
| フランスの面積   643,800 km2 日本の面積     378,000 km2 イギリスの面積 243,600 km2 | 
| 【行程表・予想到着日】 すべての信号が青信号なら、計算上は実現可能!あとは車体トラブル、墓地・教会のシエスタ(昼休み)、疲労蓄積等々で計画を変更していくことに。 ときどきツイッターで現在地点を報告します。緊急の連絡は移動中のメールアドレスに。 8/1(火) 大阪発〜夜イギリス着 日の出6時半/日没21時半 8/2(水)イギリス南部、中部 アーネスト・サトウ(幕末の通訳) T.S.エリオット(詩人/『キャッツ』原作) ハーディ(作家「テス」) アリス・リデル(「不思議の国のアリス」のモデル) コナン・ドイル(作家「シャーロック・ホームズ」) クヌート王(デンマーク王「ヴィンランド・サガ」) ジェーン・オースティン(作家) ヘンリー1世(レディング修道院) アガサ・クリスティ(作家/ミステリーの女王) ジョージ・オーウェル(作家「1984」) シェイクスピア ジョン・ボーナム(「レッド・ツェッペリン」ドラマー) 8/3(木)イギリス中部、南部 ゴダイヴァ(ゴディバ)夫人 ダイアナ妃 キューブリック(映画監督「2001年宇宙の旅」) ジョセフ・ロートブラット(物理学者、ノーベル平和賞) コールリッジ(ロマン派の詩人) ラッフルズ(花ラフレシアの名付け親) ハリー・パークス(幕末の駐日公使) 8/4(金)ロンドン ウェストミンスター寺院 ※ニュートン(科学者)、ダーウィン(進化論)、ディケンズ(作家)、ヘンデル(作曲家)、ホーキング博士(宇宙物理学者)、エリザベス女王、メアリー・スチュアートほか50名 ウォルター・ローリー(冒険家) ジェーン・グレイ(九日間のイングランド女王)ロンドン塔 ロバート・フック(細胞を発見) 8/5(土)ロンドン近郊 フレディ・マーキュリー旧墓 サッカレー(作家) ウォーターハウス(画家) ウィングフィールド(テニス創始) ロバート・ブラウン(植物学者、ブラウン運動) バルビローリ(指揮者) キャロル・リード(映画監督「第三の男」) ルイス・キャロル(作家「不思議の国のアリス」) ナポレオン3世 リチャード・アッテンボロー(俳優、映画監督「ガンジー」) 22:50フランス着 ★フランス 66名 8/6(日)パリ モンマルトル墓地 ※スタンダール(作家)、ドガ(画家)、ハイネ(詩人)、ベルリオーズ(作曲家)、トリュフォー(映画監督)、ジャンヌ・モロー(俳優)、ニジンスキー(舞踏家)、ピエール・カルダン(デザイナー) ナポレオン パスツール(細菌学者) モンパルナス墓地 ※サルトル(哲学者)、ボードレール(詩人)、ジャン・ポール・ベルモンド(俳優)、カリエール(画家)、ラトゥール(版画家)、鮫島尚信(初代駐仏特命全権公使)、ジェーン・バーキン コンコルド広場(アントワネット最期の地) 8/7(月)パリ ペール・ラシェーズ墓地 ※ショパン(作曲家)、ビゼー(作曲家)、ドラクロワ(画家)、ジム・モリソン(ロックシンガー)、ピアフ(シャンソン歌手)、モディリアーニ(画家)、プジョー(自動車)、ブガッティ(自動車)、ロスチャイルド(銀行家)、ブリュネ(陸軍士官、「ラストサムライ」のモデル)、ゲルダ(写真家、キャパ恋人)、ワイルド(作家)、ベッリーニ(作曲家) パスカル(思想家) ラシーヌ(劇作家) マラー(革命時の政治家) パンテオン ※キュリー夫妻(科学者)、ユゴー(作家「レ・ミゼラブル」)、ルソー(思想家)、ヴォルテール(思想家)、ラグランジュ(天文学者) リシュリュー枢機卿(宰相、「三銃士」悪役) パッシー墓地 ※ドビュッシー(作曲家)、フォーレ(作曲家)、ジバンシィ(服飾デザイナー)、アンリ・ファルマン(航空家)、ジャン=ルイ・バロー(俳優)、ゲラン(香水王) 8/8(火)フランス中部 サティ(作曲家) バタイユ(思想家) ルナール(作家「にんじん」) 聖ラザロ コルトー(ピアニスト) メシアン(作曲家) 8/9(水)フランス東部 レヴィ・ストロース(社会人類学者) ルノアール(画家) ド・ゴール(初代大統領) 藤田嗣治(画家) 第一次世界大戦の激戦地その1…ヴェルダン記念館、ドゥオモン納骨堂、塹壕の戦跡(西部戦線異状なし) ★オランダ 5名 8/10(木) アンネ・フランクの隠れ家 レンブラント ディック・ブルーナ(ミッフィー) フェルメール(画家) レーウェンフック(顕微鏡の父) スピノザ(哲学者) 国際司法裁判所 ゴッホの長兄 ★ベルギー 8/11(金) ワーテルロー古戦場(ナポレオン最後の戦い)…ウェリントン博物館、ライオンの丘 ★フランス 第1次世界大戦の激戦地その2…ソンム(西部戦線異状なし) サキ(作家) 8/12(土)フランス北部 ジュール・ヴェルヌ(SFの父) ブラック(画家) リチャード1世(ルーアン) ウィリアム1世(カーン) ノルマンディー米軍英霊墓地(「プライベート・ライアン」舞台)、オマハビーチ、ユタビーチ・メモリアル 8/13(日)フランス西部 シャトーブリアン(作家) フォントブロー修道院 ユル・ブリンナー(俳優) ユッセ城(「眠りの森の美女」の城) 8/14(月)フランス北部 ダ・ビンチ(天才) マスネー(作曲家) シスレー(画家) マラルメ(詩人) ミレー(画家) シュトロハイム(俳優) ロミー・シュナイダー(俳優) ルオー(画家) 8/15(火)パリ近郊 ロダン(彫刻家) シュバリエ(俳優) ミュンシュ(指揮者) ルイ・ヴィトン(鞄職人) ゴッホ兄弟※生誕170年 8/16(水)21:00帰国 | 
| 【人物概要】
       ロンドン 【ウエストミンスター寺院:Westminster 
Abbey29】Westminster, City of Westminster, Greater London, England 56 ●ニュートンIsaac Newton (1642-1727)物理学者・天文学者・数学者。ケンブリッジ大教授。万有引力の発見、微積分法や反射望遠鏡の発明、光のスペクトル分析などの功績。造幣局長官・英国王立協会長を歴任。「自然哲学の数学的原理(プリンキピア)」※地面にも墓! https://www.findagrave.com/memorial/1277/isaac-newton ●ヘンデル George Frideric 
Handel(1685-1759)ドイツの作曲家。初めはイタリアで、後半生はイギリスで活躍。後期バロック音楽の巨匠。作風は単純・明快。オラトリオ(宗教音楽劇)「メサイア」 http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=2534 Plot: 
Poets Corner ●ダーウィンCharles 
Darwin(1809-1882)イギリスの博物学者。測量船ビーグル号で南半球を巡って動植物・地質を調査し、「種の起源」で進化論を提唱。一般思想界にも影響を与えた。 Plot: The North Choir ailse, close to Sir 
Isaac Newton●ディケンズ Charles 
Dickens(1812-1870)イギリスを代表する小説家。ヴィクトリア朝の英国社会を鋭くとらえ、ユーモアを交えて不正を批判。共感を込めて庶民を描いた。「クリスマス-キャロル」「二都物語」「オリバー=ツイスト」「デビッド=カッパーフィールド」。 Plot: Poets Corner(本墓)墓碑銘「故人は貧しき者、苦しめる者、そして虐げられた者への共感者であった。その死により、世界から、英国の最も偉大な作家の一人が失われた 
」 ●スティーヴン・ウィリアム・ホーキング(英: Stephen William Hawking CH CBE FRS FRSA、1942年1月8日 - 2018年3月14日[1])は、イギリスの理論物理学者である https://www.findagrave.com/memorial/188025042/stephen-hawking ●ハレー Edmond 
Halley[memorial](1656-1742)天文学者。彗星が再訪することを発見。ハレー彗星が約76年周期で接近すると予測。 ●キップリング Rudyard 
Kipling(1865.12.30-1936.1.18)イギリスの作家。植民地インド生まれ。帰英後、インドが背景となった小説を多く書いた。「ジャングル・ブック」。ノーベル賞。 http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=584  
Plot: Poets Corner (Cremated at Golders Green Crematorium) ●リビングストン David Livingstone(1813-1873)イギリスの探検家。奴隷貿易の廃止に貢献。宣教師として南部アフリカに派遣され、多数の地理的発見をした。一時行方不明になるも、タンザニアのタンガニーカ湖畔でスタンリーに発見された。 ●ローレンス・オリビエLaurence 
Olivier(1907-1989)英国を代表する名優。シェイクスピア作品を得意とした。 ●レイフ・ヴォーン・ウィリアムズRalph Vaughan 
Williams(1872-1958)作曲家。田園風景を彷彿とさせる牧歌的な作風。シベリウスに傾倒。遺灰は北の聖歌隊席通路に埋葬。 Westminster Abbey, Westminster, City of 
Westminster, Greater London, England//Plot: His ashes are buried in the North 
Choir Aisle. Cremated at Golders Green Crematorium ●ウィリアム・ユワート・グラッドストン(英語: William Ewart Gladstone PC FRS FSS [?w?lj?m 
?ju?w??t ?glad.st?n]、1809年12月29日 - 
1898年5月19日)は、イギリスの政治家。ヴィクトリア朝中期から後期にかけて、自由党を指導して、4度にわたり首相を務めた(第一次: 
1868年-1874年、第二次: 1880年-1885年、第三次: 1886年、第四次: 
1892年-1894年)。生涯を通じて敬虔なイングランド国教会の信徒であり、キリスト教の精神を政治に反映させることを目指した。多くの自由主義改革を行い、帝国主義にも批判的であった。好敵手である保守党党首ベンジャミン・ディズレーリとともにヴィクトリア朝イギリスの政党政治を代表する人物として知られる。
 
 https://www.findagrave.com/memorial/8706/william-ewart-gladstone Plot: Statesman's Corner ●ヘンリー・パーセル(英:Henry Purcell、1659年9月10日? - 1695年11月21日)は、バロック時代におけるイングランドの作曲家。イタリアやフランスの影響を受けつつ独自の音楽を生み出した、最も優秀なイギリス人の作曲家の1人として知られている。弟にダニエル・パーセルがいる。生涯に残した曲はおよそ800曲以上。※地面と壁! https://www.findagrave.com/memorial/7062/henry-purcell https://www.youtube.com/watch?v=T9GrmokeHPY 時計じかけのオレンジ ●ロバート・ブラウニング(Robert Browning, 1812年5月7日 - 1889年12月12日)は、テニソンと並ぶビクトリア朝の代表的詩人。「劇的独白」と呼ばれる心理描写を試みた。『赤毛のアン』の巻頭にブラウニングの『エヴリン・ホープ』の一節「あなたは良き星のもとに生まれ/精と火と露により創られた」があり、最後の2行(「道の曲がり角」)でピッパを引用して終わっている。テニスンの隣に埋葬されている。
       https://www.findagrave.com/memorial/2973/robert-browning Westminster Abbey, Westminster, City of 
Westminster, Greater London, England//Plot: Poet's Corner, alongside 
Tennyson ●ローランド・ヒル Rowland Hill(1795.12.3-1879.8.27)「近代郵便制度の父」。1837年、“手紙は国内均一の郵便料金(1ペニー)にすべき"と提案し、3年後に世界初の郵便切手が誕生した。※ハイゲートからウエストミンスターに改葬。 Westminster Abbey, Westminster, City of Westminster, Greater London, 
England//Plot: Chapel of St.Paul https://www.findagrave.com/memorial/7081/rowland-hill ●アーネスト・ラザフォード Ernest Rutherford(1871.8.30?1937.10.19)「原子物理学の父」。ニュージーランド出身の物理学者。実験物理学の大家で、弟子思いでも有名。放射線の研究でα線・β線を発見。原子核の人工変換に成功。“半減期"の概念を作る。「原子物理学の父」。
      ノーベル化学賞(1908)。 http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=1384 ●テニソンAlfred Tennyson(1809.8.6-1892.10.6)英ヴィクトリア朝の国民的詩人。桂冠詩人。詩風は美しい韻律と豊かな抒情性。時代の問題も取り上げた。「イン・メモリアム」は友人の死と進化論によって揺れ動く信仰をうたった詩。 http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=4416 Plot: 
Poet's Corner(本墓) ●チョーサー Geoffrey Chaucer(1342-1400.10.25)「英詩の父」。近代英詩を創始した詩人。当時の教会用語であったラテン語、当時イングランドの支配者であったノルマン人貴族の言葉であったフランス語を使わず、世俗の言葉である中英語を使って物語を執筆した最初の文人とも考えられている。このため、"The
      father of English poetry"(英詩の父)と呼ばれる。中世イギリス文学の傑作「カンタベリー物語」を残す。鋭い人間観察とユーモア、独自の文学世界。 Westminster Abbey, Westminster, City of 
Westminster, Greater London, England Plot: Poets Corner, name is on Abraham 
Cowley's marker, actual grave is unmarked. [unmarked] ●ウィリアム・トムソン(英: William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, 
PRSE、1824年6月26日 - 
1907年12月17日)はアイルランド生まれのイギリスの物理学者。電磁誘導や磁気力を表すためにベクトルを使い始めた人物でもある。ケルビン(英語:
 
kelvin, 記号: K)は、熱力学温度(絶対温度)の単位であり、これはケルビン卿ウィリアム・トムソンにちなんで付けられた。
 https://www.findagrave.com/memorial/1278/william-thomson ●ジョージ・グラハム(George Graham、1673年7月7日 - 1751年11月20日)は、イギリスの時計師、発明家。 時計製作史上最初のクロノグラフ(ストップウオッチ機能を備えた時計)を完成 https://www.findagrave.com/memorial/7069/george-graham ●ジョゼフ・ジョン・トムソン(Sir Joseph John Thomson, 1856年12月18日-1940年8月30日)は、イギリスの物理学者。しばしばJ. J. トムソンと呼ばれる[1]。電子の発見に貢献したことで知られる。また安定同位体の発見者であり、質量分析器の発明者である。1906年に気体の電気伝導に関する研究でノーベル物理学賞を受賞。ニュートンのすぐそばに埋葬された。 https://www.findagrave.com/memorial/14667060/joseph-john-thomson ●サミュエル・ジョンソン (Samuel Johnson、1709年9月18日-1784年12月13日)は、イングランドの文学者(詩人、批評家、文献学者)。「英語辞典」(1755年)の編集で知られる。18世紀英国において「文壇の大御所」と呼ばれた。親しみを込めて「ジョンソン博士(ドクター・ジョンソン)」と称される。「愛国心はならず者の最後の逃げ場(Patriotism is the last refuge of a scoundrel)」 Plot Poets Corner https://www.findagrave.com/memorial/1822/samuel-johnson/photo ●ウィリアム・ウィルバーフォース(英語: William Wilberforce、1759年8月24日 - 1833年7月29日)は、イギリスの政治家、博愛主義者、奴隷廃止主義者。奴隷貿易に反対する議会の運動のリーダーを務めた。Statesmans Corner https://www.findagrave.com/memorial/6170/william-wilberforce ●ウィリアム・ピット(William Pitt (the Younger)、1759年5月28日 - 1806年1月23日)は、18世紀末から19世紀はじめにかけてのイギリスの政治家、首相(在任:1783年 - 1801年、1804年 - 1806年)。1760年代に首相を務めた初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット(大ピット)とヘスター・グレンヴィルの次男である。24歳でイギリス最年少の首相。フランス革命戦争・ナポレオン戦争時の首相。 https://www.findagrave.com/memorial/1270/william-pitt_the_younger ●ウィリアム・ピット(英語: William Pitt, 1st Earl of Chatham, PC, FRS、1708年11月15日 - 1778年5月11日)は、イギリスの政治家、貴族。通称大ピット(William Pitt the Elder)。1735年にホイッグ党の庶民院議員に当選し、政界入り。ロバート・ウォルポール首相の「軟弱外交」を批判するタカ派若手政治家として頭角を現し、庶民院で影響力を拡大させた。1757年から1761年にかけて第2次ニューカッスル公爵内閣で南部担当国務大臣を務め、七年戦争を実質的に指導し、インド亜大陸や北アメリカや西インド諸島などの植民地でフランス勢力を駆逐することに成功し、大英帝国の基礎を築いた。 https://www.findagrave.com/memorial/1383/william-pitt_the_elder ※ホイッグ党…王権の制限、人権の保護を重視する革新派で、後の自由党の前身。トーリー党は王権との協調、国教会信仰、旧騎士階級などの保守派を代表する勢力で保守党の前身。 ●アーサー・ネヴィル・チェンバレン (英語: Arthur Neville Chamberlain, FRS, 1869年3月18日 - 1940年11月9日) は、イギリスの政治家、実業家。首相(在任:1937年5月28日 - 1940年5月10日)。ナチス党傘下のドイツ国に対する宥和政策で知られる。これまで制限が設けられていなかった女性や子供の労働時間に制限を掛ける法律を通過させたほか、有給休暇関連法や家賃統制など、労働者の権利を優先させる法律の制定に尽力した。 https://www.findagrave.com/memorial/8708/neville-chamberlain ●チャーチル 記念碑 https://www.findagrave.com/memorial/235494798/winston-leonard_spencer-churchill ●オリバー・クロムウェル(英語: Oliver Cromwell、1599年4月25日 - 1658年9月3日[1])は、イングランドの政治家、軍人、イングランド共和国初代護国卿(Lord Protector)。清教徒革命(イングランド内戦)では鉄騎隊を指揮してエッジヒルの戦いやマーストン・ムーアの戦いで活躍し、ニューモデル軍(新模範軍)の副司令官となる。ネイズビーの戦いで国王チャールズ1世をスコットランドに追い、議会派を勝利に導いた。護国卿時代には独裁体制を敷いた。ウェストミンスター宮殿正門前に、鎧姿で剣と聖書を持ったクロムウェルの銅像がある。 Oliver Cromwell Famous memorial VVeteran * This is the original burial site Plot RAF Chapel https://www.findagrave.com/memorial/6164/oliver-cromwell ●ベンジャミン・ディズレーリ(英語: Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield, KG, PC, FRS、1804年12月21日 - 1881年4月19日)は、イギリスの政治家、小説家、貴族。ユダヤ人でありながら保守党内で上層部に上り詰めることに成功し、ダービー伯爵退任後に代わって保守党首となり、2期にわたって首相(在任:1868年、1874年 - 1880年)を務めた。 https://www.findagrave.com/memorial/8710/benjamin-disraeli 記念碑 St. Michael and All Angels Churchyard,Hughenden, Wycombe District, Buckinghamshire, England ●ジョン・ブロウ(John Blow, 1649年2月23日受洗 - 1708年10月1日)は、イギリス王政復古期に登場した最初の著名な作曲家、オルガン奏者。ウィリアム・クロフトやヘンリー・パーセルの師である。 https://www.findagrave.com/memorial/20585/john-blow ●ウィリアム・バッカン William Buchan 1729-1805 医学のパイオニア。史上初の家庭医学書『家庭医学』の著者で、生涯に8万部以上を売り上げた。 https://www.findagrave.com/memorial/20542/william-buchan ●ジョージ・ゴードン・バイロン Lord George Gordon Byron Famous memorial Plot Poet's Corner ゲーテが「今世紀最大の天才」と賞賛した19世紀ロマン派の詩人。死後145年が経過した1969年にウェストミンスター寺院に彼を記念したコーナーが設けられた。冷笑と機知に満ちた『ドン・ジュアン』の「事実は小説よりも奇なり(Truth/Fact is stranger than fiction.)」は現代でも使われる。 ●ムツィオ・クレメンティ(Muzio Filippo Vincenzo Francesco Saverio Clementi, 1752年1月23日 - 1832年3月10日)は、イタリアのローマに生れ、イギリスのイヴシャム (w:Evesham) で没した作曲家・ピアニスト・教師・編集者・出版業者・楽器製造業者。 https://www.findagrave.com/memorial/10243/muzio-clementi ●ジョン・ドライデン(John Dryden、ユリウス暦1631年8月9日 - グレゴリオ暦1700年5月12日[1])は、イングランドの詩人、文芸評論家、劇作家。王政復古時代のイングランド文学を支配し、その時代が「ドライデンの時代」として知られるほど影響力の大きい人物であった。 T・S・エリオットは、ドライデンが「18世紀の最もすばらしい詩のほぼ全ての祖」であり、「我々はドライデンを完全に楽しむことなくしては、数百年の歴史をもつイギリスの詩を完全に楽しむ、あるいは正しく評価することは出来ない」と書いている https://www.findagrave.com/memorial/6173/john-dryden ●ジョージ・エリオット https://www.findagrave.com/memorial/19134/george-eliot ●ファラデー https://www.findagrave.com/memorial/20883/michael-faraday ●チャールズ・ジェームズ・フォックス(英: Rt. Hon. Charles James Fox, PC、1749年1月24日 - 1806年9月13日)は、イギリスの政治家。 フランス革命を支持。 https://www.findagrave.com/memorial/1274/charles-james-fox ●デイヴィッド・ギャリック(David Garrick、1717年2月19日 - 1779年1月20日)は18世紀イギリスの俳優、劇作家、劇場支配人。近代演劇の父と称され、18世紀を代表する名優。戯曲の台詞を朗々と語る流行から離れ、よりリアルな演技スタイルを開拓した。 https://www.findagrave.com/memorial/6174/david-garrick ●ジョン・ゲイ(またはジョン・ガイ, 英: John Gay, 1685年6月30日 - 1732年12月4日)は、イングランドの詩人、劇作家。ゲイの作品で有名なものは、ヨハン・クリストフ・ペープシュが曲をつけた『ベガーズ・オペラ(乞食オペラ)』(1728年)で、マクヒース、ポリー・ピーチャムといった登場人物たちの名前は一般に広く浸透した。 画像なし ●トーマス・ハーディ(Thomas Hardy OM, 1840年6月2日 - 1928年1月11日)は、イギリスの小説家、詩人。 https://www.findagrave.com/memorial/4112/thomas-hardy ●フレデリック・ウィリアム・ハーシェル(Sir Frederick William Herschel, 1738年11月15日 - 1822年8月25日)は、ドイツのハノーファー出身のイギリスの天文学者・音楽家・望遠鏡製作者。天王星の発見や赤外線放射の発見など、天文学における数多くの業績で知られる。 https://www.findagrave.com/memorial/7071/william-herschel ●ジョン・ハンター(John Hunter、1728年2月13日 - 1793年10月16日[1])は、イギリスの解剖学者、外科医である。「実験医学の父」「近代外科学の開祖」と呼ばれ、近代医学の発展に貢献した。 https://www.findagrave.com/memorial/9563/john-hunter ●ベン・ジョンソン(Ben Jonson, 1572年6月11日 - 1637年8月6日[1])は、17世紀イギリスの劇作家・詩人で、シェイクスピアと同時代人。1616年桂冠詩人になった。 https://www.findagrave.com/memorial/5942/ben-jonson ●ジェームズ・プレスコット・ジュール(英: James Prescott Joule, 1818年12月24日 - 1889年10月11日)はイギリスの物理学者。エネルギー保存の法則を発見し、熱の力学的等価性を決定。生涯、大学などの研究職に就くことなく、家業の醸造業を営むかたわら研究を行った。ジュールの法則を見出し、熱量の単位ジュールにその名をとどめる。 https://www.findagrave.com/memorial/19138/james-prescott-joule ●D・H・ロレンス https://www.findagrave.com/memorial/230623252/dh-lawrence ●ロイド・ジョージ https://www.findagrave.com/memorial/4053/david-lloyd_george ●ロングフェロー 1884年、詩人のコーナーにアメリカの詩人としては初めてその胸像が置かれた。 https://www.findagrave.com/memorial/19132/henry-wadsworth-longfellow ●クリストファー・マーロウ(Christopher Marlowe、洗礼日1564年2月26日 - 1593年5月30日[1]) シェイクスピアに先がけて、エリザベス朝演劇の基礎を築いた。ステンドグラスに墓。居酒屋で喧嘩に巻き込まれて不慮の死を遂げたといわれる(29歳)。 https://www.findagrave.com/memorial/87196656/christopher-marlowe ●アン・ネヴィル(Anne Neville, 1456年6月11日 - 1485年3月16日) は、ヨーク朝のイングランド王リチャード3世の王妃である。 https://www.findagrave.com/memorial/8344524/anne-neville ●トーマス・パー(Thomas Parr, 1483年? - 1635年11月14日)は、152歳まで生きたといわれるイングランド人[1]。オールド・パー (Old Parr)、オールド・トム・パー (Old Tom Parr) の異名で知られる。ヘンリー8世の最後の妻となったキャサリン・パーの父は同姓同名の別人。 墓碑銘「サロップ郡のトーマス・パー、主の年1483年に生誕せり。10代の英主の御代に生きたり。則ち、エドワード4世王、エドワード5世王、リチャード3世王、ヘンリー7世王、ヘンリー8世王、エドワード6世王、メアリー女王、エリザベス女王、ジェイムズ王、チャールズ王なり。齢152。1635年11月15日、ここに葬られたり」 https://www.findagrave.com/memorial/9580673/thomas-parr ●ラッフルズの石像あり https://www.findagrave.com/memorial/241480479/thomas-stamford-raffles ●ヨハン・ペーター・ザーロモン(Johann Peter Salomon, 1745年2月20日受洗 - 1815年11月28日)は、ドイツ出身のヴァイオリニスト、作曲家、指揮者、音楽興行師。ハイドンに交響曲を注文。モーツァルトの交響曲第41番に『ジュピター』の名を与えた。ロンドンで落馬事故のため死去し、ウェストミンスター寺院の回廊に葬られた。ボン時代からザーロモンと親しかったベートーヴェンはザーロモンの死を悲しみ、「私が子どものころから知っている人のうちで最も偉大な心の持ち主だった」と言っている。作曲家フェリックス・メンデルスゾーンの母レア・ザーロモンは親戚。 The Cloister, buried with William Shield https://www.findagrave.com/memorial/10245/johann-peter-salomon ●シェイクスピアの石像 https://www.findagrave.com/memorial/87136641/william-shakespeare ●ジョン・スミートン(John Smeaton、1724年6月8日 - 1792年10月28日)はイギリスの土木工学者であり、橋、運河、泊地、灯台などを設計したことで知られ、「土木工学の父」とも呼ばれる。機械工学や物理学の分野にも足跡を残している。「土木工学者 (civil engineer)」を自称した世界初の人物でもある。嵐に破壊されたエディストーン灯台 (1774) を建設したとき、コンクリートを使用した最初の人物に。ライト兄弟が「スミートン係数」を修正して使用。 https://www.findagrave.com/memorial/7066/john-smeaton ●エドマンド・スペンサー(Edmund Spenser, 1552年頃 ? 1599年1月13日)イギリスの詩人。イギリス‐ルネサンス期を代表する詩人の一人。豊かな音楽性で「詩人の詩人」の名がある。代表作「牧人の暦」「神仙女王」など。エリザベス1世の時代に活躍した。 https://www.findagrave.com/memorial/5941/edmund-spencer ●アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson, 1809年8月6日 - 1892年10月6日)は、ヴィクトリア朝時代のイギリスの詩人。 https://www.findagrave.com/memorial/4416/alfred-tennyson ●ディラン・トーマス https://www.findagrave.com/memorial/19136/dylan-thomas ●ヴォーン・ウィリアムズ https://www.findagrave.com/memorial/18885/ralph-vaughan_williams 〔王族〕16 ●エドワード懺悔王Edward the 
Confessor(1004-1066)在位:1042年6月8日- 
1066年1月4日。修道士に近い国王。ウェストミンスターを建設。ノルマン・コンクエスト以前の最後の王。白子(アルビノ)。 ※ウェストミンスター寺院にはエドワード懺悔王(1066年没)からジョージ2世(1760年没)まで700年にわたる多くの王が礼拝堂に葬られた。 Plot: The Chapel of St. Edward the 
Confessor, behind the Sanctuary Westminster Abbey, Westminster, City of 
Westminster, Greater London, England ●ヘンリー3世King Henry 
III.(1207.10.1-1272.11.16)ヘンリー3世治世の国王と諸侯(シモン・ド・モンフォール/下院の創設者)の争いの中から、今日の議会の原型が誕生した。 ●エドワード1世Edward 
I(1239.6.17-1307.7.7)在位1272-1307年。ヘンリー3世の長男。強力な指導力の下、イングランドは中世における最盛期をむかえた。多くの法律を制定し土地保有制度の改革や教会裁判権の抑制をはかる。ウェールズ支配の強化により、長男のエドワード2世に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を授け、これが慣例となってイングランド君主の長男はこの称号を帯びるようになった。スコットランド攻略でスコットランド王を廃位させたが、W・ウォレスらスコットランド独立の反乱がおきた。ウォレスを処刑し、3度目のスコットランド遠征にむかう途中で病死した。 ●エドワード3世Edward 
III(1312.11.13-1377.6.21)在位1327-77年。1337年にフランス王フィリップ6世がフランス内の英王領=アキテーヌ公領の没収を宣言。エドワード3世はフィリップ4世の孫であった為、フランス王位請求権を主張し「百年戦争」(1337〜1453)が勃発する。長子エドワード(黒太子)とノルマンディに上陸、カレーを占拠したが曽々孫ヘンリー6世(1421-1471)の時代にジャンヌ・ダルク率いるシャルル7世軍に敗北した。治世下1347〜70年にペストが大流行し、ヨーロッパでは総人口の3分の1にあたる2500万人〜3000万人が病没した。 ※エドワード3世→ジョン・オブ・ゴーント→ヘンリー4世→ヘンリー5世→ヘンリー6世 ※没後、イングランドは、ともにエドワード3世の血をひくランカスター家(赤薔薇)とヨーク家(白薔薇)が争う時代へ入っていく。 ●リチャード2世Richard 
II(1367.1.6-1400.2.14)プランタジネット朝のイングランド王(在位:1377年6月22日-1399年9月29日)。リチャード2世の眼前で、農民一揆のリーダー、ワット・タイラーはロンドン市長ウォルワースの手で殺害された。ヘンリー4世が即位=ランカスター朝を開いた後、リチャード2世は尊厳を奪われ餓死させられた。 ●ヘンリー5世King Henry 
V(1386.9.16-1422.9.1)フランス侵攻の野心をもち、1415年にはアザンクールで大勝利をおさめた(英軍約6000VS仏軍2万5000)。フランス軍の死者5000余人、その中には500人以上の貴族が含まれていた。その後フランス王家と縁組みをして両王国の統合に事実上成功したが直後に赤痢で急逝(34歳)。息子のヘンリー6世が9歳で両王国の統治者として即位する。 ★ヘンリー7世Henry VII (1457.1.28-1509.4.21)在位1485〜1509年。ランカスター家出身。先帝リチャード3世(ヨーク家)は兄であるエドワード5世(エドワード4世の遺児)を廃位して王となったが、その際に兄王の2人の子を殺害させた疑惑があった。ヘンリー7世は兵をおこし、薔薇戦争(1455〜85)のボズワース決戦でリチャードを倒して即位した。翌年、ヨーク家のエリザベスと結婚し両家を統合、新たにチューダー朝を開く。内戦で封建貴族が疲弊=王権が強化された結果、チューダー朝・絶対王政の時代は118年も続く。 ★エドワード5世 1470-1483  12歳で王位を継承したが弟のヨーク公リチャードと共にロンドン塔に幽閉され、2ヵ月後に議会は「兄弟はエドワード4世の庶子である」として王位継承の無効を議決。そして叔父のグロスター公がリチャード3世としてイングランド王に即位した。その後、2人は「塔の中の王子たち」 (Princes in the Tower) と呼ばれることになる。幽閉後のエドワード5世と弟リチャードの消息は判明していないが、リチャード3世もしくはヘンリー7世に葬られたと見なされている。1674年、ロンドン塔の改修に携わった作業員が、子供の遺骨とみられる大小の頭蓋骨や骨片が入った木箱を発見し、1678年にチャールズ2世の命によりウェストミンスター寺院に安置された https://www.findagrave.com/memorial/2248/edward_v ●エドワード6世King Edward VI(1537.10.12-1553.7.6)マーク・トウェイン『王子と乞食』の主人公。在位:1547年1月28日- 1553年7月6日。父はヘンリー8世。母はジェーン・シーモア(3番目の妃)。15歳で病死。日記が残っており、現存する英語で記載された最も古い日記とされる。 ●メアリー1世Mary I(1516.2.18-1558.11.17)Queen 
Mary (Tudor) I. 
(Mary)在位1553〜58年。ヘンリー8世と最初の妃キャサリンの子(メアリー・ステュアートとは別)。父ヘンリー8世の宗教改革を廃してカトリックに復帰する政策をとった。ミサが復活し、教皇の権威が再確立された。1554年、カトリック大国スペインのフェリペ(後のフェリペ2世)と結婚し、国民の大きな反発を招く。異母妹エリザベスを女王に擁立しようとするワイアットらの反乱を鎮圧。メアリーはフェリペの要請をうけてフランスとの戦争に加担し、英国は大陸最後の拠点カレーを失った。苛烈な宗教弾圧により、カンタベリー大主教クランマーなど約300人のプロテスタントを異端として処刑した「ブラッディ・メアリー(血のメアリー)」。 ●エリザベス1世 Elizabeth I 
(1533.9.7-1603.3.24)在位1558〜1603年。異母姉“ブラッディ”メアリーの死によって即位。ヘンリー8世と2番目の妃アン・ブーリンとの子。祖父ヘンリー7世の堅実さと父8世の豪胆さを併せ持つ。イングランドをメアリー治世下のカトリックからプロテスタントに戻した。統治下のイングランドは産業や経済の発展に本腰が入り、あらゆる分野で繁栄を謳歌し、シェイクスピアも輩出。ドレークらによる私掠(しりゃく)船の活動もあって海洋大国へと発展。貿易を奨励し、66年にはロンドン王立取引所が開設され、1600年には東インド会社の設立が認可された。女王は生涯独身をとおし、各国王家からの求婚をすべてことわった。カトリック教徒である従姉妹のスコットランド女王兼フランス王太子妃メアリー・スチュアートが68年に亡命してくると彼女を幽閉。カトリック教徒はヘンリー7世の血をひくメアリーこそイングランドの正当な君主であると主張していたため、幽閉19年目に処刑した。カトリック大国スペインのフェリペ2世は無敵艦隊を派遣したが英国に大敗北を喫した。 ●メアリー・スチュアート:スコットランド女王 Mary Stuart'Queen of 
Scots'(1542.12.8-1587.2.8)エリザベス1世に抹殺された。 ●ジェームズ1世(スコットランド人)James I(1566.6.19-1625.3.27)在位1603〜25年。ヘンリー8世の子であるエドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世は全員が子を残さず死去したため、ヘンリー7世の血をひくスコットランド王ジェームズ6世(メアリー・スチュアートの息子)がジェームズ1世としてむかえられ、スチュアート朝に移行した。父はダーンリー卿。カトリックやピューリタンへの弾圧を強めたことから、1605年に国王暗殺をねらうガイ・フォークスの火薬陰謀事件がおき、1620年にはピルグリム・ファーザーズによる新大陸移住がおこった。息子チャールズ1世が王位をついだ。王妃アンの浪費による宮廷経費の増大は国家財政を逼迫させ、清教徒革命に至る国王と議会の対立の最大の原因となる。 ※イングランド国旗のセント・ジョージ・クロスとスコットランド国旗のセント・アンドリュー・クロスを重ね合せたユニオン・フラッグを1606年4月12日に制定。 http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=1974   
Plot: Henry VII Chapel ●チャールズ2世Charles 
II(1630-1685)在位1660〜85年。チャールズ1世の子。ジェームズ1世の孫。クロムウェルらのピューリタン革命後、その反動で起きた「王政復古」によって即位。宗教的寛容をめざすチャールズの意に反して、議会はピューリタンをすべて非国教徒として弾圧する方向に進む。浪費家ゆえ、多額の持参金を目当てにカトリック国ポルトガルの王女と結婚、70年にはフランス王ルイ14世から財政援助を受けることになった。チャールズがカトリック復活を示唆する密約をフランスと交わしたことが発覚し、議会は王の弟でカトリック教徒のヨーク公(のちのジェームズ2世)の王位継承を認める「トーリー党」(逃亡者の意/後の保守党/王党派)、それを認めないグループ「ホイッグ党」(反徒の意/後の自由党/改革派)に別れ、これが二大政党制の起源となった。死後、弟がジェームズ2世として王位についた。 ●ウィリアム3世William of Orange (William III)(1650.11.14-1702.3.19)オランダ出身。名誉革命(1688)で即位したイングランド王。在位1689〜1702年。オランダのオラニエ(オレンジ)公ウィレム2世とイギリス王チャールズ1世の娘メアリー・ステュアートの一人息子。ウィレムは大胆な戦術でフランスのオランダ侵略をくいとめる一方で、イングランド王ジェームズ2世の長女メアリー(2世)と結婚してイングランドとの結びつきを強めるなど、卓越した外交手腕を発揮。ジェームズ2世のカトリック化政策を憂慮していたイングランドの有力貴族たちは、プロテスタントのウィレムにイングランド進攻を要請。ジェームズ2世はフランスに逃亡し、オラニエ公と妻メアリーは議会の権利章典を承認し「名誉革命」が達成された。ウィレムは妃メアリーと共同でイングランドの統治にあたった。94年メアリー他界。8年後にウィレム死去。王位は妻の妹アンにうけつがれた。※厳密には無血革命ではなく、ジェームズ2世の支持勢力が多かったスコットランド、アイルランドでは徹底的な武力弾圧があった。 メアリー2世 ●アン女王Anne 
I.(1665.2.6-1714.8.1)スチュアート朝最後のイギリス女王。在位1702〜14年。治世下でイングランドとスコットランドが合同してグレートブリテン連合王国となった。英文学は隆盛をきわめ、スウィフト、デフォー、ポープなどを輩出した。没後、子供がいなかったため、王位継承法にしたがってスチュアート家の血をひくドイツのハノーファー選帝侯がジョージ1世として即位した。 Plot: Buried next to her husband, Prince 
George −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ●アーネスト・サトウ(1843−1929) 幕末の通訳 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ernest_Mason_Satow_grave.jpg Ottery St. Mary Parish Churchyard:Ottery St Mary, East Devon District, Devon, England ●T.S.エリオットThomas Stearns 
Eliot'T.S.'(1888.9.26-1965.1.4)イギリスの詩人。ノーベル賞作家。西洋の古典的な伝統を重んじ、「荒地」「四つの四重奏」を発表。アメリカから帰化。 St Michael and All Angels Churchyard, East 
Coker, South Somerset District, Somerset, England ●ハーディ Thomas Hardy[heart 
only](1840-1928)イギリスの小説家。美しい自然や風俗描写の奥底に人生=悲劇という宿命観。「テス」など。※ウェストミンスター寺院の墓は心臓がない身体。 St Michael's Churchyard, Stinsford, West 
Dorset District, Dorset, England ●アリス・リデル Alice Liddell(1852.5.4-1934.11.16)『不思議の国のアリス』のモデルとなった。当時10歳だったアリスにオックスフォード大の数学者ルイス・キャロルが作った話が後に作品となった。アリスは82歳まで生きた。
 St Michael and All Angels Churchyard, Lyndhurst(リンドハースト), New Forest District, Hampshire, England http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=8716 ●コナン・ドイル Arthur Conan 
Doyle(1859.5.22-1930.7.7)小説家・医者。推理小説「シャーロック=ホームズの冒険」で人気を博す。後年は心霊術に激ハマリ。妖精を信じていた。 All Saints Churchyard, Minstead, New Forest 
District, Hampshire, England//Plot: Under an oak tree, with wife ハンプシャー:Hampshire ●エグバートEgbert:King of Wessex(769- 
839)829年にイングランドを初めて統一した王。イングランド君主の第1号。ウェセックス王エグバート。七王国の一つ、サクソン人のウェセックス王(在位:802-839)。 Winchester Cathedral, Winchester, City of 
Winchester, Hampshire, England ●エゼルウルフ(Ethelwulf、? - 858年)ウェセックス王(在位839年- 
858年)。ウェセックス王エグバートと妃レドブルガの子。アルフレッド大王の父。エゼルウルフの墓石はイングランド南部の、ステイニングという小さな町の教会に保管されている ●アルフレッド大王 Alfred the 
Great(849-899.10.26)屈強なデーン人(デンマーク人)の撃退に成功した唯一の王。イングランド七王国時代のウェセックス王。在位871〜899年。エゼルウルフ王の5男。海軍創設など軍制改革をすすめ886年にデーン人からロンドンを奪回。892年にデーン人が再来するも防ぎきった。デーン人の支配地域(デーンロー地方)以外の全イングランドの盟主となり、イングランド統一の基礎を築く。学問の復興にも力を入れ宮廷学校を開いた。「アングロ・サクソン年代記」を編纂させる。アルフレッド編纂の法典はイングランド人とウェールズ人を初めて平等に扱ったもの。死後、聖公会・カトリック教会・正教会で聖人となる。フランク王国のカール大帝に比して大王と讃えられている。 Alfred the Great [original burial site]  
Winchester Cathedral, Winchester, City of Winchester, Hampshire, England ※アルフレッド大王 ※家屋の壁にメモリアルの石板。 Hyde Abbey, Winchester, City of Winchester, 
Hampshire, England ★クヌート1世 King Canute (995-1035.11.12)イングランド王・デンマーク王・ノルウェー王を兼ねた王。北海沿岸に一大海洋帝国を建設した。ノルマン系デーン人(デンマーク人)。1002年、父スヴェン1世はイングランドのエゼルレッド2世“無思慮王"が国内のデーン人を虐殺したことに激怒し、イングランドに侵入して“無思慮王"を逃亡させ、デーン朝を開いた。翌年スヴェン1世が急死し、復位した“無思慮王"をクヌート1世が蹴散らした。デンマーク王としてはクヌート2世。大王と称される。漫画『ヴィンランド・サガ』で大活躍。 ※スヴェン1世ハラルドソン Sweyn 
"Forkbeard"(960-1014)“八字髭”(はちのじひげ)のあだ名をもつデーン人の王。クヌート1世の父。 Winchester Cathedral, Winchester, City of 
Winchester, Hampshire, England●ジェーン・オースティン Jane Austen(1775-1817)イギリスの女流小説家。鋭い人間観察により、日常生活をユーモアと哀感、風刺を交えて鮮烈に描き出した。英文学の一つの頂点を築く!「高慢と偏見」「分別と多感」「エマ」 Winchester Cathedral, Winchester, City of 
Winchester, Hampshire, England ●ジャンヌ・ダルク記念碑 Jeanne d’Arc/Joan of Arc 
[cenotaph](1412.1.6-1431.5.30)フランスの国民的英雄。オルレアンの乙女。北東部シャンパーニュ州の農民の娘。百年戦争の末期、救国の神託を受けたと信じ、1428年にシャルル7世から授かった軍を率いてイギリス軍を撃破。翌年オルレアンを奪還した。だが、捕虜となりイギリスと結んでいるルーアンの司教らに異端宣告を受け、火刑となった。享年19。1920年聖女に加えられた。 Winchester Cathedral, Winchester, City of 
Winchester, Hampshire, England https://bighugelabs.com/onblack.php?id=1890814478&size=large ●ヘンリー1世 Henry I'Beauclerc'(1068-1135) ノルマン朝第3代のイングランド王。在位1100〜35年。ウィリアム1世の子。長兄のノルマンディ公ロベールが十字軍遠征のため留守だったことに乗じて国庫をおさえ、ウェストミンスターで即位。ノルマンディを攻略して併合。碩学(せきがく/学者)王。 Reading Abbey (Ruins), Reading, Reading 
Borough, Berkshire, England ●アガサ・クリスティ Agatha 
Christie(1890.9.15-1976.1.12)ミステリーの女王。イギリスの女流推理作家。ベルギー人探偵ポアロや老嬢探偵ミスマープルを活躍させ、多数の推理小説を書いた。「アクロイド殺人事件」「そして誰もいなくなった」「オリエント急行殺人事件」 St Mary Churchyard, Cholsey, South 
Oxfordshire District, Oxfordshire, England ●ジョージ・オーウェルGeorge Orwell:本名Eric Arthur 
Blair(1903-1950)イギリスの作家。全体主義を諷刺した「1984年」「動物農園」、スペイン内乱の義勇軍の体験ルポルタージュ「カタロニア讃歌」で著名。 All Saints Churchyard, Sutton Courtenay, 
Vale of White Horse District, Oxfordshire, England http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=2186 ●シェイクスピア William Shakespeare(1564-1616)劇作家・詩人。文学史に輝く、不朽の人間像を生み出した。青年時代にロンドンに出て俳優になり、続いて座付作者として約37編の戯曲を創作した。四大悲劇「ハムレット」「オセロ」「リア王」「マクベス」、喜劇「ベニスの商人」「真夏の夜の夢」、史劇「ジュリアス=シーザー」「リチャード三世」「ヘンリー四世」、そして「ロミオとジュリエット」など傑作揃い。他に詩集「ソネット集」。※本墓 Holy Trinity Churchyard, 
Stratford-upon-Avon, Stratford-on-Avon District, Warwickshire, England Plot: The Chancel ●ジョン・ボーナム John 
Bonham'Bonzo'(1948.-1980)伝説のロックバンド『レッド・ツェッペリン』のドラマー。“重戦車"と例えられたヘビードラムにファンが熱狂した。深酒で死去。享年32。 St Michael Churchyard, Rushock(ラショック), Wyre 
Forest District, Worcestershire, England ●ゴディバ夫人 Lady 
Godiva(990.9.5-1067.9.10)ゴディバは夫のコヴェントリー領主レオフリックが重税で領民を苦しめていたことから、民衆の為に減税を訴えた。レオフリックは「お前が裸で馬に乗って町を一周したら考えてやろう」と言い、ゴディバは長髪で身を隠しつつで町を一周した。領民はゴディバの勇気と自己犠牲に感動し、窓を閉めて通り過ぎるのを待った。レオフリックは約束を守り税を軽くした。※この伝説にちなみ、市の中心部に馬上のゴディバ像が建っている。 Saint Mary's Priory and Cathedral Coventry, Coventry, Metropolitan Borough 
of Coventry, West Midlands, England ●ダイアナ妃 Diana 'Princess of Wales' Spencer(1961.7.1-1997.8.31)元皇太子妃。第8代スペンサー伯爵の娘。1981年、ダイアナ・スペンサーは20歳でチャールズ(エリザベス2世の長男)と結婚。長男ウィリアム王子、2男ヘンリー王子が誕生したが、結婚11年目に別居、5年後に離婚した。翌年ダイアナは36歳で事故死した。※ロンドンの百貨店Harrods(ハロッズ)の中には、離婚後の恋人ドディ・アルファイドと写真が並んだモニュメントがある。 Spencer Estate Grounds, Althorp, Daventry 
District, Northamptonshire, England//Plot: Island on the lake Oval ●ディズレーリ Benjamin 
Disraeli(1804.12.21-1881.4.19)イギリスの首相。在任1868、74〜80年。保守党(旧トーリー党)を率いて30年以上も政界に影響力を持った。公衆衛生やスラムの整備に努め、労働者に選挙権を付与した1867年の第2次選挙法改正に貢献。アジア、アフリカにおける帝国の拡大など外交面を重視した。 St Michael and All Angels Churchyard, 
Hughenden, Wycombe District, Buckinghamshire, England ●スタンリー・キューブリックStanley 
Kubrick(1928.7.26-1999.3.7)アメリカの映画監督。娯楽性よりも芸術性を追求すると共に、現代文明の本質をえぐり出す作品を次々と発表したハリウッドの異端児。作品は常に世界的な反響を呼んだ。「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」「博士の異常な愛情」「シャイニング」「フルメタル・ジャケット」など。 ※1978年に領主の邸宅を購入し、他界するまで21年暮らした。今は長女アーニャと共に邸宅の敷地に眠っている。未亡人(クリスティアン・アマンプール・キューブリック)はまだ邸宅に住んでいる。 Childwickbury Manor, Childwickbury, St 
Albans District, Hertfordshire, England●ジョセフ・ロートブラット Joseph Rotblat(1908.11.4-2005.8.31)物理学者・平和活動家。ノーベル平和賞を受賞(1995)。ポーランド出身。婚約者がナチスに殺害され、生涯独身を通す。原爆開発のマンハッタン計画に参加したが、ナチス・ドイツに原爆の開発能力がないことが判明すると、“もはや原爆は不要"と完成前にプロジェクトを脱退した。この決断でロートブラットは1951年までアメリカ入国禁止となった。戦後、アインシュタインと共に核兵器の廃絶運動に取り組んだ。パグウオッシュ会議の会長。 Hampstead Cemetery, Hampstead, London 
Borough of Camden, Greater London, England//Plot: West Hampstead ●サミュエル・テイラー・コールリッジ Samuel Taylor 
Coleridge(1772.10.21-1834.7.25)イギリスの詩人・批評家。ワーズワースとの共著「抒情民謡集」を刊行、ロマン主義復興の先駆となった。神秘的な名詩で知られる。詩論「文学自伝」 St Michael Churchyard, Highgate, London 
Borough of Camden, Greater London, England ●トマス・スタンフォード・ラッフルズ Thomas Stamford 
Raffles(1781.7.5-1826.7.5)シンガポールの創設者。イギリスの植民地建設者。世界最大級の花「ラフレシア」は、発見した調査隊の隊長ラッフルズの名にちなんでつけられた。 St Mary Churchyard, Hendon, London Borough 
of Barnet, Greater London, England ●ハリー・パークス(Sir Harry Smith Parkes、1828-1885)24 Feb 1828-22 Mar
      1885 (aged 57)Beijing, Beijing Municipality, China  St Lawrence Little Stanmore Churchyard,Edgware, London Borough of Barnet, Greater London, England イギリスの外交官。上海領事を経て1865年(慶応1)駐日公使。幕府を支持するフランス公使ロッシュと対立し薩長を支援。戊辰戦争では局外中立の立場をとる。列国にさきがけて明治政府を最初に承認したが条約改正には反対した。 https://www.findagrave.com/memorial/18517/harry-smith-parkes ●トマス・モア Thomas 
More(1478-1535)政治家・社会思想家。「ユートピア」を著してイギリス社会を批判し、王権と教権から自由な社会を理想国家とした。ヘンリー8世に重用され大法官となるが、カトリック教徒の立場から英国教会の分離を認めず辞任。また、王の離婚にも反対し、叛逆罪に問われて処刑。エラスムスと交流し古典や法律を研究した。 Chapel of Saint Peter-ad-Vincula, Tower of 
London, London Borough of Tower Hamlets, Greater London, England Plot: Exact location unknown ●ジェーン・グレイ Jane 
Grey(1537-1554.2.12)イングランド史上初の女王(在位1553年7月10日-19日)。非常に美人だった。異名「九日間の女王(Nine-Day 
Queen)」。即位からたった9日間でメアリー1世(ブラッディ・メアリー)により廃位され、7カ月後に夫と共に大逆罪でロンドン塔に幽閉、斬首刑となった。享年16歳。祖母はヘンリー8世の妹メアリー・テューダー。 Chapel of Saint Peter-ad-Vincula, Tower of 
London, London Borough of Tower Hamlets, Greater London, England ●フレディ・マーキュリー Freddie Mercury(Farrokh Bulsara) 1946.9.5-1991.11.24 https://kajipon.com/haka/h-rock.htm#freddie https://www.youtube.com/watch?v=nUrvhfcuwA0 ●ウィリアム・メイクピース・サッカレー(1811-1863)ディケンズと並ぶ小説家で、風刺とユーモアに富む。「虚栄の市」「ヘンリー=エズモンド」「バリー・リンドン」。 William Makepeace Thackeray Plot:Square 36, Row 1, Grave 18177 https://www.findagrave.com/memorial/1933/william-makepeace-thackeray ●ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849-1917)画家。神話や文学作品に登場する女性を好んで題材にした。 John William Waterhouse, 1849年4月6日 - 1917年2月10日 https://www.findagrave.com/memorial/8041010/john-william-waterhouse ●ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド Walter Clopton Wingfield(1853.10-1912.4.12)テニスの原型を考案、ローンテニスの先駆者。1873年12月、ウィングフィールド少佐が考えた「スフェリスティキ」(球戯術)が現在の「ローン(芝生)テニス」になった。 https://www.findagrave.com/memorial/13573561/walter-clopton-wingfield ●ロバート・ブラウン FRS (1839) (1773-1858)、植物学者、ブラウン運動(液体や気体中に浮遊する微粒子が不規則に運動する現象)の発見者 Robert Brown、1773年12月21日 - 1858年6月10日 ノースアベニューの南側に位置する、赤いピーターヘッド御影石の背の高い墓石。長い碑文がある。 https://www.findagrave.com/memorial/36666368/robert-brown ●バルビローリBarbirolli John(1899.12.2-1970.7.29)指揮者。母国イギリス音楽やマーラーなど後期ロマン派の楽曲を得意とした。 St Mary Roman Catholic Cemetery, Kensal 
Green, London Borough of Brent, Greater London, England http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=19185 ●ネイサン・メイアー・ロスチャイルド Nathan Mayer 
Rothschild(1840.11.8-1915.3.1)ロンドン・ロスチャイルドの祖。父はドイツの銀行家マイアー・アムシェル・ロートシルト(1744-1812)。フランクフルトで古銭商人を始めた父は、選帝侯家の御用商人の銀行家になったことから、ナポレオン戦争で巨額の富を得た。そして5人の息子たちがフランクフルト(長男アムシェル)、ウィーン(次男ザロモン)、ロンドン(三男ネイサン)、ナポリ(四男カール)、パリ(五男ジェームス)の5カ所で事業を行い、5家のロートシルト家の祖となった。父マイアーは穏和な性格で、取引相手も必ず儲けることができた事業を選んでいたという。 Willesden United Synagogue Cemetery, 
Willesden, London Borough of Brent, Greater London, England ●キャロル・リード Carol 
Reed(1906.12.30-1976.4.26)映画監督。1953年(47歳)、映画監督として初めてナイトの称号を与えられた。『第三の男』(カンヌ映画祭パルム・ドール)、『オリバー!』(アカデミー監督賞)、『華麗なる激情』。 Gunnersbury Cemetery, Acton, London Borough 
of Ealing, Greater London, England http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=5903331 ●ルイス・キャロル Lewis Carroll:Charles Lutwidge 
Dodgson(1832-1898)イギリスの童話作家・数学者。本名チャールズ=ドッジソン。ナンセンスな言葉遊びなど独自のユーモアに富んだ「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」で有名。 Guildford Cemetery, Guildford, Guildford 
Borough, Surrey, England ●ナポレオン三世Charles Louis Napoleon 
Bonaparte(1808.4.20-1873.1.9)1世の甥。ルイ=ナポレオン。亡命生活後、1848年の二月革命で帰国し、第二共和制大統領に当選。1851年にクーデターで独裁者となり、翌年帝位につき第二帝政を開く(在位1852〜1870)。イギリスと協力してクリミア戦争でロシアを退け、一時ヨーロッパに力を示したが、メキシコ遠征に失敗。1870年普仏戦争に敗れて退位。イギリスに亡命して没した。産業保護に力を入れた。 St Michaels Abbey, Farnborough, Rushmoor 
Borough, Hampshire, England//Plot: In crypt behind the high altar●リチャード・アッテンボロー Lord Richard Attenborough 29 Aug 1923-24 Aug 2014 (aged 90) St. Mary Magdalene Churchyard,Richmond, London Borough of Richmond upon Thames, Greater London, England https://www.findagrave.com/memorial/134814909/richard-attenborough −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− パリ  【ペール・ラシェーズ墓地:Cimetiere du Pere Lachaise】Paris, City of Paris,
      Ile-de-France, France 61 ●ショパン Frederic Chopin[Body minus 
heart](1810-1849)ポーランドの作曲家・ピアニスト。心臓はポーランドにあり、ボディのみの墓。Plot: Division 11, 
#10 ●ビゼー Georges 
Bizet(1838-1875)フランスの作曲家。キャッチーなメロディーに富み、オーケストラを色彩的に駆使、南欧の風土を曲に反映させた。歌劇「カルメン」、組曲「アルルの女」。Plot: 
Division 68, #1 ●エディット・ピアフ Edith 
Piaf(1915-1963)フランスの女性シャンソン歌手。自ら作詞した「愛の賛歌」「ばら色の人生」が世界的にヒット。揺れ動く心を情熱的に歌った。Plot: 
Division 97 ●ドラクロワDelacroix(1798-1863)フランスの画家。ロマン主義を代表。ドラマチックな事件や文学作品を題材に、強烈な色彩で感情の爆発を描き、印象主義・象徴主義など近代絵画の先駆となった。「民衆を導く自由の女神」「サルダナパルスの死」Plot: 
Division 49https://www.findagrave.com/memorial/5629/th%C3%A9odore-g%C3%A9ricault ●ジェリコー 「メデュース号の筏」 Division 12 ●アングル 「グランド・オダリスク」 Division 23 https://www.findagrave.com/memorial/6155/jean-auguste-dominique-ingres ●バルザック Honore de Balzac(1799-1850)近代リアリズム文学を代表するフランスの作家。「人間喜劇」と題した長短90編余の小説を通して、19世紀前半のフランス社会に生きる人々を鮮やかに描き出した。「ゴリオ爺さん」「谷間の百合」Plot: Division 48, #1 ●モジリアニ Amedeo Modigliani(1884-1920)イタリアの画家。エコール・ド・パリ(パリ定住の外国人芸術家)。哀愁を帯びた細長い首の人物画で知られる。セザンヌやキュビスムの影響を受けた。Plot: 
Division 96 ●ジム・モリソン Jim Morrison(1943-1971)ドアーズのカリスマ的ロック歌手、詩人。27歳で他界。Plot: Division 
6 ●イブ・モンタン Yves 
Montand(1921-1991)「枯葉」「セシボン」の大ヒットで世界的なシャンソン歌手に。俳優としても「恐怖の報酬」「Z」など硬派作品で名演。イタリア出身だが両親がファシスト・ムッソリーニ政権を嫌いフランスに移住。Plot: 
Division 44 ●オスカー・ワイルドOscar 
Wilde(1854-1900)世紀末文学の代表的作家。アイルランド出身。19世紀末の唯美主義文学の代表者で、芸術のための芸術を提唱。「ドリアン・グレーの肖像」「幸福な王子」Plot: 
Division 89 ●プルースト Marcel 
Proust(1871-1922)20世紀文学に決定的影響を与えたフランスの作家。フランス上流社会の変容を描き出した長編「失われた時を求めて」で意識の流れを綿密に追い、小説の概念を一新した。Plot: 
Division 85 ●アランAlain (1868-1951)フランスの哲学者、モラリスト。理性主義の立場から芸術や教育など様々な問題を論じた。「幸福論」Plot: 
Division 94, #3 ●アポリネール Guillaume 
Apollinaire(1880-1918)フランスの詩人。“シュルレアリスム"という言葉を初めて使った。前衛画家を援護したキュービズムの理論的指導者。スペイン風邪により38歳で他界。「ミラボー橋」Plot: 
Division 86 ●サラ・ベルナール Sarah 
Bernhardt(1844-1923)フランスの舞台女優。「椿姫」などの悲劇を得意とし、自ら劇団を結成。世界各地を巡演し国際的名声を得た。Plot: 
Division 44, #6 ●クロード・シャブロル Claude Chabrol(1930.6.24-2010.9.12)映画監督。パリ生まれ。1950年代にフランス映画界で起きたロケ中心、即興演出などの手法を重視するヌーベルバーグ(新しい波)運動を、トリュフォー、ゴダールらと率いた。初監督作品「美しきセルジュ」はヌーベルバーグ派の長編第1作。「いとこ同志」でベルリン国際映画祭で金熊賞受賞。ヒチコックを敬愛。Plot: 
Division 10 ●ケルビーニ Luigi Cherubini(1760.9.14- 
1842.3.15)フランスで活躍したイタリア人作曲家。パリ音楽院院長。グランド(大規模)・オペラ様式を確立。ベートーヴェンはケルビーニを当時最高のオペラ作曲家と考えていた。墓はショパンの4つ左隣。「レクイエム」Plot: Division 11, 
#8 ●コレットColette(1873-1954)フランスの女流作家。感性に優れ、官能や自然を描いた。「青い麦」Plot: Division 4, 
#6 ●コロー Camille 
Corot(1796-1875)バルビゾン派のフランス人画家。銀色のレースがかかったような詩情ある風景画を多く描いた。「真珠の女」など。Plot: 
Division 24 ●ドーデ Alphonse 
Daudet(1840-1897)フランスの作家。温かな眼差しで郷土プロバンスを見つめた。「風車小屋便り」「アルルの女」Plot: Division 
26 ●ドーミエ Honore 
Daumier(1808-1879)フランスの画家。19世紀リアリズムの一翼を担い、庶民の生活を描写。痛烈な政治風刺漫画、石版画を多く残した。Plot: 
Division 24 ●ダビッドDavid [heart 
only](1748-1825)フランスの画家。19世紀新古典派のリーダー。ナポレオンの宮廷画家として当時の画壇に君臨。超大作「ナポレオンの戴冠」Plot: 
Division 56 https://www.findagrave.com/memorial/7849/jacques-louis-david ●アンリ・ド・レニエ Henri de 
Regnier(1864.12.28-1936.5.23)フランス象徴派の詩人。ロマンチシズム溢れる作風。Plot: Division 86 ●デュカス Paul Dukas(1865-1935)フランスの作曲家。ドイツ音楽とフランスのエスプリを融合。交響詩「魔法使いの弟子」。Plot: 
Division 87 (columbarium), urn 4938 ●イサドラ・ダンカン Isadora 
Duncan(1877-1927)モダン・バレエの先駆者。自由な表現を目指し、チュチュ(スカート)やタイツをつけず、トー・シューズを捨て、素足で踊った最初の舞踊家。アメリカ人。事故死。Plot: 
Division 87 (columbarium), urn 6796 ●マックス・エルンスト Max 
Ernst(1891-1976)米仏で活躍したドイツの画家。フロッタージュ技法(こすり絵)を創始。多彩な画風でシュールな幻想世界を描く。Plot: 
Columbarium (Division 87) ●アベラール(1079-1142)フランスのスコラ哲学者・神学者。意図を重視する倫理学を主張。女弟子エロイーズとの禁断の往復書簡で知られる。Plot: 
Division 7 ●エロイーズHeloise(1101-1164)修道女。師アベラールと熱愛。Plot: Division 7 ●ガッシェ Paul 
Gachet(1828.7.30.-1909.1.9)医師。周囲から変わり者と見られていたがゴッホと意気投合、肖像画のモデルに。Plot: Division 
52 ●ゼノブ・グラム Zenobe Gramme(1826.3.4-1901.1.20)実用可能な世界初の発電機を発明。Plot: Division 
94, row 1. ●クロイツェル Rodolphe Kreutzer(1766.11.16-1831.1.6 
)ベートーヴェンに作品を献呈されたバイオリンの名手。Plot: Division 13 ●ラ・フォンテーヌLa 
Fontaine(1621-1695)フランスの詩人。動物を擬人化し人間の真実を描き出した寓話文学の傑作「寓話集」を残す。Plot: Division 
25 ●ルネ・ラリックRene Lalique(1860-1945)19世紀〜20世紀に活躍したガラス工芸家、宝飾デザイナー。Plot: Division 
23 ●ラロ Edouard 
Lalo(1823.1.12-1892.4.23)フランスのスペイン系作曲家。優れた管弦楽法と異国情緒によりドビュッシー以後の作曲家に影響を与えた。「スペイン交響曲」「イスの王」。Plot: 
Division 67 ●ローランサン Marie 
Laurencin(1883-1956)フランスの女性画家。スミレ色やバラ色を好んで使い、淡い優雅な色調で多くの少女像を描いた。Plot: Division 
88 ●マルセル・マルソー Marcel 
Marceau(1923-2007)フランスのパントマイム俳優。道化のビップに扮し「風に向かって歩く」などを演じたマイムの巨匠。Plot: Division 
21 ●モリエールMoliere(1622-1673)ラシーヌ、コルネイユと並ぶフランス古典劇3大作家の1人。本名ジャン=バティスト・ポクラン。鋭い観察眼により人間のエゴをコメディ劇で描き出した。自ら舞台に立ち、終幕後に吐血死。「タルチュフ」「人間嫌い」「守銭奴」など。Plot:
      Division 25 ●ヴィクトール・ノワールVictor 
Noir(1848-1870)反体制新聞の記者。21歳の若さで皇帝派(ナポレオンの甥)に射殺された。民衆葬に約20万人が参列。Plot: Division 
92 ●ペトルチアーニ Michel 
Petrucciani(1962-1999)“ピアノの化身"と呼ばれたジャズ・ピアニスト。とても小柄だけど音は雄弁。享年36。Plot: Division 
11 ●ピサロ Camille 
Pissarro(1830-1903)フランスの印象派画家。風景に優れる。印象派最年長であり、若い世代を支援し、彼らに慕われた。Plot: Division 5 
(Jewish section) https://www.findagrave.com/memorial/6151/camille-pissarro ●プーランク Francis Poulenc(1899-1963)フランスの作曲家。「六人組」の一人。シンプルかつエスプリに富む楽曲。Plot: 
Division 5 ●ラディゲRaymond 
Radiguet(1903-1923)フランスの作家。古典調文体の心理小説「肉体の悪魔」「ドルジェル伯の舞踏会」を残すもわずか20歳で夭折。Plot: 
Division 56 ●シニャックPaul Signac(1863-1935)フランスの画家。スーラと新印象主義を創始。スーラの点描法を発展させ港を好んで描いた。Plot: 
Division 67 ●シモーヌ・シニョレ Simone Signoret(1921-1985)女優。『年上の女』(1958)でアカデミー主演女優賞とカンヌ国際映画祭女優賞をダブル受賞。『嘆きのテレーズ』『肉体の冠』。社会問題解決に意欲。夫はイブ・モンタン。Plot: Division 
44 ●リチャード・ライト Richard Wright(1908.9.4-1960.11.28)lot: Division 87 
(columbarium), urn 848 20世紀アメリカ黒人文学の先駆者。ミシシッピ出身。ブラックパワーという言葉を生み、晩年は句集を出すほど俳句に夢中になった。 ●Leon Thery(1879.4.16-1909.3.8)Plot: Division 
91 結核のため30歳で死んだレーサー。墓はハンドルを持つレーサー像。 ●メリエス Marie Georges Jean Melies(1861.12.8-1938.1.21)映画監督。Plot: Division 
64 世界初の職業映画監督。代表作「月世界旅行」(1902)。リュミエール兄弟の映画に出会い手品師から映画界へ。映画草創期にトリックを使った映画を開拓(SFXの創始者)。 ●ジョルジュ・ローデンバックGeorges Rodenbach(1855.7.16-1898.12.25)ベルギー出身の作家。享年43。いわゆるゾンビ墓で右手にバラを持って復活。小説「死の都ブリュージュ」(1892)。Plot:
      Division 15 http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=7766 ●ユルマズ・ギュネイ Y?lmaz 
Guney(1937.4.1-1984.9.9)トルコの映画監督、作家。1960年(23歳)、クーデターが発生し、小説が左翼的と2年間投獄。出所後、映画制作会社を設立、『希望』(1970)『エレジー』(1972)など、4年間で13本の作品を監督。大半がトルコ政府から上映禁止処分を受けた。1972年(35歳)、アナーキストの学生を匿って再投獄。獄中から指示を出して『群れ』(1979)を『敵』(1980)を製作、後者はベルリン国際映画祭特別表彰を受賞。1981年(44歳)、刑務所を脱獄してフランスに亡命。1982年の『路』がカンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝いた。翌々年、胃癌により他界。享年47。 Cimetiere du Pere Lachaise,Paris,City of Paris,Ile-de-France, France//Plot: 
Division 62 −−●ギュスターヴ・カイユボット(Gustave Caillebotte, 
1848年8月19日-1894年2月21日)画家としては写実主義的な傾向が強いが、第2回以降の印象派グループ展の開催に経済的・精神的に大きく貢献し、自らもグループ展に作品を出品したことから、印象派の画家として挙げられるのが通例である。 ●ジネット・ヌヴー(Ginette Neveu, 1919年8月11日 パリ - 1949年10月28日 大西洋アゾレス諸島)稀にみる天才的ヴァイオリニスト、航空機事故により30歳で死去。 11区 https://www.findagrave.com/memorial/7757/ginette-neveu ●カロン・ド・ボーマルシェBeaumarchais 作家「セビリアの理髪師」「フィガロの結婚」 28地区 https://www.findagrave.com/memorial/3686/pierre-augustin-caron_de-beaumarchais ●ジャック・ルイ・ダヴィッドJacques-Louis David 画家 56地区 https://www.findagrave.com/memorial/7849/jacques-louis-david ●エルネスト・ショーソン Ernest Chausson 作曲家 67地区 https://www.findagrave.com/memorial/7865/ernest-chausson ●アンリ・ド・レニエHenri de Regnier 詩人 86地区 https://www.findagrave.com/memorial/7648/henri-de_r%C3%A9gnier https://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:P%C3%A8re-Lachaise_-_Division_86_-_R%C3%A9gnier_01.jpg ●コンスエロ・ド・サン=テグジュペリ夫人Madame de Saint-Exupery 「星の王子さま」の薔薇のモデル Consuelo de Saint Exupery, officially Consuelo Suncin, comtesse de Saint Exupery (10 April 1901 in Armenia, El Salvador ? 18 May 1979 in Grasse, France) 89地区 https://www.findagrave.com/memorial/24951517/consuelo-de_saint-exup%C3%A9ry ●エットーレ・ブガッティEttore Bugatti(1881-1947)自動車実業家 Plot Division 97. This tomb is now a cenotaph. 97地区 https://www.findagrave.com/memorial/44170413/bugatti ●アブラアム=ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet 1747年1月10日 - 1823年9月17日)は、スイス、ヌーシャテル生まれの時計職人。時計の歴史を200年早めたとも云われる。 https://www.findagrave.com/memorial/44170388/abraham-louis-breguet Division 70 https://www.findagrave.com/memorial/6153/gustave-caillebotte ●クロード・シャブロル(Claude Chabrol, 1930年6月24日 - 2010年9月12日)は、フランスの映画監督・映画プロデューサー・脚本家。ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人。 「いとこ同志」 Division 10 https://www.findagrave.com/memorial/58570211/claude-chabrol ●レオン・ジュオー(Leon Jouhaux、1879年7月1日-1954年4月28日)は、フランスの労働組合活動家。活動は後の国際労働機関や世界労働組合連盟の設立につながった。ノーベル平和賞。 Division 88 https://www.findagrave.com/memorial/7665/l%C3%A9on-jouhaux ●ミシェル・ルグラン(フランス語: Michel Legrand, 1932年2月24日 - 2019年1月26日[2])は、フランスの作曲家。『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』。 Division 44 https://www.findagrave.com/memorial/196377797/michel-legrand −− 【モンパルナス墓地:Cimetiere de Montparnasse】Paris, City of Paris, Ile-de-France,
      France 33 ●ボードレールCharles 
Baudelaire(1821-1867)フランスの詩人、近代詩の祖。詩集「悪の華」は近代詩の聖典とされ、象徴派の先駆者となった。芸術至上主義・頽廃主義を代表。「パリの憂鬱」Plot: Division 6. ●モーパッサン Guy de 
Maupassant(1850-1893)作家。ゾラと共にフランス自然主義文学を代表する作家。短編の名手で、ブルジョア社会を鋭く批判した。厭世主義で晩年発狂した。フローベールの弟子。「女の一生」「ベラミ」「ピエールとジャン」Plot: 
Division 26 ●サルトル Jean Paul 
Sartre(1905-1980)フランスの哲学者・作家。第二次大戦中はレジスタンスに参加。実存主義者として戦後文学を開拓、雑誌「現代」を創刊。一時共産主義に近づき文学者の政治参加を説いた。「嘔吐」「存在と無」「弁証法的理性批判」Plot: 
Division 20 ●ボーヴォワール Simone de 
Beauvoir(1908-1986)フランスの女性作家、思想家。実存主義者であり、サルトルの同志かつパートナー。女性論「第二の性」で知られる。Plot: 
Division 20 ●セルジュ・ゲンズブールGainsbourg, Serge(1928-1991)歌手、作詞家、俳優。。1958年(30歳)に『リラの門の切符切り』でデビュー(お墓にはこの曲にちなんで切符がいっぱい)。作詞に性的隠語を好んで使った。フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」をレゲエに編曲した「祖国の子供たちへ」をリリースし右翼団体に狙われる。ジェーン・バーキンと事実婚、シャルロット・ゲンズブールは2人の子。Plot: 
Division 1 ●ローラン・プティ Roland Petit(1924.1.13-2011.7.10)フランスのバレエダンサー・振付家。1940年(16歳)にパリ・オペラ座入団。バレエ・デ・シャンゼリゼ、バレエ・ド・パリを経て、1972年(48歳)創立のマルセイユ・バレエ団(現ローラン・プティ・マルセイユ・バレエ団)を活動拠点とする。ジュネーヴで死去。代表作「若者と死」(1946)「ピンク・フロイド・バレエ」(1973)「コッペリア」(1975) 
Plot: Division 13 ●サン・サーンス Charles Camille Saint-Saens(1835-1921)フランスの作曲家。ピアノ・オルガン奏者。楽器の個性を効果的に生かした管弦楽法を駆使。「動物の謝肉祭」「サムソンとデリラ」「交響曲第3番“オルガン付き"」。1871年、国民音楽協会を組織。Plot:
      Division 13 ●ベケット Samuel 
Beckett(1906-1989)アイルランド出身のフランスの劇作家・小説家。現代前衛劇の先駆けとなる不条理劇「ゴドーを待ちながら」を発表。演出も手がける。ノーベル文学賞。Plot: 
Division 12 ●ブランクーシ Constantin 
Brancusi(1876-1957)ルーマニア出身の彫刻家。抽象彫刻の先駆者。材質を使い分け、形を単純化し抽象化することで固有の生命力を表現。パリを拠点に活躍。Plot: 
Division 18 ●シトロエン Andre 
Citroen(1879-1935)フランスの自動車会社、シトロエンの創業者。第一次世界時に軍事産業として成功し、それを財源に1919年自動車会社を設立。1930年代初期にフランス第1位、世界第4位の自動車会社に急成長させたが、事業を拡張し過ぎて1934年に経営破綻。翌年、失意のうちに胃癌で他界。Plot: 
Division 28 ●ジャック・ドゥミ Jacques Demy(1931-1990)映画監督。「シェルブールの雨傘」でカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞。「ロシュフォールの恋人たち」も話題に。エイズで他界。享年59。Plot: Division 9. ●アルフレド・ドレフュスAlfred 
Dreyfus(1859.10.9-1935.7.12)ユダヤ系の陸軍大尉。1894年、ドイツのスパイ嫌疑で終身刑になったが、作家ゾラなど人権擁護派・共和派が当局の不正を糾弾し、これに軍・右翼が反論した。「ドレフュス事件」は19世紀末のフランスの国論を二分。のち真犯人が明らかになり、1906年に12年ぶりに無罪となる。Plot: 
Division 28 ●デュラス Marguerite 
Duras(1914.4.4-1996.3.3)フランスの女性作家。インドシナ・サイゴン出身。愛や孤独といったテーマをシンプルに描く。自伝的小説「愛人」、映画脚本「二十四時間の情事」「かくも長き不在」Plot: 
Division 21 ●モーリス・ルブラン Maurice 
Leblanc(1864.12.11-1941.11.6)フランスの推理小説家。「アルセーヌ・ルパン」で知られる。Plot: Division 10 ●シルビア・ロペスSylvia Lopez(1931-1959.11.20)女優。白血病により28歳で早逝。墓に気品ある横顔の線刻。Plot: Division 13, row 1 (along "avenue 
Principale") ●フィリップ・ノワレ Philippe Noiret(1930-2006)フランス映画界を代表する俳優の一人。「ニュー・シネマ・パラダイス」「イル・ポスティーノ」 Avenue Transversale, 3rd Division, 1st Section https://www.findagrave.com/memorial/16755076/philippe-noiret ●ポール・ピカソPaul 
Picasso(1921.2.4-1975.6.5)ピカソの子。『アルルカンに扮したポール』(1924)はピカソが3歳のポールを描いたもの。Plot: 
Division 16 ●チャールズ・ピジョン Charles 
Pigeon(1838.3.29-1915.3.18)安全なガス燈、ピジョンランプを発明。墓は夫婦のベッド!Plot: Division 22, SMALL cemetery. ●プルードン Pierre Joseph 
Proudhon(1809-1865)フランスの社会思想家。無政府主義の創始者の一人。労働者の連合で国家を無力化する思想を唱えた。著書「財産とは何か」で財産は盗品であると規定。Plot: 
Division 2 ●ジャン・ピエール・ランパル Jean-Pierre 
Rampal(1922-2000)20世紀の最も偉大なフルート奏者。フルートをピアノのようにソロ演奏会が可能な楽器と初めて世界に知らしめた。Plot: 
Division 3 ●マン・レイMan Ray(1890-1976)アメリカの写真家。本名Emmanuel 
Raveninsky。1920年代のパリでシュールレアリスムに加わる。様々な写真技法を考案し、写真芸術を開拓した。Plot: Division 7, row 1 
(along division 6) ●ジーン・セバーグ Jean Seberg(1938-1979)女優。「悲しみよこんにちは」「勝手にしやがれ」で脚光を浴びる。反戦運動など政治活動に傾倒し、睡眠薬により40歳で自死。ベリーショートが「セシルカット」として流行。Plot: Division 13 https://www.findagrave.com/memorial/1646/jean-seberg ●スーチン Chaim Soutine(1893-1943)フランスの画家。リトアニア出身。エコール・ド・パリ(パリ定住の外国人芸術家)の一人。人間の孤独や不安を赤など強い色彩を使って表現。Plot: Division 15, 
Row 1 ●オシップ・ザッキン Ossip 
Zadkine(1890.7.14-1967.12.25)ロシア人彫刻家。藤田嗣治を証人に立て隣家の女流画家ヴィランティーヌ・プラックス(Valentine 
Prax)と結婚。Plot: Division 8 ●アラン・レネAlain 
Resnais(1922.6.3-2014.3.1)フランス・ヴァンヌ出身の映画監督。「夜と霧」「二十四時間の情事」「去年マリエンバートで」 Cimetiere de Montparnasse,Paris,City of Paris,Ile-de-France, France//Plot: 
Division 4 ●メビウス/ジャン・アンリ・ガストン・ジロー Moebius/Jean Henri Gaston 
Giraud(1938.5.8-2012.3.10)大友克洋や宮崎駿、谷口ジローに多大な影響を与えたフランスの漫画家(バンドデシネ作家)。手塚治虫もメビウス線と呼ぶ陰影の付け方を導入した。西部劇を描くときは「ジャン・ジロー」、SFファンタジーを描くときは「メビウス」を使用。映画「エイリアン」「トロン」のコスチューム・デザイン担当。日本の漫画に惚れ込み、娘に『風の谷のナウシカ』にちなんでノウシカ(Nausicaa)と名づけている。 Cimetiere de Montparnasse,Paris,City of Paris,Ile-de-France, France//Plot: 
9th. division ●ジャック・ルネ・シラク(Jacques Rene Chirac、1932年11月29日-2019年9月26日)第22代フランス大統領及びアンドラ共同大公を歴任。 https://www.findagrave.com/memorial/203312671/jacques-ren%C3%A9-chirac ●アンリ・ジャン・テオドール・ファンタン=ラトゥール(Henri Jean Theodore Fantin-Latour, 1836年1月14日-1904年8月25日)は、フランスの画家、リトグラフの版画家。 Division 10. https://www.findagrave.com/memorial/7321/henri-fantin-latour ●エヴァリスト・ガロア(Evariste Galois, 1811年10月25日 - 1832年5月31日)は、フランスの数学者であり革命家である。代数学で重要な役割を果たす「ガロア理論」は、現代数学の扉を開くとともに、20世紀、21世紀科学のあらゆる分野に絶大な影響を与えている。享年20!! https://www.findagrave.com/memorial/21891835/%C3%A9variste-galois ●クララ・ハスキル(Clara Haskil, 1895年1月7日 - 1960年12月7日)は、ルーマニア王国 (現:ルーマニア)出身のピアニスト。古典派と初期ロマン派のレパートリーで名高く、とりわけモーツァルト作品の録音と演奏で著名。パブロ・カザルスと共演した。 https://www.findagrave.com/memorial/7294/clara-haskil ●ジェーン・バーキン Jane Mallory Birkin 14 Dec 1946-16 Jul 2023(aged 76) ●ジャン・ポール・ベルモンド Jean-Paul Charles Belmondo ●ロジェ・カイヨワ Roger Caillois(1913-1978) フランスの社会学者。遊びの研究で著名。主著「遊びと人間」。アンモナイトの墓! 【モンマルトル墓地:Cimetiere de Montmartre】Paris, City of Paris, Ile-de-France,
      France 24 ●スタンダールStendhal:Henri 
Beyle(1793-1842)心理分析に優れたフランスの作家。近代小説の先駆者。ロマン主義に社会批判を盛り込んだ「赤と黒」「パルムの僧院」、評論「恋愛論」で知られる。本名Henri 
Beyle。Plot: Division 30 ●フランソワ・トリュフォー Francois 
Truffaut(1932-1984)映画監督。ヌーヴェル・ヴァーグの旗手の一人。「大人は判ってくれない」で長編デビュー。作品に愛の主題を貫き「柔らかい肌」「突然炎のごとく」「アメリカの夜」「アデルの恋の物語」「隣の女」を監督。他に異色SF「華氏451」。俳優としてスピルバーグ「未知との遭遇」の科学者を演じる。脳腫瘍で他界。享年52。Plot:
      Division 21 ●ドガ Edgar Degas(1834-1917)フランス印象派の画家。パステルや版画を用いて踊り子や競馬を多数描いた。晩年に失明し彫刻を残す。Plot:
      Division 4 ●ハイネ Heinrich 
Heine(1797-1856)ドイツ出身の民衆解放を目指した革命詩人・愛の詩人。ドイツの俗物性を痛烈に批判、鋭い社会批評ゆえに弾圧を受け、1831年(34歳)パリに亡命。詩集「歌の本」「ロマンツェーロ」、革命的長詩「ドイツ冬物語」Plot: 
Division 27 ●ギュスターヴ・モロー Gustave 
Moreau(1826-1898)フランスの幻想画家。聖書や古代神話を神秘的・耽美的な独特の画風でに描いた。弟子にマチス、ルオー。「サロメ」「オルフェ」Plot: 
Division 22 ●ベルリオーズ Hector 
Berlioz(1803-1869)フランスのロマン派作曲家。標題音楽を確立し、色彩豊かな管弦楽曲を生む。「幻想交響曲」「ローマの謝肉祭」「ファウストの劫罰」「レクイエム」など。Plot: 
Avenue Hector Berlioz, Division 20, curbside ●ハリエット・スミスソン Harriet 
Smithson(1800-1854.3.3)アイルランド出身の女優。ベルリオーズは彼女に恋して『幻想交響曲』を書く。1832年、同曲の演奏会で聴衆の注視やプログラムの言葉から、作品のヒロインが自分であることに気づいたハリエットは、音楽に深く心を揺さぶられ翌年結婚。しかし7年後に別居、4年後に病没。ベルリオーズは同棲していた歌手と再婚した。Plot: 
Avenue Hector Berlioz, Division 20, curbside ●小デュマ Alexandre Dumas 
Fils(1824-1895)フランスの小説家・劇作家。大デュマの子。世相を見つめた問題劇のジャンルを開拓。小説「椿姫」、戯曲「金銭問題」「私生児」など。Plot: 
Division 21 ●フーコー Jean Bernard Leon 
Foucault(1819-1868)フランスの物理学者。地球の自転を振子の実験で証明。また、水中では光の速度が空気中より遅いことを証明し、光の波動説の確立に寄与。フーコー電流(渦電流)を発見。Plot: 
Division 7 ●アンドレ=マリ・アンペール Andre Marie 
Ampere(1775-1836)フランスの物理学者。電磁気学の基礎法則を確立。電流の単位アンペアの由来になった。Plot: Division 30 ●ミッシェル・ベルジェMichel 
Berger(1947.11.28-1992.8.3)作曲家。ロックオペラ「スターマニア」を発表。心臓発作のため45歳で他界。妻はフランス・ギャル。美しいガラス張りの墓。Plot: 
Division 29 ●ジャン=クロード・ブリアリ Jean-Claude Brialy(1933-2007)フランス出身の俳優。「いとこ同志」「黒衣の花嫁」Plot: 
Division 15 ●フーリエ Francois Marie Charles Fourier(1772.4.7-1837.10.10)空想的社会主義者の代表。人間性の回復を唱え、資本主義文明を批判。共同体「ファランジュ」を基礎とした理想的未来社会を構想。Plot:
      Division 23空想的社会主義者。 ●フラゴナール Jean Honore Fragonard[original burial 
site](1732-1806)フランスの画家。18世紀ブルボン王朝末期の艶美な宮廷風俗を甘美な色彩で描いた。ブーシェに師事。「ブランコ」Plot: 
Division 19 ●テオフィル・ゴーティエ Theophile 
Gautier(1811.8.30-1872.10.23)作家・批評家。『ジゼル』執筆。ボードレール『悪の華』を献呈された。Plot: Division 
3 ●ニジンスキー Vaslav Fomich 
Nijinsky(1889-1950)伝説の舞踊家。ポーランド系ロシア人。ペテルブルグ帝室バレエ学校出身。ディアギレフのロシア・バレエ団の花形であり、振付師としても「牧神の午後」で新境地をひらいた。Plot: 
Division 22 ●オッフェンバック Jacques Offenbach(1819-1880)ドイツ出身の作曲家。近代オペレッタの開拓者。本名Jacob 
Eberst。歌劇「地獄のオルフェ(天国と地獄)」「ホフマン物語」Plot: Division 9 ●サンソン Charles Henri Sanson(1739.2.15-1806.7.4)フランス革命期に死刑執行人を勤めたサンソン家4代目当主。医師でもあり、刑罰が後遺症にならぬよう人体を徹底して研究。身分に偏見を持たない平等論者で、誰にでも治療した。16歳で最初の処刑を行い、ルイ16世、アントワネット、ダントン、ラヴォアジエ、ロベスピエール、サン=ジュストら著名人の処刑に関わった。死刑廃止が執行人という職から解放される唯一の方法と考え、何度も死刑廃止の嘆願書を提出。知人の貴族女性に命乞いされた際は、苦悩の果て息子に代理させた。従来は刀剣による処刑であったが、1792年4月25日(53歳)に初めてギロチンが導入され、迅速な大量処刑が可能になった。そしてサンソンは、不本意ながら史上2番目となる2700名以上を処刑した(1位は独の死刑執行人ヨハン・ライヒハート、3165人)。ギロチン導入の3年後、息子に職を譲って引退。 Division 20. ●サックス Adolphe Sax(1814-1894)サックスを考案したベルギーの楽器製作者。Plot: Division 5 ●ソル Fernando 
Sor(1778.2.14-1839.7.10)作曲家。ギターの音楽的地位を高めた“ギターのベートーヴェン"(時代もベートーヴェンと同世代)。コンサート用の大量のギター曲を作曲。Plot: 
Division 24 ●ゾラ Emile Zola[original burial site](1840-1902)フランスの作家。自然主義文学を代表する存在。人権意識が高く、冤罪事件のドレフュス事件で容疑者を弁護、禁錮となる。「居酒屋」「ナナ」など。Plot:
      Division 19 −− ●ピエール・カルダン(Pierre Cardin、1922年7月2日 - 2020年12月29日)は、フランスのファッションデザイナー。前衛的なスタイルでオートクチュールのブランドを立ち上げ、1960年代?1970年代に一世を風靡した。 Div. 5 https://www.findagrave.com/memorial/220344361/pierre-cardin ●ジュール=アントワーヌ・カスタニャリ(Jules-Antoine Castagnary、1830年4月11日 - 1888年5月11日)。1874年に開かれた第1回印象派展への批評(Le Siecle紙, 1874年4月29日)の中で、「印象派」という言葉を生んだ。胸像はロダン作。 18th division. https://www.findagrave.com/memorial/22401/jules-antoine-castagnary ●シャルル・ラムルー(Charles Lamoureux、1834年9月28日-1899年12月21日)は、フランスの指揮者、ヴァイオリン奏者。コンセール・ラムルー管弦楽団を主宰した。ワーグナーの音楽をフランスに紹介した。楽員らに『癇癪玉』とささやかれても平気だった。リハーサルの時、ピストルを見せびらかし「準備は万全」と言ったという。 29eme division https://www.findagrave.com/memorial/20012326/charles-lamoureux 【パンテオン:The Pantheon 】The Pantheon, Paris, City of Paris, Ile-de-France,
      France 16 ●ユゴー Victor Hugo(1802-1885)フランスが誇る大文豪。作品はヒューマニズム精神に貫かれ、ロマン派文学を指導。熱烈な共和主義者であり、ナポレオン3世のクーデターに反対して出国、19年も亡命生活を送る。「レ・ミゼラブル」「ノートルダム・ド・パリ」 Plot: Crypt XXIV ●ゾラ Emile Zola(1840-1902)自然主義文学を代表する作家。人権意識が高く、冤罪事件のドレフュス事件で容疑者を弁護、禁錮となる。「居酒屋」「ナナ」作家。 Plot: Crypt XXIV ●大デュマ Alexandre Dumas(1802.7.24-1870.12.5)作家。大デュマ(Dumas pere)。「三銃士」「モンテ・クリスト伯」など波瀾万丈のストーリーで大衆を惹き付けた。小デュマの父。※ユゴーの隣り。 http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=6753 ●マリー・キューリーMarie Curie(1867-1934)物理学者・化学者。ポーランド出身。夫ピエールと放射能を研究し、ラジウム、ポロニウムを発見、夫妻でノーベル物理学賞。夫の死後、ラジウムの分離に成功し化学賞。※下段がピエール。Plot: Crypt VIII ●ジャン・ジャック・ルソー Jean-Jacques Rousseau(1712-1778)啓蒙思想家。文明社会の非人間性を批判し、民主主義思想を説いてフランス革命の先駆となる。また小説「新エロイーズ」で情熱の解放を描き“ロマン主義の父"と呼ばれる。童謡「むすんでひらいて」を作曲するなど多才。 ●ヴォルテールVoltaire [Body minus heart](1694-1778)啓蒙思想家。「私は貴方の意見には反対だ。しかし、貴方がそれを言う権利を、私は命にかけて守る」。理性を掲げて独裁・専制政治に抵抗し、宗教上の不寛容を示した教会勢力とも戦い、何度も投獄される。著「哲学書簡」、風刺小説「カンディード」など。 ●ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(仏: Joseph-Louis Lagrange、1736年1月25日 - 1813年4月10日)は、数学者、天文学者である。オイラーと並んで18世紀最大の数学者といわれている。解析力学(ラグランジュ力学)をつくり出した。ラグランジュの『解析力学』はラプラスの『天体力学』と共に18世紀末の古典的著作となった。 Plot:Cell 2 https://www.findagrave.com/memorial/21609/joseph-louis-lagrange ●マルロー Andre Malraux(1901-1976)作家。スペイン内戦や中国の革命運動に参加し、戦後はド=ゴールの盟友として文化相等を歴任。「人間の条件」「征服者」 Plot: Cell 6 ●ジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker、1906年6月3日 - 1975年4月12日)は、アメリカ・セントルイス出身のジャズ歌手・女優である。フランス語読みで「ジョゼフィーヌ・バケル」とも呼ばれる。1937年、フランス国籍を取得。「黒いヴィーナス」の異名をとった。公民権運動に尽力。 Caveau 13 - with Maurice Genevoix https://www.findagrave.com/memorial/231121931/jos%C3%A9phine-baker ●ルイ・ブライユ Louis Braille(1809.1.4-1852.1.6)アルファベットの点字開発者。5歳で全盲。15歳にして6点式の点字を完成。結核により43歳で他界。英語で点字を意味するブレイル(Braille)の由来。 Plot: Cell 25 http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=4405 ●ポール・ランジュバン(Paul Langevin、1872年1月23日 ? 1946年12月19日)は、フランスの物理学者。超音波を初めて発生させることに成功。マリ・キュリーと恋愛。 https://www.findagrave.com/memorial/7512/paul-langevin Plot: Cell 25 (区画不明) ●シモーヌ・ヴェイユ(Simone Veil, 1927年7月13日 - 2017年6月30日[1])は、フランスの政治家、ホロコースト体験者である。女性初の欧州議会議長を務めた。2017年にパリの自宅で死去、享年89。オテル・デ・ザンヴァリッドで国葬が執り行われマクロン大統領がパンテオンに合祀すると発表。2018年7月1日、パンテオンで合祀式典が執り行われた。シモーヌ・ヴェイユはフランス人に最も敬愛される女性である。※欧州連合の父、ジャン・モネ(Jean Monnet)も同じ区画。 https://www.findagrave.com/memorial/180873872/simone-veil ●ジャン・バティスト・ペラン Jean Baptiste Perrin(1870.9.30-1942.4.17)物理学者。物質が分子からできていることを実験的に証明。さらに原子核の周囲を電子が回っている原子模型を最初に発表。1926年ノーベル物理学賞を受賞。 http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=7510 ●ヴィクトル・シュルシェール (Victor Sch?lcher; 1804年7月22日 - 1893年12月25日) は、フランスの政治家、ジャーナリスト、芸術評論家。フランス植民地における奴隷制廃止運動を推進し、1848年の二月革命により成立した臨時政府(フランス語版)の海軍省植民地担当国務次官として、同年4月27日付奴隷制廃止政令の制定にこぎつけた。当初はペール ラシェーズ墓地に埋葬され、1949年に奴隷制廃止100周年を祝うために入った。 https://www.findagrave.com/memorial/7880/victor-schoelcher ●ディドロ Denis Diderot(1713-1784)思想家。ダランベールらと「百科全書」を編纂・刊行。非常に博学で、文学、美術、哲学、演劇に関する著作多数。※cenotaph(慰霊碑) https://www.findagrave.com/memorial/7500/denis-diderot ●レオン・ガンベッタ(Leon Gambetta[1]、1838年4月2日 - 1882年12月31日)は、19世紀フランスの政治家。ガンベッタの功績は「普仏戦争中のレジスタンス運動によりフランスの自信を維持した」「急進共和派を説得して穏健な共和政を受け入れさせた」「マクマオン大統領の顧問による王政復活を阻止した」の3点 https://www.findagrave.com/memorial/7499/leon-gambetta 【パッシー墓地:Cimetiere de Passy】14 ●ドビュッシー Claude 
Debussy(1862-1918)フランスの作曲家。従来の和声法を棄て、新たな和声を使って感覚的な音の響きを重視した印象派音楽を生む。「牧神の午後への前奏曲」、仏語歌劇「ペレアスとメリザンド」など。Plot: 
Division 14 ●フォーレ Gabriel 
Faure(1845-1924)フランスの作曲家。繊細、抒情的な音色で「レクイエム」を書く。歌曲や室内楽に優れ、内省的な作品を多く残した。パリ音楽院院長。作曲家。Plot: 
Division 15 ●マネ Edouard 
Manet(1832-1883)フランスの画家。印象派の指導者。スペイン絵画の影響を受け、伝統的・アカデミックな絵を離れ、自由な筆致で都会的な作品を描く。「草上の昼食」「オランピア」など。Plot: 
Division 4 ●ベルト・モリゾBerthe 
Morisot(1841-1895)19世紀印象派では珍しい女性画家。母子が遊ぶ情景を好んで描く。緑色を多く使った画風。モリゾ家はフラゴナールの家系。20歳頃からコローに師事。1864年(23歳)、風景画がサロンに初入選。1868年(27歳)、マネと出会い弟子となり、モデルを多く務めた。1874年、マネの弟ウージェーヌと結婚し、以降、夫や娘をよく描く。享年54。親交があったルノワール、ドガ、マラルメは、モリゾ夫妻の一人娘ジュリーの後見人となった。※マネと同じ墓。 ●ユベール・ド・ジバンシィ Hubert de Givenchy 21 Feb 1927-10 Mar 2018 (aged 91)ファッションデザイナー。オードリー・ヘップバーンやジャクリーン・ケネディが顧客。 Division 2 https://www.findagrave.com/memorial/187969716/hubert-de_givenchy https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/56/Tombe_Givenchy.jpg ●デュドネ・コスト Dieudonne Costes 1892年11月4日-1973年5月18日 1927年に南大西洋無着陸横断(セネガルのSaint−LouisからブラジルのNatal)、1930年に同じ墓地に眠るモーリス・ベロントと共に、リンドバーグ(1927横断)とは逆コースパリからニューヨークの向かい風北大西洋無着陸横断を達成。 第一次世界大戦ではエースパイロット(6機を撃墜) Plot Division 2 https://www.findagrave.com/memorial/7146/dieudonne-costes ●ジャン=ルイ・バロー Jean Louis Barrault 1910-1994 (aged 83) 俳優、演出家、劇団主宰者。映画『天井桟敷の人々』のバチスト役、および三度の来日公演などにより知られた。1994年1月、心臓発作により、パリに没した。同年9月に後を追った妻、女優マドレーヌ・ルノーと眠る。 Plot Division 3 https://www.findagrave.com/memorial/7149/jean-louis-barrault ●ナタリー・クリフォード・バーネイ(Natalie Clifford Barney, 1876年10月31日 - 1972年2月2日)(aged 95)小説家、レズビアン。オハイオ州の裕福な家で生まれる。1899年パリで当時最も有名な踊り子で高級娼婦だったリアーヌ・ド・プジーと関係を持つ。プジーの娼婦としての生活を止めさせようとして破局。1901年に発表した「Idylle Saphique」は初年で69回もの再版を重ねた。詩人ルネ・ビバンと恋仲になりお互いの文筆活動を刺激しあう。しかし、貞節を求めるビバンと自由奔放な恋愛を求めるバーネイとギクシャクするようになり別れる。ビバンは1908年に自殺。その後、バーネイは詩集を発表。60年間彼女がサン・ジェルマン・デ・プレのRue Jacobの彼女の家で開いたサロンは当時活躍していた多くの芸術家が集まった。コレット、マタ・ハリ、ロダン、ヴァレリー、T,S,エリオット、ジッド、アナトール・フランス、タゴール、スコット・フィッツジェラルド、ローランサン、イサドラ・ダンカン、ヘミングウェイ、ジョイス、プルースト(彼の「失われた時を求めて」で、執筆に必要なレズビアンの勉強をしに彼女の家を訪れている)等。1927年には女性アカデミーを創設し、男性しか許されないアカデミー・フランセーズに対した。作家レミ・ド・ゴーモンがつけたアマゾンという名前がニックネームとなり墓碑に刻まれる。ルネ・ビバンは同じ墓地の13地区で永眠。 Plot Division 9. https://www.findagrave.com/memorial/7157/natalie-clifford-barney ●アンリ・ファルマン Henri Farman 1874-1958 (aged 84)「最初の長距離旅客機」製造 Plot Division 10 https://www.findagrave.com/memorial/7163/henri-farman ●ピエール・ゲラン Pierre Guerlain 3 Apr 1798-2 Nov 1864 (aged 66)香水王 Plot Division 10と13 https://www.landrucimetieres.fr/spip/spip.php?article1555 https://www.findagrave.com/memorial/13707215/pierre-guerlain ●モーリス・ベロント Maurice Bellonte 1896年10月25日-1984年1月14日。同墓地に眠るデュドネ・コストと共に、パリからニューヨークまで、1930年9月1日に『ポワン・タンテロガシオン(疑問符)』号で北大西洋逆横断無着陸飛行に37時間18分で成功。それから47年後の1977年に超音速旅客機コンコルドに招待され、パリからニューヨークまでの3時間30分で横断した。 Plot Division12 https://www.findagrave.com/memorial/7169/maurice-bellonte ●レネー・ヴィヴィエン Renee Vivien 女流詩人 ロンドン生まれ 1877年6月11日-1909年11月18日。21歳のときに父が無くなり、遺産を受け継ぎパリに移住する。退廃的な生活をし、ナタリー・バーネイ(9地区に眠る)と愛し合う。レズビアンたちの巡礼地となっているっぽい。たくさんの手紙や花が添えられている。 Plot Division 13 https://www.findagrave.com/memorial/7171/ren%C3%A9e-vivien ●ポール・ギヨーム Paul Guillaume 1891-1934 (aged 42)パリのアートシーンを大きく動かした人物の一人。彼はモディリアーニを擁護した最初の人物。ピカソ、マティスも。 Plot Division 13, to the right of the Salle d'Attente https://www.findagrave.com/memorial/13707220/paul-guillaume ●Bao Dai 1913-1997 (aged 83)  ベトナムのラストエンペラー  https://www.findagrave.com/memorial/7148/bao-dai https://en.wikipedia.org/wiki/B%E1%BA%A3o_%C4%90%E1%BA%A1i#/media/File:Mo_cuu_hoang_Bao_Dai.jpg 【パリ市内】 ●ジャン・ラシーヌ Jean 
Racine(1639.12.22-1699.4.21)悲劇作家。モリエール、コルネーユと並ぶフランス古典劇の代表者。美しい韻文で運命的情念に翻弄される女性心理を鋭く描き、最高度に完成された悲劇を残した。「アンドロマク」「ブリタニキュス」 Saint Etienne-Du-Mont, Paris, City 
of Paris, Ile-de-France, France ●パスカル Blaise 
Pascal(1623-1662)フランスの思想家・数学者・物理学者。広大な宇宙に比べれば人間は葦のように弱いが、それを知っている人間は「考える葦」として「知らない宇宙」よりも偉大と説き、実存主義の先駆となった。数学・物理学の分野で流体圧力に関する原理の発見、計算器の考案、円錐曲線論、真空の存在を立証する実験などを行った。著「パンセ」「プロバンシアル」 Saint Etienne-Du-Mont, Paris, City 
of Paris, Ile-de-France, France ●マラー Jean Paul 
Marat(1743.5.24-1793.7.13)フランス革命指導者の1人。新聞「人民の友」を発刊し民衆の政治参加を訴えた。ジャコバン派を率いてジロンド派(穏健派)追放を実現したがジロンド派女性に刺殺された。 Saint Etienne-Du-Mont, Paris, City 
of Paris, Ile-de-France, France −− ●ナポレオン・ボナパルトNapoleon 
Bonaparte(1769-1821)フランス皇帝。コルシカ島の下級貴族出身。1789年(20歳)に砲兵士官としてフランス革命に参加。1796年(27歳)イタリア征討司令官としてオーストリア軍を破り名声を得る。2年後にエジプト遠征。1799年(30歳)、クーデターにより統領政府を樹立、自ら第一統領となり、ナポレオン法典編纂・産業保護など近代化に努める。5年後の1804年に帝位につき第一帝政を開いた(35歳)。その後、プロイセンを破り英国以外の欧州をほぼ制圧したが、1812年(43歳)のモスクワ遠征で“冬将軍"に敗北。さらにプロイセン・ロシア・オーストリア連合軍に敗れ、1814年(45歳)に退位し地中海・エルバ島に流された。翌年島を脱出してパリに戻り復位したが、「ワーテルローの戦」に敗れて“百日天下"に終わり、今度は南大西洋の孤島・セントヘレナ島に流されて6年後の1821年に他界した。 Les Invalides, Paris, City of Paris, 
Ile-de-France, France//Plot: L'eglise du Dome ●サン・テグジュペリSaint-Exupery[memorial](1900-1944)フランスの作家。詩的な文章で愛や孤独を描いた童話「星の王子さま」(1943)のほか、飛行士の実体験をベースに人間性の高貴さを描いた「夜間飛行」「人間の土地」で知られる。戦死。 Les Invalides, Paris, City of Paris, 
Ile-de-France, France//Plot: Adjoining gardens −− ●デカルト Rene 
Descartes(1596-1650)近世哲学の祖、解析幾何学の創始者。哲学論文「方法序説」の中で一切の存在を疑い、最後に確実に存在を認識可能なものの出発点として「コギト・エルゴ・スム(我思う、故に我在り)」の発見に至る。 Saint-Germain-des-Pres Church, 
Paris, City of Paris, Ile-de-France, France ●ジャンヌ・ダルク Joan of Arc 
[memorial](1412-1431)フランスの国民的英雄。オルレアンの乙女。北東部シャンパーニュ州の農民の娘。百年戦争の末期、救国の神託を受けたと信じ、1428年にシャルル7世から授かった軍を率いてイギリス軍を撃破。翌年オルレアンを奪還した。だが、捕虜となりイギリスと結んでいるルーアンの司教らに異端宣告を受け、火刑となった。享年19。1920年聖女に加えられた。 Cathedrale Notre-Dame de Paris, 
Paris, City of Paris, Ile-de-France, France ●リシュリュー枢機卿 Cardinal Armand-Jean Du 
Plessis Richelieu (1585.9.9-1642.12.4)ローマ・カトリック枢機卿。 ルイ13世の最初の大臣。近代フランスを建設。 Sorbonne Church, Paris, City of 
Paris, Ile-de-France, France ●ジャン=フィリップ・ラモー Jean-Philippe 
Rameau(1683.9.25-1764.9.12)フランスの作曲家・音楽理論家。近代和声理論の基礎を創始。フランスのバロック・オペラを発展。数冊の「クラブサン曲集」を残す。 Saint Eustache Church, Paris, City 
of Paris, Ile-de-France, France ●パスツールLouis 
Pasteur(1822.12.27-1895.9.28)細菌学者。微生物が発酵・腐敗の原因と証明。狂犬病ワクチン発見。 Pasteur Institute, Paris, City of 
Paris, Ile-de-France, France 【パリ近郊:Ile-de-France】28 ●“キキ”アリス・プラン Kiki /Alice 
Prin(1901.10.2-1953.4.29)「モンパルナスのキキ」と呼ばれた歌手・モデル。13歳から工場で働き始め、翌年に彫刻家のモデルとなったことをきっかけにパリの芸術家たちと親交を深める。モジリアニ、ユトリロ、キスリング、藤田嗣治、スーティンのモデルとなり、20代後半まで写真家マン・レイの愛人となった。モンパルナスのナイトクラブの人気歌手となるが、1942年(41歳)反ナチスのビラを配り、逮捕を逃れるためパリを出た。戦後、麻薬密売で逮捕され52歳で病没。 Cimetiere de Thiais, Thiais, 
Departement du Val-de-Marne, Ile-de-France, France Plot: Division 75. Temporary 
concession burial, plot vacated in 1974 [unmarked] ●サティ Erik 
Satie(1866-1925)ドビュッシーやラヴェルに影響を与えたフランスの作曲家。新古典主義の先駆。ほぼ独学で作曲を学ぶ。ピアノ曲「ジムノペディ」が有名。「梨の形をした三つの小品」など奇妙な題名が多い。 Cimetiere d'Arcueil, Arcueil, 
Departement du Val-de-Marne, Ile-de-France, France ●マスネー Jules Massenet(1842.5.12-1912.8.13)フランスの作曲家。「タイスの瞑想曲」のように繊細かつ優美な作品を書いた。パリ音楽院教授。オペラ「マノン」「ウェルテル」 Cimetiere d'Egreville(エグルヴィル), 
Egreville, Departement de Seine-et-Marne, Ile-de-France, France ●シスレーAlfred 
Sisley(1839.10.30-1899.1.29)フランス印象派の風景画家。イギリス出身。光と詩情と共にパリ近郊の風景を描いた。 Cimetiere de Moret-sur-Loing, 
Moret-sur-Loing, Departement de Seine-et-Marne, Ile-de-France, France http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=7132 ●マラルメ Stephane 
Mallarme(1842.3.18-1898.9.9)ヴェルレーヌやランボーと共にフランス象徴派を代表する詩人。言葉の可能性を徹底的に追求した。「牧神の午後」 Cimetiere de Samoreau, Samoreau, 
Departement de Seine-et-Marne, Ile-de-France, France ●ミレー Jean Francois 
Millet(1815-1875)フランスの写実主義画家。パリ郊外のバルビゾンに住み、敬意を込めて農民の働く姿や生活を情感豊かに描いた。バルビゾン派。「落穂拾い」「晩鐘」「種まく人」など。 Cimetiere de Chailly en Biere, 
Chailly-en-Biere, Departement de Seine-et-Marne, Ile-de-France, France ●テオドール・ルソー Theodore 
Rousseau(1812-1867)フランスの画家。バルビゾン派。印象派への先駆となる風景画を描いた。墓は自然石の野積み。 Cimetiere de Chailly en Biere, 
Chailly-en-Biere, Departement de Seine-et-Marne, Ile-de-France, France ●エリッヒ・フォン・シュトロハイム Erich Von 
Stroheim(1885.9.22-1957.5.12)アメリカの映画監督・俳優。オーストリア出身。映画芸術におけるリアリズムの開拓者。D・W・グリフィス、セシル・B・デミルと並ぶ「サイレント映画の三大巨匠」。俳優としてはアメリカ映画初の冷徹な性格俳優。監督作に「グリード」、出演作に「大いなる幻影」「サンセット大通り」など。サイレント映画にもかかわらずドアベルが鳴るよう演出にこだわり、俳優が完璧に台詞をものにするまでリハーサルを繰り返すなど完全主義者として知られる。 Cimetiere de Maurepas, Maurepas, 
Departement des Yvelines, Ile-de-France, France ●ロミー・シュナイダー Romy 
Schneider(1938.9.23-1982.5.29)ウィーン出身の女優。愛称「シシー」はロミーが10代後半で演じたオーストリア皇后シシーによるもの。ヴィスコンティ『ボッカチオ'70』『ルートヴィヒ』、オーソン・ウェルズ『審判』に出演し、高い評価を得たが、2度の結婚に挫折、14歳の息子を事故で亡くすなど不幸が続き、睡眠薬による心不全のため43歳で他界。死後、1999年のフランスの世論調査で「今世紀最高の女優」に選出された。ウディ・アレンと『何かいいことないか子猫チャン』で共演。一時期アラン・ドロンと婚約していた。 le cimetiere de Boissy-sans-Avoir, 
Boissy-sans-Avoir, Departement des Yvelines, Ile-de-France, France ●ジョルジュ・ルオー George 
Rouault(1871-1958)ストイックな宗教画家。太い黒の輪郭線で心の奥底を表現し、新たな宗教画を誕生させた。晩年に「満足できぬ絵を残すことは神への冒涜」と、一度売った絵を買い戻してまで焼き捨てた。「聖顔(キリストの顔)」「ヴェロニカ」「ミゼレーレ」「悪の華」 Cimetiere Saint Louis, Versailles, Departement des Yvelines, 
Ile-de-France, France ●ロダン Auguste 
Rodin(1840-1917)フランスの彫刻家。ミケランジェロを深く敬愛。それまでの装飾化した置物としての彫刻ではなく、造形に溢れんばかりの生命力と感情を吹き込み、現代彫刻に多大な影響を与えた。「考える人」「地獄の門」「接吻」「カレーの市民」「バルザック像」など。 Musee Rodin, Meudon, Departement des 
Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France ●モーリス・シュヴァリエ Maurice 
Chevalier(1888.9.12-1972.1.1)俳優、稀代のエンターテイナー。フランスで最も有名な寄席芸人の一人となり、1929年(41歳)にハリウッド・デビュー。陽気さと洗練された身のこなしで人気爆発、戦前は世界で最も出演料の高いスターだった。ビリー・ワイルダー『昼下りの情事』(1957)に出演。1959年にアカデミー特別賞を受賞。 Cimetiere de Marnes la Coquette, 
Marnes-la-Coquette, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France 
      ●ミュンシュ Charles Munch(1891.9.26-1968.11.6)指揮者。独領(当時)ストラスブールに生まれ、ナチスの台頭を嫌ってフランスに帰化。ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターを務めた後、1929年(38歳)に指揮者デビュー。ボストン交響楽団、パリ管弦楽団などで活躍。タクトを大きく振り回す情熱的な指揮が話題に。大の練習嫌いで即興の名手だった。ベルリオーズ『幻想交響曲』とブラームス『交響曲第1番』の名演で知られる。 cimetiere des arches(Cimetiere de 
Louveciennes), Departement des Yvelines, Ile-de-France, France ●ジェームズ2世 James 
II(1633-1701)。名誉革命によって王座をおわれた。在位1685〜88年。チャールズ2世の弟。最後のカトリック教徒の王。1688年6月10日に男児が生まれ、次の国王にもカトリック教徒が即位するのを恐れた貴族たちが、ジェームズ2世の長女でプロテスタントのメアリーとその夫オランダ総監オラニエ公ウィレム(のちのメアリー2世とウィリアム3世)にイングランド来援を要請した。ジェームズ2世はフランスに逃れた為、上陸したウィレムは悠々とロンドンに進軍し、歓呼の声に迎えられた。この名誉革命によりイングランドは立憲君主制の道を歩み始めた。 Eglise Paroissiale, 
Saint-Germain-en-Laye, Departement des Yvelines, Ile-de-France, France ●ルイ・ヴィトンLouis 
Vuitton(1821.8.4-1892.1.27)フランスのジュラ県アンシェイ出身。家業不振のため、ルイは都会で仕事を見つけることを決意。14歳のときに故郷から400kmも離れたパリに向けて歩き始め、2年がかりで到着した。16歳から「荷造り用木箱製造職人」の見習となり、17年後の1854年(33歳)、世界初の旅行カバン専門店を開業した。従来のトランクは円形だったが、ルイは移動時に積み上げやすいよう平らなトランクを考案。生地には当時一般的だった豚皮ではなく、防水加工を施した布地(グリ 
トリアノン)を使った。このトランクは爆発的にヒットし、ナポレオン三世の皇妃から衣装箱などの注文も入るようになり、評判が評判を呼んだ。一方で偽造商品が多く出回るようになり、対策に悩んだルイは1888年に『ダミエキャンバス』をデザインし、世界で初めて登録商標を行った。4年後の1892年に71歳で他界。 
後継者の息子ジョルジュは偽造商品との戦いを続け、複製しにくいようにイニシャル“L・V"、星、花を織り交ぜた『モノグラムキャンバス』を考案し、現在に至る。 Cimetiere Ancien:Asnieres Old 
Cemetery, Asnieres-sur-seine, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, 
France ●ゴッホ Vincent Van 
Gogh(1853.3.30-1890.7.29)後期印象派の画家。表現主義の創始者。オランダ出身。印象派と浮世絵から多大な影響を受け、後年はフランスで活動。激しい筆致と鮮やかな色彩が特徴。生前は1枚しか絵が売れず37歳で自死。「ひまわり」「アルルのはね橋」「アルルの寝室」「糸杉」など。ヴァン・ゴーグ。 Auvers-sur-Oise Town Cemetery, 
Auvers-sur-Oise, Departement du Val-d'Oise, Ile-de-France, France −−−−− 【中部】 ●バタイユGeorges 
Bataille(1897.9.10-1962.7.8)フランスの思想家・作家。浪費や放蕩など、非生産的行為の中に聖性を見る思想を提唱。ポスト構造主義に影響を与えた。 Dans I'ancien cimetiere,Vezelay,Departement de l'Yonne,Bourgogne, 
France http://www.pileface.com/sollers/spip.php?article511 ※門から入って左に4列目、5番目の墓! ●ジュール・ルナール Jules 
Renard(1864.2.22-1910.5.22)フランスの作家。平易な言葉、ユーモア、鋭い観察力で作品を書いた。「にんじん」「博物誌」 Cimetiere de Chitry-les-Mines, Chitry-les-Mines, Departement de la Nievre, 
Bourgogne, France ●聖ラザロ Saint-Lazare Cathedral 聖ラザロの遺骨が納められた場所と伝承あり。 ●コルトー Alfred Cortot(1877.9.26-1962.6.15)20世紀前半のフランスのピアノ界を代表する名ピアニスト。ショパン、シューマン、ドビュッシーなどロマン派音楽・近代フランス音楽を得意とした。 Le Villars Cemetery, Le Villars, 
Departement de Saone-et-Loire, Bourgogne, France ●オリビエ・メシアン Olivier 
Messiaen(1908.12.10-1992.4.27)フランスの作曲家。音楽における人間性の回復を目指す。カトリック神秘主義に立ち、鳥の歌などの素材を駆使。「トゥランガリラ交響曲」※墓が白鳥! Cemetery of Saint Theoffrey, Saint-Theoffrey, Departement de l'Isere, 
Rhone-Alpes, France 『世の終わりのための四重奏曲』
https://www.youtube.com/watch?v=yVeEnCwx7Tk
 ●クロード・レヴィストロース Claude 
Levi-Strauss(1908.11.28-2009.10.30)フランスの文化人類学者。ベルギー出身。実存主義後の現代の思潮、「構造主義」の祖。社会・文化現象を記号の体系としてとらえ、規則・関係など構造を分析。未開社会の複雑な親族・神話の分析に成功し、構造人類学を確立。広く現代思想に影響を与える。 Cimetiere de Lignerolles , 
Lignerolles, Departement de l'Indre, Centre, France ●ルノワール Auguste 
Renoir(1841-1919)印象派の大画家。甘美な色彩表現で人物を好んで描いた。生命感に溢れる女性像を多く残す。「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」「ボート遊びの昼食」など。 ●ジャン・ルノワール Jean Renoir(1894.9.15-1979.2.12)画家ルノワールの次男。反戦映画の名作「大いなる幻影」を監督。徹底したリアリズム路線が、イタリアのネオレアリズモに影響を与えた。他に「ゲームの規則」「獣人」 Essoyes Cimetiere, Essoyes(エソイエ), 
Departement de l'Aube, Champagne-Ardenne, France ●ド・ゴール Charles De 
Gaulle(1890.11.22-1970.11.9)フランスの軍人・政治家。1940年(50歳)に自国がドイツに降伏すると、ロンドンに自由フランス政府を組織し、本国のレジスタンス(抵抗運動)と提携。戦後、右派をまとめフランス国民連合を組織。1958年(68歳)アルジェリア危機の対応で首相に復帰、新憲法を制定し第五共和制を樹立、初代大統領に就任した。核兵器保有、NATO離脱など自主外交を展開。 Colombey-les-Deux-Eglises Parish 
Churchyard, Colombey-les-Deux-Eglises, Departement de la Haute-Marne, 
Champagne-Ardenne, France ●藤田嗣治 Leonard 
Foujita:Tsuguharu(1886.11.27-1968.1.29)東京出身の洋画家。東京美術学校を卒業後、1913年に27歳で渡仏、エコール・ド・パリ(パリ定住の外国人芸術家)に加わる。乳白色の地に東洋的な細い線を使った画風により“世界のフジタ”として知られる。帰国後、戦争画の花形となり、戦後はフランスに帰化しカトリックに改宗。洗礼名レオナルド。「五人の裸婦」「猫」など。 Foujita Chapel, Reims, Departement 
de la Marne, Champagne-Ardenne, France −−−−− 【北部】 ●サキ Saki:H.H.Munro(1870.12.18-1916.11.13)本名ヘクター・ヒュー・マンロー(Hector
      Hugh Munro)は、イギリスの小説家。オー・ヘンリーとならぶ短編の名手であり、ブラックユーモアの強い、
      機知に富んだ意外な結末をもつ作品を得意とした。第一次世界大戦に志願、独軍に頭部を狙撃され戦死。 Thiepval Memorial, Thiepval, 
Departement de la Somme, Picardie, France//Plot: 
Pier and Face 8 C 9 A and 16 A. ●ジュール・ヴェルヌ Jules 
Verne(1828-1905)フランスの作家でSF小説の父。「80日間世界一周」「海底2万マイル」「月世界旅行」 La Madeleine Cemetery, Amiens, 
Departement de la Somme, Picardie, France//Plot: Section N●ブラック Georges 
Braque(1882.5.13-1963.8.31)フランスの画家。フォーヴィスム(野獣派)やセザンヌの影響を受け、ピカソと共にキュビスム(立体派)を創始。「楽譜のある静物」「カフェ・バー」※墓石に美しい鳥のモザイク。 Cimetiere de Varengeville, 
Varengeville-sur-Mer, Departement de la Seine-Maritime, Haute-Normandie, 
France ●リチャード1世 Richard I 
[Heart](1157.9.8-1199.4.6)プランタジネット朝第2代のイングランド王。在位1189〜99年。十字軍遠征時の武勇から獅子心王とよばれ、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範と称えられた。青年期に父ヘンリー2世と対立し、フランス王と組んで戦った。1189年(32歳)、息子たちの反乱に失意して衰弱死した父の跡をついでイングランド王に即位。すぐさま第3回十字軍に出発した。1191年にアッコ(イスラエル北部)をイスラム教徒から奪回し、捕虜2700人全員を処刑。サラーフ・アッディーン(サラディン)率いる強力なイスラム軍を相手に大暴れし、武勇は世間にとどろいた。在位10年中イングランドに滞在したのはわずか6か月で、戦争と冒険に明け暮れたが、それを可能にしたのは国政を有能なカンタベリー大司教ヒューバート・ウォルターが支えたからだ。1199年、大陸の領土を死守せんとフランス王フィリップ2世に戦いを挑んで負傷、死去した。享年41歳。※ルーアン大聖堂には「心臓」、フォントヴロー修道院には「身体」が納められた。 Cathedrale Notre-Dame de Rouen, 
Rouen, Departement de la Seine-Maritime, Haute-Normandie, France心臓 http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=5110 Fontevraud Abbey, 
Fontevraud-l'Abbaye, Departement de Maine-et-Loire, Pays de la Loire, 
Franceボディ●ウィリアム1世 William I 'The Conqueror'(1027-87)。「征服王」。ノルマン朝を開き現イギリス王室の開祖となる。ノルマン朝初代のイングランド王。在位1066〜87年。従兄弟エドワード(懺悔王)の死後、イングランド王位に名のりをあげた。イングランドに侵攻し、「ヘースティングズの戦」で王位に就いたハロルドを破り、ロンドンに進軍&征服(ノルマン・コンクエスト)し即位を果たした。イングランド教会に対する教皇の権限を大幅に縮小し、全国検地をおこなって、「ドゥームズデー・ブック」(世界初の土地台帳)にまとめさせた。1087年、フランス王フィリップ1世との戦争中に落馬し、ルーアンで死去。墓標はノルマンディー、カーンの聖エティエンヌ修道院。 ※1066年にウィリアム征服王がウェストミンスター寺院で戴冠して以来、同寺院で戴冠式をとりおこなうのが慣例となっている。ウィリアム1世のイングランド征服後、イングランドが外国軍によって征服されることはなく、後の王家は全てウィリアム1世の血統を受け継いだ。ウィリアム1世は、国王に対する忠誠は地方領主に対する忠誠にまさるという先例を築いた。 ※中世ヨーロッパの封建社会では、主君の支配がおよぶのは直接の臣下までで、臣下の臣下(陪臣:ばいしん)は範囲外とされていた。 Abbey of Saint Stephen, Caen, 
Departement du Calvados, Basse-Normandie, France ●シャトーブリアン Francois Rene de Chateaubriand(1768-1848)スタール夫人と共に初期ロマン主義文学を代表するフランスの作家。ロマン主義文学の幕開けとなる「アタラ」「ルネ」を発表。両作は世紀病の原型とされる。 ※墓前の銘板「偉大なフランスの作家がここに眠る/波の音、風の音だけを聞くために/ここに来る人たちは作家の意思を尊重して欲しい」 Grand Be Island, Saint-Malo, 
Departement d'Ille-et-Vilaine, Bretagne, France (フォントブロー) ●ヘンリー2世 Henry II [original burial 
site:body](1133.3.5-1189.7.6)。プランタジネット朝初代のイングランド国王(在位:1154年-1189年)。治世の開始時(1154年)に称号がRex 
Angliae(イングランド国王)になった。帝国の版図は、フランスの西半分から、アイルランドまでをふくむ広大なもの。治世下では、教会の自由を唱えたトマス・ベケットを王の兵4人が殺害したことから、ヘンリー2世はベケットの墓前で土下座した。晩年は息子達の反乱に失意し衰弱死。 ※身体はシノン近郊のフォントヴロー修道院に安置された。フォントヴロー修道院(L'abbaye de 
Fontevraud)は、フランス・メーヌ=エ=ロワール県フォントヴロー・ラベ近郊にある修道院。 ※ヘンリー2世以来、イングランドの支配下に置かれているアイルランド王国は1800年の連合法によって、その翌年にグレートブリテンおよびアイルランド連合王国の一部となった。この状態はアイルランド自由国成立後の1922年まで続き、改名の結果イングランドを含む連合王国の名称はグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国となった。 Fontevraud Abbey(フォントブロー修道院), Fontevraud-l'Abbaye, Departement
      de Maine-et-Loire, Pays de la Loire, France ●ジョン King 
John(1167.12.24-1216.10.18)。プランタジネット朝第3代イングランド王(在位:1199年-1216年)。父はヘンリー2世。父が幼年のジョンに領土を与えなかったことから欠地王と呼ばれる。また、フランス王フィリップ2世との戦争で領地を大幅に失ったため「失地王」とも呼ばれる。1215年5月5日、貴族の怒りが爆発しジョン王の廃位を求めて結託。貴族と国民は「反ジョン」でまとまった。ジョン王は、王の権限を制限するマグナ・カルタを承認した(「王の決定だけでは戦争協力金などの名目で税金を集めることができない」「国民は法か裁判によらなければ自由や生命、財産をおかされない」など)。これは現代に続く「法の支配」、保守主義、自由主義の原型となった。無能・暴虐・陰謀好き・裏切り者・恥知らずと評され、大陸領土喪失・甥殺しによる信望の喪失・教皇への屈服とイングランドの寄進・重税・諸侯の反乱と失政が続き、唯一評価されるのは「強制されてマグナ・カルタを認めイギリスの民主主義の発展に貢献した」ことのみと、在位当時から後世の評価まで徹頭徹尾評判の悪い王。不人気ゆえ「ジョン2世王」は存在しない。 Fontevraud Abbey, 
Fontevraud-l'Abbaye, Departement de Maine-et-Loire, Pays de la Loire, 
France//Plot: Cardiotaph (heart only) ●リチャード1世 Richard I [original burial site:body](1157-1199)十字軍遠征時の武勇から獅子心王とよばれた。父ヘンリー2世と対立しフランス王と組んで戦った。衰弱死した父の跡をついでイングランド王に即位。すぐさま第3回十字軍に出発した。在位10年中イングランドに滞在したのはわずか6か月で、戦争と冒険に明け暮れた。最後はフランス王フィリップ2世と戦って傷を負い死去。 Fontevraud Abbey, 
Fontevraud-l'Abbaye, Departement de Maine-et-Loire, Pays de la Loire, 
Franceボディ ●ユル・ブリンナー Yul Brynner(1920.7.11-1985.10.10)ロシア・ウラジオストック出身の俳優。本名ユーリイ・バリーサヴィチ・ブリーネル。父にモンゴルの血が入っておりエキゾチックな魅力で人気を呼ぶ。肺癌で余命が少ないことを知ったブリンナーは、1985年の1月から6月までミュージカル「王様と私」に再出演し、その4カ月後に他界した(「王様と私」には通算4633回出演)。代表作「王様と私」「荒野の七人」「十戒」「ウエストワールド」。 Saint Robert Churchyard, Luze, 
Departement d'Indre-et-Loire, Centre, France//Plot: Grave located in the pasture 
behind Saint Michal Abbey de Bos Aubry ●レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da 
Vinci(1452-1519)ルネサンス期の画家・建築家・彫刻家・詩人にして近代科学の先駆者。あらゆる方面に才能を発揮した、人類可能性の極限。トスカーナ地方のヴィンチ村生れ。フィレンツェやミラノで活躍し、晩年フランスに亡命してアンボワーズで没した。「モナリザ」「最後の晩餐」 Chapelle Saint Hubert*, Amboise, 
Departement d'Indre-et-Loire, Centre, France −−−−−− ●モーリャック Francois 
Mauriac(1885.10.11-1970.9.1)フランスのカトリック作家。シリアスな心理描写で魂の暗部を描き、人間のドロドロの苦悩を通して神の恩寵を示した。ノーベル文学賞(1952)。「愛の砂漠」「テレーズデケールー」 Cimetiere de Vemars, Vemars, 
Departement du Val-d'Oise, Ile-de-France, France ●アナトール・フランス Anatole 
France(1844.4.16-1924.10.12)フランスの作家。軽妙な風刺を駆使。ドレフュス事件を機に社会主義に傾倒。ノーベル文学賞。 Cimetiere de Neuilly-sur-Seine 
(Ancien), Neuilly-sur-Seine, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, 
France Georges de La 
Tour、tombe、Luneville と思う。 ●エットーレ・ブガッティ Ettore 
Bugatti(1881.9.15-1947.8.21)車体の美しさにこだわった自動車技術者、「ブガッティ」創業者。10代から自動車を設計。史上最大のエンジン排気量12763ccの超高級車T41ロワイヤルを製造。長男ジャンはテストドライブの事故により30歳で他界。 Cimetiere Dorlisheim, Dorlisheim, 
Departement du Bas-Rhin, Alsace, France ●モーリス・ド・ブラマンク Maurice de 
Vlaminck(1876-1958)フランスの画家。マチスらとフォーヴィスム運動(野獣派)の中心人物として活躍。荒々しい筆遣いで風景を描いた。「赤い樹」 cimetiere de Rueil-la-Gadeliere ●アンリ・ポアンカレHenri Poincare(1854.4.29-7.17)フランスの数学者。数論・関数論・微分方程式・位相幾何学のほか天体力学などで優れた研究を行った。実証主義の立場から科学批判を展開。 Cimetiere de Montmartre,Paris,City of Paris,Ile-de-France, France//Plot: 
Division 17 【Les Catacombes de 
Paris:カタコンブ600万人】5※10:00-17:00 入場に平均1時間待ち。 元サン・イノサン墓地。約600万人の遺骨がアートに昇華。ロベスピエール、ジョルジュ・ダントン、アントワーヌ・ラヴォワジェ、カミーユ・デムーランなど革命の混乱でギロチン刑になった者も。墓所の教会が破壊された作曲家フランソワ・クープランもここの可能性大。●ロベスピエール Maximilien Robespierre[original burial site](1758.5.6-1794.7.28)フランスの政治家。フランス革命に際し、パリのジャコバン修道院を本部とした左派の政治結社「ジャコバン派」(後に山岳党)を指導し、国王を処刑。ブルジョア穏健共和主義のジロンド派(指導者3人がジロンド県出身)追放を推進。1793年ダントン、マラー、サンジュストらと急進的改革を行い、反革命勢力一掃の恐怖政治を実行。翌年、ロベスピエール派はクーデターにより打倒されて壊滅、処刑される(テルミドール反動)。 Cemetery of Errancis (Defunct), Paris, City of Paris, Ile-de-France, 
France//Plot: [unmarked] ●クープラン Francois Couperin(1668-1733)作曲家。“大クープラン"。ロココ期のフランス宮廷音楽の顔。 Church of St. Joseph(Defunct), Paris, City of Paris, Ile-de-France, 
France ★オランダ ●レンブラントRembrandt Van Rijn(1606.7.15-1669.10.4) オランダの画家“光と闇の魔術師"。ルーベンス・ベラスケスと並ぶ17世紀の代表的画家。光の明暗や独特のセピア色の色彩を用いて人間の深い精神性を表現。現在「レンブラント光線」と呼ばれるスポット照明を駆使。「夜警」「自画像」「トゥルプ博士の解剖学講義」など優れた肖像画を残す。銅版画でもエッチング技法を完成。ライデン生まれ。 Westerkerk, Amsterdam, Amsterdam Municipality, Noord-Holland, 
Netherlands https://www.findagrave.com/memorial/6238810/rembrandt ●Saskia van Uylenburgh(1612.8.2-1642.6.14)レンブラントの妻 Oude Kerk (Old Church), Amsterdam, Amsterdam Municipality, Noord-Holland, 
Netherlands ★ディック・ブルーナ Dick Bruna(Hendrik Magdalenus Bruna)(1927.8.23-2017.2.16) グラフィックデザイナー、絵本作家。ナインチェ・プラウス(ミッフィー)やブラック・ベアの生みの親として知られる。 Utrecht Sint-Barbara Roman Catholic Cemetery,Utrecht, Utrecht Municipality, Utrecht, Netherlands https://www.findagrave.com/memorial/255934192/dick-bruna https://isp.cortexsystem.nl/events/graf-dick-bruna#! ●シルヴィア・クリステル Sylvia 
Kristel(1952.9.28-2012.10.17)オランダのモデル・女優。1973年(21歳)ミス・テレビ・ヨーロッパ・コンテストで優勝。翌年『エマニュエル夫人』でブレイク。蘭語、英語、仏語、独語、伊語を話した。 Utrecht Sint-Barbara Roman Catholic Cemetery, Utrecht, Utrecht 
Municipality, Utrecht, Netherlands Plot: Vak H2, rij 1, graf 19 ●アントニー・レーウェンフック Antony 
Leeuwenhoek(1632.10.24-1723.8.26)科学者。「微生物学の父」。初めて顕微鏡で微生物を観察し、微生物を発見した。後に精子も見つけた。デルフト生まれ。 Oude Kerk (Old Church), Delft, Delft Municipality, Zuid-Holland, 
Netherlands ●フェルメールJohannes Vermeer(1632-1675)オランダの画家。柔らかい光の中で市民の情景を描いた。フェルメール・ブルーが人々を魅了。現存は37点しかない。「牛乳をつぐ女」「デルフトの眺望」 Oude Kerk (Old Church), Delft, Delft Municipality, Zuid-Holland, Netherlands//Plot:
      Specific location not marked ●バールーフ・デ・スピノザ Baruch De 
Spinoza(1632.11.24-1677.2.21)オランダのユダヤ系哲学者。自然の秩序を理解し、感情を統御することで至福が得られるとした。神学者でありながら無神論者のレッテルを貼られ、ユダヤ教団を破門。レンズ磨きで生計を立てる。デカルト、ライプニッツと共に合理主義を代表。「エチカ」「知性改善論」 | 
| ※墓地の具体的な場所はマップにすべて掲載済み。 | 
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