アマデウス・モーツァルト大明神 |
このランキングは作曲家に優劣をつけたものではなく(芸術にランクは無意味)、あくまでも管理人が人生で影響を 受けた人物・曲順です。初心者がクラシックと出合う為のきっかけ、入門用として書いているので、より本格的な 内容については専門的なサイトが多数ありますので、是非そちらをご参照下さいネ。(*^v^*) |
●ミニコラム〜クラシックとの出合い:僕の場合 “美しい”と記憶した最初のクラシックは、1976年(当時小4)に放送が始まったアニメ『ドカベン』第19話で、殿馬選手が“秘打・白鳥の湖”を繰り出す時に、BGMで使用された白鳥の湖。子供心に「きれいな良い曲だな〜」と思ってた。その5年後、中2の時に“東映まんがまつり”で東映動画創立25周年記念で製作された劇場版『白鳥の湖』(1981)を観て、映像よりも音楽にハートを射抜かれた。そして、こづかいで買った当映画のサントラのカセットテープに激ハマリ。クラシック・ファン元年となった。レコードではなくカセットを買ったのは、寝る前に布団の中で聴けるから。この頃は、ヤマト、999、ガンダム、イデオンと、立て続けにサントラの名盤が出ていて、こうしたアニメ音楽と一緒に「白鳥の湖」を聴いてた。考えてみると、先にあげた4つのアニメ音楽はどれもオーケストラで演奏されており、ある意味クラシックを聴いていたのかも。事実、“交響詩999”“交響詩ガンダム”なんてアルバムもあったし。 でも学校の授業で聴くクラシックは嫌だった。今思うと、クラシックが嫌いだった訳じゃなく、テストの問題にされるから「難しい音楽」として否定的になっていたのだろう。本当の意味でクラシック・ファンになったのはそれから4年後。高2の時に友人が貸してくれたベートーヴェン「運命」とモーツァルト「ジュピター」が入ったテープ(ラジオから録ったもの)。“運命”は最初のジャジャジャジャーンしか知らなかったので、後の30分があんなにカッコイイ展開になるとは思わず腰を抜かした。ジュピター(交響曲第41番)も鼻血。トドメはフルトヴェングラー指揮の「第九」。脳がショートして前後不覚になった。その後バーンスタイン指揮の「第九」を聴いてそちらにも大悶絶。同じ第九でも表情が違い、しかもどちらも良い!曲自体が素晴らしいのに、さらに名演が何種類もあることを知ってクラッときた。クラシックは演奏者ごとに曲の印象が大きく変わるので、新たに名演と出合う度に新曲を発見するようなものと、フルトヴェングラーとバーンスタインが教えてくれたんだ。ベートーヴェンだけでも毎月のように新譜がリリースされる。「こりゃあ一生もんの趣味だ」と分かってモーレツに興奮した!(*^v^*) ※僕はビートルズの大ファンでもあるんだけど、そちらは13枚の公式アルバムと数枚の未収録音源集を集めればよかった(ビートルズの曲はビートルズ自身の演奏が最高)。クラシックは“コレで充分”“集めきった”という果てがないので、財布にとっては地獄のフタを開けたようなものだった(爆)。 |
左から「999」「ガンダム&イデオン」「白鳥の湖」「さらば宇宙戦艦ヤマト」の音楽カセット。10代前半は娯楽も少なかったので、擦り切れるほど聴きまくった。CDやファミコンはおろか、ビデオすら世の中になかったからね(笑)。布団の中でこれを聴きながらスクリーンを脳内再生し、メロメロにシビレていた。 |
1.ベートーヴェン〜交響曲第5「運命」&6「田園」&7&9番、ピアノ・ソナタ悲愴 『モーツァルトは誰でも理解できる。しかしベートーヴェンを理解するには優れた感受性が必要だ。失恋などで悲しみのどん底にいなければならない』 〜シューベルト 『ベートーヴェンの曲は“これしかない”という音が後に続くから完璧なのだ』 〜レナード・バーンスタイン(指揮者) 『愛しいあなたに誇れる作品を書こう』〜ベートーヴェン 僕はかつて同じ人類の中に彼がいたという一点をもって、人間が地球に誕生したことは無意味ではなかったと断言する。凄いエネルギーの世界愛と、権力者の理不尽な抑圧に対して一切妥協を許さない鋼鉄の正義感はまさに“楽聖”の名にふさわしい。17世紀の封建社会の中で貴族に唾を吐きかける無敵ぶりと、耳が聞こえなくなるという悲運にも関わらず、逆に自らの運命の女神に闘争宣言を叩き付け、血祭りに上げてしまう恐るべき精神力。とにかく歩く火山のような凶暴ぶりがめちゃくちゃカッチョイイのだ!ゲーテの話によると、ある日彼がベートーヴェンと散歩していると、皇太子の馬車が偶然通ったそうだ。そこで彼や他の通行人が立ち止まって頭を下げていると、ベートーヴェンだけが帽子も脱がず平然とガニ股で歩き続けていたという。ゲーテが追いかけて非礼を咎めると、ベ−トーヴェンは軽く肩をすくめ「皇太子は世界に何人もいるが、ベートーヴェンはただ一人だ」とのたまうので、ゲーテは絶句したという。 また、フランス革命(青春時代に勃発)大好き人間のベートーヴェンは、革命後平民出身のナポレオンがヨーロッパの王政諸国を次々と打ち負かしている事に驚喜し、彼の為に交響曲「英雄」 を作曲したが、フランスに送る段になって「ナポレオン、自ら皇帝宣言!」の号外が飛び込んだ。ゆでダコになったベートーヴェンは「クソったれ!ヤツもただ権力にしがみつく俗物に過ぎなかった!!」と吠え、怒号と共に楽譜の表紙にある“ボナパルトへ捧ぐ”というメッセージをグッチャグチャにした(そのボロボロになった紙は今も残っていて、ブチ切れぶりがよく分かる)。 さて恋愛に関してだが、彼とゴッホは実によく似ている。惚れた相手への怒濤の様な愛の押し付けと、むこうが社交辞令で言葉を交わしてくれたのを、すべて“自分に気がある”と決めつけてしまう才能だ。多くの被害者を出したあげく、失恋大魔王の2人は結局最後まで独身だった…。自分は学校教育の場でもっとベートーベンのトンマなエピソードをどんどん紹介すればいいと思う。クラシックの授業があんなにも堅苦しいのは石像の彼が身近に感じられんからで、そのひととなりを知れば授業に温かい血が流れるのは間違いない。 最後にさらに親しみやすくなる話をいくつか。彼は決して“天才”ではなかった。天才とはモーツァルトのように楽譜に向かう前に既に頭の中で曲が完成している者のことをいい(モーツァルトの楽譜は殆ど修正した跡がない)、ベートーヴェンのようにひとつのメロディーを書くだけで8度も書き直したりはしない。有名な『運命』の冒頭もさんざん試行錯誤した挙げ句のモノなんだ。不器用な彼は作曲中、他の一切の用事が出来ず、ピアノの上にはカビの生えたパンが皿に乗っており、ピアノの下では簡易トイレが大爆発していた(雇ったメイドは片っ端から逃げ出した)。そんな環境で『エリーゼのために』や『月光』など珠玉の傑作が生まれるんだから面白い。 神経質な彼は引越し魔で、ウィーンに滞在した35年間のうちに79回も転居したという記録が残っている。他にも、『なくした小銭への怒り』という妙な題名の曲があったり人間ぽくて良い! 彼は31歳の秋、聴覚を失った絶望から自殺を決意して遺書を書く(1802年10月6日)。思いとどまらせたのは音楽。どんどん頭の中にメロディーが浮かんでくる以上、芸術に対する“使命感”から生き続ける覚悟を決めたんだ。享年56歳。 臨終の言葉「諸君、喝采したまえ、喜劇は終わった」が痛々しい。 『私を生につなぎ止めているのは芸術だ。内なるものを表現し尽くすまでは、死ねない!』 『毎日5時半から朝食まで勉強すること!』 『ヘンデル、バッハ、モーツァルト、ハイドンの肖像画が私の部屋にある。それらは私が求める忍耐力を得るのに助けとなろう』 『行為の動機が重要であって結果は関係ない。精神生活が旺盛なら結果を考慮しないし、貧困と不幸は単に事柄の結果であるにすぎない』 『そうあらねばならぬか?そうあらねばならぬ!』 ●聴覚を失ったベートーヴェン(31歳時)の自殺未遂時の一文から〜 『自ら命を絶たんとした私を引き止めたものは、ただひとつ“芸術”であった。自分が使命を自覚している仕事(作曲)をやり遂げないで、この世を捨てるのは卑怯に思われた。その為、このみじめで不安定な肉体を引きずって生きていく。私が自分の案内者として選ぶべきは“忍従”だと人は言う。だからそうする。願わくは、不幸に耐えようとする決意が長く持ちこたえてくれればよい。・・・そして不幸な人間は、自分と同じように不幸な者が、自然のあらゆる障害にもかかわらず、価値ある芸術家、価値ある人間の列に加えられんがため、全力を尽くしたことを知って、そこに慰めを見出すがよい!』 ●第九の歌詞から抜粋 ♪太陽が天の軌道を進むが如く、君たちの信じる道を突き進め ♪死の試練に耐えるために友がいるんだ ♪百万の人々よわが抱擁を受けよ。わが口づけを全世界に! -------------------------------------------------------- 「私はいつでも彼を愛し彼を聞こうという気持ちになるわけではない、ちょうど私が常にドストエフスキーを読む気持ちにはなれないのと同様である。それはベートーヴェンである。彼は、幸福と智慧と調和とに関する知識を持っている。しかしそれらの調和や智慧は平坦な道に見いだしうるものではなくて、深淵に沿った道にのみ咲き輝いているものなのである。それを人は微笑して摘みとることはできない、ただ涙に濡れ、苦悩に疲れはてて摘みとることができるのみである。彼のシンフォニー、彼のクァルテットには、本当のみじめさ、やるせなさのなかから、かぎりなく切実に子供らしくそしてやさしく、ある物が、かがやき現れているような箇所がある、ある物とはすなわち、意義への予感であり、救済についてのひとつの知識である。」(『ヘルマン・ヘッセ全集14』三笠書房, p152より) ※「第九」のCDを選ぶなら ★バーンスタイン指揮/ウィーン・フィル…ド迫力!熱い指揮、歌手、オーケストラ、録音状態、全てが完璧!しかも格安の1000円! ★フルトヴェングラー指揮/バイロイト祝祭管弦楽団…個人的に一番感動するのはコレ!人生が変わった。ただし録音が古くステレオじゃない。入門用ならバーンスタインの方が無難かも。フルヴェン第九は収録時間が74分。現在CDの規格が最大74分という中途半端な時間になっているのは、フルヴェン第九が1枚に入るようにと決められたから!彼の第九は音楽界の中心にある北極星、グリニッジ標準時の如く不動の存在ッス!
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2.バッハ〜全部(マタイ受難曲、無伴奏チェロ、シャコンヌ等、捨て曲一切なし) ●いきなりだがバッハの書いた詩(!)を紹介 『煙』 パイプをくゆらし時を過ごせば 悲しい灰色の絵に思いが及ぶ 自分がパイプと同じだと気づかされる かぐわしい煙の後は灰が残るのみ この私も土にかえるのだ 灰色の絵は崩れ落ちて2つに割れ 私は己の運命の軽さを思う バッハの音楽の魅力を語る上で最初に伝えたいのは、自分がクラシックファン同士の会話の中で、一度たりともバッハの悪口を聞いたことがないという事実だ。それはベートーヴェンのカミナリ説教やモーツァルトの勝手な独り言のように、叱られてる感じや無視されてる感じを味わうことがないからだ。 バッハの音楽はまるですぐそこにいる彼の“呼吸音”を聴いてるかのよう。呼吸音には何も主張はないが、生きていることは確実に分かる。聴いているときに自分が一人ではないように思える。バッハの心音と言ってもいい。他人の鼓動の音を聞くことは、人を落ち着かせ穏やかな気持ちにさせる。 確かに彼も人間である以上、時々呼吸が嵐のように乱れることがある。そういう時はこちらもすごく緊張する。しかしその緊迫感はマイナスにはならず、混乱すら生きている証として前向きに受け止めることが出来る。彼の作品が全曲ハズレなしっていうのは、そういう音楽を超えた部分にあるのかも。流行りの音楽スタイルを作曲に取り入れず、あくまでも古典的であったバッハの曲は死後100年以上も人々に忘れられていたが、メンデルスゾーンが再び光をあてて復活させた。享年65歳。 『バッハのピアノ曲はどこにも音符を書き込むことが出来ない。真に完全なのだ』〜キース・ジャレット(ジャズ・ピアニスト) 『バッハの音楽は世界のあらゆる人種をつなぐ絆。いうならば全人類の為のフォルクローレだ』〜エイトル・ヴィラ=ロボス(ブラジル人、南米最大の作曲家) 「G線上のアリア」はバッハ30代、「マタイ受難曲」はバッハ42歳頃に作曲。 ★パイプオルガン演奏のお薦めレア動画!ピアノ・リサイタルはテレビでよく中継されるけど、パイプオルガンの本格的な演奏は滅多にオンエアされず、音色は有名でも演奏の大変さはあまり知られてない。このバッハの名曲『トッカータとフーガ ニ短調』(9分30秒、超有名曲!)の動画は、演奏者の助手が活躍する様子が映っている貴重な映像だ。一台のパイプオルガンから目も眩むような様々な音色が聴こえるのは、ただ単に鍵盤を叩いているからじゃなく、オルガンの周囲にある無数のバルブ(空気弁)を、必死こいて開け閉めしているから。動画の4分25秒あたりから助手の見せ場が出てくる。また、5分41秒のとこでは演奏者が両手だけではなく両足も使っているのが分かる。素人の僕から見れば、両手だけでも大変なのに、足まで別々に動かすなんて考えられない。この映像の演奏者は、心臓マヒの為に54歳の若さで他界したカール・リヒター。“バッハならリヒター”と言われたバッハ演奏の第一人者(指揮者として有名)。ストイックなのにめっさドラマチック。素晴らしい演奏家だ。 ※バッハは65歳まで生きたので当時の作曲家としては長生きした方(シューベルト31歳、モーツァルト35歳、メンデルスゾーン37歳、ショパン39歳)。初めてこの曲を聴いた時、荘厳さに圧倒されてバッハ晩年の集大成的な作品と思ったけれど、後にまだ若かりし20歳頃の曲と知って仰天した。なんちゅう円熟ぶり!バッハ恐るべし。 この『トッカータとフーガ』は“見るクラシック版”(8分33秒)も目からウロコ!パイプオルガンを弾く、右手・左手・足(ペダル)をシンプルに映像化。“ここで右手がこの動きをしてる時に、左手はこう動いて、足はこうサポートして…”みたいに、バッハの考えていることが楽譜を読めなくても一目瞭然っす。何か全く新しい芸術体験をした感覚。まるで巨大な建築物が完成する過程を眺めているよう。次にどうメロディーが変わるのかが目で分かっていて、その通りに音楽が移行するのも「くるぞ、くるぞ、キターッ!」みたいなカタルシスがある。「フーガ」には“鎖”という意味があり、同じ形のものが繋がっていくイメージがある。こうやってヴィジュアル化すると、実際に同型の音の波が繰り返されている様子がひと目で理解でき、緻密に計算された“フーガっぷり”がよく分かる。あらためてバッハの天才ぶりを実感!! ●何度聴いても飽きない『シャコンヌ』 『シャコンヌ』はバッハ35歳の傑作。演奏時間が10分強と短いけど、この世のあらゆる音楽の中で最高峰に君臨する究極の名曲だ(ライバルは第九くらいか?)。 『シャコンヌ』の正式名称は「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調、第5曲(終楽章)」。本来は独立曲じゃないんだけど、この終楽章があまりに大きなスケールと高い完成度を持っているので、しばしば単独で演奏されるんだ。 (ちなみにシャコンヌは中世スペインで発展した3拍子の舞踏曲のことで、バッハ以外にも多くの作曲家が“シャコンヌ”を作曲してる) バッハのシャコンヌは原タイトルに“無伴奏”とあるように、バイオリンのバックにはオーケストラもピアノ伴奏もついてない。バイオリン一本で表現できることが極限まで追求され、一本だけで空間に音を敷き詰めて行き、演奏者が自己の魂を語り尽くす孤高の作品。 メロディーはむせ返るような哀切感と、厳しさに満ちている。ドラマチックに展開していく10分強に、センチな甘さはカケラもない。ある瞬間、感情が炎の如く激高したかと思えば、次の瞬間には音が大気の中で氷結する。 音符から音符へ受け継がれてゆく尋常ではない緊張感!この曲に触れる者は、演奏者、聴衆をとわず一種の極限状態に放り込まれてしまう。 バッハが曲を10分強にしたのは、人間の精神力を配慮した結果かもしれない。あと10分、いや5分でも長かったら、発狂する者が確実に出ていただろう…音に追いつめられ、正気を保てなくなる(少なくとも僕には自信がない)。 この曲は演奏者を試す。 伴奏者がいないということは、演奏をしくじっても誰にも言い訳が出来ぬということ。自分がこれまで培ってきた音楽観全てが試され、凡庸な演奏をした場合には音楽家生命が断たれる可能性すらあるんだ。 シャコンヌを演奏するということは、演奏家にとって自分の全人生を“告白”するに等しい。それは魂を裸のまま聴衆の前にさらけ出すのと同じだ…! 技巧的にもこの曲は難曲中の難曲。 バイオリンはギターやピアノと違って、重音(一度に複数の音を出す)が苦手だ。弓で弦を一本ずつ弾くのが基本だからだ。ところがこの曲は和音だらけ。つまり同時に複数の弦にまたがって弓をひけとバッハはいうんだ! 旋律を弾きながら同時に伴奏するので、三重音、四重音がザラ。その演奏技術の困難さゆえ、バッハの死後50年間ほど演奏されなかった。 曲全体の骨格を決めることになる冒頭1小節の和音とリズムをどのように弾くか。それだけで演奏家は何年も、のたうちまわって苦労するんだって。 なかでも最大の難所は、曲の中盤部分。そこでは2つのメロディーと伴奏が1分半に渡ってずっと続く。この辺り、目を閉じて聴いていると到底一人の人間が弾いているとは思えない。常識的に考えて、3人の人間が必要なんだ! …まさに難易度∞の怪物的作品。 ほとんどのバイオリン演奏家にとってのゴール、三蔵法師にとっての天竺、ヤマトにとってのイスカンダルというのも納得。 ※どのシャコンヌを聴けば良いか? 僕は滑らかで心地よい音色より、血が沸騰するギコギコ系が好きなので、断然ギドン・クレーメル版を推す! ★無伴奏パルティータ ギドン・クレーメル 号泣演奏!!たったの1000円!! ちなみにYouTubeにはハイフェッツ演奏の動画がアップされている!前半(7分)&後半(6分)で全曲聴ける。一人三役の難所は前半4分32秒からの1分半。 他におすすめは… ★シャコンヌ チェロ・アンサンブル・サイトウ チェロによるシャコンヌ。涙が出るほどシブイ。 ★小澤征爾プレイズ・バッハ 小澤征爾/ボストン交響楽団 オーケストラによる壮大なシャコンヌ。失神間違いなし! ★無伴奏チェロ組曲 パブロ・カザルス(チェロ) 史上最高のチェリスト、パブロ・カザルスの世紀の名演!泣けます! 人生の価値を教えてくれる名演ばかり。各自、執念で手に入れるべし!! |
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3.ワーグナー〜トリスタン、指輪、ローエングリーン
「ワーグナーの音楽は阿片である」詩人のボードレールはこう言った。つまり、一度聴くとその魔力の虜となり、中毒患者の様にそれなくしては生きていけぬようになるのだという。自分はこの言葉が決して誇張されたものとは思えない。現にクラシックファンの間には、熱狂的なワーグナー信奉者を呼称する“ワグネリアン”なる言葉まであるのだ。ベートーヴェンやモーツァルトのファンは“クラシックファン”でひとくくりにされるのに、ワーグナーのファンだけが特別にそう呼ばれるのだ。これだけで事態の異常さがある程度伝わるだろう。ワーグナーの音楽は我々をつかみ、そして引きずり回す。 当時ウィーンでは、ベートーヴェンの正統な後継者と見られていたブラームスを熱愛する『ブラームス派』と、ワーグナーの官能美に頭がヒートした急進的な『ワーグナー派』との間で衝突が絶えず、その波紋は王宮にまで及んだという。実際、ごひいきの作曲家のコンサートの後、興奮した一群が敵対する側のたむろ場となっているパブを焼き討ちしたりかなり過激だったようだ。ブラームス派はワーグナー派に対し「下品、悪趣味、大袈裟すぎ」と攻め、ワーグナー派はブラームス派に「化石、カビまみれ、退屈」とやり返していた。自分の立場は実に微妙だ。普段聴いているものは圧倒的にブラームスが多いのだが、ベストを作ってみると何故かワーグナーの方が上…くわばら、くわばら! |
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4.マーラー〜交響曲第1「巨人」&5&9番、歌曲たくさん 「私は死を真剣に恐れ、また、心から憧れる」(マーラー) 「私にとって交響曲とはあらゆる技法を尽くして自分自身と向き合うことだ」(マーラー) 濃厚に漂う、世の終末感。そして人生に対する徒労感。聴いてると死にたくなるような病的繊細さが満ち満ちているマーラーの世界。特に交響曲第9番の終楽章は、この世に存在する音楽の中で最も彼岸に近いものと言われており、事実マーラーは楽譜の最後の部分に、“死滅していくように”と演奏の注意書きを記している。僕は、これほど美しく、儚(はかな)く、音符の影に“死”の存在を感じる音楽を他に聴いたことがない。 マーラーの音楽を聴く時は、ヤバいと思ったらすぐに救急車を呼べるよう、手にケータイを持って聴いてもらいたい。精神状態が不安定な時に聴いてしまうと、マーラーの内面世界に巻き込まれて帰ってこれなくなるからだ。(曲が長いので体調も大切) 「『第9番』はひとつの限界であるように思われます。そこを越えようとする者は、死ぬ他はないのです」(シェーンベルク) 交響曲第5番の第4楽章“アダージェット”は、映画「ベニスに死す」で使用されたのでとても有名だ。しかし、この5番はドイツ・ケルンでの初演時に不評だったようで、マーラー(当時44歳)は妻にこんな手紙を送っている--「私の死後50年経ってから、私の交響曲を初演できればよいのに!今からライン河のほとりを散歩してくる。この河だけが、初演の後も私を怪物呼ばわりすることもなく、悠然とわが道を進んで行くただ一人のケルンの男だ!」。 ワーグナーは反ユダヤ主義の作曲家だが、マーラーはユダヤ人でありながらワーグナー作品を愛聴していた。ユダヤ人の知人が「ワーグナーなんか聴いてたまるか」と吐き捨てた時、マーラーはこう言った「でも牛肉を食べても、人は牛にはならないでしょう?」。また、指揮者として良い仕事にありつけるように、出世に不利なユダヤ教からカトリックに改宗した時も肩をすくめてこう言った「なに、ちょっと上着を変えただけさ。中身は同じだよ」。マーラーも言うね。 「私は三重の意味で無国籍者だった。オーストリアではボヘミア生まれとして、ドイツではオーストリア人として、世界ではユダヤ人として。どこでも歓迎されたことはなかった。」(マーラー) ※マーラーはドストエフスキーを愛読し、中でも「カラマーゾフの兄弟」を特に気に入っていた。
バーンスタイン指揮のマーラー9番には人間の感情のすべてがある!! |
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5.ブラームス〜交響曲第1&4番、弦楽6重奏曲第2番
学生時代は過激なワグネリアンだった自分も、歳をとった最近は、古寺で枯山水を楽しむようにブラームスの室内楽に浸ってばかり。あの枯淡の極致とでもいおうか、セピア色の音色がたまらないんだ。もう“キング・オブ・地味音楽”にどっぷり。お〜い、コブ茶のおかわりをおくれ〜。 ※交響曲第1番は21年間もかかって作られた。 |
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6.チャイコフスキー〜交響曲第5&6番「悲愴」、バレエ曲全部
同性愛がばれて自殺したチャイコフスキーが、この世への遺書として作曲したのが第6番『悲愴』。その哀しみと慟哭の第1楽章と、諦めと達観の終楽章は、言葉を超えた魂の叫びだ。自筆譜の隅には「ああ神よ、お助けください」という彼の切実な言葉が記されている。(『悲愴』初演のわずか9日後に他界している) ※『悲愴』第1楽章のファゴットには「pppppp」とピアノ記号が6個もある!その後、全楽器でうねるような「ffff」へと盛り上がる! ※『悲愴』のロシア語の原題は「パテティチェスカヤ」。意味は“心を揺さぶられる”。 ※終楽章の指示はアダージョ・ラメントーソ。ラメントーソの意味は“死者を悼むように悲哀を込めて”。 |
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7.モーツァルト〜交響曲第41番「ジュピター」、レクイエム
「人生の生き甲斐とはジュピターの第2楽章だ」(ウディ・アレン) 「死とはモーツァルトが聴けなくなることだ」(アインシュタイン) ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト。彼の曲は大半が宮廷用、もしくは貴族のお抱えオーケストラ用だったので、単純に聴いてて楽しい曲が多いんだけど、時たま本人の為だけに書いたとしか思えない“何なんだ!?”という暗い曲がある。そういうダークな曲は、どれも深く胸を打つ名曲で、哀愁を帯びた旋律が聴く者の涙を絞り取る。けっして明るいだけではないモーツァルト。だからこそクラシック・ファンは彼の陽気な曲をこよなく愛し、今日もCDの電源を入れるのだ。 父レオポルドは宮廷音楽家。モーツァルトは3歳でピアノを弾き、5歳でピアノ小曲「アンダンテ・ハ長調」を作曲し、8歳で交響曲第1番を、11歳で最初のオペラ『アポロとヒアキントス』を作曲した。彼の記憶力の良さを伝えるこんな逸話がある。カトリックの総本山ヴァチカンには、楽譜を持ち出すことも、写譜も禁じている、絶対秘曲「ミゼレーレ」があった。13歳のモーツァルトはシスティーナ礼拝堂でこの合唱曲を聴くと、宿に帰って全曲を譜面に書き写してしまった。結果、門外不出だった「ミゼレーレ」は秘曲ではなくなってしまう。この曲は9声部(9つのパート)が10分以上も重なりあい、絡みあう複雑なもの。一発で9声部を聞き取って記憶するとは!あ、圧巻!! アカデミー賞に輝いた映画『アマデウス』の冒頭で流れ、一躍有名になった交響曲第25番を作曲したのは17歳。32歳の時には、わずか2ヶ月で交響曲第39番、第40番、第41番「ジュピター」を書き上げた。恐ろしく作曲スピードが速いうえ、そのどれもが傑作というのがスゴ過ぎ。 オペラの作曲に関してエピソードが残っている。約束の締切りの前夜にうっかり眠ってしまったモーツァルト。当日の朝、彼は妻のコンスタンツェに叫んだ。 「しまった!コンスタンツェ、眠ってしまった!」 「あなた、あと2時間しかないわよ」 「な〜んだ、2時間もあるのか」 そしてあっという間に書き上げてしまった。既に頭の中に完璧な譜面が出来上がっているので、後はそれを書き写すだけでよかったのだ。 ※モーツァルトは幼い頃からヨーロッパ中を演奏旅行していた。1762年、ウィーンのシェーンブルン宮殿「鏡の間」に一家で招かれ、神聖ローマ帝国の女帝マリア・テレジアの前で姉と共に御前演奏をした時のこと。6歳のモーツァルトは宮殿の床に滑って転んでしまった。起き上がるのを助けてくれたのは、テレジアの当時7歳の末娘マリー・アントワネット。モーツァルトは彼女にこう言ったという「君は優しい人だね、大きくなったらボクのお嫁さんにしてあげる」。このプロポーズが実現してたら歴史が変わってたね(笑)。 ※彼はとてもひょうきんな性格で、姉への手紙の末尾には「相変わらずマヌケなウォルフガングより」などと記していた。 ※文献によってはモーツァルトが英国訪問時にバッハと会ったと書かれているけど、モーツァルトはバッハの死後6年後に生れているので、彼が会ったのはバッハの息子クリスチアン。 ※絶対王政のこの時代、音楽家の地位は非常に低く、モーツァルトでさえ宮廷では召使い同然の扱いしか受けなかった。彼は風刺オペラ「フィガロの結婚」でバカ貴族を笑い者にしたが、台本を書いた元神父ロレンツォ・ダ・ポンテは国外追放、モーツァルトも宮廷の仕事を干されてしまう。 ※モーツァルトは交響曲第41番「ジュピター」を作曲した後、まだ3年間生きていたのに、新しい交響曲を書かなかった。ジュピター終楽章のサビは、なんと彼が8つの時に作った交響曲第1番と同じメロディー。これはモーツァルト自身が、「シンフォニーではやりたい事を全てやったぜ」と満足していたのかも知れない。 「ウィーンはモーツァルトがサリエリに毒殺されたという噂でもちきりです」(ベートーヴェンの筆談メモ)。 モーツァルトの死因は当時から毒殺説が囁かれるなど100説以上あり、真相は謎に包まれている。『レクイエム』(死者の為の鎮魂歌)の作曲中に死んだのも何か象徴的だ。彼は死の4時間前までペンを握り、レクイエム第6曲“涙の日/ラクリモサ”を8小節書いたところで力尽きた。12月5日午前0時55分没。 晩年のモーツァルトは経済的に困窮し、墓すら建てる余裕がなかった。映画『アマデウス』にも彼の死体袋が貧民用の「第三等」共同墓地(ただの穴)に無造作に投げ込まれ、伝染病防止の為に石灰をかけられるシーンが出てくる。死から10年後、同土地は別用途に使用する為に掘り起こされ、その際にかつて彼を埋葬し、どの身体がモーツァルトか知っていた墓掘り人が頭蓋骨を保存した。それは様々な人の手を転々とした後、1902年に国際モーツァルテウム財団が保管することになる。2004年、頭蓋骨の真偽論争に決着を着ける為、ウィーン医科大学教授らの研究チームが、ザルツブルグに眠る父親や姪の遺骨を掘り出し、DNA鑑定をすることになった。この結果は生誕250年の2006年に発表される予定だ。 モーツァルトの墓があるザンクト・マルクス墓地はトラムの停留所「ザンクト・マルクス」で下車するより、ひとつ終点に近い方から降りた方が圧倒的に近いッス。いっそのこと、ベートーヴェンやシューベルトが眠り、皆が巡礼しやすいウィーン中央墓地「楽聖ゾーン」に改葬すればいいのに。 「私はモーツァルトの曲に触れて、神を信じるようになった」(ゲオルグ・ショルティ)指揮者 「モーツァルトの音楽は、あたかも天国の記憶のようだ」(小林秀雄)文芸評論家 「その音楽は宇宙にかつてから存在していて、彼の手で発見されるのを待っていたかのように純粋だ」(アインシュタイン) ★なんとモーツァルトの生誕250周年を祝って、故郷オーストリア・ザルツブルクの国際モーツァルテウム財団が全楽譜を無料で公開した。もちろん印刷も自由!作品番号で検索可能なので、有名な交響曲第40番(作品番号K.550)ならKVの後に「550」と入力するだけで楽譜が出てくる。5歳で書いた最初の曲“アンダンテ・ハ長調”なら「1a」でOK。ウィキペディアの「楽曲一覧」がジャンル別に整理されて作品番号も載っているので、これと併せて検索をかけるのがグッド。それにしても、700曲以上もあるモーツァルトの曲を全部アップするなんて、どんなに膨大な作業時間を要したのだろう! |
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8.フォーレ〜レクイエム、エレジー
フォーレを聴いているとき、部屋の中がどんどん透明になっていくのが分かる。その、はかなくも美しい調べの前では、この世の重力はあまりにも虚しい。 |
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9.ブルックナー〜交響曲第4「ロマンティック」&7番 ブルックナーの音楽はやたらと長い上に変化が乏しく、どの曲もサビが同じで、これをクラシックファンは愛憎を込めて“ブルックナー音階”と呼んでいる。一度眠って目が覚めたらまだ同じ楽章だったなんてのはザラ。でも彼のファンにしてみれば“だからブルックナーは最高なんだ”という答えになる。絶対的安心感といおうか、同じメロディーの繰り返しでトランス状態へ導かれたといおうか…ブルックナーの音魔法は音階の積み重ねの果てに、宇宙空間が待っているので、一度心地よいと思ったら病みつきになるのは時間の問題なのだ。 |
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10.ショパン〜24の前奏曲、ノクターン全曲
ピアノの詩人ショパンは、祖国ポーランドに帰る日を夢見ながら異国の地で果てた。葬式では彼の希望を受け、モーツァルトのレクイエムが奏でられた。ショパンがパリに埋葬された時、彼が終生ずっと大切にしていた故郷の土(20歳の頃、旅立つ時に友人がくれたもの)が棺の上に撒かれたという。死の翌年、遺言により彼の心臓は姉ルドヴィカの手でポーランドに運ばれ、首都ワルシャワの聖十字架教会の石柱に納められた。この柱には「あなたの宝の場所にあなたの心がある」(マタイ伝)と刻まれている。 大戦中はナチスが同教会の3分の1をダイナマイトで破壊し、ショパンの心臓が入った壷も奪われてしまったが、終戦後に教会は修復され、彼の命日に心臓は戻された。この時に演奏されたのは、ショパンがポーランド独立の暁に披露しようとしていた軍隊ポロネーズだった。
ショパンは7歳で既に公衆を前に演奏していた。最初の作品は同じく7歳の時に作った民族舞曲のポロネーズ。最後の作品は、民族舞曲のマズルカだった。パリではベルリオーズ、ハイネ、バルザック、リスト、ドラクロワら作家・芸術家と親交を結んでいた。女流作家ジョルジュ・サンドとの熱愛は有名。生涯の作品数は約200曲。ピアニストの登龍門「ショパン国際ピアノ・コンクール」は5年に一度開催され、命日(10月17日)にモーツァルトのレクイエムがワルシャワ・フィルによって演奏された後、翌日から本選が始まる。 ショパンの、次第に内にこもっていく曲調が自分は好きだ。どんどん魂の奥底へ意識が沈んでいく。左手(低音)を伴奏専門から解放した革命家に乾杯。 「私はこれほど美しい旋律を書いたことがない」(ショパン)※“別れの曲”について ※画家ドラクロワはわざわざショパンの為にピアノを買い、アトリエに置いていた。もちろん、ショパンが遊びに来た時に聴けるから! ※ちなみにショパンは一曲も自分で標題をつけていない。「雨だれ」「子犬のワルツ」など、全て後世の人によるもの。 |
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11.シューベルト〜歌曲集冬の旅、弦楽四重奏曲死と乙女 こんな会話の記録がある。 「シューベルトさん、貴方の音楽はどうしてどれも悲しげなのですか?」 「幸せな音楽というものが、この世にあるのですか?」 彼の音楽は2種類に分けられる。“野ばら”“アヴェ・マリア”など清らかで美しい調べの白シューベルトと、歌曲集“冬の旅”など挫折、さすらい、死の影に支配された黒シューベルトがそうだ。死ぬ直前のピアノ・ソナタは、聴いているとあの世への旅というものを体験できるので、「もっと黒シューベルトを!」という人はそちらへ。 ベートーヴェンを神の様に崇めていたシューベルトは訃報を聞いて嘆き悲しみ、たいまつを掲げて巨匠の葬列に参加した。そしてその翌年、わずか31年で彼の命のメトロノームは止まる。亡骸は遺言通り、憧れのベートーヴェンの隣に埋葬された。 ※シューベルトは20歳前から死ぬまで、住所不定のまま友人の家を泊まり歩いていた。知られざる元祖ヒッピーなり。 「シューベルトの曲は喜びと同じくらい、悲しみがある」(吉田秀和)音楽評論家 クリムト画 素晴らしい絵だ! 僕はシューベルトの歌曲『死と乙女』を聴いて、歌詞とメロディーに全身が感電してしまった(同曲には弦楽四重奏曲版もあって、そっちは旋律がドラマチックで以前から愛聴)。歌曲の歌詞をじっくり読んだのは初めてだった。歌い手は乙女と死神の2役を演じ、最初に死に怯える乙女、次に死神の歌と続く。「去りなさい、恐ろしい死神よ。私はまだ若いわ、さあ行って。どうか私に触れないで!」死神に触れる事=死である為、彼女は必死で抗おうとする。メロディーも激しく揺れ動く。一瞬静寂に包まれると、次に鬼火が暗闇にゆらめき、そこから細い銀の川が流れていくような、この世のものと思えないメロディーに変わる。「--手を貸しなさい。美しく優しい生き物よ。私は味方だ。罰しに来たのではない。勇気を出せ。恐れることはない。私の腕の中で静かに眠りなさい」。死神は乙女に永遠の若さを与えてやると誘惑する(死ねば人々の記憶の中でずっと若いままだ)。乙女の死への不安は、やがて憧れに変わり、最後に連れ去られてしまう。なんと恐ろしく、また危険な誘惑に満ちた曲だろう。ヤバすぎだぜ、シューベルトさんよ! ※弦楽四重奏曲「死と乙女」は第1楽章の冒頭で、たった12小節の間に10回も転調している!この不安定さが聴く者の心をかき乱すんだ。 ※シューベルトはクラウディウスの詩『死と乙女』からインスピレーションを得た。 |
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12.ヴィヴァルディ〜四季&マンドリン協奏曲など全曲
孤児院で教師をしていた彼が作曲した曲の大半は、生徒達のために作られたもの。ケンカにならぬよう各楽器ごとに見せ場があるだけでなく、他人と共同する楽しさを教える為にアンサンブルの魅力が存分に発揮されている。それゆえか、彼の曲は聴いていて全く退屈しない。 |
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13.ビゼー〜カルメン、アルルの女
あの名作カルメンが当時不評だったなんて信じられない。彼は後世の成功を知るよしもなく36歳の若さで散った。この時代、ホント、死んでから有名になる人が多いよね。 |
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14.プッチーニ〜トスカ、ラ・ボエーム
第14位となっているが旋律の美しさだけでみれば実力はNo.1か。次のヴェルディもそうだけど、オペラ以外に交響曲がないのが残念! |
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15.ヴェルディ〜レクイエム、椿姫、リゴレット
その晩年、妻子を亡くした時ヴェルディはある仕事に追われていた。それはかねてから依頼されていた喜劇オペラの作曲だった。葬式のあとコメディの台本を手にせねばならぬ状況に彼はこう言ったという「人生はすべてこれ冗談なり」と。 |
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16.ドヴォルザーク〜交響曲第9番「新世界より」、チェロ協奏曲
彼の土臭さが大好き。親近感ありまくり。メロディーラインは詩情に溢れ、どの曲も退屈という言葉とは無縁だ。流れるようなメロディーを考えることが苦手だったブラームスは、親友のドヴォルザークの才能を終生羨ましがっていたという。 ※『新世界より』の第2楽章は、メロディーの途中で休符にフェルマータがついている部分が3カ所ある。これは非常に珍しい。 「ドヴォルザークがダメだと思ってゴミ箱に捨てた楽譜の断片で自分は一曲書ける」(ブラームス) |
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(番外編)アストル・ピアソラ〜ブエノスアイレスの夏
クラシックではないので順位はノーカウントだが、このタンゴの革命児アストル・ピアソラを同列で眺めてみると、どうやらこの辺りに位置しそうだ。彼の音楽は力強く、うねるようなメロディーは生命力そのもの。そして同時にやるせないほど官能的。顔はテロリストのボスだが、ハートはロマンチストであることに間違いない。 「立ち止まることは精神の腐敗を招く」(アストル・ピアソラ) |
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17.ラフマニノフ〜ヴォカリーズ、ピアノ協奏曲第2番
批評家や友人の評判を気にし過ぎ、神経衰弱になった彼は精神病棟で作曲を続けた。そして誕生したのが、かのド名曲、ピアノ協奏曲第2番だ。 |
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18.ムソルグスキー〜展覧会の絵、禿げ山の一夜
『展覧会の絵』はムソルグスキーのたった一人の親友、早死にした画家ガルトマンの形見の絵に捧げた、哀切極まりない鎮魂歌(レクイエム)だ。曲全体を彼の祈りが支配している。たまらない。 ※『展覧会の絵』に5回も出てくる小曲「プロムナード」はフランス語で“散歩”という意味。絵と絵の間を歩いているムソルグスキー本人を表している。 |
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19.ベルリオーズ〜幻想交響曲、レクイエム
星の数ほどある全てのクラシックの中で、もっともブチ切れている曲を選ぶなら迷うことなくこの『幻想交響曲』だ。なんたってベルリオーズがフラれた腹いせに私怨の為に書いた曲なんだから! 第一楽章は彼女との最初の出会いを描き、第二楽章の舞踏会シーンで再会した彼女への想いが加速する。彼はその苦しい恋心を断ちきる為に、第三楽章で都会から田舎に脱出するがどうしても忘れられず、第四楽章で失恋、悲しみのあまり服毒自殺に至る。 通常、交響曲は四つの楽章でワンセットだから本来ならここで終了だけど、ベルリオーズの“復讐”はここから始まる。つまり呪いを込めた第五楽章を特別に追加したのだ。内容はこう。キリスト教では自殺者は地獄に堕ちる為、彼も地獄で目覚めてしまう。そこで図らずも悪鬼、魔女、怪物たちの狂気の宴を目撃することになるのだが、なんとデーモンの輪の中でヨダレを垂らし、鬼畜の様に踊り狂う彼女を発見するのだ!曲は醜い彼女を中心に、ドンチャン騒ぎのような猥雑な聖歌で限りなく下品に締めくくられる。ヒヨェ〜ッ! |
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20.リヒャルト・シュトラウス〜サロメ、変容
オペラ『サロメ』は完成当初、あまりに背徳的な描写があるという理由で、上演禁止に追い込まれたセンセーショナルな作品だ。また、弦楽器のみで演奏される『変容』は、世紀末の闇と混沌が包み込んでくるような曲で、マジで魂を抜き取られそうになる。 |
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21.エリック・サティ〜ジムノペティ、ジュ・トゥ・ヴ
サティの曲はすごくオリジナリティがあり、彼だけにしか作れないものばかり! |
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22.プロコフィエフ〜ロミオ&ジュリエット
バレエ組曲ロミオ&ジュリエット。よくぞシェイクスピアの台本にここまで完璧な音楽をつけたもの。運命的かつ官能的な楽曲は、正直、舌を巻かずにはおれぬ! |
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23.ドビュッシー〜月の光、牧神の午後への前奏曲
絵画の印象派といえばモネやルノワールだが、音楽の印象派といえば、誰もがその第一人者としてドビュッシーの名をあげる。繊細な音のきらめきに陶然としてしまう。 『言葉で表現できなくなったとき、音楽が始まる』〜ドビュッシー |
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24.ラヴェル〜ボレロ、亡き王女のためのパヴァーヌ
たったひとつのフレーズを約15分にわたり、全宇宙に展開する“ボレロ”。音の魔術師ラヴェルの神業に近いオーケストレーションに絶句!(小太鼓が叩く2小節のフレーズの繰り返しは、なんと169回!) ※マルセル・プルーストは自らの葬式の曲に「亡き王女のパヴァーヌ」を選んだ。 ※晩年のラヴェルは交通事故で記憶力が弱まりパヴァーヌを聴いて「この美しい曲は誰が作ったんだ?」と尋ねたらしい。
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25.シューマン〜子供の情景、クライスレリアーナ
晩年“ラ”の音が襲ってくるといって発狂し、ライン川に身を投げたシューマン。その感受性豊かな魂に『子供の情景』の“トロイメライ”などで、我々は触れることが出来る。 |
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26.シベリウス〜交響曲第2&7番、フィンランディア
昔、まだクラシック・ファンでなかったころ、クラシックはどの曲も同じに聴こえた。作曲家の違いはもちろんのこと、作曲家が暮らしていた国なんて見当もつかなかった。なのにシベリウスを聴き込むにつれ、彼が愛してやまない北欧の自然、森や湖へ連れて行かれてしまうのが分かるんだ。部屋の空気が一変する。 |
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27.リムスキー・コルサコフ〜シェエラザード
アラビアン・ナイトの物語を音楽にしたのが、この曲『シェエラザード』だ。シンドバットの船が大海を航行するのが目に見えるような雄大さは圧巻。 |
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28.メンデルスゾーン〜無言歌集、ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーンの曲はどれもメロディーが大変美しく、何時間聴いても苦にならない。 |
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29.グリーグ〜ペールギュント、ピアノ協奏曲
グリーグの曲も26位のシベリウスと同じで、北欧の美しくも厳しい自然を体感させてくれる。 |
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30.ヨハン・シュトラウス2世〜これまた全部
ウィンナー・ワルツはクラシック・ファンに“思想性が皆無”と小馬鹿にされがちだが、ド硬派ガチガチのブラームスさえシュトラウスの流れるような楽曲を絶賛していた。 |
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31.サン・サーンス〜交響曲第3番「オルガン付き」、動物の謝肉祭
この第3番「オルガン付き」はレスピーギの「ローマの松」、ワーグナーの「ローエングリン第3幕への前奏曲」と並ぶ、フィナーレ大爆発3大名曲のひとつだ。とにかくもう、オーケストラとパイプオルガンと2台のピアノが大音響で炸裂するのだ! |
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32.ガーシュウィン〜ラプソディー・イン・ブルー
ガーシュウィンは当時ダンス用の音楽としか思われていなかったジャズと、クラシックを融合した勇気ある男。音楽評論家からはクラシックを冒涜したと、当時は叩かれた。わずか38歳で死亡。 |
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33.ショスタコービチ〜交響曲第5番「革命」
交響曲の歴史を語るとき、クラシック・ファンの多くが1732年生まれのハイドンから1975年に死んだショスタコービチまでを歴史だと考えている。 |
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34.リスト〜愛の夢、ハンガリー狂詩曲
神の化身といわれた人類史上最大のピアニストが、このリストだ。彼は作曲も試み、色彩感豊かな素晴らしい作品を多数残している。 |
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35.スメタナ〜わが祖国
この“わが祖国”の中に有名な『モルダウ』が挿入されている。音楽の力はすごい。スメタナと同じくチェコに生まれた画家ミュシャは、晩年このモルダウを聴いて作風がガラリと変わったと告白している。 |
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36.パガニーニ〜カプリース
パガニーニは作曲家としてより演奏家として有名だ。彼があまりに超絶技巧を駆使するので人々は「悪魔と取引したのだ」と噂しあった(実際、彼の死の際にカトリック教会は葬儀を拒否した)。このカプリースという曲はそんな彼がバイオリンの為に書き上げた、いわくつきの作品なのだ。 |
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37.ヘンデル〜メサイア
バッハと同じ歳のヘンデル。現在ではバッハの方が有名だが、当時はヘンデルの天下だった。この『メサイア』という曲の中に、名曲“ハレルヤ”が含まれている。 |
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38.エルガー〜チェロ協奏曲、威風堂々第2番
エルガーは有名な曲が少なく知名度もイマイチだが、この2曲は本当にすごい。チェロ協奏曲の第一楽章は何事かと思うほどイブシ銀だし、威風堂々のクライマックスの盛り上がりは何度聴いても大興奮する。 |
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39.ストラビンスキー〜春の祭典
リズム地獄が心地よい。ひとつの快楽の極み。 |
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40.ホルスト〜組曲『惑星』
全曲中では爽快感のある“木星”と、ド迫力の“火星”が有名だが、自分は気絶するほど美しい“金星”がイチオシ! |
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41.ロドリーゴ〜アランフェス協奏曲
この第2楽章の枯淡な感じが超大好き。 |
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42.ハイドン〜天地創造
すごいタイトルの曲だが、そのタイトルに引けを取らぬほど曲のメロディーも壮大。モーツァルトとベートーベンに押されて影の薄いハイドンだが、この曲の彼は面目躍如といった感じ。 「ハイドンはふざけながら感動を与え、笑いと深い感銘を備え持っている。自分のような者を2人合わせても、まだハイドンの域には到達し得ない」(モーツァルト) |
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43.ロッシーニ〜ウィリアム・テル、泥棒かささぎ序曲
奇才キューブリック監督の映画『時計じかけのオレンジ』で、ベートーベンと並んでかかりまくっていたロッシーニのこの2曲。これを聴くたびにあの映画を思い出してしまう。完全に視床下部に刷り込まれてしまった。 |
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44.オッフェンバック〜天国と地獄、ホフマン物語
『天国と地獄』のストーリーは爆笑モノ。『ホフマン物語』は舟歌にうっとり。 |
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45.シェーンベルグ〜浄夜
中期以降のシェーンベルグは難解すぎて全くついていけんが、初期のこの曲は素晴らしい。やっぱり音楽はメロディーが肝心! |
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46.レスピーギ〜ローマの松
おそらく全クラシック曲の中で、一番音量がデカくて盛り上がる曲。演奏者はコンサート後、しばらく耳が聞こえないのでは。 |
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47.ニールセン〜交響曲第4番「不滅」
大長編大河アニメ『銀河英雄伝説』でこの曲を知りました…! |
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48.ウェーバー〜舞踏への勧誘
楽器による物語、っていうか、楽器同士の会話って面白い発想だよね。 |
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49.マルチェルロ〜オーボエ協奏曲
バッハよりさらに古い大昔の曲。まだクラリネットが発明されておらず、オーボエが主役の曲だ。哀愁を帯びた旋律が胸に沁みる。 |
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50.ズッペ〜軽騎兵
それなりにドラマチック…。 |
Eテレの『N響アワー』には、音楽に関する雑学を紹介するミニコーナーがある。以前にあった「作曲家のファミリーネームを直訳したらどうなるか?」という回が面白かった。メモった内容は以下の通り。 ・バッハ…小川(これはけっこう有名) ・ベートーヴェン…赤カブ菜園(まさかそんな意味だったとは!) ・ショパン…荒々しい打撃(優しい音楽とのギャップがすごい) ・シェーンベルク…美しい山(きれいな名前っすね) ・ブルックナー…橋本(橋の近くに住んでいたのかな) ・ラフマニノフ…温和(静かな曲が多いので他の人よりかはイメージに近い) ・シュトラウス… ダチョウ、花束(全然異なる2つの意味があるらしい) ・スメタナ…サワークリーム(ツバがわきそうな名前) ・ボロディン…ひげ(日本人で“髭さん”っていう名字の人には、まだ出会ったことがないなぁ) |
その1 |
1943年、太平洋戦争の状況が悪化する中、学生にも徴兵令が下り始めた。徴兵された東京芸大音楽部の学生達は、入隊間近の12月初旬に、繰上げ卒業式の音楽会で『第九』の第4楽章を演奏した。出征した多くの学生が死に、終戦後、生還した者たちで「別れの際に演奏した『第九』をもう一度演奏しよう」ということになった。つまり、“暮れの第九”の始まりは、戦場で散った若き音大生の魂を慰める鎮魂歌(レクイエム)だったのだ。 |
その2 |
第九は1927年からN響が演奏レパートリーに持っていたが、年末の演奏が定番化したのは終戦直後の混乱期から。食糧不足など厳しい生活を送っていた楽員たちは、年越しの費用を稼ぐために12月は『第九』を演奏する機会が増えた。なぜなら『第九』は曲そのものに人気があるうえ、合唱団員が多く出演するためその家族や友人がチケットを買ってくれ、確実な収入が保障されているからだ。同様の理由で“年末の第九”が、プロ、アマを問わず定着していった。(現在12月の国内での第九演奏会は150回を超えている) ※御本家ドイツは例外として、近年の海外の「年末第九」の習慣は日本から! |
僕の大好きなピアニストに、全身を使って音楽を表現する中国のラン・ラン(25歳)という青年がいる。パンダみたいな名前だけど、クラシック・ファンで彼の名前を知らぬ者はおらず、チケットは凄まじい争奪戦になる世界的音楽家。彼は演奏が始まると何かが降りてきてしまうんだ。時にそれはハタから見るとヤバイくらいのものに。youtubeに動画が2分28秒だけアップされてるんだけど、投稿タイトルは『Lang Lang Gone Mad』(爆!)。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番第3楽章を超絶テクニックで演奏しながらカメハメ波を発射!(*^v^*) |
●オーケストラ番付 老舗の英音楽誌グラモフォンが、創刊以来初めて世界のオーケストラ番付「トップ20」を発表!世界中に無数のオーケストラがある中、日本からは小沢征爾さんらが指揮するサイトウ・キネン・オーケストラがランク入りした。このランキング、僕がクラシックにハマり出した約20年前と随分評価が変わっていて驚いた!トップ20は以下の通り→ 1.ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(オランダ) 2.ベルリン・フィル(独) 3.ウィーン・フィル(オーストリー) 4.ロンドン交響楽団(英) 5.シカゴ交響楽団(米) 6.バイエルン放送交響楽団(独) 7.クリーブランド管弦楽団(米) 8.ロサンゼルス・フィル(米) 9.ブダペスト祝祭管弦楽団(ハンガリー) 10.ドレスデン国立管弦楽団(独) 11.ボストン交響楽団(米) 12.ニューヨーク・フィル(米) 13.サンフランシスコ交響楽団(米) 14.マリンスキー劇場管弦楽団(露) 15.ロシア・ナショナル管弦楽団(露) 16.レニングラード・フィル(露) 17.ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(独) 18.メトロポリタン歌劇場管弦楽団(米) 19.サイトウ・キネン・オーケストラ(日) 20.チェコ・フィル(チェコ) 時代が変わったということか。雑誌編集部の発表とはいえ、天下のベルリン・フィルとウィーン・フィルをロイヤル・コンセルトヘボウ(旧称アムステルダム・コンセルトヘボウ)が抑えるなんて、かつては考えられなかった。しかし僕が持っているバーンスタイン指揮のマーラー9番@コンセルトヘボウ(1985年)の弦は卒倒しそうなほど素晴らしく、その頃から同オケに圧倒されていたのも事実。ベルリンとウィーンがダメになったんじゃなく、コンセルトヘボウの“絹サウンド”が凄すぎるんだ。5位のショルティが育てあげたシカゴ響は、ショルティ他界から11年が経ってもクオリティを保ち続けているんだなぁ。クライバー神がバイエルン放響と組んで録音した時、学生時代の僕は「もっと有名なオケと組めばいいのに」と思っていたけど、今やバイエルン放響は世界6位。クライバー神の先見性はさすがだ。ロス・フィルやブダペスト祝管は完全にノーマーク。ロス・フィルなんてイージーな「フックト・オン・クラシック」で聴いた程度だった。反省。サンフランシスコ響も実力をつけたんだなぁ。このトップ20を見渡して思うのは、米国のオケの充実ぶり。歴史と伝統のある欧州のオケ(ゲヴァントハウス管@独は創立265年、モーツァルトの生前からある)に対して、歴史の浅い米国のオケは“元気なだけ”“深みがない”と20年前は言われていた。それがどうだろう、実に7団体も入っている。しかもこのランクを選んでいるのは、米国人を小馬鹿にしてきた英国人。うーむ、米のオケ恐るべし(近年はピッツバーグ響も人気)。一方、オペラ発祥の地イタリアのオケ(ミラノスカラ座フィルetc)や繊細な響きで知られるフランスのオケ(パリ管etc)がひとつも入ってない。英の音楽誌なのに英のオケで入ったのはロンドン響のみ。90年代初頭と随分序列が変わったもんだなぁ。//クラシックの動画集『YouTube Classic』は実に充実してマス!何曲あるか数え始めて、あまりの多さに挫折。おそらく800〜1000曲はあるんじゃないだろうか。「クラシックは退屈」と思っている人にイチオシしたいのは、カルロス・クライバー神が今回1位に評価されたロイヤル・コンセルトヘボウと1983年に組んだ『ベートーヴェン交響曲第7番第4楽章』(7分半、拍手を除くと実質6分20秒)の映像!ベートーヴェンといえば「第九」や5番の「運命」が有名だけど、鼻血が出るほどエキサイトするのは、この7番の最終楽章。全身を使って指揮をするクライバー神の勇姿は、見てるだけで脈拍が200までいきそう。地球上の全火山を噴火、いや、火星のオリンポス山まで噴火させてもおかしくない演奏だ。YouTubeにしては音も良いので、是非大ボリュームでお楽しみあれ!※映像の3分55秒あたりでは、“指揮者なのに指揮をせずピクピクしている”クライバー神の姿が映ってます(爆)!第7番は第1楽章が『のだめカンタービレ』のOP曲になり、認知度があがって嬉しいッス。※第7番(Ama) |
●2007年で94才という日本のアートシーンの重鎮、音楽評論家・吉田秀和さんを紹介した特番がNHK教育『ETV』でオンエアされ、胸を打つ言葉が幾つも出てきたので紹介!/「芸術というものは手仕事で成り立っているんですよ。詩人ポール・ヴァレリーが画家ドガについて語った有名な話がある。ヴァレリーは若い頃にドガと知り合った。ある時、屋外で樹を描いているドガと出会うんだけど、ドガが葉っぱの一つ一つをとても細かく丁寧に描いていたので、思わず“一つ一つ描くなんて、絵描きはなんて辛抱のいる仕事だろう!”と言った。ドガの返事は“お前は何て馬鹿なんだ。こうやって描くことが楽しいのが絵描きなんだ。樹があります、なんて描くのは絵描きの仕事じゃないよ。樹を描くんじゃなくて、こうやって一つ一つの葉っぱを描いていくこと、それが絵なんだよ”。--原稿を書くのも同じ。一字一字の言葉をよく考え選択していくのが、書くっていうことなんですよ」/戦時中の空襲の日々を振り返って--「台所の裏に穴を掘り、そこにいっぱい本を詰め込んだブリキの缶を入れ、さらに何重もの紙で包んで板を重ねてくくったフォーレのレコード・アルバムを重ね、その上に土を盛った。(終戦という)そんな日の来ることに確信を持っていたわけではない。しかしもし、これをゆっくり聴ける日が来た時、これがなかったら、取り返しのつかない悲しみと後悔を味わうことになるだろうと考えたからだ」/史上最高の指揮者、故フルトヴェングラーによる『トリスタンとイゾルデ』をベルリンで聴いて--「オーケストラの楽員の一人一人が、これこそ音楽中の音楽だという確信と感動に波打って、演奏している。(略)フルトヴェングラーが指揮棒を持った右手を腰のあたりに低く構えて高く左手を挙げると、全オーケストラは陶酔の中にすすり泣く」/バッハの『平均律クラヴィール曲集』を聴いて--「これを聴き出して、私はこの不条理の世界(この世)にも何かの秩序があり得るのではないかという気がしてきた。この音楽が続く限り、心が静まり、ひとつの宇宙的秩序とでもいうべきものが存在する気がする」/94年生き続けて--「どういう曲が一番胸に染みてくるかというと、それはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンだねぇ。つまるところは、この3人だなぁ〜(笑)。僕は女房が死んだ時に音楽が一時受け付けられない時があって…(音楽というのは)あまりに訴えかけてくる力の強い、他の人の声。だから、ちょっと休んで自分の中に一人でいたいと思った。それでも、そのうち何かで寂しくなって、音が欲しくなって、いろんなものをかけてみた。どれも邪魔をしたけど、バッハは邪魔しなかったなぁ」。/この番組を見終わった後、無性にバッハのピアノ曲が聴きたくなり、グールドやリヒテルの演奏CDを深夜まで聴いていた。僕は今までの人生で「バッハが嫌い」という人物に出会ったことがない。モーツァルトやベートーヴェンを苦手という人でさえ、バッハに関しては誰もが言葉を極めて絶賛する。スッゲ。※海外サイト〜バッハのゴールドベルグ・3分(そのままで音出マス)。 |
★スペシャル追悼コーナー//名指揮者カルロス・クライバーさん、ありがとう!! |
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