少し長いですが、誠心誠意、真心を込めて書いていますので、ぜひ最後までお読み下さいませ〜ッ!!


《なぜ芸術はスゴイのか?》芸術万歳宣言
                                     by カジポン・マルコ・残月

●芸術は全然難しくない!

芸術!
「うぐぐ、なんだか高尚で難しそう」
「とっつきにくいッス」
「良いのは分かってるんだけど接し方が分からないの…」
こういう言葉をよく聞く。
芸術は特別な人だけが味わうものじゃないし、味わうのに資格も何も必要ないのに、なぜこうした
苦手意識が根強いのだろう。

これは学校教育に問題があったと思う。最初の出会いが良くなかった。本来自由であるはずの芸術
解釈に、“正解”を用意し、点数を付けてしまったんだ。音楽や美術の時間、そして誤解を恐れずに
言うならば読書感想文など国語の時間も、テストや通知表から切り離すべきだった。これらの授業は
子供たちにとって、成績を気にせず、純粋に感受性を育み、知的好奇心を満たす時間になるはず
だった。作品を自由に感じることを禁じられた僕らは、芸術に堅苦しさを感じるようになってしまった。
芸術作品はテストの問題にされるために創られたんじゃない!

一体、どのように芸術にアプローチすれば親しみやすくなるんだろう?
僕の場合、芸術にのめり込む“きっかけ”となったキーワードがある。
『どうして残ったんだろう?』
これだ。

なぜ現代まで作品が残ったのか?どうして先人たちはそれを“選んで”残したのか?
こう考え始めた瞬間、すべての文学、クラシック、絵画は、好奇心を刺激する興味の対象として輝き
始めた。
ベートーヴェンの曲は200年、シェイクスピアの文章は400年、ダ・ビンチの絵画は500年、ずっと
人々に愛され続けている。
人間は、悲しいまでに“忘れてしまう”生き物だ。でも、彼らの名と作品はなぜか忘れられていない。
作者に頼まれた訳でもないのに、世代から世代へと作品を伝えている。
今でも第九はCDショップに行けばズラリと並んでいるし、ハムレットは様々な出版社から発売されて
おり、ダ・ビンチの画集も大判からハンドブック・サイズまで選り取りみどりだ。

ここでちょっと考えてみて欲しい。
僕らは当たり前のように彼らの作品をお店で手に入れてるけど、これは実にスゴイことなんだ!
市場というのは実にシビアで、“売れない”という烙印を押された芸術作品はアッという間に消えて
いく。
多くの詩集は初版で絶版になり、CDも半年で廃盤となる。世界には無数の画家がいるけど、国境を
越えて名を残している者はほんの一握りだ。
しかし、僕らはバッハを300年間、モーツァルトを200年間聴き続けている。実際、どんなに小さな
街角のCDショップでもバッハの作品は手に入る。
昨今のミュージシャンの歌唱力、深みのある歌詞は、感嘆に価するし、ライブに僕も足を運ぶ。
だが、ヒットチャ−ト常連の彼らが現在100万枚を売ったとしても、300年後の人にまで
聴き続けてもらう(それも国外の人に)のは、けっして容易なことではないだろう。
シェイクスピアの作品が400年間も本屋の店頭に並び続けている、この奇跡!奇跡、と書いたが
大袈裟じゃない。過去の例だとピンと来ないなら、未来を想像してみよう。20年後の世界ですらどうな
っているのか見当もつかないというのに、今日発売された本を400年後の人がまだ読んでいるんだ。
これは、スゴすぎると思わないかい?

そして、もうひとつ特筆したいのは、「ひまわり」「モナリザ」「考える人」「運命」「ロミオ&ジュリエット」
などが完成してから数百年の間に、社会環境や人々のライフスタイルがガラリと変わっていること、
そして、はるか遠い外国の作品なのに日本人の僕らが知っているという事実だ。
ベートーヴェンやゲーテが生きていた時代は封建社会で、現代と社会環境が全く違うし、民衆は文字
を読めず迷信を深く信じていた。人々はペストやコレラの流行などで、いつも死と隣り合わせに生きて
いたのだから、当然、今の僕らとは幸福の基準も人生観も随分異なるはずだ。
また、住む国が異なれば文化も当然違うわけで、それによって国民性・価値観もかなり変わってくる。
なのに僕らは、数百年も昔に異国の人間が味わった喜怒哀楽の「追体験」をして、深い感銘を受け
ている…。

過去の人物、それも文化も歴史も言語も違う者同士が、相手に感情移入し、自分の心を重ね、共に
泣き、共に笑うこの不思議!芸術がスゴイのは、多くの人の感情を揺さぶりながら、この様に時間と
空間を“やすやす”と超越してきたことだ。

そんな芸術が、難しいわけがない!



●さあ、鑑賞しよう!


あなたが何か芸術作品と出会ったとする。
それが世間では名作といわれているが、自分にはピンと来ない…(僕はしょっちゅうこうだ)。
その時は、
「分からない、だから興味がない」
ではなく、
「分からない、だからこそ興味がわく」
と、なぜ先人たちが名作と判断して残してくれたのか、その魅力を探して欲しい。
名作が名作と呼ばれる由縁、作品の秘密(魅力)を探る旅は、実にスリリングでエキサイティングな
ものだ。1つ1つの謎を解き明かしていく度に新しい感動が待っている。なぜなら、それは人類の良心
を“発見”する作業だからだ!

ニュートンやガリレイら科学者、エジソンやベルなど発明家、シーザーやリンカーンら歴史を変えた
為政者の“偉業”が残るのは理解出来る。それは、時代や住む場所によらず、人類共通の価値観で
計れ、誰にだってすごいことが分かるからだ。
でも、芸術作品は見る人によって評価が分かれ、感動する人と、そうでない人がいる。ある人には
名作であっても、他の人には失敗作と感じられたりする。人間の内面世界を形(作品)にして、万人の
共感を得ること、名を残すことは至難の技だ。

ベートーヴェンの時代にはジャズやロックは存在せず、クラシックの作曲家がたくさんいた。だが、
当時の人々はその多くの作曲家の中からベートーヴェンを残すことにした。残そうとする人たちがいた
から残った。彼の音楽には、他の作曲家にはない、「何か」があったんだ。
人類愛、希望、自然美、誠実さ、自己との闘い、勇気、いずれを受け止めたかは、人によって様々だ
ろう。だが、何であっても、間違いなく人々の感情に訴えかけたんだ。そうでなければ、誰もベートー
ヴェンの知り合いでもないのに、後世に作品を残そうとしてきた理由が見つからない。
クラシックは「暗い」と一般に受け止められているけど、もし本当に暗いだけなら、人は味わおうとしな
いだろう。誰しも落ち込むより陽気になりたいものだから。でも、「暗いのではなく、深い」ことに気づけ
ば、暗いのと深いのは違うということを知れば、クラシックはもう聴き手を退屈させることはない。

また、古典文学は「生き残った文章の宝庫」だ。どれも、時の重みに耐えたものばかり。そこにどんな
言葉が刻まれているのか、考えただけでワクワクしてしまう。
外見のみが派手で中身がカラッポの作品、一時の人気取りの作品は“世代の壁”という試練にあって
砕け散る。次世代はそんな作品を受け取らない。普遍的な人間の真実の姿が刻み込まれた作品だけ
が、個人の人生観の違いを乗り越え受け継がれてゆく。
だから生き残った作品は、ハズレ作品がすべて取り除かれた後の“当たり”ばかりだと思って間違い
ない。
つまり、現在「古典作品」と呼ばれるものを僕らが味わうことは、まさに『美味しいとこ取り』をする
わけだ。
古典文学を紐解くこと、それは作者の心だけでなく、作品を残そうとした過去の読者の魂にまで
触れること
だ。(何となく昔からあるのが古典なわけじゃない!)

“ホンモノ”に触れて欲しい。あなたが芸術家の卵ならなおさらだ。美味しいものを食べていないと何が
美味しいのか分からず、美味しいものを作れない。作家を目指す場合も、名作を一気に読んだという
体験が自分にあるからこそ、少しでもそうした名作に近づこうと努力出来るんだ。

最初に書いたように、芸術はちっとも難しくなんかない。クラシックや絵画など、ジャンルは色々ある
けれど、たまたま感情の表現方法が違うだけで、どれも一皮むけば同じ人間の喜怒哀楽を表したもの
なんだ!
(僕はベートーヴェン、ゴッホ、手塚治虫、ドストエフスキー、黒澤明の5人の作品が“ヒューマニズム”
という思想で相互に翻訳可能だと確信している!)

そして!どうかぜひ、作品だけではなく人間(作者)にも目を向けて欲しい。どういった人物で、どういう
理由でその作品を創るに至ったのかという背景を知って欲しい。
ゴッホが描いた『カラスのいる麦畑』という絵は、ゴッホの生涯を知らなければただの風景画だ。
しかし、彼が自殺をする直前の風景画であり、彼自身その麦畑の中で銃弾を胸に撃ち込んだことを
知ると、画面から彼の絶望と恐怖の叫びが聞えてくる。
また、彼の一連の自画像についても、生涯を知らぬ者には普通の肖像画だが、その人生を知って
いる者は、発狂したゴッホが自分で右耳を切り落としたから、晩年は常に左側面からしか描いてない
ことが分かる。その痛みを知る。
モーツァルトのレクイエム(鎮魂曲)も、メロディーだけを聴いていれば美しいけれど、彼が病魔と戦い
ながら作曲し、実際に完成させることが出来ず作曲のさなかに35才という若さで死んでいることを
考えると、レクイエムという曲のタイトルがより深い意味をもって聴き手の魂を揺さぶってくる。

芸術!!
絶対に味わって損はない。
はるか昔の、それも遠く海を隔てた土地に住んでいた人間の感情や息づかいが、あたかも目の前に
いるかのように迫って来る興奮。人は芸術に触れ、肉体が滅んでも作品に込められた魂が輝き続け
ることを知る。身体が存在しないからといって、死んだわけではないと実感する。
人は死なない、それがまた泣けてくる。
これほど素晴らしい「芸術」を楽しまない手はないッ!
(僕は人間がどれだけのモノを創り上げることが出来るのかを知りたい!)


※教育についてのブラックユーモアだけど、今のまま半強制的に芸術を教えて苦手意識を植え付ける
くらいなら、いっそ、“精神形成が未熟な子供にとっては刺激が強すぎる”というのを理由に、成人する
までゴッホやベートーヴェンを禁止してはどうだろう。すると、子供達の好奇心はいやがうえにも高ま
り、ゴッホの画集は授業中に隠れて回し読みされ、あるいは、 成人したその夜、
「こ、これが噂のベートーヴェンか!」
と驚喜して聴きまくるだろう…なんてね(笑)。



●芸術と人生〜なぜ芸術が必要なのか?


芸術の感動を、リレーのバトンのように手から手へと送り継いできた人類。どんな名作も作者だけでは
後世に残らない。“自然に”残った作品なんかない。現代まで残った芸術作品は、膨大な時間と何千、
何万人もの労力が注がれて受け継がれてきた。だが、ここで伝えることをやめれば、僕らの代で
作品は時間の海に沈み、人類の記憶から消えてしまう。

「芸術がなくても生きていけるじゃん?」
確かにそのとおりだ。別に芸術と接点がなくても、生存は可能だ。呼吸に支障はない。しかし、それは
生活と呼べるのか?
(僕は“生”を“活かす”ことが“生活”だと思っている)

人はなぜ生き続けるのか?
古代ギリシアの時代から現代に至るまで、実に多くの哲学者がこの問いに答えを求め、思案に暮れて
きた。僕も20代にこのことをよく考えていた。そこで出した答えはとてもシンプルで
「感動したいから生きている」
だった。“生きている実感が欲しいから生きている”と言ってもいい。
これは本当に単純なことで、その日の夕食でも、半年後のライブでも、愛読しているマンガの発売日
でも、日帰りの旅でも何でもいい。人が生き続けるのは、先に楽しみがあるからだ。テレビを見るのも
何かしら感動したいからだと思う。
ならば、芸術はまさしく人が追い求めているもの“そのもの”ではないか?
「この映画と出会えただけでも、生きてきた意味があった(涙)」
「危なかった、この曲を知らずに世を去らなくて良かった!」
「あの絵を知らずに過ごしてきた今までの人生は何だったんだ!?」
僕は何度、そんな風に感じただろう。
生きている実感を味わいたいという切望を、芸術はいとも簡単に満たしてくれる。

人は背中に何回電気が走ったかで、人生の幸不幸が決まると思う。
豪邸に住もうが外車を何台持っていようが、物欲は新たな物欲を生み、モノに幸福の基準を置いて
いる限り永遠に心は満たされない。だからモノが無くなれば、とたんに不幸になる。でも、味わった
芸術の感動は消えない。『感動の体験』という“財産”は死のその時まで心の奥深くにあるし、けっして
誰にも奪われない。
それは、人生という長旅の道連れとなり、僕らと共に最後まで歩み続ける。

「こんな世の中、もう生きていたくない」
思わずそういう言葉が出てしまうほど、新聞を読んでもテレビのニュースを見ても世相は暗い。海外で
は戦争、テロ、国内では親が子を、そして子が親を殺すという悲惨なニュースが続いている。
僕たちが暮らしているこの日本は、自殺率が世界第1位になってしまった(02年)。世界には約200
の国家があるけど、その中でトップというから凄まじい。自殺者数は4年連続で年間3万人を超えた
ままだ。
日清戦争の死者数は1万7千人。つまり、その倍の人数が毎年死んでいることになり、ここ数年
日本はずっと戦時下にあるようなものだ(実に毎日80人以上が自殺している計算になる)。
そんな世の中で、子供たちに向かって「世界は素晴らしい、生きるに値する」と言っても、まったく
説得力がない。第一、当の大人自身がその言葉に確信を持てないのだから説得出来るわけがない。
子供を説得するにはまず大人が人類の素晴らしさを確信せねば!

人間は戦争のようなひどい事もするけど、美しい芸術作品も山ほど創ってきたし、それを鑑賞できる
のも人間だけだ。ロシア文学、独文学、仏文学ほか、どの土地で書かれようと、どの時代に書かれ
ようと、良い作品は、宗教も、人種も、国民性も関係なく人を感動させる力を持つ。芸術は、国や
文化、思想が違っても、他人の心の動きに共鳴出来る人類の素晴らしさを教えてくれる!
(これらの作品はこうも言ってるようだ--「200年も前の作品に感動したのかい?それならば、あなた
がた同時代を生きている人間同士が分かり合えないはずは無いでしょう?」と。)

ヒトという生き物を信じるに足る“証拠”(作品)はいくらでもある。そういった傑作を多くの先人たちは
後世の人のために、全力で残してきた。
僕は“証拠”があるのにそれを知ろうとも見ようともせず、「人間なんてどうせ」とか「人類は神の
失敗作」などと、はすに構えている人を見ると、本当に腹立たしい気分になる。
様々な美であふれたこの世界に“ただ気づきさえ”すれば、世界は捨てたものじゃなく、僕らが既に
「幸福」なのが分かる。芸術は、この簡単なことを僕らに気づいて欲しいと手を差し伸ばし、導いて
くれている!

素晴らしい芸術作品の存在を知らずに生を終えるか、あるいは、知っていても「難しそう」「面倒くさそ
う」と、見て見ぬ振りをして生を終えるのか。芸術は向こうからやって来ない。ガンガン自分から動か
なくちゃ!
クラシックの歴史的名演を聴こうと思ったら、CDを借りるか買わなきゃならないし、本物のゴッホに
触れようと思ったら、電車に乗って美術館に足を運ばなくちゃならない。ジッとしていて体験できるもの
なんかひとつもない。

もう、一瞬たりともムダに出来ない。読まなきゃならない本、聴かなきゃならないCD、見なきゃ
ならない映画、そうした人類の遺産は一生かかっても時間が足りぬほどたくさんある。日々の
生活の中で、済んだ事にくよくよ落ち込んだり、後悔してるヒマはない。
命の灯が消えるその瞬間まで、この世のすべての名作を味わい尽くそう!そう、ひとつも取りこぼ
さず!
せっかく“幸運にも”生まれて来たんだから!!



【おまけ】

●アート・ワンポイント解説


★クラシックの魅力

歌詞(言葉)がないので、気に入ったメロディーを自分の好きなように解釈してよく、その自由気ままさ
が背中に羽が生えたような解放感を与えてくれる。
仮に「愛している」という歌詞があれば、その言葉の鉄鎖がメロディーをラブソングに限定してしまう
けど、クラシックは音楽オンリーなので、その時々の感情で毎回曲の内容(イメージ)が変わっていく。
常に新鮮なんだ!
また、作者はメロディーで自分の心情を告白しているため、ポーランド語が分からなくてもポーランド人
のショパンの魂がなだれ込んでくるし、ドイツ語が分からなくてもベートーヴェンやバッハの想いを理解
できる!

★絵画の魅力

文学は作者と読者の間に翻訳者という第三者が存在し、クラシックは作曲家と聴き手の間に演奏者
が存在するけど、絵画の場合は画家と鑑賞者の間に他人がおらず、じかに相手と向き合うことに
なる。そこにあるものは魂と魂の正面衝突だ。ゴッホならゴッホがストレートに身体の中に入って来る
という、尋常ではない衝撃、緊張感を体験することになる!
また、絵画の特徴として感動の即効性がある。「だめだ、もう、もたない」という緊急事態に、急いで
感動したい時に画集は効果抜群だ。音楽は序盤の展開から盛り上がりまで一定の時間がかかるし、
映画は2時間、文学にいたっては数日間を要することがあるが、絵画の場合、瞬間的にアート・サン
ダー(芸術雷)の直撃が待っている。

★文学の魅力

クラシックや絵画は、作品に「作り手の気持ちはこうであって欲しい」という自分の願望を入れ込んで
味わうけど、文学は言葉で感情が限定されているので、そういう自由解釈の余地があまり残されて
いない。しかし、それだけに求めていた言葉と出会った時の“ドンピシャ感動”はひとしおだ。(思わず
“嗚呼、同志よ”ってなる!)もちろん、韻という言葉そのももの響きの美しさを楽しむことだって可能
だ。とにかく、生き続けていくためのヒントを言葉として具体的に与えてくれるのは、めちゃくちゃ有り
難い!

★映画の魅力

音楽(BGM)、文学(セリフ)、演劇(演技)、美術(セット、衣装他)のすべてが融合した史上最強の
総合芸術!人類が生み出したあらゆる芸術の中の最高形態、まさにキング・オブ・アート。監督や
俳優以外に、大勢の裏方の人間が各作品に参加しており、そうした数百、数千という芸術家の共同
作業、互いの信頼関係から創り出される芸術という点でも映画は特別だ。2時間で他者の一生を
体験出来る点も素晴らしい!
以下に僕の人生を支えてくれた21本の作品を挙げておく。


※救命ロープ〜「それでも生き続けよう」と思う映画

人生の壁にブチ当たりもがき苦しむ時、僕は以下の作品と魂のスクラムを組んで乗り切ってきた。

ガタカ ストレイト・ストーリー
トーチソング・トリロジー 月の輝く夜に
ホテル・ニュー・ハンプシャー アメリカン・ビューティー
素晴らしき哉、人生 アイ・アム・サム
バベットの晩餐会 ブロードウェーのダニー・ローズ
ガープの世界 浮き雲
ショーシャンクの空に フォレスト・ガンプ
オール・アバウト・マイ・マザー バッファロー’66
セントラル・ステーション 八日目
スモーク 男はつらいよ/寅次郎夕焼け小焼け
ライフ・イズ・ビューティフル クラッシュ

※「それでも生き続けよう」と思うマンガ
『生徒諸君!』『火の鳥・鳳凰編』『BASARA』

※言葉の「救命ロープ」マイ・ベスト30選!

・何もかもが失われた時にも未来だけはまだ残っている(ロバート・H・ゴダード)ロケット技術者
・「その時は不幸だと思っていたことが、後で考えてみると、より大きな幸福のために必要だったということが、
人生にはよくあるの」(フジ子・ヘミング)ピアニスト
・「負け犬の本当の意味は、負けることを怖がるあまり挑戦しないヤツらのことだ」(映画『リトル・ミス・サンシャイン』)
自分だけが他人より優れてなどいないものだ。もし君が誉められたら、周りが素晴らしいお陰なんだ(モーガン・フリーマン)俳優
・信じて騙されるのは、誠のものを疑うよりどれ程まさっているだろう(倉田百三)作家
・人生はゼロから生まれゼロに戻るのだから、失敗しても何も損はしない(英コント集団モンティ・パイソン)
・人間は、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る(トム・ギロビッチ)心理学者
・失敗じゃないさ。この方法では上手くいかないって発見が出来たじゃないか。だからこの実験は成功なんだよ(エジソン)
・「人生で肝心なのは、どれだけ強いパンチが打てるかではなく、どれだけパンチを受けられるかだ」(シルベスター・スタローン)
・カラ元気も元気のうちだ!そのうち本当の元気と取り替えればいい!(島本和彦)マンガ家
・自分を何も変えないで、ただ事態だけが変わればいいと思っているさまを狂気という(伊藤守)著述家
・「気づかなかった。まさか自分の家のドアが“どこでもドア”だったなんて。ドアをあけて外に出れば、どこへでも行けたんだ」
(マンガ『ハチミツとクローバー』7巻)
・勇気とは、立ち上がって語るために必要なものであり、また、腰を下ろして耳を傾けるためにも必要なものである(チャーチル)英首相
・「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ!」(マンガ『ツギハギ漂流作家』から)
国際化というのは平均化する事じゃない。“違い”は不利ではなく自分だけの武器(小林克也)DJ
・不当な目にあったことは、あなたがそれを覚えていない限りなんでもないことなのだ(孔子)
・愛されたいと願うのは愛したい気持ちが足りぬから(吉田拓郎)ミュージシャン
・幸せを手に入れるんじゃない。幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ(甲本ヒロト)ミュージシャン
・「肝心な点は感動すること、愛すること、望むこと、身震いすること、生きること。芸術家である前に人間であれ」(ロダン)・
人生どうせ棒に振るならフルスイングで(山口隆)サンボマスターのヴォーカル
・私がこの世に生まれてきたのは、私でなければできない仕事が何か一つこの世にあるからなのだ。
それが社会的に高いか低いかそんなことは問題ではない(相田みつを)詩人

・自分を励ます一番のやり方は、人を励ますこと(マーク・トゥエイン)作家
・自由が欲しい時は他人に頼んじゃいけないんだよ、君が自由だと思えばもう君は自由なんだ(リチャード・バック)作家
・船は港にいる時、最も安全であるが、それは船が作られた目的ではない(パウロ・コエーリョ)作家
・我々は現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。過去はもう存在しないし、未来はまだ存在して
いないのだから(アラン)仏哲学者
・生きろ、そう叫びながら心臓はビートを刻んでいる(村上龍)作家
・ライナス「悲しみを癒してくれる薬ってどんなものかなぁ」チャーリー・ブラウン「一粒のチョコレートと背中を友達がポンと
叩いてくれることだよ」(チャールズ・シュルツ)漫画家
・たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は“良い戦い”をしたい(ゴッホ)
・重要なのは行為そのものであり結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、生きているうちに分かるとは限らない。
正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ(ガンジー)
・世界一美しいものは、その世界自身だ(映画『キャスト・アウェイ』)



【番外編】 若い人たちへ


「自分探し」という言葉が巷に溢れているけど、僕の経験上、“自分”は自動的に手に入るものでは
なく、自らが意識して作らなければ何年経っても見つからないと思う。“やりたいことが分からない”人
は、まずはたくさんの芸術作品に触れ、文学を100冊読むこと。芸術は人間の無限の可能性を教え
てくれるし、本は悩んでいる時間の経過を早めてくれる。知っていることが少なければ、やりたいことが
少ないのも当然。世界の見聞を広めれば、絶対に好奇心をヒットするものが見つかるハズ!!
(なぜ学校で毎日勉強するのか?答えは簡単。将来やりたいことが見つかってから勉強するより、
記憶力が良い若いうちに色々学んでいる方が効率いいし、職業の選択肢も広がる。それに知識が
増えることで、人の判断に頼らなくても自分の頭で考える力がつく。自力で人生の壁を乗り越える
ことが出来る。勉強しないと他人の意見に振り回されるばかりだ)

★『死とはモーツァルトが聴けなくなることだ』(アインシュタイン)

芸術や自然は自殺を抑制する。
紺青の夜空に浮かぶ満月の美しさ、目の覚めるような紅葉の色の洪水、深夜にしんしんと降り積もる
ぼたん雪の静寂美。自然の美しさを知る者は、自ら命を絶つことなど、もったいなくて出来ない。
芸術も同様だ。この曲をもっと聴いていたい、この画集をもっと見ていたい、この映画をもっと観たい、
この詩集をもっと読みたい、好きな作品を味わえなくなるくらいなら、どんなに辛くても生きている方が
「まだマシ」、こうなる。
自分が存在するこの世界の美しさを思い出せば、もう一度その美を味わいたいと思うだろう。

僕は辛い時に、この現代に、21世紀の今に生きていることを感謝して踏ん張っている。もし100年前
に生きていたら手塚先生の作品は無かった。150年前ならチャップリンの映画が、200年前ならゴッホ
の絵画が無く、300年前ならベートーヴェン、400年前ならバッハの音楽が、500年前ならシェイクスピア
の作品が無かった。
今このタイミングで生きているからこそ、一生では足りないほど膨大な数の傑作群を味わうことが
できるんだ!その意味で、絶対にこの「幸運」を自分から捨てようとは思わない。

もう人生の選択肢がなくなった、行き詰まって打つ手がない、そう思ったときに文学や映画を通して
違う価値観、別の生き方の存在を知ることはいくらでもある。悩める人も、悩まぬ人も、共に芸術は
内なる世界を広げてくれる。新しい選択肢の存在を教えてくれる。出会いたかった言葉に出会え、
人は救われるんだ。

若い時は人生経験が乏しいため、感情移入できなくて良さが分からなかった作品でも、生きて世間の
波に飛び込み色んな感情を味わううちに、様々な作品に「自分」が登場していることに気づき始める。
「この作品は…まるで自分そのものだ!」

こんな風に感情移入できる作品があちこちにあることを、やがてあなたは知る。どの作品も“他人事”
ではなくなり、心の一番深い所で味わうことが出来るようになる。多くの作品に、笑いこけ、落涙し、
エキサイトできるのは、長生きしている者の素晴らしい特権だー!

みんな、生命を大切にし、一秒でも長生きして欲しいッ!!



(この拙文で、芸術を楽しむ人が増えることを願って)

                               完



※05年5月6日追記〜先日列車の中で何気なく吊り広告を眺めていたら、「勝ち組になる秘訣」「これであなたも勝ち組に」
「勝ち組は語る」「負け組にならない為に」など、目に入った雑誌広告の大半に「勝ち組」「負け組」という文字が踊っていた。
何なのだこの世界は。「勝ち組」「負け組」の判断基準は、人格や生きる姿勢ではなく、ズバリ“年収”だ。冗談じゃない。
人生に勝ち負けなんてあってたまるか。競走馬のように同じコースを皆で走っているのならともかく、人は誰も各人が
その人だけの道を歩んでいて、進む方向もバラバラ。コースが全然違うのに、最初からレースになるハズがなく、人は誰も
追い越せないし、追い越されることもない(スタート時の環境も千差万別)。
だから、4、5年前に「勝ち組」「負け組」という下品な言葉が出てきた時に、“こんな馬鹿げた言葉は速攻で死語になるだろう”
と思っていた。ところが、今や至る所にこの言葉は溢れ、子どもたちまで
「将来は勝ち組になりたい」と言い出す始末。もちろん子どもにそんな価値観を教えたのは、僕もその一員である大人社会だ。
勝ち負けと違うところに人生があることを、もっと訴えていかねば!
//最近、もうひとつ酷い言葉が根付きつつある。定義が“30歳以上で独身・子無しの女性”という「負け犬」だ。アホかと言いたい。
子孫を残すことなんか昆虫でもミジンコでも出来る。何が幸せかはその人にしか分からない。独身だから不幸とか、子どもが
いないから敗者とか、勝手にくだらない人生観を押し付けないでくれ。どうしてこんな酷い言葉をバラエティ番組や週刊誌が
無批判・無抵抗に使うのか、全く理解できない。


※09年2月10日追記〜「価値観の違い」は古来から戦いの原因になってきた(というか支配者に利用されてきた)。
キリスト教とイスラム教の対立もそう。この日記でも、しょっちゅう紛争の話が出てくる。それでも僕が人類に対して完全に
絶望モードにならないのはなぜか?(A)ただの脳天気(B)何か特殊な宗教にハマッている(C)現実逃避の達人
答えは全部ノー!人類を信じざるを得ない確固とした証拠がある。それがアート!文学!人間は文化・価値観がいくら
違ったところで、「相違点」より「共通点」の方が遙かに多いのだと、
芸術や文学が毎日実感させてくれる!アートは他人の心がむき出しになったもの。作品に触れて心が動く度にいつも思う
「人間の感情はどこの国でも同じだなぁ」と。映画を例にしても、イラン映画、中国映画、アフリカ映画、どの文化圏の作品にも、
僕にとって心の宝物になっている映画がある。生活スタイルが全然違うのに喜怒哀楽はまるで一緒。
それから、海外で日本の古典芸能(歌舞伎や能)の公演が満員御礼になって喝采を浴び、黒澤監督の時代劇が絶賛されたり
する、この事実も重要。海外のアートが日本人に響き、日本のアートも海外の人の胸を打つ。
同じ日本人同士でも、ゴッホ展の長蛇の列(3時間待ち)に遭遇したり、好きなミュージシャンのチケットが即完売になって
とれなかった時、超満員の劇場で外国映画を見る度にいつも思う、「みんな本当に芸術が好き」「我々はなんて似ているんだ」と。
文芸は魂レベルで人間に共通点が圧倒的に多いことを教えてくれるッス!
(その喜びと、自分が芸術に救われたという感謝の気持が、サイトを日々更新する原動力になっていたりする)
※やたらと「日本人は他民族と違う」と強調している人には「日本人は他民族と異なる部分が多い。ただし共通点はさらに多い」
と付け加えて欲しい。


※この序文はメルマガ読者の1000名突破を機に、ここ数年、阿修羅の如く方々で吠えまくっていた芸術への熱い想いを、
執念でひとつの文章にまとめたものです。僕の文芸研究家としての現時点での集大成です。(2002.4.27)
※改定 (第1回) 03.12.15 (第2回) 04.8.21