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【永久保存版!やさしい仏像入門・基本知識】


《はじめに〜仏像の魅力》

近世までいつ果てるともなく続いてきた、戦乱、疫病、飢饉。人々は心の拠り所を必要としたが、仏教が伝来しても、肝心の経典に書かれた文字を読めるのは貴族や高僧など一部の特権階級だけで、文盲の大半の民衆には縁遠いものだった。お経が読めない人間でも、ひと目見ただけで御仏の慈悲や有難さが五臓六腑に伝わってくるもの…それが仏像だった!
しかし、仏像の魅力は御仏(みほとけ)の慈愛を体感出来ることだけではない。僕の場合、仏教の思想性や彫刻としての芸術的価値よりも、むしろ仏像を彫り上げた仏師たちの“優しさ”に触れられる感動の方が大きい。

仏師たちは「何とかすさんだ人の心に平穏を!」そう思って、ひと彫り、ひと彫り、祈りを込めてノミを刻み、土をこねた。彼らにとって、自分が納得出来ぬ仏像を世に送ることは仏への冒涜になったので、満足のいく仏像を完成させるべく、自己の存在理由をかけ、全身全霊を込めてノミや木づちを手にとった。
傷つき疲れた魂の救済に、真摯、かつ、懸命に挑んだ名も無き優しい仏師たち。そして、仏師が彫った仏に救われ、火事や洪水から千年以上も仏像を守り継いできた、数え切れないほど多くの人々。国外の美術研究者は千年前の木製彫刻がこれほど大量に火災を逃れて現存していることに驚きを隠さない。
こんなにも熱い思いが込められた仏像を、「興味が無い」だけでパスするてはない!

それでは、かくも素晴らしき仏像の世界へ御案内しませう。


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《仏像は4種類ある!》

仏像は大きく分けて以下の4種類。これはもう仏像鑑賞の基本中の基本なので、何が何でも抑えて欲しい!お釈迦さまに向かって「南無阿弥陀仏…」と手を合わせるのは間違いッス。

・如来(にょらい)
悟りを得た者。ブッダともいう。服は布きれ1枚。手塚マンガの影響でブッダ=釈迦と考えている人が多い。確かに釈迦はブッダだが、あくまでも大勢いるブッダの中の一人であり、釈迦だけがブッダではない。

・菩薩(ぼさつ)
ただいま修行中!出家前の王子時代の釈迦がモデルなので、胸飾りやブレスレットを身に付けている。他者を救う“行”をしているので、すぐ助けに行けるよう基本的に立ち姿で表され、瞑想には入らない。坐ったり瞑想していては素早く動けないからだ。

・明王(みょうおう)
修行する者を煩悩から守る仏。真言宗だけに登場する。

・天部(てんぶ)
魔物から仏界&仏法を守るガードマン。元ヒンズー教の神々。

仏たちの上下関係はこんな感じ→
如来(悟り済)>菩薩(修行中)>明王(民衆を守る)>天部(仏界を守る)


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《如来&菩薩について》

如来は4種類に大別できる。菩薩の種類は数え切れない。一体の如来像と2体の菩薩像がトリオになって“三尊”と呼ばれる。 

★印・・・仏像の見分け方(例外はあるけど、こんな感じ)


●釈迦如来〜悟りを開かせてくれる。本名ゴーダマ・シッダールダ。B.C.500ごろインド北部の釈迦国に生まれた王子。29才で王位の継承を放棄して出家、35才で悟る。80才で死ぬまで説法を続けた。
座っている像は人々を救う方法を考えておられる姿、立っている像は人々を救おうと立ち上がった姿だ。坐像と立像ではこうした内面の違いがある。

★釈迦如来の印相(いんぞう、手の形)〜右手の平をかざして説法をしているか、両手をヘソの前で重ねる座禅でおなじみのポーズ。前者を施無畏印(せむいいん)、後者を禅定印(ぜんじょういん)と呼ぶ。禅定印は釈迦が菩提樹の下で悟りを得た時に結んでいた手の形だ。

★釈迦如来の脇侍(わきじ=きょうじ、左右にいる仏)〜文殊&普賢(ふげん)菩薩。

・文殊菩薩…智恵の仏。釈迦の実在の弟子で高名な賢者だった。獅子に乗っている。いずれは如来となり仏界の南方を治める。剣を持つことがあるが、智恵が“切れる”ことを表している。

・普賢菩薩…慈悲の仏。行動的な菩薩で、至る所に現れる。女人往生を説いたので女性の信仰を集めてきた。普賢の意味は「普遍の教え」。彼もいずれ修業を終え如来となり、仏界の北方を治める。白象に乗っている。

※釈迦は菩薩の代わりに、梵天&帝釈天に挟まれることもある。


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●阿弥陀如来〜極楽へ往生させてくれる。釈迦と同じインドの王子だが、悟ったのは釈迦以前。現在は極楽浄土の主。阿弥陀(極楽)には多くの仏がおり、その阿弥陀仏軍団のリーダーが阿弥陀如来。臨終の際に名を唱えれば、極楽から弟子の菩薩たち(25人)を従えてお迎えに来て下さる。仏界の西方を治める。
(南無阿弥陀仏の「南無」は“おまかせします”という意味)

★阿弥陀如来の印相〜親指と人差し指でOKを作っている。

★阿弥陀如来の脇侍〜勢至(せいし)&観音菩薩。

・勢至菩薩…智恵の仏。水瓶(すいびょう)を持っていて、中には汚れを払う霊水が入っている。

・観音菩薩…慈悲の仏。観音のバリエーションは全部で33種あり、その中で特に有名な6種の観音を“六観音”と呼ぶ。六観音は、なんと、地獄に堕ちた者まで救ってくれる。地獄は罪の重さによって六段階に分かれているので、この六観音が個別に各地獄へ救済に向かう。
※観音は教えを説く時に、それぞれの人に適した姿に変身して現れる。

その1.聖観音…全ての観音の基本形態。阿弥陀如来の弟子で頭に師匠の化仏(けぶつ、小さな阿弥陀仏)を載せている。地獄の最下層にまで助け出しに来てくれるのがこの聖観音。聖は“しょう”と読むので要注意。

その2.十一面観音…11個の顔で全ての方向を見つめ、苦しんでいる人を一人でも多く発見し、救い出そうとしている。左手に蓮華を挿した水瓶を持つ(この水は一切のけがれを消す)。十一面観音の最大の見所は後頭部。なんと、いつもクールな仏が爆笑しており、これは「暴悪大笑面」(ぼうあくだいしょうめん)と呼ばれている。悪事を笑っているのだ。邪悪なものを打ち倒す力は“笑い”が一番ということか。
※暴悪大笑面といえば向源寺の十一面観音(国宝)!とにかくド迫力、素晴らしい!
(向源寺・暴悪大笑面)←クリックしてちょ!

その3.千手観音…聖観音が変化した法力最強バージョン。無限の慈悲で人間以外の生き物も全て救う。この仏も顔は十一面あり、手は千本あるものと42本に省略されたものがある。有名な風神&雷神はこの千手観音に従っている。

その4.馬頭観音…怒りの観音。諸悪を粉砕する。頭上に馬の頭が載っているので簡単に見分けがつく。馬はどんな濁った水でも飲み尽くすことから、人々の不浄な煩悩を断つ仏として信仰される。

その5.如意輪(にょいりん)観音…6本ある手には、あらゆる願いをかなえる如意宝珠や、仏の教え(あるいは釈迦自身)を象徴する法輪を持っている。法輪は武器にもなる。菩薩には珍しく坐像が多い。
※手が6本になったのは平安時代以降。

その6.不空羂索(ふくうけんじゃく)観音…羂索というロープを持っていて、それで人々をもれなく救い上げる。不空とは“願いが空しくない”という意味。目が額にもある。
※真言宗では不空羂索観音の代わりに子宝に恵まれる力を持つという准胝(じゅんてい)観音を加える。

【水月観音】
自分が思うに観音の中で最も美しいお方は、腰をかけて水面に映った月の光を眺めている水月観音だ!足を崩し手をついてリラックスしており、これほどくつろいだ仏は他にない。何かもう、見ているだけで身体から余分な力が抜けていく。“水月ジャンキー”になる人も多いと聞く。
※水月観音といえば北鎌倉・東慶寺のもの!クリックしてとくと御覧あれ!
(東慶寺・水月観音)


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●薬師如来〜左手に薬壺(やっこ)を持っており、身体と心の病気を癒してくれる。阿弥陀の次に悟りを得た如来。薬は生きている者だけに役立つことから、阿弥陀如来があの世の象徴であるのに対して、薬師如来は“生 ”の象徴とされている。
仏界の東方浄土を7人の薬師仏で治めているので、代表の薬師如来は背後に背負っている光背(こうはい)に6体の化仏をつけている。見ているだけで病気がスッと治るような有難さを持った、そんな薬師如来がグーッド!

★薬師如来の印相〜これは簡単!上記したように薬壺が目印(ただし、薬壺を持つようになるのは平安時代以降)。薬師如来も釈迦のように右手をかざしているが、これは説法をしているのではなく、患部を手当てしている。また、右手の“薬指”を少し前に出すことで、薬師如来であることを表現しているものも多い。

★薬師如来の脇侍〜日光&月光菩薩。もしくは十二神将。薬師如来のいるお堂を24時間診察OKの病院に例えると、如来がドクター、日光菩薩が昼勤の看護婦、月光菩薩が夜勤の看護婦、十二神将が病院のガードマンといった感じ。

・月光菩薩…智恵の仏。向かって左側。

・日光菩薩…慈悲の仏。向かって右側。

・十二神将…薬師如来の警護を担当。魔物だったが説法に感動して味方になった。各神将は7千人の配下を率いており(計8万4千の軍勢)、頭上に干支の動物を冠して全方角を守っている。

※せっかく病気を治そうとしている薬師如来に、極楽行きを願う「南無阿弥陀仏」を唱えるのはシャレにならないので、絶対に避けるべし。ブラック・ユーモアもいいとこ。

※仏教伝来から平安時代中期までは、薬師如来の方が阿弥陀如来よりも民衆に慕われていたが、平安末期に阿弥陀への信仰を説く法然や親鸞が登場したことで人気が逆転した。

  南無阿弥陀仏ならぬ、南無薬師如来!




この藤原時代(平安後期)の薬師如来は、一見とても目付きが悪く見えるが、これは何千、何万もの巡礼者に触られて表面がすり減った為だ。眼病を患う人は眼を、耳を患う人は耳を、というように、各人が患部を触っていった結果こういう姿になったのだ(唇もえらくすり減っている)。身を犠牲にしてまで人々を救おうとする薬師如来像に、心から感動した!

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●大日如来〜密教(真言宗)にのみ登場する特殊な如来で最高仏。宇宙そのもの。すべての仏像は大日如来が時と場所を超えて変化した姿とされている。仏の中の仏。真言宗のお寺なのに本尊が大日如来じゃなく、釈迦如来や薬師如来だったりする場合があるけど、それは結局どの如来に手を合せても、真の姿は大日如来になるからだ。大日如来を中心に宇宙の構造を図で示したものが曼荼羅(まんだら)。大日如来は坐像しか彫られていない。別名、毘盧遮那(びるしゃな)如来で奈良の大仏はコレ。

★大日如来の印相〜智拳印(ちけんいん)は忍者が忍法を唱える時のポーズ。左手(不浄、悪)を右手(善)で包み制するのだ。
※如来だが例外的に宝冠やアクセサリーを身に付けている。

★大日如来の脇侍〜阿弥陀如来や釈迦如来という豪華版!

〔もっと詳しく〕

※大日如来…宇宙の姿を仏で表したもの。古代インド語(サンスクリット)では「マハーバイローチャナ」、漢字(音写)では「摩訶毘盧遮那仏(まかびるしゃなぶつ)」と書かれる。真理(理)と智恵の活動(智)そのものであるとされ、「大日経」が説く“理”=胎蔵界大日と、「金剛頂経」が説く“智”=金剛界大日の両界から宇宙が構成されているとみる。仏像で表現する時は、手の平を組み合せた禅定印を胎蔵界大日、左手の人差指を右手で包む智拳(ちけん)印を金剛界大日と表現する。

※曼荼羅(まんだら)…密教の宇宙観や悟りの境地を描いた仏画。サンスクリットのマンダラ(円、本質)が音写された。大日如来を中心として周囲に諸仏を配し、宇宙が仏で満ちていることを伝える。「大日経」を表した胎蔵界曼荼羅では、白蓮に座す大日如来を4如来&4菩薩が囲み、その周囲に444の仏像を描いて“理”を象徴し、「金剛頂経」を表した金剛界曼荼羅では、9分割された画面に1461もの仏像を描いて「智」を象徴する。

※真言宗…単純に密教とも呼ばれる。大日如来を本尊として崇拝する。日常の言葉を使用せず、真言(大日如来の言葉)を通して、身・口(言葉)・意(心)の全てを大日如来と一体化することで、現世における成仏(即身成仏)が可能と説く。核となる聖典は「大日経」「金剛頂経」の2つ。理論だけでなく実践を重視する。密教の仏法は大日如来→金剛薩?(さった)→竜猛→竜智→金剛智→不空→恵果→空海へ伝わったとし、この8名を「付法の八祖」と呼ぶ。天台宗の密教を「台密」、真言宗を「東密」ともいう。

※三密…密教の修行にある「三密」とは、指で様々な印を結ぶ「身密」、心に仏を思う「意密」、真言を唱える「口密」のこと。空海は特に口密を重視したので、自分の宗派を真言宗と命名した。大半の真言は帰依(身を委ねること)を表すオン(オーム)やナム(南無)で始まり、成就を表すソワカ(ズバーハ)で終わる。

※真言…密教で仏や菩薩の言葉とされる短い呪文。サンスクリットのマントラ(“思考の器”の意。マンダラと別)の漢訳。真言は内容よりも文字や音声自体に無限の力を擁しているとされ、実際に声に出して唱えることで、仏の説く真理に近づき成仏できると考えられている。


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《その他の有名菩薩&閻魔大王》

●弥勒(みろく)菩薩…釈迦の次に如来になることが約束されている人物で、56億7千万年後に世界を救いにやって来る。現在どのように人々を救おうかと、菩薩としては例外的に瞑想中。仏教思想では世界の中心に須弥山(しゅみせん)という山がそびえ(高さ1億2千480万km!)、上空の兜率天(とそつてん)に彼がいることになっている。
ポーズは半伽思惟(はんかしゆい)といって、腰掛けて足を組み、手の指を頬に当て物思いに耽るものが多い。片足を下ろしている理由は、瞑想中でも苦しんでいる者を救いに行きたいという、弥勒の居ても立ってもいられない気持ちの表れだ。また、微笑している弥勒仏は、人々の救い方を悟った決定的瞬間の表情だと言われている。
※兜率天の最上層が“有頂天”と呼ばれる聖地。

●虚空蔵(こくうぞう)菩薩…智恵&慈悲の菩薩。技能や芸術の力もあり、職人&芸術家の守り本尊。天(虚空)の恵みを仏格化した仏であり、これに対し大地の恵みを仏格化した仏が地蔵菩薩とされている。

●地蔵菩薩…釈迦の死と弥勒降臨との間の無仏世界(つまり現代)を救済する為に現れた。実は閻魔様の正体でもある(これは意外ッ!)。大地の仏。

●閻魔大王… 地蔵菩薩が閻魔となった時にわざと恐い顔をしているのは、早く罪を白状させて楽にしてやりたいという優しい親心(親は子が憎くて叱る訳ではない)。閻魔は刑罰を楽しんでいるのではなく、人々を愛しているからこそ、一刻も早く極楽へ行けるように、あえて心を鬼にしているのだ。ちょっと感動、ウルウル。(T_T)

閻魔大王は亡者を取り調べ、罪人を地獄に落とし「苦しみ」を与える。しかし、たとえ相手が亡者であっても、他者に苦しみを与えることは閻魔大王の罪になる。人に苦しみを与えることはそれほどまでにいけないことなのだ。その罪ゆえ、閻魔大王は日に三度、それまで従っていた獄卒(手下の鬼)や亡者たちに捕らえられ、熱く焼けた鉄板の上に寝かされる。亡者たちは鉄の鉤(かぎ)で大王の口をこじあけ、ドロドロに溶けた銅を口の中に注ぐ。大王は舌や口はもとより、喉から腸に至るまでただれきってしまう。仏像の閻魔大王に、アゴから下が溶け、そのまま胸とくっついているものが多いのはこの為だ(この苦しみは亡者が地獄で受けるどの苦しみよりも過酷だといわれている)。
閻魔大王は自分が最初から全ての亡者を天上界に送っていれば、日に三度の苦しみを受けることもないわけで、これは大王自身が一番よく分かっている。しかし亡者が行った生前の悪事を知ってしまうと、どうしても許すことが出来ないのだ。閻魔大王の願いは、全ての人々が現世において悪事をなさず、良い行いだけをすること。そうすれば大王も亡者を地獄に落とさずに済むからだ。大王の願いは切実だ。

※お寺で地蔵菩薩と閻魔像が並んでいたら、変身前後の違いを味わってほしい。


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《明王》5つのバリエーションがある!

その1.不動明王…明王軍団のボス。真言宗の大日如来の命を受けて、修行者を護っており、必死の形相で煩悩から人々を助け出そうとしている。大日如来自身が変化した姿とする説もある。光背は、燃え盛る火焔。右手に剣、左手に羂索(縄)を持つ。刀は煩悩を断ち切る智恵の刀だ。おさげ髪を片側だけしてちょっとオチャメ。
不動明王には坐像と立像があるが、釈迦如来で記したように「もう座ってられん」と立ち上がり救済に向かう姿が立像だ。

その2.降三世(ごうざんぜ)明王…シヴァ神が起源。明王のナンバー2。過去、現在、未来、の三世の煩悩を抑え鎮める。目が三つ。足下にヒンズーの神を踏みつけている。左右の手の小指を結ぶという特徴的な印相だ。

その3.軍荼利(ぐんだり)明王…様々な障害を取り除く。体にまとわりつく蛇、親指&小指のみを折った印相がトレードマーク。

その4.大威徳(だいいとく)明王…戦勝祈願の仏。顔が6面、腕が6本、足が6本という異様な姿で水牛にまたがっている。印相は中指を立てつつ両指を組むもの。

その5.金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王…金剛杵(しょ)という仏界最強の武器を持っている。何と目が5個もある!夜叉とは鬼神のこと。

●愛染(あいぜん)明王…愛欲をハナから禁じるのではなく、まず愛欲の苦悩を体験させ、その苦しみを教訓とし、克服することによって悟りに至らせようとする、一種異端の明王。全身が愛欲の炎で真っ赤になっている。弓矢を持った愛の仏である為、西洋のキューピッドと同一起源という説もある。


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《天部》
仏教に帰依した他宗教の神々。めちゃくちゃ数が多い。

●梵天(ぼんてん)…ヒンズーの最高神だが、釈迦の思想に感心して仏法の守護神となる。釈迦に悟りの内容を人々にやさしく説くようにアドバイスした。梵天がいなければ釈迦は説法をせず、仏教はなかったとまでいわれている。刀利天(とうりてん、須弥山の頂上)に住む。

●帝釈天(たいしゃくてん)…元々はアーリア人の英雄神インドラ。刀利天の喜見城(きけんじょう)に住む。仏側の戦闘部隊の総大将で、衣の下に鎧を着込んでいる。前述したように、帝釈天は梵天とペアで釈迦如来の脇侍になることがある。妻は阿修羅の愛娘。

●金剛力士(仁王)…帝釈天が須弥山から下界に降りて変身し、2体に分かれた仏が金剛力士だ。金剛杵を握り、寺門の左右で魔物が入らないように見張っている。口を開いて魔物を恫喝しているのが阿形(あぎょう)像、口を閉じて悪人に
「ウム、入れ」
と仏前での改心を促しているのが吽(うん)形像。吽形は“悪人こそ寺に入れて善人に変えねば”と考えているのだ。ペアの2神は仁王とも呼ばれる。

※阿吽(あうん)豆知識
インドの古典文字サンスクリットのa-humの音をうつした言葉。「阿」は呼気、「吽」は吸気を表す。阿形は息を吐き、吽形は息を吸っていることで、“A to Z”のように「万物」を表現している。また密教では「あ」が全ての始まりを、「うん」は全てが帰っていく所を表しており、両像は生から死を象徴している。2神は一心同体であり“あ・うんの呼吸”の語源となっている。

●吉祥(きちじょう)天…ヒンズーの幸運と美の女神ラクシュミーを仏教が取り入れた。天部の神としては珍しく、やがて如来になる。鬼子母神の娘で毘沙門天の妻。

●弁才天…弁天とも呼ばれる。学問と芸術の女神。七福神の紅一点であり、美人の代表とされる。梵天の妻。

●鬼子母神(きしもじん)…安産&子供の守護神。元々インドの人食い悪神だったが釈迦が改心させた。

●大黒天…戦闘神だったが鎌倉時代からなぜか七福神の一人に。

●阿修羅…帝釈天と互角に渡り合った悪の最強戦闘神。元々は正義の神であったが、あまりに正義感が強すぎた為に人を許す慈悲心を失い魔物化した。後に釈迦の教えに感銘し、仏法の守護神となる。
※鬼神・阿修羅が帝釈天と戦う場所を“修羅場”という。

●四天王…仏が住んでいる須弥山の中腹で、下界から攻め上がって来る魔物たちを退治している。甲冑(かっちゅう)をつけ、足元に邪鬼を踏みつけている像が大半。全員が帝釈天直属の部下。四天王には八部衆(阿修羅、ガルーダ=カルラ、夜叉、ダイバ、ナーガ、キンナラ、マホーラガ、ガンダルバ)と呼ばれる配下がいる。

東→持国天…武器を持つ。
南→増長天…武器を持つ。鬼神の長。
西→広目天…筆と巻き物を持つ。説得によって悪鬼を改心させる。
北→多聞天(毘沙門天)…釈迦の遺骨を納めた宝塔を持つ。鬼門のある北を守っており、四天王の中で最強。“多聞”とあるように、仏の教えを多く聞きこれに精通している。また、単独で祀られるときは毘沙門天と名が変わる。妻は吉祥天。

  ラブラブの毘沙門&吉祥天。ヨッ!オシドリ夫婦!

※仏たちが集い住む須弥山の図はこちら


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《その他の仏像》

●十大弟子…釈迦の全1250人の弟子の中の高弟10人。
※仏師西村公朝さんの一行解説→
舎利弗(しゃりほつ)天才肌の一番弟子/智慧第一
目連(もくれん)もうひとりの高弟、超能力者/神通第一
阿那律(あなりつ)眠らない修行でついに失明/天眼第一(釈迦の従兄弟)
優波離(うばり)もと理髪師の愛嬌者/律第一
富楼那(ふるな)商人あがりで説法上手/説法第一
迦旃延(かせんねん)わかりやすい教えの伝道の達人/論義第一
須菩提(しゅぼだい)“空”をもっともよく理解した人/解空第一
羅羅(らごら)お釈迦さんのひとり息子は荒行者/戒行第一
阿難(あなん)お釈迦さんのハンサムな秘書役/多聞第一
大迦葉(だいかしょう)教団の二代目は清貧の人/頭陀第一
※大迦葉が教団を継いだ時、先輩の舎利弗と目連は既に他界していた。

●五百羅漢(らかん)…釈迦の500人の弟子。石仏が多い。

●無著(むちゃく)&世親(せしん)…5世紀にインドで修行していた学僧兄弟。

●役行者(えんのぎょうじゃ)…本名、役小角(えんのおづぬ)。奈良時代に実在した山岳修行者。

●空也上人(くうやしょうにん)…平安時代の修行僧。念仏を唱えながら諸国を遍歴した。口から六体の阿弥陀仏が飛び出すという、凄いインパクトの像がある。


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《さらに覚えておきたい4つのポイント》

●仏像の造り方
一木造り(いちぼくづくり)…1本の木から掘り出す。
寄木造り(よせぎづくり)…全身を部分ごとに彫って、プラモデルのように合体させる。これなら巨像の制作が可能!
脱活乾漆(だっかつかんしつ)造…張り子状に内側を空洞にした造り方。土で原型を造り、その上から麻布を何重にも漆(糊)を塗って貼り重ね、内部の土をかき出して背骨の木を入れ、表面に木屎漆(木屑と漆を混ぜたもの)を盛っていく方法。形の維持に高価な高純度の漆が必要。費用がかかるので奈良時代以降は途絶えた。

●合掌の意味
インドでは人間の身体を左右に分け、右側を清浄、左側を不浄なものとしている。これは右手=仏、左手=人間を指し、これらを合わせることで仏と自分が一体となることを表している!

●日本美術史上最高の彫刻家、運慶
ちょうど源平の合戦の時代、つまり貴族社会から武家社会へ移行する激動の時代を生きた。運慶の仏像が、単に格調高いだけでなく、非常にワイルドなのは乱世を反映したゆえだ。また、仏師が自分の彫った仏像にサインを入れたのは運慶が初めて。運慶には芸術家のような作家意識があったのかも。東大寺南大門には“チーム運慶”が作った全長8.4mの仁王がいるが、それよりも巨大な4体の四天王(各13m!)は燃えてしまって現存せず、残念極まりない。

※運慶のファミリーは全員が高い技術を持った名仏師。それぞれの代表作は
康慶(運慶の父)…法相六祖坐像(興福寺)、不空羂索観音坐像(興福寺南円堂)
運慶…大日如来坐像(円成寺)、金剛力士・阿形像(東大寺南大門)、無著&世親立像(興福寺)、毘沙門天立像(願成就院)
湛慶(長男)…千手観音坐像(三十三間堂)、金剛力士・吽形像(東大寺南大門)、仔犬(高山寺)、運慶像(六波羅蜜寺)
康弁(三男)…竜燈鬼立像&天燈鬼立像(興福寺)
康勝(四男)…空也上人立像(六波羅蜜寺)

●白鳳&天平時代
美術史では飛鳥時代の後半、つまり645年の改新から710年の平城遷都までを『白鳳(はくほう)時代』と呼び、710年から794年を奈良時代と呼ばず『天平(てんぴょう)時代』と呼ぶ。コレ重要!

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《オマケ〜禅寺と枯山水庭園について》

禅の開祖はインド生まれの菩提達磨(ボーディ・ダルマ)、あのダルマさん!ちょうど聖徳太子と同時代に中国で活躍していた。禅は仏教の修行のひとつで、瞑想して心身を統一し、無我無心の境地に到達するのが目的なんだ(ダルマの“面壁九年”もその一環)。.
禅宗の簡単な特徴を書くと・・・
<神(仏)のいない宗教である
<特定の拝む対象のない宗教である
<“足ることを知る”宗教である
<「自己」を拝む宗教である。なぜならこの身(自己)こそが、即ち仏だからだ!
と、けっこうカッチョイイのだ。
 
簡素静寂を重んじる禅寺の庭は“枯山水”という様式で統一されている。“枯山水”の庭は読んで字の如く、水を用いることなしに、敷き詰めた砂利と石を巧みに組合わせ、大海に浮かぶ島々や、雲海から突き出す山々を表現した、シンプルかつ壮大なスケールの庭のことだ。石の数は縁起の良い七、五、三をプラスした15個か、シンプルに七個の石にしぼって置いてある。
 
枯山水の難しさは、石の配置場所はもちろんのこと、庭の背後にある壁の色、瓦の形、生垣の高さ、木の種類、そういった枯山水を取り囲む周囲の造形にも言えることだ。
水なくして水の趣を表現する枯山水の庭は、芸術作品をこえて、ひとつの小宇宙を形成している。砂利で作った水の流れは“渦巻き”や“よどみ”まで見事に表現しており、そういった造形美も見事ながら、500年近く石庭を維持し続けた各時代の住職たちの努力に、惜しみない賛辞を送りたい。


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《オマケ2〜塔の話》

大きなお寺に行くと三重塔や五重塔があるけれど、いったいあの塔は何のためにあるのか?何か意味があるのか?結論から言うと、基本的にあれは釈迦の“お墓”である!つまり仏教寺院では塔こそが最重要建築物なのだ。

インドで釈迦が亡くなった時、弟子たちは仏舎利(ぶっしゃり=釈迦の遺骨)を8つに分け、それをストゥーバと呼ばれる供養塔に納めて祀った。また遺骨以外に髪や爪、所持品を納めた塔も建てられ、それら全てが崇拝の対象になった。

B.C.250年頃、インド史上最大の名君として名高いアショーカ王は、仏教を広めるためにストゥーバから仏舎利を取り出し、それを8万4千個に分けて同数のストゥーバを建てた。ストゥーバという言葉は日本に伝わった時に卒塔婆(そとば)と置き換えられる。現在、卒塔婆は墓石の背後に立てる供養板のことをいうが、当初は大陸からもたらされた仏舎利を祀る供養塔を指した。
時が経つにつれ、遠くからでも卒塔婆(供養塔)が見えるようにと、台座の部分が次第に高くなっていく。現存している各地の塔は、てっぺんがアンテナのように突き出ているが、あの部分は元々地上にあった卒塔婆だ。つまり、どの塔もてっぺんだけが重要なのであり、そこから下はただの付け足しというわけだ。
ただし、古代の寺院の塔は仏舎利を納めたが、後の時代は経典や仏像を納めた。

世界最古の木造建築として、ユネスコの世界遺産に日本で最初に登録された法隆寺は、五重塔のてっぺんと内部中心の柱の2ヶ所に仏舎利が納骨されている。…しかし本当に釈迦本人の骨が、はるばる海を渡って奈良までやって来たのだろうか。自分は失礼とは思ったが、恐る恐る法隆寺でお坊さんに信憑性を尋ねてみた。疑って反省!遺骨は米粒ほどの大きさで、毎年元旦から3日間、午後1時に舎利講という実際に仏舎利を前にした法要をしているし、また仏舎利がインドからどういうルートで法隆寺まで来たのか、分骨に分骨を重ねて仏舎利が小さくなっていく過程までを、詳細に記した巻物も現存しているとのことだった。


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《あとがき》

どんなに尊く神々しい仏像であっても、ひとつとして最初からこの世にあったものはなく、すべて僕らと同じ人間が彫ったもの。自分は出会った仏像が荘厳であればあるほど、このように崇高なものを生み出すことが出来るという、人間の無限の可能性に感動する。阿弥陀仏や観音菩薩が持つ救済の力ではなく、これらを彫り上げた仏師が、人間のうちに“かつて存在した”という事実に胸が熱くなる。

仏像はどれだけ眺めていても見飽きることがない。少し見る位置を変えるだけで全く新しい表情を見せてくれるし、朝夕で見る時間が違えば光の変化で随分印象が変わる。でも、角度や光線の違いだけが見飽きぬ理由ではない。
苦しむ人々を慈愛で包む仏像は「ただの人間」が作った。だからこそ、見飽きない。自分はそう思う。


※参考文献
・日本の美をめぐる 4号、11号、19号 (小学館)
・古都ほとけ出会い旅 (日本放送出版協会)
・仏像の見方 (池田書店)
・仏像/鑑賞の手引 (フジタ)
・古寺をゆく別冊/仏像の手帖 (小学館)
・エンカルタ百科事典 (マイクロソフト)
その他、多数。
特に最初の“日本の美をめぐる”と次の“古都ほとけ〜”はオススメです。


※奈良に行くならとにかくここへ!
近鉄奈良駅周辺なら東大寺(南大門の仁王様、大仏殿、戒壇堂の四天王、三月堂=法華堂)、興福寺(国宝館の阿修羅像)、新薬師寺(如来の顔がひょうきん、戦闘部隊はカッコイイ!)。近鉄西ノ京駅すぐの薬師寺も超おすすめ。如来は生命力あるし、観音の美しさは涙モノ。有名な法隆寺はJR法隆寺駅から徒歩20分以上あるのでバスを使った方がいい。そこまでして行く価値がある。法隆寺には東洋のヴィーナス・百済観音があるもの!法隆寺の隣りの中宮寺にはみうらじゅんイチオシの菩薩半伽像(半分座って瞑想してる。美しさに失神!)もいる!

移動ルートは朝一番9時に興福寺国宝館→(徒歩15分)→東大寺(戒壇院〜大仏殿〜三月堂〜南大門、この辺で12時?)→(バスorタクシー)→新薬師寺へ(バス停から遠い)。新薬師寺からバスでJR奈良駅に移動し(この辺で13時半?)、JRで法隆寺駅へ。バスで法隆寺→中宮寺にGO!(中宮寺は先に15時45分に閉まるので要注意!)。たぶんこの時点でもう夕方。もし15時半までに法隆寺駅に戻れたらJR郡山駅に行き、そこから15分歩いて近鉄郡山駅へ乗り換える。近鉄西ノ京駅に着いたら駅前の薬師寺へダッシュ!1日ですべて行こうと思ったら、もうこのプランしかないッス!近鉄奈良駅とJR法隆寺駅前にはレンタサイクルがあるのでそれを使うのがベストかも?


※京都に行くならとにかくここへ!
三十三間堂(1001体の菩薩、国宝軍団)、広隆寺(弥勒菩薩は国宝第1号)、竜安寺(石庭は世界遺産)、東寺(帝釈天像は日本一のイケメン)、大徳寺(巨大寺院だけど拝観できるのは4ヶ所だけ。でも、どこに入ってもサイコーに落ち着く!)。


●傑作仏像写真館
●仏像アイドルユニット“IKEMENS”写真館
●圧巻!仏像フィギュアの世界




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