《北朝鮮編》第5回

『チュチェ思想塔』の次に訪れた北朝鮮的巨大建造物は、『朝鮮労働党創建記念塔』だ!これは北朝鮮の政界を支配している朝鮮労働党の創建50周年を記念して建造された大理石の超巨大オブジェで、50周年に合わせて50mの高さに作られている。3本の塔からなっており、どの塔も腕の形をしていて、それぞれの手には、ハンマー、鎌、筆がムンズと握られている。大地から天へ腕が伸びてるという、なかなかインパクトのある造形だ。塔は周囲をリングで囲まれひとつになっており、このリングがまた直径50mとのことだった。

握られた3種の道具には意味があり、ハンマーは労働者、鎌は農民、筆は知識人を象徴している。この3者がスクラムを組んで国づくりをしていこうという熱いメッセージのモニュメントなのだ。腕の周囲のリングには
『朝鮮人民の全ての勝利の組織者である朝鮮労働党万歳!』
と雄叫び系スローガンが刻まれていた。

その場所で僕が興味を引かれたのは、記念塔そのものより、記念塔の背後にそびえる、2つの35階建て巨大マンションだった。この、お互いが左右対称になったひな壇型のマンションは、それぞれ屋上に2文字のスローガンが掲げてあった。
徐さんに何て書いてあるのか尋ねると、左が「百戦」、右が「百勝」とのことだった。百戦百勝、なんてアグレッシブな闘魂マンションなんだ…。

ホテルへ戻り夕食をとった後、その夜も眠る前に展望ラウンジに足を運び「ポッカ」を飲んだ。板門店を往復して疲れていたのか、ポッカ片手に夢うつつになり、ユラユラと千鳥足で部屋に戻った瞬間、眠りの森へ誘われた。

●3日目〜平壌の大ピラミッド・壇君陵

このレポートは世界巡礼烈風伝というタイトルが示すように、ただの北朝鮮旅行記ではない。なんといっても墓参がメインのドキュメンタリーだ。だが、偉大なる首領様に謁見不可能な状況で、この地において他に誰の墓参をするというのか?
実はどえらい墓が平壌郊外にあるのだ!そう、東アジア最大のピラミッドが!

北朝鮮での滞在3日目。
この日は前日とは違ってバスは9時の出発と、ゆっくりめの観光スケジュールだった。天気は相変わらず雲ひとつない、ぬけるような青空。バスは郊外の田園地帯へ出ると、一路、檀君陵を目指した。檀君陵…つまり檀君たる王の墓だ。

檀君とはいかなる人物か?少しトンデモ話になるが、簡単に紹介しよう。

朝鮮半島の古代史『三国遺事』によると、今から5011年前、一匹の熊が人間になりたいと天に祈り、本当に人間の女性になるという大事件があった。女性になったこの熊は、次は子供が欲しいと何日も祈っていると、天界の帝釈天の息子ファヌンが彼女に同情し、美青年に変身して地上に降りて来た。2人は結婚し、生まれてきた男の子が檀君だというわけだ(ドヒョ〜)。
檀君はBC2333年10月3日、聖地白頭山(実在の山)で朝鮮開国を宣言する。彼は古朝鮮を1500年間治め、その後山神となり1908才で亡くなった。

紀元前30世紀のエピソードということで、朝鮮民族の始祖檀君の存在は、長い間伝説上の人物だと思われていた(日本神話でいう神武天皇みたいなもの。っていうか1908才って何!?)。
と・こ・ろ・が!
1993年に入って、北朝鮮政府は平壌郊外で檀君王の遺骨を“発見”したと発表し、翌年その墓を巨大なピラミッドに改築したのだ!この世紀の“発見”によって、檀君の存在は科学的に証明され、朝鮮民族の歴史は中国最古の文明よりもさらに千年近くも古いことが判明したのだ〜ッ!って、あの〜、もしこの遺骨が本物なら、世界史の定説を根底からくつがえす世紀の大発見なんですけど…。

檀君陵に到着して白亜のピラミッドを見上げた。でかい。ビルの5階くらいはあろうか。色物とはいえ、偉大なる首領様が死の前年に建築指令を出しただけあって、さすがに立派だ。内部の見学が可能だったので、現地のガイドに連れられてピラミッドの中央部分に入っていくと、檀君と妃の大きな棺が並んで安置されていた。棺の側には髭をたくわえた檀君の肖像画が飾られていた。
「ほ〜う、なかなか精悍な顔つきの王じゃ」
と思ってみたが、紀元前30世紀にこんなリアルな彩色肖像画を描き残す技術があったとは到底思えず、僕はますます疑問符の洪水に呑まれていった…。


《北朝鮮編》第6回


●市内見学3日目〜地下鉄でGO!

昼頃市内に戻って平壌名物の冷麺を食した。北朝鮮の冷麺は、スープがあっさりとして抜群に美味しい。麺にそば粉が入っており、シコシコとした歯ごたえも楽しめた。トッピングはゆで卵、キュウリ、キムチ、肉だ。で、肉がやけに硬くて干し肉のようだと思っていたら、あとで犬肉ということを知った。
日本人にしてみればギョッというものだろうが、中国、ベトナム、そしてここでもワンちゃんはペット兼食用という微妙な立場に立たされている。犬肉に関しては、むしろ日本の方がアジアにおいては異端なのかも。

※ちなみに北朝鮮には割り箸がない。どこに行っても鉄箸だ。大勢で食べると、鉄箸が食器に当たる音がなんとも賑やかだ。鉄箸は何度でもリサイクル出来るし細菌も繁殖しないので、実はすごく実用的といえる。

食後は地下鉄の見学だ。地下鉄に乗るという行為自体がイベントになるのは御愛嬌ということで。

平壌の地下鉄は1973年に開通、2路線17駅からなる。それぞれの駅名は「戦友」「勝利」「凱旋」「赤い星」など、実に革命的だ。早朝6時から、夜は22時半まで動いており、3〜5分に1本のハイペースで運行されている。

一行は始発駅の富興駅から次の栄光駅まで乗車した。コイン式の自動改札になっており、目の前にはお約束の『21世紀の太陽、金正日将軍万歳!』のスローガンが炸裂していた。
地の底まで続くかのような長いエスカレーターで降りる。角度が急なので吸い込まれるような感じだ。エスカレーターには所々に小さなスピーカーがついていて、そこから何かアグレッシブな歌が流れていた。曲名は分からなかったが、偉大なる親子様を讃える曲であることは曲調から容易に想像できた。

※同国でポピュラーな曲のタイトルを以下に記すので、各自で雰囲気をイメージして欲しい。
『金日成大元帥万々歳』(キムイルソン・デウォンス・マンマンセ)
『恋しい私たちの金正日同志』(クリウン・ウリエ・キムジョンイルドンジ)
『あなたがいなければ祖国もない』(タンシニオプスミョン・チョグクドオプタ)
『敬礼を受けて下さい』(キョンレルル・バドゥシオ)
『勝利の閲兵式』(スンニエ・ヨルビョンシク)
『最高司令官同志の健康をお祈りします』(チェゴサリョンガンドンジ・コンガンウル・チュッカハダ)

高速エレベーターによる2分半の急降下の後、ホームに着く。
そこで駅の内装に思わず“おお〜っ”と感嘆した。平壌の人が駅を地下宮殿と呼ぶのも納得だ。実は地下鉄の各駅は、それぞれの駅名にちなんだ内装が施されているのだ。最初の富興駅では首領様が労働者や農民を導く姿が壁画として描かれ、次の栄光駅では天井のシャンデリアが、花火をイメージした放射状のデザインになっているという様に。
ホームのあちこちに“朝鮮人民の闘争の歴史”を表すレリーフや彫刻があり、気合いの入った凝りようだった。

乗車すると、車内は少ししか蛍光灯が点いてないため薄暗く、始発駅ということもありガラガラだった。中吊り広告は一切なかったが、その代わりに偉大なる親子様が一対の肖像画となって、頭上から人民を温かく見守って下さっていた…。

ほんの3分ほど移動しただけで栄光駅に着き、スペシャル・ツアーは終わった。
地上に出ると国鉄平壌駅が見え、駅の両側にあった
『偉大なる首領金日成同志万歳!』
『栄光ある朝鮮労働党万歳!』
という大きなスローガンが、シャウトしながら我々を出迎えてくれた。


《北朝鮮編》第7回


その夜は22時という遅い時間から平壌のナイト・ツアーが企画された。
これは元々のスケジュールにはなかったのだが、北朝鮮滞在の最後の夜ということで、徐さんが好意でバスを用意してくれたのだった。以前にも訪朝経験のあるリピーターの人が、“4,5年前は観光客に夜間の外出が許可されるなんて考えられなかった”と驚いていた。
おお〜、現在このような行動の自由があるのも、慈悲深い将軍様が異国の民である我々に、友愛に満ちた温かい御配慮をして下さるおかげか?
(実は徐さんが国営朝鮮国際旅行社・日本部のトップの人だということが判明。それで、こうした独自判断を自由に出来たようだ)

“ナイト・ツアー”といえばなかなかロマンチックな響きがあるが、第3回でも書いたように、現在北朝鮮は深刻な電力不足に陥っていて、首都といえども日没後は闇に包まれてしまう。特に22時以降は『チュチェ思想塔』など人民の心の拠り所となる記念碑への夜間照明も消され、平壌は漆黒の街と化す。信号さえ消えており、夜景ウオッチをシャレ込むなんていう状況ではなかった。
(正確に言うと、近年は昼間でも節電の為に信号が消えており、一日中人間が交通整理をしている)。

しかし、無人というわけでもなく、公園や広場にはたくさんの市民が集まって談笑していた。居酒屋など盛り場が皆無なので、平壌っ子には公園が最大の社交場なのだろう。
結局、その“暗闇っぷり”を見学しただけで、あとは外国人専用の高麗ホテルを訪れ、展望ラウンジでくつろいだ。我々の羊角島ホテルはアジア人の宿泊客が大半だったが、こちらは欧州系が多いように見受けられた。

夜中12時まで飲み、少しアルコールが回ったまま高麗ホテルの玄関を出る。すぐ近くに平壌駅が見えた。首都の中心地だが、深夜の上にガソリン不足もあって、乗用車は一台も走っていない。のび太が夜中の町でやったのと同じように、公道のド真ン中でごろんと寝転んでみた。背中がひんやりして気持ちよく、夜空は光害がないおかげで星がとても綺麗だった。

宿に戻った僕は、酔い覚ましにジュースを飲みたくなり、閉店時間を過ぎていたが展望ラウンジを少し覗いてみた。すると、昨日、一昨日で僕の顔を覚えたウエイターが、
「ヘイ・ミスター・ポッカ!」
と声をかけてきた。僕は時計を指差して“ワン・ポッカ、OK?”と聞くと
「オー、ユー・エブリディ・ポッカ!」
そう肩をすくめ、笑いながら椅子を引いてくれる。
「カムサハムニダ(ありがとう)」
というと逆に日本語で返事が返ってきた。
「イ〜エ、ドウイタシマシテ!」

●そして、最終日〜さらば!

9月2日。いよいよ最終日だ。
3泊した部屋ともお別れ。室内で一番印象に残ったのはカレンダーだった。北朝鮮サーカス団の陽気なカレンダーなのだが、8月15日が赤文字で祝日になっていたのにハッとさせられた。日本にとっては“追悼の一日”だが、半島ではめでたい解放記念日であり、各地でお祭りが繰り広げられる。過去にこの地で何があったかをリアルに感じさせられた。

9時にチェックアウトを済ました後、昼頃まで最後の平壌観光をした。
最初に訪れたのは朝鮮革命博物館。ここがまた、とてつもなく広い!約100部屋もの陳列室があり、これら陳列コーナーの長さを総計すると延べ4、5kmに及ぶ。博物館の係員は、
「本気で建物をすべて見て回ろうとすれば、1週間はかかるでしょう」
と得意げに説明していた。

世界人民の太陽であられる首領様。その御生誕に関する資料室から見学はスタートする。館内は、初期抗日革命闘争期、祖国解放戦争期、社会主義の完全勝利に向けての闘争期、祖国統一を目指した英雄的戦い、主席の賢明な指導に導かれた朝鮮労働党の大躍進の日々といったセクションに分かれ、どこも目眩がするほどスーパーヒーロー首領様で溢れ返っている。

基本的には、どの陳列室も
・絵画や銅像で再現した当時の首領様の輝かんばかりの雄姿
・栄光の歴史を彩る人民軍の兵器
・敵の大惨敗を物語る各種資料
の3点セットからなっており、それらが時代を追って延々と展示されていた。中でも一番すごかったのが、ドーム型のシネマルームで見た、祖国解放戦争中の首領様の演説シーンだ。最初は映像で見ていたのだがクライマックスでスクリーンが突然左右に開き、首領様が数千人の人民に祝福されている人形模型の大パノラマが眼前に広がったのだ!
見学者は、全人民に慕われ一身に賞賛を浴びる首領様に圧倒され、無言のままドームを出た。

約1時間半の見学を終え、色んな意味で疲れ果て、ヘトヘト状態で外に出た我々は、続けて平壌観光のハイライトといえる、博物館の前に建てられていた偉大なる首領様、故金日成大元帥の巨大銅像に謁見した。この銅像は首領様の生誕60周年を記念して作られたもので、高さ22mと国内最大の大きさを誇っている。像の右手は希望に続く道を指し示すが如く天に高く掲げられ、その視線は地平の彼方をしっかりと見つめておられた。
首領様が1994年に亡くなった時、この万寿台の銅像には、驚くなかれ、毎日平均60万人(!)が花を持って訪れたという。

「こ、これはすごい変化だ。信じられない…」
ここでもリピーターの人が絶句していた。その人によると、以前は公人私人を問わず、平壌を訪れた者は初日に必ずこの場所へ来て、まず献花の儀式を行わねばならなかったそうだ。当時は銅像の横にナレーション専門の人がいて、訪問者が献花する度に首領様の遺業を継ぐ決意を宣言し、BGMに荘厳な『偉大な首領様金日成大元帥銅像への花篭贈呈曲』を流していたらしい。
ところが、今回は最終日、それも帰る間際に案内されただけでなく、儀式(献花)も何もない。また、革命博物館から銅像へ移動した際、我々は偉大なる首領様のお尻(背後)の方から周って来たが、首領様の銅像には真正面から謁見するのが鉄則らしく、これも一大事件とのことだった。
徐々にだが、極端な個人崇拝が薄まり、その意味で民主化の波が押し寄せているのかもしれない(そう信じたい!)。

とはいえ、徐さんはこの銅像を訪れる前に、
「くれぐれも像の前で首領様のポーズを真似したり、ふざけて写真を撮らないで下さい…どうか私たちの気持を配慮して…」
と何度も何度も念を押していた。“行け行けドンドン”の徐さんが本気で注意しているのは余程のことだ。まあ確かに建国の父の前で観光客がギャグ写真を撮っていたら面白くないだろうし、実際、過去にポーズを真似してカメラのフィルムを抜かれた人もいるとのことだった。

それにしても、銅像の足元に行くとその巨大さを本当に実感する。見上げる首が痛い。仮に奈良の大仏様(15m)を横に並べると、首領様の上着の第3ボタンまでしかないし、ガンダム(18m)でさえ首までだ。まさに圧巻の一言。

そこに滞在していた15分ほどの間にも、ひっきりなしに人々が献花を手に参拝(?)に来た。大人ばかりでなく、子供たちもグループを組んでやって来る。北朝鮮の子供たちはとても礼儀正しく、観光客と目が合うとペコリと挨拶してくれる。僕のような世間の裏街道を行く極貧どくされ文士にも、澄んだ瞳でお辞儀をしてくれるので、こちらは思わず狼狽し、“アワワ”と取り乱してカメラを落としてしまった(笑)。


《北朝鮮編》第8回


平壌を離れる前に、最後に土産物ショップに寄った。店内の主力商品は壷や花器などの焼物と、刺繍の絵画だった。
「ホヨッ!?」
思わず目をこすったのが、壷コーナーの一角にドーンと置かれていたアントニオ猪木の胸像だ!かなり大きかったので、おそらく実物大。店員に“なぜ猪木なのか”と気色ばんで尋ねると、
「猪木さんは1995年に平壌でスポーツの祭典を開き、そこでプロレスを見せてくれたので北朝鮮では人気者なのです」
との返事。猪木もやるね。ちなみに銅像の値段は24万円。99.9%まだ売れ残っていると思うので、読者の中で室内のインテリアにぜひと思われた方は平壌へ急行されたし。

僕がゲットした土産は2つ。
ひとつはホテルで見た北朝鮮のアニメキャラ“歯抜けおじさん”のお面。このおじさんは、ハゲ、歯が1本、鼻穴全開、眉がハの字、かつ笑顔の濃いキャラで、レジのお姉さんは手に取った習慣「ブッ」と吹き出し、口元を隠して笑っていた。ラッピングする時も指先がひくひく震えていたのを僕は見逃さなかったが、何より「ブッ」という音を聞けて嬉しかった(統一スマイルではなく、こういう笑い方を待っていたのだ!)。

もうひとつの土産は北朝鮮名物、マスゲームのビデオだ。マスゲームというのは大勢で人文字を作ったり美しい組体操を見せるもので、北朝鮮では記念式典などでよく披露される。日本でも甲子園でPL学園の応援部などがパネルで人文字を作っているが、あれとは規模がまったく違う。驚くなかれ、僕が買った朝鮮労働党創建55周年大会のビデオでは、なんと10万人が人文字を作っていた!(文字は『自力更生』『総進撃』『あなたについていきます』など)
ピョンピョン跳ねながら「ワーッ」っと歓声をあげて、将軍様に手を振る光景は壮観の一言。

「マスゲームは我が国の国力や民族の統一性、団結力を広く海外に知らしめる絶好の手段です」
偉大なる首領様は、かつてこうおっしゃっておられた。首領様、確かに異国民の自分にも貴人民の団結力がしっかと伝わりました!フィナーレで演奏された『金正日将軍の歌』の、
「♪マンセ〜(万歳)、マンセ〜、キムジョ〜ンイ〜ル、チャング〜ン(将軍)!」
の10万人大合唱が耳から離れません!

正午前にすべての日程を終え、バスは南甫の港に向けて出発した。
平壌を出る前に、街の一角に掲げられた首領様の肖像画が目に入った。
『偉大な首領金日成同志は永遠に我々と共におられる』
という言葉が添えられていた。
“この輝く満面の笑みを、僕が次に見るのは何時だろうか?”
この4日間、どこに行っても敬愛なる親子様が額縁の中から見守って下さる生活だったので、その慈愛に満ちた庇護(笑顔)のない世界に戻って行くことに、一抹の寂しさを覚えた(オイオイ)。

4日前と同じ道をバスは疾走する。僕は肘を窓枠にかけ、頬杖をつき、彼方まで続く田園風景をずっと眺めていた。最終日も晴天だったので、田畑では農民たちが精を出し働いている。農村周辺を通過すると、チビッコはバスが珍しいのか、よく手を振りながらダッシュで追いかけてきた。

10分ほど走った頃、徐さんが
「せっかくだからお別れに朝鮮の歌を一曲紹介しましょう」
と切り出し、半島に古くから伝わる代表的民謡『アリラン』を歌ってくれた。非常にゆっくりしたテンポの、物悲しいメロディーの歌だ。“アリラン”そのものは直訳すると“峠”という意味で、歌詞は自分を捨てた恋人に向けた切ない気持を表したものだ。

「♪アリラン アリラン アラリヨ アリラン峠を越えて行く私を捨てて行くあなたは 十里も行かずに足痛む」
※朝鮮の十里は日本でいう一里(約4km)

流れ去る風景をじっと見つめながら徐さんの寂しげなアリランを聴いてると、ウルウルと目頭が熱くなった。何とも後ろ髪を引かれるような歌だ。

港に差し掛かり船影が見えてくると、徐さんは最後にこう締めくくった。
「日本の政府は北朝鮮のことを怖い国だと宣伝していますが、普通の人が、普通に生きている平穏な国です。ぜひ、もっと日本の人に足を運んでもらって、誤解を解いて欲しいです。私たちは良い隣人なのですから」

バスを降りる時、この4日間、朝から晩まで声がかすれるほど熱心に案内してくれた徐さんと別れの握手をした。
「徐さん、本当に有難うございました!」
「どうも。そうそう、あなたは日本の何処に住んでいるのですか?」
「あ、えと、大阪です」
「そうですか、では大阪にはテポドンを落とさないように言っておきますね(笑)」
そ、そ、徐さ〜ん、それブラックすぎ!

午後3時。船は南甫港を離岸した。
岸壁では、徐さんをはじめ20人近いガイドやバスの運転手が懸命に手を振っていた。周囲をよく見ると、四方八方の漁船や貨物船の乗組員も手を振っている。釣りをしている子供たちもだ。
ウ〜ン、こ、これはかなりジーンとくる光景だった…!


こうして僕の初めての北朝鮮巡礼(一応、檀君の)は終わった。
実際に北朝鮮へ直接足を運んで本当に良かったと思う。極端な個人崇拝社会に違和感を感じ、そのことを疑問に思わない人々を不思議だとは思うが、だからといって現地で出会った人々全員が無感情のロボットかというと、そんなことはない。冗談を言えば笑うし、経済の話題に触れると“まさに苦難の行軍です…”としょんぼりする。旅行者にとっての平壌は世界一治安の良い都市であり、行く先々で素朴さや純真さに溢れる人民との出会いが待っていた---。

わずか4日間では分からなかったことも多いが、いずれにせよ、徐さんのように「ブラックユーモア」が言えるのは、社会に健全な部分が機能しているからじゃないだろうか。っていうか、そうあって欲しい!



(03年・追記)結局、自分は“騙されていた”ということか。日本人拉致、公開処刑、強制収容所、核武装の脅迫、覚醒剤の生産、ニセ札造り、それらの狂気を何も感じなかったということは…。ショックで言葉もない。


●おまけ〜北朝鮮豆知識


1.誕生年が3種類!
例えば親愛なる金正日将軍の場合、
西暦1942年
檀紀(朝鮮暦)4275年
主体(共和国暦)31年
2月16日生まれとなる。

2.将軍様はモテモテ
奥さんは、本妻と内縁を合わせてなんと6人!子宝に恵まれ、息子が3人、娘が5人もいる大家族だ。

3.本当にあるすごいタイトルの歌
『我々の血はA型やB型ではない 金正日書記の型』

4.女性の地位
労働力全体で女性の割合が50%に達するほど、女性は社会に進出している。夫婦間の力関係については、徐さんいわく
「私は妻の意のままにされている」
とのこと。最近は、女性が外で働き男性が家で留守番することを皮肉って、夫を「我が家のカギ」という言葉まで生まれているらしい。

5.柳京ホテル
残念ながら僕は「親子様の奥深い知識と心温まるご教示」を全肯定する気にはなれない。ここ数年の大飢饉が明らかに親子様の政策ミスだからだ。
連載第3回でも書いたが、北朝鮮の山はハゲ山ばかり。燃料用に次々と伐採する一方で、いっさい植林をしなかった為だ。ハゲ山には保水能力がなく、雨が降ると大洪水、降らないと大干ばつを引き起こす。
また、徐さんは触れたがらなかったが、平壌に行くと嫌でも目に入るのが高さ300m、105階建て、3千室を誇る柳京ホテルの廃墟だ。このホテルは将軍様の号令で“世界一の高層ホテル”を目指して建設が始まったが、資金不足で工事が中断され、現在むき出しのコンクリートをさらし朽ち果てており、皮肉にも北朝鮮の経済停滞のシンボル的存在となっている。
近年、労働党創建記念塔や凱旋門、人型巨大ゲートなどが完成したが、こうした国威発揚の為の巨大建造物に莫大な資金、資源を注ぎ込み、農業政策を軽視した結果、大飢饉が起こったのだ。
お隣りの韓国が豊作続きである以上、飢饉が人災であることは明らかなのに、将軍様はこの無駄使いと政策ミスに対し何ら責任をとろうとせず、また誰もその事を面と向かって批判できない。僕は大問題だと思う。

6.医療
医療は無料!これは素直にすごい。

7.観光客
徐さんの話によると、日本からの観光客は年間800人、中国からは1万人来るそうだ。

以上!

(最後まで読んでくれた方、お疲れさま!)



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