カントレフ、彷徨
                                         
                              
カジポン・マルコ・残月

最終回

第5部 彷徨の果てに

 (一)再びペテルブルグへ

 
一ヵ月ぶりの帝都は、彼にとって明らかに旅立つ以前とは街の様子が違って見えた。それまでは魔都に対して無機質な印象を少なからず抱いていたが、今はその印象が逆に暖かいものへと変化していた。・・・理由は簡単だった。目に映る、ひしめくようにネフスキーを進む人々は、百年もすれば誰一人としてこの世に残ってはいないからだ。全滅。一瞬しかこの世に滞在しない人々。彼は生まれて初めて、心の奥底から世界へ向かって愛おしさが溢れ出るのを全身で感じた。自分と同じ運命をたどる人々。カントレフは、いくらでも寛大になれる自分を見出だした。

 駅から出て少しネフスキーをふらついた後、彼は真っすぐ家に向かわずに、久しぶりに懐かしいセンナヤ広場へ立ち寄ってから帰ることにした。ところが、カントレフは途中で人生の変わり目を象徴する光景を見る事になった。
 旅に出ている間に『汐吹亭』が取り壊されていたのだ。大家の爺さんが亡くなったのと、あまりに老朽化が激しかったというのがその理由だった。既に廃材の山と化した『亭』の亡骸を見て、彼はひとつの時代に幕が降ろされていくのを感じた。
 彼は方向転換して、大通りの果てにあるアレクサンドル・ネフスキー修道院へ足を向けた。その中のチフビン墓地に教授が眠っていたからである。
 墓地に着いた時、閉門時間が迫っていたためか、もう殆ど人影はなかった。ただ墓地の管理人だけが、布に包まれた大きな荷物を脇に墓地へ入って行く彼の姿に首を傾げていた。教授は大学関係者として公の立場で埋葬されたので、側には近年亡くなった、かのドストエフスキーやムソルグスキー、それにチャイコフスキーの墓もあった。墓地の中にはたくさんの木々が茂っており、外よりも随分薄暗かった。
 数分後、カントレフは教授の墓前に立っていた。教授の墓には信心深い親族の意向で、皮肉にも巨大な十字架が立てられており、カントレフはこれを見るのが嫌で、ここには数回しか訪れていなかった。

 イゴーリン教授は、今やカントレフよりも年下になっていた。
 (まさか、あなたの方が年下になるなんて…!)
彼はがっくりと右膝を地面についた。そして、しばらくうつむいた後、教授に向かって語り始めた。
 「教授、あなたはご存じありませんが、ソーニャも、そしてサーシャもそちらにいるんですよ。二人とも同じ歳で逝ってしまった、すごくいい人たちなんです…みんな、みんな、そちらの世界へ行ってしまうんです!」

(向こうだけがどんどん賑やかになっていく…)

 カントレフは深い溜め息をついた。風が静かに周りの木々の間を吹き抜けていた。
 「あなたが最後の夜に『君を救うことになるかもしれない』とおっしゃった通り、絵画は私に苦境から自力で再生できる力を授けてくれました。絵画を通じて、私は人類全体とスクラムを組むことで、困難に立ち向かえる様になったのです。」
彼は両腕でカンバスを…ソーニャを胸に抱いた。
 「私も、もう“充分に生きた”ように思えます。アリストテレスの立場でいうならば、この身にとっては今が退場すべき、引き際なのでしょうね。…だが、私はまだそちらへはまいりません。この絵に『生きること』を誓ったからです…!」

 閉門を告げる鐘が鳴り響くまで彼は教授を見つめていたが、今までにここを訪れた時とは違い、ついに最後まで涙を見せなかった。


  (二)母港〜漂泊の終わり

 
アパートの階段を登りながら彼は思った。
 (絵は何より大好きだが、結局俺は永遠に画家を職業にすることはできんな。だってそうじゃないか、絵で食べていくには絵を売らねばならんではないか。全身全霊をかけて心血注いだ自分の絵を、どうして他人に売り飛ばすなど出来ようか!)

 懐かしい隠者の小さな隠れ家へ、カントレフは帰ってきた。彼は帝都に戻る汽車の中でずっと考えていた通り、部屋へ入るなり手際よくテーブルの上を片付けた後、まずテーブルを引っ張って窓際に寄せ、くるまれたままのカンバスをそこへ立てた。そして次に木製の古椅子を運んできて、きっちりカンバスの真正面になるよう置いた。いったんそこに座り、緊張の為に激しく乱れる呼吸を整えた彼は、次に静かに立ち上がって、目をつむったままそっとカンバスから布を外した。
 カントレフが三枚の絵から選んだものは、一八九九年三月、結婚式直後のソーニャの姿を描いた作品だった。もちろん後年の、愛らしい子供たちに囲まれた彼女の作品も素晴らしかったが、彼の人生を根底から揺さぶったその年のソーニャこそが、彼が生涯を共に送るべき彼女だと確信していたからである。
 絵の中のソーニャは、ラスコーリニコフとやっと結ばれて、これから始まる新しい生活への夢と期待で眩しいほど空色の瞳を輝かせていた。カンバスから布を取った瞬間、画面から吹きいでた暖かい風に、部屋中の空気が穏やかに満たされた。

 椅子に座って、くしゃくしゃの顔でソーニャを見つめながら、カントレフは遂に母港へ帰着したのだと実感していた。四十五年に渡る漂流生活の中で、今、彼は初めてその錨を下ろしきったのだ。
 カントレフの彷徨は終わった。



 この日、時を同じくして、別々の方向からカントレフのアパートを目指す二人の男の影があった。この両者には共通点があった。共にカントレフがユダに扮した例の自画像に、あの展覧会で遭遇したという事だ。
 一人の名はマルク・シャガール。この田舎出身の画家は、翌年のフランス行きを共にどうかと彼に呼び掛けに来たのだ。もう一人は半年前にまだ二十才になったばかりの無名の青年画家であり、カントレフに弟子入りを請いにやって来たのであった。この胸を高鳴らせた青年の瞳には、明らかに灯台守としてのカントレフの姿が映っていた。

 これら新しい登場人物たちは、長き彷徨を終えたカントレフに、どんな人生を始めさせるのだろうか(そしてまた、留守中の郵便受けには、彼の絵に触れたニーナやカレンスキーたちの手紙も入っていた)。
 これら全てのことが、それぞれ間違いなく新たなひとつの物語として成立していくであろうが、今はひとまずここでペンを置くことにしよう。

                         カントレフ、彷徨〜全章完結

                 




(あとがきにかえて)

 
まず何よりも、この大河小説を最後まで読んでくれた貴方!貴方は天使です!貴重な時間をさいていただき、本当に、本当に、おおきに!心の底からあつく御礼を申し上げます。
 僕は“もうこうなったら自分でペンをとって自分を救うしかない!”そんな悲愴な決意でこの小説にとりかかったわけで、実際今日も生き続けてます。今はこの作品を世に送り出せたことで、いつ死が訪れても心の準備はOKです。この世界に存在していた証が残せたゆえ、死の恐怖を超越した心境。百歳の禅僧状態っす。

 とはいえ、自分は興奮すると乱文気味になりがちで、文のつなぎで猛省すべき点が多々あったのも事実。にもかかわらず、悪文に目をつむりカントレフやイゴーリンの声なき叫びに耳を傾けて下さった寛大な御仁に、ひたすらこうべを垂れる所存です。ハハーッ!

 とにかく自分という一人の人間が、30歳の時点で、何処に立ち、何を思っていたのか、それら全てをこの一作にブチ込み尽くしました。この作品は、自らの血で書いた血まみれの手記で、どこから切っても金太郎アメの如く自分が出てくる構造になっています!
 自分の死後、もし誰かが僕に会いたいと思ってくれたなら、この小説を開いて下さい。自分は此処にいます。それも、メディア向けのクローンではなく、オリジナルの僕です!




●若き日の作品『音へ』(短編)