カジポン・タイムズNO.105

★『最近のテレビ番組はど〜なっとるのだ!?』という話題


TV番組情報誌のテレパルをご存知だろうか。今秋の『読者のお便りコーナー』のヒートアップぶりには目を見はるものがあった。
コトの発端は2001年9月12日号に載った“30才主婦”の一通の投稿だ。タイトルは「最近のつまらないテレビ、なんとかして!」。
(“じゃあ見なきゃいい”という意見は正論だが、それでは番組の質が向上しないので却下)

内容を要約すると、
・民放バラエティーの“やらせ”度合いがひどすぎ。視聴者を馬鹿にするのもいい加減に。
・昔からワイドショーには他人の悪口がつきものだが、最近の露骨な言いたい放題は目にあまる。
・クイズ番組はお笑い芸人がムリヤリ間違えて笑いをとる姿が辛い。
・もう野球中継の延長をやめて。あとの番組を待っている人のストレスを考える時期に来ているのでは。
・ドラマも内容を無視したCMの入れ方で興ざめ。
で、「実際皆は本当に楽しんで見ているの?」と疑問が投げかけられた。

これに対するテレパル編集部の答えが驚きで、メシのタネ(業界側)を擁護するのかと思いきや、
「確かに、最近は惰性でつけていることさえ耐え切れず、スイッチを切ってしまうことがままあります」
と答え、その後フォローで、
「でも、わずかですが、革新的な番組も中にはあります」
と締めている。これはちょっとした事件だ。
“惰性でつけていることすら辛い”
“革新的な番組はわずかしかない”
と言い切っている。むろん正論だが、雑誌の立場を考えるとなかなか歯に衣を着せぬ大胆な発言だ。

そして10月10日号。
投稿コーナーが急遽“テレパル闘議場”と名付けられ、見開き2ページに渡って「私もそう思っていた!」投稿の大特集。テレパル編集部の切実な思いは次のタイトルに表れていた…
『素人いじり、芸人いじめとは違う、新しい切り口の企画が見たい!』

様々な嘆きが紹介され、その代表的なものは、

●CM後の映像の巻き戻し
そこまで戻すかというほど戻し、同じ場面をしつこく見せる。見始めた人へのサービスというより、単なる時間稼ぎとしか思えない。
●類似品の多さ
人気番組を真似した同じ内容のものばかり。夫婦や恋人をムリにケンカさせたり、隠しカメラの映像ばっかりで、とにかく悪趣味。
●出演者の貧困な表現力
どのタレントも「すごーい」「こわーい」「おいしーい」と誰でもいえる感想ばかり。芸を磨くというのは表現力を磨くということ。
●スタッフの笑い声
スタッフの“つきあい笑い”は、コントそのものがお粗末な場合、不愉快極まりない。芸人はそういうスタッフに甘んじて成長できない。
●ピー音
本来は放送禁止用語をうっかり話してしまった時だけに使われるピー音。最近はどのトーク番組もピー音だらけ。盛り上がってるのは出演者だけ。
●スポーツ番組に場違いなゲスト
スポーツ中継に出てきて的外れな質問をするタレントにうんざり。無理にバラエティーの要素をスポーツにねじ込む必要なし!
●CMの入れ方
番組の流れを無視した乱暴なCMの入れ方に怒りを覚える。商品に対する印象まで悪くなるほど。

などなど。編集部の怒りも同様で、映像の巻き戻しの件は
「巻き戻してまで、もったいぶって見せるほどのもんかいっ!」
と、鼻息が荒い。

ウ〜ム、何処へ行く、21世紀のテレビ番組!



カジポン・タイムズNO.121

★怪獣映画をお子様映画と思っている貴方に〜最新作ゴジラ映画について


《久々に震えながら怪獣映画を観た》

1954年に公開されたゴジラ第1作は、それはもう素晴らしかった。とにかく物語が骨太!人類の相次ぐ核実験で被爆し、太古の眠りから覚めたゴジラが東京へ上陸、敗戦から約10年を経てようやく復興した東京は、ゴジラの吐く「放射能熱線」で再び焦土と化した。ゴジラに対して戦車や戦闘機は全く役に立たなかった。
そこである博士が開発した化学兵器を使用することになるが、博士は原爆、水爆に続く究極兵器を世に出すことをためらう(博士は広島で被爆し、片目を失っていた)。しかし、ゴジラの通過点にいた子供たちが被爆しているのを見て、博士は兵器の使用に踏み切る。博士はゴジラを倒したことを確認した後、自殺した…自らの頭の中にある、兵器の設計図を消し去る為に。
映画のラストは「人類が水爆実験をやめない限り、第2、第3のゴジラが必ず現れるだろう」と語る老人のセリフで締めくくられた。

この約50年前に製作された第1作は、怪獣映画の体裁をとってはいたが、“反核”を前面に出した見事な社会派ドラマだった。
しかし…第5作目から東宝経営陣の方針でゴジラのキャラが激変!善玉怪獣モスラに“説得”された正義の怪獣として、地球の平和を乱す宇宙人や怪獣をバッタバッタと成敗する、子供たちのスーパーヒーローに!これは大映製作のガメラ・シリーズがターゲットを子供に絞って大成功した影響だ。

第1作からどんどん設定がかけ離れて行くゴジラ・シリーズ。しかしファンはシリアス路線への回帰を信じて劇場へ足を運び続けた。だが、第6作でエックス星人に勝利したゴジラが「シェー(おそ松君の)」をやり、第9作で人間に管理された“怪獣島”に住むようになり、第11作で空を飛ぶに至って、ついに劇場から大人たちの姿は消え去った。

その後も“ゴジラ死す!”と大々的にキャンペーンを張りながら、ラストでちゃっかり復活させる詐欺まがいの作品(第22作)を製作し、宣伝を信じてやって来た子供たちに“大人たちは嘘ツキだ”と愛想をつかされる始末。
以後、東宝のドル箱だったゴジラ・シリーズの観客動員数は減り続け、ついに最新作の第25作は幼児向けアニメ『とっとこハム太郎』(ハムスターの冒険もの)と併映される憂き目となった。

僕は当初この最新作を全く観に行くつもりがなかった。タイトルからして『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』と、お子様オーラ炸裂しまくりだったからだ。ところが、雑誌や新聞の映画評を読めば、どれもやたらと絶賛しているではないか!?迷ったあげく、公開終了の前日というギリギリの段になって劇場に足を運んだ。
上映開始が午後8時頃ということもあり、1本目の『ハム太郎』が終わると同時に観客のチビッコたちは潮が引くように消え、代わりに背広を着た仕事帰りの男がどっと入って来た。女性客はほぼ皆無。場内を妙な連帯感が包んでいた。映画が終わるのは10時前だ。明日の仕事もあるというのに、30代、40代の男たちで劇場を占拠している図は、えも言われぬものがあった。互いに初対面だが、全員がゴジラLOVEと顔面に書いてあり、古くからの同志が久々に集まったような温かい雰囲気だった。

で、肝心の作品の感想は…す、す、すごかった!ゴジラは極悪、原点に戻っていた!シリーズ全25作の中では、間違いなく第1作の次にシリアスな作品だ!

(以下、もう公開が終了したからストーリーに直接触れていいよね?)

この最新作は第1作の続編として描かれており、第2〜24作は“なかったこと”になっている。米国版GODZILLAについては「前世紀の終わりに米国に現れた巨大生物を向こうではゴジラと名づけているが、日本の学者は認めていない」と冒頭で語られ、マニア心をくすぐった。

とにかく、今回のゴジラの設定には仰天した。ゴジラは太平洋戦争で殺されたアジアの人々、米軍兵、日本兵(南方戦線の日本兵の多くが戦闘ではなく飢えで死んでいき、国家を恨んでいた)の怨念の集合体で、その戦死者の無念の叫びを忘却した現代日本に怒りをぶつけに来るというのだ。ゴジラが目指すのは一路、東京だ(東京には皇居、靖国がある)。

ゴジラが最初に上陸した場所は静岡・焼津港。ここはビキニの水爆実験で被爆した第五福竜丸が帰港した港だ(伏線が細かい!)。ゴジラはそこから出現し清水市に放射能熱線を吐き出す。快晴の空にキノコ雲が上がった。その様子を目撃した人々が絶句する「原爆!」と。

一方、ゴジラ上陸と同時に日本古来の守護霊獣(ヒトではなくクニの)が、九州(モスラ)、越後(バラゴン)、富士(キングギドラ)で目覚め、「やまと」の国土を破壊するゴジラと対決する。自衛隊は首都への最終防衛ラインを横浜に敷き、霊獣たちと共同戦線を張る。だが、ゴジラは霊体なので、自衛隊の近代兵器はまったく通用しない。

※今回のゴジラの風貌が異様なのは、目に瞳が無く白目だけという点だ。これは、このゴジラには視力など不要で、ただただ怨念に突き動かされて東京に接近しているという演出だろう。また、近年のゴジラ映画で子供たちが抱いた「ゴジラ=かっこいい怪獣」というイメージは、劇中に描かれる残虐ファイトぶりで120%吹き飛ぶ。大勢の人間がゴジラに殺されるが、映画はそれをかなりストレートに描いており、正直、もし僕が小学生でこの作品を観たら恐怖でトラウマになったと思う。これを観てゴジラの人形が欲しいなんていう子供は、まずいないだろう。
従来のゴジラ・シリーズは自衛隊が撮影に協力してくれていたが、今回は協力を拒否された。劇中でゴジラに攻撃された自衛隊機が、地上の一般民家に墜落するシーンがあったからだ。

クライマックス。守護霊獣が次々と敗北する中、対ゴジラの指揮をとっていた中年軍人が、ゴジラの開いた口の中へ特攻をかける。体内でミサイルを発射し、内部から攻撃しようとしたのだ。彼は5歳のころゴジラ(第1作の)に両親を殺されており、一日たりともその惨禍の記憶を“忘却”してなかったし、日本全体が復興の気運の中でゴジラ襲来の記憶を忘れていく中で、ゴジラ再来の際は自分のような境遇の子供は2度と作らない、という気持ちから軍に志願した男だ。彼は死んだ人たちのことをいつも思っていた。
また、軍人ではあるが「実戦経験のないことが一番の名誉だ」という信念も持っていた。
(だからこそ)その彼のミサイルが効いた。

※彼は奇跡的に生還したが、駆け寄ってくる自分の娘に「待て!それ以上近づくな!」と制止する。自分はゴジラの体内に入っており、どれだけ被爆したのか分からぬからだと言う。

ホント、幼児向けの『ハム太郎』と2本立てにしてどうすんだよ!?ここまで内容にギャップのある2本立ては、そうそうない(笑)。完全に観客のチビッコたちを無視したハードなストーリー展開だった。

ただ、手放しで絶賛出来るかと言うと、脚本が苦しい部分も多い。
まず、1本の作品として見た時に、かなり予備知識が必要だと思った。最低でも第1作を観ていないと、劇中で語り継がれている過去のゴジラ襲撃の恐怖がピンとこないだろうし、反核メッセージも随分と弱くなってしまう。
また、これだけの大事件なのに政府会見は官房長官だけで、肝心の総理が出てこなかったり、大津波が主要キャラの目の前で消えるなどのご都合演出がけっこうあった。それに、せっかく深読み出来る設定を劇中に挟みながら、それを効果的に使いきっていない…云々。

だが、それでも低予算&わずか3ヶ月という撮影期間の製作にしては、本当によく頑張ったと思う!!

(P.S.)
巨大なゴジラが歩くたびに地面が激震し、付近の民家では家の中の額縁や食器がいっせいに落下した。その様子が震災の時とそっくりだったので、本気で怖かった。関西の人間は、みんなあそこで固まったんじゃないかな。あと、ゴジラの演出で怖いのは口から吐き出される放射能熱線。背中のヒレが発光した直後に吐き出されるので、観てる側は背中が光り出すと身体が硬直してしまうよ〜。




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