報道写真館
日本展
(1990)大阪・西成区
ここで機動隊が必死に守っているのは、なんと警察署だ。西成署の署長が地元の
あこぎなヤクザと繋がってたことが発覚し、怒った住民が署長の土下座を要求して
西成署を3日間包囲し、投石を繰り返したのだ。警察が住民に襲われているという
シチュエーションが、前代未聞だ。火炎ビンまで登場した。大阪って、アツイよな。
(同、西成区)
放水車の攻撃を避けながら一人のおじさんが特攻した。角材が見事にヘルメットを
直撃しているのが分かる。ワシはもちろん住民側の味方だが、機動隊員が自分達で
お互いに「怖くない!怖くない!」と声をかけあってるのが聞こえた時、権力者が持つ
暴力システムの象徴に見えてた彼らも、同じ人の子だと分かった。複雑な気分だった。
本来の敵ではない彼らと争うのが、何かやるせなかった。ワシは閉塞感に包まれた。
(1992)京都・自衛隊宇治駐屯地付近
戦後初めて自衛隊が海外派遣されたこの日、たくさんの市民団体が集まり“人間の鎖”で
基地を囲んだ。デモを取り締まる機動隊、神と和解せよ、ゴミの出し方、このバミューダ・
トライアングルの中にデモ参加者が吸い込まれている。何だか四次元空間チックな一枚だ。
実はピュリツァー賞の声がかかった時用の受賞スピーチが、もうすでに完成している。
(1988)大阪・八尾市
死の半年前の手塚治虫氏、そして『木を植えた男』の原作者フレデリック・バック氏(右から
2番目)という、両巨匠の夢のような講演会だ。手塚氏は連載途中でベートーヴェンのマンガ
『ルードウィヒ・B』と『ネオ・ファウスト』を絶筆することになり、さぞかし無念だったと思う。
(1999)大阪北部・寺の門前で
『死ぬとは、その時まで、生きること』
寺門には時々目の覚めるような言葉が炸裂している。この日もそうだった。
わずか14文字の世界だが、脳しんとう寸前の非常に力強い言葉だった!
(2003)大阪堺市・寺の門前で
『戦死者を偲ぶとは 争いを悲しむ心である』
戦功や名誉の戦死を讃えることが“偲ぶ”ことではないということ!
(2003)大阪京橋・寺の門前で
『恩は石に刻み 怨みは水に描け』
恩は風化させることなく石に刻み、怨みは水に流せということだ。素晴らしい。
(1992)長野県〜『思い出せ!君の夢は何だった』
御覧の通り、すごく大きな看板に、非常に強烈なメッセージが刻まれている。
あまりのインパクトに、気がついた時は自分の指がシャッターを切っていた。
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