〜石はピンピン生きている〜
【石(抜粋) 尾崎放哉】



※1925年秋頃に執筆。放哉(ほうさい)が41歳で他界する半年前。


私は、平素、路上に転がっている小さな、つまらない石ッころに向って、たまらない一種の懐かし味を感じているのであります。たまたま、足駄(高下駄)の前歯で蹴とばされて、どこへ行ってしまったか、見えなくなってしまった石ッころ、また蹴り損なって、ヒョコンとそこらに転がって行って黙っている石ッころ、なんて可愛い者ではありませんか。
なんで、こんなつまらない石ッころに深い愛惜を感じているのか。つまり、考えて見ると、蹴られても、踏まれても何とされても、いつでも黙々として黙っている…その辺りにありはしないでしょうか。

いや、石は、物が言えないから、黙っているより外に仕方がないでしょうよ。それなら、物の言えない石は死んでいるのでしょうか。私にはどうもそう思えない。反対に、すべての石は生きていると思うのです。石は生きている。どんな小さな石ッころでも、立派に脈を打って生きているのであります。石は生きているが故に、その沈黙は益々意味の深いものとなって行くのであります。
よく、草や木の黙っている静けさを申す人がありますが、私には同意出来ないのであります。何となれば、草や木は、物を喋りますもの、風が吹いて来れば、雨が降って来れば、彼らはすぐに非常な饒舌(じょうぜつ)家となるではありませんか。ところが、石に至ってはどうでしょう。雨が降ろうが、風が吹こうが、ただこれ、黙また黙、それでいて石は生きているのであります。

私はしばしば、真面目な人々から、山の中に在る石が児を産む、小さい石ッころを産む話を聞きました。又、久しく見ないでいた石を偶然見付けると太って大きくなっているという話を聞きました。これらの一見、つまらなく見える話を、鉱物学だとか、地文学だとかいう見地から、総て解決し、説明し得たりと思っていると大変な間違いであります。石工の人々に試しに聞いて御覧なさい。必ず異口同音に答えるでしょう、石は生きております…と。

どんな石でも、木と同じやうに木目といった様なものがあります。その道の方では、これを“くろたま”と言っております。ですから、木と同様、年々に太って大きくなって行くものと見えますな…とか、石も、山の中だとか、草ッ原で呑気に遊んでいる時はよいのですが、一度我々の手にかかって加工されると、それっきりで死んでしまうのであります。
例えば石塔でもです、一度字を彫り込んだ奴を、今一度他に流用して役に立ててやろうと思って、三寸から四寸位も削りとって見るのですが、中はもうボロボロで、どうにも手がつけられません。つまり、死んでしまっているのですな。結局、漬物の押し石位なものでしょうよ、それにしても、少々軽くなっているかも知れませんな…とか、こういった様な話は、ザラに聞く事が出来るのであります。
石よ、石よ、どんな小さな石ッころでも生きてピンピンしている。その石に富んでいるこの島(小豆島)は、私の感興を惹くに足るものでなくてはならない筈であります。

庵(いおり)は町の一番端の、ちょっと小高い所に立っておりまして、海からやって来る風にモロに吹きつけられた、只一本の大松のみを頼りにしているのであります。庵の前の細い一本の道は、西南の方へ登って行きまして、私を山に導きます。そして、そこにある寂然たる墓地に案内してくれるのであります。
この辺はもう大分高みでありまして、そこには、島民の石塔が、白々と無数に林立しております。そして、どれも、これも皆勿体ない程立派な石塔であります。申す迄も無く、島から出る好い石が、皆これ等の石塔に作られるのです。そして、雨に、風に、月に、いつも黙々として立ち並んでをります。
墓地は、秋の虫達にとってはこの上もない良い遊び場所なのでありますが、既に肌寒い風の今日この頃となりましては、殆ど死に絶えたのか、美しいその声も聴く事が出来ません。ただただ、いつ迄も森閑としている墓原。これら無数に立ち並んでいる石塔も、地の下に死んでいる人間と同じ様に、皆が死んで立っているのであります。地の底も死、地の上も死…。あぁ、私は早く庵に帰って、私の懐かしい石ッころを早く拾いあげて見ることに致しましょう、生きている石ッころを――。




今も放哉の庵の前には大松が 庵(画像上方)から山に続く道に広がる墓原


●あの人の人生を知ろう〜尾崎放哉編






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