カントレフ、彷徨
                                         
                              
カジポン・マルコ・残月

第12回

 (二)イルクーツク、疾風怒濤

 カントレフには絵を志し始めた時から、ひとつの大きな夢があった。いつの日か光と闇の両方の世界を手に入れることが出来たら、シベリアにあのソーニャを描きに行こうというものだった。それは究極の目標だった。ソーニャは彼にとって、二十一年前に初めて“愛”というものを教えてくれた女性であり、彼の半生の象徴だった。彼が四十五才になった今も、彼女は“特別の存在”であり、誤解を怖れずに言うならば“信仰の対象”ですらあったのだ(むろん彼女への崇拝は彼に限った事ではなかったが)。彼女を描くことで人生の何が変わるのか分からなかったが、描かぬ限り次の人生が始まらぬというのが確証としてながくあった。

 「次は、イルクーツク、次は、イルクーツク。」
車掌が客車をまわり始めた。
 (ソーニャはラスコーリニコフを追って、必ずこちらまで来ているはずだ!)
 彼は何としてもソーニャを捜し出す意気込みで列車に乗り込んではいたが、正直言って、不安材料が幾つもあった。ラスコーリニコフは監獄を既に十三年も昔に出所していたこと、彼女が自分を覚えているのか、また仮に覚えていればそれが理由で逆に追い返されはしないか、こんな所まで追いかけてきた自分に恐怖しないかということなど、きりがなかった。
 (えーい、構うもんか!俺はもう辺境の地まで来てしまったんだ!)
考えても始まらぬ事は考えぬ、これが半世紀ほど生きた彼が人生から学んだことだった。…不本意ではあったが。
 徐々に列車が減速し始めたので、彼は網棚の画材道具を降ろしにかかった。

 じき七月になるイルクーツクは、シベリアといっても直射日光の中だと午前中からかなり暑かった。背に大きなイーゼルを背負い、両脇にカンバスと絵の具箱を抱えたカントレフは、駅を出て数分歩いただけで早くも汗をかいていた。彼が真っ先に向かっていたのは役場であった。監獄に近い村の住民名簿を片っ端から調べる事が、最も二人への近道だと思ったからだ。
 彼が役場に入るなり、所内の人間は一斉に異様ないでたちの彼に注目した。この田舎町では殆どの人間が画家を見たことが無いという事もあったが、痩せこけて髭モジャの、まさに野人さながらの彼の風貌にも原因があった。彼が“ガシャン、ガシャン”と歩く度に大きな音を立てながら案内窓口に向かうと、自分の方に接近する彼に震え上がっていた受付けの女性は、彼がシベリア鉄道の八日間に全く会話がなかった為に、意図せず裏返ってしまった声で『すみませんが…』と口を開いた瞬間、恐怖のあまり、ものの見事に失神した。
 “失敬な!”…カントレフがぷりぷりしながら年代別の住民名簿を調べ始めると、シベリア地方の町村は西部ロシアに比べるとどこも非常に小さくて、彼が狙いを絞った通りにラスコーリニコフが出所した年の名簿上で、あっけないほど簡単に二人が暮らしている村を見つけ出し、彼は思わず飛び上がって大喜びした(その様子を見て職員は巡査を呼ぶべきか相談し始めた)。
 次の年も、また次の年にも、同じ村の名簿に載っていた。さらに、一八九九年には二人が結婚していた。なぜ出所してすぐに籍を入れなかったのか分からなかったが、ともかくその年の三月に結婚していた。
 (一八九九年三月…待てよ、三月といえば教授があの聖戦に決着をつけ、俺が絵を描き始めた時と、完璧に重なっているじゃないか!?)
何という偶然なのだと、彼はあっけにとられた。
 (これは意味深な!)
人の世の運命の妙に、彼は唸った。
 そして次の瞬間、カントレフは続けて茫然とする羽目になった。結婚の翌年分に二人の名が見当たらなかったのだ。
 (ウワッ!冗談だろ!?)
こうなっては夫妻が最後まで居た村を訪れて、手当たり次第に聞き込みをするしかなかった。彼は半ばやぶれかぶれで、即、二頭立ての馬車を頼み、猛スピードで現地に向かわせた。画材道具は強引に役場へ預けた。“強引”という言葉は、かつて彼には最も縁遠い言葉であったが、絵画を通じてずっと自己主張を続けてきたせいか、今や、盟友に近い言葉に成りつつあった(良し悪しは別にして)。
 
 驚いたことに、夫妻が村を出て十年になるというのに、多くの村人がそこで仕立て屋をしていたソーニャのことを覚えていた(ラスコーリニコフの事は大抵忘れていたが)。ソーニャがどれだけ多くの人々に愛されていたのかは、彼らが彼女について語る時の目の輝きを見れば一目瞭然だった。彼女は村人にとって、長老や神父以上の相談相手だったようだ。彼は自分の事ではないのに、少し得意な気分になった。
 結局丸一日をかけ、最終的に、彼女と非常に親しかったという乾物屋の娘に行き当たった。その娘は村を出た後のソーニャと何度か手紙をやり取りし、ソーニャがキエフ方面にいることを教えてくれた。それを聞いたカントレフは、相手が思わず怯えるほど“懇願”し、封筒にある消印を写させてもらった。そこには、中継地の『キエフ』という消印と、彼が探していた本命の村の消印が二個押されていた。
 (ヨシ!ヨシ、ヨシ、ヨシッ!完璧だ、完璧に完璧だ!超完璧だ!!)
有頂天になった彼は娘とその家族を、店にあった紙とインクで疾風のようにスケッチし、お礼の言葉と共に手渡した。その間どぎまぎしていた周りの者は、目を疑うほど見事な彼のスケッチに驚嘆し、やれ『人は見かけによらぬ』だの『いや、むしろ見かけ通りだ』などと、彼を指差しながら好き勝手に論じていた。
 外は白夜で明るかったが、役場に戻ったところでどうせ閉まっている時間だったので、カントレフは描いてくれと群がる人々を、一晩中片っ端から描きまくった。その人数はゆうに村人の半数を超えていた。彼らが貴重なはずの酒や食物をどんどん勧めるので、彼は絵というものがこれほど劇的に他人との垣根を取り払うのかと、描きながら驚いていた。
 (みんな、あんなに喜んでくれている…しかも彼らを喜ばせているのはこの俺なんだ…人に喜んでもらえる気持ちっていうのは、こんなに素晴らしかったんだ!)
彼は誰かの喜ぶ顔を見るたびに、自分の魂が救われるような気がして、夢中でスケッチし続けた。自分がみんなの役に立っている、そんな体験は生まれて初めてだった。
 (き、教授、自分は本当に、本当に生きていて・・・!)

                            
 (三)モスクワにて

 
カントレフはさっそくシベリア鉄道に再び乗り込み、ひたすら西を目指した。急ぐ必要があった。キエフのあるウクライナは、イルクーツクとは正反対の西の果てだったからだ。その強行軍の途中、列車の乗り継ぎ時間の関係で、二時間ほどモスクワにて休憩した。彼は巨大な駅の構内を適当に散策し、ここの所しばらく目を通していなかった新聞を売店で買った。
 新聞の中身は相も変らず皇帝を賛美する記事と、左派勢力を非難する記事ばかりで彼をすっかり閉口させた。
 (帝都ならまだしも、モスクワまでこの調子とは…。)
さっと目を通して捨てようとした時、何気なく目にとまった新聞の片隅の小さな事件に彼は慄然とした。記事自体は、妻と若い将校の浮気に逆上した夫が、一度に二人とも刺し殺したというよく耳にするものだった。しかし妻だけが“めった突き”にされていた事と、その名がサーシャ・ミルド・チェンスキーといい、周囲の者からは“カルメン”と呼ばれていたという文を読んだ時、彼の両手から新聞が滑り落ちた。彼女の歳は三十四才と記事にあった…。
 (帝都から消えたと思っていたら…彼女はこっちに出て来てきたのか!サーシャは  あの時自分では二十才を過ぎていると言ってたけど、本当はまだ十代だったんだ  …。それにしても、原因が浮気とは…原因が浮気だったとは!)
彼は駅を出て花を一束買い求め、この地で死んだ彼女の為にモスクワ川にそっと流した。ゆらゆらと見え隠れしながら遠ざかっていくその花は、サーシャの代わりにこう言っているようだった。『すべて分かったうえでなの』と。
 (教授も、君も、死してなおその言葉を残す…まるで、その死が本望だと言わんばかりに!)
カントレフは花が完全に見えなくなった後も、列車の発車時刻ぎりぎりまで川を見つめ続けていた。


次回第13回“青に溺れて・前編”。いざ、参らん!