カントレフ、彷徨
カジポン・マルコ・残月
第11回
第4部 再会
(一)覚醒〜アトリエにて 一九〇九年初夏。今、カントレフは汽車の中にいた。網棚には画材道具一式が乗せられている。目的地はシベリア地方イルクーツク。バイカル湖に面している、シベリア鉄道の中継地だ。その郊外の監獄に第二級徒刑囚、ロジオン・ラスコーリニコフが一八九六年までいたはずだからである。カントレフは右半身に六月の心地よい陽射しを浴びながら、この十年間をゆっくり回想していた。列車の走行音が子守歌のように響いていた。 十年前、彼はイゴーリンの葬式の翌日に、当時帝都ではまだ珍しかった学校形式のアトリエの門をくぐった。靴職人を辞めて絵に専念出来るほど金銭的余裕は無かったので、両立は大変だったが仕事帰りにアトリエへ通った。幸か不幸か彼はずっと独身だったので、仕事以外の全生活を純粋に絵画だけに裂くことが出来た。 彼を絵に駆り立てた直接のきっかけは、今やイゴーリンの形見となった四冊の画集だった。四冊目に遭遇したゴヤは、彼を不眠症にさせるほどの衝撃を与えた。教授がいきなり四冊全部の画集を渡さず、ゴヤだけをずらして渡した理由も分かった。初期の一部の作品を除いて、聴覚を失った彼が描いたものに“美”など微塵も無く、あるのは混乱、絶望、死といったこれでもかという人生の暗部ばかりだったのだ。特に死刑直前の民衆の絵や、最晩年の『黒い絵』の連作は、事前にルーベンスやレンブラントで絵画の“鑑賞では済まされない”側面を学んで免疫を作っていなければ、一発で脳神経をやられてしまう危険性があった。 (人間とはここまで凄絶なものなのか!) 彼は、絵画の明と暗を知ったことで、表現方法に限界がなくなったことに気づいた。無垢なフェルメールと闇の住人ゴヤが同時に存在する世界に、不可能の文字はなかった。カントレフは人々の輪から一歩離れて生きてきた、孤独な自分にしか描けぬ絵が必ずあるはずだと思ったのだ…。 アトリエでは目も眩むような強烈な体験が待っていた。果実やグラスを使って基本的なデッサンを続けていたある日、そろそろ人間を描くように促されて、彼は人物画の教室に足を踏み入れた。そこでは二人が一組となって真正面に向き合い、互いに上半身のスケッチを繰り返していた。ちょうど彼の後からもう一人生徒が入って来たのでペアを組むことになった。相手を見た彼は思わず躊躇した。まだ二十才にいくかいかないかの、実に清楚で、若く美しい女性だったからである。カントレフはくらくらとめまいがした。 彼らは周りがそうするのと同じように、まず丸椅子を持って来て、次に互いの膝がつきそうな距離でスケッチブックを開いてデッサンにとりかかった。彼は半分恐怖の混じった緊張感で自分の足が震えている事を、相手に気づかれやしないか内心はらはらしていた。 (畜生、俺の体よ、震えるんじゃない!相手は自分の半分程の歳しかない小娘じゃないか!) とはいえ彼女の顔を見ている間は、無意識の内に息を呑んでおり、呼吸する事を忘れ去っていた。彼女の目も鼻も口もすべてが輝いて見えた。そして、その、手に取る事が出来ぬ輝きを、彼は一枚の紙に慎重に乗せていった。 途中で何度も投げ出しそうになった。それはスケッチが難しいからではなく、至近距離からの絶え間ない美の放射に、自律神経が悲鳴を上げたからである。額にどんどん汗が滲み始め、呼吸は浅く、そして速くなる一方だった。カントレフの顔を描いている彼女がその異変に気づくのに時間はかからなかった。 「体調がよろしくないのではありませんか?」 「いえ、御心配なく…少し緊張しているだけです。」 彼女は明るく『まあ!』と言った。この“まあ!”は、自分よりも遥かに年上の男性が、彼女を前に緊張している事が可笑しくもあり、かわいくもあったからだ。彼女は目を細めて彼に小声で話した。 「そんなのはすぐに慣れますよ。」 「は、はい。」 彼女はクスッと笑った。ほんの一瞬の会話だったが、それは充分に彼の緊張を和らげた。名前も知らぬ彼女が彼との会話を通じて笑っている、こういう事はサーシャの一件で女性から遠ざかって以来、五年ぶりだった。 じっくりと彼女の美を目に焼き付け、そっと紙の上に落とす、単純に言えばその作業の繰り返しなのだ。だが、彼にはそれが感無量だった。失恋を続けてきた彼は、真近で女性の美しさに触れるという体験が決定的に不足していた。その結果、本人が気づかぬままに、無意識下にあった美への渇望感が人一倍強くなっていたのだ。 (この世界を見渡せば、美はいたる所に溢れている。満月もよかろう、夕焼けもよかろう、花や木々もだ。しかし、俺は拒否されてきたが故に、ずっと女性の美しさに憧れていたんだ!) その女性美を満足いくまで好きなだけ見つめることが出来るという画家の“特権”は、カントレフが事前に予想しておらぬものだった。 (普通、通りやカフェで初対面の相手に半時間もジロジロ見つめられれば、誰だって薄気味悪くなり警官を呼ぶよな。なのに彼女ときたら、穴が開くほど瞳を見つめても眉ひとつ動かさない。いや、彼女だけとは言わぬ。ここに居るものは皆そうだ!)故郷を出てからずっと一人で生きてきた彼にとって、アトリエで体験する様々な他人との異常接近は、他では得難い貴重な体験だった。 (同じ人間、怖れる事はない。) 彼は、徐々に世界に対する警戒心が薄れていく自分を、はっきりと感じとっていた。 “それにしても”とカントレフは絵画について思いを馳せるのだった。 (この、まばゆいばかりの彼女の美しさを、無慈悲な『時間』の手中から奪い取って永遠化する“絵を描く”という行為は、七日間の天地創造に匹敵する、とてつもない大作業だよな。) 彼が筆先を動かすたびに、みるみる彼女の時間が止まりだした。 (すごい!…時間が!これは錯覚ではないし、まして夢でも魔法でもない!) カントレフは自分に“時間を止める”という、想像を絶する力が手に入ったことで、世界の半分を支配した気がした。まるで王になった様に胸が高鳴った。 …だが、あくまでも“半分”だった。つまり、今彼が描いている“美”は世界の片側、『光』の側面のみであった。しかし、世界にはゴヤが住んでいる荒野が、もう半分の『闇』の側面があったのだ。 闇を描くのは光とは比べ物にならぬほど困難だった。光を描く時は無心になる事を求められたが、闇の場合は闇の中で何が起こっているかを、自分の人生体験全てを投入して見極め、さらにカンバスの前という証言台に最後まで立ち続ける強靭な精神力が必要だったのだ。己れを守る術を知らぬ画家であれば、闇の中で全人格的衝突を繰り返すうちに正気を失い、作品完成後にこちらへ帰って来れなくなる恐れもあった。 結局、カントレフが闇の絵を描けるようになるまでに丸十年を要した。いや、十年しかかからなかったと言うべきだろうか。彼にとっては光より闇の方が見慣れた景色だという皮肉もあった。彼が初めて描いた闇の絵はユダに扮した自画像だった。カントレフは十二使徒の絵の中に、嬉々として自分の姿を入れた。キリストが憎かったわけではない。彼はキリストを愛していた。しかしユダの気持ちがキリスト以上に理解できたのだ。 アトリエ主催の展覧会にその絵を出した時、彼が勤める靴工房の老いた親方が、ふらりと入って来た。もちろん親方が見にきたのはこれが初めてだった。おそらく次男のピョートルが吹き込んだのであろう。カントレフは慌てた。自画像の他に、こっそりスケッチしていた黙々と働く親方の絵があったからだ。彼と親方のつながりは既に四半世紀を超えており、親方が元気な内にどうしても描きたかったのだ。 思わず物陰に潜んで様子を見ていると、はたして親方は自分が描かれた絵の前で立ち止まった。親方は帽子をとった後、大笑いした。そして二、三度頭を掻いてから、肩をすくめて隣の絵に移った。それは例の自画像だった。…親方は長い間その前に立っていた。信心深い彼には、すぐにユダのことが分かった。カントレフは親方が出て行くまでずっとその物陰にいた。 あくる日、親方はカントレフに一ヵ月の休暇を命じるとともに、幾らかのお金を紙にくるんで、黙って彼に手渡した。ずっと真面目に働き続けてきたカントレフへの、不器用な贈り物だった。二人の性格がそうさせたのか、この師弟の間では、一度も私生活が話題にのぼることはなかった。しかし親方は彼を息子同然に愛していた。 カントレフは黙ったまま深くお辞儀をして、靴工房にしばしの別れをした。 次回タイトルは、その名も“イルクーツク、疾風怒涛”。GO! |