炎のド名作邦画ベスト333

     1位〜100位    
101〜200位  201〜333位  ※邦画総合ランク



    「映画は人生に似ている、そうだろ?」
    「冗談じゃない」
    「違うかい?」
    「人生そのものだ」

    〜リチャード・バック著『イリュージョン』より

このランキングは映画に優劣をつけたものではなく(芸術にランクは無意味)、あくまでも管理人が人生に影響を
受けた作品順です。いろんな映画と出合う為のきっかけ、入門用として書いています。(*^v^*)
(注)皆さんがお気に入りの作品がココに登場しない場合、僕が“未見”と思って頂いて間違いないです。

※いかにクロサワが偉大かを若い人にアピールする為、黒澤作品
のみ監督名を記します。実に“TOP20”のうち7本が黒澤監督!

1.乱('85)162分※クロサワ
「オーストラリアに滞在していた時に、現地で黒澤監督特集が催され、そのおかげで日本人観まで好転した。パスポートだけでなく芸術の力で私達がいかに守られていることか」〜故・井上ひさし氏は、映画芸術が文化や国境を越えて人々の心を揺り動かす光景を目の当たりにしたという。

黒澤は生前に「あなたの最高傑作は」という質問に対して、常に「それは次回作だ」と答えていた。しかし、晩年になると「『乱』こそぼくのライフワークだ」と語っていた。 シェイクスピアの『リア王』を戦国時代に置き換え、一国の滅亡を通していつの世にも繰り返される人間の業を描いた『乱』。脚本に10年、製作費26億円、武士のエキストラがのべ12万人、使った馬が1万5千頭という超大作だ。米国のアカデミー協会は「1980年代最高の傑作」と讃えた。

主人公は下克上で戦国時代を生き抜いてきた一文字秀虎(仲代達矢)。彼には太郎(寺尾聰)、次郎(根津甚八)、三郎(隆大介)という三人の息子がいる。70歳を迎えた秀虎は、家督を息子に譲り、悠々と余生を送ろうとする。そんな秀虎におべっかを使う太郎と次郎。だが、三郎は戦乱の世に穏やかな生活を求める父の甘さを諫めた。真意を理解しなかった秀虎は激怒し、三郎を追放する。
一文字家の当主となった太郎は意気揚々と“一の城”に入るが、太郎の正室・楓の方(原田美枝子)は、家督譲渡の口約束だけではなく証文を書いてもらえと夫に迫った。証文に署名した秀虎はこの仕打ちに屈辱を感じ、次郎の居城“二の城”へと向かう。ところが、次郎は「父1人なら受け入れるが側近など家来はダメだ」と返答。家来を見捨てることが出来ない秀虎は“身一つで生きていけるのは鳥やケダモノだけだ”と、次郎のもとを去る。
野をさまよう秀虎一行は、三郎の旧城“三の城”に身を寄せた。だが、この城も安住の地とはならなかった。なんと、太郎と次郎の合同軍が攻めて来たのだ。2人の息子はこれを機に秀虎たち旧勢力を排し、新たな秩序を確立しようとしていた--

【以下ネタバレ文字反転】
三の城は炎上し、秀虎の家来は全滅した。秀虎は自害を決意するが、刀が折れてしまい死ぬことも出来ぬまま正気を失う。この合戦の最中に、次郎の重臣が混乱に乗じて太郎を暗殺。これによって次郎が一文字家の新当主となった。
夫(太郎)を殺された楓の方は、次郎を巧みに誘惑すると、正室・末の方(宮崎美子)を殺害して自分を正室にするよう迫った。この一連の事態を隣国で知った三郎は、父を保護する為に領地へ戻る。次郎が楓の方にけしかけられて三郎軍を攻撃すると、この一文字家の内乱を好機と見た他国が攻め入ってきた。急ぎ居城に戻った次郎だが、大軍に包囲され火を放たれた。絶体絶命。取り乱す次郎を見て高笑いする楓の方。実は、楓の方はかつて秀虎によって親兄弟を殺されており、一文字家が滅亡する日を夢見ていたのだ。
一方、三郎は正気を取り戻した秀虎と和解し涙と共に抱き合うが、次郎の伏兵に狙撃され絶命する。三郎の亡骸を前に、秀虎は狂死。この一部始終を見ていた道化(ピーター)が天に向かって絶叫する。「神や仏はいないのか、畜生!いるなら聞け!お前らは気紛れな悪戯小僧だ!天上の退屈しのぎに、虫けらのように人を殺して喜んでいやがる。やい!人間が泣き叫ぶのがそんなに面白いのか!」。これに古武士が答える。「言うな!神や仏を罵るな!神や仏は泣いているのだ!いつの世にも繰り返すこの人間の悪行、殺し合わねば生きて行けぬこの人間の愚かさは、神や仏も救うすべはないのだ!…泣くな!これが人の世だ!人間は幸せよりも悲しみを、安らぎよりも苦しみを追い求めているのだ!見ろ!今あの城(一の城)では、人間どもがその悲しみと苦しみを奪い合い、殺し合って喜んでおるわ!」。
ラスト・シーンで三郎と秀虎の亡骸を運ぶ葬列の後方に、かつて秀虎が攻め滅ぼし廃墟となった城跡が見える。その石垣に1人立ちすくんでいる青年の影。彼は末の方(次郎の先妻)の弟・鶴丸(野村萬斎)。以前に秀虎から助命される代わりに両目を潰されていた。末の方は楓の方に命を狙われており、鶴丸と共に遠くへ逃げる約束だった。姉の到着を待つ鶴丸だが、末の方は既に殺害されていた。来るはずのない姉を待ち続ている間に、鶴丸はお守りの仏画を落としてしまう。戦場に立ち尽くし、どこにも行くことが出来ず、仏にさえも去られてしまった人間の姿を天の視線で見つめ、映画は終わる。この最後の情景を説明した『乱』の台本は、黒澤の次の言葉で締めくくられていた--「惨!」。



「神や仏はいないのか!」と神仏を罵る道化に対し、「神や仏を罵るな!神や仏は泣いているのだ!」と答えた武将。当時18歳の僕にとって、この会話は衝撃的だった。その頃の僕は、この世の悪を放置している神仏に悪態をついていた。この映画と出合ってからは、神仏を泣かせたくないと思うようになった。
城跡にたたずむ鶴丸は、あの後どうするんだろう。絶望的な孤独の中に身を置く彼。僕には鶴丸が人類の代表としてあの場にいるように思え言葉を失った。

黒澤は作家ドストエフスキーについて、“人間の限度を超えた優しさを持っている”と語っている。その優しさとは悲惨なものから目を逸らす優しさではなく、真っ直ぐ見つめて一緒に苦しむという優しさ。黒澤もまた、いつ果てるともなく続く人間の争いを、しっかりと正面から見つめており、僕はそこに究極の優しさを見た。“人間よ、良くあれ”そんな巨匠の祈り、遺言にも似た思いが伝わった。

スピルバーグいわく「クロサワは現代における映像のシェークスピアだ」。白黒時代の血湧き肉踊る黒澤映画が好きな人には、この作品を“退屈、暗い、地味”と否定する声が多いけれど、冗談じゃあない!確かにセリフは少ないし展開はスローだけど、それはあくまでもうわべだけ。人物の心中は嵐のごとく吹き荒れ、渦巻く情念をたたえた沈黙は、全編を異様な緊張感で包んでいる。不要なものを全て削り落とし、究極の動きのみが残った“能”と同じだ。主演の仲代達矢も「これ以上一言たりともセリフを足す必要はなし」と断言している。
“三の城”の攻城戦は、CGやミニチュアではなく、4億円をかけ高さ18mの城を4ヶ月がかりで“築城”し、そこへ火矢を放ち炎上させるという圧巻の演出!築城に集められた資材は民家100軒分。通常の映画セットは、背後などカメラに写らない部分はベニヤ板だけど、この城にはいっさいベニヤ板が使われていない。
『乱』公開から3ヶ月後、フランス政府は黒澤に芸術分野で最高位となるコマンドゥール勲章を授与(レジオン・ドヌール・オフィシェ勲章は前年に授与済)。さらにその2ヶ月後、日本政府から文化勲章が贈られた。公開翌年のアカデミー賞で監督賞にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞した。

鬼気迫る俳優の演技(仲代のメークは3時間半)、ロケ時に理想の太陽や風を追求した映像美、色鮮やかな装束、細部まで凝った小物、武満徹の幽玄な音楽、なにもかもパーフェクト。黒澤美学が炸裂した未曾有のスケールの戦国絵巻であり、文句ナシの邦画ベストワン!


●資金調達に苦しんだクロサワ
『乱』の製作費をかき集める為に自ら奔走した監督。東宝に交渉した際、『乱』はストーリーが暗すぎるという理由で受け入れられず、代わりに作った作品がエンターテインメント色のある『影武者』。この『影武者』がカンヌでグランプリに輝き大ヒットに。監督いわく「“乱”の製作費を捻出する為に、私は“影武者”を作った。“影武者”で大量の武具を作っておけば、“乱”で再びそれを使えるからだ」。(実は『影武者』も撮影途中で資金不足になった。この時、援助してくれたのが『スターウォーズ』のジョージ・ルーカス&『ゴッドファーザー』のコッポラだった!)
しかし『影武者』が当たったにもかかわらず、重いテーマの『乱』はコケるとソロバンを弾いた東宝は資金提供を拒否。窮地に陥った黒澤に手を差し伸べたのは、日本ではなくフランス政府と仏の映画会社だった。仏は映画を第一級の芸術と認めていて、映画製作に国家が補助金を出している素晴らしい国だ。前述したように黒澤は仏政府から最高位の勲章を授与されており、亡くなった時も日本政府より仏の大統領の方が先に追悼声明を出している。
故・淀川長治氏は、日本の優れた芸術を、いつも海外が先に評価して、慌てて日本の評論家が真価を認めるという繰り返しを嘆いていた。
(仏側の資金提供時に)
ジャック・ラング仏文化相「日本で黒澤さんのような人が映画資金の調達が出来ないというのは不思議だ」
黒澤「日本の映画界の首脳部は、新しいことはやろうとしない。映画を愛していないし、理解しようとしない。首脳部から私はむしろ嫌われている」

●『乱』の国際的評価
1985年米アカデミー賞監督賞ノミネート、1985年全米批評家協会賞作品賞、1985年ニューヨーク批評家協会賞外国映画賞、1985年ロサンゼルス批評家協会賞外国映画賞、1985年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞、1985年ボストン批評家協会賞作品賞、1986年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1987年英国アカデミー賞外国語映画賞、1987年ロンドン映画批評家賞監督賞)

なぜ『影武者』がカンヌを制したのに『乱』は受賞できなかったのか。答えは実に単純。完全主義者の黒澤は『乱』の製作に時間をかけ過ぎ、カンヌへの出品が間に合わなかったからだ。完成したのはちょうど映画祭が終わった時だった。「これでも随分早く出来上がった方だよ。自分でこの早さにびっくりしている」とは監督の弁。

【撮影裏話】
・熊本城のロケの際、寺尾聰が振り返るシーンで背後の景色が遠くまで見えている図が欲しいと、好天で空気が澄んだ日を待ち続け、“振り返る”というワンカットのために1週間も費やした。
・髑蜑は前半の「哀れ、老いたり」のセリフを50回も言わされてようやくOKが出た。ただしこれは髑蜑だけではなく、黒澤組の撮影では日常茶飯事。木立を刀で斬る場面も、「武将らしく斬る」という図を撮るために、良い刀筋になるまで延々と斬り続けた。
・「三の城」攻防戦で老侍女が自害するシーンは、俳優が小刀で上手く喉を突けず、「もういい!そんなんじゃ死ねないだろ!」と監督が吠え、本編は喉を突く直前でカットされている。
・同城の攻防戦で馬にはねられている足軽は、人形ではなく本当に人間。片足を馬に蹴り上げられ、あのシーンでリアルに骨折している。後半の合戦では落馬シーンが約30回あるが、みんな本当に背中から落馬しているのでケガ人続出だった。(“馬は人を踏まない”というのは間違い。軍馬は人間にも突っ込んでいく!)
・馬の調教も大変。乱では多数の火縄銃が発射されるので、いきなり撮影現場に馬を連れてくると音でパニックになってしまう。その為、撮影が始まる前から、毎日馬に銃声を聞かせ続け、大きな音に慣れさせた。
・太陽の光を反射させて俳優に照らすレフ板は、赤い陣羽織の武将を撮る時は赤いレフ板で赤さをを強調させ、青い陣羽織の武将は青いレフ板で青みを強調するなど、色彩の鮮やかさにこだわっている。
・野外の祝宴のシーンでは、カメラには映らない重箱の中にもちゃんと日本料理が入っている。
・馬の足下から土煙を上がらせるために、肥料用の灰を地面に撒いている。
・合戦シーンはリアルな演出なのに、血の色だけが安っぽい玩具のように赤かったのは、戦場を絵巻物(絵画)のように描くことで、“神の目線”で人類の宿業を見せようとした。
・馬で逃げる2人の裏切者が槍で成敗されるシーンは、馬が背後から迫る槍兵に怯えて足がすくんで逃げず、俳優も馬の扱いが下手な為に、怒った監督が「今日の撮影はもうやめだ!」。監督が現場を立ち去ると、進行係が「じゃあここでお昼ご飯にします〜!」。その声を聞いて監督がクルリと向きを変え、食事に戻ってきたのが可愛かったとの事(笑)
・一の城は姫路城、二の城は熊本城ロケ。合戦地は阿蘇山。姫路城は貸し切りで撮影したわけではなく、外には一般客が普通にいる。観光用の案内放送が入らないように音声さんが非常に苦労した。

また、『乱』の撮影マジックとしては…
・後半の合戦は双方が林を背後に陣を張っているように見えるが、実は林は片側にしかない。同じ林を交代で使っている(これにはビックリ!)
・冒頭の狩りのシーンでは、猪が3頭に見えるけど、実際は1頭。猪は最後に一般人のハイカーに向かっていったので猟師に撃たれ、しし鍋になってスタッフが美味しく頂いた。
・楓の方の凄絶な最期は、ホースから血柱を壁にぶつけた。
・鶴丸役の野村萬斎(武司)は当時高校生で、なかなか“やんちゃ”だった。それが、あんなにしおらしく見えるのも一種の撮影マジック(笑)


  「狂ったこの世で狂うなら気は確かだ!」(『乱』)
2.七人の侍('54)207分※クロサワ
1891年にエジソンが映画の原点キネトスコープを発明し、4年後の1895年にリュミエール兄弟がそれを改良したスクリーン投影型の機械を生み出した。以降、100年以上にわたる世界映画史上に輝く、名作中の名作!雨、汗、泥、血、風、それら全てが画面全体から観客へ飛び散り、大地が割れんばかりのパワーが冒頭から最後までみなぎっていた。野盗集団の襲撃から村を守るため、農民から雇われた七人の侍の物語。集団を映しながらも人間一人一人の存在(生命)の重さを描き切った超傑作。アッという間の3時間半。面白すぎ。映画を観たというより何かを体験したという感じだ
50年前の映画だけど、いまだに世界中の映画監督に影響を与え続けている不滅の作品。クライマックスのドシャ降りの中での決戦は、一生忘れられないだろう。侍たちは七人とも魅力的で、漢ならニヒルな剣豪・久蔵にイチコロ間違いなし。
炎上する水車小屋の前で、親を殺された農民の赤ん坊を抱えた菊千代(三船)が「これは、俺だ!俺もこうだったんだ!」と泣き叫ぶシーン。あのワンシーンだけでも満点に値するッ!

「大変なごちそうをお客さんに食べさせてやろうと。うな丼の上にね、カツレツ乗っけてね、その上にハンバーグか何か乗っけて、それからカレーぶっかけたみたいな、それくらいのごちそうを食べさせてやろうっていう冗談を言いながら脚本を書いてた」〜黒澤明

 
3.ALWAYS 三丁目の夕日('05)133分

爆笑&涙腺決壊映画。「涙はストレス発散になる」と言うけれど、泣くのも度が過ぎると体力を消耗し、鑑賞後は“泣き疲れ”で頭がガンガン。脱水症状になりかけた。それくらいの傑作。舞台は昭和33年の東京の下町。貧しくてもタフに生きる、庶民の悲喜こもごもの暮らしを描く。最近の報道を見ていると、親が子を、子が親の命を奪うという殺伐した事件が頻繁に起きているけれど、この映画は“血が繋がっていない赤の他人”の為に、人はこんなにも優しくなれるということを描いている。シュークリーム事件、シャツに縫い合わせたお守り、「サンタです!サンタです!」、クライマックスのダッシュ、その他にも名シーンだらけで、2時間で5・6本の映画を観た気がする。
日本政府は今すぐ映画会社から権利を買い取って、明日から無料上映すべき。これは外交の手段にも使える。海外で公開したら間違いなく世界中の人が日本人を好きになる映画だ!(薬師丸ひろ子は良い歳の重ね方をしているなぁ)

あとこれは個人的な事だけど、本作が邦画ベストの3位に入ったのはウルトラ大事件。トップ10に変化があったのは10年ぶりだし、トップ3が変わったのは『乱』以来20年ぶりだから!もちろん、この20年間に良い邦画はたくさんあった。だけど、どれもトップ10の名作群には及ばなかった。ところが、この映画はいきなりの3位入り。あり得ない!ほんと、映画ファンやってて良かった!

 
4.白痴('51)166分※クロサワ 同名の他作品に注意!
「この人は一目見ただけで私を信じてくれたんです。だから私もこの人を信じるんです」

原作は文学の神様ドストエフスキーの大長編。それを黒澤が舞台を北海道に設定し、パーフェクトに映像化したものだ。あまりに純粋な心を持っていた為に“白痴”と呼ばれる青年・亀田を中心に、彼を愛する2人の女--心に傷を持つ孤独な女・那須妙子(小説ではナスターシャ)と、元気いっぱいの若い女・綾子--、そして妙子を野獣のように愛する伝吉の、男女4人の愛と憎しみの灼熱のドラマだ。黒澤は4人の人間関係が劇的に変化していく過程と心の動きを緻密に描き出していた。底なしに広大なドストエフスキーの精神世界を映像化する、その恐るべき力量、何という離れ業!究極の恋愛映画だ。

黒澤はドストエフスキーをこう評する。「あんな優しい好ましいものを持っている人はいないと思うのです。それは何というのか、普通の人間の限度を越えておると思うのです。それはどういうことかというと、僕らが優しいといっても、例えば大変悲惨なものを見た時、目をそむけるようなそういう優しさですね。あの人は、その場合、目をそむけないで見ちゃう。一緒に苦しんじゃう、そういう点、人間じゃなくて神様みたいな素質を持っていると僕は思うんです」。

僕にとって、この映画との出合いがドストエフスキーを読み始めるキッカケとなった。彼の文学を抜きに今の自分はあり得ない。彼のためなら死ねる。心から信じられる人間だ。世界中に星の数ほどある文学作品から、この小説を選んで映像化した黒澤は本当に凄い。黒澤がどれほど原作を愛し抜き、心酔しているのか、メチャクチャ伝わった。

(2時間46分の力作。でも、当初は4時間半の長さだった。松竹首脳陣が長すぎることに難色を示し、大幅にカットさせたという。コラーッ、松竹!うぬら完全版公開しやがれ!)

 
5.伝説巨神イデオン 接触篇&発動篇('82)85・99分
若い映画ファンはこの作品を知らない人も多いと思うので、本気で紹介する。本作はナウシカやAKIRAさえかすんでしまう(もちエヴァも)、邦画アニメ史上、否、世界アニメ史上における最高傑作だ!

●物語
地球人が宇宙へ移民を始めた未来。移民先のソロ星で古代文明の遺跡が見つかった。発掘されたのは巨大ロボット・イデオンとその母船。イデオンは奇妙なロボットで、動力源が電力やガソリンというものではなく、何と“人間がモノを考える時の思考エネルギー”だった(「イデオン」の由来は、根源的な理想(イデア)を発動(オン)するロボットとも、イデオロギーとも言われている)。イデオンを作った古代文明人は、そのシステムをコントロール出来ず、イデオンを起動した瞬間に全ての人間が意思を吸い取られて絶滅したのだ。やがて、このとき集められたエネルギーの集合体は自ら意思を持つ“イデ”となった。知的生命体が滅んだことでイデの力を利用する者がいなくなり、イデは生物が再び知的生命体に進化するまで休眠状態に入った。

地球人は発掘したイデオンを起動させようとするが、どういじっても動かない。そんな折、バッフ・クラン人という異星人がソロ星へやって来た。彼らの星にはこの地に“無限エネルギー”が眠っているという伝説があり、それを調査に来たのだ(ソロ星は地球とバッフ・クランを結ぶ直線上の中間地点にあった)。バッフ・クランの人々は無人と思っていたソロ星に地球人という“異星人”がいたことに驚き、相手がイデの力を手に入れ、自分たちの母星を攻めて来るかも知れぬと恐れた。その結果、未知なる相手への“恐怖”から戦いの引き金を引いてしまう。

銃火の中、地球人の子供たちがイデオンに逃げ込むと、これまで全く反応が無かったイデオンが突然動き出した。イデオンは搭乗者の『純粋な防衛本能』だけに反応するメカだったのだ!子供が乗ったことでイデは目覚めたのだ(念押しするが、大人が攻撃の為に乗っても動かない)。実は、イデは“善き生命体”に自分のエネルギーを使って欲しいと願い、地球人とバッフ・クラン人を呼び寄せたのだった。しかし、目の前で戦闘が起こったことにイデは深く失望する。

目覚めたイデは、地球人とバッフ・クラン人のどちらが善き生命体なのか、あるいは共に悪しき生命体なのかを見極めようとする。イデは何度も両者を和解させようとするが、人間たちはことごとく和平の機会を潰してしまう。飽くことなく続く泥沼の戦いの中で、イデに見放された大人たちが次々と死んでいき、やがて子供たちまでイデに見放され始める。イデはイデ自身を“悪しき心”に利用されることから守る為に、双方の人類を滅ぼすだけでなく、場合によっては宇宙そのものを消滅させる気になっていた…。

●イデオンは名セリフの山
・「死ぬかも知れないのに、何で(飯を)食べてるんだろう…オレ」
・「(撃たれた若い兵士)馬鹿な…俺はまだ、何もやっちゃいないんだぞ」
・「イデめ、なぜ(敵の位置を)教えてくれる!?」
・「俺たちはイデに試されている。善き生命体であるかどうかを!」
・「俺たち出来損ないの生物の、その憎しみの心を根絶やしにする為にイデは戦わせたんだ!イデも生き延びたいからだーッ!」
・「(恋人が死んで)こんな、こんな甲斐の無い生き方なんぞ、俺は認めない!たとえそれが、イデの力によろうともな!」
・「俺たちは…やることが全て遅かったのかも知れん…」
・「(イデに滅ぼされると分かって)じゃあ、私たちはなぜ生きてきたの!?」


“もっと生きたい!”という、登場人物の心の叫びが、これほど伝わってくる作品は、アニメに限らず実写を含めても他にない。全宇宙的スケールで物語が進行していくのも前例がない。とにかく骨太なストーリーなので、ロボット・アニメという偏見にとらわれず、黒澤映画と向き合うような覚悟で観て欲しい!

※イデオンを作った富野監督はあの『ガンダム』の原作者!(富野監督は宮崎駿監督と同じ歳。2人で『アルプスの少女ハイジ』を作っていた頃もある)。
【ネタバレ文字反転】
富野監督の業界でのあだ名は“皆殺しのトミノ”。しかし、死んだシェリルをギジェが手を差し伸ばして待っていたり、宇宙へ吸い込まれたハルルをダラムがすぐに追ったりと、監督は残酷なようでも本当はすごく優しい。宇宙消滅でジ・エンドではなく、魂だけになったキャラの会話と、それに続く生命再生のシーンは、まさに富野氏の温かさの象徴だ。当時10代前半だった僕は最後にいきなり実写になって訳が分からなかったけど、数年後に再観した際、海に入った魂が鳥となって海から飛び立ったのが、生命誕生の意味だったことに気付き慟哭した。よくぞ、ここまでアニメの枠を超えた普遍的名作を作り上げたものだ!!
※それにしても“イデ”はクールだ。平和主義者のカララをずっと守ってきた(ビームの直撃からさえも)のに、カララが姉に殺意を持った瞬間(それが子を守る為とはいえ)、バリアーを消して見捨てるんだもの。アーシュラたちも、武器を持って戦い始めたから“悪しき者”に認定され見捨てられた。嗚呼、非情なりイデ。


  再販、即完売。レンタル店へGO!
6.軍旗はためく下に('72)97分
終戦から7年後の1952年に「戦没者遺族援護法」が施行されたが、太平洋の南方戦線で戦った故富樫軍曹について、厚生省は遺族年金の支給を拒否した。軍曹の死亡理由が「敵前逃亡」による処刑だったからだ。ところが軍法会議の判決書など処刑を裏付ける証拠が何もない。“本当に敵前逃亡をしたのだろうか?”富樫夫人は夫を信じ、その名誉を取り戻すべく真相究明に乗り出す。戦後26年が経った1971年、ついに夫人は富樫軍曹と同部隊だった生存者4名の居所をつかむ。4名はそれぞれ養豚業、漫才師、按摩師、高校教師など、第2の人生を歩んでいた。「過去は思い出したくない」という彼らを執念で説得し、やがて重い口が開いた時、想像を絶する戦場の真実が明かされていく…。
マラリアが蔓延する飢餓状態の中で起こった友軍殺し、敵前逃亡、上官殺害、そして衝撃的な人肉事件など、戦争のあらゆる惨劇を真正面から描いた問題作。天皇の戦争責任を含め、日本の戦争映画でこれほどタブーに切り込んだ作品はない。深作欣二監督は本作以降、戦争映画を撮っていない。問題作ゆえかDVD化されておらず、ビデオも絶版になっている。(まれにレンタル店で見かけマス)
【ネタバレ文字反転】
卑劣な上官の為に、無実なのに味方に処刑される兵士たちの死に際が、あまりにリアルで正視できなかった。銃殺直前に「天皇陛下ッ!」と叫ぶのだが、それは“万歳”につながるのではなく、何かを訴えるような叫びだったのだ。全てを知った富樫夫人が、ラストに「夫を絶対に靖国神社には祀らせない」と胸中で叫んだのが強烈だった。


  すでに絶版!
7.おくりびと('08)130分

人は必ず死ぬ。親族との最後の別れを幾通りも描き、否応なしに生命について考えさせられた。死というシリアスなテーマなのにユーモアを交えて描かれており、葬式の場面で笑っている自分に驚いた。日本のとても伝統的な葬式を題材にしているのに、モントリオールなど海外の観客が感情移入して絶賛しているのが意外であり、なんだか感動。人の死の神聖さは、国も文化も関係ないということを知る。モックンと山崎努の演技力は圧巻!

 
8.ゴジラ('54)97分
戦後、いち早く映画の中で放射能を取り上げたのが『ゴジラ』だ。制作費は当時の平均2千万円に対して7千万円。観客動員数961万人の大ヒット作となり、半世紀後に制作された第28作の『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)までシリーズが続いた。
東電の福島原発事故後という今のタイミングであらためて第1作を鑑賞すると、奥底に流れる強い反核メッセージ、放射能への恐怖が、こうも正面から描かれていたのかと驚く(公開8カ月前に第五福竜丸がビキニ環礁の水爆実験で被曝したことも脚本に影響している)。

物語は太平洋で次々と船舶の沈没事故が起きる場面から始まる。生存者は巨大な怪物に襲われたと証言するが誰も信じてくれない。ただ、遭難地点に近い大戸島の老漁師だけは、言い伝えにある“ゴジラ”の仕業ではないかと呟いた。そんな折、大戸島にゴジラが上陸。50mもあるゴジラは島の家屋を踏み潰し犠牲者が出たことから、政府は調査団を派遣。現地に到着した古生物学者・山根博士(志村喬)は、巨大な足跡や、その足跡から採取されたジュラ紀の三葉虫に驚嘆する。一方、原子物理学者・田畑博士は、島の井戸がガイガーカウンター(放射線測定器)に反応し慄然とした。すぐさま島民に警告する「当分の間、この井戸水を使わないで下さい。危険ですから」「困ったのう。井戸が使えねえとよ」。ガイガーカウンターはゴジラの足跡にも強く反応した。両博士は息を呑む。「この足跡に放射能が…」。

東京で国会の公聴会に出席した山根博士は、「足跡から見つかった三葉虫やゴジラに付着していた砂はジュラ紀の地層のものであり、その砂から水爆実験で多量に放出される放射性物質ストロンチウム90が検出された」と報告。そして、「ゴジラは古代から海底の洞窟で生きながらえていたが、度重なる水爆実験によって生活環境を完全に破壊され安住の地を追い出された」と結論づけた。
日本政府は大戸島の周辺海域で爆雷攻撃を実施したが効果はなく、ゴジラに襲われた船舶は17隻にのぼった。山手線で新聞記事を読む市民「いやね、原子マグロだ放射能雨だ。そのうえ今度はゴジラと来たわ」「せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な体なんだ」「そろそろ疎開先でも探すとするかな」「あ〜あ、また疎開か。まったく嫌だな」。人々に9年前の生々しい敗戦の記憶が甦る。

同夜、大都市東京のネオンに惹かれるようにゴジラが東京湾から現れ、品川駅構内に侵入。山根博士は防衛隊に「ゴジラに光を当ててはいけない」と叫ぶ。ゴジラは水爆の炸裂光で光に過敏になっていた。列車を踏み潰し、車両を引きちぎり、尻尾で鉄橋をなぎ倒し、悠々と海へ戻っていく。都民は一斉に疎開を始め、政府は再上陸に備えて東京湾沿岸に高さ30mの鉄条網を張り巡らした。この鉄線に5万ボルトの高圧電流を流し感電死を図るというのだ。しかし水爆の洗礼を生き延びたゴジラに電流が効くわけもなく、芝浦岸壁で2度目の上陸を許してしまう。
この再上陸でゴジラは初めて白熱光(放射能熱線)を口から吐き、東京大空襲の焼け野原からようやく復興した街を再び焦土に変えていく。防衛隊の戦車部隊は全滅し、国会議事堂、日劇が叩き壊され、銀座の松坂屋や和光ビル(時計塔)などが、次々と炎上、或いはなぎ倒された。戦争未亡人が幼い子を抱きしめて「もうすぐお父さんの所に行くのよ」と叫び、落下する瓦礫がこの母親の命を奪った。テレビ塔から取材していた放送局の人々は「さようなら皆さん!」と死の瞬間まで中継を続けた。ゴジラは芝浦→田町→新橋→銀座→数寄屋橋→国会議事堂→平河町→上野→浅草の順で蹂躙する。これは、1945年3月の“東京大空襲”におけるB29爆撃機の侵攻ルートと同じだ。都心を焼き尽くしたゴジラは隅田川を下り、勝どき橋を破壊し東京湾へ消えていった。

【以下、ゴジラはラストのメッセージが超重要なので“完全ネタバレ”でいきます!】
東京は一夜にして見渡す限りの廃墟となった。だがゴジラが去った後も悲劇は続いていた。深刻な放射能汚染だ。臨時救護所では幼児に向けたガイガーカウンターが激しく反応し、田畑博士は沈痛な表情で首を振る。いったいどうすればゴジラを倒せるのか。山根博士の娘・恵美子(河内桃子)は救護所で人々の看護をしていたが、目の前の悲惨に打ちのめされ、父の弟子である青年科学者・芹沢博士(平田昭彦)から厳重に口止めされていた研究内容を、恋人の尾形(宝田明)に話してしまう。芹沢博士は、液体中の酸素を破壊し生物を骨まで溶解させる「オキシジェン・デストロイヤー(水中酸素破壊剤)」を発明していたのだ。砲丸大のものが1個あれば、東京湾一円の海中を一瞬にして死の墓場と化すほどの威力を持っていた。
尾形と恵美子は芹沢博士の研究室を訪れ、ゴジラへのオキシジェン・デストロイヤー使用を訴えるが、芹沢は苦渋の表情でそれを断る。芹沢は戦争で片眼を失い、頬を火傷していた。「いったんこのオキシジェンデストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ。必ずこれを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆対水爆、そのうえさらにこの新しい恐怖の兵器を人類の上に加えることは、科学者として、いや一個の人間として許すわけにいかない」。だが尾形は食い下がる。「では、この目の前の不幸はどうすればいいんです。たとえここでゴジラを倒す為に使用しても、あなたが絶対に公表しない限り、破壊兵器として使用される恐れはないじゃありませんか」。「尾形、人間というものは弱いもんだよ。一切の書類を焼いたとしても、俺の頭の中には残っている。俺が死なない限り、どんなことで再び使用する立場に追い込まれないと誰が断言できる」。
“こんなものさえ作らなければ!”と頭を掻きむしる芹沢。一方、テレビには被災者たちの姿が映し出され、少女たちが歌う鎮魂歌『平和への祈り』が流れてくる。ゴジラがもたらしたあまりの惨状に絶句し、ついに芹沢は“ただ一度限り”という条件で使用を認めた。芹沢は現段階では武器として使用されかねないオキシジェン・デストロイヤーを、社会に役立つ平和的なものにして発表するつもりだったが、もうその機会はなくなった。長年にわたる研究資料を焼却する芹沢。1枚1枚、愛おしそうに火にくべる姿を見て、嗚咽する恵美子。「いいんだよ恵美子さん。これだけは絶対に悪魔の手には渡してならない設計図なんだ」。

東京湾をガイガーカウンターで調査し、最も放射線の高い場所に潜っていく尾形と芹沢。やはりゴジラはそこにいた。オキシジェン・デストロイヤーを設置し、洋上に引き上げられる尾形。だが、芹沢が上がって来ず、尾形は声を涸らして呼びかける「芹沢さん!芹沢さーん!」。オキシジェン・デストロイヤーの作動を確認した芹沢は尾形に無線で伝える。「尾形、大成功だ。幸福に暮らせよ。さよなら。さようなら!」。芹沢は空気ホースと命綱をナイフで切断した。
海面で苦痛の咆哮をあげるゴジラ。断末魔と共に泡立つ海中に沈むと骨格だけになり、やがてその骨も溶け果てた。喜びに沸く人々と、芹沢の死を悲しむ、山根博士、恵美子、尾形。芹沢は恵美子に恋していた。「幸福に暮らせって言っていたよ」と伝える尾形の言葉に泣き崩れる恵美子。呆然と座り込む山根博士は搾り出すように呟く。「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れて来るかもしれない」

田中友幸プロデューサーいわく「(企画テーマは)水爆に対する恐怖」。日本の怪獣映画の元祖『ゴジラ』は、被爆国だからこそ作り得た、“反核”を全面に出した極めて政治的メッセージに溢れた作品だ。劇中には「ゴジラこそ我々日本人の上に今なお覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか」というセリフも出てくる。子供だましのパニック・ムービーではない。脚本担当の村田武雄は山根博士の最後の台詞に「原水爆反対の悲願を込めた」という。まだ4、5歳の少女がゴジラからの放射線で被曝するというシリアスな描写は、現代では考えられないシーンだろう。だが、制作陣は逃げずに正面から描いた。長崎の原爆を生き残った女性が東京でゴジラと遭遇するという演出も、終わることのない核開発の愚かさを象徴しているようだ。最終決戦では“広い海の中でどうやってゴジラを探すのか”という疑問に、危険な放射能を逆手にとってガイガーカウンターで所在を逆探知するという機知を見せた。
この映画からヒシヒシと伝わってくるのは、当時は戦争の記憶がまだリアルに残っていた時代だったということ。前半の船舶沈没事件を報じた新聞記事は「浮流機雷か?」との見出しで報じた。現代の映画では船舶が沈没しても、理由に“機雷”というのはあり得ない。この時代だからこその表現だ。また、子ども達を抱きかかえた母親が「もうすぐお父さんの所へ行ける」と言うのも、当時であれば戦没者と分かるけれど、現代ではこのセリフを聞いてもすぐに戦争と結びつかないだろう。『ゴジラ』の公開は終戦からまだ10年も経っていないため、焼け野原になった首都や病院の廊下で負傷者が寝かされている場面は、今の我々が思うより、はるかに恐ろしい印象を観客に与えていたハズ。

最初の東京上陸は品川駅を破壊するだけで3分半しかないけど、あまりのゴジラの巨大さに圧倒され、10分くらい見ていた気がする。今と違って高層ビルがないため、ゴジラの大きさが一層良く分かる。クライマックスの再上陸は実質15分間だけど、こちらも見入ってしまい30分以上経った感覚に。特撮は手抜きが一切なく、例えばゴジラが新橋付近を“のし歩く”場面では、ビルの窓に人影が見えるシーンまである。この人影は、ゴジラの咆哮に驚いて窓の近くに集まり、白熱光を見てすぐに奥に逃げるという細かさだ。反核・反戦という重いテーマを描きながらも、観客を楽しませるエンターテイメント性も備えた脚本は圧巻。
最も強く胸を打たれたのは、戦争で負傷した芹沢博士が、原爆、水爆に続く新たな強力兵器を人類社会に加えることを「科学者として、いや一個の人間として許すわけにいかない」と拒絶し苦悩する場面。設計図を焼くだけなく、頭の中の設計図も自死によって消去するという徹底ぶり。なんという覚悟!ここまで科学者の良心が描かれた作品を他に見たことがない。究極の反核映画、ここにあり。

※企画段階のゴジラの棲息地はビキニ環礁。
※本多猪四郎が本編を監督し、円谷英二が特撮を監督した。梶田興治助監督によると、ゴジラが国会議事堂を破壊したシーンで観客が立ち上がって拍手をしたという。
※架空の大戸島や海のロケ撮影は伊勢志摩の五ヶ所湾で敢行。
※芹沢は師・山根博士の後継ぎとして養子になることが予定され、恵美子とも婚約していたが、戦災で顔を焼かれ片眼になったことで自ら婚約を破棄し、研究室にこもる生活を送っていた。
※「芹沢は広島出身で片眼の負傷は被曝によるもの」という設定を何かで見たのだけれど(テレビだったかも?)、原典を失念してしまった!ちゃんと控えておけば良かった。原爆で負傷したとなると、ますます「原爆対原爆、水爆対水爆、云々…」のセリフに説得力が増す。
※よく“ゴジラが火を吐く”という表現が使われるけど、火を吐くのはガメラだ。ゴジラが口から出す白熱光は放射能の熱線。
※ゴジラの咆哮は松脂をつけた皮手袋でコントラバスの弦をしごいた音を加工したもの。
※自衛隊は『ゴジラ』制作の2年前に警察予備隊から再編成された。自衛隊が映画撮影に初めて協力した作品でもある。劇中の榴弾砲は本物を使用。
※円谷監督が和光ビルの時計台を壊す“画”を求めたことから、ゴジラの身長が50mに決まった。それが基準となってミニチュアが1/25スケールになった。国会議事堂はゴジラの巨大感を出す為に1/33になっている。
※ミニチュアセットの建物は総数500軒。狭い特撮スタジオで映像の奥行きを出すため、建物は手前から奥へ向かって低く造型された。
※初期構想は人形アニメによる撮影だったが、人形アニメは膨大な制作時間がかかるため、ゴジラのスーツアクター・中島春雄は、円谷監督から「人形アニメでやれば7年かかるが、お前が演ってくれれば3カ月で出来る」と口説かれた。
※劇中で炎上or破壊の憂き目を見た松坂屋や和光は激怒した。一方、森永の球形ネオンが無事だったのは東宝とタイアップしていたため。
※撮影時、何もない空間に“ゴジラ”を想像して演技するため、見上げたときの目線の統一に神経を使ったという。
※「GHK(ゴジラ放送協会)」で実況アナウンサーを演じた俳優は、滝のような汗を表現するため顔にオリーブ・オイルを塗っている。
※芹沢博士を演じた平田昭彦は、ウルトラマンでは岩本博士役でゼットンを倒す無重力爆弾を開発。
※米国では反核メッセージが丸ごとカットされ、『怪獣王ゴジラ』として2年後(1956年)に公開。この海外版は50ヶ国で上映され400億円(当時)もの外貨を稼いだ。米国でオリジナル版が上映されたのは半世紀を経た2005年。
※クライマックスのコーラス『平和への祈り』は、現・桐朋学園大学の大講堂に在校生約2000名(当時は女子高)が集まって斉唱した。
※『ゴジラ』の撮影前に志村喬は黒澤映画の『七人の侍』に出ていた。同じ年に『ゴジラ』『七人の侍』という全く異なるジャンルの2大傑作に出演!

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9.男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け('76)109分
心が温まる感動的なハッピーエンドによって、ファンの間でシリーズ全48作中の最高傑作と語り続けられてきたのがこの作品(第17作)だ。“男はつらいよ”は世界最長の映画シリーズとしてギネスにも認定されているだけでなく、中東や欧州でも人気があり、香港にはファンクラブまである。
山田洋次監督は“寅さん”のコンセプトをこう語っている--「悲しい事を笑いながら語るのはとても困難なことだ。だが、この住みづらい世の中にあっては、笑い話の形を借りてしか伝えられない真実というものがある。人間が人間らしく生きることが、この世の中にあってはいかに悲劇的な結末をたどらざるを得ないかということを、笑いながら物語ろうとしてるんです」。

“まだ1本も見たことがない”という方(特に女性)に誤解のないよう記しておくと、このシリーズは決して一方的な男視点の映画じゃなく、各話に登場するマドンナは何かしら深刻な悩み事を抱えており、楽天家の寅さんに元気をもらう構図から、むしろ“女はつらいよ”と変えてもいいくらいっす。この辺り、作品が男女を問わず支持される理由のひとつかと。

『寅次郎夕焼け小焼け』のレビューは、あの名ラストを語らねば意味がないので、以下、完全ネタバレでいきます。
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ある日、寅次郎(渥美清)は上野の焼き鳥屋で、見すぼらしい老人(宇野重吉)が無銭飲食を咎められていたところを、会計を肩代わりして助け出す。老人とウマが合った寅は、“帰る場所がないのだろう”と「とらや」に連れ帰るが、この老人は「とらや」を旅館と勘違いし、家人をアゴ先で使うなど顰蹙(ひんしゅく)をかう。しかも翌日は外でうな丼を2杯食べて「とらや」のツケにする始末。その厚かましさをおいちゃんが説教する。「鰻なんてもんはな…我々額に汗して働いている人間たちが、月に一度かふた月に一度、何かこう、おめでたい事でもあった時に、“さぁ今日はひとつ鰻でも食べようか”って言って大騒ぎして食うものなんだ」。さすがに寅も“ここは宿屋じゃないんだから自重してくれ”と諭すと老人は驚く。「宿屋じゃない?」「宿屋のわけがねぇじゃないか。こんな薄汚い家が。そうだろ?ここはな、俺の叔父きと叔母の2人で経営しているケチな団子屋だよ」。恐縮した老人は“迷惑をかけた御礼に”と一枚の画用紙にさらさらと縁起物の植物を描き、寅に神田の古書店まで持って行けと言う。「こんなもの持って行けないよ、たかりじゃないないんだ俺は!」と渋々足を運び、“電車賃くらいは…”と値段交渉で指を6本立てると、600円のつもりが6万円を渡されビックリ仰天(その後さらに7万に上がった)。なんと、老人の正体は日本画壇の第一人者・池ノ内青観(せいかん)だったのだ!

数日後、旅先の兵庫県龍野の城下町で青観と再会した寅は、役場が青観のために設けた宴席(龍野は青観の故郷)になりゆきで同席し、笑い上戸の美しい芸者・ぼたん(太地喜和子)と出会う。あっけらかんとしたぼたんと寅は意気投合し、冗談を言っては大笑い。後日、上京したぼたんが「とらや」に挨拶に来た。「こっちで用事があるのかい」「私と所帯を持つって約束したじゃないの」「そうだった!コロっと忘れてた」と軽妙に掛け合う2人だが、会話を聞いておいちゃん達は仰天、大騒ぎになる。「このシャレの通じない連中と、明け暮れ一緒にいる俺の気苦労も分かるだろ?」。
ぼたんが上京した理由は深刻なものだった。両親を早くに亡くした彼女が弟や妹のために長年かけて貯めた200万円を悪い男に騙し取られ(幽霊会社を作ってお金を集め倒産させてドロン)、それを取り返しに来たのだという。“俺に任せとけ”と息巻く寅だが、周囲は“簡単にはいかない”と寅を諭す。「どうして簡単にいかねぇんだ!いいか、若い芸者が血の滲むような思いで貯めた金を騙し取りやがって、テメェはでかい家に住んでだ、ゴルフか何かやりやがって、それでも金は返さない。そんな筋が通らない話ってあるか?法律ってもんがあるだろうが、法律ってもんが!」「その法律ってやつがクセモノなんだ」。話し合いの結果、多少法律にも詳しいタコ社長が短気な寅の代わりにぼたんに付いていくことになった。だが、男を発見したものの、住んでいる高級マンションも自動車も経営する大きな料理店も全部妻や兄弟の名義になっていて、男は「俺は無一文だ」と開き直った。そして自分は裁判で負けないと分かっているので「出るとこに出よう」の一点張り。
肩を落として「とらや」に戻り、悔し涙を流すぼたん。おいちゃんは呟く「そいつだけじゃねぇ。そういうのは一杯いるんだよ。頭の良い奴はな、そうやって貧乏人を足蹴にして、法律の網の目をくぐって、テメェだけ美味い汁を吸ってやがるんだ」。激しく義憤にかられる寅。「いいか、さくら。明日の朝ここに刑事が来て“車寅次郎はあんたの兄さんか”と尋ねるかも知れねぇ。そしたらお前は“確かにそういう兄はおりましたが、8年前にキッパリと縁を切りました、今は兄でもなければ妹でもありません”、そう言うんだぞ。そうしねぇと、あの光男が犯罪人の甥になっちまうからな」「お兄ちゃん何の事かサッパリ分からないわ」「野郎、二度と表を歩けないようにしてやる。裁判所が向こうの肩を持つんなら、俺が代わりにやっつけてやる!ぼたん、きっと仇は取ってやるからな。あばよ!」と、男の住所も知らないのに飛び出した。さくらがぼたんに「ごめんなさいね、騒々しい兄で」と声をかけると、ぼたんは堰を切ったように号泣する。「さくらさん、あたし幸せや。とっても幸せ。もう200万円なんかいらん。あたし、生まれて初めてや…男の人のあんな気持ち知ったん。だから、すごく嬉しい」。

一方、寅は勢いよく飛び出した手前、手ぶらで戻るわけに行かず、青観の家を訪ると「ぼたんを助ける為に力を貸してくれ、売ってくるから絵を描いてくれ」と頭を下げた。ところが青観は歯切れが悪い。寅はたたみ掛けた「あの子を何とか助けてやりたいんだ。チョロチョロって描いて7万円。でっかい紙に丁寧に描けば高く売れる。俺はそれをぼたんに持たせて帰してやりてぇんだ」「気の毒だがそいつはできない。僕が絵を描くということは僕の仕事なんだ。金を稼ぐためのものじゃない。現金でなら用意する。幾ら必要なんだ?」「俺はゆすりたかりじゃないんだ、現金で受け取るわけにはいかないでしょう?チョロチョロっと描いてくれ」「君ね、絵描きが絵を描くってことは真剣勝負なんだよ。チョロチョロっと描けるか!」「何言ってんでぇ!家(とらや)に来た時、チョロチョロっと描いたじゃねぇか!右から左で7万円だよ。良い商売だなって思ったよ。絵を売って金を稼いで何で悪いんだ?高い金で売っ払うからこんなドデカい屋敷に住んでんだろう!」「売っ払うとは何だ。僕はいっぺんだって今まで自分の絵を売っ払ったことなんかないよ!いいか、僕の絵が…」「描かないのか!」「…断る」「結構だよ!結構毛だらけ猫灰だらけだよ、畜生!これだけは言っておくけどな、初めて上野の焼き鳥屋で会った時、こんな大金持ちとは思わなかったよ!身寄りのねぇ宿無しの爺さんだと思って、可哀相だと思って俺んちに連れてやったんじゃねぇか。多少迷惑は辛抱しても1ヶ月でも2ヶ月でも泊めてやっていいと思ってた。それを何だよ!働き者の芸者が大事に貯めた金を騙し取られて悲しい思いをしてるってのに、テメェこれっぽっちも同情してねぇじゃねぇか!テメェみたいな奴はこっちから付き合いお断りだい!二度とテメェのツラなんか見たくねぇよ!邪魔したな、馬鹿野郎!」。そう吐き捨てて走り去った。青観は呟く「…馬鹿野郎か」。

数週間後、再び旅に出ていた寅は、ぼたんの事が気にかかり龍野を訪れる。再会するなり、彼女は寅の手を引いて自分の家の中にあげた。「見て!分かる!?青観先生の絵や!」。そこには、額に入った赤い牡丹(ぼたん)の絵が掛けられていた!ぼたんは興奮して大騒ぎ。「ついこないだ送ってくれたんよ。私びっくりしてしもうて。添えてあった手紙にはな、“龍野では色々世話になったから君にあげる”とそれしか書いてへんのよ。でね、市長さんにこの絵を見せたん。そしたら市長さんもびっくりしはって、200万出すからこの絵を譲ってくれ言いはったん。けど、あたし譲らへん。絶対譲らへん!一千万円積まれても譲らへん!一生宝物にするんや!」。
その言葉を聞いて寅は外へ飛び出し叫ぶ「東京はどっちの方角だっ!?」。方角が分かると寅は静かに手を合わした。そんな寅を不思議そうに見つめるぼたん。近くの金魚屋の声や風鈴が聞こえる。「先生、勘弁してくれよ。俺がいつか言った事は悪かった。水に流してくれ。この通りだ。先生、ありがとう。本当にありがとう!」。

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“男はつらいよ”の脚本は安定して良作が多いが、なかでも『夕焼け小焼け』はその完成度の高さから、頭一つ突き抜けた“別格”の存在となっている。そして次の5点から異色作とも言える。
(1)寅が義憤から社会悪に立ち向かう…他編は寅や周囲の人物の恋愛騒動が中心。今作は法を悪用して弱者を踏みつける悪党との対決が描かれる。
(2)寅がマドンナに恋愛感情ではなく仲間意識を持っている…いつもは女性の前でしどろもどろになる寅だが、芸者ぼたんと他編に登場するドサ回りの歌手リリー(浅丘ルリ子)だけには、“俺たち”と仲間意識を持っており、とらやの人々を“素人衆”と呼んでいる。寅が全48作の中で“所帯を持とう”と言ったのは、ぼたんとリリーしかいない。心を完全に開いた寅の姿を見ることができる貴重な一編だ。
(3)寅やマドンナ以外の第3者の人生も描かれている…寅との交流を通してマドンナの人生を掘り下げることはあるが、今作では老画家・青観の人生も独立して描かれている(後述)。
(4)芸術論が語られる…寅と青観の会話は考えさせられる。“お金の為に芸術作品を生み出すわけじゃない”、これは多くの芸術家にとって譲ることの出来ないことだろう。しかし、人間の心を豊かにする為に芸術があるはずなのに、芸術至上主義に陥って大切な“情”を失っては本末転倒だと訴えている。  
(5)他作品と比較してキャストがめっさ豪華…青観画伯を演じているのは劇団民藝の創設者・宇野重吉(1914-1988)。実子の寺尾聰も脇役で登場しており、親子の共演が見られる珍しいシーンもある。悲しい運命をあっけらかんと笑い飛ばすマドンナ“ぼたん”を文学座の大地喜和子(1992年に48歳で事故死)、悪党を3代目“水戸黄門”役の佐野浅夫、そして青観の初恋の女性を伝説の女優・岡田嘉子(1902-1992)が演じている。岡田嘉子の人生は想像を絶するほど波瀾万丈だ。1936年、34歳で演出家の杉本良吉とW不倫。翌年冬、共産主義者の杉本は日中戦争への招集を逃れる為に、吹雪の樺太国境を超えソ連に亡命し、岡田も共に駆け落ちする。ところがソ連側は両名をスパイとして逮捕し、入国からたった3日で2人は引き裂かれて独房に入れられ、その後一度も再会できないまま杉本は1年半後に銃殺された。一方、岡田は劣悪な牢獄に約10年間も閉じ込められた。釈放後はモスクワ放送で働いていたが、1972年(70歳)、日本の支援者の活動を受け、35年ぶりに帰国する。その4年後に出演したのがこの『寅次郎夕焼け小焼け』だ。実に39年ぶりの映画出演となった。それから10年後、「今はもうソ連人だから落ち着いて向こうで暮らしたい」とソ連へ戻り、1992年にモスクワの病院で人知れず他界するまで2度と日本の土を踏まなかった(享年89歳)。

『夕焼け小焼け』の印象的なエピソードに、里帰りした青観が初恋の相手志乃を訪ねる場面がある。志乃との会話はこの2分45秒の短いシーンだけであり、2人の間に何があったかは詳しく分からず、会話から想像するしかない。そしてこの会話は他でもない岡田嘉子が言うからこそ、いっそう深みのあるものだった。以下、情景と共に紹介。
→志乃の家の縁側に座る青観。「僕の絵をたまには見ますか」「ええ、去年京都で個展をなさいました時、見に行きました」「そうですか。確かあの中にも、貴女を描いた絵があった筈だが…」「ええ…気が付いとりました」。夜の庭を前に茶をすする青観。「静かだな…」「あんまり静かなんも、独り暮らしには寂しゅうて…(笑)」。うつむく青観。庭で蛙が鳴き始める。「お志乃さん」。青観は彼女の方を向いて頭を垂れる。「申し訳ない」「どないして?」「僕は貴女の人生に責任がある」「昔とちっとも変わらしまへんなぁ、その言い方」「いや、し、しかし…僕は後悔してるんだ」「じゃあ…仮にですよ、貴方がもう一つの生き方をなすっとったら、ちっとも後悔しないで済んだと言い切れますか?」「……」「あたし、この頃よく思うの。人生に後悔は付きものなんじゃないかしらって。ああすりゃ良かったなぁという後悔と、もう一つはどうしてあんな事をしてしまったんだろうという後悔」。沈黙。志乃はそっと茶を片付け始める。青観は彼女に背中を向けハンカチで鼻を拭く。庭では闇の中で蛙が鳴き続けている。

この様なしみじみとした演出の一方で、繰り出されるギャグはハイペースで密度が濃い。実感として、他編と比較して3倍ほどコミカルなシーンがある(特に前半!)。メインの役者から脇役まですべての俳優がハマリ役で全編が見どころ。『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』、心からお薦めしたいッ!

※『夕焼け小焼け』はメインの俳優が既に他界されている。車寅次郎:渥美清(1928-1996)、ぼたん:太地(たいち)喜和子(1943-1992)※静岡県伊東にて深夜に車でバック中に海へ転落。同乗者4人のうち後部座席で泥酔していた太地さんだけが死去、車竜造(おいちゃん):下條正巳(1915-2004)、桂梅太郎(タコ社長):太宰久雄(1923-1998)※太宰さんの遺言は『葬式無用。弔問供物辞すること。生者は死者のため煩わらさるべからず』、御前様:笠智衆 笠 智衆(1904-1993)。
※男はつらいよ全48作で観客動員数は8000万人、興行収入900億円!
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《カジポン版・男はつらいよBEST10》※()内はマドンナ
1.第17作:寅次郎夕焼け小焼け(太地喜和子)…寅さんシリーズだけでなく、日本映画史上の大傑作!
2.第15作:寅次郎相合い傘(浅丘ルリ子)…“僕は一人の女性すら幸せにすることが出来ないダメな男なんです”という奴に、リリーが叩き付ける台詞がカッコいい!「幸せにしてやる?大きなお世話だ。女が幸せになるには男の力を借りなきゃならないとでも思っているのかい?笑わせないでよ」
3.第2作:続・男はつらいよ(佐藤オリエ)…寅は実母が生きていることを知り、ついに再会を果たす。寅もタジタジのキョーレツなおっかさん!山崎努が若くハンサム。
4.第1作:男はつらいよ(光本幸子)…記念すべき第1作。妹さくらと博の結婚式に出た寅のスピーチが感動的!
5.第10作:寅次郎夢枕(八千草薫)…マドンナは幼なじみ。寅の方がプロポーズされるという珍しい状況に(笑)。旅先で秋の寒村を独り行く寅が、仲間の死を知り弔うシーンが素晴らし過ぎる!BGMのビバルディもあって非常に叙情的。
6.第11作:寅次郎忘れな草(浅丘ルリ子)…リリー初登場!寅との会話に味がある。「あたしたちの生活ってさ、普通の人とは違うのよね。それも良い方に違うんじゃなくて、なんて言うのかな、あってもなくてもどうでも良いみたいな…つまりさ、“あぶく”みたいなもんだね」「うん。あぶくだよ。それも上等なあぶくじゃねぇやな。風呂の中でこいた屁じゃねぇけども、背中の方に回ってパチンだ」。クラシックの“G線上のアリア”“シェヘラザード”と共に映し出される北海道の雄大な景色もいい。
7.第9作:柴又慕情(吉永小百合)…失恋した時の寅の肩の落とし具合が、もう気の毒で気の毒で…。中盤のマドンナの昔の恋バナを聞いてる時の寅の脱力ぶりも神演技。
8.第25作:ハイビスカスの花(浅丘ルリ子)…初の沖縄ロケ。本土復帰からまだ8年しか経っておらず、山田監督は飛び交う米軍機と寅を同じフレームに収めた。「リリー、俺と所帯持つか」の名シーンあり!
9.第38作:知床慕情(竹下景子)…“あの”三船敏郎が寅さんと共演し、コミカルなシーンもこなしてしまうことに感動。竹下景子がキレイ。
10.第48作:紅の花(浅丘ルリ子)…本作公開の10ヶ月後に渥美清はガンで他界。体調不良をおしての執念の演技。最後の作品のマドンナがリリーというのも何かの縁を感じた。予定では49作で満男が泉ちゃんと結婚し、50作で寅はリリーと結婚したんだろうなぁ。
次点.第19作:寅次郎と殿様(真野響子)…「もし何か辛いことがあったら、東京は葛飾柴又の“とらや”に行きな」って良い台詞だな。飼い犬の名前に“とら”と付けるエピソードに爆笑。
第5作:望郷篇(長山藍子)…心を入れ替えた寅が堅気になり、豆腐屋に住み込みで真面目に働く。職人となった寅の勇姿!
第8作:寅次郎恋歌(池内淳子)…名優・志村喬が出演。寅との奇妙な友情が微笑ましい。

 
10.人間の條件('59)574分※9時間半
“日本映画の良心”と言われずっと観たかった本作品。テーマは「戦争の中にあってもヒューマニズムを貫くことが出来るのか?」。仲代達矢主演、小林正樹監督、全6部(DVD6枚)で上映時間が“9時間38分”という、日本映画史上、前代未聞のスケールで描く超ド硬派反戦ドラマ!第1部「純愛篇」、第2部「激怒篇」、第3部「戦雲篇」、第4部「望郷篇」、第5部「死の脱出」、第6部「礦野(あらの)の彷徨」で、公開時は3年連続で毎年2部ずつ上映された。中国(満州)に渡った主人公・梶がたどった1943〜45年の2年間を描く。

第1&2部の舞台は南満州の鉱山。梶が就職した日本企業は、中国人労働者に過酷なノルマを負わせて牛馬の如くこき使っていた。梶は「労働条件の改善が効率アップに繋がる」と自説を主張し、実際に梶が担当した坑道では産出量が増えていく。ある日、600人もの戦争捕虜が人手として軍部から送り込まれるが、彼らは捕虜といっても兵士ではなく、抗日地域の住民というだけで捕えられた一般人だった。軍の命令は「殺しても良いが脱走させないこと」。“故郷に帰して欲しい”という捕虜の声に胸を痛める梶。7人の捕虜が脱走を計画して捕らわれ、見せしめの為に斬首刑に処せられることが決定した時、梶は助命の為に動くべきか苦悩する。妻・美千子は“中国人の味方をすると憲兵に睨まれる”と夫に自制を求めるが、梶は「いま行動しないと、俺は人間じゃ無くなってしまうんだ!」と7人を救う為に奔走する。この救出劇の顛末は感動的なので映画を観て欲しい。名セリフ「人間の隣りには人間がいる」(人間の心を失わない者の側には必ず同じような人間が現れる)もここで登場。その後、梶は憲兵からアカとして凄まじい拷問を受け、対ソ連の最前線へ送られることになる。

第3&4部は非情な軍隊生活。軍という組織は兵士から人間性を奪う。新兵の梶は古参兵から徹底的にいびられ、物事の筋を通そうとしては殴られる。同期の小原二等兵(田中邦衛)はいじめに耐えきれず自殺した。梶は“小原を殺したのは上等兵の連中ではなく「軍隊」そのものの非人間的な体質だ”と激怒する。やがてドイツが降伏し、国境からソ連の戦車隊が進軍してくる。最強と言われていた関東軍はあっけなく全滅。梶は敗残兵として戦場に取り残された。

第5&6部は敗戦の混乱。“妻の下へ帰りたい”という一心で大陸を南下する梶。途中で他の敗残兵や避難民も加わり20人ほどになるが、密林で方向を見失い、餓死、狂死、自殺する者が続出。海岸線に出た時は僅か3名になっていた。結局、梶はソ連軍の捕虜となり極寒の収容所へ送られる。飢えと寒さで捕虜達は次々と病気になり命を落としていくが、収容所の中でさえ日本軍の階級を振りかざして若年兵を虐待する上官がいた。このいじめで、ずっと苦楽を共にした戦友が衰弱死。梶は怒りを爆発させ上官の首を絞め絶叫する「貴様は死ねッ!貴様のようなヤツが精算されるまでは時間がかかり過ぎるんだ!その間に良いヤツが、まいっちまうんだよォオオ!!」。最終的に梶は捕虜収容所を脱走し、たった1人で地の果てまで続く雪原を歩き続ける。「美千子、待っていてくれ、俺は必ず君の下へ帰るぞ」。そして物語は伝説のラストへ…。9時間半も観ていると、映画を鑑賞していることを忘れて、何もかも梶と同時体験しているような錯覚に陥った。戦争で周囲の人々が人間性を失っていく中で、文字通り“人間の条件”となる良心を失わんと、心の声に従って生き続ける梶の姿は強烈に胸の奥に焼き付いた。戦友の丹下一等兵の台詞「会いたい人には会えるものだ」がまた泣ける。梶の人生を見届けたい方はぜひ御覧下さい。

※原作は実際に満州戦線に従軍した五味川純平の小説。体に雪が積もる例のシーンは雪原ロケ、つまり本物の雪で撮影されたとのこと。凍傷の一歩手前だったらしい。仲代達矢いわく「死ぬ前に一番印象的だった作品を訊かれたら『人間の條件』と答えるでしょうね」。

 
11.若者たち('67)87分
「人間はこんなモノより偉いんだ!」とお金を燃やすシーンで、それを見た兄役の田中邦衛が失神する場面は激インパクトがあった。この作品は、もともとTVの人気連ドラだったものが、あまりにも痛烈な社会批判を毎週展開した為、恐れをなした会社上層部によって打ち切られ、ならばとスタッフが執念で映画化したいわくつきの作品だ。87分の短い上映時間内に、学生運動、学歴差別、被爆者差別、農村問題などが続々と描き出される。テーマは重いが画面にはエネルギッシュな力がみなぎっており、時間を忘れてのめり込むこと確実だ。今でも主題歌の“君の〜行く〜道は〜果てし〜なく〜遠い〜”というフレーズを耳にすると目に熱いものが込み上げてくる。

  DVDは3部作がセット
12.どですかでん('70)126分※クロサワ
黒澤初のカラー映画。貧しい下町を舞台に、別々に進行していた8つのエピソードが、最後に次々と終局をむかえていくクライマックスは圧巻の一言!廃車に住む貧しい親子、哀しい過去を胸に秘める中年男、電車馬鹿、浮気性の妻を持つ男、パートナーを交換する2組の夫婦、その他多数の登場人物が全員見事に描き分けられている奇跡の演出。人々は限りなく優しく、感動せずにはいられない。いつも妻の尻に敷かれているカカア天下の男が語る愛の言葉は、印象だけで“悪妻”と決め付けていた僕をガツンといわせた。クロサワ映画ならではのヒューマニズムが炸裂!

  電車ゴッコに夢中の六ちゃん
13.雨月物語('53)97分
僕が黒澤に続いてリスペクトしているのが溝口健二監督。『雨月物語』は白黒映画の中で、日本映画史上最も美しい作品だと言われている(撮影は宮川一夫。僕はカラーより美しいモノクロ画面を初めて観た)。すべてのカットが芸術。戦国時代を舞台にした霊の物語という内容もあって、この世で撮られたものとは信じ難く、画面に生命を吸い取られる気がした。特に有名なシーンは湖を小船で渡る場面で、“幽玄”という言葉はまさにあの場面の為にあるようなもの。原作を書いた伝奇作家・上田秋成も、さぞかしあの世で感嘆していることだろう。ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。

  涙の絶版
14.奕(ばくち)打ち・総長賭博('68)95分
ヤクザを美化していない、素晴らしいヤクザ映画。目に見えぬ大きな負のエネルギーが、全登場人物の運命をわしづかみにして奈落の底へ引きずり落とす…まるでギリシャ悲劇を観ているような、そんな作品だった。映画解説本に“東映仁侠映画の最高傑作”と書かれていたが、まさしくその通り!鶴田浩二の「俺はただのケチな人殺しだ」というセリフがあまりに痛ましい。ぜひ多くの人に観てもらいたい!

 
15.椿 三十郎('62)98分※クロサワ
“痛快”という言葉はこの映画のためにあるようなもの。陰謀、裏切り、友情、決闘、その全てが入っている!また、それらをつなげるのがクロサワ流のギャグ、ギャグ、ギャグ!緊迫したシーンとユーモラスなシーンのコントラストが絶妙で、その演出は神懸かり的としか言いようのないものだった。ラストの有名な一騎打ちのシーンは凄絶の一語!

 
16.沓掛時次郎・遊侠一匹('66)90分
各地を旅する渡世人・沓掛時次郎は一宿一飯の義理の為に、憎くもない初対面の男と決闘する羽目になり、相手を殺してしまう。その男の遺言は「妻と子を頼む」だった。残された家族の為に奔走する時次郎。あまりに長谷川伸の原作が素晴らしいので、本作の登場以前に5回以上も映画化されてきた。そしてこの'66年版以降リメイクされてないということは、これが決定版となったからだ。中村錦之助の寂しい笑顔が胸に突き刺さる。

 
17.生きる('52)143分※クロサワ
「人を憎んでいる暇はない。わしにはそんな時間はない。」
主人公は30年無欠勤という市役所の公務員。書類に判を捺すだけの無気力な日々を送ってきた。だがある日、自分が胃ガンで余命わずかということを知る。「生きた証を残したい」。彼は下町の人々が求めていた児童公園の建設に命を燃やす。土地の利権を狙う悪徳議員やチンピラがどんな脅迫をしようと、死を前にした主人公には通用しなかった--。巨匠黒澤が生きる姿勢を人々に問いかける珠玉の名作。

 
18.仁義なき戦い('73)99分
なんというパワー!画面から登場人物のエネルギーがほとばしっていた。日本の暴力団抗争史上、最も犠牲者を出した広島ヤクザ戦争の当事者が記した獄中日記の映画化。手持ちカメラで撮られた荒々しい画面は、冒頭から僕を完全に圧倒した。この作品で『ヤクザ映画』に対する偏見が一掃された。この映画はタイトルに“仁義なき”とあるように、ヤクザ世界を美化せず、卑怯で己の利益ばかり追う凄まじい裏切りを描いている。終始固唾を飲んで成り行きを見守っていた。他の任侠モノも、この映画と出会っていなかったら観てなかったと思う。菅原文太が最高にカッコイイ。“男弁”ナンバーワンは広島弁に決定!

 
19.羅生門('50)88分※クロサワ
ひとつの事件に対し、登場人物の数だけ“真実”があるというこの作品は、誰が嘘をついているかということより、全員が信じ込んでいる、いや、信じていたい“本当のこと”を喋っている怖さがあった。“真実”など人間の間では最初から存在しない…自分は恐怖のズンドコに落とされた。一方、自然の陽光をとらえた宮川一夫のカメラは限りなく美しく、その中で演じられる地獄絵巻との対比が効果的だった。ボレロ風のBGMも作品の雰囲気に合っていた。敗戦から5年目にしてアカデミー賞とヴェネチア映画祭をダブル受賞し、世界に日本映画の存在を知らしめた!

 
20.風の谷のナウシカ('84)116分
世界が炎に焼き尽くされた大戦後の人類再生の物語。壮大なスケールで人間の業を描いた宮崎アニメの最高傑作。名セリフもテンコ盛り。ユパさまやクシャナの側近クロトワ、谷のじいさん連中まで、どんな脇役もキャラがしっかり立っているのが見事。アニメーションとしての技術的な面でも傑出していた。劇場で初めて動く“王蟲(オーム)”を観た時、その実写の昆虫のようなリアルな動きに館内が騒然となったことを思い出す。ナウシカの乗るメーヴェが風に舞う優雅な動きは、日本中のアニメーターが勉強の為に、ビデオテープが擦り切れるまで観たという(ちなみに、人気作曲家・久石譲がブレイクしたのもこの映画だ)。

※宮崎駿「ジブリを作ったときの日本のことを思い出すとですね、浮かれ騒いでる時代だったと思いますよ。経済大国になって、日本はすごいんだっていうふうにね、ジャパンイズナンバーワンとかね。それについて、ぼくはかなり頭にきていました。頭にきてないと『ナウシカ』なんか作りません」

 
21.鴛鴦歌合戦('39)69分※おしどりうたがっせん
戦前の抱腹絶倒・時代劇ミュージカル!時代劇なのにミュージカルという異色の設定が、すでに高順位の要素を含んでいる。製作された'39年といえば、映画界も戦争を賛美する国策映画一色になりつつあった時代。そんな中で全く軍国主義の匂いを感じさせない楽しいミュージカルが生まれた。どの歌も良いナンバーだったけど、『僕は陽気な殿様』『娘えらいぞよく言った』『な、な、な、なんです』は特に楽しく、本気でサントラが欲しくなった!黒澤作品で有名な名優・志村喬までが歌いまくっている。監督はマキノ正博。

 
22.用心棒('61)110分※クロサワ
練りに練られた台本の息もつかせぬ展開に脱帽!つむじ風が吹きすさぶ宿場を野良犬がうろつくファースト・シーンから、いきなり作品世界に引き込まれる。卑劣なやくざ衆に屈せず、肩で風を切って我が道を行く主人公が、べらぼうにカッコ良い!最後の「あばよッ」は、映画史上最もイカした立ち去り方だ。文句なしにオモロイ傑作時代劇!

 
23.パッチギ('04)119分
辛口トークで知られる井筒監督が手がけた、青春のマグマが煮えたぎる超パワフルな映画。パッチギとは“頭突き”の意味。舞台は1968年の京都。日本人の男子高校生が朝鮮学校の女の子に恋をするが、その娘の兄は日本人との喧嘩にあけくれる朝鮮学校の番長だった---。宣伝コピーは“日本版ロミオとジュリエット”。北朝鮮問題もあるなか、今のタイミングで在日社会を取り上げた井筒監督の勇気に感服。世間の偏見や慣習よりも、若い“恋”のエネルギーの方が巨大なパワーということを描き切った。民族の壁を乗り越えて想いを届けようとする松山康介の演技がめちゃくちゃいい。しかも、暴力で何かを変えようとするのではなく、「イムジン河」という歌によって心の壁を取り払っていくのがグッド(“イムジン河”は南北朝鮮が和解する日を夢見る歌)。この映画の爽やかさは彼の嫌味のない素朴な演技によるところが大きい。

時代設定上、劇中には学生運動、ベトナム戦争、キング牧師の暗殺、様々な話題が出てくる。中でも民族差別を受けた朝鮮人の老人(笹野高史)が日本人の若者に「お前らは何にも知らん!」と叫ぶシーンは、鬼気迫るインパクトがあり後々考えさせられる。タブーに触れたり政治的と見なされることを恐れるあまり、現実逃避のように恋愛映画やホラー映画に走る昨今の邦画界にあって、在日朝鮮人という政治的なテーマに真正面からぶつかりながら、同時に爽快感のあるストレートな青春映画に仕上がっているのは圧巻。残念なのは前半から中盤にかけてキツい暴力シーンが何回か出てくること。若者の抑え切れない活力を表現しようとしてるんだろうけど、あれはやり過ぎだと思った。
とにかく、説教臭いセリフがあっても、そんなことは気にならないほど作品全体に勢いがあり、立派なエンターテインメント作品になっているのがスゴイ!(ヒッピーのオダギリ・ジョーはチョイ役なのに存在感ありすぎ、笑)。
【ネタバレ文字反転】
親友の棺が入らず質素な朝鮮人村の戸を叩き壊す場面から、橋の上での雄叫び&ギター粉砕、鴨川を挟んでの日本人学生と朝鮮学校生徒の決戦、ラジオの生放送に至るラストの流れは神がかっていた。半島を分断する38度線と鴨川を見立てて「イムジン河」を流す演出は、対立の無意味さがヒシヒシと胸に伝わる説得力があり、喧嘩と時を同じくして双方の血が混ざった赤ちゃんが誕生する展開に激涙。歌と映像でたたみ掛けるこのクライマックスは日本映画史上に残る名場面だと思う!(キネマ旬報第1位にも納得)※キョンジャ役の沢尻エリカはこの後有名になった。
最近の風潮で僕が一番危険に思うこと。それは、『ひとくくり』と『思い込み』だ。どこの国にも善いヤツもいれば悪いヤツもいる。それは日本だって同じだ。それなのに、「だから○○人は…」と、あまりに“ひとくくり”にする意見が多すぎる。また先入観という“思い込み”に縛られて「こうに違いない」と、違う角度から相手を見ようとしなくなっている。意見の違いを一方的に批判するだけで、なぜ相手が異なる意見に至ったのか、その経緯を想像しようとしない。こうした閉鎖的・排他的な考え方には、僕は絶対に反対だし受け入れられない(それでも自分自身、反省することは多いけれど)。

 
24.切腹('62)108分
江戸時代、貧乏な浪人が大名屋敷を訪れ、切腹の為に庭を借りようとする“おしかけ切腹”を行なう者がいた。これは本当に腹を斬るつもりはなく、先方が同情して金品を授けてくれるのをアテにした行為だった。劇中の浪人も病気の妻や家族を養うために“おしかけ切腹”をするが、いじわるな相手に「じゃあここで切腹せよ」と命じられる。死ぬ気はないのに、“武士に二言はない”というメンツから切腹するハメになる。しかし、極貧ゆえに既に刀は質に入れており、鞘(さや)の中にあるのは竹光(たけみつ、竹の刀)だった…。竹光で行う切腹はなかなか腹に突き刺さらなく壮絶な展開に。
※カンヌ映画祭で絶賛され審査員特別賞を受賞した。同映画祭では女性観客が切腹シーンで卒倒して騒ぎになったという。

 
25.心中天網島('69)103分
ス、ス、スゴかった。一組の男女が心中へ向かって転げ落ちていく様が、呼吸困難になるほどの緊張感の中で描かれていた。この作品は危険だ。激愛に溺れた2人は、ワクワクしながら、いそいそと死のうとしている。彼らは、ともかく2人一緒に死ねることが嬉しいのだ。何か観てるうちに心中が羨ましくなりそうだが、殺しのシーンはそんな甘い感情が吹き飛ぶ凄絶さ。原作は近松門左衛門、文楽では曽根崎心中と並ぶ超人気演目だ。

 
26.リリイ・シュシュのすべて('01)146分
「自分で遺作を選べるなら、これを遺作にしたい」監督の岩井俊二にこう言わしめた傑作青春映画。主人公はいじめを受けている少年。だが、この映画は“いじめ”そのものがテーマではない。あぶり出されたものは『閉塞感』だ。それも、側で死がポッカリと口を開いて待っている最悪の閉塞感。誰もが多かれ少なかれ14歳前後に体験してきたであろう、あの恐ろしい行き詰まりだ。学校や家の他にも違う世界があることを、大人になった今では知っているけど、あの時代はすぐ目の前の生活圏しか見えなくて、本当に窒息寸前の毎日だった。逃げ場のない空間でもがいていた日々は、成長と共にいつの間にか過去になったが、過去になる前に死を選ぶ者もいる。“自分はたまたま生き延びたんだ”---映画を観終わって、最初にそう思った。 ★もっと詳しく

 
27.フラガール('06)120分
感動作のレビューはとても難しい。ここで“泣いた”と書けば書くほど、気持が引いてしまう人がいるだろうし、観る人も“これが感動のシーンだな”と妙に冷静になってしまう場合があるからだ。しかし、あえて書こう。大泣きしたと!なぜなら僕の感想ごときは瞬時に吹っ飛ぶほど、この作品には圧倒的な力があるからだ。クライマックスだけが“泣き所”ではない。本作は中盤からラストまで「丸々1時間以上」もずっと泣き所。客席では斜め前に座っていたオジサンの号泣を皮切りに僕の全方位で爆涙。

物語は実話。昭和40年の東北の廃れゆく炭鉱の町が舞台。石炭の需要が減る中、炭鉱会社は生き残りをかけて大衆レジャーセンター“ハワイアンセンター”を創設する。映画の主役は施設でフラダンスを踊ることになった炭鉱労働者の娘たち。盆踊りしか知らない素人の集団が、様々な挫折を超えてステージに立つまでを描いている。これだけを書くと“また邦画にありがちなダメ集団のサクセス・コメディ?”と閉口するかも知れない。実際僕も“どうせワンパターンだろう”とナメていた。しかし、巷のスポ根コメディと異なるのは、炭鉱の町がリストラによる大量解雇で絶望に包まれているという歴然とした事実。彼女達は趣味ではなく親兄弟の為に、生きる為に踊り始める。“あ〜楽しかった”だけの喜劇じゃない、登場人物の人生を感じるヒューマニズムに満ちたドラマなんだ。

また、劇中のフラダンス・シーンも素晴らしい。ウクレレに合わせた優雅なダンス以外にも、フラには超ド迫力のカッコイイ踊りもあることを知った。女性陣がメインなのに恋愛エピソードがゼロというのも新鮮。さらに演じる役者の全員がハマり役。蒼井優、松雪泰子、富司純子、豊川悦司、しずちゃん(!)、皆が魅せる演技をしていた。特に蒼井優の笑顔は反則(無敵すぎる、笑)。彼女が笑うと劇場の空気が変わった。松雪泰子が銭湯でオッサン相手に大暴れするシーンは度肝を抜かれたし、フラの練習をする娘を見つめる富司純子の無言の演技は神がかっていた。『フラガール』。いかにベタな展開であろうと、実話の持つパワー(説得力)は心を鷲掴みにするデス。
※「ストーブ貸してくんちぇ!」は滝泣き。「変わってしまったのは時代の方さ」もグッド。

 
28.ゆきゆきて、神軍('87)122分
天皇の戦争責任を問い続けている一匹狼、奥崎謙三に肉迫したドキュメンタリー。カメラは彼のストレートかつ過激な行動を徹底的に追う。後半、ニューギニアでの人肉事件の真相が明るみになる過程は戦慄をともなう。『出る杭は打たれる』という言葉があるが、『出過ぎた杭は打たれようがない』という真理を自分はこの映画で発見した(彼はかつての上官を襲撃して服役、'05年6月16日に他界)。

 
29.リーベンクイズ/日本鬼子('00)160分
これは中国を侵略した皇軍兵士(日本兵)たちの、加害証言を集めた記録映画だ。リーベンクイズとは日本鬼子(日本の鬼たち)の中国語読みで、中国の人々は日本兵のことをそう呼んでいた。「被害」の体験は話しやすいが、「加害」の体験は話し難いため、知られずにいた戦場の実態を、14人のおじいちゃんが勇気を出して語ってくれた。当時の肩書きは下級兵士から指揮官、軍医まで様々だ。14名約3000分の告白が、2時間40分の上映時間に集約されて、スクリーンに映し出された。その証言の内容は、人体実験、無差別砲撃、食料・家畜の略奪、捕虜の試し斬り、放火、そして婦女子への強姦、まさに“鬼”そのものだった。同じ人間がそこまでやれるのかと絶句した。

誤解のないように記しておくが、この映画の製作意図は、戦犯を糾弾するものでも、謝罪を要求するものでもない。描かれたのは、戦場に着くまでは家庭の父であり息子であった、ごく普通の平凡な人間が、軍隊の歯車に組み込まれる過程で、いかに人間的な良心を失っていくのか、そうした人間の『心の弱さと狂気』だ。悲劇を強調するような“再現シーン”はいっさいない。客観的な材料だけ提供し、“あとは観客が考えて欲しい”という姿勢だ。
証言が残酷すぎると言う人もいるだろう。それについては、「実際に残酷なことをオブラートに包んで、ただ殺しましたでは、何回観たって衝撃は感じない」というのが監督の意見だ。
※ビデオにもDVDにもなっていない。せめてTV放映があれば…でも、この内容では厳しいだろうなぁ。
※〔追記〕な、な、なんとーッ!公開から14年を経て、2014年11月7日に奇跡のDVD化!うおおおお!

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30.紅の豚('92)91分
宮崎アニメといえば少女の成長物語が多いが、本作品は主人公が36歳の中年男という異色作。元々、日本航空の機内映画として企画された作品で、国際線のビジネスマンを対象にし、「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のためのマンガ映画」(宮崎氏)をコンセプトにしていた。当時51歳の監督は「同世代に向けて作った」とも語っている。子どもには大空を飛行艇が飛び交う航空ドタバタ活劇に見えるが、大人にはユーモアの中にも人生の哀愁や反戦・反ファシズムのメッセージが静かに伝わってくる傑作だ。

有名な作品なので完全ネタバレで物語を紹介。
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物語の舞台は世界が深刻な不況に飲み込まれていく1929年頃のイタリア。第一次世界大戦で伊空軍のエース・パイロットとして活躍したマルコ・パゴッタ大尉=通称ポルコ・ロッソ(声/森山周一郎)は、戦場で多くの戦友を失い、心に深い傷を負う。この戦争の前、ポルコと親友ベルニーニは幼馴染みのジーナ(声/加藤登紀子)を共に愛していたが、ポルコは自分の気持ちを胸にしまい、友に譲る形で結婚を祝福した。だが、オーストリア・ハンガリー海軍機(初の水上戦闘機)との戦いで、自分だけが生き残りベルリーニが死んでしまったことから、親友やジーナに対して強い自責の念を感じる。また、“エース・パイロット”の称号はそれだけ殺人を重ねたということであり、ポルコは自分が人間であることに耐えられなくなり、軍を抜ける時に自ら“豚”の姿になるよう魔法をかけてしまう。

戦後、ポルコは母国を離れてアドリア海に浮かぶクロアチア領の無人島の入り江に1人で暮らし、付近を荒らし回る海賊ならぬ“空賊”退治を生業(なりわい)とする賞金稼ぎとなった。ただし戦争ではないから殺しはせず、相手が疲れたところでエンジンを2、3発撃って不時着させていた。愛機は真紅のボディの飛行艇「サボイアS.21」(実際のモデルは「マッキ M.33」)。時折、小島でホテル・アドリアーノを経営しているジーナの元を訪れ、彼女の歌を聴き旧交を温めた。ジーナはベルリーニの死後、ポルコと共に青春時代を過ごした飛行機仲間と2度結婚したが、みんな空で散ってしまった。ポルコは今でもジーナを愛し、彼女もポルコを大切に想っているが、不器用な2人はそれを表に出せない。だが、ジーナは自身と賭けをしていた。夜しかアドリアーノに現れないポルコが、もし昼間に彼女が庭にいる時に現れたら「今度こそ愛そう」と決めていた。

世界恐慌後、イタリアではムッソリーニ率いるファシスト党が勢力を拡大し、急速に全体主義へ向かっていた。ポルコが賞金を受け取りに街の銀行へ行くと、「愛国債権などをお求めになって民族に貢献されては」と銀行員。ポルコは「そういう事はな、人間同士でやんな」と一蹴する。通りでは戦車がパレードをしている。続けて武器屋を訪れるポルコ。「地上(おか)は随分騒がしいな」「そうかい?また政府が変わるのかね。じゃ、あんたらもじきに非合法になるな」「豚に国も法律もねえよ」「へへへっ、ちげぇねぇ!」。
そんなある日、機体のオーバーホールの為にミラノに飛んでいると、濃紺の水上機「カーチスR3C-0」の襲撃を受ける。それは、ポルコによって散々痛い目に遭ってきた空賊達が、刺客として雇い入れたアメリカ人の名パイロット、ドナルド・カーチスによるものだった(カーチスは水上レースのシュナイダー・カップでイタリア艇を2年連続で破っている)。エンジンの不調で撃墜されたポルコは、旧知の飛行艇製造会社「ピッコロ社」へ修理を委託する。工場のオヤジはチューンナップされた新しいエンジンを取り付け、17歳の孫娘フィオが翼など全体を設計した(彼女の父親はポルコと同部隊)。
修理が完了するまでミラノに滞在するポルコに、かつての戦友で今は少佐に出世したフェラーリンが忠告する。「お前には反国家非協力罪、密出入国、退廃思想、ハレンチで怠惰な豚でいる罪、ワイセツ物陳列で逮捕状が出される」「グハハハ」「ばか野郎、笑ってる時か。なあマルコ、空軍に戻れよ。今なら俺達の力で何とかする」「ファシストになるより豚の方がマシさ」「気をつけろ、奴らは豚を裁判にかける気はないぞ。あばよ、戦友」。その後、ポルコはファシストの秘密警察の追跡を受け、ピッコロ社を包囲されながらも、危機一髪のところで愛機を引き取って夜明けの空へ飛び立った。このフライトには整備(再調整)のためフィオが同乗した。空軍が網を張っていたが、フェラーリンが抜け道を教えてくれた。彼はフィオを見て「豚に真珠だ」とジョーク。

アジトに戻ったポルコを待ち伏せていたのは、“空賊連合”(8団体)の面々。彼らはポルコの愛機を手斧で破壊しようとした。荒ぶる空賊達を「それでも飛行艇乗りなの!?」と諫めたのはフィオだった。「私ね、小さい時から飛行艇乗りの話を聞いて育ってきたの。飛行艇乗りの連中ほど気持ちのいい男達はいないって。お爺ちゃんはいつも言ってたわ。それは海と空の両方が奴らの心を洗うからだって。だから飛行艇乗りは船乗りよりも勇敢で、陸(おか)の飛行機乗りより誇り高いんだって。彼らの一番大事なものは金でも女でもない、名誉だって!」。空賊達は飛行艇を破壊しようとした事を恥じ、このやり取りを聞いていたカーチスはフィオに一目惚れ。成り行きからポルコとカーチスはフィオを賭けて再試合することになった。決戦の日、多くの航空ファンが両者の対決を見守った。死力を尽くして戦う2人。大空中戦を繰り広げるも、カーチスは弾切れ、ポルコは弾詰まりで決着がつかず、最後は拳での殴り合い。ダブル・ノックダウンになったところにジーナが駆けつけ、「マルコ聞いてる?あなた、もう一人女の子を不幸にする気なの?」と一喝。ポルコは立ち上がり死闘を制した。
エピローグ。その後、第二次世界大戦を経て、プロペラ機はジェット機になった。フィオが夏の休暇をアドリアーノに過ごしに来る。ジーナのプライベート・ガーデンの近くには、紅の飛行機が太陽の光を浴びて浮かんでいた。

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1984年に43歳で『風の谷のナウシカ』を発表した後、『天空の城ラピュタ』(1986)、『となりのトトロ』(1988)、『魔女の宅急便』(1989)と、1〜2年間隔のハイペースで作品を発表してきた宮崎監督が、3年の歳月を経て発表した『紅の豚』。この作品をただの派手な空中アクション娯楽映画と勘違いしている映画評論家のなんと多いことか。むろん、そうした見方も可能な作品ゆえ間違ってはいない。でも、何の為に舞台設定をあえてファシストが台頭する時代と場所にしたのかを考えると、一気に作品世界が深化していく。宮崎監督は額に青筋を立てて政治的メッセージを映画に込める人ではないけれど、「子どもたちをナショナリズムから解放したい」と公言している。ポルコは日増しに独裁者ムッソリーニの力が大きくなっていく祖国に嫌気が差し、海を挟んだ隣国の島に暮らし、ファシズムの狂気に参加することを拒否している。主人公が「ファシストになるより豚の方がマシさ」と言い放ち、“反国家非協力罪”で秘密警察に追われているアニメなど他に聞いたことがない。“ポルコ・ロッソ”の意味は、ポルコが“豚野郎”、ロッソが“赤”。つまり「アカの豚野郎」。ファシズムの時代、イタリアでは共産主義者を罵倒する言葉でこう呼んでいた(卑猥なスラングの意味もあるという)。

ジーナ役の加藤登紀子さんは、収監中の学生運動の指導者と獄中結婚したことで知られ、ジーナが劇中で歌う『さくらんぼの実る頃』は、1871年にパリで民衆が蜂起して革命政府(パリ=コミューン)を樹立した頃の民衆歌だ。
エンディングでは加藤さんの歌『時には昔の話を』に乗せて、22枚のイラストが映し出される。設定資料によると各々の絵の題名は、「労働者万歳」(4枚目)、「プロレタリアート(労働者階級)」(5枚目)、「連帯」(13枚目)等々。バリケードを作ってストライキをしているものある。歌詞は「揺れていた時代の熱い風に吹かれて体中で瞬間(とき)を感じた」「お金はなくても何とか生きてた。貧しさが明日を運んだ。小さな下宿屋に幾人も押しかけ朝まで騒いで眠った。嵐のように毎日が燃えていた。息が切れるまで走った」 と、学生運動や青春の挫折を彷彿させる内容になっている。
宮崎監督は60年安保世代で、若い頃は東映動画労働組合の書記長だった。心情左翼を自認し、明確な反戦思想を持っており、『紅の豚』公開前年の湾岸戦争に際して、「それでも戦争は正しくない」という反戦メッセージの意見広告をニューヨーク・タイムズに掲載した文化人の1人に名を連ねた(呼びかけ人は小田実ら)。『紅の豚』ではポルコが誰も殺さないことをセリフでも強調していた。これは湾岸戦争の「空爆」と際立つ対比になっている。反権力を象徴する歌姫の加藤さんと“ポルコ・ロッソ”の仲の良さも背景を知ると興味深い。本作について「30歳以下の男には分からない作品」と監督が語ったのは、公開30年前は監督の大学時代とピッタリ重なり、後に学生運動が死語になっていたからではないだろうか。
こうしたことは、一定の世代にはピンとくるけど、メッセージ性を持つセリフがサラッと語られており、左翼的なものを強く連想させる演出が無いため、公開時は“少年の心を持った大人達”の冒険活劇として受け止められた。

「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」など、印象的なセリフやカットの多い本作品。冒頭でポルコが海に浮かぶ愛機に乗り込むシーンで、ポルコの体重分だけ水中に沈むリアルな挙動に驚き、早くも僕は身を乗り出していた。コバルトブルーの空とアドリア海は見ているだけで至福。眼下を航行する貨物船を見ながら黄金に染まる海を飛ぶシーンの心地良さに恍惚となる。工場で女たちが飛行艇を作る場面では、真っ先に昼食(パスタ)の用意から始まり生活を感じた。しかし、最も心に残ったのは、ポルコが第一次世界大戦で目撃したという、戦死した無数のパイロットたちが作る飛行機雲。“雲”の一部になろうとするベルリーニ(2日前にジーナと結婚したばかり)に向かって「ベルリーニ、行くな!ジーナをどうする気だ!俺が代わりに行く!」と叫ぶが彼は行ってしまう。それを“神様に召された”と考えるフィオに対し、「あそこは地獄かも知れねえ」と答えるポルコ。美しくも恐ろしいシーンだ。

カーチスとの一騎打ち後、ミラノに帰されるフィオがポルコに別れのキスをすると、ポルコが人間の姿に戻ったような描写がある。宮崎監督いわく「人間に戻ってもまたすぐに豚に戻り、10日くらい経つと飯を食いにジーナの前に現れる」。普通のアニメ作家なら、子どもに夢を与えるため、ウソでも“キスで魔法が解けました。めでたしめでたし”とするだろう。“すぐに豚に戻る”というところに、豊かな想像力を持っていながら世の中をシビアに捉えている監督の視点が垣間見える。ただし、宮崎監督はドライに突き放してはいない。食べるという行為は生きている証。“10日もすれば飯を食いに現れる”ことに、人間(豚)の生命力の強さ、ポジティブなタフさを感じさせる。安易にハッピーエンドを語る大人よりよほど信用できる。
リアルな演出は些細な会話にも出てくる。例えば、機体をリニューアルした後の給油シーン。イタリアの3倍もする燃料代に“ボラレてる”と怒るフィオをポルコはこう諭す。「ボッてるんじゃねえ。持ちつ持たれつなんだよ。海も陸(おか)も見かけはいいがな、この辺りはスッカラカンなのさ」。この短い会話に、不況の中を生きる人々、“古き良き時代”という言葉だけで形容できない、現実の重みがある。

宮崎アニメの魅力である、憎めない悪党たちにも触れておきたい。本作でも、陽気でお馬鹿なアメリカ野郎のカーチス(ポルコがジーナの気持ちを知ったのはカーチスのおかげ)、冒頭で子ども達を人質にとる空賊マンマユート団(“ママ怖いよ”団)の「15人もいますけどみんな連れていくんですか?」「仲間外れを作っちゃかわいそうじゃねーか!」というやり取り、ジーナの前で“良い子”にしている様子など、思わず噴き出しそうな場面がいっぱいあった。監督が頭の中に作り上げた「空賊」という世界観が、違和感なく見事に描かれている。登場人物がみんな“自分”を持っていてカッコいい。無人島のビーチでワイン片手にラジオで音楽を聴き、ジタンの煙をくゆらせ、気ままに空を飛ぶ、ポルコの“自由と放埒の日々”は男のロマン。
公開時に劇場で見ていて感じたのは、大人の男のダンディズムやファシストの時代を描いているのに、随所で子ども達が楽しそうに笑っていたこと。監督と同世代の人が楽しめて、チビッコも楽しめる奇跡のような映画。
本作からは“大好きな飛行艇を描かせてくれ!”という情熱、描きたいものを描いたという作り手の幸福感が画面の隅々から伝わってきた。宮崎監督には続編『ポルコ・ロッソ:最後の出撃』の構想があり、愛機まで決まっているが、「これを作るのは道楽になるので周囲が許さない」とのこと。それくらいの自由は日本国民として与えたいし、国費からまわしても僕的には全く問題ない。宮崎監督は70歳になった。映画が制作できるのは健康なうちだ。晩年の黒澤監督が制作費不足で映画を撮れなかったことを思い出し、金銭的な問題で優れたアーティストが創作活動できないという状況は避けたい。嗚呼、ぜひ観てみたい!

【紅の豚 粋な会話集】
「ケガは…!?」「ほどよくやせたぜ。2日ほど無人島にいたからな」(ジーナとポルコ)
「マルコ、今にローストポークになっちゃうから…私イヤよ、そんなお葬式」「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」(ジーナとポルコ)
「(フィオに)手ぇ出すなよ」「尻の毛まで抜かれて鼻血も出ねえや」(ピッコロ爺とポルコ)
「ポルチェリーノ!(子ブタちゃん!)」「バアちゃん!」「まだお迎えが来ねえのか」「ウヒャヒャ。あんたも良い男になっちまったねえ」「ガハハハ」(工場の婆さんとポルコ)
「神様がまだ来るなって言ったのね」「ヘッ、俺にはお前はずっとそうして1人で飛んでいろって言われた気がしたがね」(フィオとポルコ)
「私、ポルコを信じてる」「“信じる”か…デエキライな言葉だがお前が言うと違って聞こえてくるぜ」(フィオとポルコ)

※『紅の豚』の公開に際して、宮崎監督いわく「まだフニャフニャの自我を抱えて、それを励ましたり何かしてくれるものが欲しいという人の為のものじゃない。そういう意味で、これは若者を排除して作った映画です」「トトロはもう子どもたちに渡しました。私はトトロと心中したくはありません」。
※第一次世界大戦のシーンで、ベルリーニの機体番号が1、ポルコの番号が4なのは、ベルリーニがジーナの最初の夫で、ポルコは4番目という隠喩。
※映画冒頭の字幕は、日本語、イタリア語、韓国語、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、ロシア語、フランス語、ドイツ語の10か国語。アラビア語だけ逆打ち。
※ポルコの意味は“豚野郎”だけど、食用豚はマイヤリーノと呼ばれる。喧嘩で使う時はポルコ。
※愛機のモデルとなった飛行艇は「マッキ M.33」。フェラーリンの機体はM.39(シュナイダー・トロフィー優勝機)とM.52のミックス。
※ポルコの愛機は飛行艇、カーチスの愛機は水上機。飛行艇はもう時代遅れだったからこそ、ポルコは「こいつは残してえんだ」とこだわった。
※DVDのフランス語音声は吹き替えがジャン・レノ。
※カーチスの名前は、反ファシズム映画『カサブランカ』のマイケル・カーティス監督から来ているという説がある。
※愛機の新しいエンジンには「GHIBLI」(ジブリ)の刻印が入っている。
※ポルコの隠れ家の島は当時のユーゴスラビア王国(現クロアチア)で、イタリー王国領ではない。ファシストが大腕を振って歩く母国は居心地が悪かったのだろう。
※フェラーリンのモデルはイタリアのパイロット、アウトゥーロ・フェラーリン(1895-1941)。1928年、周回無着陸飛行で7,666km、滞空時間53時間37分の記録を達成し、また、ローマ郊外からブラジルのナタールまで7186kmの無着陸長距離飛行記録を樹立した。1941年、テスト飛行中に事故死。享年46歳。
※シュナイダー・カップ…1913年から1931年までに12回開催された水上機のスピードレース。創設者はフランス人の鉄鋼王ジャック・シュナイダー。水上機の発展を願っていた。
※『紅の豚』の続編「ポルコ・ロッソ/最後の出撃」の構想は模型雑誌『モデルグラフィックス』に連載されていた宮崎さんの漫画『風立ちぬ』で語られた。ポルコは“サボイア・マルケッティSM79爆撃機”に搭乗するとのこと!
※プロデューサーの鈴木敏夫は、派手な空中戦を押し出した“戦争映画”風の予告編を当初制作。本編と真逆の方向性になっており宮崎監督は激怒したという。
※情報誌“ぴあ”の『シネマ・クラブ』(日本の代表的映画事典)に書かれた評は最悪ッ!「ダンディズムを描いた航空ロマン。しかし単に大人のメルヘンに過ぎずスカイ・アクションもイマイチ。それがこの“雰囲気”物語の限界か」とだけあり、怒髪が天を突き破った。この評論家はアホか!?何でこんな評が掲載されるんだ!?他にもっとましな書き手がおらんのか?えーい、ワシに書かせやがれ!!
※ポルコのアジトのモデル、豪州グレート・オーシャン・ロードのロック・アード・ゴージ(Loch Ard Gorge)

 
31.ミンボーの女('92)123分
ミンボー(民事介入暴力)専門の女弁護士がヤクザと戦う映画。ここまで暴力団のことをボロクソに叩いた映画は他にない。ヤクザのことを“卑怯な弱虫”と言いのけ、映画を観終わって、伊丹十三監督の怖いもの知らずの勇気に脱帽した。実際、公開後にヤクザからリンチにあってナイフで刺されている。ヤクザの卑劣さ、姑息さ、浅ましさを、徹底的に糾弾するだけでなく、法律上の具体的な対抗手段まで語られていたのが痛快だった。
※伊丹監督は女性問題で飛び降り自殺をしたというのが表向きだけど、数々の修羅場をくぐってきた監督がそんなことで自殺するとは思えない。僕は見せしめの為の他殺だと思う。

 
32.ルパン三世/カリオストロの城('79)100分
後に大ブレイクすることになる宮崎駿監督の記念すべき長編映画第一作。冒頭のカーチェイスからラストの城壁の決戦まで、息つく暇もないジェット・コースター・ムービーだ。とっつあんの偽札発見シーン「ルパンを追いかけていたらとんでもない物を発見してしまった。どうしよう?」は、屈指の名シーンだ。

 
33.ゴジラ対ヘドラ('71)85分
工場排水など人類の公害が生み出した怪獣ヘドラ。公害を垂れ流す大企業は震え上がり、この映画をオンエアしようとする民放各社に圧力をかけたので、長く放送できなかったいわく付きの作品。冒頭の主題歌『かえせ!太陽を』の歌詞からして、従来の子ども向けの映画とはかけ離れたものなので、いきなりブッ飛ぶと思う。 反核映画のゴジラ第1作に次いで最もメッセージ色の強い作品だ。ラストも衝撃的!

『かえせ!太陽を』※この主題歌を口ずさむ子どもがいたら凄い!
♪水銀 コバルト カドミウム 鉛 硫酸 オキシダン シアン マンガン
バナジウム クロム カリウム ストロンチウム
汚れちまった海 汚れちまった空
生きもの皆 いなくなって 野も 山も 黙っちまった
地球の上に 誰も 誰もいなけりゃ 泣くこともできない
かえせ かえせ かえせ かえせ みどりを 青空を かえせ
かえせ かえせ かえせ 青い海を かえせ かえせ かえせ
かえせ かえせ かえせ 命を 太陽を かえせ かえせ

【ネタバレ文字反転】
ラスト。人類が生み出した公害怪獣ヘドラとの死闘の後、ゴジラを応援していた子供が「ゴジラ〜ッ!」と声をかける。他作品なら振り返って愛想良く、吠え声のひとつも聞かせるゴジラが、この映画では子供を完全無視!人類にキレまくってゴジラは海へ帰ってゆく。そこへ、すかさず2匹目のヘドラが誕生。そう来るかーッ!

 
34.ソナチネ('93)
北野武監督の最高傑作。暴力団抗争の虚しさを描く。突然始まる暴力シーンの怖さ、徹底的にドライな人物描写は世界の映画ファンの度肝を抜いた。一方、殺戮の舞台となる沖縄の自然は、光り輝く太陽の下でどこまでものどかで美しく、両者のギャップが観る者を圧倒する。

 
35.丹下左膳餘話(よわ) 百萬両の壺('35)92分

時代劇のヒーロー、片目片腕の剣豪・丹下左膳の活躍を描いた痛快人情コメディ。柳生家の家宝“こけ猿の壺”には、百万両の隠し場所の地図が塗りこめられていたが、藩主がそれに気づいた時、壷は既にクズ屋に売られてしまっていた。その壷は周り回って左膳が育てている孤児のチョビ安が金魚鉢に使っている。この左膳、ヤクザとの戦いになると野獣のような動きで敵を瞬殺し、めちゃくちゃに強いけど、普段はドジでのん気でお人好し。一緒に暮らすお藤と言い争いをしてもいつも負けてしまう。チョビ安にはしつけの為に厳しく接しようと心がけても過保護ぶりがにじみ出る。そんなある日、彼とお藤が口論しているとチョビ安が習い始めたばかりの字で「けんかをしないでください」と置手紙を残して家出。左膳は必死で町を探し回る。さらに柳生からの壷捜索隊が彼らに接近、いろんな騒動が起きていく。
監督は28才の若さで中国戦線に散った山中貞雄。コミカルな演出の名手で「自分は絶対にそんなことしない」と言い張る場面の直後に、しっかりと“やってしまっている”カットを繋げ(逆手の話術)、人間の行動のおかしさを引き出している。物語の軽快なテンポ、殺陣の鋭さ、戦前とは思えないほどセンス抜群!
※近年GHQにカットされた立ち回り場面が奇跡的に発見され、DVDに特別収録された。

 
36.銀河鉄道の夜('85)107分
テレビ、映画を問わず原作の映像化を拒み続けていた賢治の遺族が、制作スタッフの熱意に触れて「それならば」とついに許可を与えたのが、このアニメ映画。原作が持つ神秘的な色彩感が完璧に表現されていた。最後のジョバンニの瞳やタイタニック号の沈没エピソードは深い感動を呼ぶ。特筆したいのは全編に流れる元YMO・細野さんの音楽。賢治の世界観を凝縮したような楽曲ばかりで、これは邦画サントラ史上の最高傑作じゃないだろうか!?

 
37.隠し砦の三悪人('58)139分※クロサワ
敗軍の将(三船)と2人の百姓の3人が、世継ぎの姫と軍資金を守りながら隣国へ脱出しようと奮戦する娯楽時代劇。様々な難関を3人が知恵を絞って突破していく痛快な作品だ。「裏切り御免!」のセリフがサイコー!凸凹コンビの百姓2人組は、後にスターウォーズのCー3PO&R2ーD2の原形となった。敵の武将も実に魅力的。雪姫役の上原美佐(最近の同名の女優とは別)は、男性の映画ファンをメロメロに(笑)。

 
38.文楽・曽根崎心中('81)88分
許されぬ恋を貫くため、そして金銭トラブルの汚名を晴らすために心中を選ぶ、徳兵衛とお初。このたった1本の映画が、それまで全く文楽に興味も知識もなかった自分を、国立文楽劇場へ足を運ばせ、のめり込ませることになった。海外で絶賛されたのも納得。

  ビデオは国立文楽劇場で購入可能(撮影は宮川一夫!)
39.銀河鉄道999('79)129分
永遠の命を手に入れるために旅に出た主人公が、やがて“限りある命だからこそ人間は素晴らしい”という結論に達する、奥の深いSF哲学アニメだ。僕は永遠の命をすぐに口に出す昨今の宗教関係者に、ぜひ、この作品を観て色々考えて欲しい。ラストの鉄郎とメーテルの別れのシーンでは、声優が本当に泣きながら吹き込んでいたという。どおりで、声を聞いてるだけで目頭が熱くなるハズだ!

「機械化人を見ていると永遠に生きる事だけが幸せじゃない。限りある命だから人は精一杯頑張るし思いやりや優しさが、そこに生まれるんだと、そう気が付いたんです。僕達は、この身体を永遠に生きていけるからという理由だけで、機械の身体になんかしてはいけないと気が付いたんです。」 (鉄郎の名セリフ!)

 
40.最後の忠臣蔵('10)133分
あり得ないくらいボロ泣き。めちゃくちゃ良かった。主人公は吉良邸討ち入りの直前になって姿を消した赤穂浪士、瀬尾孫左衛門(役所広司)。四十七士は“義士”として讃えられるが、脱落者は裏切者として糾弾される。一体、孫左衛門はなぜ“逃亡”したのか?映画はこの謎が次第に明かされていく。もうね、それまで孫左衛門のことを罵倒していた人々が、真相を知ったときの一連のシーンが爆涙すぎる。同志の寺坂吉右衛門(佐藤浩市)が一言だけ挨拶に来る場面も、“すべて分かった”と目で語っているのがたまらない。桜庭ななみは独特の気品があるので、日本映画界の宝になるかも。随所にウルウルくるシーンがあり命の危険を感じるほど体内から水分が無くなった。

 
41.近松物語('54)100分
運命の悪戯から不義を犯してしまう2人の男女。本当に、人それぞれ何が幸せに繋がるのか分からない。自分はこの2人に死すら幸せに繋がっていることを無言で語られ、何も言葉が出なかった。
【ネタバレ文字反転】
これまで色んな映画を観て来たけど、死(処刑)を前にした人間に、あそこまで穏やかな表情を観たのは他に例がない。衝撃的だった。一生のうちにあんな表情が一度でも出来たら、たとえ寿命まで生きられずとも悔いはないだろう。むしろ、あの気持ちを知らずに年老いて死ぬ方がよほど不幸だと思う!
  涙の絶版
42.異人たちとの夏('88)110分
『自分をいじめることはねぇ。テメェでテメェを大事にしなくて、誰が大事にするもんか』

主人公は40歳の中年男。両親は彼が12歳の頃に事故で他界したが、ある日両親の幽霊と出会う。両親は死亡時の年齢であり、既に彼の方が年上になっていた。だが、両親は彼を少年として接してくれた。ずっと親に甘えることが出来なかった彼は、奇跡の様な日々に心から感謝する。しかし、彼は幽霊と会えば会うほどあの世に近づいていることに気づく。“もっと親に会いたい、だがこれ以上会うのは危険だ、でもせっかく会えた父さんと母さんなんだ…”。果たして3人はどうなってしまうのか。
「人生に取り返しのつかぬものはない。自分だけの人生なんだから自由に取り返していって良いんだ」という映画のメッセージにジーン。この映画にはホント救われる。大林監督に感謝。出合えて良かった(3人で食べていたスキヤキがめっさ美味しそうだったよ)。

 
43.青春デンデケデケデケ('92)135分
方言炸裂のセリフ回し、たどたどしいベンチャーズの演奏、邦画史上類を見ない豪快キャラ・ゴウダ君(坊さんのせがれ)、デビュー間もない浅野忠信、その他この作品の全てに自分は愛着を感じている。特に、短いカットの積み重ねと手持ちカメラの映像を使ってハイ・テンポで進む前半部分は、大林監督の天才演出家ぶりが良く分かる。ユーモアのセンスも抜群。撮影現場では大林監督が一番楽しんでいたんじゃないかな。

 
44.クレヨンしんちゃん・嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦('02)95分
しんちゃん一家が戦国時代にタイムスリップ。命よりも名誉が優先された時代にあって、しんちゃん一家は侍たちに命の尊さを語りかける。身分が問題となり自由恋愛ができない人間にも、愛を貫くことの大切さを説く。まさかクレしんでこれほど感動の涙を絞り取られるとは思わなかった。クライマックスの合戦の決着の仕方も良い。嗚呼、ラストの青空の余韻がたまらない…ウルウル。しんちゃんを馬鹿にしてる人はこれを観たらビックリすると思う。
※本格的な合戦シーンの描写に、戦国マニアの友人も「そこいらの時代劇と比べ物にならないほどリアル」と感嘆!

 
45.武士の一分('06)121分
最高!主演の木村拓哉、そして妻役・檀れいの熱演に感服!藩の権力者に妻の名誉を汚された盲目の下級武士が、夫婦愛と武士の一分の為に立ち上がる。派手な戦闘も、有名な武将も登場しない、静かで地味な時代劇。だけど、無名の武士ならではの素晴らしいストーリーに大満足。キムタクの演技力をナメてる人はブッ飛ぶと思う。彼は剣道をやっていたので殺陣も良い。脇を固める坂東三津五郎、緒形拳、小林稔侍、桃井かおり、大地康雄、笹野高史らの演技も見応えがある。観終わった後の余韻が心地良く、お薦めデス。

 
46.太陽を盗んだ男('79)147分
中学の物理教師が自宅で原爆を製造し、日本政府を脅迫するというブチ切れたストーリー!俳優・沢田研二に惚れた。国家への要求が「テレビのナイターを最後まで放映」「ローリング・ストーンズの日本公演」ってのがいい。ラストはとんでもない展開に…。

 
47.AKIRA('88)124分
近未来サイバーパンク・アニメの金字塔。第3次世界大戦から31年後の2019年、新都市ネオ東京が舞台。政府の超能力開発実験の被験者となった少年が巨大な能力を覚醒するも、コントロール不能になり暴走していく。海外のマスコミはこの実写と見間違わんばかりのリアルな映像に驚愕し、特に英プレミア誌では「アキラの映像に比べればブレード・ランナーは子供だましであり、ディズニーに至っては恥ずかしくてその名さえ口に出せない」とまで絶賛した。キャラの口を単に上下にパクパクさせず、ちゃんとセリフ通りの形にした作画チームの努力に脱帽!インドネシアの民族楽器を駆使したエキゾチックなBGMが、漢字の看板を強調したネオ東京の映像と重なって、なんともアジアン・テイストあふれる無国籍的な効果を出していた。
【ネタバレ文字反転】
クライマックスで精神が暴走した鉄雄がたどった肉体的変化に絶句。彼は生命の最も根源的な初期の姿に“先祖がえり”し、胎児→単細胞生物(アメーバ)→星(銀河)と進化の逆をいったのだ。ラストシーンで宇宙空間が「ボクは…鉄雄…」とつぶやくのを聞いて、脳ミソまで鳥肌が立った。宇宙にまで戻って(還元して)しまったのだ。何というスケール!!

 
48.ナビィの恋('99)92分
今の沖縄を舞台に、60年前の恋が再燃するオバァが巻き起こす騒動を描いたヒューマン・コメディ。オバァ役の平良トミの行動が少女と一緒で可愛い。カメラが自然の風景に溶け込んでいて、映画を観ている2時間の間、僕も沖縄の明るい陽射に照らされている気がした。沖縄の家屋は開放的でいい。すべて分かってて黙ってるオジィがたまらん。

  「オジィは若いから大丈夫!」は映画史に残る名セリフ!

49.東京ゴッドファーザーズ('03)90分
年末の東京を舞台に、3人のホームレス(ギャンブルで破滅した親父さん、中年のゲイ、家出少女)が、捨て子を拾ったことから始まる大騒動を描く。テンポ良く進む物語は先が読めず、途中で一瞬でも席を外せば、もうストーリーが分からなくなるほどの密度の濃さ。ドンデン返しにつぐドンデン返し。感動的な物語の中にもギャグが満載され、場内は笑い声が絶えなかった。人生の悲哀を知っている大人のためのアニメ映画(圧倒的な映像美も見所!)。冒頭のスタッフロールは看板の中に書かれていて楽しい。
※劇中に出てきた俳句を紹介--『人生の 貸し借り済ませ 大晦日』

 
50.機動戦士ガンダム3〜めぐりあい宇宙('82)141分
前2作がテレビ版の映像を再編集ものであったのに対し、劇場版第3作はすべてが新たに描き起こされた美しい映像でファンを狂喜させた。冒頭のドレン艦隊との戦いはガンダムが「白い悪魔」ぶりを存分に発揮。ソロモン決戦、ア・バオア・クー決戦という大規模な要塞攻略戦など見所も多い。メカ描写はリアル路線を追及し、「108、109」と機体を番号で呼んだり、3機に増えたガンキャノンに男泣き。死期を感じた主人公アムロが「もうすぐララァのとこに行くのか…」と呟き、そこからラストに至る一連の描写は、アニメ史に残る名シーンとなった。

  DVDのレビューはオリジナルと異なる音源に嘆きの声のオンパレード
51.宇宙戦艦ヤマト('77)130分
日本のアニメ・ブームはすべてこの「ヤマト」の劇場公開から始まった。テレビ放映の映像を再編集したものとはいえ、ビデオというものが世になかった当時の若者には、放映の終わった作品をもう一度観ることが出来る貴重な機会であり、ヤマトは空前の大ブームになった。
このヤマト第一作が伝えるメッセージは重い。ヤマトは過剰防衛の結果、敵の母星を滅亡させてしまう。主人公の古代は何も動くものがない敵星の大地を見て、「俺は今日まで負けた者のことを考えたことがなかった。勝利か…クソでも食らえ!」と銃を投げ捨てる。歴史的名場面だ。ユキが涙ながらに言う「私たちはなんということをしてしまったの!私には、もう、神様の姿が見えない!」というセリフは衝撃的だった。
※DVDには初公開時のバージョンが収められている。なんと『スターシャ死亡編』だ!ヤマトがイスカンダルへ着いた時、すでにスターシャはホログラム化しており、古代たちは荷物を受け取るだけ。当然古代守との再会もない。非情!

 
52.天空の城ラピュタ('86)124分
空中に浮かぶ島の財宝や“飛行石”をめぐって繰り広げられる、宮崎アニメ随一の痛快娯楽冒険活劇!峡谷で列車の線路が崩れる場面や、戦闘ロボットの暴走シーンはド迫力。盗賊団のメンバーは実にイキイキと描写され、サブ・キャラにも血が通っている。シータとパズーが目玉焼きをパンに乗せて食べるシーンは観てるだけでツバが湧いた(笑)。あまりに面白い展開に、それからは新作が公開される度に「ラピュタのような作品を!」とファンからの切実な声(悲痛と言ってもいい)があがっている。宮崎アニメは少女が主人公のものが多いけど、ラピュタの主人公パズーは、“もののけ姫”のアシタカと並ぶ、貴重な少年主人公の一人だ。
※ちなみに、この映画のロボット兵はテレビ版ルパン三世(第2部)の最終回に主役級で登場している。

 
53.GO('01)108分
日本の若者の多くは、コリアン・ジャパニーズがこの作品で描かれているような深い悩みを胸に抱えていることを、映画を観るまで想像すらしなかっただろう。硬派なドキュメンタリーではなく、万人に受け入れられやすい青春映画の形で、差別や偏見に対する苦しみを知らしめた作品の功績は大きい。

 
54.竜馬暗殺('74)
周囲が敵ばかりという京都にあって、悠然と生き続ける信念の男・坂本竜馬。原田芳雄の坂本竜馬、テロリスト役の松田優作など、キャスティングがシブ過ぎ!竜馬の暗殺シーンは白黒映画ゆえ流れ出した血が真っ黒…異様な迫力があった。

 
55.下妻物語('04)102分
なんちゅう楽しい映画!『青春デンデケデケデケ』以来12年ぶりの爆笑青春映画。深田恭子(役柄はロリータ・ファッションの超自己中ッ子)と土屋アンナ(友情に厚いド硬派走り屋)という、正反対の性格の2人の友情物語だ。最初から最後まで場内は爆笑の渦。その中でホロリとさせるシーンも随所に登場し、完璧にこの映画の魅力にノックアウトされた!カンヌでの試写会後、欧米の映画関係者から配給のオファーが殺到し、世界公開が決定したのも納得。テレビドラマをあまり観ない僕は、深キョンをマトモに観るのはこれが初めて。独自の雰囲気があり、芸能界の波間に消えていく他のアイドル女優とは違うと思った。「とび蹴り→頭突き」の受け身も素晴らしかったし(笑)。土屋も偽物のベルサーチに興奮する初登場シーンから、最後まで観る者のハートをしっかり掴んでいた。女性陣以外で忘れちゃならないのが宮迫博之!あの怪演ぶりは見事だった。
※「(土屋)女は人前で泣いちゃいけないんだ。同情されちまうからな」「(深田、後ろを向いて)でも、ここには誰もいないよ」…たまらん!!

 
56.あしたのジョー('80)153分
少年院で出会った宿命のライバル、矢吹丈と力石徹。出所後、彼らはプロボクサーとしてリングで拳を交わす。ファイトシーンはギラギラと鈍く光る汗や、瞳孔の開いた瞳がとてもリアル。今観てもその緊迫感に思わず息を呑む。人物は勢いがある太い輪郭線で描かれ爆発する生命を感じた。最近のアニメの細い軟弱な線を見慣れた目に、どれだけ新鮮に映ることか!(試合に殺気立つ観客たちはムンクの絵を彷彿させる)

 
57.生れてはみたけれど('32)91分
クロサワ、ミゾグチと並ぶ世界的巨匠・小津安二郎監督が、戦前のサラリーマン家庭を笑いと涙で生き生きと描写した、日本のサイレント(無声)映画の最高傑作。作られたのは1932年、つまり70年以上も昔の作品だ。主人公の小さな兄弟にとって、父親は威厳に満ちたヒーロー。しかしある時、父親が会社の重役の前でヘラヘラとゴマをすっている姿を見てしまう。「お父ちゃんの意気地なし!」と失望する子どもたち。「どうしてペコペコするんだい」「あの人から給料を貰ってるんだ」「そんなもの、こっちからやればいいじゃないか!」「あの人の方がお金を持っているんだよ」「じゃあ、お金があるから偉いの?家来になるの?」「…お金がなくても偉い人もいる」「お父さんはお金がなくても偉い人?」即答できない父親…。ユーモアの中に父親の悲哀が漂う、ヒューマニズム溢れる名作!!

  BOXのみ…
58.蜘蛛巣城('57)110分※クロサワ
クロサワがシェイクスピアのマクベスをベースに、舞台を中世スコットランドから日本の戦国時代に変えて作り上げた傑作!主君を暗殺し頂点に立った武将が、いったん手に入れた権力を失うことの恐怖から、自ら狂気の世界へ転落してゆく。クライマックスで主人公を目掛けて無数の矢が飛び交う場面は、映画と分かっていても観ているだけで腰が浮いてしまう。映画史に残る名シーンだ。

 
59.写楽('95)138分
江戸期の天才芸術家が一堂に会した、超豪華絢爛な日本映画。メインは謎の絵師・写楽の物語だけど、同時代に生きた歌麿、北斎、滝沢馬琴、十返舎一九、市川団十郎なども、活躍が描かれる。彼らが集まって会話している場面は、アート・ファンには失神ものだ。江戸の城下町を再現した美術セットの美しさも必見。至福の138分。※花魁の歩き方は優雅だねぇ。

 
60.かもめ食堂('05)103分※日・フィンランド
「いいわねぇ、やりたい事をやっていらして」「やりたくないことはやらないだけなんです(笑)」。チョ〜地味な物語なのに予想外のロングランとなった本作品。舞台はフィンランド・ヘルシンキの小さな和食の食堂。主人公は店主のサチエ。この映画は彼女が朝市に行って、食堂を開けて、食堂を閉めて、帰りにプールでひと泳ぎして、夕食後に軽くストレッチをして寝る、その繰り返しを淡々と描いたもの。時間はゆっくりと進み、店を通して新しい出会いはあるけれど、特に大きな事件は起きない。それなのに、観終わった時の感想は「サチエ、超かっこいい!」。それは彼女が誰にも依存せず自分のリズムで生きていて、しかも他者に対して敬意を持って接していること。どんな相手でも受け入れ、何も押し付けない。巷のアクション映画のヒーローより、本物の“強さ”を感じる。

彼女が調理し、給仕し、食器を磨く、その何でもない姿が気持いい。彼女の家も食堂もよく整頓され、モノは少なく空間が広い。なぜサチエがフィンランドで食堂を開いたのかや、常連客の過去はあまり語られない。客が一向に増えずガイドブックに載せることを薦められても、「かもめ食堂のメインメニューはおにぎりなんです、ここは食堂なんです」と、寿司や懐石を期待して客が来ちゃ困ると載せようとしない。「毎日マジメにやってれば、そのうちお客さんも来るようになりますヨ」とマイペース。薦められて作ったトナカイ肉のおにぎりがイマイチでも「やってみたから分かったこともあるし、無駄な事じゃなかったですよ」。劇中には殆どBGMがない代わり生活音がいっぱい。コーヒーが落ちる音、鮭の切り身を焼く音、トンカツを揚げる音、野菜を刻む音、ノリをかむ音、そんな普段聞き流している音が心地良く耳の奥に沁み込む。画面からは焼きたてのシナモンロールの香りがこちらまで漂い、豚の生姜焼きや肉じゃがの匂いに唾がわく。小林聡美、片桐はいり、もたいまさこら個性派の役者が好演。監督&脚本、原作、制作者が全員女性ゆえか、日々の描写はとても丁寧かつ自然。ユーモアもあり、ガッチャマンを知る日本オタクのトンミ・ヒルトネン君に漢字で名前を書いてあげる場面で吹き出した。シナモンロールにかぶり付く地元のオバちゃん3人組もいい。

結局、人間は生きていくしかない。そして幸運なことに、抱えている問題が何も解決していなくても、腹がいっぱいになるとそれだけで不思議と元気になる。ツラいことがあっても毎日きちんとした生活をしていれば、やがて悲しみも癒える。観終わってそんなことをシミジミ感じ、サチエからすごく良い影響を受けた。これからずっと鮭の塩焼きを食べる度に、この映画の事を思い出しそう。コピ・ルアックのおまじないも。
※「コーヒーは自分でいれるより、人にいれてもらうほうが美味いんだ」に納得。観ていると無性に腹が減り、ENDが出ると速攻でシナモンロールと鮭の切り身を買いにダッシュしました(笑)。

 
61.夢('90)121分※クロサワ
全8話からなる、黒澤が見た“夢”の物語。どのエピソードも印象的だが、ゴッホの絵の中に吸い込まれてしまう夢と、戦場から帰還した指揮官が、戦死した自軍の部下たちの幽霊に遭遇する夢は強烈なインパクトがあった。また、富士山が噴火するわ原発が爆発するわの夢も戦慄モノ。※ゴッホの絵を現実世界に出現させたセットは、“こだわりの黒澤”ならではの高い再現率。まさにゴッホが見たであろう光景がそこにあった。ちなみにゴッホ役を演じたのはマーティン・スコセッシ監督だ。

 
62.斬る('62)71分
37歳で早逝した若き市川雷蔵の代表作の一本。孤独な天才剣士の鮮烈な生涯を描く。ラストに雷蔵が見せる一連の“所作”の美しさは、邦画史上、他に類を見ない名演だ(途中、人間を縦に真っ二つに斬る戦いが出てきてブッ飛んだ)。71分と短いが見応えは充分。

 
63.ジャズ大名('86)85分
時は幕末。駿河藩に流れ着いた3人の黒人ジャズ演奏家から、藩主は幕府に内緒でジャズを学び、城の中で大セッションを敢行する!僕がこの映画を観たのは公開後7年も経ってから。7年間この作品を観ずにいたことをどれほど後悔したことだろう。岡本喜八監督の反体制パワーは徳川幕府という“お上”に対しても桁外れ。権力憎しというのを越えて“そんなもの関係ない”という境地にまで達していた(笑)。

 
64.Love Letter('95)117分
もしも死んだ恋人に宛てて天国へ送ったラブレターに返事が来たら?映像詩人岩井監督のハート・フルなドラマ。僕は女優・中山美穂を見直した。人の死をテーマに、こんなさわやかな感動を与えてくれる岩井監督は何者!?後半の雪山に向かって叫ぶシーンでは、声がもれるほど嗚咽した…。トヨエツも好演。未見の人は必見デス!

  「お元気ですか?私は元気です!」にウルウル
65.悪名('61)94分
ヤクザ映画ではあるけど、タイトルの“悪名”が美化された言葉ではなく、サイテーの言葉として使われていたので高順位に。俳優・勝新太郎の名演にウロコを落とすべし。ラストのセリフが素晴らしい。

 
66.シコふんじゃった('91)103分
卒業単位と引き換えに、相撲と全く縁のない青春を送ってきた若者たちが、名門相撲部復活を目指して大奮闘。僕は巨漢の選手が圧倒的に有利と思っていたけど、体格で劣っていても技とスピードで勝つことが出来ることに驚き、格闘技としての相撲の奥深さを知った。それにしても、まわし姿に帽子とスニーカー&満面の笑みというモックンがキョーレツ(笑)。緊張に弱い竹中直人も忘れられないキャラだ。

 
67.ビルマの竪琴('85年版)133分
ビルマ戦線で終戦を迎えた、ある日本軍小隊の物語。日本に帰国できることになっても水島上等兵は帰ろうとしない。あまりに多くの兵士が死んだこの地で、彼は僧侶となって弔い続ける決心をしたのだった。戦場で遭遇した両軍の陣地から同じ音楽が流れるシーンは全身に電気が走った。敵も味方も同じ曲が好きなんだって…。中井貴一が役者として大化けした名作。

 
68.地球交響曲・ガイアシンフォニー('92)130分
生物物理学者ジェームズ・ラブロックの提唱する「地球(ガイア)はそれ自体が大きな生命体であり、全ての生命、空気、水、土などが有機的につながって生きている」という“ガイア理論”を主軸に、世界各国で同じメッセージを発信している人々を紹介するドキュメンタリー。4作目まで公開されており、その記念すべき第一作がこれだ。登場するのは、臨死体験を語る登山家のラインホルト・メスナー、象の愛を語る動物保護活動家のダフニー・シェルドリック、トマト栽培を通して生命エネルギーを語る植物学者の野澤重雄、自然と調和したケルト文化を語る歌手のエンヤ、宇宙で感じた生命観を語る宇宙飛行士のラッセル・シュワイカートの6名。
象牙を狙った密猟者たちに抗議するように、死んだ象から牙を抜こうとする他の象の映像は衝撃的。滅多にTVカメラの前に顔を出さないエンヤが出演していることにもビックリした。

 
69.野良犬('49)122分※クロサワ
主人公の刑事は不注意からバスの中で拳銃を盗まれてしまう。拳銃には7発の実弾が入ったままだ。犯罪に使用される前に取り返すべく、執念で犯人を追い、終戦からまだ4年目の街中の雑踏を駆けずり回る。真夏の人ごみの中でのロケで、ダラダラと役者の流す汗が、そのまま焦燥感となって画面からにじみ出てきた。全編に緊張感が満ち、貧困の問題を絡めながら、人間の業を問いかけた作品。冒頭の追跡シーンは、アカデミー賞作品の“フレンチ・コネクション”で引用された。

犯人と対峙するクライマックスで近所の民家からピアノの稽古が聴こえてくる。そして子ども達が唄う“ちょうちょ”。シーンと音楽のコントラストに鳥肌!

 
70.ゴジラ・モスラ・キングギドラ/怪獣総攻撃('01)105分
この最新作は第1作の続編として描かれており、第2〜24作は“なかったこと”になっている。米国版GODZILLAについては「前世紀の終わりに米国に現れた巨大生物を向こうではゴジラと名づけているが、日本の学者は認めていない」と冒頭で語られ、ファン心をくすぐった。

いやはや、本作でのゴジラの設定には仰天。ゴジラは太平洋戦争で殺されたアジアの人々、米軍兵、日本兵(南方戦線では多くの兵士が飢餓で死に国家を恨んでいた)の怨念の集合体で、その戦死者の無念の叫びを忘却した現代日本に怒りをぶつけに来るというのだ。ゴジラが目指すのは一路、東京だ(東京には皇居、靖国がある)。
ゴジラが最初に上陸した場所は静岡・焼津港。ここはビキニの水爆実験で被爆した第五福竜丸が帰港した港だ(伏線が細かい!)。ゴジラはそこから出現し清水市に放射能熱線を吐き出す。快晴の空にキノコ雲が上がった。その様子を目撃した人々が絶句する「原爆!」と。
一方、ゴジラ上陸と同時に日本古来の守護霊獣(ヒトではなくクニの)が、九州(モスラ)、越後(バラゴン)、富士(キングギドラ)で目覚め、「やまと」の国土を破壊するゴジラと対決する。自衛隊は首都への最終防衛ラインを横浜に敷き、霊獣たちと共同戦線を張る。だが、ゴジラは霊体なので、自衛隊の近代兵器はまったく通用しない。

この作品のゴジラの風貌が異様なのは、目に瞳が無く白目だけという点だ。これは、このゴジラには視力など不要で、ただただ怨念に突き動かされて東京に接近しているという演出。また、近年のゴジラ映画で子供たちが抱いた「ゴジラ=かっこいい怪獣」というイメージは、劇中に描かれる残虐ファイトで120%吹き飛ぶ。大勢の人間がゴジラに殺されるが、映画はそれをかなりストレートに描いており、正直、もし自分が小学生だったら恐怖でトラウマになったと思う。これを観てゴジラの人形が欲しいなんていう子供は、まずいないだろう。とにかく、こうした「子供向け」でないゴジラを作ってくれた製作スタッフに拍手を送りたい。

※従来のゴジラ・シリーズは自衛隊が撮影に協力してくれていたが、今回は協力を拒否された。劇中でゴジラに攻撃された自衛隊機が、地上の一般民家に墜落するシーンがあったからだ。

  設定がスゴ過ぎ
71.山椒大夫('54)124分
平安時代の末期、人さらいによって引き離された親子が、様々な苦難を経て再会するまでの物語。さすがは世界の溝口!森鴎外の原作を実に格調高い映像で仕上げている。約50年前の作品だけど、後半3分の1の怒涛の展開は、そこいらのハリウッド映画よりはるかに燃える!厨子王に好感。ラストシーンをゴダールが『気狂いピエロ』でそのまま再現した。

  涙の絶版
72.サマーウォーズ('09)115分

細田守監督の作品にハズレなし!見ているときのドキワク感がハンパない。登場人物がとにかく生き生きしている。信州上田の田舎の大家族が世界存亡の危機を救うという設定が面白い。お婆ちゃんの存在感がスゴい。後半の花札バトル、見知らぬ外国の人が…のシーンに胸熱(涙)。ヒロインの作文に笑った。この映画、中東など海外でも人気なんだって。きっと、日本の古い家屋や田舎の風景が新鮮なのと、ハイテク・サイバー国家ジャパンの両方を楽しめるからじゃないかな。

 
73.火垂るの墓('88)88分
終戦直前の神戸で幼い兄妹が生き延びようと…泥まんじゅう…ドロップ飴…うう…。

 
74.二十四の瞳('54)155分
瀬戸内・小豆島の小学校に着任した新人の大石先生と12人の子ども達(二十四の瞳)との、1928年から終戦の翌年まで18年間の交流を描く。浜辺に出ては唱歌を歌った明るく優しい子ども達。先生が骨折した時はクラスの皆で遠い道のりを歩いて見舞いに行った。彼らが成長したとき戦争が勃発し、島の男子は次々と徴兵されていく。戦争に反対する教師は非国民とされ、先生は信念を貫くことの難しさを知る。時は流れ、かつての教え子が産んだ子ども達が入学してくる。戦後の同窓会。二十四の瞳は肺病で死んだ子、戦死した子、島を出てしまった子もいたが半数が集まった。先に逝ったクラスメートの思い出話に花を咲かせ、皆で墓参りに行く。墓地には瀬戸内の明るい日光が降り注ぎ、海から穏やかな風が吹いていた。木下恵介監督の名作。

 
75.エースをねらえ!('79)88分
高校生スーパー・テニスプレーヤーの“お蝶夫人”に憧れて県立西高テニス部に入部した岡ひろみは、素質を見抜いた宗方コーチによって男子以上の過酷な特訓を受ける。しかし、試合で結果を出せず、お蝶夫人からも、他の部員からも無視されてしまう。彼女は耐え切れずに退部届けを宗方コーチに出すが…。岡が宗方に2度目に電話をかけるシーン「…」「岡か?」は涙なくしては観られない。不治の病を背負った宗方コーチの「時間を無駄にするな!」は僕の座右の銘だ。クライマックスの岡VSお蝶夫人のシングル対決は、少女アニメとは思えない鬼気迫るド迫力。「岡、エースをねらえ!」は漫画史に残る名セリフとなった。

  お蝶夫人ってなんで“夫人”なんだろね(笑)
76.ラストソング('94)119分
九州で人気ロック・バンドを組んでいた主人公(本木雅弘)は、成功を夢見てバンド仲間と上京する。しかし簡単にブレイクできるほど世の中は甘くない。やがてヴォーカルの彼を無視して、天才ギタリストのメンバーだけがスカウトされ成功していく。焦る主人公。彼は気が付けばマネージャー業をしていた「俺はこんなことをやるために上京してきたんじゃない」。
最初からやたら泣き所の多い映画で、男友達と2人で観に行き、鑑賞後は泣き疲れて2人とも劇場の外で座り込んでしまった。本木雅弘(当時29歳)の演技が上手すぎる。ケタ外れと言っていい。裏切ってしまった仲間を新幹線の窓から見るシーンは、激しく心を揺さぶられた。90年代の青春映画の傑作。

  涙の絶版
77.ザ・マジックアワー('08)136分

三谷幸喜監督の爆笑ムービー!横腹が痛くなるほど笑い、伏線張りまくり、凝りまくりの脚本に手を叩いた。芸達者な役者が揃う中で、売れない俳優役の佐藤浩市と、ギャングの親玉役の西田敏行が最高の演技。佐藤扮するB級役者の村田は、映画のロケのつもりで伝説の殺し屋「デラ富樫」を演じるんだけど、それをギャングのボスが本物の「デラ富樫」と勘違いしてスカウト。互いの誤解から話がどんどん広がっていき、ギャングの抗争が勃発すると、村田はアクション映画のロケと思い込み、銃弾が飛び交う中を大ハッスル。激しい撃ち合いにビビッていたギャングの子分たちは“銃弾の中を笑いながら転がっていた”村田に脱帽する。その後も本物の「デラ富樫」が登場して、話はどんどん複雑に。クールなイメージのある佐藤浩市が、危険な「殺し屋のふり」をする為に何度もナイフを舐める場面はケッサク。バレそうでバレない村田とボスの掛け合いは抱腹絶倒(あだ名「カット」のアイデアが上手い)。後半にはホロリとさせるシーンもあり、万人に薦められる良質コメディ。試写のシーンたまらん!

 
78.花よりもなほ('06)127分
江戸時代の下町を舞台にした人情喜劇。主人公は父の仇討ちを悲願にしている若侍。大抵の時代劇は主人公が“剣の達人”だけど、この映画の主人公はとっても弱い。剣術よりも、寺小屋を開いて読み書きを子どもに教える方が得意なんだ。父の仇を探し出したものの、相手に幼い子どもがいると分かると、思わず復讐の気持が揺らいでしまう。この優しい主人公を愛さずにはおられない。彼を取り巻く個性豊かな貧乏長屋の住人たちも、ドジでお人好しな連中ばかり。彼らは本当に貧しくて明日をも知れぬ身なんだけど「生まれただけでもありがてぇと思いなッ!」って、辛さをハネ返して生きている。この“生まれただけでもありがてぇ”っていう言葉、最強のポジティブ格言かも知れない。いろいろ辛い目にあっても、これを出されたら、「た、確かに」と言うしかないもの。心の痛みも全部、自分が生きている証。何かに挑戦する時、失敗を恐れるあまり足がすくむ時があるけど、「えーい!生まれただけでもありがてぇってもんだ!」と自分に声を掛ければ、どんな状況もタフに乗り切ることが出来そう。時代劇と言えば重厚なクロサワ映画や、悲劇の剣豪を描いた暗いものを観てきたので、こんなにも肩の力を抜いて楽しめる情味のある映画が、とっても新鮮に感じた。
この物語は基本的に喜劇だけれど、仇討ち=復讐ということについても掘り下げている。“復讐したい”という気持を人間が克服するのは大変な事。今は世界各地で“殺されたから相手を殺し、殺したから殺される”、そんな負の連鎖がずっと続いている。この映画ではある母親が子どもにこんなセリフを言っていた「(殺された父ちゃんが)私たちに残したものが憎むことだけだったら、父ちゃんはどう思うだろう?きっと、悲しむかも知れないね。だったら2人で、父ちゃんが残してくれたものを、もっと良いものにゆっくり変えていこう」。

 
79.絞死刑('68)119分
冒頭、絞死刑が失敗する場面から映画がスタートする。殺人事件を犯した囚人は在日韓国人の青年Rだ。刑が執行されたと思ってロープを外すとRにはまだ脈があった。しかし気絶している。法律上、心神喪失状態にある者に刑を執行できない。蘇生したRは自分がRであることを理解していなかったので、拘置所の職員が彼の生涯を追体験させて、自分がRであることを認識させようとした。あらわになったその生涯は、差別、貧困、痛苦に満ちたものだった…。大島渚監督が社会への問題提議を込めつつ死刑再執行に至る道を描く。

 
80.NANA('05)114分
ロック・シンガーで男勝りのクールなナナ、天然系で恋愛命の夢見る乙女・奈々、同じ名前(NANA)で共に20歳という2人の女性の友情物語。タイプが正反対の2人は、性格が異なるからこそ互いの欠点をおぎない合い、恋に、人生にぶつかっていく。ぶっちゃけ、三十路男に感情移入は無理と思ってたけど、けな気に生きる2人に見事に泣かされまくった。さすがにメガ・ヒットしただけの事はある(観客動員数300万人!)。っていうか、中島美嘉の強烈な存在感、あれは何事ッ!?めちゃくちゃカッコイイじゃないかーッ!
以下微妙ネタバレなので文字反転→
ナナがレンと別れて駅のホームで膝から崩れる場面、レンとの毒入りケーキのエピソード、エレベーターホールでレンに腕を掴まれしゃがみ込むとこ、この3つのシーンはナナの激涙&エグエグの最強場面。普段強がってる人のもろい部分を見ちゃうと胸が締め付けられるね…。それにしても、『下妻物語』といい『NANA』といい、女の友情を描いた邦画は良いのが続くね。彼女達はとにかくパワフル。観てるだけでこっちまで元気になる(笑)。

 
81.いま、会いにゆきます('04)119分
『黄泉がえり』と同じで“死者復活お涙頂戴系”かと思っていたら、ラストのたたみ掛けるような15分に圧倒された!それまで強引に見えたストーリー展開も、すべて辻褄があっていくことに思わず座席から身を乗りだした。完全にやられた。あり得ないストーリーなのに、役者の名演でファンタジーを違和感なく観せてくれた。何度も落涙し、好きなシーンは数知れず。…しかし同時に、“この映画はもっと良くなったのに!”と、残念でならなかった部分も多々あった。以下、本作を愛すればこそ、ネタバレで怒りを具体的に書こう。
【ネタバレ文字反転】
最後に消えていく澪(妻)に向かって、巧(夫)が「君を幸せに出来なかった。ごめん」と謝ったのは二重の意味で酷い話だと僕は怒った。
1.もし僕なら自分が死んでいく時に「お前の人生は不幸だった」なんて絶対に他人から言われたくない(しかもこの場合結婚相手からだよ)。いくら必要な台詞であったとしても“なんてこと言うんだ”って思った。
2.最初の澪の死に関して、巧は澪が不幸なまま死んだと思い、佑司(子)は佑司で「ママが死んだのは僕のせい」と父子そろって責任を感じている。それに対して澪は「そんなことないよ、私は幸せだった」と言う。ここで場内は涙の渦になったが、僕は「ちょっと待った!」と叫びたかった。それって生前の彼女の気持ちは全然家族に伝わってなかったってことじゃないかー!?
愛、相手を大切に思う気持ち、これは伝わっていなくちゃ意味がない。「佑司と出会うためにパパとママは結ばれたの」「あなたの妻で良かった」、この気持ちは日常の中で伝えておくべきことであって、自分の脳内で“きっと相手に伝わっている”と思っているだけじゃダメなんだ。彼女は結婚して子どもが小学校に通うまでの数年間、どんな風に家族に接していたんだ?何年も前から自分が28歳で死ぬって分かっていたのなら、なおさら生きているうちに“どれだけこの家族とめぐり合えて幸福だったのか”を、しっかりと伝えていなきゃ!これは人間関係で一番大事なことだと思うんだけど…。(>_<)
※ファンタジーなんだからもっと気楽に観ればいいのは分かってる…でも、この部分はどうしても流せなかった。

他にも、会社の同僚に「あとをよろしく」っていうのも、気持ちは分かるけどトンデモなく傲慢なこと。巧を愛するかどうかはあの娘が自分で選ぶことであって、誰かに頼まれることじゃない。ヒマワリ畑のシーンも「私たちは大丈夫」で終わればいいのに「一緒になるのが“運命”だから」と一言多い。なんであそこで“運命”なんて意味不明な言葉をくっつけるのか…。
あと、竹内結子は非常に演技が上手かったけど(文句なしに絶賛)、それでもこの役を断るべきだったと思う。役者はどんどん新しい役柄に挑戦しなくちゃ。ストーリーがそっくりな『黄泉がえり』(最後に“実は好きだった”というのが分かる展開まで一緒)と連続で出演し、しかも演じた役は成仏する幽霊役とこれも同じ。両作品の公開が離れていないのも問題。竹中直人が部活の顧問役で出てきたら「またか!」ってなるのと同じで、役者の顔だけで映画がマンネリに思えてしまう(それは作品にとってもマイナス)。

とはいえ。最初に書いたようにこの映画はとても良い映画だ。近年の他の邦画の中では傑出した出来だと思う。僕が好きなシーンは、
・「いま、会いにゆきます」と記した電車のシーン
・バースデーケーキのエピソード
・初めて同じポケットに手を入れる場面。最初のカットではマフラーで澪の表情が隠れていたけど、最後の回想シーンでは、横からの視線だったのでマフラーの下で笑っている口元が見えた!
・陸上の転倒シーンや駅のホームにいた巧を、全部澪が見ていたこと。巧に感情移入していた僕は「救われた!」と我が身のように感謝せずにはいられなかった
・怒った澪が表彰式でブレーカーを落とすところ(笑)
・「きみの隣は、いごこちがよかったです」という温かいメッセージ
・最後の絵本。“理由は分からないけどなぜか寂しくてたまらなかった”→“2人にあえて寂しさは消えていました”になったのは、めっちゃジーンときた。(T_T)

とにかく、素晴らしく感動的な名場面と、閉口するトホホ場面が、波のように交互に打ち寄せてくる映画だった。これからは梅雨の季節になるたびにこの映画のことを思い出すと思う。僕は雨が好きになった。

 
82.あらしのよるに('05)107分
「私をかじったら、もうお話出来ませんよ」。ヤギ(メイ)と狼(ガブ)という、捕食関係を超えた友情物語。“友達なのに美味しそう”というユーモラスな宣伝コピーから、流血の無いほのぼの系の映画と思いきや、重く低い弦の音で幕が開け、いきなり嵐の草原でメイの親が狼の群れの餌食になるという衝撃的な展開に。従来の子ども向けの作品なら普通は逃げ切る場面だし、何より狼たちにガツガツ食べられるシーンは登場しないだろう。その時点で“この映画はちょっと違うぞ”と心構えした。メイとガブの初遭遇は暗闇の小屋。互いの姿が見えない中で、会話を通して友情が芽生えていく。しかし、2人の友情は仲間たちにとって許されるものではなかった。いくら「あいつはイイ奴なんだ」「彼だけは特別なんだ」と説明しても信じてもらえない。お互いの仲間から「そのまま友達のフリをして相手の群れの動向をスパイしろ」と密命を背負わされる。特にガブは狼のボスから“従わなければ裏切り者としてお前を殺す”と宣告されてしまう。
「何でオイラ、狼なんかに生まれてきちまったんだよーッ!!」の叫びは胸に迫るものがあり、思わず落涙。そしてクライマックス、ガブがメイの為に苦手な遠吠え(仲間から馬鹿にされていた)を腹の底から吠えた場面で滝泣き!ストーリーが良いのはもちろんのこと、2匹の表情も良いし、背景の自然描写が非常に美しいのでお薦めッス!※もうこの公式サイトの予告編だけで涙腺激ヤバ。

 
83.ゼロの焦点('09)131分

松本清張の傑作ミステリーを映画化。冒頭、北陸に出張した新婚の夫が謎の自殺を遂げる。何が夫を追い込んだのか。やがて明らかになる衝撃的な過去。ストーリーに圧倒されて上映後すぐに座席を立てなかった。ただの
殺人サスペンスではなく、戦時中まで抑圧されていた女性の権利運動も描かれ見応え充分。敗戦後の混乱期は誰もが生きることに必死で、哀しみもたくさん生まれた。メインキャストの中谷美紀、鹿賀丈史、杉本哲太、木村多江、広末涼子らは役になりきっており、まったく退屈することなくラストまでスクリーンに見入った。雪夜の断崖シーンに絶句!そして母子手帳に号泣。

 
84.飢餓海峡('65)183分
終戦直後の殺人事件を発端にした10年に及ぶ警察と犯人の攻防戦。“日本人全体を覆う飢餓状態”を監督は表現したという。善良な人間ゆえに陥った悲劇スパイラルを描いた凄まじい運命劇だった。「やっぱり犬養さんだ!」の声が耳から離れない…。

 
85.座頭市物語('62)96分
約30本も製作された座頭市シリーズの記念すべき第1作。盲目の居合い抜きの達人“市”の物語。旅先で“市”は剣の達人と出会い、夜更けに酒を酌み交わし交流する。2人はとても気が合った。ところが、“市”と男は対立するやくざ衆の抗争に巻き込まれて敵として戦う羽目になる。“市”が「この男とは戦いたくない」と思いながら追い込まれていく過程が切ない。

 
86.男たちの大和/YAMATO('05)143分
約3千名の乗組員を乗せ、片道燃料で「水上特攻」をかけた大和の運命を描いた大作。撮影後、大和の生き残りの漁師・神尾を演じた仲代達矢(74才)は「どんな理由があろうと戦争は絶対に良くない。そのことを強く訴える為にも、先の戦争をもう一回検証する必要がある。それがこの映画の使命であり、僕らの世代の使命であると考えている」と語り、神尾の年少兵時代を演じた松山ケンイチは「皆、誰かを守りたいと思って戦争へ行き、殺し合いになり、その結果憎しみや負の感情だけが生まれてしまう。純粋で綺麗な人間の心が利用されながら戦争は拡大してゆく。それこそが戦争の本当の悲惨さではないでしょうか」と語った。
この映画は軍指導部や将校の視点で戦争を描くことよりも、最前線の年少兵や下士官の視点から戦争を描くことに重点が置かれていた。そして、内臓をえぐるような凄絶な戦闘描写は、戦争とはヒーローが活躍するカッコイイものではなく、血だまりの中でのたうつ酷いものと訴えてくる。
映画の完成記者会見の席で「愛する者を守る為に死ねるか?」と聞かれた中村獅童、反町隆史ら若手俳優は「家族を守る為に、愛する者の為に戦場に向かう」と答えた。これを横で聞いた佐藤純彌(じゅんや)監督は次の様にさとした「違います。本当に愛するものを守りたいなら“戦争をしない”ことです。戦争をしない為にはどうすればいいのか、その為にいま何をすべきか考えて下さい。この映画が今後の日本を考える上でのきっかけになれば」。僕は監督の信念を知り深く胸を打たれた。※もっと詳しく

 

87.となりのトトロ('88)88分
小学3年のサツキと5歳のメイは引越し先の田舎で、森の住人の3匹のトトロと出会う(大トトロは1300歳)。トトロは迷子になったメイをネコバスで探してくれた。完。
これだけのストーリーなのに、宮崎監督の手にかかるとどれほど魅力的な作品になることか。キャラの描写がとても丁寧なので、観客はいつの間にかサツキ&メイの視線で世界を見つめてしまう。小さな動き(仕草)を大切に描き込んでいるから自然に見えるんだ。宇宙を舞台にしたSFや冒険活劇だけがアニメ映画の題材ではなく、日常生活をメインに綴ったものでも立派に作品になり得ることを実証した名作。子どもを育てるのは都会より田舎の方がいいんだろうね。
前作のラピュタに続いて本作品を発表したことで、宮崎監督への高い評価が決定付けられた。海外でもディズニー・プロのアニメーターたちの多くが、宮崎アニメのベストワンに挙げている。

 
88.阿修羅のごとく('03)137分
向田邦子原作の家族劇。真面目一筋に見えた父親の浮気事件を主軸に、母や性格の異なる4姉妹(大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子)の人間模様を描く。よくきく言葉だけど、この作品に出てきた魔法のセリフを紹介--「10年たてば笑い話だよ」。家族が喧嘩しているのを黙って見ていた父親が、静かに語るこの言葉で、皆、頭に昇っていた血がスッと下がるんだ。どんな辛い事にブチ当たっても、このセリフひとつで狭くなってた視野が急に広くなり、悲しみや苦しみが薄れ、いっきにラクになる奇跡の言葉だと思った。ここぞというところで使われた言葉の力は、なんて絶大なんだと感嘆した!

 
89.天国と地獄('63)143分※クロサワ
邦画史にさん然と輝く第一級サスペンス!大企業の専務の息子と間違われて、お抱え運転手の息子が誘拐される。しかし犯人は動じない。「専務、あんたは払うはずだ。見捨てれば世間が何と言うかな」。しかし大金ゆえ、払っても会社を追われるだろう。だが命には変えられん…。警察は総力をあげて事件に挑むが、犯人が選んだ身代金の引渡し方法は列車の窓から投下するという意表を突くものだった(実際に模倣犯が出たという)。天才的知能犯との息詰まる攻防。まるで事件の現場に立ち会っているような臨場感は、リアルを追及する黒澤の演出ならでは。上映中、映画を観ていることを完全に忘れていた!(原作はミステリーの大家、エド・マクベイン)

 
90.千利休 本覚坊遺文(ほんがくぼういぶん)('89)107分
なぜ利休は秀吉に切腹を命じられたのか?自刃から約30年を経て、真の理由を愛弟子・本覚坊の目を通して解き明かしていく。信長の弟・織田有楽斎や古田織部らは何を見たのか?スクリーンに映し出された四季が非常に美しい。利休役は三船敏郎。
※利休の没後400年記念の作品であり、同年に三國連太郎が利休を演じる別作品も製作された。


 
91.男はつらいよ 寅次郎相合い傘('75)91分
シリーズ第15作。マドンナは2度目の登場となる浅丘ルリ子。肩で風を切って生きるリリーが、べらぼうにカッチョイイ!以下に抜粋したやり取りは、世の男たちの女性観を吹き飛ばす、目からウロコのものだった!

「僕っていう男はたった一人の女性すら幸せにすることが出来ないダメな男なんです」
「幸せにしてやる?大きなお世話だ。女が幸せになるには男の力を借りなきゃならないとでも思っているのかい?笑わせないでよ」
「でも女の幸せは男次第と言うじゃないか」
「あたしはそんな風に考えたことないね。それは男の思い上がりよ」
「お前も何だかかわいげのない女だなぁ」
「女がどうしてかわいくなくちゃいけないんだい?寅さん、あんたそんなだからいつも女にフラれるのよ!」
「あ、お前、言っていいことと悪いことがあるぞ」
「フフン(笑)、だってそうだろ?」

 
92.西鶴一代女('52)148分
様々な男と出会い、別れる度にさらに悲惨な境遇に陥り、不幸が雪だるまのように膨らんでいく女主人公。悲劇的な物語ではあるが、これもまた人生の真実であり、彼女の生き様を見届けて欲しい。10代から50代までを演じきった田中絹代の一世一代の名演技に唸った。溝口監督は本作でベネチア国際映画祭国際賞を受賞し、世界のミゾグチとなった。

 
93.銀河英雄伝説 わが征くは星の大海('88)60分
遠い未来。人類は皇帝が支配する専制政治の銀河帝国と、民主主義を掲げる自由惑星同盟に分裂し、150年も戦っていた。長期にわたる戦いで民衆が疲れ果てた時、双方の陣営に天才戦術家が現れる。若き銀河帝国軍大将ラインハルトと同盟軍のヤン・ウェンリーだ。『銀河英雄伝説』はお互いの立場からこの戦争を見つめたものだ。両軍の上層部はどちらもバカで、「突撃して散ってこそ軍人の華」と言う連中。ラインハルトやヤンは兵の命を大切にし、「最も死者を出さない戦い方」を選んで作戦を練る。そして迎えた数万の宇宙艦隊による大決戦。この戦いでラインハルトは出世を妬む貴族によって事実上の囮部隊にされてしまう。まともに戦えば彼の艦隊は一瞬で全滅する。そこで彼はとんでもない奇策を実行した!ヤンはラインハルトの目論見に気づくが、自分の階級が低い為に進言が提督に受理されない。“このままでは大変なことになる”。果たしてラインハルトとヤンがとった行動とは!?

原作は田中芳樹の大人気小説(1500万部のベストセラー)。初めて観たときの衝撃と感動は忘れられない。銀河での壮大な戦いを背景に人道主義を訴える作品があったなんて。「死んでも勝て」ではなく「絶対に生き残れ」という2人の英雄。この映画が高い評価を受け、本作は後にTVシリーズになっていく。特筆したいのはBGMがすべてクラシック音楽であること。15分もあるボレロを全曲使った艦隊戦に感涙。チェスを思わせる頭脳戦らしく格調高く描かれている。
※TVシリーズではヤンのこんなセリフも。「この戦いにかかっているのは、たかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べれば、たいして価値のあるやつじゃない」。
※「専制政治が倒れるのは君主と重臣の罪だが、民主政治が崩壊するのは全ての市民の責任ですからな」(ビュコック元帥)


  我らがヤン・ウェンリー
94.たそがれ清兵衛('02)129分
老母と2人の子の世話の為に夕方になると城から帰ってしまう、出世欲のない清兵衛。彼は偶然ある事件に関ったことから、藩命で果し合いをすることに…。一人の侍の人生を、“幸不幸を決めるのは本人だ”という視点で描いていおり、胸に沁み入るセリフが多かった(前の座席の老夫婦はえらい泣いていた)。キネマ旬報社の監督賞、脚本賞、主演女優賞、主演男優賞、新人男優賞を総ナメ。オスカー候補にもなった。

 
95.SPACEBATTLESHIP ヤマト('10)138分

一言でいって“熱い”映画だった。僕の後方に座っていた女性客はクライマックスで声をあげて泣いていた。アニメの実写化はチープなものが多いけど、本作は充分鑑賞に耐えうるレベル。短所は山ほどあったのに、見終わった後は「よくぞ実写化してくれた」という幸福感に包まれた。9個あったマイナスポイントを10個の長所でカバーし、力業(わざ)でプラス評価に変えてねじ伏せた感じ。山崎努の沖田艦長、西田敏行の徳川機関長、この2人が出ているだけで画面が引き締まるし、柳葉敏郎の真田さんがこれまた良かった。キムタクと黒木メイサも当初は違和感があったものの、最後はこの2人以外のキャストは考えられないと思うように。沢尻エリカから変えて大正解。音楽もアニメ版の名曲がここぞというシーンで使われたし、新BGMは『龍馬伝』を担当した佐藤直己が作曲。「慌てず急いで正確に」など、ファンが思わずニヤリとする名セリフも随所に登場した。ガミラスの設定は激変していたけど、伊武さんの「ヤマトの諸君」も聞けたし、2時間強の尺に合わせる為によく考えていた。とはいえ、ストーリーの核心には触れない程度に、ツッコミを入れたい。(1)「いまそれをやっとる場合かーッ!」と吠えたくなった、突如始まるラブシーン。あれにはズッコケた。(2)14万8千光年が近すぎ。「もう着いたの!?」とビックリ。波動砲の登場も早すぎ。時間の経過を伝えるセリフが無いなので、一週間くらいで到着した感じ。長旅感ゼロ。“七色星団”が無いとかあり得ん!(3)主砲の動きが速すぎ。重量感皆無。アムロでも乗ってるのか?(4)空間騎兵隊、少なッ!なんで7人ぽっち!?(5)魚雷も煙突ミサイルも出さない理由を教えてくれ(6)クルーが飲み会やりすぎ!自重!(7)雪、救出どころかあれは死ぬだろ(8)アニメでは素晴らしかったガミラス艦隊のデザインがありきたりな異星人船に(9)佐渡先生が女性になった違和感は最後まで拭えず。だが、こんなに欠点があるのに、結局、全部許せてしまう。短所にこだわるのが無粋に思えてしまう。後半の脚本で“うおお、そう来るか!”と何度テンションが上がったか。途中まで「誰がパンフなんか買うか」って思ってたのに、上映後は涙を拭いながら真っ先に売店に向かう自分がいた。無理をして観ることはないけど、30代以上で迷っている人は鑑賞すべし!

 
96.ドラえもん・のび太の結婚前夜('99)26分
結婚式を翌日に控えた未来ののび太や静ちゃんを描く。大人になったのび太が、ジャイアン、スネ夫(ピアスをしてオシャレ)、出来杉たちと酒を飲む場面で、歌い始めたジャイアンに「ヤメロー!へたくそー!」と、笑いながらヤジるシーンがあり、驚くと共に時の流れを感じた(のび太がジャイアンにヤジを飛ばすなんて!大人になり対等になったんだよね)。飲み会では出来杉が「僕らの静ちゃんもとうとう結婚かぁ〜」と感慨深く語り、別れ際にはジャイアンがのび太にこんな耳打ちをする「なんで静ちゃんがお前を選んだのか(今なら)分かる気がするぜ」。ガキの頃はのび太を馬鹿にしてた彼を考えると、不器用ながら最高の誉め言葉だと思う。
この映画では、未来ののび太の隣には、ドラえもんの姿が見当たらない。つまり、成長していく過程のどこかで正式な別れの日があったんだ。語られることのない別れはどんなものだったのだろう。酒を酌み交わした後に、独りで夜の堤防に出て寝転んだのび太が、星空を見ながら一言「ドラえもん…」と呟く場面で胸がギュッとなった。明日は静ちゃんとの結婚。第2の人生がスタートする。彼の胸には様々な思い出が沸き起こり、それがポツリと言葉になってもれたのが「ドラえもん…」だと思った(本作で青年のび太の口からドラえもんの名前が出るのは、このたった一度だけ!)。静ちゃんの家では家族で結婚前の最後の夕食を食べた後、パパが彼女にこう言うんだ。「のび太君を選んだ君の判断は正しかったと思うよ。あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことの出来る人だ。それが人間にとって大事なことなんだからね」。このセリフはドラえもんという作品を代表する名セリフだと思いマス。エンディングがこれまた素晴らしい!
【ネタバレ文字反転】
エンディングでは、幼稚園や小学校の入学式など、のび太としずかちゃんの半生がアルバムの写真で紹介されていく。最後は結婚式。そこには年をとって白髪が混じった、のび太のパパやママの姿もあった…。ジ〜ン。テレビではエンディングをカットしてCMを流すことが多いので、レンタルして観てクダサイ。

 
97.酔いどれ天使('48)98分※クロサワ 
敗戦からまだ3年という、戦後の混乱期に作られた映画。貧しい人々ばかり診察しているアル中の町医者と、結核で死んでゆくチンピラの交流を描く。「人間にとって一番必要な薬は理性だ!」と町医者が叫んだのが心に響いた。頬がこけ、瞳だけがギラついている三船の演技は迫力十分。従来の映画スターとは格が違うと思った。(黒澤と三船が出会った記念すべき作品だ)

 
98.人斬り('69)140分 
幕末に実在した土佐藩所属の暗殺者・岡田以蔵。冒頭の路地裏での殺伐とした暗殺シーンから、尋常ではない緊張感が漂っている。以蔵は格子ごと相手をぶった斬る荒っぽいテロリストだ。返り血を浴びぬように提灯に刃を通して相手を突くシーンは背筋が寒くなる。幕府派VS志士の決戦や、身内同士の裏切りあいなど見所は多いが、何といっても最大の話題は、翌年に割腹自殺をする三島由紀夫が剣豪役で出演しているうえ、鬼気迫る切腹シーンを演じていることだ。切腹の撮影が済んだ直後の三島は、すっかり肉体が硬直してしまい、スタッフは手から刀を引き離せなかったという。
※勝新太郎の岡田以蔵、仲代達矢の武市半平太、キャストは皆ハマッていたんだけど、石原裕次郎(ぽっちゃり)の坂本竜馬だけは最後まで違和感が拭えなかった…。

  涙の絶版
99.ハッシュ!('01)135分
ゲイの2人と孤独な女性の友情物語。セリフの“間”が絶妙!出てくる役者はみんな演技が上手でグイグイ引き込まれる。中でも片岡礼子の自然体の演技は特筆に価する。若者3人が都会の片隅で、互いに支えあい、気づかいあいながら、不器用でも懸命に生き続ける姿は純粋に胸を打つ。さりげない優しさに満ちた作品。(あのスポイトには笑った!)

 
100.ジョゼと虎と魚たち('03)116分
妻夫木君のプレイボーイぶりは同じ男として頭に来たけど、ジョゼに対してハンディを背負っていることを特別視せず、普通に接していた点に好感。ジョゼの散歩の理由「ネコが見たい」が可愛い過ぎる(笑)。“護身用トカレフ”や“スケボー付き車椅子”、サガンの小説のエピソードなど楽しい場面がいっぱいあった。結末は賛否が分かれるけど、僕は2人がひとまわり大きくなったと思うから「賛」。なんせ、池脇千鶴が素晴らしすぎる。

 


★101位〜200位
★201位〜333位


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