〔ロシア文学風・作者の言葉〕


 
わが主人公、アレクセイ・ドゥルガーノフ・カントレフの全5部にわたる物語を書き起こすに当たって、ワシはいささか戸惑いを覚えている。他でもない。カントレフを主人公と名付けはしたものの、彼は歴史を動かした英雄ではないし、未知の大陸を横断した冒険家でもなく、その為に次のような質問を避けられそうにないからだ。『君は彼を自作の主人公に選んだけれど、読者たる私が、なぜその男の生涯の様々な出来事の詮索に時間を費やさにゃならないんだい?』と。

 この質問は決定的だ。なぜなら、これに対しては『たぶん、小説を読めばおのずと分かるはずです』としか、答えようがないからである。だが、もし、第2部を読み終わってもカントレフという人間に何の魅力も感じてもらえなかったとしたら?ワシがこんなことを言うのも、悲しいことに、それが予想できるからだ。第4、5部における彼の生き様を知るワシにとっては、彼は実に魅力溢れる人物であるのだが、そこに至る第3部のラストまでは長き道のりであり、多くの読者に途中で引導を渡される可能性が濃厚に漂っているのだ。

 もっとも、ワシはこんなおよそ興味のない、要領を得ぬ説明などかからず、前置きなしに、ごくあっさりと始めれば良かったのかも知れない。気に入られれば、どのみち読み通してもらえるだろう。そんなに読者の多忙さを心に病むのであれば、簡単なあらすじの後、いきなり第4部から始めればいいのだ。・・・だが前半3部がなくしては後半の2部が輝かぬという、作者としてのそんな厚かましさをどう説明したらよいだろうか?

 これらの問題の解決に窮したので、ワシはいっそ何の解決も出さずに済ますことに決めた。もちろん、明敏な読者はワシがそもそもの最初からそういう腹でいたことを、もうとうに見抜いていて、なぜワシが意味もなく空疎な言葉や貴重な時間を費やしているのかと、腹を立てておられたに違いない。それに対してなら、きちんと答えられる。それは、第一に礼儀の念からであり、第二には、やはりあらかじめ何かしら先手を打っておこう、という“姑息なしたたかさ”からである。

 もちろん、だれ一人、何の義理もないのだから、最初の話の2分くらいでアクセスを止め、2度とクリックしなくとも結構だ。しかし、作者の熱意に負けて、優しさから最後まで読んでくれようとする親切な読者もいるのである。早い話、ワシの周りはみなそうだ。その人たちの律儀さや誠実さにもかかわらず、やはりワシは、この小説の最初のエピソードで話を放り出せるような、きわめて正当な口実を与えておくことにしよう。これで前置きはすべてだ。こんなものは余計だという意見に、ワシも全く同感だが、既に書いてしまった以上、このまま残しておくことにする。

 それでは、本題に移ろう。

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