世界のお墓
世界恩人巡礼大写真館 【English Version】
ちょっとティー・ブレイクのコーナー
【 墓地から墓地へ移動中の生態をリアルに激写! 】
※自分が写っている写真は、基本的にタイマー撮影っす…
★絶望のアンドラ公国 |
1989.9.4 |
フランス・スペイン間のピレネー山脈の中にこの国があることを知る人は少ない。が、そんなことはどうでも良い!この前日、南仏アルル駅で長イスにチェーンで自分のリュックをキツく結んでうたた寝した僕が目覚めると、そこにはチェーンだけがぶら下がっていた。カッターでリュックごとやられたのだ!ウギャーッ! この写真を解説しよう。泥棒は地図(地球の歩き方)と国際鉄道時刻表をなぜか残してくれていた(右手にある)。まるでスナフキンにテストされているようだった。左手にはゴザを抱え、右肩には寝袋を背負う僕。あとウエストポーチのカメラとコンパスは無事だった。パスポートとお金も首からぶら下げてたので無事。かくして旅は続行された。だが当日まで2ヶ月間撮りためた墓の写真はパー。これは痛かった。着替えもひげ剃りもタオルもなし。正直、臭ったと思う。それでもこの後一ヶ月以上旅してたから、本当はこれだけの荷物で良かったのかも!? |
1994.6.28 |
これがアルルの惨事を教訓にした、5年後の僕の宿泊風景だ。リュックは駅のコインロッカーに入れ、自分だけが待合室で夜を明かすのだ。深夜に貨物列車が通過するとごう音で叩き起こされるが、それもじき子守歌に。背後の時計は6時10分。すでに始発を寝過ごしている。足元に転がる2個の空き缶が、侘びしさを一段とアップさせて心憎い。 |
1994.7.9 |
治安の良い国では、ユース・ホステルを利用するのは週一回。たまった洗濯物を洗う為やむなく自分にその贅沢を許す。ベルリン中央駅では毎朝、見回りの警官と警察犬(ドーベルマン)のモーニングコールを受けた。この朝の会話。「お前は毎日何をしているのだ?」「墓が大好きなんで墓場をウロウロと・・・」双方シ〜ン。 |
米国 ニュージャージー州 2000 | 米国 ニューヨーク州 2000 |
エジソンの墓に行くには、背後に見えるエジソン博物館からの ツアーに参加しなければならない。ところが!やっとこさ博物 館に着いたら1年間の改装工事中!しかもすでに11ヶ月と 1週間が経過していた。守衛は「3週間後に来い」というが、 それでは帰国便に間に合わない!ノーッ!! |
戦場カメラマンのロバート・キャパを墓参しようと思ったら、 鉄道駅から墓のある街へ行く足(バス&タクシー)がなか った!米社会では車持ってるのが普通だから、公共交通 機関はあまり発展してない。歩けば片道8時間の距離。 ヒッチハイクに挑戦するも全車完全無視で頬を涙が伝った。 |
1989 リスボン〜パリ(若い!) 「墓マイラーは、食わねばならぬ!」 |
2000.8.3 東京 京急・新馬場駅 盛夏の巡礼は過酷。早朝からタフマン! |
左写真で食生活の解説。まずタンク入りの牛乳。これは日々のパワー源として欠かせない。ヨーロッパは乳製品が超安いし。次にテーブル上にある魚の缶詰。それを少し食べては思いっきりパンをかじる、この繰り返し。デザートはチョコレートとクラッカー。ビタミンは主に果物で摂取する。これが延々と続くわけだ。しかし一ヶ月に一度、究極に中華が食べたくなりチャイニーズ・レストランへゾンビのように入っていく。右写真は聖水(栄養ドリンク)の注入。 |
2002 フランス プロヴァンス地方 |
しかし!ほんとにお金がないときは牛乳も缶詰も買えない!2002年の欧州巡礼は様々な臨時出費&VISAカード紛失という極悪ピンチに陥り、旅の後半はキオスクのマドレーヌ(約100円で6個入ってる優れモノ)と水だけで、ささやかに命をつないでいた。※6個入りだから朝昼晩、2個ずつ食べてた! |
1989 ベルサイユ |
ベルサイユ前にて孤独感あふれる1枚。団体客が記念写真を撮っている真横で、ゴミ箱にカメラを乗せてタイマー撮影する僕。これはもう快楽の一歩手前。 |
イタリアはよく列車が遅れる。この日は22時にミラノに着く 予定が午前1時半!こんな時間に泊まる宿などない。野宿 の腹をくくったが、駅を出れば明らかにクスリをやってる ジャンキーや酒瓶で殴り合ってるオッサンがウロウロ…。 |
ミラノ駅は4時まで閉鎖され構内に入れないので、街中の 五ツ星ホテルの側で約3時間座っていた。高級ホテルは 24時間受付に人がいるので、何かあったらすぐに逃げ込 めるからだ。写真のように小さくなっていると、目がイッテル 連中が通りすがりに色々声をかけてきて、ビビリまくった。 |
1999 in カプセルホテル | 2000 in 警察署 |
99年夏の巡礼で初めて利用した上野のカプセル・ ホテル。電車の吊り広告にあった同ホテルの宿泊客 のポーズを再現してみた!都心で風呂ありサウナ あり読書室ありTV・ラジオ付きで一泊3500円だなん て、こちらが恐縮してしまった。 |
雨が降ってたり、治安が悪かったり、あまりに蚊が多くて野宿できない時はどうするか?冷暖房完備で、長椅子で体を伸ばして眠れて、全国どこにでもある無料のホテルがある。ズバリ、警察署の待合室だ。名前や住所を書かされることもあるが、「始発まで」という条件ならこれまで断られたことはない。しかもこれほど治安が良い宿はない。最後の手段として紹介しておく。 |
2002 ユースホステル in チューリヒ | 2002 安宿 in パリ |
旅先の相部屋で楽しいのは様々な国のバック・パッカーとの交 流。この夜はインド人、スウェーデン人、ニュージーランド人、ドイ ツ人と同じ部屋でベリー・ベリー・インターナショナルだった。 |
ブラジル人の若者2人と相部屋に。写真の彼は建物が 崩壊するんじゃないかというほどデカいイビキをかいてた。 |
2000 山口県 高杉晋作巡礼の折、1時間に1本のバスを待ってると、地 元のオバサンがワゴン車(写真の)で駅まで送ってくれた! 日本ではそういうことがあまりないので、とっても嬉しかった! |
2002 東京 多磨霊園 フロントガラス上部の路線名を見て欲しい。「霊10」 とド迫力!多磨霊園駅と霊園表門を往復している。 |
2000 青森〜函館間 | 2000 函館〜札幌間 夜行快速ミッドナイト号 | |
青函トンネルを走破するドラえもん号。外装も内装 もドラえもん尽くし。列車は耳なし芳一状態だった。 |
これは国内の移動で一番キツかった。ねぶた祭りと土曜日が重なって、 一晩中、人間が通路までビッシリ。まるでドナドナだ。あり得ない…。 |
2002 ドイツ国鉄の一等車。これは電車の中なのか!? |
座席の後ろには飛行機のようにモニターがあり映画が観 られる。映っていたのは、なんと『ガタカ』!「帰り道の事を 考えるんじゃない」って、何かの啓示みたいだったよ(笑) |
2002 ヴェネチア近郊のホームで |
疲れてくると多発するのが、列車の乗り間違いや降り忘れ。時計を観て欲しい。実は 午前4時に引き返している途中なのだ。深夜の鉄道マンは暇つぶしによく話しかけてくる。 |
地獄バス「青春ドリーム号」。大阪〜東京間を5千円で移動できるのは有難いが、前席との間隔が狭く足を 動かせないうえ、隣席ともかなり密着状態、冷房が寒くても毛布の支給はない。見れるドリームは悪夢だけだ。 |
いきなり本題からずれるが、僕が着ているロックバンドTシャツ(ドアーズやジミヘン)、これほど旅に役立つアイテムはない。事実、タクシーの兄ちゃんがドアーズのファンだった場合、いきなり“ドアーズ料金”で半額になったり、ここツェルマットでも牛乳運搬車の兄ちゃんが熱烈なドアーズファンで、歩き疲れた僕を逆ヒッチで荷台に乗せてくれたりした。バスや鉄道でも、見知らぬ若者がこのTシャツを見て、ニコニコと親しげに話しかけてくることが多かった。言葉は通じなくてもTシャツが相手の警戒心を解いてくれることを、旅に出て知った(ただし先のタクシーの運ちゃんは、このTシャツがマドンナやボン・ジョビだったら倍の値段を請求すると言ってたが)。 さて、スイスが誇る“坐したる巨人”マッターホルン(奧に見える山)。ふもとの町ツェルマットは、世界中から観光客が集まり大賑わい。当然日本人の小綺麗なお姉さんやパック・ツアー客がワンサといて、レストランでチーズ・フォンデュ&ワインとしゃれ込んでいる。僕はといえば町外れの民家の軒下で、昨日買った塩パンとコーヒー牛乳・・・えーい、そんなことを書きたいのではない!僕がこの町に来たのは写真右の登山者墓地を訪れるためなのだ。 ここに眠るのはマッターホルンに果敢に挑み、2度と生きて戻れなかった人々である。すごい数の墓があり、カメラに収まらなかった。そこには真新しい墓もあり、僕は墓地の真ん中ですっかり硬直してしまった。山へと続く道沿いにこの墓地が在るので、登山者は必ずこの墓を目に焼き付けている。彼らは死がすぐ隣にあることをこの墓地を通して身体で知り、死の可能性を百も承知のうえ入山する。普通ならこの十字架を見ればビビるはずなのに。彼らは吸い込まれるように山に消えて行く。僕はマッターホルンが恐くなった。登山中の事故が恐いというより、問答無用で人の魂を虜にするその魔力が恐くなった。あの山を10分以上見ていると、自分の思考能力が奪われていく気がした。『生徒諸君!』の沖田君を思いだした。ヤバイと思い逃げるようにツェルマットをあとにした(写真のマッターからも、そのただならぬ妖気が伝わるだろうか)。 |
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