南米館


チリ展B〜イースター島
(2000年)


かつては600体のモアイが林立していたイースター島。島民同士の紛争で、その
ほとんどが引き倒され、破壊された。今回わずかに残る生き延びたモアイを訪ねた。




(アキビにて)七人のモアイ
モアイを支えている台座の多くが当時の島民の墓所になっており、モアイは各部族の
祖先像だと思われる。大きいモアイは1体80トンもの重さになる(アフリカ象は6トン)。





(トンガリキにて)モアイだよ!全員集合
ここは15体のモアイが見事に並ぶ、イースター島最強のホット・スポットだ。完成
当初は全てのモアイに帽子(冠?)がかぶせられていたが、現在ではこの写真の
右から2番目のモアイだけが、頭上に帽子を乗せている。ちなみに、島に現存する
最大のモアイは高さが21メートルで、これはエジプトのスフィンクスよりもデカい。





(死火山ラノ・ララク)別名モアイ山
この死火山の火口がモアイの制作現場だ。モアイは柔らかい火山岩を彫刻した
ものなのだ。山のふもとのあちこちで、無数のモアイが、あるものは傾き、あるも
のはあお向けに倒れて、悠久の時の流れにその身をまかせていた。ボーツとね。





(同、モアイ山)海を見て何を思うや?
最古のモアイは1500年前のものだが、現存するほとんどのモアイは600〜900年前の
ものだ。16世紀以降は全島民が部族紛争にあけくれ、モアイの製作も完全に終わってし
まった。最大7000人いた島民は、紛争プラス疫病や欧米人による奴隷狩りの横行で、
19世紀末にはわずか100人余りまで激減した。現在の島民は約2000人。ほぼ全員が
ヨーロッパ人、タヒチ人、中国人との混血だ。古代文字を含んだ伝統文化の伝承は、残念
ながら事実上途絶えてしまった。このモアイたちは静かに島民の悲劇を見続けてきたのだ。



      

(ピコの浜にて)ザ・イースター島民
港にいた優しい瞳の少年(左)と、頭に巨大な羽をさしたオシャレなダディ。
羽は簡単に取り外せるが、取るとお団子を乗せてるような髪型に。キュン!





(トンガリキにて)モアイにフェロモン!
寝ているモアイの頭に、ちょうど髪飾りのように草が生えてキュートだった。
ドキッとしたワシは、当然、フェロモンのお返しでモアイを悩殺!いい感じ!


(会場案内板へ)



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