悪役になってしまった阿麻和利。しかし、同じ年に阿麻和利もまた王府軍に滅ぼされていることから、勢力を拡大しつつあった阿麻和利と護佐丸を、尚泰久王がまとめてやっつけてしまったという可能性も指摘されている。しかも、護佐丸ヒーロー伝説は護佐丸の子孫が書いたものであり、その意味でも真相は謎だ。 |
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| あのう、階段が倒木で登れないんですけど… |
案内板が少なく「絶対にどこかで道を間違えてるよ…」 と心配になったころ、突然目の前に現れた。遠すぎ! |
壁のプレート 『鬼大城之墓』 |
| 本名、大城賢勇(おおしろけんゆう)。“鬼”は豪将への褒め言葉。阿麻和利の企みを尚泰久王に知らせて、自身が王府軍を率いて阿麻和利と戦った。阿麻和利の城は防御に優れた名城であり、攻めあぐねた鬼大城は女装をして城に潜入、阿麻和利を討ち取った(“鬼”なのに女装がバレなかったのは不思議ッスね)。それから約10年後、金丸派のクーデターの際に鬼大城はこの地に追われ、ここで焼き殺されたという。護佐丸、阿麻和利、鬼大城、結局みんな命半ばで死んでしまった。 |
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| 浦添ようどれ。“ようどれ”とは琉球語の「夕凪」「お墓」 | 沖縄戦で日本軍が要塞化する | 米軍の“鉄の雨”で崩壊し2005年に復元された |
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| 岩をくり抜き、墓とする | この扉の内側に尚寧王は眠る | 側の博物館では扉の内側をレプリカで再現していた! |
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| 琉球の歴史を見続けてきた首里城 | 第2尚氏王統が眠る巨大な『玉陵』 |
| 琉球王国・第2尚氏王朝の第7代国王。1609年、尚寧王が45歳の時、突如として薩摩藩(島津軍)が約3000の兵と100隻の軍船で侵略してきた。目的は琉球王国が外国と行なっていた貿易利益。1609年と言えば、関ヶ原と大坂の陣の間であり、日本の武士が最も戦闘的だった時代。百戦錬磨の薩摩兵に勝てるわけもなく、ほとんど組織的な抵抗が出来ないまま王都を攻略され、尚寧王は降伏し首里城を開城した。そして尚寧王は日本に連行され、薩摩、駿府、江戸と2年間にわたって抑留される。 徳川秀忠との謁見を終えて帰国した時、琉球は薩摩の半植民地となっていた。薩摩が押しつけた“掟15条”には、「薩摩の許可なしに唐へ進貢物を送ることを禁ず」とあり、琉球は外交権を奪われてしまった。もはや独立国家とは言えない。本来なら第2尚氏王統の墓は首里の玉陵なのに、尚寧王だけが浦添市に眠るのは、生まれ故郷の浦添に戻ったとも、薩摩の侵攻を許したことを恥じて王族の墓に入らなかったとも言われている。 |
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| このメディチ家礼拝堂に眠る。内部は撮影禁止だったけど、ロレンツォの墓はミケランジェロが彫り上げていた! |
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| 州議事堂の正面に立つヒューイ・ロングの巨大な銅像、これが彼の墓だ。暗殺された正義の政治家! |
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| 暗殺現場となった議事堂の通路には彼を偲ぶコーナーがあり、背後の壁には事件時の“弾痕”が生々しく残る |
ガイドのお爺さんいわく 「He was a people's man」 (彼は庶民の代表だった) |
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| 非常に知的な大統領。「I cannot live without books」(本なしでは生きられない) |
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| ジェファーソンの家 | なぜか墓石に彫られた肩書きは“大統領”ではなく“独立宣言起草者” |

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| サウスダコタ州のラシュモア山。 多くのアメリカ人が訪れる大切な場所だ |
左からワシントン(初代)、ジェファーソン(3代)、セオドア・ルーズ ベルト(26代)、リンカーン(16代)。ワシントンの眼差しが良い! |
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| ヴァージニア州のワシントンの家は内部を見学できる | ワシントン博物館ではワシントン・ファミリーが入口で待っている | 生涯をリアルな人形で再現 |
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| ワシントン夫婦の棺が並ぶ | 初代大統領ここに眠る | 巡礼者だらけ! |
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| ルーズベルトの家 | 庭園の真ん中に埋葬された | 夫婦で眠っている |
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| ジャクソンの家 | 庭の中の四阿(あずまや)のような場所にお墓がある |
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| 「Andrew Jackson」と彫られている |
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| 青年期までアイゼンハワー(アイク)が過ごした家 | 中庭の銅像の前には「CHAMPION OF PEACE」の文字! |
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| アイクのお墓の為に建てられた教会 | 墓の周囲の壁(3方向)にアイクの名言が書かれている | 手前がアイク | 退役軍人っぽいご年配が墓に見入っていた |
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| 人間味があふれるミルク。ゲイなど少数派の権利保護のために運動したが暗殺された |
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| サンフランシスコの巨大な霊廟 | ミルクの遺灰入れは空っぽだった | 霊廟の職員いわく、このサンフランシスコ沖に撒かれたとの事 |
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