第5室

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ヘビーな絵やラリッた作品が多かった当美術館。最後は穏やかな陽だまりのぬくもりと、
そよ風に吹かれる作品をお楽しみ下さい。またのご来場をお待ちしています!






ムーラン・ド・ラ・ギャレット(1876年)〜ルノアール

木洩れ陽の中のダンス。うう、なんて平和なんだ。見ているだけで温かい気分になる。
ルノアールは女性や子どもを多く描いたが、その理由をこう語っている--「人生には
不愉快なことがたくさんある。なぜこれ以上、不愉快なものを作る必要があるんだ?」



1875年 1886年 1886年

日傘をさす婦人〜モネ

明るく降り注ぐ光と優しい風。なんと気持ちの良い作品なんだろう!絵を眺めていると、作品から流れ出るそよ風に、まるで自分が吹かれているようだ。

左の1875年の作品は、当時35才のモネが、6才年下の愛妻カミーユと小さな息子ジャンを描いたもの。この頃のモネはほとんど絵が売れず、極度の貧困状態にあった。78年の冬には一文無し同然になり、画材どころか、パンすら買えない事態になった(家賃は先輩画家のマネから借りていた)。翌年、カミーユは病死する。右の2枚の絵は左の絵の11年後、彼が印象派のリーダーとして注目され、経済的に安定した86年に描かれた。人生の最も苦しい時期を共に生きた妻は、ラクをさせてやれる頃にはもういない。75年の作品には描かれていた表情が、86年の2枚では描かれてないことが、モネの妻を失った哀しみや時の流れを感じさせ、胸に熱いものが込み上げてくる。
カジポン国際美術館の最後は、僕がこれまでに出会った絵画の中から、最も美しい3枚の絵で締めることにしよう。





  ここまで御覧になってお分かりのように、絵画を前にすると、仏語を喋れなくたってモネの心の声
  が、スペイン語を知らなくたってゴヤの魂の叫びが、洪水のようにどんどん流れ込んでくる。
  芸術には言葉の壁がない。僕たち人類は、言語や文化だけでなく、生きている時代さえ異なる、
  見ず知らずの他人と分かり合える素晴らしい生き物だ。時間や空間を飛び越えて、作り手の内面
  世界に、瞬時に心を重ねることが出来る。「人間なんて所詮は孤独。分かり合えるわけなんかない。
  戦争もなくならない」そんな風に思う人は、まだアートの傑作に出会っていないからだ。芸術は
  人類が他者の心の動きに素早く共感し、理解しあえる生物ということを教えてくれる!
  だから僕は本気でこう叫ぶ。「人間万歳ッ!!」




★NHK『ためしてガッテン』で紹介された“美術館の味わい方”

「なぜ美術館では足が疲れやすいのか」。この問題を調査する為に「普通に30分歩く」場合と「一歩ごとに立ち止まりながら30分歩く」場合を実験で比較。前者では足の温度に変化はなかったのに、後者では血液の流れが悪くなって足の温度が低くなっていた。普段、ふくらはぎの筋肉はポンプの役割をしており、歩行の刺激で足下から血を心臓に戻しているけれど、立ち止まった状態が続くとポンプが働かず、また鑑賞中は下半身に注意がいかず余計にポンプが動きにくくなるので、足に疲労物質が溜まり疲れやすくなるんだ。

とはいえ、美術館に行けば全ての絵を見逃さないよう解説文までじっくり鑑賞したいもの。番組はここでもうひとつの実験を敢行。2人の人間にリラックスした状態でパソコンの前に座ってもらい、モナリザなどの名画DVDを自由に1時間鑑賞してもらった。1人はゆっくり時間をかけ130枚を鑑賞。2人目は少し早いペースで200枚を鑑賞した。2時間後、モニターにモネ4枚、ルノアール4枚の計8枚の名画を映して、先ほどのDVDにその絵があったかどうか当ててもらう。結果は、モネについてはAさんは全問正解、Bさんは4枚中3枚まで正解。しかしルノアールは2人とも1枚しか正解しなかった。なぜじっくり見たAさんも、早いペースで見たBさんも、ルノアールの正解率が同様に低いのか?この実験にはカラクリがあった。実は最初の鑑賞の際、モネの絵は開始から30分以内に登場し、ルノアールの絵はそれ以降に登場していた。つまり、大人でも30分くらいが集中力の限度であり、それ以降は目も頭も疲れてしまうんだ。実際の美術館は人混みの中で立ち止まりながら歩くので、なおさら疲れやすい。

以上から、番組が出した結論は「見たいものだけ見ろ、その方が記憶に残る」。“全部見なきゃもったいない”“全て見るのが礼儀”と思いがちだけど、“全部見るのはもったいない”ということ。

そしてもうひとつ。重要な鑑賞キーワードとして「買うつもり」をあげていた。“絵の意味がわからん”という否定的な感情は「絵を見せてもらう」気持で見ているからであり、“もし会場にある絵を1枚だけ家に置くなら”という“つもり”で見ると、絵を楽しむモードになってお気に入りを探す=好きな絵に出合う確率が高くなるハズ。科学的にも、漠然と絵を見ている時より、買うつもりで見ている時の方が、脳の前頭連合野(最も高度な情報処理をする場所)の血流量が増加し、集中力が上がることが分かっている。大原美術館の学芸課長いわく「美味しい料理がどれほどあっても、胃には限界があり食べられる量しか食べられない。絵の鑑賞も同じ。まず料理(展示物)の全体を見てどれを食べるか選ぶことが大切」。

★僕にも実体験から生まれた美術展鑑賞法があるので紹介!

僕が美術ファンになったのは片想い(完全玉砕)がきっかけだった。高校時代、惚れた女の子が美大を目指していたので、少しでも会話がしたいという恋の打算から、全く興味がなかった絵の勉強を始めた。しかし、当然ながら美術展に行っても、どの絵がいいのかサッパリ分からない。絵の解説文を読んでも「印象派?」「ロココ派?」とチンプンカンプン。

それで、最初にミュージアムショップに行くようにした。大抵の展覧会ではオススメ作品が絵ハガキになっているので、それを目に焼付けておくことで「アッ!これ売店にあったヤツだ!」と意識して見るようになった。モチロンなぜその絵がイチオシになっているのかさえ分からないんだけど、少なくとも目玉になってる作品を見逃すことはなくなった。そして展示作にピンと来なかった時は、“僕の人生経験が足りないからだ。今は良さが分からなくてもいつか理解できるかも知れない”と未来に期待を込めて鑑賞した。「こんなにたくさん展示されている中で、なぜこの作品が絵ハガキに選ばれたのだろう」と考えながら鑑賞すると、謎を推理するのが面白くて俄然見るのが楽しくなった。

そんな風に何度か足を運ぶウチに「美術鑑賞は体が資本」ということも分かった。ガッテンでも言っていたけど、最初から気合いを入れて見ていると、ふくらはぎが途中からパンパンになって足首も痛くなり、人混みで頭もガンガンしてくるし、どんなに良い絵があっても「ハイ、目玉作品のチェック完了」という“確認作業”になってしまう。疲れ切って心の奥まで作品(作者の声)が届かない。第1室は入念に見るのに、後半の部屋は素通りに近くなる。だから、美術展に行くと、まず最初に出口まで歩くことにした。全部で何部屋くらいあり、会場全体の規模が分かっていると、ペース配分しながら鑑賞できる。これは本当に重要!これで後半にスタミナが切れることはなくなった。

それから、今でも美術展に行くと必ず行っているのが、最後の作品を見た後でもう一度入口まで戻って展示作のベスト5を選ぶこと。誰に発表するわけでもないんだけど、より熱心に見るようになるし、自分がどんな絵を好んでいるのか傾向も分かる。チケットの半券にベスト5を書いておくことで後日“あの展覧会ってどんな絵があったっけ”と思った時に、半券を見るだけで“そうそう、こういうのがあった!”と感動が甦るし、記憶も整理できる(色んな美術展がごっちゃになるからね)。数人で行った時など、皆がベスト5を決めておくと、帰りの電車はそれだけでけっこう盛り上がる。

(1)売店の絵ハガキ・チェック(2)最初にゴールまで行く(3)ベスト5を決める、これが僕の鑑賞法デス!

※美術展に行くと販売している“展示の図録(画集)”は「高いけど安い!」。大抵は2500円くらいするけど、普通に本屋にあれば8千〜1万円近くしてもおかしくない優れた内容のものが多い。最近の図録は発色もきれいだし、迷った時は買った方がいいデス♪


お疲れさま!美術館はここまでッス。 ヾ(^_^) byebye!!



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