世界巡礼烈風伝・17の巻
(巡礼5日目その5)

★芸能人・成田雲竹(うんちく)


三内霊園編、最後の一人はなんと民謡の神様、成田雲竹だ!…といっても若い読者の方は誰一人雲竹を知らんと思う。…というか、若くなくてもちょっとキビシイかも。現にこの僕も三十路を過ぎるまで雲竹のことは何一つ知識がなく、三味線の天才高橋竹山(ちくざん)が長く伴奏をしていたことで、その存在を知ったのだった。

派手なだけの節回しや、わいざつな歌詞を嫌い、格調高い美声と歌いっぷりで、生涯かけて民謡の発掘・普及に取り組んだ雲竹。彼は日本民謡協会から初代の名人位を授与された、まさに“唄の鬼”だった。

伴奏者の竹山が自伝の中で雲竹の声の良さに触れている。
「オラの21、2のころの雲竹さんの唄というのはどんだもこんだも、ああした声を聴いたこともなければ、ああいう唄も聴いたことがない。まことにいい唄だった。なんぼでも調子はたつし声の幅はあるし、まずほんとにホロッとするような唄であった。声に曇りがなく、あれが、ほんとの声というもんだなぁ」

成田雲竹は1888年生まれ。いろりで祖父の歌う津軽の唄を聴き覚え、七歳の時には代表的な津軽民謡は覚えてしまったという。しかし、当時は歌い手が卑しい職業と蔑視されていた時代。周囲の猛反対を受け、木こり、鉄道の掃除夫、郵便局員と次々職を変え、21歳で警察官になった。

『警察界の変わり者』と呼ばれた雲竹は、駐在所で毎晩若い者を集めては民謡を教えていた。面白い巡査として村人に親しまれ、とくに青年連中に人気があったが、村の複数の有力者筋から巡査は村民から見て威厳がなくては困ると苦情がで、署長室呼びだしに。

署長の火防講演で人集めのため「オラが歌うから」と触れ回り、狙い通り満員にさせた。成田巡査が数曲歌い、その後に講演を行ったが、翌日の新聞に制服帯剣姿で民謡を歌ったのは大問題と報じられ(明治というのはそういう時代だった)、県警警務課長はカンカン、今度は県警本部呼びだしに。

そんなこんなで10年ほど勤務したが、その間に十数回も懲罰を受け、しかもその原因はすべて唄だった。最終的には民謡道場を開いたとあって辞職せざるをえなくなった。
後年語った警官時代へのコメントがすごい。
「ふらっと入った県庁で警察官募集のビラを見なければ、民謡の勉強をする時間も得られなかった。ラッキーだった。」
う〜ん、マイッタ!

37歳の時、国内最初のラジオ民謡放送で津軽民謡の代表に選ばれた。ちょうど民謡ブームという時流に乗ったこともあり、42歳の頃には支部道場が30ヶ所まで爆発的にふくれあがる。東京を中心に、弟子の数が6000人を超えるカリスマぶりだった。

1950年、62歳の時、伴奏者に40歳の高橋竹山を指名する。それから15年、この師弟コンビは津軽民謡の黄金時代を築くことになる。

「民謡を歌うのは自分の天命だが、金と座興のためには歌わない」
「芸人は大衆にこびるが、芸能人は芸を記録として後世に残すことに生きがいを持つ」
これは雲竹の言葉だ。竹山もこれに近い思いを抱いており、二人をお互いに引き付けた大きな理由の一つだろう。

師弟関係は尋常ではない厳しさがあったが、舞台そでで出番を待つ間、雲竹が竹山のそばに寄り添うように立ち、目の見えない竹山の紋付きについていた糸くずを、そっと取ってあげてるのがよく目撃された。
1974年永眠。85歳の大往生だった。墓石は巨大な黒石で、大地からドーンと天へそそり立っていた。ド迫力じゃった。
 
棟方志功、沢田教一、成田雲竹…大阪から遥かに遠い青森の地に、僕にとっての新たなる聖地が加わった。青森三内霊園、去りがたし。


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世界巡礼烈風伝・18の巻
(巡礼5日目その6)

『ねぶたハリケーン直撃!』

★ザ・ロンリー・ライフ


一人暮らしを15年も続けていると、孤独な状態が人生の基本スタイルになってしまい、おのずと人ごみや喧騒が苦手になってくる。

昨今はEメールが情報連絡の主軸となり、すっかり電話文化は瓦解し、冗談抜きで、まる一日ひと言も喋る機会がないまま眠りにつくことも珍しくない(4日ぶりに電話がかかってきた時など、唾が喉にからまって声にならず、相手に『風邪?』とか聞かれる始末!)。失業中だと仕事をしていた頃よりも世間との接触が減り、会話数の激減傾向がもう止まらないって感じだ。

先に人ごみが苦手と書いた。人間嫌いというわけではない。文芸研究家になったのは、人間への好奇心が抑え切れなかったからだ。だが、現に僕は群衆の中に入ると心身の消耗が極端に激しく、人酔いもかなりきつい。めまいや嘔吐感を伴うことさえある。これは“孤独”という生活習慣病なのかも知れぬ。

前置きが長くなった。
何が言いたいかというと、僕は一度も大規模なお祭りに行ったことがなかったということだ。否、祭りだけではない。自分から花火大会に行ったのは15年も昔だし、海に入ったのは今年が10年ぶりだった。世間では祭り、花火、ビーチというのはデートのラブラブ3大スポットだというが、この世に生を受け三十余年、未だその様なハッピー・メモリーは僕にはない。


★鶴の一声

「あんた今から、ねぶたさ行ぐべ?」
青森三内霊園から巡礼を終えて立ち去ろうとすると、掃除中のおばさんがニコヤカに声をかけてきた。この人は雲竹の墓を案内してくれた人だ。
「え…え、ええ、行きますとも!もちろんですよ!」
僕はすぐにでも北海道へ渡り、函館見物をして噂の夜景を眺めるつもりだった。イクラ丼やウニ丼も食べたことなかったし、祭りのことなんか、これっぽっちも考えていなかった。
「ねぶたさ初めてけ?」
「ハイ」
「んだ、んだ、今夜はまんず、一生の思い出になるべ!」
彼女の話では、ねぶたは一週間続く祭りで、ちょうど今日、明日の2日間がクライマックスだというのだ。つまり、偶然この日に青森入りをしたのはメチャメチャ運が良いってことになる。

僕は『一生の思い出』というフレーズにヒジョ〜に弱い。精神的抵抗力はゼロに等しい。2時間後の午後6時半。青森駅から人波にもまれつつ、祭りの行列が通るルートに必死でたどり着こうとする僕の姿があった。


★ねぶた大行進

19時、スタートを知らせる花火の爆音が青森市内にとどろいた。群集の地鳴りのような歓声に全身を包まれる。ルートが市内中心街全域なのでスタート地点も遠く、すぐにはねぶた(神輿)は見えない。20分ほど経過し、視界の彼方に巨大なねぶたが見えてきた。続いてお囃子(笛、太鼓など)の音と共に、
「ラッセー、ラッセー、ラッセーラ!」
という、ねぶた祭り特有のハイテンションの掛け声が聞こえてきた。いっきにこちらの鼓動も速くなる。

接近したねぶたの隊列を見て、そのスケールのでかさに仰天した。次々とやって来る隊列の構成は、前ねぶた、本ねぶた、リズム隊、踊り部隊の順で統一されている。前ねぶたは小ぶりの神輿で、自分たちの団体の名(JR東日本、NTT青森、青森市役所etc)を知らせる役割を果たしていた。続く本ねぶた、こいつがすごい。

市内中心を貫く道路は幅10メートル以上の大通りなのだが、両サイドの建物を引っかけそうなほど大きなねぶたで(何と50名でひいてた)、高さも電線ギリギリの5メートル。それが猛スピードで目の前の交差点に突っ込んで急ターンするんだから度肝を抜かれる。
各ねぶたは歌舞伎や歴史・神話を題材に、平将門や源義経など、勇壮、華麗、哀調、殺伐、グロテスク、と多岐に渡るものだった。竹と紙で出来ており、内部には電球が800個も入っている。祭りの最後に傑作ねぶたの授賞式があるため、市内各企業は意地をかけて毎回名作を生み出しているのだ。

リズム隊もハンパじゃない。これまた道幅の限界まで太鼓を連ねた太鼓神輿を筆頭に、横笛軍団、鈴軍団などが続く。で、一番熱狂的なのがしんがりを務める踊り部隊。なんと約300人が踊り狂っているのだ!これらすべてをひっくるめたのが一つの隊列であり、その数22団体!延々とねぶたが続く。

人間の作り出す圧倒的なエネルギーに、ただただ感動した。
“ヒエ〜ッ、なんちゅう楽しそうなんじゃ!”
青森の人々は、はちきれんばかりの笑顔だった。
“ク〜ッ、僕も踊りたいの〜う!”
見てるだけでこちらまで楽しくなり、人込みが苦手なことなどすっかり忘れていた。

烈風伝14の巻で僕が“トホホ、よりによって旅先で祭りとぶつかるとは…”と青森に向かう列車が満員なのを嘆き、また青森駅で祭りの正体がねぶたと分かった時も“フウ〜ン、そうなんだ”くらいしか思わなかった自分をモーレツに恥じた。ハハーッて感じだ。本当に良い物を見ることが出来て良かった!(カーネルサンダースもねぶたの衣装を着てたよ)
関西に住んでいながら、京都の祇園祭りも、大阪の天神祭りも行ったことのない僕だが、なんだか足を運んでみたくなったなぁ。

ねぶたは最後に全部燃やしてしまうという。大賞をとったものまで灰にするのだ。初めそれを聞いた時、なんともったいないことをと思ったが、一度きりで残らぬからこそ、人は自分と同じ繰り返しのきかぬ生命の姿をそこに見出し、ねぶたの輝きに深く魅入られるのかもしれない。


「津軽地方の若者や、大人たちの命は、年一回のネブタにあったのです。これあるがために、一年じゅう仕事にいそしめるのです。」(棟方志功)

(特別オマケ)美しい津軽弁講座
『ちょはめにゴミばなげで、めしば食ってがら汽車さ乗って行ぐべ』
訳→朝ご飯の前にゴミ捨て場にゴミを出し、その後ご飯を食べてから電車に乗って行きます


      


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