どんなに愛しても相手が他の誰かに惚れて自分に振り向いてくれない時、その想いに意味はあるのか?--“全員片想い”マンガ『ハチミツとクローバー』を読破。アニメ化、DVD化と、今一番人気がある少女マンガ。支持されている理由が知りたくて手に取ってみた。クーッ、大ヒットにナットク!5人の若者の青春と、彼らを見守る周囲の大人の温かい眼差しを描いた傑作。各エピソードの最後は切なさ全開の詩(モノローグ)で締めくくられ、読後も余韻となって心に響く。文学とマンガが融合したような作品。「雨の音が好きだ。すごく落ち着く。まるで優しく手当てしてもらってるみたい。山も木も草も屋根も、そして私も…」(10巻)。この世界観が心地良い。
青春を描いたマンガといえば高校生活が主流だけど、ハチクロは大学(美大)が舞台。物語の進行と共に学生生活は終わり、就職活動を経て社会に出て行く。誰かと時間を過ごしている時、それが奇跡のような瞬間とは分からないもの。時が流れて過去を振り返った時に、よく巡り会えたものだと実感する。特にこのマンガのように、5人もの気の合う仲間が一緒にいられるのはごく限られた期間だ。そのかけがえのない時間が全10巻に収まっている。 5人が直面するのは「恋愛」と「自分探し」。恥ずかしくなるような青いテーマに、作者は正面からガップリヨツで組み合っている。描かれる登場人物は、脇役も含めて思いやりのある優しい人ばかり。これほど善人ばかり登場するマンガも珍しい。しかもそこに善意の押し付けはなく、見返りが目当ての同情もない。シリアスな場面と爆笑ギャグのバランスも絶妙だ(5巻の花見、6巻のお父さんパンは腹筋がちぎれそうになった!)。 「5月病というモノがあるが、それでいうならこの気分は多分、12月病だ。なんでかは解らないのだけれどアセるのだ。この色トリドリの電飾や鈴の音。“お前は今幸せか?”“居場所はあるのか?”と問い詰められているような気持になるのだ」(1巻)。孤独感に押し潰されそうだった若い頃、僕もクリスマスが辛かったので、1巻目にこの言葉が出てきた時から、作者にモーレツな親近感を持った。しかし1巻はまだ普通の学園マンガと大差が無く、主人公が5人もいて誰に感情移入すればいのか分からず、雑然として読みにくい。だが、ここで読むのを止めないで欲しい。巻を追うごとに面白さが増していき、3巻あたりから内容も心理描写もどんどん深くなり、読み続けて本当に良かったと思える素晴らしいラストが待っている。 キューティーコミック、ヤングユーと掲載誌が2度も休刊となり、月刊コーラスへの移籍後ついに完結を見た本作品。それこそ、作者はこれを描きたくて執念でペンを握ってきたのかと思える、マンガ史上に残るラストシーンだ。あれだけ個性的な5人のキャラなら、20巻以上でも物語が続けられるのに、スパッと10巻にまとめあげた構成力、当初の構想通りに描き切ったら人気絶頂でも“おわり”と書いてペンを置ける作家性もスゴイ。 僕が一番感情移入したキャラは“特技・自分探し3級”の竹本。「なぜ迷うか。地図が無いからじゃない。オレに無いのは目的地なんだ」、「オレはずっと怖かった…未来が見えないことが。自分がどうしたいのか分からないことが。それが何故だかも分からないことが。…そして、それでも容赦なく流れる日々が」、「(旅に出たのは)背中から遠ざかる自分の全てを、どれだけ大事か思い知りたかったんだ」等々、自分と向き合い続ける彼の真っ直ぐさは、マンガのキャラと分かっていても応援せずにはいられない。自転車での列島北上は、ずっと竹本に同行している気がした。北海道に入ってからは空の広さに目がくらみ、部屋の空気まで変わったみたいだった。個人的に目からウロコだった言葉は「気づかなかった。まさか自分の家のドアが“どこでもドア”だったなんて。ドアをあけて外に出れば、どこへでも行けたんだ」(7巻)。忘れられない1コマは、お腹がグーッて鳴った時に竹本が呟いた「すげえ…腹なってるよ。泣きそうなのに」。これってほんと、心とは関係なしに身体は懸命に生きようとしているのが分かる、素晴らしい描写だと思った! ※山田の「神さま、やりたい事があって泣くのと、見つからなくて泣くのでは、どっちが苦しいですか?」も切実だったなぁ。 ハチクロ大人気の理由のひとつに、片想いで苦しむキャラへの激しい共感があるのは間違いない。愛する人が自分に振り向いてくれないばかりか知人に惚れている時、相手が幸福になるのに、なぜ恋の成就を笑って応援してあげられないのか。 「(恋を)“あきらめる”って、どうやればいいんだろう。“あきらめる”って決めて、その通りに行動するコトだろうか。そのアトの選択を全て“だってあきらめたんだから”で自分の本当の心から、逆へ逆へと行けばいいんだろうか。そしたらいつか(想い出が)ぜんぶ、ぜんぶ、消えてなくなる日が来るんろうか。こんな胸の痛さとかも、ぜんぶ、ぜんぶ、あとかたもなく?…まるで無かったみたいに」(2巻)。 相手が惚れてくれないからといって、大切に想う気持を捨てなければならないのか。困った時に助けてあげたい、守ってあげたいと思い続けてはいけないのか。「自分の幸せを願うということは、自分じゃない誰かの不幸を願うことと、オモテウラのセットになっている時があって、だとしたら、じゃあ私は、いったい何を祈ればいいんだろう」(6巻)。 あるキャラはベランダのプランターの中でシソの茎を見て思う「折れたシソが自分の重さに耐えかねて、土の上でのたうっていた。これは折れた所でちぎるしかなかった。そこでちゃんと区切りをつけて新しく枝を伸ばすより他に無かったのだ」。彼女は新しい恋を始めようとしない…これまでの愛が軽いものと思いたくないからだ。「長い、長い、長い、私の恋。神さま、私は(新しい恋で)救われたくなんかなかった。ずっと相手を想って泣いてたかった。10年でも20年でもずっと好きでいつづけて、どんなに好きか思い知らせたかった」--この心の叫びは、トコトン誰かを愛したことがある人は、細胞レベルで共鳴せずにいられないだろう。 そして彼女は自分と戦う。戦い続ける--「あなたが他の人をどれだけ大事にしていても、それを見せつけられても、ポキリと折れずに生きて行けるように。しっかり食べて、ちゃんと寝て、キチンと起きて、せいいっぱい仕事して。私の心がぐしゃっと潰れないように」(8巻)。 最後に特筆したいのは、本作品が煩悶する若者だけでなく、花本先生、野宮、リカなど大人たちの不器用さも描いていること。大人になったからって魔法のように何でも解決できるわけじゃなく、大人なりの悩みを皆が抱えている。でも人生経験がある分、若者の誰かが苦しんでいると、ちゃんと気づいていて自然にサポートしてあげる。大人の僕が言うのも何だけど、大人がちゃんと頼もしいのがハチクロの魅力でもある。美和子さんの「飲もう。山田さん」の短い言葉で涙が滲むのは、学生ではなく大人の言葉だから。--「先生もさみしくなったりしますか?」「ん?さみしいよ。でもただそれだけの話だよ。こう波みたいにガーッときて、かと思ったら、すーっとひいて、それがずっと繰り返し続くだけさ。時々大波が来て心臓がねじ切れそーな夜とかが周期的にやって来たりするけどね。ま、そんだけの話。命に別状はないよ」(7巻)。 以上、ハチクロは少女マンガだけど、男側の心理描写も多いので、ぜひ男性にも読んで欲しい作品ッス! ※何気ないセリフで青春時代を生々しく思い出し、いちいちページをめくる手が止まり、一冊読むのにすごく時間がかかりました(笑)。「親が子供に教えなければならないのは“転ばない方法”では無く、むしろ人間(ひと)は転んでも何度だって立ち上がれるという事じゃないか!?」(7巻)…森田よありがとう! 【ネタバレ/以下、文字反転】 ●ハチクロへは否定的な意見も耳にするので、ささやかな弁護を試みたい。 ・「9巻の大ケガが突拍子過ぎる。最後は打ち切り前の漫画のように猛スピードで展開しすぎ」…それまでが平和な日々だったので、これには僕も読んでてビックリしたけど、実際の人生も突然こんな風に困難に直面してしまうから、その意味でこれもまた現実的だと思う。ハチクロは“打ち切り”どころか、高い人気を集めたまま完結を迎えた。慌てて終わらせたわけじゃなく、作者の創作エネルギーが最初から決めていたという結末に向かって加速していったわけで、ペン先にも“ハチクロを描き切る”という強い意志を感じた。9巻のあとがきに羽海野先生が書かれた『人が生きて行くには、やっぱり“大きな変化”は避けられないものであると同時に、“とても大事な事”でもあるんです。だって、そんな風に“乗りこえる”時にしかできない成長っていうのがあるから』という言葉は、はぐたちにも捧げられていると思った。 ・「はぐは森田と一緒になって互いに切磋琢磨すべきだ。っていうか、修ちゃんオチはヒネリがない」…修ちゃんと一緒になったって森田とは互いに磨きあえる(現に1巻からそうだった)。修ちゃんのはぐへの愛はヒネリどーこーじゃなく、父性的な大きな“見守る愛”も立派に男女の愛だと思うし、恋愛マンガでは脇役的な保護者キャラの彼が選ばれたのは、充分すぎるほどヒネリがあると思うけどなぁ。修ちゃんは自分がはぐに選ばれなくても、彼女が出した結論なら、それが森田であろうと、竹本であろうと受け入れたと思うから、そんな痛々しい姿を見ずに済んで良かった。 一方、はぐが修ちゃんを選んだのも「もしも私が描く事を手放す日が来たら、その場でこの命をお返しします」(9巻)、「(生きる意味が)“恋愛”の人間もいれば好むと好まざるとにかかわらず、何か“やりとげねばならないモノ”を持って生まれてしまった人間もいる」(10巻)とある様に、恋よりも描くことを選んだ至って自然な流れだと思う。創作を支え続けてくれる人は修ちゃんなんだ。 ・「山田&野宮や真山&リカのオチが説明不足」…それぞれ、すべて語られていると思う。むしろあれ以上描くと野暮じゃないかなぁ。 ●ラストについて 竹本は報われなかった恋であろうと、はぐと出会い充実した時間を送った。寮と学校の単純な往復ではなく、喜びだけでなく悲しみも含めて人生が豊かになった。 恋が報われなかった時、相手を恨む人がいる。なぜ受け入れてくれないのかって。その反応は違うだろう。相手と出会って恋をしていた時、笑顔を見ただけで元気になり、充実していたじゃないか。相手に値する人物になる為に向上しようと努力したじゃないか。報われなかったからといって、その日々が無駄であった訳がない。僕らは恋の苦しみを通して、それまで気づかなかった人の心のもろさなど色々なものを学ぶ。自分の繊細さを発見しそれに驚くこともある。素晴らしい時間をくれた相手に感謝しこそすれ、恨むなんてとんでもない。誰も好きな人がいない砂漠のような人生よりも遥かに良い。ハチクロは竹本のセリフに始まり、彼のセリフで終わった。その意味で真の主人公は竹本かも知れない。「オレはずっと考えてたんだ。うまく行かなかった恋に意味はあるのかって。消えて行ってしまうものは、無かったものと同じなのかって…。今ならわかる。意味はある。あったんだよここに。はぐちゃん…オレは、君を好きになってよかった」(第10巻) ※ハチクロって恋愛や自分探しだけでなく、森田兄弟のエピソードで復讐という行為の虚しさも描いてて、あれもまた大切なメッセージだよね。 |
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