カントレフ、彷徨
カジポン・マルコ・残月
第14回
(四)青に溺れて・後編
カントレフが画材を広げ始めると何でも新しい事が大好きな子供たちは、彼の一挙手一投足に青い瞳を輝かせて見入っていた。イーゼルを立て、カンバスを置き、木炭の芯を抜く。子供たちはこれから魔法でも始まるかの様に、彼の全ての行動を目で追った。 カンバスはイーゼルに一枚、足下に二枚。彼は三枚のカンバスの前で目を閉じ、そのまま何度か深呼吸を繰り返した。そして一瞬眼光が鋭くなったかと思うと、鬼神のような勢いで絵に取り掛かった。周囲の風が唸った。当初は木炭で下描きを描き始めたが、ものの数分で木炭を放り出した。 (えーい、こんなことチマチマやってられるか!すぐに絵の具だ!) アトリエで描く時は乾くのを待ってから色を塗り重ねるのだが、そんな悠長な事はしなかった。いや、出来なかったのだ。時間が無かったからではなく、ソーニャの瞳が彼の右腕を強力な力で突き動かすのだ。 それから丸三晩の間、彼は一睡もせず、家に閉じこもったままひたすら描き続けた。ただ一度外へ出たのは、夜の作業の為に大量のロウソクを買い出しに出た時のみであった。完全に精神が肉体を凌駕していたのだ。 唯一彼が絵筆を止めたのは、子供たちがその小さな手で、はにかみながら差し出してくれたパンやチーズを口にする時だけだった(食欲など無縁だったが、相手が子供たちでは彼も断れなかった)。口に頬ばりながら絵筆を取る事も出来たが、実はそうもいかないある事情があった。ラスコーリニコフが“子供が食べながら何かをすると私は怒ることにしています”と耳打ちしたからである。この状況でのこういう忠告こそが、彼の愛すべき生真面目さであった。カントレフにはそれが妙に可笑しかった。 (子供を持つというのはこういう事なんだな。俺はいつも部屋で一人だったから、マナーも何もあったもんじゃないからな。) 彼は子供たちの代わりに父親から許可を得て、四十八色の色チョークを自由に使わせてあげた(子供たちは夢中になって絵を描いた。カントレフの姿も描かれたが、人間というより髭モジャの岩石に近かった)。 そして彼は渡されたパンを食べながら思うのだった、なんて不思議な光景なのだろうかと。彼は情景を言葉にしてみた。 (逝ってしまった初めて求婚した女性に対し、二十一年後に、その夫の故郷で、彼女の子供たちに囲まれながら、自分の手でカンバスの中にもう一度命を吹き込む…三冊の画集と初めて出会ったあの夜が、こういう事になるとは夢にも思わなかったな。) 四十五年も生きていると、こんな場面まで見てしまうのかと、つくづく人生は先が読めぬと思った。前には彼女の、後ろからは子供たちの瞳に包まれ、彼は青に溺れた。 カントレフが昼間に一人でカンバスと向き合っている時、どんな気持ちで絵筆を握っていたかというと…完全に思考が停止していた。頭の中は真っ白だった。今がいつで、自分が何処にいるのかさえ分からなくなり、二十四才と四十五才の自分が交互に彼女を描き続けていた。 二日目の夜遅く、ラスコーリニコフはカンバス上に徐々にソーニャの姿が浮かび上がってくるのを、部屋の奥で遠目に見ていた。自分が動揺しているという自覚はなかったが、その身体は明らかに硬直していた。カントレフが絵を描きだしてから不自然なほど喉が渇き、何杯も、何杯も、水やワインに手が延びた。やがてカントレフが妻の頬にさくら色を差し始めると、彼はいよいよ自分がまるでヨハネ伝の奇跡を目のあたりにしている様な錯覚に襲われた。キリストによる、ラザロの復活である。 “この男は一体何者なのだ?画家というより聖者ではないか!” そして次の瞬間、彼は思わず息を呑んだ。彼の目に映ったそれはロウソクの炎の影が偶然作り出したものであったが、絵筆を握るカントレフの手の甲に、聖痕(釘痕)が見えたのだ。 しかし、カントレフがソーニャを描く事に根強く反対する者もいた。ラスコーリニコフの妹、ドゥーニャだ。ソーニャの死から五年が経ち、やっと皆が淋しさに慣れたというのに、どうして今さら悲しみを呼び戻すのか、これが彼女の意見だった。 そんな妹を、三日目の朝、ラスコーリニコフは半ば無理矢理に連れてきた。彼女は渋々カンバスの前に立った。カントレフの背中越しに見える絵は、いよいよ七割がた完成に近づき、ソーニャの胎動がいつ始まってもおかしくない状態だった…思わずドゥーニャは両手で口を押さえた。 「お義姉さん!」 …ラスコーリニコフは震える妹の肩を、黙って抱き寄せた。 (五)光に包まれて 四日目の明け方、すべての絵が遂に完成した時、カントレフはほぼ同時に床へ垂直に崩れた。次に、それに続いてラスコーリニコフが目を覚ました。おもむろにカントレフの方に目を遣ると、ちょうど夜明けの太陽が窓から差し込み、見事に、眠るカントレフと三枚の絵の周囲だけを神光の様に照らしていた。起き上がったラスコーリニコフは、よろめきながら数歩前へ出ると、両手を差し延ばして絶句した。 “ソーニャ、お前、帰って来てたのか!あんまり長く留守をするから、さ、淋しかったじゃないか…!” 夕刻になっても、カントレフは目覚めなかった。ラスコーリニコフは今朝の強烈な体験を誰にも話しはしなかった。話すと自分が『過去に囚われ現実から逃げている』と周りの者を心配させる可能性があったからだ。 “とはいえ、あの絵は確実に何かを語りかけている。それだけは間違いない!” その夜彼は、絵の前のドゥーニャが瞼からハンカチを離すのを待って感想を聞いた。妹もやはり不思議な力を感じると言い、兄と同じ印象を持っていた。その印象とはこの三枚の絵が『過去よりも未来へ目を向かわせる絵』だという事だった。そう分かった途端、この兄妹は顔を見合わせた。二人が同時に、ソーニャが自分たちへ何を語りかけているのか理解したのだ。 それは、ただひとつの『生きて!』という言葉だった。 絵を見る者がその声を聞くのは、主にソーニャ本人の人柄のなせる技であったが、カントレフの“もうこれ以上、誰一人死んで欲しくない”という祈りにも似た叫びが強く込められていたからでもあった。 結局、彼は丸二日間眠り続けた。昏睡状態だった。ドゥーニャは彼があんまりピクリともしないので心配になり、一度医者を呼びにいこうとした。そんな妹に、ラスコーリニコフは三枚の絵を指し示し『身体にこういう反動が来るのは当然だ』と説明した。カントレフは二日後の昼過ぎに、長い眠りから覚めた。 目を覚ました彼は猛烈な空腹感に襲われて外にさまよい出ると、ちょうど彼が起きた時の為にと、ラスコーリニコフがパンとスープを妹の家から運んで来る所だった。部屋に戻って鼻息荒くパンにかじりつくカントレフを、ラスコーリニコフはまるで自分以外の人間に初めて出会ったかのように、じっと見つめていた。 この食事の後、ラスコーリニコフは絵の感想を短く述べた。彼が妻の絵についてカントレフに語ったのは次の言葉が最初で最後であった。 「あなたがどんなに妻のことを想っていたのか、よく分かりました。妻に代わって礼を言います…。本当に、よくぞ訪ねてくださいました。」 不器用なラスコーリニコフの、精一杯の心を込めた言葉だった。 三枚の絵はドゥーニャの提案で、カントレフ、ラスコーリニコフ、それにソーニャの実家が所持することになった。もちろんカントレフに異論はなかった。 画材道具は、何もかも全部を子供たちの為に置いていく事にした。むろんラスコーリニコフは遠慮したが、これだけはカントレフもガンとして譲らなかった。彼の画家人生の中で究極の夢であったソーニャを描いてしまった以上、今後、絵筆を再び持つ理由も予定もなくなったからである。彼が長年愛用し、もはや分身ともいえるそれらの画材道具は、彼女の子供たちの手に渡る事が、彼にとって最高の思い出になったのだ。かたくななカントレフにさすがのラスコーリニコフもあきらめて、側に子供たちを呼び寄せ、カントレフに向かってお礼を言わせた。 夕刻、キエフを目指す乗り合い馬車が村を通るという事で、村の広場にある馬車乗り場でカントレフは待っていた。夏の夕風が気持ち良かった。荷物は僅かに衣服を詰め込んだ鞄と、布でくるんだカンバスが一枚だけだった。その日はたまたま彼以外にも馬車に乗る人間が何人かいたので、見送りの連中も多かった。 馬車が到着した時、つい先刻までいたラスコーリニコフの姿が見えなくなり、カントレフは“どうしたのだろう”と目で周囲を探した。出発の時間が迫り、彼がドゥーニャや子供たちと最後の抱擁を交わし座席についた時、息急き切ってラスコーリニコフが駆けつけて来た。 「A・D・カントレフ!どこかで聞き覚えがある名前だと思っていました。これは妻の遺品だった小物入れから出てきた物です。あなたにお返しすべきかと…!」 そう言って彼が扉越しに差し出したのは、一通の手紙だった。 「こ、これは!」 馬車が動き出し、ラスコーリニコフは最後に一言付け加えた。 「中は見ていません。生前、妻が私に見せなかったという事は、死後も私が見るべきではないと思いましたので!」 彼は徐々に速度を増す馬車の中で、見覚えがあるその封筒を握り締めていた。それは彼の名を裏に書き入れた、ソーニャへの求婚の手紙だった。 (この手紙を、彼女がずっと持っていてくれた!) 信じられなかった。封筒の色は既に色褪せていたが、確かに自分の手紙だった。 (俺は…俺は…決して無価値な人間ではなかったんだ!!) カントレフは急速に遠ざかっていく村の遠景を、最後にしっかり見ておこうとしたが、小さな子供の様にぽろぽろと涙がこぼれ、顔を上げることすら出来なかった。何も、見えなかった。 第4部 完 次回ついに最終回!第5部“彷徨の果てに” |