(32号) 映画音楽の作曲家マイケル・ナイマンのアルバムを2枚聴いた。 1枚は『ザ・ピアノ・コンチェルト』。これは“ピアノ・レッスン”のテーマを発展させて、4楽章からなるピアノ協奏曲に起こしたもの。もう1枚は『ガタカ』のサウンド・トラックだ。どちらも非常に精神性の深い、現代音楽史上まれに見る大傑作だった。 この感動を自分の内に秘めておくなんて、おせっかいな僕には到底不可能。鬼神の如く、キーを叩かせて頂きます! アルバム『ザ・ピアノ・コンチェルト』では、何よりもまず、その尋常ではない緻密な音作りに脱帽した。あまりにもすごい密度で曲がどんどん展開するので、スピーカーから流れてくる音符が部屋いっぱいに詰まってしまい、僕はこのまま音の海で溺死するのではと、マジで、もがきたおした。 アルバム全体は約1時間で、そのうちタイトルになっているピアノ・コンチェルトは32分26秒。すごいのはその32分強の間、ただのひとつも無駄な音符がなかったことだ。まったく削るところがないのだ! 僕は病的なほどゴリゴリのクラシックマニアだが、過去の大作曲家に全く引けを取らない、その壮絶なまでの完成度の高さに絶句した。それはもう、寄せては返す音の波間で、ただもう恍惚とするばかり・・・。 聴いている間は周囲の重力が消滅しただけでなく、自分が今まで生きてきた過去も、これから体験する未来も、何の価値も持たなくなった。意味があるのは、現に自分の心臓が動いているという、その一点だけだった。 そしてそれは、誤解を恐れずにいうならば“最高度”の快楽だった。 全身が聴覚のみになり“今ここに生きて聴いている”というその事実が、過去も未来も超越したのだ。なんという音楽、なんという情念、なんという体験!こんな奇跡みたいな楽曲がこの世にあるなんて!! ・・・少し、興奮し過ぎたようだ。ちょっと深呼吸。 カップリング曲の組曲《5つの架空の旅・MGV》も珠玉の逸品だった。解説に演出家の宮本亜門が“トンネルの中を何千キロもの速さで潜って行くスピード感の心地よさ”と書いていたが、まったく同感だ。素晴らしい疾走感だった。 続いては、『ガタカ』のサントラだ。 この映画は以前にも少しメールに書いたが、僕のシネマ・ベスト1000で、トップ10を9年ぶりに書き換えさせた(しかも第3位!)大名作だ。 この作品は、人間が国籍でも人種でも学歴でもなく、遺伝子の優劣によって差別されるという近未来の物語だ。生まれた瞬間に、寿命がどれくらいか、そしてどんな病気で死ぬのか、そこまで分かってしまう世界の話だ。映画の冒頭で、赤ん坊時代の主人公・ヴィンセントが医者に告げられた推定寿命は、わずか30歳!死因は心臓等の内臓疾患だった。 両親を含め、周囲の者は彼に対して「この世には絶対不可能なことがある」 と、さとす。それは宇宙センター“ガタカ”で宇宙飛行士に採用されることだった。 採用枠が小さいため、並外れて健康な若者でも、滅多に宇宙飛行士になれない。まして、内臓疾患という爆弾を抱えている主人公には、夢のまた夢だった。精神病も含めて病気発生率ゼロという、正真正銘の“遺伝子のエリート”だけがガタカに受け入れられるのだ。 やがて彼は過激な方法に出た。遺伝子検査をパスするため、他人になりすます作戦に出たのだ。 ここで、彼はもう一人の影の主人公ジェロームと出会うことになる。ジェロームは国を代表する水泳選手だったが、今は車椅子の生活を送っていた。それは“遺伝子のエリート”として国家の威信を背負ってきた彼が、金メダルをとれず銀メダルに終わり、自殺未遂した結果だった。今は歩けないジェロームだが、もってうまれた遺伝子は一生変化しないので、その意味ではパーフェクトのままだ。 ヴィンセントはそんなジェロームと極秘に“契約”した。 彼の血液や毛髪、尿を買い取り、ガタカの遺伝子検査にそれらを提出したのだ。ここに、“欠陥人間”という烙印を押されたヴィンセントと、超エリートのジェロームとの間に、奇妙な友情関係がスタートすることになる。 ・・・以上が物語のおおまかな導入部だ。 途中で素晴らしいセリフがあった。 「帰り道のことを考えずに生きていけば、あらゆることが可能になるんだ!」 という、ヴィンセントの魂の叫びだ。 このセリフに僕は、すべてを賭けようと思った。それは、僕にとって決定的に人生が変わる瞬間だった。一本の映画で人生が左右される・・・そんなことが本当にあるのだ。 僕は32歳でこの作品と出会ったが、劇場で年甲斐もなく大号泣してしまった。上映後一時間もしゃがみこむほどモーレツに感動した。主演はイーサン・ホーク。レンタル・ビデオ屋に100%あるはず。 何の話を書いていたんだっけ?あ、そう、マイケル・ナイマンの音楽だ。 この『ガタカ』の音楽を担当したのが、“ピアノ・レッスン”で名をはせたナイマンその人だったのだ。彼はハリウッド・ムービーの露骨な商業主義を嫌い、それまで米国映画の仕事を全て断り続けていたが、この作品の脚本を読み、胸を熱く詰まらせた彼は、 「絶対僕が曲をつける、いや、つけさせてくれ!」 と、ついにその重い腰を上げたのだ。 このサントラの解説に次のような一節があった。 『不完全であることの魅力・・・不完全な人間にも可能性はある。不完全だからこそ、完全を目指すエネルギーがとてつもないエネルギーに進化する』 と。この文章はこの映画の本質を見事に集約している。 ナイマンの音楽は透明で儚(はかな)く、限りなく繊細だった。宇宙にも、海にも、血液にも、すべてに溶け込んでゆく音楽だった。そう、ジェロームが“恥”と思っていた銀色のメダルにさえね。 マイケル・ナイマンの2枚のアルバム。この世界最大級の宝は幸運なことに2800円だせば誰でも手に入れることが出来る。僕はレコード会社の広報担当者ではないが、家宝としてオススメしたい。もちろん、レンタルできればそれにこしたことなし。 P.S.間違って『ピアノ・レッスン』のサントラ買わないようにね。 良い作品だけど、ピアノ・コンチェルトの比じゃないので。 (34号) 僕はひねくれ者なので、俗に言う“美談”系の話には、けっこう冷めてたりする。でも、今日 読んだマザー・テレサの以下のエピソードは、ちょっと紹介せずにはおれなかった・・・! それは日本人神父がマザー・テレサを訪ねた思い出を語ったものだった。 マザーはカトリック教徒であるにも関わらず、死に逝く者がイスラム教徒ならコーランを 読んであげ、ヒンズー教徒ならガンジス川の水を注いであげたそうだ。 従来のキリスト教組織の慈善運動には、裏にキリスト教の布教(ある意味押し付け)が 見え隠れしたが、マザーは死に逝く当事者自身が一番やすらぐ信仰をベストとしていた。 それを見たこの日本人神父は 「自分の宗教人生で、目からウロコが落ちる体験だった」 という。 また、貧困者用の病院建設の資金を捻出するために、かのローマ法王からじきじきに頂いた高級車を“景品”に使った宝くじ(ナント!)を売りさばいたスゴイ武勇伝も載っていた。 保守的なキリスト教徒は信念の為に手段を選ばぬ彼女を“地獄の天使”と非難し、ヒンズー過激派はヒンズーの聖地ベナレスで活動する彼女を「キリスト教は出て行け!」と妨害した。 そんな彼らにマザーは繰り返しこう語ったという・・・ 「人間を中心に考えて下さい。宗教のことは考えないで!」 と。 P.S. 病気の貧困者数があまりに多いため、1対1を基本としたマザーの活動は“効率が 悪い”と一部のマスコミ(BBCなど)は冷笑し、僕自身も“これは根本的解決にならない”と心のどこかで感じていたが、彼女は始めから“効率”を上げることに何の価値も見出してなかったのだ。 むろん、人間の魂は効率論のおよばぬ世界だからだ。 P.S.2 ヴァチカンに貧困者が暖かい食事をとれたりシャワーを浴びたりできる施設を作ったのは彼女。当初、ヴァチカン側は“管理が難しい”と難色を示していたが、マザーが「設立の許可がでない限り私はここから動きません」と大司教の事務所で朝8時から立ち続け、その結果、夜9時に施設の設立許可が降りたという。すごい行動力ッス。 |
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